プロ野球選手
プロ野球選手(プロやきゅうせんしゅ)とは、営利を目的とする野球チーム(プロ野球チームまたは、プロ野球球団と呼ばれる)と契約し、年間シーズンの一連の試合に出場して報酬を得ることを本業とする野球選手のことである。
Contents
日本のプロ野球選手
この節での「プロ野球」は日本野球機構(NPB)のみを指し、独立リーグなどは含まないものとする。
社会人野球選手との違い
日本では、一般の社会人が選手としてプレーする社会人野球が発達している。「社会人野球」という語は、広義ではプロ野球も含めてあらゆる社会人が行う野球を指すが、一般的にはアマチュアの社会人が行う野球を指す。さらに狭義的意味として、日本野球連盟に属するチームで活動する野球競技を指す。また、企業内で組織されるチームが多く存在するが、あくまで企業内のクラブ活動の一つとして存在しており、興行目的で運営されているわけではない。
基本的に様々な大会の試合で活躍することを期待されて企業に入社する日本の社会人野球の選手も、企業の本業に関わる業務をほとんどせずに実質的に野球のみで報酬を得ることがあるが(かつてのシダックス野球部が該当)、社会人野球のチームは企業名を冠する「野球部」などと呼ばれ、野球を専業とする独立した企業ではない点がプロ野球球団とは大きく異なる。
また、社会人野球の選手は加齢や故障その他の理由によって現役を引退しても即解雇とはならず、その企業で仕事を続けることもできる。逆に社の経営不振などにより廃部、つまり野球部自体が消えてしまった場合はその社の従業員である以上、他社への転職や会社の許可のもとでのクラブチームへの在籍[注釈 1]によってしか野球を続ける手段がなくなる。これに対しプロ野球球団に属する選手は戦力外通告された場合は別の球団と自力で選手契約を結ぶ事が出来る。しかしどこの球団も手を挙げない場合はコーチなどの指導者、野球解説者、スポーツキャスター、タレントなどの道がなければ全くの無職となってしまう(#引退後)。日本野球機構(NPB)加盟球団所属のプロ野球選手が本人の意思により任意引退した場合、保有権がある最終所属球団の了解がない場合は他の野球チームと契約を結ぶことができない。
こういった待遇面の違いもプロ野球選手と社会人野球選手の異なる点であり、全くの無報酬というわけではないものの社会人野球をアマチュアとする理由のひとつでもある。逆に、日本プロ野球のチームで、報酬を得ないアマチュア選手として契約することは認められていない。
プロ野球選手の一日
一日はハードでシーズン中は休みがほとんどなく(火曜~木曜の三日間がチームa、金曜~日曜の三日間が別のチームbとの連戦。一回3日を“対戦カード”と呼ぶ)、拘束時間も長い。一例を挙げると
- ナイトゲーム開催時(18時試合開始)のスケジュール
- 10時 - 起床
- 11時 - 朝(昼)食
- 午後 - ホームチーム選手は自宅(単身赴任の場合はホテル住まいをする選手もいる)もしくは寮から、試合が行なわれる野球場へ移動。ビジターチーム選手は、宿舎となっているホテルから移動。ビジターが本拠地から近い場合はホーム同様に各自移動。
- 14時 - ホームチーム全体練習開始(ウォームアップはそれまでに行う。また、自主的に早出練習を行う選手も多い)
- 16時 - ホームチーム全体練習終了・ビジターチーム全体練習開始(ウォームアップ・ミーティング・軽食摂取はそれまでに行う)
- 16時30分頃 - ホームチームミーティング・軽食
- 17時30分頃 - ビジターチーム練習終了
- 18時 - プレイボール(先発登板予定のない投手など、一軍でも一部の選手はこの時点で帰宅する)
- 試合終了後(試合は9イニングで3時間半程。長い時、また延長戦に発展した場合には4時間以上かかる) - ミーティングなどを行い解散し、帰宅。自主的に居残り練習をする選手もいる。また、ビジターチームの選手はホテルに移動。
- 深夜 - 夕食は各自で取り(ビジターチームの場合はホテルのバイキング等)、その後就寝
となっている[1]。デーゲームの場合、時間分だけ繰り上がるので(13時試合開始の場合は5時間)、深夜に試合が終了した場合、朝早く起床し、練習を開始するため、さらにハードになる。月曜日は試合がないだけで対戦相手の地元・または本拠地に移動する。
なお、出場予定のない選手や試合中ケガをした選手を除き、選手が試合終了までに帰宅してしまうことが報じられることがあるが、このような事をすると職場放棄とみなされてしまう。監督の采配に納得のいかない場合などに見られ、これが退団のきっかけに繋がることもある[注釈 2]。一方で、懲罰的な理由で監督が強制的に帰還させる場合もある。
また、キャンプ中においてもオフ日が設定されているとはいえ、朝から深夜まで練習しており、ハードである。
