嶺南
嶺南のデータ | ||
国 | 日本 | |
地方 | 中部地方、北陸地方、関西地方 | |
面積 | 1,099.91 km² | |
推計人口 | 136,390 人 (全県比:17.6%) (2018年4月1日) | |
嶺南(れいなん)とは、福井県南部の若狭湾沿岸の地域を指す(地域名称については後節も参照)。江戸時代の小浜藩にほぼ該当する。リアス式海岸が特徴的である。
Contents
概要
嶺南という呼称は、現在の福井県が設置された1881年(明治14年頃)に、北陸道(北国街道)の難所である木ノ芽峠(木嶺)より南側を「木嶺以南」(もくれいいなん)と呼び始めたことに由来する。
地理的には若狭湾岸に位置しており、観光ガイドなどで北近畿に含まれることもある。また敦賀から舞鶴・米原・京都・金沢の各方面へ鉄道や道路が分岐しており、交通の要衝でもある。歴史的に、畿内から北陸道の入り口として機能したほか、若狭湾の港は古くから畿内の外港として機能し、京や近江、丹後との交流が盛んであった。
その影響もあって、嶺南地方で話されている方言(嶺南方言)は近畿方言に分類され、舞鶴弁や近江弁などに近い。
また嶺南地域には原子力発電所が多く立ち並ぶため、「原発銀座」として有名な地域である。
自治体
以下の2市3郡4町からなる。
地域名称
この地域を表す名称として、嶺南のほかに若狭という名称が用いられることもある。敦賀市は、令制国では北陸道の入口として越前国に属しているが、若狭湾に面する地理的な位置や、江戸時代には若狭酒井家の統治する小浜藩(若狭藩)の領地(越前敦賀郡の大部分は小浜藩領(若狭藩領)・残りが小浜藩(若狭藩)の支藩である敦賀藩の領地)であった歴史的背景から、便宜的に嶺南を「若狭」という名称で扱われることがままある[1]。一方で、1942年の地方官官制改正による地方事務所の区分でも見られる、敦賀市と三方郡の嶺南東部を「二州」[2]、遠敷郡(小浜市など)と大飯郡の嶺南西部を「若狭」と表示される例もある。ただし、若狭(旧国名)に比べて、二州(「二」は越前国と若狭国の2国、あるいは敦賀郡と三方郡の2郡を指す)の名称はあまり一般的ではない。
市町村合併
いわゆる「平成の大合併」において、8市町村を一つにする「嶺南一市構想」が持ち上がったが、意見が集約できず、結局は、若狭町とおおい町の発足に留まっている。
沿革
市町村制施行以降の沿革(概略)
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和20年 | 昭和20年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
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越前国 | 二州 | 敦賀郡 敦賀町 |
昭和12年4月1日 敦賀市 |
敦賀市 | 敦賀市 | 敦賀市 | 敦賀市 | |
敦賀郡 松原村 | ||||||||
敦賀郡 東浦村 |
敦賀郡 東浦村 |
敦賀郡 東浦村 |
昭和30年1月15日 敦賀市に編入 | |||||
敦賀郡 東郷村 |
敦賀郡 東郷村 |
敦賀郡 東郷村 | ||||||
敦賀郡 愛発村 |
敦賀郡 愛発村 |
敦賀郡 愛発村 | ||||||
敦賀郡 中郷村 |
敦賀郡 中郷村 |
敦賀郡 中郷村 | ||||||
敦賀郡 粟野村 |
敦賀郡 粟野村 |
敦賀郡 粟野村 | ||||||
若狭国 | 三方郡 西郷村 |
明治31年4月1日 三方郡 北西郷村 |
昭和29年2月11日 三方郡 美浜町 |
三方郡 美浜町 |
三方郡 美浜町 |
三方郡 美浜町 | ||
明治31年4月1日 三方郡 南西郷村 | ||||||||
三方郡 耳村 |
三方郡 耳村 | |||||||
三方郡 山東村 |
三方郡 山東村 | |||||||
三方郡 西浦村 |
明治40年7月1日 三方郡 西田村 |
昭和28年4月1日 三方郡 三方町 |
三方郡 三方町 |
平成17年3月31日 三方上中郡 若狭町 |
三方上中郡 若狭町 | |||
三方郡 田井村 | ||||||||
三方郡 八村 |
三方郡 八村 | |||||||
三方郡 十村 |
三方郡 十村 |
昭和29年3月2日 三方郡 三方町に編入 | ||||||
若狭 | 遠敷郡 鳥羽村 |
遠敷郡 鳥羽村 |
昭和29年1月1日 遠敷郡 上中町 |
遠敷郡 上中町 | ||||
遠敷郡 瓜生村 |
遠敷郡 瓜生村 | |||||||
遠敷郡 熊川村 |
