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小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)、旧若狭国の市である。
Contents
概要
畿内の色が濃い港町で、律令時代より前からヤマト王権の日本海側入口として盛えて来た。小京都と呼ばれることも多く、全国京都会議にも加盟している。また、市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、"海のある奈良"と呼ばれることもある。
3月に奈良の東大寺で実施されるお水取りの水は、遠敷川・鵜の瀬から送られたものと言われている。また、伊勢志摩や淡路島と並んで、海産物を奈良や京都まで送った地域(御食国(みけつくに))の一つでもある。
江戸時代には、浅井三姉妹の次女・初の夫である京極高次(京極氏)や、酒井氏などが治める小浜藩の城下町だった。この時代から鯖の水揚げ基地ともなっており、鯖街道の起点となった。
地理
福井県南西部、若狭国中央部に位置し、北は若狭湾とその内湾である小浜湾に面する。古くから日本海の要港だった。東南部から小浜湾に流入する北川、南川、多田川流域に平地が開ける。
- 山:久須夜ヶ岳、百里ヶ岳、多田ヶ岳、飯盛山
- 川:北川、南川、多田川、松永川、遠敷川、江古川、森川、野代川、野木川、窪谷川、五十谷川、田村川、奥田縄川、須縄川、城亭川、込田川、太良川、飯盛川、本所川
- 湾:若狭湾(小浜湾、矢代湾)
- 半島:内外海半島、黒崎半島(別名:田烏半島)
気候
日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。
小浜(小浜市遠敷、標高10m)の気候資料 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.5(65.3) | 21.3(70.3) | 24.4(75.9) | 30.9(87.6) | 32.8(91) | 35.9(96.6) | 38.7(101.7) | 38.1(100.6) | 37.4(99.3) | 31.3(88.3) | 25.5(77.9) | 20.4(68.7) | 38.7(101.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.3(45.1) | 7.7(45.9) | 11.6(52.9) | 18.0(64.4) | 22.6(72.7) | 26.0(78.8) | 30.0(86) | 31.8(89.2) | 27.3(81.1) | 21.7(71.1) | 16.2(61.2) | 10.7(51.3) | 19.24(66.64) |
日平均気温 °C (°F) | 3.7(38.7) | 3.9(39) | 7.0(44.6) | 12.6(54.7) | 17.4(63.3) | 21.3(70.3) | 25.3(77.5) | 26.8(80.2) | 22.7(72.9) | 16.8(62.2) | 11.4(52.5) | 6.5(43.7) | 14.62(58.31) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.3(32.5) | 0.2(32.4) | 2.6(36.7) | 7.4(45.3) | 12.5(54.5) | 17.2(63) | 21.6(70.9) | 22.7(72.9) | 18.8(65.8) | 12.3(54.1) | 6.8(44.2) | 2.4(36.3) | 10.4(50.72) |
最低気温記録 °C (°F) | -9.4(15.1) | -10.1(13.8) | -6.7(19.9) | -1.5(29.3) | 3.9(39) | 6.3(43.3) | 13.6(56.5) | 14.0(57.2) | 8.5(47.3) | 2.7(36.9) | -1.2(29.8) | -7.8(18) | -10.1(13.8) |
降水量 mm (inches) | 207.8(8.181) | 160.6(6.323) | 139.2(5.48) | 106.9(4.209) | 135.1(5.319) | 160.8(6.331) | 183.9(7.24) | 148.5(5.846) | 217.9(8.579) | 158.6(6.244) | 163.0(6.417) | 197.6(7.78) | 1,979.9(77.949) |
