日産自動車

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日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英語: Nissan Motor Co., Ltd.)は、神奈川県横浜市に本社を置く日本の大手自動車メーカー。通称とブランド名は日産(Nissan)。北アメリカヨーロッパなどの50か国では高級車ブランドのインフィニティ(Infiniti)、また新興国向けには低価格ブランドのダットサン(Datsun)を展開する。

フランスルノー三菱自動車工業と共に、ルノー・日産・三菱アライアンスを形成している[1][2]。また三菱自動車工業の筆頭株主でもある。アライアンスの2017年の世界販売台数は約1061万台で世界首位[3]

概要

本社は横浜市西区高島1丁目1-1(日産グローバル本社)。芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場企業である。ルノーが株式の44パーセントを所有しアライアンス関係である。

日産自動車の関連会社には、委託製造会社である日産車体、モータースポーツ専門のニスモなどがある。また、国外では高級車の「インフィニティ」ブランドおよび新興国向けの低価格車ブランド「ダットサン」での展開も行っている他、ルノーの車種を「日産」ブランドで販売している(ルノー・ジャポンは日産グローバル本社屋内に籍を置く)。

筆頭株主のルノーから派遣されたカルロス・ゴーン代表取締役会長社長最高経営責任者(CEO)を2017年3月まで務めた。同年4月からは会長に専念する。なお、ゴーンは2005年4月よりルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。現在、日産自動車の経営はゴーン会長の指揮の下で最高執行責任者(COO)を置かず、複数の執行役員らがCOOの役割を分担している。

海外では特にSUVと小型車に強みを持っており、日産自動車の2010暦年のグローバル販売台数及び、グローバル生産台数は共に400万台を超える。日本の自動車メーカーとしてはトヨタ自動車に次いで2番目に400万台の大台を突破した[4]

2017年の上半期には、ルノー、三菱自と合わせた世界販売台数でグループ第1位を獲得した。

2017度の国内登録車台数はトヨタ自動車に次ぐ第2位である[5]

女性活躍推進に優れている企業を選定・発表している経済産業省東京証券取引所との共同企画である「なでしこ銘柄」に第一回(平成24年度)から連続して選定されている(平成28年度時点)[6]

歴史

創業 - 1933年代

旧本社(東京都中央区銀座六丁目)

第二次世界大戦前は日産コンツェルンの一員であった。「日産」という名称は、当時グループの持株会社であった日本産業が由来となっている。

創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車は日本フォード日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年(昭和11年)にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年(昭和27年)にイギリスのオースチンと技術提携している。

1958年(昭和33年)には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場してクラス優勝を飾り、1960年(昭和35年)には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。

1966年(昭和41年)8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。スカイライングロリアなどの車種と、中島飛行機立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。

1973年(昭和48年)の米国環境庁 (EPA)燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジン燃焼制御技術の開発からCAD/CAM産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。

しかし、その反面、戦時中に自動車の配給独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化されたために販売力でハンディとなってしまい、技術面では「技術の日産」と評されるほどに優位を保っていた反面、販売面ではマーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタ自動車には及ばず、1970年代までトヨタに肉薄していた日産の販売シェアは、特に1980年代以降、トヨタとの差は広がる一方となる。

901活動

1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にエンジンをはじめ、シャシサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上などに力を注いだ「901活動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。

1980年代後半のバブル景気時代には、K10型マーチをベースにしたパイクカーの第一弾として限定1万台で発売され2か月で予約完売となったBe-1や、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマや、洗練されたデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせ、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだし、「901活動」のもとで開発されたR32型スカイラインなどのスポーツ系車種をはじめとしてP10型プリメーラなどのセダン系車種なども高い評価を得るなど存在感を示していた。

経営危機

しかし、「901活動」のもとで開発されて高い評価を得るなど存在感を示していた車種は、1991年から1994年にかけてフルモデルチェンジの時期が到来し、新型車として発売された、U13型ブルーバード4ドアセダンSSS/EEXJY32型レパードJフェリーC34型ローレルR33型スカイラインS14型シルビアB14型サニーなどの各車種は、「901活動」のもとで開発されて高い評価を得るなど存在感を示していた旧型とは一転して、デザインや商品面で評価が低い結果となってしまい販売不振に陥ってしまった。

さらに、バブル景気が崩壊(終了)した影響で、高価格で収益性の高いシーマやセドリック、グロリアなどの高級車の販売が減少した上に、もともと商品企画(いわゆるマーケティング)や販売戦略が不得意な上にヒット車種を数多く出せないこと、さらに過激な組合運動に足を引っ張られ抜本的なコスト削減もままならないまま財務内容はますます悪化の一途を辿り、「901活動」でコスト上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心としたリストラを断行してもなお1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機に陥ってしまう。その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチ、C23型バネットセレナ(のちのセレナ)などがコンスタントに販売台数を記録して経営危機に陥っていた日産を支えていた。

その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた日本国内シェアで、一時期ではあったがホンダの後塵を拝し、国内シェア第3位に転落してしまった時期があった。現在は、軽自動車販売のシェアがホンダと逆転したため、国内シェア第2位[7]に返り咲いている。

ルノーと資本提携へ

継続的な販売不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーと資本提携(ルノー=日産アライアンス)を結び、同社の傘下に入り更生を図る事となった。
提携内容は、ルノーが6,430億円(約50億ユーロ/330億フランスフラン/54億USドル)を出資し、日産自動車の株式36.8%、および日産ディーゼル工業の株式22.5%を取得するとともに、日産自動車の欧州における販売金融会社も取得すると言うものだった。

当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。 同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) であったルイ・シュヴァイツァーの指示より同社副社長のカルロス・ゴーンが新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月19日に発表した「日産リバイバルプラン (NRP)」のもとリストラを進めた。

ルノーから資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場や、京都府宇治市日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却や人員の削減とともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによってコストを削減した。またこれに先立って外国企業の影響を避けるため、宇宙航空事業部が石川島播磨重工業に売却され、IHIエアロスペースが設立された。

更に、車種ラインアップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加した。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。

ルノー=日産アライアンス

現在

ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からはルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。2013年11月までは、ゴーンCEOの指揮の下で日産自動車生え抜きの志賀俊之最高執行責任者(COO)を務めていた(現在は日産社内での最高執行責任者(COO)職は設けていない)。

2008年には、サブプライムローン問題に端を発した金融危機や原油高騰による不況の中、世界販売台数は0.9%増加し、アメリカでは自動車販売台数が18%減少の中、日産は10.9%減にとどまった。

2007年春に、企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21 (MM21) 地区」66街区に本社社屋の建設を着工し、2009年8月2日に「横浜グローバル本社」として竣工した。2009年8月7日に、長らく本社のあった東京・東銀座から移転(登記上の本店は、横浜市神奈川区横浜工場のまま)。当初は、2010年をめどに移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるのを機に1年前倒しとなった。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができた。新社屋は建築家谷口吉生の設計によるものとなっている。

