上三川町
上三川町(かみのかわまち)は、栃木県南部に位置し、河内郡に属する町である。現在、河内郡で唯一の自治体となっている。宇都宮市への通勤率は22.8%(平成22年国勢調査)。
Contents
地理
上三川町は関東平野の北部、栃木県中南部に位置し、東京から直線距離で約90km北方に位置する。町域は平地部と河川から成り山は無い。町の北部は宇都宮市、東部は真岡市、西部と南部は下野市に接し、町の中心部には田川が南北に流れ、江川を挟んで真岡市との市町境には鬼怒川が流れる。市西部の下野市堺には東北新幹線と宇都宮線が南北に走り、下野市域にある石橋駅(下野市石橋)には東口が設けられており、当町の最寄駅となっている。
- 河川:鬼怒川、田川、江川
歴史
古代から明治維新まで
- 旧石器時代や縄文時代の生活の跡が確認されており、古くから人々が生活していたと考えられている。
- 古墳時代に作られたと推定される前方後円墳や大型円墳が確認されている。
- 奈良時代以降は、上神主・茂原官衙遺跡や多功遺跡といった河内郡の役所と考えられる遺跡が存在することから、河内郡の中心地として繁栄していたものと推定されている。
- 鎌倉時代に入ると下野宇都宮氏の勢力下に入り、宇都宮城の支城である上三川城や多功城が築かれ、多功氏や今泉氏、横田氏など宇都宮氏流庶家が宇都宮氏重臣としてこの地を領した。
- 戦国時代には、多功城が越後の上杉氏や小田原の後北条氏らの下野攻略に対する防戦の要となった。
- 1558年(永禄元年)5月 - 上杉謙信の下野侵攻に対し、多功長朝・房朝父子ら多功軍が応戦、多功城攻め先鋒・佐野小太郎(佐野豊綱とも言われる)らを討ち取りこれを撃退、上野国白井まで追撃するも、北条氏康配下で岩槻の太田資正の仲介により和睦する(多功の戦い)。
- 1572年(元亀3年)- 北条氏政の命により秩父新九郎、松田左馬介ら連合軍2万が宇都宮に侵攻、これに対し、多功房朝ら多功軍と佐竹義重、小山秀綱、那須資胤ら宇都宮軍5千が多功で迎え撃ち、義重配下となっていた片野の太田資正・梶原政景父子の奇襲によりこれを撃退する。
- 1584年(天正12年)- 北条氏直の下野侵攻に対し、多功綱継が宇都宮軍の先陣として佐野沼尻に出陣、これを制する(沼尻の戦い)。
- 1585年(天正13年)- 北条氏直が再度下野に侵攻、多功綱継は多功にあって北条軍を圧し、宇都宮城下に迫った北条軍を退却させる。
- 1597年(慶長2年)10月 - 宇都宮家の後継者問題で宇都宮家重臣の芳賀高武が同じ宇都宮家重臣の今泉高光と対立、高光の居城・上三川城を攻略、上三川城は落城しこれが原因で秀吉の怒りを買い宇都宮家は改易、多功は廃城となった。
- 江戸時代には幕府、旗本、宇都宮藩、関宿藩等の所領となった。
明治時代以降
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、上三川村・本郷村(ほんごうむら)・多功村(たこうむら)が発足。
- 1891年(明治24年)12月26日 - 多功村が改称、明治村(めいじむら)となる。
- 1893年(明治26年)7月1日 - 上三川村が町制施行、上三川町となる。
- 1955年(昭和30年)4月29日 - 上三川町・本郷村・明治村が合併し、新しい上三川町が誕生。
- 1968年(昭和43年)- 日産自動車栃木工場が操業開始。
- 1971年(昭和46年)- 日産自動車栃木工場で自動車組立を開始。
- 1989年(昭和64年)1月1日 - 宇都宮市と境界変更。
- 1995年(平成7年)12月1日 - 宇都宮市と境界変更。
- 2001年(平成13年)8月1日 - 宇都宮市と境界変更。
- 2003年(平成15年)7月1日 - 宇都宮市と境界変更。
- 2004年(平成16年)2月1日- 上三川町と宇都宮市、河内郡河内町、河内郡上河内町との間で「宇都宮地域合併協議会」が設置される。
- 2004年(平成16年)9月- 前月に行われた合併の是非を問うアンケートで合併反対が多数を占めたため、合併協議会からの離脱を表明。
- 2004年(平成16年)12月- 上三川町が合併協議会から離脱するための議案を河内町議会が否決。これを受けて合併協議会は2005年1月31日付で廃止された。
人口