降雪量 cm (inches) | 78(30.7) | 73(28.7) | 13(5.1) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 20(7.9) | 184(72.4) |
日照時間 | 65.8 | 76.6 | 119.2 | 165.6 | 181.6 | 136.6 | 158.2 | 203.5 | 135.2 | 135.8 | 102.1 | 84.2 | 1,564.4 |
出典: 気象庁 |
歴史
律令時代
若狭国の遠敷郡(おにゅうぐん)と大飯郡の一部を占め、延喜式名神大社で若狭国一宮の若狭彦神社、若狭国二宮の若狭姫神社が鎮座する。他にも延喜式内社は多い。
若狭国府も小浜付近にあったと考えられるが、比定地は不明である。
中世から江戸時代まで
鎌倉時代に小浜は国衙の税所が支配する今富名の一部に組み込まれたが、南北朝時代に入ると若狭守護の支配下に置かれた。ところが、守護は度々代わり、そのうちに今富名は山名氏に恩賞として与えられたために、守護に任じられた一色氏は山名氏と対立、明徳の乱で山名氏と戦い今富名と丹後国を奪って小浜の支配を回復した。
ところが、一色義貫が足利義教に謀殺されると、謀殺に加担した武田氏が安芸から、若狭国の守護として入り、京都から多くの貴族を招くなど、公家文化が華ひらいた。織豊期に、越前国の朝倉氏の攻撃によって衰退した。
関ヶ原の戦いの後、論功行賞により浅井三姉妹の次女初の夫である京極高次が若狭一国8万5,000石を賜って後瀬山城に入城する。京極家は、さらに小浜城(雲浜城)を築き、小浜は小浜藩の城下町として盛えた。その後、京極家は松江に加増転封、代わって酒井忠勝が徳川家光から、長年の忠勤の褒美として、若狭の国持大名として封じられる(しかし、国持大名としての格式は1代のみ)。
明治維新以後
- 1871年8月29日(明治4年7月14日):廃藩置県により小浜県を置く。
- 1871年12月31日(明治4年11月20日):敦賀県に編入される。
- 1872年9月:小浜町に小学校創設(のち習長小学校→小浜小学校→小浜尋常高等小学校)。
- 1873年1月:廃城令により小浜城天守閣解体。
- 1875年7月:小学授業法伝習所(のち小浜伝習学校)を遠敷郡竹原村琢成小学校内に設置。
- 1876年8月21日:敦賀県が分割され、本市域は滋賀県に編入される。
- 1876年10月24日:滋賀県警察第七方面出張所、小浜に開庁。
- 1877年6月27日:嶺南4郡を所管する小浜区裁判所新設。
- 1877年12月17日:国立銀行条例による第二十五国立銀行設立(翌1878年1月、開業)。
- 1878年7月:遠敷郡役所が小浜に設置。[1]
- 1881年1月:遠敷郡役所が竹原村字栗広浜(現・小浜市千種)に移転。[2]
- 1881年2月7日:滋賀県から分離され、新設の福井県に編入される。
- 1882年8月10日:敦賀-小浜間電信開通。
- 1886年8月25日:小浜町に小浜銀行創立。
- 1886年9月8日:丹州汽船会社が小浜-宮津間で営業開始。
- 1887年3月10日:小浜に恵(聖ルカ)教会設立。
- 1889年4月1日:町村制施行により、遠敷郡小浜町、雲浜村、西津村、内外海村、松永村、宮川村、遠敷村、国富村、今富村、口名田村、中名田村及び大飯郡加斗村(長井を含む)となる。
- 1894年4月:福井県立尋常中学校分校(のち小浜中学校→現・福井県立若狭高等学校)設置。
- 1894年9月4日:小浜町に若狭商業銀行設立。
- 1895年:雲浜村竹原に福井県簡易農学校分校水産科(現・福井県立小浜水産高等学校)設置。
- 1896年4月7日:西津村に小浜貯蓄銀行設立。
- 1898年10月4日:雲浜村に若狭銀行設立。
- 1905年7月:有志の発起により、雲浜村西津に私立稚桜女学校(のち福井県立小浜高等女学校→現・福井県立若狭高等学校)開設。
- 1911年2月:小浜小学校内に私立小浜図書館創立。
- 1914年8月3日:小浜公園開園。
- 1915年:小浜電灯(翌年、若狭電気に改称)、遠敷村に下根来水力発電所竣工。
- 1918年11月10日:小浜線が小浜まで延伸。小浜駅開業。