遠敷郡 熊川村 | |||||||
遠敷郡 三宅村 |
遠敷郡 三宅村 | |||||||
遠敷郡 野木村 |
遠敷郡 野木村 | |||||||
遠敷郡 小浜町 |
昭和10年4月1日 遠敷郡 小浜町 |
昭和26年3月30日 小浜市 |
小浜市 | 小浜市 | 小浜市 | |||
遠敷郡 雲浜村 | ||||||||
遠敷郡 西津村 | ||||||||
遠敷郡 内外海村 |
遠敷郡 内外海村 | |||||||
遠敷郡 松永村 |
遠敷郡 松永村 | |||||||
遠敷郡 国富村 |
遠敷郡 国富村 | |||||||
遠敷郡 遠敷村 |
遠敷郡 遠敷村 | |||||||
遠敷郡 今富村 |
遠敷郡 今富村 | |||||||
遠敷郡 口名田村 |
遠敷郡 口名田村 | |||||||
遠敷郡 中名田村 |
遠敷郡 中名田村 | |||||||
遠敷郡 宮川村 |
遠敷郡 宮川村 |
遠敷郡 宮川村 |
昭和30年2月21日 小浜市に編入 | |||||
大飯郡 加斗村 |
大飯郡 加斗村 |
大飯郡 加斗村 | ||||||
遠敷郡 南名田村 |
明治24年4月1日 改称 遠敷郡 知三村 |
遠敷郡 知三村 |
昭和30年1月1日 遠敷郡 名田庄村 |
平成18年3月3日 大飯郡 おおい町 |
大飯郡 おおい町 | |||
遠敷郡 奥名田村 |
遠敷郡 奥名田村 |
遠敷郡 奥名田村 | ||||||
大飯郡 佐分利村 |
大飯郡 佐分利村 |
大飯郡 佐分利村 |
昭和30年1月15日 大飯郡 大飯町 | |||||
大飯郡 本郷村 |
大飯郡 本郷村 |
大飯郡 本郷村 | ||||||
大飯郡 大島村 |
大飯郡 大島村 |
大飯郡 大島村 | ||||||
大飯郡 高浜村 |
明治45年4月1日 町制 |
大飯郡 高浜町 |
昭和30年2月11日 大飯郡 高浜町 |
大飯郡 高浜町 |
大飯郡 高浜町 | |||
大飯郡 青郷村 |
大飯郡 青郷村 |
大飯郡 青郷村 | ||||||
大飯郡 内浦村 |
大飯郡 内浦村 |
大飯郡 内浦村 | ||||||
大飯郡 和田村 |
大飯郡 和田村 |
大飯郡 和田村 |
地理
若狭湾沿岸は、地形が入り組んだリアス式海岸が続き、平野が狭小であるため、古くから港を中心にして発展してきた。奈良・平安時代から畿内の外港として機能し、渤海国からの使節が寄港し、宿泊する松原客館が置かれたほか(気比松原)、江戸時代には、出羽国や加賀国から、京や大坂へ物資を運ぶ北前船の寄港地となり、鯖街道を通して京や近江との交流が盛んで、現在でも京都府・滋賀県とも繋がりが深い地域である。また風光明媚な海岸として、福井県内は元より、県外から若狭湾へ海水浴に訪れる者も多くみられる。
- 地形
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は都市雇用圏に則する。一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
- 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体 ('80) |
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 自治体 (現在) |
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敦賀市 | 敦賀 都市圏 8万4886人 |
敦賀 都市圏 9万1080人 |
敦賀 都市圏 8万9049人 |
敦賀 都市圏 8万8928人 |
敦賀 都市圏 7万9425人 |
敦賀市 |
美浜町 | 美浜町 | |||||
三方町 | 小浜 都市圏 5万8179人 |
若狭町 | ||||
上中町 | 小浜 都市圏 4万5287人 |
小浜 都市圏 4万4833人 |
小浜 都市圏 4万4676人 |
小浜 都市圏 4万4395人 | ||
小浜市 | 小浜市 | |||||
名田庄村 | おおい町 | |||||
大飯町 | - | - | - | - | ||
高浜町 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 舞鶴 都市圏 | 高浜町 |
原子力発電所
歴史
。
道州制
交通
鉄道
道路
脚注
- ↑ 観光ガイドで、敦賀を「若狭エリア」に掲載しているものがある。
- ↑ 福井県の施設である二州健康福祉センターは、敦賀市・若狭町(旧三方地区)・美浜町をエリアに入れている。
関連項目