小浜市

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小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)、旧若狭国である。

概要

畿内の色が濃い港町で、律令時代より前からヤマト王権日本海側入口として盛えて来た。小京都と呼ばれることも多く、全国京都会議にも加盟している。また、市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、"海のある奈良"と呼ばれることもある。

3月に奈良の東大寺で実施されるお水取りの水は、遠敷川・鵜の瀬から送られたものと言われている。また、伊勢志摩淡路島と並んで、海産物を奈良や京都まで送った地域(御食国(みけつくに))の一つでもある。

江戸時代には、浅井三姉妹の次女・の夫である京極高次京極氏)や、酒井氏などが治める小浜藩城下町だった。この時代からの水揚げ基地ともなっており、鯖街道の起点となった。

地理

ファイル:Obama city center area Aerial photograph.1975.jpg
1975年(昭和50年)撮影の小浜市中心部周辺の空中写真。
1975年撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

福井県南西部、若狭国中央部に位置し、北は若狭湾とその内湾である小浜湾に面する。古くから日本海の要港だった。東南部から小浜湾に流入する北川南川多田川流域に平地が開ける。


気候

日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。

小浜(小浜市遠敷、標高10m)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.5(65.3) 21.3(70.3) 24.4(75.9) 30.9(87.6) 32.8(91) 35.9(96.6) 38.7(101.7) 38.1(100.6) 37.4(99.3) 31.3(88.3) 25.5(77.9) 20.4(68.7) 38.7(101.7)
平均最高気温 °C (°F) 7.3(45.1) 7.7(45.9) 11.6(52.9) 18.0(64.4) 22.6(72.7) 26.0(78.8) 30.0(86) 31.8(89.2) 27.3(81.1) 21.7(71.1) 16.2(61.2) 10.7(51.3) 19.24(66.64)
日平均気温 °C (°F) 3.7(38.7) 3.9(39) 7.0(44.6) 12.6(54.7) 17.4(63.3) 21.3(70.3) 25.3(77.5) 26.8(80.2) 22.7(72.9) 16.8(62.2) 11.4(52.5) 6.5(43.7) 14.62(58.31)
平均最低気温 °C (°F) 0.3(32.5) 0.2(32.4) 2.6(36.7) 7.4(45.3) 12.5(54.5) 17.2(63) 21.6(70.9) 22.7(72.9) 18.8(65.8) 12.3(54.1) 6.8(44.2) 2.4(36.3) 10.4(50.72)
最低気温記録 °C (°F) -9.4(15.1) -10.1(13.8) -6.7(19.9) -1.5(29.3) 3.9(39) 6.3(43.3) 13.6(56.5) 14.0(57.2) 8.5(47.3) 2.7(36.9) -1.2(29.8) -7.8(18) -10.1(13.8)
降水量 mm (inches) 207.8(8.181) 160.6(6.323) 139.2(5.48) 106.9(4.209) 135.1(5.319) 160.8(6.331) 183.9(7.24) 148.5(5.846) 217.9(8.579) 158.6(6.244) 163.0(6.417) 197.6(7.78) 1,979.9(77.949)
降雪量 cm (inches) 78(30.7) 73(28.7) 13(5.1) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 20(7.9) 184(72.4)
日照時間 65.8 76.6 119.2 165.6 181.6 136.6 158.2 203.5 135.2 135.8 102.1 84.2 1,564.4
出典: 気象庁

歴史

律令時代

若狭国遠敷郡(おにゅうぐん)と大飯郡の一部を占め、延喜式名神大社で若狭国一宮若狭彦神社、若狭国二宮の若狭姫神社が鎮座する。他にも延喜式内社は多い。

若狭国府も小浜付近にあったと考えられるが、比定地は不明である。

中世から江戸時代まで

鎌倉時代に小浜は国衙の税所が支配する今富名の一部に組み込まれたが、南北朝時代に入ると若狭守護の支配下に置かれた。ところが、守護は度々代わり、そのうちに今富名は山名氏に恩賞として与えられたために、守護に任じられた一色氏は山名氏と対立、明徳の乱で山名氏と戦い今富名と丹後国を奪って小浜の支配を回復した。

ところが、一色義貫足利義教に謀殺されると、謀殺に加担した武田氏が安芸から、若狭国の守護として入り、京都から多くの貴族を招くなど、公家文化が華ひらいた。織豊期に、越前国朝倉氏の攻撃によって衰退した。