- 1934年1月22日:蘇洞門が国名勝に指定される。
- 1935年4月1日:遠敷郡雲浜村、西津村が小浜町と合併。
- 1936年6月15日:省線自動車小浜-新平野線開業。
- 1943年9月1日:小浜町竹原で芝浦製作所小浜工場、操業開始。
- 1945年:アメリカ軍により小浜湾機雷封鎖。駆逐艦榎触雷着底。[3]
- 1951年3月30日:遠敷郡小浜町、内外海村、松永村、遠敷村、国富村、今富村、口名田村及び中名田村が合併、小浜市として市制施行。
- 1953年9月25日:台風13号襲来。死傷者755名。
- 1955年1月10日:大飯郡加斗村から長井地区(旧・長井村)が大飯郡本郷村へ編入。
- 1955年2月21日:遠敷郡宮川村、および大飯郡加斗村(長井を除く)が小浜市へ編入、現在の市域となる。
- 1969年2月24日:小浜市議会に原子力発電所誘致のための委員会設置。
- 1972年6月20日:市長が、市議会において、田烏への原子力発電所誘致断念を表明。
- 1972年7月1日:久須夜ヶ岳有料道路(エンゼルライン)開通。
- 1973年11月13日:田中角栄内閣、北陸新幹線整備計画(いわゆる若狭ルート)を閣議決定。
- 1983年11月9日:小浜新港開港。
- 1984年8月:田烏に、国立若狭湾少年自然の家開所。
- 1991年4月10日:高塚に、若狭ヘリポート供用開始。
- 1993年4月:福井県立大学小浜キャンパス開設。
- 2003年3月9日:舞鶴若狭自動車道、舞鶴東IC-小浜西IC間開通。
- 2003年9月14日:小浜市で若狭路博2003が10月13日まで行われた。
- 2009年1月20日:市名と同名のアメリカのオバマ大統領が就任。オバマを勝手に応援する会参照。
- 2011年7月16日:舞鶴若狭自動車道、小浜西IC-小浜IC間開通。
- 2014年7月20日:舞鶴若狭自動車道、小浜IC-敦賀JCT間開通。(舞鶴若狭道全線開通)
行政
- 市長:松崎晃治(2008年8月5日就任、3期目)
歴代市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 田中信蔵 | 1951年 | 1953年 | |
2代 | 中崎源治郎 | 1953年 | 1953年 | 昭和28年台風第13号にて被災し死亡 |
3代 | 今島寿吉 | 1953年 | 1965年 | |
4代 | 鳥居史郎 | 1965年 | 1973年 | |
5代 | 浦谷音次郎 | 1973年 | 1984年 | |
6代 | 吹田安兵衛 | 1984年 | 1988年 | |
7代 | 辻與太夫 | 1988年 | 2000年 | |
8代 | 村上利夫 | 2000年 | 2008年 | |
9代 | 松崎晃治 | 2008年 | 現職 |
立法
衆議院
- 選挙区 : 福井県第2区 (小浜市・敦賀市・鯖江市・越前市・今立郡・南条郡・丹生郡・三方郡・大飯郡・三方上中郡)
- 任期 : 2014年(平成26年)12月14日 - 2018年(平成30年)12月13日(「第47回衆議院議員総選挙」参照)
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
高木毅 | 自由民主党 | 2 | 選挙区 |
人口
小浜市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域おこし
- オバマを勝手に応援する会
-
- オバマ大統領を勝手に応援する会
- 英語版ウィキペディアの「Obama, Fukui」
- 初の暮らした町
- 小浜市は浅井三姉妹の次女・初(常高院)が暮らした町であることから、そのゆかりの旧跡も多い。特に常高寺や後瀬山城の麓館などは、彼女と関係が深いことで知られる。NHKの大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の放映以後、同ドラマの主人公である妹の江(徳川秀忠夫人)および姉の茶々(淀殿)と仲が良く、夫の京極高次との夫婦仲も睦まじかったことで知られる初により地域おこしを図っている。
- 小浜はまかぜ寄席
- NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「ちりとてちん」 の主人公の生まれ故郷が小浜市であったことから、ちりとて落語の会がはまかぜ商店街活性化のため、寄席を行っている。
