坂上田村麻呂
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さかのうえのたむらまろ
[生] 天平宝字2(758)
[没] 弘仁2(811).5.23.
平安時代初期の武将。父は苅田麻呂。宝亀 11 (780) 年近衛将監,延暦6 (787) 年近衛少将,同 10年征東副使に任命され,同 13年征夷大将軍大伴弟麻呂に従って蝦夷を討った。同 15年陸奥出羽按察使兼陸奥守,さらに鎮守府将軍,同 16年征夷大将軍に任命された。同20年2月蝦夷討伐のため東北に向い,同年 10月平安京に凱旋。翌年造陸奥国胆沢 (いざわ) 城使として陸奥に行き,さらに翌年志波城を築いた。同 23年再び征夷大将軍に任じられ,大同1 (806) 年中納言,同4年正三位に叙せられた。弘仁1 (810)年平城上皇の平城遷都に擬し造宮使となった。同年薬子の変が起ると,大納言に昇進した田村麻呂は美濃路を固め上皇軍の鎮圧に努めた。没後従二位を贈られた。