関ヶ原の戦いの後、論功行賞により浅井三姉妹の次女の夫である京極高次が若狭一国8万5,000石を賜って後瀬山城に入城する。京極家は、さらに小浜城(雲浜城)を築き、小浜は小浜藩城下町として盛えた。その後、京極家は松江に加増転封、代わって酒井忠勝が徳川家光から、長年の忠勤の褒美として、若狭の国持大名として封じられる(しかし、国持大名としての格式は1代のみ)。

明治維新以後

行政

歴代市長

氏名 就任 退任 備考
初代 田中信蔵 1951年 1953年
2代 中崎源治郎 1953年 1953年 昭和28年台風第13号にて被災し死亡
3代 今島寿吉 1953年 1965年
4代 鳥居史郎 1965年 1973年
5代 浦谷音次郎 1973年 1984年
6代 吹田安兵衛 1984年 1988年
7代 辻與太夫 1988年 2000年
8代 村上利夫 2000年 2008年
9代 松崎晃治 2008年 現職

立法

衆議院

議員名 党派名 当選回数 備考
高木毅 自由民主党 2 選挙区

人口

小浜市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

地域おこし

オバマを勝手に応援する会
初の暮らした町
小浜市は浅井三姉妹の次女・初(常高院)が暮らした町であることから、そのゆかりの旧跡も多い。特に常高寺や後瀬山城の麓館などは、彼女と関係が深いことで知られる。NHKの大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の放映以後、同ドラマの主人公である妹の江(徳川秀忠夫人)および姉の茶々(淀殿)と仲が良く、夫の京極高次との夫婦仲も睦まじかったことで知られる初により地域おこしを図っている。
小浜はまかぜ寄席
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ちりとてちん」 の主人公の生まれ故郷が小浜市であったことから、ちりとて落語の会がはまかぜ商店街活性化のため、寄席を行っている。
市が発祥のゲーム

提携都市

日本国内

姉妹都市
提携都市
その他

海外

経済

特産品

産業

漁業

公共施設

国の機関

法務省
国税庁
  • 小浜税務署
厚生労働省
  • 小浜公共職業安定所
国土交通省
  • 福井河川国道事務所小浜国道維持出張所
海上保安庁
  • 小浜海上保安署
林野庁近畿中国森林管理局
  • 福井森林管理署小浜森林事務所

警察

消防

  • 若狭消防組合消防本部

病院

公立
民間
  • 田中病院-(医療法人若永会)

郵便

  • 小浜郵便局
  • 内外海郵便局
  • 遠敷郵便局
  • 小浜今富郵便局
  • 小浜駅前郵便局
  • 小浜住吉郵便局
  • 小浜玉前郵便局
  • 小浜西津郵便局
  • 加斗郵便局
  • 口名田郵便局
  • 新平野郵便局
  • 中名田郵便局
  • 宮川郵便局
  • 田烏簡易郵便局


文化施設

ファイル:Wakasa history museum.JPG
福井県立若狭歴史博物館

体育施設

  • 小浜市民体育館
  • 総合運動場
  • 温水プール
  • テニス場
  • 野球場
  • 中央・野代グラウンド

教育

大学
高等学校
中学校
小学校

※の小学校は標準服の着用が義務付けられている。

  • ※小浜市立今富小学校
  • ※小浜市立内外海小学校
  • 小浜市立雲浜小学校
  • 小浜市立遠敷小学校
  • ※小浜市立小浜小学校
特別支援学校
  • 福井県立嶺南西特別支援学校

交通

鉄道

(至舞鶴) - 加斗駅 - 勢浜駅 - 小浜駅 - 東小浜駅 - 新平野駅 -(至敦賀
敦賀以西ルートが決定した北陸新幹線では小浜市付近への新幹線駅設置が予定されており、東小浜駅周辺が有力とされている[5]

バス

高速路線バス

一般路線バス等

  • 西日本JRバス - 若江線(じゃっこうせん、じゃくこうせん)
    • 2003年3月までは市内各所の路線があったが大幅縮小し、現在は小浜駅から上中駅(若狭町)を経由し近江今津駅滋賀県高島市)に向かう1路線のみ運行、所要約58分。
  • 大和交通 - 名田庄線「流星」
    • 小浜市内から小浜駅を経由しおおい町名田庄地域へ向かう1路線。
  • 小浜市コミュニティバスあいあいバス
    • 小浜駅を拠点に市内(宮川線の一部は若狭町を通る)10路線。運行は大和交通および三福タクシーに委託している。