遠征
ビジターで試合を行う際は、選手は交通機関を利用して移動する。近距離であればバスもしくは、各自移動、遠距離で移動する際は、新幹線か飛行機を利用し、最寄り駅から試合会場まではバスで移動する。混乱を避けるために、2つの班(例・新幹線と飛行機)にわけて移動することが多い。従来は飛行機を利用することが多かったが、1985年に発生した日本航空123便墜落事故で阪神タイガース球団社長の中埜肇が死亡した事[注釈 3]を契機に本州間の移動はできうる限り新幹線を利用するようになった。長距離の移動は飛行機を利用するが、飛行機嫌いの選手、スタッフもおり、その選手はできるだけ新幹線などの交通機関を利用しているという。また、登板予定のない先発投手は、遠征を免除され、2軍の練習場で調整を行う場合もある。
契約・報酬
プロ野球選手は各球団と契約を結ぶが、税法上は個人事業主である[2]。 NPB所属選手の報酬はメジャーリーグや欧州サッカーなどと同様に日本国内の他のプロスポーツと比べても破格である。支給は年俸制。2016年のNPBに所属するすべての支配下選手登録選手(育成選手をのぞく)の平均年俸は3,712万円である[3]。
1980年代前半までは平均年俸は1000万円未満であったが[3]、1987年中日に移籍した落合博満が球界で初めて年俸1億円を突破する[4]など徐々に年俸は上昇し、1993年のFA制度が導入されると年俸の高騰が進んだ[5]。
年俸が1億円を越える選手は「1億円プレーヤー」と呼ばれ、一流選手のステータスと見なされることもある[6]。NPBにおける年俸1億円以上の日本人選手(1億円プレイヤー)は、2014年シーズンでは61人[7][注釈 4]であったが、2017年シーズンでは76人[8]へと増加している。
NPB所属選手は契約更改という形で毎年契約を更新する単年契約が一般的であったが、1993年オフに当時オリックスに在籍していた酒井勉が、3年という日本球界史上初の複数年契約を結んだ[注釈 5]。その後、FA宣言による他球団移籍が一般的になり、FAによる移籍、あるいは他球団流出防止のための残留のいずれでも(日本人選手、外国人選手を問わず)複数年契約を結ぶケースが増えるようになった。一例として、
- 杉内俊哉[9](2011年のシーズンオフに、ソフトバンク→巨人へと移籍した際、「4年契約、総額20億円」[単年換算で「年俸5億円」]の契約を結んだ)
- 中村剛也[10](2013年のシーズンオフに、西武との(残留のための)延長契約を結ぶ際、「4年契約、総額20億円」の契約を結んだ。なお、中村はこの延長契約以前にも、2010年のシーズンオフにおいて、西武と3年の複数年契約を結んでいた。)
- リック・バンデンハーク[11](2016年6月に、ソフトバンクとの(残留のための)延長契約を結ぶ際、「3年契約、総額12億円」[単年換算で「年俸4億円」]の契約を結んだ。なお、外国人選手の場合は、シーズン中に(残留のための)延長契約を結ぶケースが少なからずある[注釈 6]。)
プロ野球選手の報酬は各選手の活躍に応じて大きく変動し、成果主義の典型的なモデルとみなされることもある[12]。報酬の支払いについて定期昇給や賞与の制度は定められていないが、成績に応じた出来高払いの契約を結んでいる選手もいる。ただし年俸の減額に関しては野球協約92条で制限が設けられており、年俸1億円以上の選手の場合40パーセント、1億円未満の選手の場合25パーセントを超える減額は原則行われない[13]。
現役期間
プロスポーツ選手全般に言えることだが、プロ野球選手が現役でいられる期間はそう長くない。プロ野球選手の平均引退年齢は約29歳とされており[14][15]、40歳を迎える前に引退する選手がほとんどである。また選手の平均現役年数は約9年であり[14]、長くても20年前後である。
一方例外的に長期にわたって現役を続ける選手(フランチャイズ・プレイヤー、ジャーニーマン)もおり、現役最長在籍記録は山本昌の32年、一軍公式戦出場実働最長記録は工藤公康・中嶋聡・山本昌の29年である。ちなみに、2014年9月6日時点で、選手として公式戦に出場した年齢では、最年長記録は山本昌の50歳1か月、最年少記録は戦前(年少労働者保護規定なし)が西沢道夫の16歳。労働基準法・児童福祉法下における最年少記録は高校を中退してプロ入りした古沢憲司の16歳4か月である。
引退後
引退後は、監督やコーチなどの指導者、スカウト、スコアラー、打撃投手、球団職員などとして球界に残ったり、野球解説者となることが考えられる。