なお、東京・東銀座の旧・本社社屋は、読売新聞グループ本社読売新聞東京本社が建て替えに伴う間の仮本社として2010年9月から2014年1月まで使用していた。この建物は、今後三井不動産2015年1月の完成を目途に一部改修したうえで、同社の本社機能の一部を移転させるとしている。これは現在の三井不動産本社がある中央区日本橋室町の「三井別館」が、再開発事業により取り壊されるためによるもの[8]

2014年には、2018年までにルノーとの部品共通化を7割まで拡大すると発表した[9]

三菱自動車工業との共同開発、スズキとのOEMで軽自動車の販売をしておりMRワゴン→モコ、パレット→ルークス(以上スズキ)、ミニキャブ→クリッパー、ekワゴン→オッティとして販売している。

2016年4月に三菱自動車の燃費偽装問題が発覚した事に関連し、5月12日に日産が2,370億円で三菱自動車の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、戦略的アライアンスを締結すると共に、三菱自動車の再建を支援すると発表した[10][11]。2016年10月20日に日産が2,370億円で三菱自動車工業の発行済み株式の34%を取得し筆頭株主となり、ルノー・日産アライアンスに加わったことを発表した。2017年9月15日に発表した新6ヶ年計画では三菱を含めてさらにアライアンスを強化し、アライアンス全体のパワートレインの共通化を従来の1/3から3/4に拡大するとしている。[12]

2017年9月29日までに、同社の日本国内の全6工場で生産した21車種について、完成検査の一部を未認定の検査員が行っていたことが明らかになり、新車販売を一時停止する事態となった[13]。10月6日、新車の完成検査を無資格の従業員が行っていた問題を受け、乗用車など38車種、計約116万台のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。

前史

ファイル:Prince Skyline ALSI-1 001.jpg
プリンス・スカイライン
(初代)
ファイル:JapaneseFairladyZ1970.jpg
フェアレディZ
(初代S30型系)
ファイル:Nissan Skyline R32 GT-R 001.jpg
スカイラインGT-R
(BNR32型)
ファイル:2008 Nissan X-TRAIL 01.JPG
X-TRAIL・クリーンディーゼル
(T31前期型)
ファイル:C25Serenakouki.jpg
セレナ・ハイウェイスター
(先代C25型)
ファイル:Nissan GT-R 01.JPG
GT-R
(現行R35型)
  • 1910年 - 鮎川義介福岡県遠賀郡戸畑町(現在の北九州市戸畑区)に「戸畑鋳物株式会社」設立。(日産のルーツである) そのため正確には日産発祥の地は横浜市ではなく北九州市である。
  • 1911年 - 橋本増治郎東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」設立。
  • 1919年 - 大阪府に「実用自動車製造株式会社」設立。
  • 1926年 - 「実用自動車製造株式会社」と「快進社自働車工場」が合併し、「ダット自動車製造株式会社(本社:大阪)」設立。
  • 1931年 - 戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)(社長:鮎川義介)がダット自動車製造を傘下に入れる(事実上の企業買収)。
  • 1932年 - 吉崎良造により「ダットサン自動車商会」設立、ダットサンのブランドが誕生。
  • 1933年 - ダット自動車製造と石川島自動車製作所が合併し自動車工業株式会社[14]横浜市神奈川区に設立される。
  • 1933年 - 戸畑鋳物株式会社がダット大阪工場を70万円で購入。しかし、ダットサン(自動車)の製造権と設計技術者の後藤敬義、そして一群の人員は自動車工業株式会社に残る。

沿革

経営者

歴代社長

名前 任期
初代 鮎川 義介(あゆかわ よしすけ) 1933年12月 - 1939年05月
2代 村上 正輔(むらかみ まさすけ) 1939年05月 - 1942年02月
3代 淺原 源七(あさはら げんしち) 1942年03月 - 1944年09月
4代 工藤 治人(くどう はると) 1944年09月 - 1945年06月
5代 村山 威士(むらやま たけし) 1945年06月 - 1945年10月
6代 山本 惣治(やまもと そうじ) 1945年10月 - 1947年05月
7代 箕浦 多一(みのうら たいち) 1947年05月 - 1951年10月
8代 淺原 源七(あさはら げんしち) 1951年10月 - 1957年11月 3代目社長の復帰
9代 川又 克二(かわまた かつじ) 1957年11月 - 1973年11月 元同社相談役 1986年3月29日死去
10代 岩越 忠恕(いわこし ただひろ) 1973年11月 - 1977年06月 1981年3月19日死去
11代 石原 俊(いしはら たかし) 1977年06月 - 1985年06月 2003年12月31日死去
12代 久米 豊(くめ ゆたか) 1985年06月 - 1992年06月 日蘭協会・(社)日本自動車会議所 顧問
2014年9月10日死去
13代 辻 義文(つじ よしふみ) 1992年06月 - 1996年06月 2007年2月11日死去
14代 塙 義一(はなわ よしかず) 1996年06月 - 2000年06月 元同社相談役名誉会長 2015年12月18日死去
15代 Carlos Ghosn(カルロス ゴーン) 2000年06月 - 2017年03月 三菱自動車会長

同社会長 ルノー社長兼会長兼任

16代 西川 廣人 (さいかわ ひろと) 2017年04月- 日本自動車工業会会長 同社代表取締役兼CEO

歴代会長

名前 任期
初代 川又 克二(かわまた かつじ) 1973年- 1983年 元社長
2代 石原 俊(いしはら たかし)

1985年06月- 1992年06月

元社長
3代 久米 豊(くめ ゆたか)

1992年06月- 1996年06月

元社長
4代 塙 義一(はなわ よしかず)

1999年06月- 2003年06月

元社長
5代 小枝 至(こえだ いたる)

2003年06月- 2008年06月

同社相談役 元名誉会長
5代 Carlos Ghosn(カルロス ゴーン) 2003年06月-

三菱自動車会長 ルノー社長兼会長兼任

販売車種

ロゴマーク・企業フォント

ファイル:Nissan logo.svg
日産自動車のロゴ
ファイル:Nissan-logo.svg
日産自動車のロゴ
日産自動車のコーポレーションロゴ

日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である[21]。なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。

その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」[22] と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。

創業50周年を迎えた1983年には、アメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに2001年には、1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで検討され、立体的なものとなったロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、2001年にフルモデルチェンジしたシーマ(F50型)、プリメーラ(P12型)から採用されて現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。

企業フォントはTBWA開発の「NISSAN AG(Akzidenz Groteskの日産バージョン)」とモリサワ新ゴ」の組合せ、車名バッジはG10型ブルーバードシルフィからNE-01というフォントに基本的に統一されている。

赤・白・青トリコロールカラーは、日産自動車のコーポレートカラーとして日産ディーラーの各販売会社の店頭看板やレースカーのボディデザインなどとして古くから親しまれている。日産自動車がスポンサーとなっている横浜F・マリノスのチームカラーとしても起用されている。