道路

高速道路
一般国道
都道府県道
広域農道

道の駅

ヘリポート

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

小浜は「御食国」の一角だった歴史から、観光関係者は「心やすらぐ美食の郷 御食国若狭おばま」をキャッチフレーズに掲げている。また多くの名勝・旧跡および周辺の自然と食材の豊富さで「「夢、無限大」感動おばま」キャッチフレーズに掲げている。

小浜地区周辺

国宝・国指定の重要文化財、名勝がある寺社

ファイル:Myotsuji and pagoda.jpg
国宝・明通寺本堂と三重塔
  • 明通寺 - 806年坂上田村麻呂の創建と伝える古寺、本堂と三重塔が国宝、他重要文化財多数
  • 萬徳寺 - 枯山水庭園が名勝ヤマモミジが国の天然記念物
  • 若狭国分寺 - 741年創建、本尊の木造薬師如来坐像が重要文化財
  • 若狭神宮寺 - 714年創建、本堂と仁王門が重要文化財。お水送りの寺
  • 羽賀寺 - 716年創建と伝える古寺、本堂、本尊の木造十一面観音立像などが重要文化財。北陸観音霊場第5番札所。
  • 妙楽寺 - 鎌倉時代建築の本堂などが重要文化財
  • 多田寺 - 日本三大薬師の一つ、木造薬師如来立像・十一面観音立像・菩薩立像が重要文化財
  • 妙楽寺 - 本堂、木造千手観音立像が国の重要文化財
    • (北陸観音霊場第3番札所・若狭観音霊場第19番札所。)
  • 圓照寺 - 木造大日如来坐像、木造不動明王立像が国の重要文化財:林泉庭園 県指定名勝
    • (若狭観音霊場第20番札所。)
  • 正林庵 - 荘園研究で有名な太良荘にある。銅造如意輪観音半跏像が国の重要文化財:福井県最古の金銅仏
  • 飯盛寺 - 本堂が重要文化財
  • 長源寺 - 絹本著色弥勒菩薩像が重要文化財 
  • 長慶院 - 木造観音菩薩坐像が重要文化財 小浜市堅海 
  • 谷田寺 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市谷田部
  • 加茂神社 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市加茂
  • 若狭彦神社 - 若狭一の宮 太刀(伝宗近)などが重要文化財、当神社に伝わった銅造薬師如来立像(重要文化財)は竜前地区が管理
  • 若狭姫神社 - 若狭二の宮

史跡

集落名になっている神社

小浜市中心部の24区には、各地の神社に由来する名前が付いている。

  • 浅間神社(小浜浅間)
  • 飛鳥神社(小浜飛鳥)
  • 生玉神社(小浜生玉)
  • 今宮神社(小浜今宮)
  • 大原神社(小浜大原)
  • 大宮神社(小浜大宮)
  • 男山神社(小浜男山)
  • 鹿島神宮(小浜鹿島)
  • 香取神宮(小浜香取)
  • 神田明神(小浜神田)
  • 貴船神社(小浜貴船)
  • 清滝神社(小浜清滝)
  • 酒井神社(小浜酒井)
  • 鹽竈神社(小浜塩竈)
  • 白鳥神社(小浜白鳥)
  • 白鬚神社(小浜白髭)
  • 鈴鹿神社(小浜鈴鹿)
  • 住吉大社(小浜住吉)
  • 多賀大社(小浜多賀)
  • 龍田神社(小浜竜田)
  • 玉前神社(小浜玉前)
  • 津島神社(小浜津島)
  • 日吉大社(小浜日吉)
  • 広峯神社(小浜広峰)

湾岸

海水浴場

  • 小浜湾内海水浴場
    • 人魚の浜海水浴場(人口海浜)
    • 勢浜海水浴場
    • 若狭鯉川シーサイドパーク(人口海浜)
  • 矢代湾内海水浴場
    • 阿納海水浴場
    • 犬熊海水浴場
    • 志積海水浴場
    • 矢代海水浴場
    • 田烏代海水浴場
    • 大浜海水浴場 
  • 内外海半島若狭湾岸
    • 宇久海水浴場

