武蔵国
武蔵国(むさしのくに、旧字体: 武藏國)
今日の東京都,埼玉県および神奈川県北東部。もと東山道に属していたが宝亀2(771)年から東海道の一国。大国。『旧事本紀』『高橋氏文』などによれば,无邪志(むさし),胸刺,知知夫(ちちふ)の 3国造があったという。国府は東京都府中市。国分寺は東京都国分寺市西元町。古くから渡来人が移され,『続日本紀』によれば霊亀2(716)年には東国 7国の高麗人 1799人が当国に移され,新たに高麗郡が設置されている。今日の埼玉県日高市にある高麗神社は高麗王若光をまつると伝えられる。『延喜式』には新座,入間,秩父など 21郡を,『倭名類聚抄』には 120郷,田 3万5574町を載せている。平安時代後期には武士の勃興がみられ,横山党,児玉党,村山党などのいわゆる武蔵七党や坂東八平氏などの武士団も成立していた。鎌倉時代には平賀義信が武蔵守となり,国司が守護職を兼帯したがまもなく北条氏の相伝となった。建武中興に際しては足利尊氏が,南北朝時代には高師直が武蔵守に任じられ,守護は高氏,上杉氏,仁木氏,畠山氏と転変したが,南北朝時代後期以降,上杉氏の相伝するところとなった。15世紀中頃関東は動乱に入り,扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎうじ)の家臣太田道灌は長禄1(1457)年江戸に城を築き威をふるった。これが江戸城の最初である。やがて相模の北条氏が武蔵国に進出し,しばらく後北条氏(ごほうじょううじ)の支配が続いた。しかし天正18(1590)年には豊臣秀吉に攻められて後北条氏も滅び,次いで徳川家康が入国して江戸幕府を開いた。江戸は将軍のお膝もととして未曾有の繁栄をし,江戸時代の後期には人口 100万人といわれ,大坂,京都をしのぎ世界的な大都市となった。藩としては岩槻に大岡氏,川越に松平氏,忍に阿部氏,岡部に安部氏,金沢に米倉氏などがあった。明治にいたり江戸は東京府となり,明治4(1871)年の廃藩置県後,各藩は県となり,同年 11月に埼玉県に統合され,さらに改編されて,東京府,埼玉県,神奈川県となった。