なお、カタカナの車名ロゴは、2001年にロゴマークおよび指定フォント(書体)が一新された後も、1983年の創業50周年を機に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)が引き続き使用されていたが、2007年5月にマイナーチェンジして発売されたラフェスタ(B30後期型)、新規車種として発売されたデュアリス(J10型)以降から、新たに製作された指定フォント(書体)に一新されている。

そのほか、日産ディーラーの各販売会社の大型看板 (NISSAN Blue Stage, NISSAN Red Stage, NISSAN Red & Blue) の「NISSAN」の指定フォント(書体)は、1983年に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)を引続き使用していたが、2007年から、日本国内の日産販売会社各店のレッド/ブルーの色分けを中止してからは、2001年に一新されたロゴマーク及び指定フォント(書体)へ変更された新しいVI(ビジュアルアイデンティ)への変更が順次進められており、大型看板も2001年以降の指定フォント(書体)を中央に配し、赤い線を上部に、グレーの線(線内中央に白文字で日産ディーラーの各販売会社名を表示)を下部に配した新しい大型看板に更新されている。

キャッチフレーズ

メイン・キャッチフレーズ

  • 世界の日産(1960年代)
  • 人とクルマの調和をめざす 日産自動車(1970年 - 1973年)
  • 人とクルマの明日をめざす 日産自動車(1974年 - 1977年)
  • 人とクルマの明日をめざす 技術の日産(1978年 - 1981年)
  • 世界に愛される 先進技術の日産(1982年)
  • もう走り始めています 21世紀へ 先進技術の日産(1983年 - 1985年)
  • 21世紀を目指す 先進技術の日産(1985年)
  • Feel the Beat もっと楽しく感じるままに 技術の日産(1985年 - 1991年)
  • LIFE TOGETHER 人間のやさしさをクルマに(1991年 - 1998年)
  • クルマのよろこびを(1999年1月 - 「ルノー=日産アライアンス」資本提携前)
  • NISSAN, RENAISSANCE(「ルノー=日産アライアンス」資本提携後 - 2000年4月)
  • SHIFT_the future(2001年10月 - 2008年11月)
  • SHIFT_the way you move クルマの可能性を、未来へ。(2008年11月 - 2012年3月)
  • 今までなかったワクワクを。 SHIFT_[23](2012年4月 - 2013年4月)
  • Innovation that excites 今までなかったワクワクを。(2013年4月 - )
  • Innovation that excites (2016年11月-)

サブ・キャッチフレーズ

  • 無理のない運転で、貴重なエネルギーを大切に(1970年代 - 1985年)
  • 安全は、人とクルマでつくるもの。(1970年 - 1985年)
  • シートベルトは“安全ベルト”正しく使う習慣を(1970年代 - 1985年)
  • スペース・テクノロジー(1983年)
  • 20世紀の残りは日産がおもしろくする(1990年 - 1991年)
  • いい運転 日産からのお願いです。(1990年 - 1991年)
  • 熱血業界宣言(1990年代前半)
  • スピードおさえていい運転(1991年 - )
  • 変わらなきゃ(1995年)
  • 変わらなきゃも 変わらなきゃ(1996年)
  • もっと日産になる(1997年 - 1998年)
  • SHIFT ワード(車種別広告でのキャッチフレーズ)(2004年 - 2008年)
  • 今こそ、モノづくりの底力を。(2011年5月 - 2012年3月)(東日本大震災の被災による)
  • 80 years of moving people 80年のありがとうを、クルマにのせて。(2013年11月 - 2014年)(日産自動車創立80周年による)
  • 技術の日産が、人生を面白くする。(2015年8月 - 2017年12月)
  • NISSAN INTELLIGENT MOBILITY (2017年7月-)

販売店別キャッチフレーズ(現在は廃止)

  • ブルーバード販売会社にようこそ(ブルーバード販売会社)
  • 若いハートの日産サニー(サニー販売会社)
  • いい走り、いい生き方(スカイライン販売会社)
  • 世界のパルサー販売会社(パルサー販売会社)

フェア&イベント・タイトル

  • 日本全国日産デー(1970年代後半-1992年、1994年)
1986年 - 1987年頃に展開されていたCMには、当時デビューして間もない歌手・タレントの西村知美が「日本全国日産デー」キャンペーン専属のCMキャラクターとして起用されていた。
  • ヨンセンマン(1992年)
日産自動車の生産累計台数が4000万台達成したことを記念し数々の特別仕様車が発売され、車のボディをモチーフにした顔が特徴的な「ヨンセンマン」のCGアニメキャラクターが存在していた。
  • 熱血大感謝フェア(1993年)
1993年の創業60周年を記念し、数々の60周年特別仕様車などを取り揃えた、「熱血大感謝フェア」と名付けたキャンペーンCMの専属キャラクターとして、「熱血業界宣言」キャンペーン専属のCMキャラクターを務める吉田栄作をはじめとして、島崎俊郎神田利則中山美穂松居直美中條かな子が起用されていた。
  • イチロニッサン(1995年-1999年)
1991年から1994年にかけてフルモデルチェンジした新型車を続々と投入していたが、新型車の評判がフルモデルチェンジ前の旧型車と比較して芳しくなく販売不振が続き、その結果、人気度・信頼度・企業イメージが低下していた日産自動車全体の建て直しと、タクシー・パトカー・教習車モデルを除く乗用車全車種に、運転席と助手席にSRSエアバッグを標準装備化して他メーカーとの差別化を図ったことによる販売回復の起爆剤になることを願って、野球選手のイチローをメインに、野球解説者(当時)の原辰徳、サッカー選手の川口能活、ボクシング選手の辰吉丈一郎、タレントのかとうれいこ、競馬騎手の武豊といったの大物スポーツ選手、タレントをCMに起用し、「変わらなきゃ」「変わらなきゃも変わらなきゃ」「イチロ・ニッサン」「こんどの週末は、イチロ・ニッサン」「エアバッグなら、イチロ・ニッサン」「エアロRVなら、イチロ・ニッサン」「イチロ・エアバッグ」「イチロ・エアロ」「ワゴンボックスに乗ろう」などのキャッチフレーズをつけていた。
なお、「ワゴンボックスに乗ろう」のキャッチフレーズのCMでは、元マラソンランナーの増田明美が、マラソンの実況解説風のCMナレーションを担当していた。
それに対して、危機感を抱いたライバルメーカーのトヨタ自動車は、乗用車全車種にSRSエアバッグの標準装備化に加えてABSも標準装備化して、日産自動車のCMに起用の野球選手のイチローに対抗して、ライバルの野球選手の野茂英雄を起用したり、ABSをA(エ)B(ビ)S(ス)というダジャレ的なネタにちなんでタレント・漫画家の蛭子能収をCMに起用して日産自動車に対抗した安全装備の標準化による日産VSトヨタでの販売競争が他メーカーにも波及し、後に、軽自動車を除くほとんどの国産車でSRSエアバッグとABSが標準化されるきっかけになった。
  • のってカンガルー(2007年-2012年)
声、ナレーションは、スチャダラパー アニ貴家堂子桂玲子安齋肇Perfume郷ひろみバナナマン日村勇紀設楽統)、伊武雅刀小林克也井上順を起用。
CMキャラクターは、栗山千明渡部陽一古屋隆太木村多江を起用。
  • ノッテコニッサン(2013年-2015年)
CMキャラクターにを起用。なお、嵐は2012年4月から2015年6月までのPURE DRIVEシリーズのメインキャラクターも務めていた。
  • "やっちゃえ"NISSAN(2015年-2017年)
CMキャラクターには2015.6年は矢沢永吉、およびシャーロット・ケイト・フォックスを2016年中盤からは矢沢永吉だけの起用。また共通キャッチコピーではなく、「"攻めるね"NISSAN」「"きてるね"NISSAN」「"粋だね"NISSAN」「"やるね"NISSAN」「"やんちゃだね"NISSAN」など車種ごとに変更してCM放送されている場合もある。
  • "ぶっちぎれ" 技術の日産(2017年8月-同年12月)
CMキャラクターには引き続き矢沢永吉が担当。
  • 日産がやらなくて、ほかに誰がやる。(2018年1月-2月)
  • 日産がやらなくて、ほかに誰がやる。NISSAN PRIDE(2018年2月-)
CMキャラクターには矢沢永吉とロサンゼルス在住の少年バレンチノ・ウィルソンを起用。