祭り

  • お水送り(3月2日) - 神宮寺・鵜の瀬。お水取りの対となっている祭り。
  • 手杵祭( 4月3日 ) - 県無形民俗文化財。759年に漂着した唐船の異人たちを杵で撲殺し財宝を奪ったところ災難が続いたため観音堂を建て以後祭りを行なって弔ったのが起こりで、矢代観音で開かれる[6]
  • お城祭り(5月2・3日) - 小浜城址周辺、雲浜獅子が見もの。
  • 箸祭り(8月4日)
  • 地蔵盆(8月23日) - 特に西津地区、小浜地区で盛ん。
  • 放生まつり(9月14日・15日) - 毎年9月敬老の日直前の土・日曜日に行われる小浜男山の八幡神社の祭礼[7]。旧小浜24地区が隔年で12区づつ、御神輿のほか、元々小浜祇園祭の出し物だった山車、神楽、棒振り太鼓、獅子などの芸能を奉納する[7]。若狭地方最大の秋祭りで300年の伝統がある[7]

出身有名人

若狭国の人物も参照。 小浜藩の人物も参照。 幕末小浜藩の人物も参照。

政治・行政

経済

学者

芸術・文化

スポーツ

芸能

軍人

その他

ゆかりのある人物

  • 行基(奈良時代の僧)- 716年に羽賀寺(小浜)を創建。
  • 良弁 - 幼い頃、鷲にさらわれ奈良金鐘寺(東大寺の前身)で育てられて僧侶となった。東大寺の建立に尽力し、東大寺初代別当になった。鵜の瀬の白石神社の前には、和尚生誕地の石碑がある。
  • 実忠(けかえ、通称お水取り)の創始者
  • 坂上田村麻呂(平安初期の武将)- 蝦夷を征討し征夷大将軍となった。蝦夷征伐道中の長田寺(小浜市中名田)に薬師如来像を安置したといわれている。また、国宝三重塔で有名な明通寺(小浜市門前)を806年に建てた。
  • 藤原重頼受領鎌倉幕府御家人
  • 三条宗近刀工
  • 鶴澤探山絵師
  • 二条院讃岐 - 平安末期から鎌倉時代初期の女流歌人。二条天皇、のちに後鳥羽天皇に仕えた。若狭湾の「沖の石」を詠んだといわれる和歌は小倉百人一首に選ばれた。わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
  • 世阿弥 - 室町時代の猿楽師。幼名は鬼夜叉。父の観阿弥と共に猿楽(現在の能)を大成、多くの作品を残した。将軍足利義教により佐渡に流罪となり、小浜湊「津田の入り江」より船出した。
  • 一色義貫 - 室町時代の若狭・三河・丹後・山城の守護大名。勢力を拡大しますが、足利義教に警戒され、武田信栄により暗殺された。廣峰神社鳥居根元には、一色義貫造立の文字が残されている。
  • 亜烈進卿 - 1408年、若挾の中湊浜に南蛮船が漂着。この船には亜烈進という首長一行が室町幕府の将軍に献上するための「象1頭、孔雀、オウム、そのほか献上品」が乗っていた。象は4代将軍足利義持に献上された。
  • 山名時氏武将守護大名
  • 建部寿徳武将
  • 石田三成武将
  • 武田信賢 - 兄信栄より若狭守護職を継ぐ。父が支配していた本国安芸から国人を移すなど若狭武田氏の基礎を築いた。応仁の乱で東軍の副将を努めるなど武勇に優れた大男だったといわれている
  • 武田信親 - 若狭武田氏の第4代当主。室町幕府第9代将軍・足利義尚の御相判衆に任じられた。死去の年代は1485年と1514年の2説がある。栖雲寺(小浜大原)を1482年に建てた。
  • 武田元信 - 若狭武田氏の第5代当主。兄信親はすでに亡き父国信の死により若狭守護職を継ぐ。和歌や故実などの公家文化に通じ、芸能文化面の発展に貢献した。佛国寺(小浜市伏原)を1502年に建てた。
  • 武田元光 - 若狭武田氏の第6代当主。父元信の出家により若狭国守護を継ぐ。後瀬山に城を築き守護館も山麓に移した。細川高国の要請で京に出兵、大敗し近江へ逃げる。発心寺(小浜市伏原)を1522年に建てた。
  • 潤甫周玉 - 5代元信の子。栖雲寺(小浜大原)を再興し、雲外寺(小浜市谷田部)を建てた。実隆から和歌の教えを受け、歌会や狂歌合を催した。天文元年に栖雲寺で「孟子」の講釈会を開いた。