- 市が発祥のゲーム
提携都市
日本国内
- 姉妹都市
- 提携都市
- その他
海外
経済
特産品
産業
漁業
- 田烏漁港
- 内外海漁港
- 小浜漁港
公共施設
国の機関
- 小浜税務署
- 小浜公共職業安定所
- 福井河川国道事務所小浜国道維持出張所
- 小浜海上保安署
- 福井森林管理署小浜森林事務所
警察
消防
- 若狭消防組合消防本部
病院
- 公立
- 杉田玄白記念公立小浜病院-(公立小浜病院組合)
- 民間
- 田中病院-(医療法人若永会)
郵便
- 小浜郵便局
- 内外海郵便局
- 遠敷郵便局
- 小浜今富郵便局
- 小浜駅前郵便局
- 小浜住吉郵便局
- 小浜玉前郵便局
- 小浜西津郵便局
- 加斗郵便局
- 口名田郵便局
- 新平野郵便局
- 中名田郵便局
- 宮川郵便局
- 田烏簡易郵便局
文化施設
- 福井県立若狭歴史博物館
- 福井県立若狭図書学習センター
- 小浜市立図書館
- 小浜市文化会館
- 山川登美子記念館
- 小浜市働く婦人の家
- 小浜市総合福祉センター
- 若狭ふれあいセンター
- 勤労福祉会館
- 健康管理センター
- 久須夜交流センター
- 小浜市サイクリングセンター
体育施設
- 小浜市民体育館
- 総合運動場
- 温水プール
- テニス場
- 野球場
- 中央・野代グラウンド
教育
- 大学
- 福井県立大学小浜キャンパス
- 高等学校
- 福井県立若狭高等学校
- 福井県立若狭東高等学校
- 福井県立小浜水産高等学校(2013年に福井県立若狭高等学校に統合)
- 中学校
- 小学校
※の小学校は標準服の着用が義務付けられている。
- ※小浜市立今富小学校
- ※小浜市立内外海小学校
- 小浜市立雲浜小学校
- ※小浜市立遠敷小学校
- ※小浜市立小浜小学校
- ※小浜市立加斗小学校
- ※小浜市立口名田小学校
- ※小浜市立国富小学校
- ※小浜市立中名田小学校
- 特別支援学校
- 福井県立嶺南西特別支援学校
交通
鉄道
- (至舞鶴) - 加斗駅 - 勢浜駅 - 小浜駅 - 東小浜駅 - 新平野駅 -(至敦賀)
- 敦賀以西ルートが決定した北陸新幹線では小浜市付近への新幹線駅設置が予定されており、東小浜駅周辺が有力とされている[5]。
バス
高速路線バス
- 福井鉄道 - 「わかさライナー」
- 西日本JRバス、京都交通 - 「若狭舞鶴エクスプレス京都号」(2018年3月31日をもって小浜駅乗り入れ廃止)
一般路線バス等
- 西日本JRバス - 若江線(じゃっこうせん、じゃくこうせん)
- 大和交通 - 名田庄線「流星」
- 小浜市内から小浜駅を経由しおおい町名田庄地域へ向かう1路線。
- 小浜市コミュニティバス「あいあいバス」
- 小浜駅を拠点に市内(宮川線の一部は若狭町を通る)10路線。運行は大和交通および三福タクシーに委託している。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 広域農道
道の駅
- 若狭おばま - 小浜インターチェンジに隣接する。
ヘリポート
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
小浜は「御食国」の一角だった歴史から、観光関係者は「心やすらぐ美食の郷 御食国若狭おばま」をキャッチフレーズに掲げている。また多くの名勝・旧跡および周辺の自然と食材の豊富さで「「夢、無限大」感動おばま」キャッチフレーズに掲げている。
小浜地区周辺
- 小浜港
- 御食国若狭おばま食文化館
- 若狭フィッシャーマンズ・ワーフ
- 濱の湯(スーパー銭湯)
- 小浜海浜公園 - 人魚の浜海水浴場、梅田雲浜像、佐久間勉像、父子海岸等、旅館街や飲食街が並ぶ。
- 小浜西組 - 重要伝統的建造物群保存地区
- 山川登美子記念館
国宝・国指定の重要文化財、名勝がある寺社
- 明通寺 - 806年に坂上田村麻呂の創建と伝える古寺、本堂と三重塔が国宝、他重要文化財多数
- 萬徳寺 - 枯山水庭園が名勝、ヤマモミジが国の天然記念物
- 若狭国分寺 - 741年創建、本尊の木造薬師如来坐像が重要文化財
- 若狭神宮寺 - 714年創建、本堂と仁王門が重要文化財。お水送りの寺
- 羽賀寺 - 716年創建と伝える古寺、本堂、本尊の木造十一面観音立像などが重要文化財。北陸観音霊場第5番札所。
- 妙楽寺 - 鎌倉時代建築の本堂などが重要文化財