生産方式 (Nissan Production Way)

21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。

エンジン型式

BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

日産では1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めている。例外もあり、ルノーと共同開発したM9R型エンジンや、OEM供給を受けている車種へ搭載している他社製エンジンなどはこの規則が適用されない。

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エンジン系列名 排気量(100cc未満は四捨五入) バルブ機構 燃料供給方式 過給器
  1. エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。
    • オースチンBMC)「Aタイプ」をコピーした「A」(部品レベルの完全なコピー)
    • メルセデス・ベンツロッカーアームOHCをコピーした「L」
    • 旧プリンス自動車系の「G」系エンジン
    • ツインプラグで「究極の排ガス対策」に由来する「Z」
    • エコノミカルの「E」(2代目)
    • マーチ/マイクラ用の「MA」
    • スモールディーゼルの「SD」
    また、慣例的にV型エンジンには「V」(かつてのY型エンジンを除く)、ディーゼルエンジンには「D」が使用される。また1980年代後半以降に開発された比較的新しい直列4気筒ガソリンエンジンは、「○R」が付与される傾向もある。
  2. 1960年代以前は開発順に番号が付けられていたが、それ以降は排気量の100 cc未満を四捨五入して100で割った値となる。呼び排気量が1,000 ccに満たない場合は頭に"0"が付く(例 MA09)。同じ呼び排気量でボア・ストロークが異なる場合、1桁目が「A」になる(例:MR18DE→MRA8DE)。
    車検証の原動機型式欄に記載されるのはここまで。3.以降の項目は、メーカーズプレートではカッコ書きされる。
  3. 無印の場合はSOHCまたはOHV、「D」の場合はDOHC、「V」の場合はNEO VVLもしくはVVEL(可変バルブリフトタイミング)採用機種である。
    ただし、全機種DOHCのFJ系は空欄となる。
  4. 無印の場合はキャブレター、「S」の場合は電子制御キャブレター(ガソリン車)、「i」はシングルポイントインジェクション、「E」は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI マルチポイント インジェクション、ディーゼル車:EDI 電子制御機械式噴射燃料ポンプ)、「P」はLPGエンジン、「N」はCNGエンジンを表す。「D」はガソリン・ディーゼルともに「NEO Di」(ガソリンのみ「DIG」と呼ばれるエンジンもある)と呼ばれる直噴エンジン。
    「D」が付与されるものでディーゼルの場合は、通常インジェクター・ユニットインジェクター(UI)・コモンレール式のソレノイドインジェクターの区別はない。
    LPGエンジンの場合、ガスミキサー式は「P」のみ、電子制御液体燃料噴射方式(いわゆるLPI)は「PE」となる。
    CNGエンジンは「QG18DEN」1機種のみ発売されており、電子制御式のため「EN」となっている(LPGとは異なり、電子制御のEが先に付く)。
  5. 無印の場合はNA(自然吸気)、「T」が1つの場合はシングルターボ、「TT」の場合はツインターボ。「R」はスーパーチャージャー付き、さらに、スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせたツインチャージャーは「RT」となる。
    ディーゼルエンジンでインタークーラー付きの場合は、後に「i」がつく。一方でガソリン車の場合、CA18DETやFJ20ETなどのようにインタークーラー付き/無しの双方が存在しても型式で区別はされない。
    1980年代のSOHCターボエンジン搭載車は、カタログ上などで「T」の前に中黒が付けられ「PLASMA VG20E・T」といった表記が見られた。

なお、3 - 5はVQxxHR系(「VQxxDE」に対する"High Revolutions"、つまり高回転仕様特有の記号)のように例外も存在する。

実例
A10
A 10 なし なし なし
Aシリーズ 1000cc OHV キャブレター 自然吸気
CA18i
CA 18 なし i なし
CAシリーズ 1800cc SOHC シングルポイントインジェクション 自然吸気
SR20VET
SR 20 V E T
SRシリーズ 2000cc NEO VVL EGI マルチポイントインジェクション シングルターボ
VQ23DE
VQ 23 D E なし
VQシリーズ 2300cc DOHC EGI マルチポイントインジェクション 自然吸気
YD25DDTi
YD 25 D D Ti
YDシリーズ 2500cc DOHC NEO Di インタークーラー付ターボ
VK56VD
VK 56 V D なし
VKシリーズ 5600cc VVEL DIG 自然吸気
RB26DETT
RB 26 D E TT
RBシリーズ 2600cc DOHC EGI マルチポイントインジェクション ツインターボ
HR12DDR
HR 12 D D R
HRシリーズ 1200cc DOHC DIG スーパーチャージャー

エンジン用語解説

ネーミングや通称は、軽快感やさわやかなネーミングが多いライバルのトヨタ自動車とは正反対に、やや誇大で硬いネーミングが多いのが特徴であり、トヨタ自動車の広告を担当している電通と日産自動車の広告を担当している博報堂の戦略の違いとも言われる。