  • 妙玄尼 - 大変に長寿な女性で、将軍家光が長寿にあやかりたいと妙玄尼の着物を欲したという逸話が残されている。妙玄寺を川越に建立、その後小浜に移った。
  • 丹羽長秀 - 安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。信長の進める戦のほとんどに参加、各地を転戦した。信長死後は秀吉を支持。秀吉より若狭国を与えられ、後瀬山城の城郭の大規模な補強を行った
  • 月甫清光 - 3代国信の弟。南禅寺仙館院の和漢聯句の会に列座した。晩年は若狭に在って京都の三条西実隆と交流、和歌の指導を受けた。政治では武田元光を補佐していた。
  • 京極マリア - 京極高次・竜子の母。敬虔なキリシタン。長男高次が領する若狭小浜にもたびたび足を運んだといわれている。
  • 英甫永雄 - 臨済宗夢窓派の僧侶。父は6代信豊の弟である。建仁寺の文渓永忠に就いて学び、法を継いだ。連句や和歌にすぐれ、近世狂歌の祖といわれている
  • 浅野長吉 - 豊臣秀吉に重用され若狭小浜藩主となった。熊川の地が、交通と軍事において重要な場所であることから、ここに町奉行を置き、宿場町としての発展の基礎を築いた。晩年は長政を名乗った
  • 京極高次 - 安土桃山時代から江戸時代初期の武将。正室は常高院・お初。関ヶ原の戦いの功績により若狭小浜藩の藩主となった。後瀬山城を廃し小浜城の築城と城下町の整備をした。
  • 常高院お初 - 若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。姉は豊臣秀吉の側室「茶々」妹は徳川秀忠正室「江」。小浜浅間にある常高寺は、お初の発願により建立された
  • 木下勝俊 - 江戸前期の武将・歌人。豊臣秀吉の正室北政所の甥。若狭小浜領主。細川幽斎に和歌を学び、清新自由な歌風で知られた。一時期はキリシタンでもあり、洗礼名はペテロと伝わる。あらぬ世に身はふりはてて大空も 袖よりくもる初しぐれかな
  • 酒井忠勝 - 若狭小浜藩の藩主。京極氏の領地を引き継ぎ、小浜城を完成させ小浜藩の政治の基礎を整えた。三代徳川家光の右腕といわれ、大老をつとめた。
  • 京極忠高 - 京極高次の長男。小浜~熊川の間を流れる遠敷川の改修をし、船が往来できるようにした。その後、松江に転封。わずか3年で死去したが、若狭土手と呼ばれる大土手を作り、功績を残した。
  • 行方久兵衛 - 江戸時代前期の小浜藩士。1662年の大地震で水没した三方五湖周辺地域の水害復旧のために困難な治水事業を行った。工事により水位が下がり、約400石もの新田が出来た。
  • 松木庄左衛門 - 江戸時代前期、若狭の農民は重い年貢に苦しんでいた。庄左衛門は年貢軽減を直訴して一命を捨て悲願を達成した。正義ある行動が語り継がれ、松木神社が建立された。
  • 松浦三十郎 - 小浜藩の御用塗師。豪商組屋六郎佐衛門が国外の漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献上、三十郎がこれをヒントに制作したことが「若狭塗」の始まりである。小浜藩の財政経済の基幹産業として発展した。
  • 京極竜子 - 京極マリアの娘。若狭武田氏・武田元明の妻。本能寺の変の後、若狭武田氏は途絶える。その後、豊臣秀吉の側室となり松の丸殿と呼ばれた。とても美しい女性だったそうである。
  • 面山和尚 - 江戸中期の曹洞宗の名僧。16歳で僧侶となり、江戸で学んだ。空印寺(小浜男山)などに歴住し永福庵(奥田縄)に退棲。多数の著述がある。丁寧な提唱から「婆婆面山」と呼ばれていた。
  • 秋田実季大名
  • 木崎惕窓 - 小浜の町人学者。領内の古老からの聞き取りや古い記録を集めて、郷土史誌「拾椎雑話」を完成。庶民のくらしを書き留めた内容は豊富で、江戸期の若狭を知る貴重な史料と高く評価されている。
  • 木崎雅興 - 小浜の歌人。45 年の歳月をかけて「大和物語虚静抄」を完成させた。町老として町政の要職にある一方、郷土の子弟に和歌を教え「大和物語」を講じた。大叔父は木崎惕窓