上三川町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
- (旧)上三川町(村)長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 馬場宗司 | 1891年(明治24年)5月24日 | 1898年(明治31年)10月14日 | |
2 | 浜野一太郎 | 1898年(明治31年)10月22日 | 1901年(明治34年)5月23日 | |
3 | 直井久平 | 1901年(明治34年)6月24日 | 1905年(明治38年)6月23日 | |
4 | 直井久平 | 1905年(明治38年)6月24日 | 1909年(明治42年)3月20日 | |
5 | 生沼権一郎 | 1909年(明治42年)4月1日 | 1910年(明治43年)7月23日 | |
6 | 田村仁左衛門 | 1910年(明治43年)7月28日 | 1914年(大正3年)7月27日 | |
7 | 田村仁左衛門 | 1914年(大正3年)8月5日 | 1916年(大正5年)8月5日 | |
8 | 藤沼伝郎 | 1916年(大正5年)10月14日 | 1918年(大正7年)1月10日 | |
9 | 和田藤太郎 | 1918年(大正7年)1月31日 | 1918年(大正7年)8月5日 | |
10 | 伊沢新三郎 | 1918年(大正7年)8月19日 | 1922年(大正11年)8月18日 | |
11 | 上野弥一郎 | 1922年(大正11年)8月26日 | 1926年(大正15年)8月25日 | |
12 | 上野弥一郎 | 1926年(大正15年)12月3日 | 1928年(昭和3年)12月31日 | |
13 | 田村仁左衛門 | 1929年(昭和4年)1月1日 | 1933年(昭和8年)12月31日 | |
14 | 田村仁左衛門 | 1934年(昭和9年)1月1日 | 1936年(昭和11年)3月29日 | |
15 | 小口一三郎 | 1936年(昭和11年)4月17日 | 1940年(昭和15年)4月16日 | |
16 | 猪瀬才二郎 | 1940年(昭和15年)4月17日 | 1944年(昭和19年)4月16日 | |
17 | 猪瀬才二郎 | 1944年(昭和19年)4月17日 | 1946年(昭和21年)10月30日 | |
18 | 北条兵三郎 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1948年(昭和23年)3月2日 | |
19 | 角田仙一郎 | 1948年(昭和23年)4月20日 | 1952年(昭和27年)4月19日 | |
20 | 角田仙一郎 | 1952年(昭和27年)4月20日 | 1955年(昭和30年)4月28日 |
- (新)上三川町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 小口隆次 | 1955年(昭和30年)5月29日 | 1967年(昭和42年)5月28日 | |
2 | 桜井仙正 | 1967年(昭和42年)5月29日 | 1975年(昭和50年)5月28日 | |
3 | 稲葉宗敏 | 1975年(昭和50年)5月29日 | 1991年(平成3年)5月28日 | |
4 | 大塚弘 | 1991年(平成3年)5月29日 | 1995年(平成7年)5月28日 | |
5 | 猪瀬成男 | 1995年(平成7年)5月29日 | 2011年(平成23年)5月28日 | |
6 | 星野光利 | 2011年(平成23年)5月29日 | 現職 |
出典:『栃木県町村合併誌 第四巻』, p. 363-364、『栃木県町村会七十年史』, p. 461、『栃木県歴史人物事典』, p. 673
経済
産業
日産自動車株式会社の栃木工場があり、栃木工場ではGT-R、シーマ、フェアレディZ、フーガ、スカイライン、といった高級車が生産されている。また日産の国外向け高級車ブランドインフィニティの各車種の生産も行われている。
地域
町名一覧
上三川地区
- 大字上蒲生(かみかもう)
- 大字上三川(かみのかわ)
- 大字五分一(ごぶいち)
- 大字坂上(さかうえ)
- 大字三本木(さんぼんぎ)
- 大字下蒲生(しもかもう)
- しらさぎ一-三丁目