- 多田寺 - 日本三大薬師の一つ、木造薬師如来立像・十一面観音立像・菩薩立像が重要文化財
- (北陸観音霊場第4番札所・北陸白寿観音霊場第2番札所。若狭観音霊場第18番札所。)
- 妙楽寺 - 本堂、木造千手観音立像が国の重要文化財
- (北陸観音霊場第3番札所・若狭観音霊場第19番札所。)
- 圓照寺 - 木造大日如来坐像、木造不動明王立像が国の重要文化財:林泉庭園 県指定名勝
- (若狭観音霊場第20番札所。)
- 正林庵 - 荘園研究で有名な太良荘にある。銅造如意輪観音半跏像が国の重要文化財:福井県最古の金銅仏
- 飯盛寺 - 本堂が重要文化財
- 長源寺 - 絹本著色弥勒菩薩像が重要文化財
- 長慶院 - 木造観音菩薩坐像が重要文化財 小浜市堅海
- 谷田寺 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市谷田部
- 加茂神社 - 木造千手観音立像が重要文化財、小浜市加茂
- 若狭彦神社 - 若狭一の宮 太刀(伝宗近)などが重要文化財、当神社に伝わった銅造薬師如来立像(重要文化財)は竜前地区が管理
- 若狭姫神社 - 若狭二の宮
史跡
- 若狭国分寺跡 - 国の史跡
- 岡津製塩遺跡 - 飯盛山山麓の岡津にある7世紀から8世紀にかけての製塩遺跡、国の史跡
- 後瀬山城跡 - 安土桃山時代 - 江戸時代初期にかけての石垣あり。国の史跡。
- 小浜城跡 - 京極高次が着工し小浜藩酒井氏が整備した居城跡。県指定史跡。
- 小浜藩台場跡 - 松ヶ瀬台場、鋸崎台場、国の史跡。川崎台場。
- 加茂古墳 - 小浜市加茂にある福井県下で最大級の横穴式石室
集落名になっている神社
小浜市中心部の24区には、各地の神社に由来する名前が付いている。
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湾岸
海水浴場
- 小浜湾内海水浴場
- 人魚の浜海水浴場(人口海浜)
- 勢浜海水浴場
- 若狭鯉川シーサイドパーク(人口海浜)
- 矢代湾内海水浴場
- 阿納海水浴場
- 犬熊海水浴場
- 志積海水浴場
- 矢代海水浴場
- 田烏代海水浴場
- 大浜海水浴場
- 内外海半島若狭湾岸
- 宇久海水浴場
祭り
- お水送り(3月2日) - 神宮寺・鵜の瀬。お水取りの対となっている祭り。
- 手杵祭( 4月3日 ) - 県無形民俗文化財。759年に漂着した唐船の異人たちを杵で撲殺し財宝を奪ったところ災難が続いたため観音堂を建て以後祭りを行なって弔ったのが起こりで、矢代観音で開かれる[6]。
- お城祭り(5月2・3日) - 小浜城址周辺、雲浜獅子が見もの。
- 箸祭り(8月4日)
- 地蔵盆(8月23日) - 特に西津地区、小浜地区で盛ん。
- 放生まつり(9月14日・15日) - 毎年9月敬老の日直前の土・日曜日に行われる小浜男山の八幡神社の祭礼[7]。旧小浜24地区が隔年で12区づつ、御神輿のほか、元々小浜祇園祭の出し物だった山車、神楽、棒振り太鼓、獅子などの芸能を奉納する[7]。若狭地方最大の秋祭りで300年の伝統がある[7]。
出身有名人
若狭国の人物も参照。 小浜藩の人物も参照。 幕末小浜藩の人物も参照。
政治・行政
- 酒井忠義(小浜藩知事、京都所司代を務めた)
- 谷沢竜蔵(衆議院議員(立憲革新党→山下倶楽部→帝国党→大同倶楽部、弁護士)
- 添田敬一郎(内務官僚、政治家)
- 辻一彦(政治家。参議院議員)
- 古川太三郎(政治家、参議院議員(1期)
- 松崎晃治(第9代小浜市長)
経済
- 井手正敬(実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)社長・会長を歴任。内閣法制局第一部長や文部次官を務めた井手成三は父。)
- 山川武直(第二十五国立銀行頭取)
- 田中文蔵(三井物産取締役)
- 田辺昇一(経営コンサルタント)
- 田村平治(料理人)
- 野村達雄(エンジニア)
学者
- 梅田雲浜(儒学者、安政の大獄により獄死)
- 杉田玄白(蘭学医、若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催。
- 伴信友(国学者)
- 中川淳庵(医者、本草学者、蘭学者)
- 東条義門(僧侶、国学者)
- 和田維四郎(鉱物学者、書誌学者、貴族院議員)
- 原田祖岳(曹洞宗僧侶、号は大雲、駒澤大学教授)
- 森岡常蔵(教育学者、文部官僚)