しかし、毎年発生する引退選手に対して野球関連のポストは限りがあるために、野球関連の仕事に就けない者も多数出るため、野球とは別の分野に就職することになる選手も多い。NPBが2007年から2014年に退団した選手への調査を行ったところ、平均して2割から3割程度の選手が野球関係以外の道を選んでおり、進路不明の者も相当数存在する[16][注釈 7]。野球関連ではない仕事で成功した例としては、親会社のはからいで映画俳優になった八名信夫や江本孟紀、三沢淳、高橋栄一郎のように政治家になった者がいたり、板東英二、宮本和知、パンチ佐藤のようにそのキャラクターを活かしてタレントとして定着したり、他のスポーツに転向して活躍した尾崎将司(プロゴルファー)、ジャイアント馬場(プロレスラー)、宮本孝雄(競輪選手)、龍隆行(プロボウラー)が挙げられる。また、玉葱農家として成功した河野博文、うどん製造の修行をしてうどん店を開業した條辺剛のように実業家として成功する例もある。
しかし、こういった成功例は全体として見れば稀であり、現役引退後思うような生活が送れない元選手が自殺したり[注釈 8]、犯罪に関わったりする事例もある[注釈 9]。
こうしたことから、プロ野球OBが自助努力として再就職をお互いに支援していこうという気運が高まりつつある。例として、日本プロ野球OBクラブはパソナと連携したプロ野球OBの就活支援活動を行っている[17]。また、NPB側でも2010年代からは選手のセカンドキャリアに対する支援を強化している。2013年には日本野球機構と日本学生野球協会との合意により、学生野球資格回復研修を受けることによってプロ野球OBによる高校・大学野球の指導が可能となった[18]ことで、セカンドキャリアの間口が広くなったと言える。2016年までに、850人以上がこの制度を利用して学生野球資格を回復している[19]。
NPBは2007年以来毎年若手プロ野球選手に対してセカンドキャリアに関する意識調査を行っているが、「引退後に不安を感じている」と答えた選手の割合は概ね7割程度を推移している[20]。また、引退後の希望進路については、高校野球の指導者と回答する選手が多数を占めている[20]。
メジャーリーグの選手
アメリカ合衆国・カナダのメジャーリーグベースボール(MLB)を、日本では自国内でのプロ野球選手との混同を避けるために、英語でMLBの選手を意味する「メジャーリーガー(Major Leaguer)」といった言葉をそのままカタカナ語として用いて区別している(正確には「メジャー・リーグ・ベースボール・プレイヤー(Major League Baseball players)」と言う)。
メジャーリーグは、その強い競争原理から日本のプロ野球より厳しい環境であるとされ、成績が伴わなければ契約が更新されず直ちに自由契約、シーズン途中でマイナーリーグに降格、故障で成績が上がらない間にトレードで代わりの選手が入れば戦力外通告など、選手は常に厳しい立場に立たされる[21]。また、マイナーリーグとメジャーリーグには選手の待遇に大きな差があることも特徴で、両者の給料の格差を指してマイナーリーグを「ハンバーガー・リーグ」、メジャーリーグを「ステーキ・リーグ」と呼ぶ事もある[22]。
ただし、選手にとって厳しい面ばかりではなく、長年に渡って好成績を残し続けたり、非凡な才能を評価されたりと球団にとって必要不可欠な選手と見なされた場合には、年俸は天井知らずとなり[注釈 10]、そのようなスター選手の移籍に伴う獲得合戦の際には数億ドル(数百億円)という大金が動くなど、「アメリカン・ドリーム」とも言うべき成功を収めることができる[23]。アレックス・ロドリゲスは2007年10月にニューヨーク・ヤンキースと10年総額2億7500万ドル、出来高も含めると3億ドルの大型契約を結んだ他、ジャンカルロ・スタントンは2014年オフにマイアミ・マーリンズとの間に総額3億2500万ドル+出来高の13年契約という北米プロスポーツ史上最高総額の超大型契約を結んでいる[24][25]。選手側も少しでも良い条件を引き出すために、球団と契約交渉を行うための代理人(エージェント)を置くことがある。
国際大会への出場
それまでオリンピックを含む国際野球連盟(IBAF:現世界野球ソフトボール連盟(WBSC))管轄の国際大会はアマチュアのみの出場であったが、他競技でのプロ解禁の流れを受けて1997年にIBAFはそれらの国際大会へのプロ出場を解禁することになった。
最初に適用された大会は翌1998年の第33回IBAFワールドカップ。同年のアジア競技大会では韓国がオールプロで編成して初の金メダルを獲得。2000年シドニーオリンピックは初めてプロ野球選手が参加するオリンピック大会となり、米国が正式種目となって初めて金メダルを獲得した(公開競技時代にはソウルオリンピックで金メダルを獲っているが、キューバのボイコットによる不参加が大きかった)。