  • NAPS(ナップス)
(Nissan-Anti-Pollution-System) の頭文字を取った、低公害車をアピールする造語白金ペレット酸化触媒(昭和53年規制適合車は三元触媒)を主とした排出ガス浄化システムで、昭和50年昭和51年と、初期の昭和53年自動車排出ガス規制適合車に使用。
(Powerful&Econonomic-Lightweight-Accurate-Silent-Mighty-Advanced) の頭文字を取った造語。新世紀エンジン・シリーズの愛称として、トヨタの「LASRE(レーザー)」に対抗するため命名された。
小型・軽量・高性能・低燃費・静粛性・耐久性など、全ての要素を高次元で調和させた(当時の)高性能エンジンシリーズであった。
  • NEO(ネオ)
1990年代後半から。「Nissan Ecology Oriented performance」の頭文字を取り、英語の接頭辞で「新しい」という意味の"neo"ともかけている。
「NEOストレート6」(この時期に設計を一新したRB系エンジン)、「NEO Di」(直噴エンジン)、「NEO VVL」(可変バルブ機構)といったバリエーションがあり、これらはエンジン形式の後ろに「NEO」が付く。
(Electronic-Gasoline-Injection) の頭文字を取った造語で、日本車では初採用の電子制御燃料噴射装置。
英文としては和製英語であり「Electronic-Fuel-Injection」がより正確だが、短縮形の"EFI"を日本国内でトヨタ自動車が商標登録し、トヨタ及びダイハツ工業が使用している。
電子制御燃料噴射装置の名称は登録商標化したため各社毎に異なる名称だが、採用した当時にグループ企業だった富士重工業(現:SUBARU)は共用が認められている。
  • ECCS(エックス)
(Electronic-Conetrated-Engine-Control-System) の頭文字から。
電子式エンジン集中制御システムを指し、一つのマイクロコンピュータによりエンジンのあらゆる運転状態に応じ燃料噴射量、排出ガス還元量、アイドル回転数、フェールポンプ制御などを常に最適にコントロールし、燃費の向上や排出ガスの浄化、運転性の向上を実現させている。
ECCSのエンジン制御は、あらかじめコントロールユニットに多くの運転状態における最適制御値を記憶させ、その時々の状態をセンサーで検出し、その入力信号により、コントロールユニットが記憶しているデータの中から最適値を選出し、アクチュエータに出力し、制御する。
世界初の電子制御ユニットであり、現在のECUの元祖である。当時の月間自家用車誌によれば、フォルクスワーゲンから技術供与を求める依頼があったとされる。
(Nissan-Valve-Timing-Control-System) の頭文字から。
位相可変型可変バルブタイミング機構で、量産車では世界初の可変バルブタイミング機構となった。バルブタイミングは2段切り替え式。
現在は連続可変のCVTC(油圧式と電磁式)に発展している。吸気側と排気側の両方に装備されている場合は「ツインCVTC」となる。
(Variable-Valve-Event-andLift-system) の頭文字を取った造語。
バルブの作動角とリフト量を連続的に可変制御する機構。BMWが世界に先駆けて開発したVANOSと組み合わせたバルブトロニックと同じ効果がある。
バルブトロニックに対し、リターンスプリングを持たないリンク機構のみであるため、フリクションが小さく可変領域が大きい。また高回転での作動が安定していることも特徴。
専用オイルとの組み合わせにより従来のコーティングと比較して、部品間のフリクションを約40 %低減する。
2008年時点ではバルブリフターにのみ採用されているが、先進技術発表会などで、将来的にはピストンリングやピストンピンなどへの採用も公表されている。
2011年欧州市場のマイクラ(日本名:マーチ)に採用されたHR12DDRエンジンではリフターに加えピストンリングにも水素フリーDLCが使われている。同エンジンは日本市場では2012年よりノートに搭載されている。
  • DIG
(Direct Injection Gasoline)の略。
日産では、一時期大排気量車を中心にガソリン直噴エンジンを積極的に採用していたが、さらなる窒素酸化物の削減が盛り込まれた排出ガス規制の改訂により、通常のポート噴射式に戻され、ラインナップから一時ガソリン直噴エンジンが姿を消していた。
2010年に発売されたインフィニティM56のVK56VDは久々のガソリン直噴エンジンとなったが、かつての「NEO Di」ではなく、新たなネーミングとして「DIG」が採用された。
「DIG TURBO」(ターボチャージャー搭載)「DIG-S」(ルーツ式スーパーチャージャー搭載)「VVEL DIG」(VVELと組み合わせる)といったバリエーションがあり、一部車種にはエンブレムが装着される。
  • PURE DRIVE(ピュアドライブ)
日産の「エンジン進化型エコカー」の総称で、アイドリングストップシステム、ハイブリッドシステムなど既存のガソリン車のエンジンに付加する技術で燃費を向上している。クリーンディーゼル車も含まれる。
これらの技術を搭載した車種には「PURE DRIVE」エンブレムが装着されるが、ハイブリッド車には「HYBRID」、スマートシンプルハイブリッド車には「S-HYBRID」、エコスーパーチャージャー搭載車には「DIG-S」、クリーンディーゼル車には「dCi」が追加されたものが装着される。

車両型式

ファイル:Makers plate of Skyline GT-R 001.JPG
C10型系スカイラインGT-Rのモデルプレート
この書式のプレートは140型系ジュニアの生産が終了する1983年まで使用された

1970年代までに開発された車種には3桁の数字が割り当てられ、モデルチェンジのたびに百の位を増やしていった。各型系初代の百位は「0」で、表記されないため2桁となる。車種の増加に伴い数字の重複が起こり、識別のためアルファベット1文字が付与される場合があった。

同一型系で、エンジン型式や排ガス規制年度に変更があり、新たに型式指定を受けた場合は一の位を増やしていく。

  • 型系記号

モデルチェンジした際に最初のアルファベットが変わることがある(例:スカイラインは5代目まで「C」、6代目から10代目まで「R」、11代目以降は「V」と変化している。ただし、「R」代までシャシを共用するローレルは最後まで「C」であった)。

  • 特徴記号
  • エンジン識別記号
    • 無印 - 基準排気量
    • P - 排気量拡大版、または高性能版
    • H - 「P」よりも排気量の大きいもの、または高性能なもの

型式10位の数字

  • ダットサン
    • 1 - 小型乗用(小排気量) - スカイラインは本来「3」だが、政治的な理由で小型扱いとなった。S30 型系フェアレディZのみ 2.4 - 2.8L エンジンの設定があり「3」。
    • 2 - 小型貨物(小排気量) - セレナはバネットコーチ時代の名残で「2」。
  • ニッサン
    • 3 - 小型・普通乗用(中排気量) - S30 型系フェアレディZのみはダットサン。
    • 4 - 小型・普通貨物(中排気量) - エコー / シビリアンキャブオールシャシのため「4」。
    • 5 - 普通乗用(大排気量)
    • 6 - 普通商用(大排気量) - サファリには乗用登録モデル(3ナンバー)あり。
    • 7 - 大型乗用車(戦前) - ニッサン・乗用車、中型貨物(戦後) - キャリアー
    • 8 - 大型貨物 - 日デとの提携後、780型系を最後に廃止(1976年)。3.5t積トラック(C80型)
    • 9 - 大型バス - 同じく690型系を最後に廃止(1972年)。トラックシャシ流用の場合は「8」。