- 梅澤濱夫(医学者、細菌学者、文化勲章受章者)
- 熊田誠(元京都大学工学部教授、京都大学名誉教授)
- 羽溪了諦 (京都大学名誉教授・元龍谷大学学長)
- 今村貞夫 (京都大学医学部教授、京都大学名誉教授)
- 寺島泰(京都大学、大阪産業大学教授)
- 石田啓(金沢大学理工学研究域環境デザイン学系教授)
- 芝田英昭(立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科教授、元立命館大学産業社会学部教授)
- 四方啓裕(医師、元東京女子大学医学部助手)
- 木崎惕窓(町人学者)
- 上田三平(考古学者)
- 三井徹(音楽学者)
- 干潟龍祥(インド哲学者)
- 小野村胤敏(近畿大学創設者)
- 石田佐久馬(国語教育者)
- 杉浦貞二郎(哲学者、教育者)
- 藤井譲治(歴史学者)
芸術・文化
- 原在中(絵師)
- 木村陽山(書家)
- 山本和夫(児童文学作家、詩人、元福井県立若狭歴史博物館館長)
- 山川登美子(歌人)
- 木戸松子(芸妓、木戸孝允夫人)
- 古河三樹(編集者、歴史家)
- 笠原靖(絵本作家)
- きむ (詩人、写真家)
- 川口晴美 (詩人)
- 浦谷千恵(アニメーション監督、アニメーター・キャラクターデザイナー、片渕須直夫人)
- 前野博紀(華道家)
- 竹中浩(陶芸家)
- 望月正義(俳優)
- 福井セイ(漫画家)
- 木崎雅興(歌人)
- 松浦三十郎(御用塗師)
- 西田當百(川柳作家)
スポーツ
- 浜中祥和 (元プロ野球選手)
- 松井武雄 (元プロ野球選手、横浜ベイスターズ取締役)
- 乗替寿好 (元プロ野球選手)
- 紅夜叉 (元女子プロレスラー)
- 海津富美代 (元卓球選手)
- 阿部理(バスケットボール選手]])- 小浜市生まれ、宮城県仙台市出身
- 木村恵里子(バスケットボール選手、富士通レッドウェーブ所属)
- 川畑宏美(アテネ五輪 バスケットボール日本代表)
- 堀卓馬(ラグビー選手、セコムラガッツ所属)
- 新谷義人(ウエイトリフティング選手)
芸能
- 杉田あきひろ (歌手・俳優、NHKおかあさんといっしょ9代目うたのおにいさん)
- 高井麻巳子 (元おニャン子クラブ。秋元康夫人)
- 田中なおみ (モデル、昭和54年度クラリオンガール)
- 宮本和幸(スカチャン(ダックス。))
- 奥村隼也(お笑い芸人)
- 杉岡勇治(武者武者)
- 濱坂恭平(武者武者)
軍人
- 名和又八郎(海軍軍人、海軍大将)
- 平井政遒(内科医、日本陸軍軍医、陸軍軍医総監(中将相当)、宮内省御用掛)
- 儀峨徹二(日本陸軍の軍人、陸軍中将)
- 大谷喜久蔵(陸軍軍人、華族)
- 倉賀野明(海軍少将、長鯨艦長、侍従武官)
- 佐々木透(陸軍少佐)、長男は佐々木到一
その他
- 八百比丘尼(人魚)
- 綱女(子守)
- 浅利義明(剣術家)
- 水口市松(新選組隊士)
- 面山和尚(曹洞宗名僧)
- 古河力作(幸徳事件(大逆事件)死刑囚)
- 中嶌哲演(国宝明通寺住職、平和運動家、反原発活動家)
- 地村保志(拉致被害者)
- 浜本富貴恵(拉致被害者)
- 瀬戸弘司(舞台俳優、YouTuber)- 小浜市生まれ、福井市出身
ゆかりのある人物
- 行基(奈良時代の僧)- 716年に羽賀寺(小浜)を創建。
- 良弁 - 幼い頃、鷲にさらわれ奈良金鐘寺(東大寺の前身)で育てられて僧侶となった。東大寺の建立に尽力し、東大寺初代別当になった。鵜の瀬の白石神社の前には、和尚生誕地の石碑がある。
- 実忠(けかえ、通称お水取り)の創始者
- 坂上田村麻呂(平安初期の武将)- 蝦夷を征討し征夷大将軍となった。蝦夷征伐道中の長田寺(小浜市中名田)に薬師如来像を安置したといわれている。また、国宝三重塔で有名な明通寺(小浜市門前)を806年に建てた。
- 藤原重頼(受領、鎌倉幕府御家人)
- 三条宗近(刀工)
- 鶴澤探山(絵師)
- 二条院讃岐 - 平安末期から鎌倉時代初期の女流歌人。二条天皇、のちに後鳥羽天皇に仕えた。若狭湾の「沖の石」を詠んだといわれる和歌は小倉百人一首に選ばれた。わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
- 世阿弥 - 室町時代の猿楽師。幼名は鬼夜叉。父の観阿弥と共に猿楽(現在の能)を大成、多くの作品を残した。将軍足利義教により佐渡に流罪となり、小浜湊「津田の入り江」より船出した。