日本が初めてプロを派遣したのは1999年のアジア野球選手権大会兼シドニーオリンピックアジア地区最終予選で、この時はプロアマ混合で挑んだ。初のオールプロで編成して出場した大会は2003年のアジア野球選手権大会兼アテネオリンピックアジア地区最終予選であり、8年ぶりとなる優勝を決めている。これ以降オリンピック及びその予選会についてはオールプロで出場しているが、それ以外の国際大会(IBAFワールドカップ、アジア競技大会など)は開催時期に合わせてプロアマ混合またはオールアマで出場している。
しかし、これらの大会にはメジャーリーガー(40人ロースター枠登録選手)は参加しておらず、米国の場合は3Aクラスの選手で構成されている(ただし米国以外ではシーズンと重ならない大会に限りロースターも含めて招集する場合がある。前出の1998年アジア競技大会の韓国代表には当時ロサンゼルス・ドジャース所属だった朴賛浩が含まれていた)。背景にはこれらの国際大会の多くがMLBシーズン中(それも8月以降のプレーオフ争いも佳境に入った時期)に開かれるためシーズンを中断するか各球団が主力を欠いて消化しなければならず、また、大会において負傷した際の補償など課題も多いため各球団並びに選手会が消極的なのがある。この問題はオリンピック競技からの野球除外に至った要因のひとつともされている。
2006年からはメジャーリーガーも含めたプロ選手が参加するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が行われており、米国を始め、ドミニカ共和国などはメジャーリーガーのみでナショナルチームを結成した上で参戦している他、日本や韓国、ベネズエラなどメジャーリーガー擁する国も国内などの選手を加えたオールプロチームとなっている。この大会はIBAFの協力も受けつつMLB機構が中心となり、(MLBなど北半球主要プロ野球リーグの)シーズン開幕前に開かれている。
2011年にWBCがIBAF公認の世界一決定戦となったのに伴い、アマチュア主体たるワールドカップを発展的解消した上で、WBCの中間年にプロ主体たるプレミア12が創設された。このプレミア12の第1回大会は2015年11月に開かれたが、ワールドシリーズ終了直後という開催時期の問題からMLBは40人ロースターに登録された選手の参加を認めなかった。そのため、MLB選手会による40人ロースター枠発表後に行われた11月21日の決勝戦において、米国代表は3名の選手がこのロースター枠に入ったため出場できず、さらに試合も韓国に0-8で敗れてしまった。
関連書籍
脚注
注釈
- ↑ 一例としてサンワード貿易硬式野球部など。
- ↑ 具体例として、2004年、当時オリックス在籍の山崎武司が伊原春樹監督の采配への不満から途中帰宅し、これが同年オフのオリックス退団の遠因となった。詳細は山崎の項参照。
- ↑ 同事故で墜落したJA8119号機は、事故直前に福岡発羽田行JAL366便で運航しており、同便には後楽園球場での巨人戦を控えていた阪神の主力選手たちが福岡からの移動のため搭乗していた。
- ↑ 記事では「60人」になっているが、この後に井口資仁が、1億8000万円で契約を更改したため、「61人」になる。
- ↑ ただし酒井は黄色靭帯骨化症という特定疾患(難病)を患ったことから、契約期間中での快復と現役復帰を見込んでの複数年契約であり、現在みられる他球団流出防止のための複数年契約とは意味合いが異なる。
- ↑ 一例として、エクトル・ルナ(中日。2013年の6月に、2年間の延長契約)、ブランドン・ディクソン(オリックス。2016年の9月に、2年間の延長契約)など。
- ↑ またこの調査対象には独立リーグなどで現役を続行する選手も含まれているため、引退者に占める割合はより高いと考えられる。
- ↑ 具体例として、2000年に高野光が精神疾患を患い、39歳という若さで自殺したことが挙げられる。
- ↑ 小川博が2004年に、引退後の勤務先で強盗殺人事件を起こして無期懲役刑を受けている。また、引退後プレッシャーから覚せい剤に手を染めた野村貴仁や清原和博のような例もある。
- ↑ メジャーリーグではサラリーキャップは導入されていない。ぜいたく税制度(収益分配)は存在する。詳細はメジャーリーグベースボール#戦力均衡策を参照。
出典
- ↑ 千葉ロッテマリーンズファンクラブ会報「Team26マガジン」2010年第2号「ビジター遠征虎の巻」より
- ↑ 永野秀雄. “特集・スポーツと労働 プロスポーツ選手の労働者性”. . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “2016年シーズンの年俸調査結果の発表”. 日本プロ野球選手会. . 2017閲覧.