- 大字三村(みむら)
本郷地区
- 大字磯岡(いそおか)
- 大字上郷(かみごう)
- 大字上文挾(かみふばさみ)
- 大字西木代(にしきのしろ)
- 大字西蓼沼(にしたてぬま)
- 大字西汗(にしふざかし)
- 大字東蓼沼(ひがしたてぬま)
- 大字東汗(ひがしふざかし)
明治地区
- 大字石田(いした)
- 大字大山(おおやま)
- 大字上神主(かみこうぬし)
- 大字川中子(かわなご)
- 大字鞘堂(さやどう)
- 大字下神主(しもこうぬし)
- 大字多功(たこう)
- 天神町(てんじんちょう)
- 大字梁(やな)
- 大字ゆうきが丘(ゆうきがおか)
教育
高等学校
中学校
- 上三川町立上三川中学校
- 上三川町立本郷中学校
- 上三川町立明治中学校
小学校
- 上三川町立上三川小学校
- 上三川町立北小学校
- 上三川町立坂上小学校
- 上三川町立本郷小学校
- 上三川町立本郷北小学校
- 上三川町立明治小学校
- 上三川町立明治南小学校
郵便
郵便番号は以下が該当する。2集配局が集配を担当する。
郵便局
- 上三川郵便局(07029)
- 本郷郵便局(07141)
- 上三川上蒲生郵便局(07288)
- 大山簡易郵便局(07720)
電話番号
町内全域が小山MAの管轄となり、市外局番は「0285」。収容局は以下の2ビルが該当し、市内局番は以下の通り。
- 上三川局:55、56、57
- 石橋局:51、52、53
交通
鉄道
町の西端をJR東北新幹線・宇都宮線(東北本線)が縦断しているが、旅客駅はなく、貨物駅の「宇都宮貨物ターミナル駅」があるのみ。
最寄駅はJR宇都宮線石橋駅(下野市)となる。同駅東口ロータリーのすぐ東側が上三川町であり、土地区画整理事業を行った。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 県道(主要地方道)
- 県道(一般地方道)
路線バス
- 関東自動車:以下の4系統が乗り入れ、宇都宮市・下野市・真岡市との連絡を担っている。括弧内は上三川町外区間。
- (駒生営業所 - 作新学院 - 東武駅前 - JR宇都宮駅 - 屋板) - インターパーク宇都宮南(一部非経由) - 上三川車庫
- (駒生営業所 - 作新学院 - 東武駅前 - JR宇都宮駅 - 東高校) - 東汗
- (駒生営業所 - 作新学院 - 東武駅前 - JR宇都宮駅 - 東高校 - 瑞穂野団地) - 本郷台団地 - 本郷台西汗
- (石橋駅) - 下蒲生 - 上三川車庫 - (上大沼 - 真岡車庫)
このほか、町内の各所をめぐるバス路線として上三川町巡回バスが町により運行されていたが2013年に廃止、デマンドバスへ移行された。
2015年4月には東野交通が土日祝日運行の路線「(雀宮駅東口 - インターパーク) - 本郷台団地 - (長田 - 真岡駅 - 真岡車庫)」を開設したが、利用者が少なく2018年3月限りで廃止された。
高速バス
東野交通運行の高速バス・茂木~益子~真岡~上三川インターチェンジ入口~東京駅八重洲通~浜松町バスターミナル線は、2007年3月31日をもって廃止された。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 白鷺神社
- 多功城
- 上三川城跡
- インターパーク宇都宮南
- 上三川ホースパーク
上三川の有名人・歴史上の人物
- 田村仁左衛門吉茂(近世末の篤農家。農書『農業自得』の著者)
- 野沢一郎(巴組の創業者)
- 小堀保三郎(エアバッグの考案者)
- 小口雅之(プロボクサー)
- 古口美範(全日本プロドリフト選手権プロレーサー)
- 稲葉光圀(稲作研究者、NPO法人民間稲作研究所理事長)
- 海老原美代子(気象予報士)
- 海老原有希(陸上競技(やり投)選手)
脚注
- ↑ 「329-06xx」地域は上三川郵便局が管轄していたが、2017年2月20日に同局が無集配化された際に下野小金井郵便局へ移管された。
参考文献
- 『栃木県町村合併誌 第四巻』 栃木県、1957年3月。
- 『栃木県町村会七十年史』 栃木県町村会、1991年6月18日。
- 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年7月27日。
外部リンク