- 一色義貫 - 室町時代の若狭・三河・丹後・山城の守護大名。勢力を拡大しますが、足利義教に警戒され、武田信栄により暗殺された。廣峰神社鳥居根元には、一色義貫造立の文字が残されている。
- 亜烈進卿 - 1408年、若挾の中湊浜に南蛮船が漂着。この船には亜烈進という首長一行が室町幕府の将軍に献上するための「象1頭、孔雀、オウム、そのほか献上品」が乗っていた。象は4代将軍足利義持に献上された。
- 山名時氏(武将、守護大名)
- 建部寿徳(武将)
- 石田三成(武将)
- 武田信賢 - 兄信栄より若狭守護職を継ぐ。父が支配していた本国安芸から国人を移すなど若狭武田氏の基礎を築いた。応仁の乱で東軍の副将を努めるなど武勇に優れた大男だったといわれている
- 武田信親 - 若狭武田氏の第4代当主。室町幕府第9代将軍・足利義尚の御相判衆に任じられた。死去の年代は1485年と1514年の2説がある。栖雲寺(小浜大原)を1482年に建てた。
- 武田元信 - 若狭武田氏の第5代当主。兄信親はすでに亡き父国信の死により若狭守護職を継ぐ。和歌や故実などの公家文化に通じ、芸能文化面の発展に貢献した。佛国寺(小浜市伏原)を1502年に建てた。
- 武田元光 - 若狭武田氏の第6代当主。父元信の出家により若狭国守護を継ぐ。後瀬山に城を築き守護館も山麓に移した。細川高国の要請で京に出兵、大敗し近江へ逃げる。発心寺(小浜市伏原)を1522年に建てた。
- 潤甫周玉 - 5代元信の子。栖雲寺(小浜大原)を再興し、雲外寺(小浜市谷田部)を建てた。実隆から和歌の教えを受け、歌会や狂歌合を催した。天文元年に栖雲寺で「孟子」の講釈会を開いた。
- 妙玄尼 - 大変に長寿な女性で、将軍家光が長寿にあやかりたいと妙玄尼の着物を欲したという逸話が残されている。妙玄寺を川越に建立、その後小浜に移った。
- 丹羽長秀 - 安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。信長の進める戦のほとんどに参加、各地を転戦した。信長死後は秀吉を支持。秀吉より若狭国を与えられ、後瀬山城の城郭の大規模な補強を行った
- 月甫清光 - 3代国信の弟。南禅寺仙館院の和漢聯句の会に列座した。晩年は若狭に在って京都の三条西実隆と交流、和歌の指導を受けた。政治では武田元光を補佐していた。
- 京極マリア - 京極高次・竜子の母。敬虔なキリシタン。長男高次が領する若狭小浜にもたびたび足を運んだといわれている。
- 英甫永雄 - 臨済宗夢窓派の僧侶。父は6代信豊の弟である。建仁寺の文渓永忠に就いて学び、法を継いだ。連句や和歌にすぐれ、近世狂歌の祖といわれている
- 浅野長吉 - 豊臣秀吉に重用され若狭小浜藩主となった。熊川の地が、交通と軍事において重要な場所であることから、ここに町奉行を置き、宿場町としての発展の基礎を築いた。晩年は長政を名乗った
- 京極高次 - 安土桃山時代から江戸時代初期の武将。正室は常高院・お初。関ヶ原の戦いの功績により若狭小浜藩の藩主となった。後瀬山城を廃し小浜城の築城と城下町の整備をした。
- 常高院お初 - 若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。姉は豊臣秀吉の側室「茶々」妹は徳川秀忠正室「江」。小浜浅間にある常高寺は、お初の発願により建立された
- 木下勝俊 - 江戸前期の武将・歌人。豊臣秀吉の正室北政所の甥。若狭小浜領主。細川幽斎に和歌を学び、清新自由な歌風で知られた。一時期はキリシタンでもあり、洗礼名はペテロと伝わる。あらぬ世に身はふりはてて大空も 袖よりくもる初しぐれかな
- 酒井忠勝 - 若狭小浜藩の藩主。京極氏の領地を引き継ぎ、小浜城を完成させ小浜藩の政治の基礎を整えた。三代徳川家光の右腕といわれ、大老をつとめた。
- 京極忠高 - 京極高次の長男。小浜~熊川の間を流れる遠敷川の改修をし、船が往来できるようにした。その後、松江に転封。わずか3年で死去したが、若狭土手と呼ばれる大土手を作り、功績を残した。
- 行方久兵衛 - 江戸時代前期の小浜藩士。1662年の大地震で水没した三方五湖周辺地域の水害復旧のために困難な治水事業を行った。工事により水位が下がり、約400石もの新田が出来た。
- 松木庄左衛門 - 江戸時代前期、若狭の農民は重い年貢に苦しんでいた。庄左衛門は年貢軽減を直訴して一命を捨て悲願を達成した。正義ある行動が語り継がれ、松木神社が建立された。