- ↑ “【プロ野球】日本人最初の「1億円プレイヤー」は誰?”. webスポルティーバ. . 2017閲覧.
- ↑ 津金一郎. “FAの歴史を振り返る。最初にFA権を行使したのは誰?”. webスポルティーバ. . 2017閲覧.
- ↑ “ロッテ・鈴木が1億円でサイン!「ひとつの目標だった」”. ベースボールキング. . 2017閲覧.
- ↑ “2014年プロ野球年俸ランキング”. 日刊スポーツ. . 2017閲覧.
- ↑ “2017年・プロ野球 新年俸ランキング【1位~100位】”. ベースボールキング. . 2017閲覧.
- ↑ “巨人“奥の手”杉内に4年20億+背番18”. 日刊スポーツ. . 2017閲覧.
- ↑ “おかわり君「ライオンズ一筋」4年最大20億にニッコリ”. スポニチアネックス. . 2017閲覧.
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- ↑ 福田秀人. “[http://www.rikkyo.ne.jp/web/z3000268/journalsd/no3/no3_thesis5.pdf 成果主義及 びコンピテンシー評価導入に伴うリスクに関する理論的考察]”. p. 46. . 2017閲覧.
- ↑ “日本プロフェッショナル野球協約2016”. . 2017閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 “移籍の活性化”. 日本プロ野球選手会. . 2015閲覧.
- ↑ “プロ野球選手って何人いる?”. 小中 翔太. . 2015閲覧.
- ↑ “戦力外選手/現役引退選手の進路調査結果(2007年~2014年)”. 日本野球機構. . 2017閲覧.
- ↑ “プロ野球OBのセカンドキャリアに新たな就労支援制度を実施”. 日本プロ野球OBクラブ. . 2017閲覧.
- ↑ “学生野球資格回復”. 日本プロ野球OBクラブ. . 2017閲覧.
- ↑ 神保忠弘. “学生野球資格回復研修会:プロ選手引退後、指導者の道へ”. 毎日新聞. . 2017閲覧.
- ↑ 20.0 20.1 “2016年 現役若手プロ野球選手「セカンドキャリアに関するアンケート」”. 日本野球機構. . 2017閲覧.
- ↑ なぜ日本野球はメジャーリーグに勝てないか メジャーリーグに最も近かった男、佐々木誠の監督論 東洋経済オンライン 2013年6月11日
- ↑ Ryo Shinkawa. “【MLB】ハンバーガーリーグから脱却? フィリーズ、約1億円の投資でマイナーチームの食環境改善へ。”. ベースボールチャンネル. . 2017閲覧.
- ↑ これぞアメリカン・ドリーム!夢にあふれたMLB今オフの大型移籍トップ10 BASEBALL KING 2015年2月10日
- ↑ “Report: Marlins to sign Giancarlo Stanton to 13-year, $325 million deal” (英語) (2014年11月20日). . 2017年12月12日閲覧.
- ↑ Mark Polishuk; Steve Adams (2014年11月20日). “Marlins, Giancarlo Stanton Agree To 13-Year, $325MM Contract” (英語). MLB Trade Rumors. . 2014年12月11日閲覧.