高安晃
髙安 晃(たかやす あきら、1990年〈平成2年〉2月28日 - )は、茨城県土浦市出身の現役大相撲力士。田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属。本名同じ。身長185cm、体重180kg、血液型はA型。突っ張り、押し相撲を得意とする一方で左四つからの寄りもある。先代師匠13代鳴戸(隆の里)と同じく上手捻りも得意とする。[1]靴のサイズは2018年2月時点で35㎝[2]。
好物は煮魚(特にサバの味噌煮)。入門前は野菜嫌いであったが現在では好き嫌いが無いという。[3]最高位は東大関(2017年9月場所、2018年3月場所)。趣味は音楽鑑賞。メディアによって、高安(晃)の表記も見られる。TwitterとFacebookを利用している。
Contents
来歴
中学卒業まで
父が日本人、母がフィリピン人という家庭に高安は生まれる。土浦第一中学校では野球部に所属し中堅手として活躍していた。AKB48の元メンバーでタレント・女優の秋元才加は幼なじみである[4][5]。ビジュアル系バンドMUCC(ムック)のドラマーSATOちは従兄弟にあたる。横野レイコの取材によれば次男で甘えん坊であった高安は母親にさえ怒られたことがなかったといい、入門後も息子を心配した母が、高安の大好物のビーフシチュー(厳密にはカルデレータ)などを部屋まで届けたことも幾度となくあったそうである[6]。父は「集中力がなく『楽しいことだけやりたい』という子どもだった」と高安の幼少期を振り返る[7]。2018年時点でも、母は東京場所になるとフィリピン料理を部屋の力士の分まで差し入れしてくれるといい、そのメニューはカルデレータ、パンシット・ビーホン(フィリピン焼きそば)、シニガンなど様々である[8]。
子供の頃は野球少年で、小学校4年生からリトルリーグに所属していた高安。当時、巨人で活躍していたドミンゴ・マルティネスに似ていたことから、あだ名は「マルちゃん」だった[9][6]。中学時代は足に合う靴がないのでサンダルをはいて学校生活を行い、サンダル履きでも足は速かったと母は証言している[9]。中1から塾にも通ったが成績が落ち始めて、中2で少人数制の塾へ見学に行った。そこで講師から「本人のやる気があれば挽回もできるけど、今からじゃ、遅い」と断られると、父は「楽しくやってろ。塾にも行かなくていい」と息子に伝え、職人への進路も考えた。高校進学は難しくなったが“自由の身”となった高安は野球とカードゲームに没頭。午後7時には帰宅して両親が経営するエスニック料理店を手伝った[10]。「横綱の部屋に預ければ運が良ければ関取になれるかも」と考えた父は「見るだけ」と言って高安を車に乗せるとアポなしで鳴戸部屋へ向かった[10][9]。高安はその時「絶対に嫌だ!」と見学を拒絶していた[9]。中卒後の進路は迷っており、一説には「昼間働いて夜間の学校に行って野球をやりたい」と思っていたという[9]が「身一つで稼ぐ方が性に合う」と結論を出し、父の勧めもあり中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門し、2005年3月場所において初土俵を踏んだ。「もともと相撲に大した関心はなかったが、中学卒業を前に興味本位で訪れた鳴戸部屋で、当時の師匠に大きな手や足を触られて褒められると、すぐにその気になった」と当時を説明する報道もある[11]。
入門後の度重なる脱走
入門時で既に180cm・120kg、足の大きさ33cm[12]という恵まれた体格、鳴戸から「ゴムマリのようだ」と評された体質[13]から将来を嘱望されていて、その期待に違わずに順調に番付を上げていった。しかし、鳴戸部屋は昼過ぎまで稽古が行われるなど厳しい環境であり、入門前の陽気さは消えていった[9]。鳴戸部屋の厳しさに耐えられずに都合7度(父は10回以上と主張)にわたって脱走したことがあり[9]、部屋があった松戸から土浦まで6時間自転車を漕いで実家に逃げ帰っていた[14]。部屋に連れて帰る前に両親は必ず焼肉の食べ放題に連れて行ったが、その度トイレに行ってくるふりをして逃げた[9]。特に4度目の脱走では、赤信号で停車した隙に、乗っていた車から飛び出したという[15]。脱走に関する本人の記憶は2017年5月場所前の時点では曖昧であり、本人は「(逃げた理由は)大したことではなかったと思うけど。15歳で慣れない環境だったから。いい思い出です」と語っている[11]。ある時両親は、高安がこれ以上脱走しないように鳴戸に対して部屋の力士らに可愛がりを控えるように土下座して懇願したが、高安は「俺は親になんてことをさせているんだ」と自らの弱さを実感した[9]。