- 松浦三十郎 - 小浜藩の御用塗師。豪商組屋六郎佐衛門が国外の漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献上、三十郎がこれをヒントに制作したことが「若狭塗」の始まりである。小浜藩の財政経済の基幹産業として発展した。
- 京極竜子 - 京極マリアの娘。若狭武田氏・武田元明の妻。本能寺の変の後、若狭武田氏は途絶える。その後、豊臣秀吉の側室となり松の丸殿と呼ばれた。とても美しい女性だったそうである。
- 面山和尚 - 江戸中期の曹洞宗の名僧。16歳で僧侶となり、江戸で学んだ。空印寺(小浜男山)などに歴住し永福庵(奥田縄)に退棲。多数の著述がある。丁寧な提唱から「婆婆面山」と呼ばれていた。
- 秋田実季(大名)
- 木崎惕窓 - 小浜の町人学者。領内の古老からの聞き取りや古い記録を集めて、郷土史誌「拾椎雑話」を完成。庶民のくらしを書き留めた内容は豊富で、江戸期の若狭を知る貴重な史料と高く評価されている。
- 木崎雅興 - 小浜の歌人。45 年の歳月をかけて「大和物語虚静抄」を完成させた。町老として町政の要職にある一方、郷土の子弟に和歌を教え「大和物語」を講じた。大叔父は木崎惕窓。
- 酒井忠貫 - 若狭小浜藩9代目藩主。山崎闇斎を師とする崎門学派の講師を招いて藩校順造館を設立し、家臣の教育に力を注いだ。
- 酒井伊織 - 酒井家の家老、筆頭総代。小浜藩主酒井忠勝の弟。江戸で徳川家光を補佐し、大老をつとめる酒井忠勝に代わり、小浜藩を采配した。現在の小浜市役所東側に、同心屋敷や下屋敷を所有していた。
- 綱女 - 西津の漁夫の娘。家は貧しく松見茂太夫の家に子守として奉公。幼児義方を子守り中に狂犬に襲われ、命を投げ出して子を守った。小浜藩はその勇気と忠誠心を讃えた。
- 浅利又七郎 - 本名は浅利義信。幕末の剣豪。小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めた。一時期、千葉周作が道場を継いだが物別れとなる。突きの名手といわれていた。
- 山川武直 - 幕末の小浜藩士。歌人山川登美子の父。酒井忠義の側用人を勤め、朝廷と幕府、政府軍と小浜藩との交渉役として奔走した。廃藩後は第二十五国立銀行(小浜)の頭取を務めた。
- 山口嘉七 - 昭和時代前期の政治家・実業家。小浜線の全線開通、南北両川の改修工事を実現。その他、私財をはたいて、現在の小浜市の礎を築いた。晩年「ひげさん」と呼ばれ慕われた。
- 尾崎放哉 - 明治から大正時代の俳人。荻原井泉水の主宰する俳句雑誌「層雲」に参加して自由律俳句の代表的俳人となった。1925年小浜常高寺の寺男として住んでいた期間がある。
- 大木吉太郎 - 奈良出身の宮大工・建築家。関東大震災後、古社寺や伝統建築の調査、修復に尽力。奈良基督教会を設計し和風教会堂という様式を生み出した。昭和6年の河川改修に伴い、聖ルカ教会を改築した。
- 川渡甚太夫 - 幕末の船頭。うなぎ販売や海運業で大金をもうけた。
- 古川光作 - 若狭塗の伝統工芸士。全国伝統的工芸品展会長賞受賞。
- 田中染吉 - 若狭めのう細工の伝統工芸士。置物や装飾品を製造する。
- 福谷喜義 - 若狭能倉座の神事能(県指定無形民俗文化財)座長。
- 日野陽仁(俳優、本名・平井洋二(ひらい ようじ)、旧芸名は日埜洋人、ホットロード所属)- 幼少期に小浜市に住んでいた
- テツandトモ - 中本哲也の親戚のおばさんが小浜市在住。小浜駅前の稲村食堂は、親戚のおばさんが経営している
- 太宰治(小説家)- 先祖である松木家が小浜市出身
- 秋元康(作詞家、放送作家、漫画原作者)- 妻が高井麻巳子
- 片淵須直(アニメーション監督、脚本家)- 妻が浦谷千恵
- 安倍晋三 – 安部一族の末裔が羽賀寺を再建
- 荒木一成(恐竜造形家)- 妻が小浜市出身
- 山田知司(小浜支部判事補)- 裁判官として赴任
- 赤井米吉(教育者、元小浜水産学校教諭、明星学園、金沢女子専門学園(現・学校法人金沢学院大学)創立者)
- 行方正言(元小浜師範校長)
- 菊池三渓(漢学者)
- 松原敬輔(医学者)
- 野村達雄(エンジニア)
- 辛光洙(北朝鮮工作員)
- 洪寿惠こと木下陽子(北朝鮮工作員)
関連項目
- 小浜藩
- 琵琶湖若狭湾快速鉄道(若狭リゾートライン)
- 若狭農業協同組合
- ちりとてちん - 2008年5月1日に主人公一家を特別住民登録し、特別住民票を発行した