基本的には奇数が乗用系、偶数が貨物およびバス等業務系。現在でも型式10位の付番法則は踏襲されている。

ローレル(C31型)以降はアルファベット1文字に2桁の数字を合わせ、モデルチェンジの度に一の位を変えることになった。そのため、同一車種でエンジン・車体形状などの変更、シャーシを共有した異なる車種の場合は、型式名の前(排ガス記号ハイフンの後)にアルファベットが加えられている。これは車両によってバラバラだが、下記の仕様については共通のアルファベットが割り当てられる。

現行ルールの制定以後にモデルチェンジした車種で、上記のアルファベットが割当されていない場合、アルファベット割り当てた上で一の位を「0」(ブルーバードは「1」)から振り直した。アルファベットがある車種は、流用した上で「1」から開始している(サニー:B11 - 、ローレル:C31 - 、キャラバン / ホーミー:初代が「E22」のため、E23 - )が、スカイラインは「R」に変えて0から(R30)、フェアレディZは「Z」に変えて1から(Z31)始めるなど、特例も多い。また、制定以後の新規車種は原則として「0」開始になっているが、ティアナ(J31)やティーダ(C11)、ノート(E11)のように既に使用された型式と重複する場合は「1」から振ることもある(前車はJ30型マキシマ、中車はC10型スカイライン、後車はE10型チェリーが存在したため)。また、レアケースとしてジューク(型式:F15)やマツダからOEM供給を受けるラフェスタハイウェイスター(社内型式:B35)、キックス(型式:P15)のように「5」からスタートしている車種もある(前者は過去にF10、F11が2代目チェリーとして存在し、中者は初代・B30型と、後者はプリメーラ(P10-P12型)と区別するため)。ラニアのように先祖(ブルーバード)にあたるモデルの型式を引き継いでいるケースもある(U14→U15)。

マツダ・ボンゴOEMに切り替えられたバネットは、3代目を「S20」(マツダ型式SS/SE)、4代目を「S21」(同SK)とする日産独自の社内呼称が与えられ、小型貨物としての「2」が受け継がれている。

軽自動車については、ベース車両(共同開発の場合は製造元の車両)に準じた型式のほかに社内型式が設定されるが(車検証に記載されるのは前者)、前者はベース車両のアルファベット(スズキ製)もしくは数字(三菱自動車工業製)の一部分が変わり、後者は「○(この部分にはアルファベットが入る)A0」からスタートして○A1、○A2・・・といった具合にモデルチェンジごとに数字部分が増えていく。例として、ベース車両であるスズキ・MRワゴン(初代)の「MF21S」に対してモコは「MG21S」ならびに社内型式「SA0」、MRワゴン(2代目)の「MF22S」に対してモコは「MG22S」ならびに社内型式「SA1」、MRワゴン(3代目)の「MF33S」に対してモコは「MG33S」ならびに社内型式「SA2」・・・という具合である。共同開発の場合も日産自体が生産していない限りは同様の法則で、製造元の三菱・eK(3代目)と三菱・eKスペースの「B11W」「B11A」に対してデイズデイズルークスは「B21W」「B21A」ならびに社内型式「AA0」「BA0」・・・となる。

ただし、電気自動車であるリーフに限っては登録車でありながら上述の法則からはやや外れ、軽自動車の社内呼称型式に似た「ZE0」(初代)(=Zero Emission 0)→「ZE1」(2代目)が与えられている。

モータースポーツ

生産拠点

現在

過去

ブランド

  • 「日産」ブランド(現行)
  • インフィニティ」ブランド(現行) - 1989年、北米で設立。
  • ダットサン」ブランド(現行) - 日本では1981年以降、順次「日産」ブランドに変更。2014年から新興国向け低価格ブランドとして展開[25]
    • プリンス」ブランド(停止) - 1966年8月1日に日産自動車との合併以降、順次「日産」ブランドに変更。

販売系列

ファイル:NISSAN NEW VI.jpg
新VI店舗(長野日産自動車 柳原店)

2007年2チャネル体制を廃止した。そのため系列がなくなり、日産全店舗で全車種が買えるようになった。

新VIの採用

チャネル廃止に伴いディーラーのデザインにレッド/ブルーの色分けを中止し新しいVI(ビジュアルアイデンティティー)の採用を開始した。海外の日産販売店の世界共通VIをベースにしているが、和のイメージも取り入れられている[26]。看板は日産の現行CIが付き、"NISSAN"の文字も全体的に以前より横長で、"S"の中央部分が左上から右下への一直線となった現行ロゴとなった。

2007年頃まで日産販売店各店舗はレッドステージ店・ブルーステージ店を含めてこのVIにリニューアルされた。また、店舗の多くに掲げられていた「NISSAN Red&Blue」・「NISSAN Red Stage」・「NISSAN Blue Stage」の大型看板も変更となり、白地に「NISSAN」の現行ロゴを中央に配し、上部に赤線、下部にグレー線(グレー線には中央に白文字で販売会社名(「○○日産」・「日産プリンス○○」・「日産サティオ○○」のいずれか)を記載)を記した新しい大型看板に変更された。大型看板については長野日産自動車 柳原店のように、「NISSAN」ロゴではなく日産の現行CIとなる場合もある。

