一宮
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一宮(いちのみや)
古代末期に定められた神社社格の一つ。その選定時期、選定理由などについてはまだ明らかでないが、12世紀前半に成った『今昔(こんじゃく)物語』に周防(すおう)国(山口県)一宮玉祖大明神(たまのおやだいみょうじん)とみえるのが文献上の初見で、康和(こうわ)5年(1103)の伯耆(ほうき)国(鳥取県)倭文(しどり)神社境内より出土の経筒にも一宮の字があり、およそそのころから称されたものとみられる。それも神祇官(じんぎかん)、国司などによって公式に定められたものでなく、民間で唱えられ始めたものとみられている。その選定理由については近世以来諸説がある。諸国でもっとも位階の高い神社とも、また神祇官より諸国神社に伝達する際、便宜上、国ごとに一社を定めておき、そこを通じて布達させたその社の名残(なごり)ともいう。あるいは国司着任の際いちばん初めに参拝した社のこと、あるいは国内でいちばん社領の寄せられていた社のことなどともいう。しかし、いずれも従いがたく、結局その国でもっとも由緒正しく、多くの信仰を集め、経済的基盤も優れていた社ということができよう。また、それも同時に全国的に生じたのではなく、古代末期から中世初頭にかけて逐次国ごとに称されたものとみられ、さらにそのころ二宮、三宮の呼称も生じた。のちに、国ごとでなく、郡内の、また、国内一地方の一宮、二宮以下を定めた例もあり、諸国の一宮も、時代の推移とともに変遷交替している場合もある。なかには伊勢(いせ)国(三重県)、甲斐(かい)国(山梨県)、肥前(ひぜん)国(佐賀県、長崎県)などのように、近世以来一宮争いをしている国もある。