  • 酒井忠貫 - 若狭小浜藩9代目藩主。山崎闇斎を師とする崎門学派の講師を招いて藩校順造館を設立し、家臣の教育に力を注いだ。
  • 酒井伊織 - 酒井家の家老、筆頭総代。小浜藩主酒井忠勝の弟。江戸で徳川家光を補佐し、大老をつとめる酒井忠勝に代わり、小浜藩を采配した。現在の小浜市役所東側に、同心屋敷や下屋敷を所有していた。
  • 綱女 - 西津の漁夫の娘。家は貧しく松見茂太夫の家に子守として奉公。幼児義方を子守り中に狂犬に襲われ、命を投げ出して子を守った。小浜藩はその勇気と忠誠心を讃えた。
  • 浅利又七郎 - 本名は浅利義信。幕末の剣豪。小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めた。一時期、千葉周作が道場を継いだが物別れとなる。突きの名手といわれていた。
  • 山川武直 - 幕末の小浜藩士。歌人山川登美子の父。酒井忠義の側用人を勤め、朝廷と幕府、政府軍と小浜藩との交渉役として奔走した。廃藩後は第二十五国立銀行(小浜)の頭取を務めた。
  • 山口嘉七 - 昭和時代前期の政治家・実業家。小浜線の全線開通、南北両川の改修工事を実現。その他、私財をはたいて、現在の小浜市の礎を築いた。晩年「ひげさん」と呼ばれ慕われた。
  • 尾崎放哉 - 明治から大正時代の俳人。荻原井泉水の主宰する俳句雑誌「層雲」に参加して自由律俳句の代表的俳人となった。1925年小浜常高寺の寺男として住んでいた期間がある。
  • 大木吉太郎 - 奈良出身の宮大工・建築家。関東大震災後、古社寺や伝統建築の調査、修復に尽力。奈良基督教会を設計し和風教会堂という様式を生み出した。昭和6年の河川改修に伴い、聖ルカ教会を改築した。
  • 川渡甚太夫 - 幕末の船頭。うなぎ販売や海運業で大金をもうけた。
  • 古川光作 - 若狭塗の伝統工芸士。全国伝統的工芸品展会長賞受賞。
  • 田中染吉 - 若狭めのう細工の伝統工芸士。置物や装飾品を製造する。
  • 福谷喜義 - 若狭能倉座の神事能(県指定無形民俗文化財)座長。
  • 日野陽仁俳優、本名・平井洋二(ひらい ようじ)、旧芸名は日埜洋人ホットロード所属)- 幼少期に小浜市に住んでいた
  • テツandトモ - 中本哲也の親戚のおばさんが小浜市在住。小浜駅前の稲村食堂は、親戚のおばさんが経営している
  • 太宰治小説家)- 先祖である松木家が小浜市出身
  • 秋元康作詞家放送作家漫画原作者)- 妻が高井麻巳子
  • 片淵須直アニメーション監督脚本家)- 妻が浦谷千恵
  • 安倍晋三 – 安部一族の末裔が羽賀寺を再建
  • 荒木一成恐竜造形家)- 妻が小浜市出身
  • 山田知司(小浜支部判事補)- 裁判官として赴任
  • 赤井米吉教育者、元小浜水産学校教諭、明星学園、金沢女子専門学園(現・学校法人金沢学院大学)創立者)
  • 行方正言(元小浜師範校長)
  • 菊池三渓漢学者)
  • 松原敬輔(医学者)
  • 野村達雄(エンジニア)
  • 辛光洙北朝鮮工作員
  • 洪寿惠こと木下陽子(北朝鮮工作員

関連項目

脚注

  1. 遠敷郡教育会編纂『若狭遠敷郡誌』
  2. 遠敷郡教育会編纂『若狭遠敷郡誌』
  3. 『福井県史』通史編6 近現代二 機雷封鎖と原爆模擬弾投下 福井県文書館
  4. 大久保直樹 (2017年5月26日). “若狭ふぐ、大きく育て 養殖用の稚魚出荷 小浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 福井全県版 
  5. “【北陸新幹線】小浜京都ルート正式決定 与党PT「早期開通へ財源確保」”. 産経新聞(産経WEST) (産経新聞社). (2016年12月20日). http://www.sankei.com/west/news/161220/wst1612200088-n1.html . 2017閲覧. 
  6. 手杵祭福井の文化財
  7. 7.0 7.1 7.2 由来放生祭

外部リンク