商用車・社用車販売

商用、社用の特装車は「Biz NISSAN」ブランドによって「商用車プロショップ」で販売している。

中古車販売

かつて存在した販売系列

日本国外の事業所および販売

東アジア
  • 日産自動車台湾(台北)事業所 (NISSAN/YULOONG)
  • 日産自動車北京事業所
  • 日産自動車香港事業所 (HONEST MOTOR LTD)
  • 日産自動車上海事業所
  • 日産自動車大連事業所
  • 日産汽車(中国)有限公司 (NISSAN/INFINITI/RENAUT/DONGFENG)
  • 韓国日産 (한국닛산:NISSAN/INFINITI/RENAUT/SAMSUNG)
  • 日産自動車ソウル事業所(닛산자동차서울사업소)
  • 日産自動車釜山事業所(닛산자동차부산사업소)
東南アジア
  • 日産モータースマレーシアBHD (NISSAN MOTORS MALAYSIA BHD)
  • 日産自動車クアラルンプール事業所
  • 日産自動車コタキナバル事業所
  • 日産自動車シンガポール事業所 (NISSAN MOTOR SINGAPORE PTE.LTD)
  • タンチョンモーターPTE.LTD(シンガポール)
  • ニッサンモーターフィリピンズ (NISSAN MOTOR PHILIPPINES INC)
  • 日産自動車バンコク事業所
  • 日産自動車タイランドリミテッド
  • 日産自動車ジャカルタ事業所
  • PT.日産モータースインドネシア (PT.NISSAN MOTORS INDONESIA)
南アジア
  • 日産自動車インディアリミテッド (NISSAN MOTOR INDIA LIMITED)
  • 日産自動車ムンバイ事業所
  • 日産自動車カラチ事業所
  • 日産自動車イスラマバード事業所
  • 日産自動車パキスタン
オセアニア
  • 日産自動車シドニー事業所
  • 日産自動車メルボルン事業所
  • 豪州日産自動車 (NISSAN MOTOR AUSTRALIA PTY)
  • 日産自動車オークランド事業所
  • 日産ニュージーランドリミテッド (NISSAN MOTOR NEW ZEALAND LIMITED)
北アメリカ
  • 日産自動車ホノルル事業所
  • 日産自動車シアトル事業所
  • 日産自動車サンフランシスコ事業所
  • 日産自動車ロサンゼルス事業所
  • 日産自動車ニューヨーク事業所
  • 日産自動車バンクーバー事業所
  • 日産自動車トロント事業所
  • 日産自動車モントリオール事業所
  • 日産ノースアメリカINC(INFINITI/NISSAN)
ラテンアメリカ
  • 日産自動車サントドミンゴ事業所
  • 日産セルビシオ・デ・ドミニカーナ (NISSAN SERVICIO DE DOMINICANA)
  • ルノードミニカーナS.A.
  • 日産自動車サンパウロ事業所
  • 日産ブラジルLTDA (NISSAN/RENAUT)
  • ルノーアルゼンチィーナS.A.
  • 日産自動車ブエノスアイレス事業所
  • 日産モートル・デ・アルゼンティーナS.A. (NISSAN MOTOR DE ARGENTINA S.A.)
  • 日産自動車リマ事業所
  • 日産モートル・デ・ペルーS.A. (NISSAN MOTOR DE PERU S.A.)
  • 日産自動車メキシコシティ事業所
  • 日産メキシカーナS.A. (NISSAN MOTOR DE MEXICANA S.A. deC.V)
  • ルノー・メキシカーナS.A.
  • 日産自動車サンチアゴ事業所 (NISSAN MOTOR SERVICIO DE CHILE)
  • 日産丸紅セルビシオ・デ・チリS.A. (現地丸紅との共同出資:NISSAN MARUBENI SERVICIO DE CHILE)
  • シデフ社(チリ:日産車正規ディーラー)
  • 日産セルビシオ・デ・コロンビアS.A.
  • 日産自動車ボゴタ事業所
  • 日産セルビシオ・デ・エクアドルS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・ベネズエラS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・パラグアイS.A.
ヨーロッパ
  • 欧州日産自動車エヌヴィ(NISSAN MOTOR EUROPE N.V.)
  • 日産自動車モスクワ事業所
  • 日産ロシアエヌヴィ (NISSAN RUSSIA N.V.)
  • 日産ジャーマンGmBH (NISSAN GERMAN GmBH)
  • 日産自動車フランクフルト事業所
  • 日産自動車ミュンヘン事業所
  • 日産フランスS.A. (NISSAN DE FRANCE S.A.)
  • 日産自動車パリ事業所
  • 日産自動車ローマ事業所
  • 日産自動車ブリュッセル事業所
  • 日産自動車アテネ事業所
  • 日産自動車マドリード事業所
  • 日産自動車コペンハーゲン事業所
  • 日産自動車ヘルシンキ事業所
  • 日産自動車マンチェスター事業所
  • 日産自動車ロンドン事業所
中東・アフリカ
  • 日産自動車ドバイ事業所
  • 日産自動車アブダビ事業所
  • 日産セールス・オブ・ミドルイースト(NISSAN/INFINITI/RENAUT)
  • 日産自動車ジェッダ事業所
  • 日産自動車ドーハ事業所
  • 日産サウスアフリカLTD
  • 日産自動車ヨハネスブルク事業所
  • 日産自動車テヘラン事業所
  • 日産自動車ケニア事業所
  • 日産自動車カイロ事業所

関連企業・団体

事件・不祥事

偽装派遣・派遣切り問題

2009年、日産が女性2人を派遣の期間制限のない専門業務と偽って最大3年の制限を超えて派遣労働者を受け入れていた件について、東京労働局が是正指導したと、首都圏青年ユニオンが記者会見で公表した。製造工程以外の派遣で自動車大手が是正指導を受けるのは初めてであった。労働局は直接雇用を含む雇用確保を求めたが、日産側は雇用関係にないとして組合の団体交渉を拒否し、申告した一人は5月末で雇い止めされた[30]。 また日産を解雇された5人が、偽装請負・偽装派遣によって長年正社員のように働かせられた挙げ句に解雇されたとして訴えを起こしている[31]。多くの原告は、正社員として一旦直接雇用したのち、再び派遣社員に戻す「地位のキャッチボール」をされていたという。しかし横浜地裁は「違法性はない」として2014年に原告の訴えを退けた[32]

申告漏れ

2007年三月下旬、全国の販売子会社を再編する際に販社側の債務超過を増資などで解消したことに対し、利益を得たとして600億円を超える追徴を受けた[33]

工場情報漏洩

2017年8月上旬、新型リーフの画像が漏洩。漏洩させた工場員はTwitterやブログなどに日常的に工場内の画像を投稿していたことも発覚した。この事件は多数のネットメディアにまとめられたものの、大手メディアによる報道はなかった[34][35]

無資格者検査問題

2017年9月29日、国土交通省の立ち入り検査によって、日産の完成検査を無資格者が行っていたことが発覚。一カ所に留まらず日産の6工場で常態的に行われており、また偽装用の判子も用意するなど周到に行われていた。この結果OEM供給を含む日本で販売した38車種116万台がリコールとなり、新車販売と矢沢永吉のCM放送は中断された[36]。しかしこの件が発覚しても日産はすぐに謝罪会見を行わず、4日後に開いた会見では日産の西川社長は謝罪の言葉を口にしたものの、「無資格であっただけで品質には問題は無い」と頭を下げることはなかった[37]。さらに10月18日、この問題を指摘された後の10月11日まで湘南工場で資格のない従業員に検査を行わせていたことが発覚。この検査はハンドルを回して角度を確認する工程で、日産では安全性を確認したとしていて新たなリコールは行わないとした[38]

しかし10月19日、指摘を受けた後の無資格検査が湘南工場に留まらず、追浜工場、栃木工場、日産自動車九州でも行われていたと判明。ここに至り西川社長も頭を下げて謝罪、国内向け新車全ての販売を自主停止した[39]。また11月2日に、9月の国交省の立ち入り検査の際現場作業員が事実と異なる供述をしていたことも判明した[40]。さらに同日、日産が生産再開準備完了を報告した工場に国交省が立ち入った際、福岡の2工場と神奈川の1工場で完成検査の手順が整っていなかったなど複数の不備が発覚、異例の再検査となった[41]

問題になった完成検査は日本国内車のみに適用されるもので、大別して①保安基準検査と②型式検査に分かれる。②型式検査の方法は各企業で異なるものの、国土交通省に申請し認可を受けた方法である必要があり、また①保安基準検査の基準と手法は全社共通である。完成検査員は、各企業内で「当該検査に必要な知識及び技能を有する者のうちからあらかじめ指名された者(=資格取得者)」が行う必要があった[42]。この事件により、日本の自動車生産を円滑にしていた型式指定検査制度は大きく揺らぎ、経済提携や貿易自由化の交渉に悪影響が出ることが予想される[43]

一方で佃モビリティ総研の佃義夫所長は国内の販売が減少状況で、メーカーがこの(点検)手順を費用のみがかかる形式的な行為だとしていたと分析している。また韓国の中央日報は他国には無い不必要な上に十分に監督されるわけでもない規制が問題の一端を提供したのだとして、日本が不要な規制を設けていたことを批判した[44]

日産自動車事件

詳しくは日産自動車事件を参照。男女で定年が異なる(55歳と50歳)ことが男女雇用機会均等法(1972年)制定前の1966年の時点でも民法90条(公序良俗違反)により違法と認められたもの。

栃木リンチ殺人事件

詳しくは 栃木リンチ殺人事件を参照。被害者(死亡)と加害者3名のうち1人が日産の工場社員で同期であり、事件発覚前に加害者をかばうような行動があったため批判された。

Facebookから個人情報を特別提供

2018年6月8日付のウォール・ストリート・ジャーナル電子版は、Facebookが広告主である日産自動車など数社に対し、利用者の友人や電話番号、及び関係の親密度の分析結果などの個人情報を、特別に提供していたと報じた[45]。これについて日産は、Facebookと連携している同社アプリのシステム変更を実施した際、変更が完了するまで閲覧可能になっていたと説明した[46]

関連項目

技術関連

スポーツ

モータースポーツ関連

冠大会

その他スポーツ関連

ファイル:Nissan Stadium Outside 2.jpg
横浜国際総合競技場

広告関連

車両提供

スポンサー・協賛

その他

脚注

  1. Home - The Alliance - Renault Nissan Mitsubishi”. . 2018年1月12日閲覧.
  2. Home - アライアンスの資本関係と統治機構”. . 2018年3月8日閲覧.
  3. Home - 日産・ルノー・三菱自連合、乗用車販売で17年世界首位に”. . 2018年1月31日閲覧.
  4. http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110127-OYT1T01079.htm 「日産、ホンダ抜く…自動車世界販売台数」読売新聞 2011年1月28日
  5. 自動車販売台数速報 日本 2017年
  6. 女性活躍に優れた上場企業を選定「なでしこ銘柄」 経済産業省 2017年3月
  7. 現在ではホンダ、スズキ、ダイハツとの販売台数差が少なく、月単位では国内シェア第5位となる時がある。
  8. 三井不/旧日産本社ビル改修(東京都中央区)/鹿島で着手、本社機能の一部移転(2014年8月5日4面。2014年9月6日閲覧)
  9. ルノー日産、部品共通化7割に 18年までに拡大
  10. 10.0 10.1 日産自動車と三菱自動車、戦略的アライアンスを締結 (2016年5月13日閲覧)
  11. 日産、2,370億円で三菱自動車株34%を取得へ(2016年5月13日閲覧)
  12. アライアンス 2022: 年間100億ユーロのシナジー創出を目指し年間販売台数1,400万台、売上高合計2,400億ドルを見込む*
  13. 日産 新車販売を一時停止 検査不備、全工場6万台 毎日新聞 2017年9月29日
  14. 自動車工業株式会社東京瓦斯電気工業と合併し、東京自動車工業を経てヂーゼル自動車工業となる。その後、日野重工業(後の日野自動車)が分社、戦後ヂーゼル自動車工業はいすゞ自動車となる。
  15. 東京自動車工業の設立は、商工省の意向による軍用保護自動車および商工省標準車いすゞの生産を主体としたものであり、ダットサンの如く小型車製造はその対象外であった。
  16. 自動車製造株式会社は日産の源流であり、自動車工業株式会社と名前は似ているが別会社である。
  17. 日産と三菱ふそう、OEM 供給で基本合意 - 日産自動車ニュースリリース(2012年6月29日)
  18. 日産自動車、スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意 - 日産自動車プレスリリース 2013年8月29日
  19. “日産にも措置命令 三菱自燃費不正、対応遅れ指摘”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2017年1月27日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27H97_X20C17A1CR8000/ . 2017閲覧. 
  20. 日産、ロンドンで自動運転車の欧州初走行試験を開始ロイター、2016年11月1日。
  21. 従って、マルティーニとロゴマークが似通っているのは偶然でしかなく、日産とは何の関係もない。
  22. 下記「車両形式」欄にあるC10型系スカイラインGT-Rのメーカーズプレートの写真を参照のこと。
  23. 「SHIFT_」はR35型GT-RのSHIFTワードとして使われた( - 2008年11月)。
  24. 日本経済新聞 1966年12月20日付 4面参照。
  25. 日産、復活「ダットサン」デザイン世界初公開!新興国共通ブランド投入で巻き返し - ダイヤモンドオンライン(2013年7月4日)
  26. 日産、NISSANブランドの日本風VIを展開 日刊自動車新聞 2007年1月1日
  27. 旧・TCMと合併した事で日産自動車グループより離脱。地域によってはかつての名残で現在も日産自動車販売会社がユニキャリア代理店を務めるケースもある。
  28. 2016年3月に事業を終了した。
  29. かつては日産自動車の自動車総合カタログ上で紹介されていたり、日産ディーゼル店舗に日産車のカタログが置かれるなど緩い販売協力関係にあったものの、ボルボ社傘下となり日産自動車グループから離脱。
  30. 日産に是正指導“業務偽装し派遣期間違反
  31. 日産の非正規切り裁判違法・脱法行為の実態が浮き彫りに藤田温久弁護士に聞く
  32. 日産雇い止め訴訟、横浜地裁が原告の請求棄却
  33. [1]
  34. [2]
  35. 日産期間工によって新型リーフが公開前に流出?日産は社員管理がなっていないのか?
  36. 一部のスポンサー番組では、ACジャパンの支援キャンペーンのCMに差し替えられた。
  37. 無資格検査 日産の社長が「謝罪」をしない理由 (1/5)
  38. 日産 問題発覚後も無資格検査続ける
  39. 日産、全車両の出荷停止=4工場で無資格検査継続-追加リコール実施へ
  40. 日産 9月の国の立ち入り検査で事実と異なる説明
  41. 日産 “改善策”徹底されず、異例の再検査
  42. 産経Biz 日産とスバル、無資格検査なぜ起こった?
  43. 無資格者による完成車検査…“やっちゃった日産”の何が問題なのか?
  44. 日本のものづくり、本当に限界に達したのか
  45. フェイスブック、日産に個人情報か 電話番号など、米紙報道 産経新聞 2018年6月9日
  46. 日産、システム変更が理由と説明 フェイスブック利用者情報へのアクセス 産経新聞 2018年6月12日
  47. 在京キー局が担当している中継でのスポット提供はなし。
  48. 日産がメインスポンサー=アニメ「サザエさん」 - 時事通信、2018年1月31日。

外部リンク



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