十両昇進まで
脱走の常習犯であったため、若の里は「入ってきた時から別格でしたね」と語る稀勢の里の対極として見ていてロクに期待してはいなかったが、稀勢の里が横綱昇進場所で優勝を果たした直後の雑誌の記事では「元々体の芯はしっかりしているので、幕下ぐらいの時に、もしかしたら関取になれるかも知れないと思いました。それが関取どころか三役に上がって、大関を目指すところまできましたからね」と若の里は高安が出世するにつれて見方を変えたことを話している[16]。転機となったのは2006年に父が腎臓がんを患い腎臓を1個摘出する大手術を受けて経営していた飲食店を手放したことであり、これを本人は大関昇進直後の時期に「父親が望むことは相撲で大成すること。そういう状況で『頑張れ』と言われてすごく身に染みた。ウカウカしていられない。結果を出して喜んでもらいたいという気持ちが強かった。土俵に足がつくようになって番付も上がった」と話している[17]。横野レイコの記事では鳴戸が高安を怒ったことはないとされており、ある日の夜、呼び出されて鳴戸の部屋に行くと、鳴戸は冷蔵庫からアイスを取り出し、食べさせてくれたという。高安は「あの時、厳しくされていたら、今の自分はなかったかもしれない。師匠はよく見てくれていました」と、今は亡き恩師に感謝している[6]。高安の才能を評価していた鳴戸は、ある時期自分の付け人に高安を指名して、手取り足取り相撲のことを叩き込んだ[9]。三段目の上位まで番付を上げた頃、初めて稀勢の里に胸を出してもらったが、その時の感覚を後に高安は「何回ぶつかっても下がらない。全身の関節一つ一つがミシミシ来るような重さを感じた」と振り返る。こうした稽古を含め、1日100番を超える稽古で強くなっていった[9]。食事は1食7品目から8品目で野菜が多く、栄養食により高安の体は強くなっていった[9]。
2010年9月場所では、西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たし、内規により翌11月場所において新十両へと昇進し、舛ノ山(千賀ノ浦部屋、高安と同じく日比ハーフ)と共に、平成生まれでは初となる関取力士となった。十両昇進に際して「苦労がムダじゃなかった」「やめたいときもあった。両親の応援が支えになった」とコメントし、鳴戸は「三役、その上を狙える」と期待した[18]。十両に昇進した際も「一族が高安のしこ名で相撲を取ってくれたらありがたいと言っています」「『高安』姓をみんなに知ってもらいたい」と父が本名にこだわりを持っていることから下の名前も含めて変えず、大関昇進後も本名を一字も一音も変えずに取り続けている[10][19]。
十両昇進から大関候補に名乗りを上げるまで
新十両昇進を決めた直後の10月15日の秋巡業土浦場所では白鵬に胸を出してもらった。この日の白鵬は関取衆では最も多い18番を取って17勝1敗であったが、1敗は高安につけられたものであった[20]。後に高安は大関に昇進したので、白鵬には先見の明があったということになる[19]。
新十両で迎えた翌11月場所では、11勝4敗という好成績を挙げ、東十両3枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2011年1月場所でも、9勝6敗と勝ち越し、続く5月技量審査場所でも東十両筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決めて、翌7月場所において新入幕を果たした。高安と同時に十両に昇進した平成生まれの舛ノ山を一歩リードしての新入幕に「目指していた地位なのでうれしい」と素直に喜んだ。十両を3場所で通過した要因を「迷いがなく思い切った相撲が取れるようになった」と説明。父の強い勧めもあって、しばらくしこ名は本名の高安のままでいく。「精神力を鍛えてまずは勝ち越しをしたい」と抱負を語った。[21]しかしデイリースポーツにおける高安の記事の扱いは同時に入幕した「マツコ・デラックス激似」の宝富士と「負け越しで再入幕」という44年ぶり珍事の当事者となった高見盛に押されて小さな扱いだった[22]。
新入幕となった2011年7月場所では8日目の時点で7勝1敗と非常に好調で、後半戦では黒星が込んだものの最終的には9勝6敗と勝ち越した。幕内4場所目となる2012年1月場所では西前頭3枚目まで番付を上げ、8日目には横綱・白鵬と対戦し、平成生まれの力士としては初めて結びの一番を務めた[23]。同年5月場所では、自己最高位となる西前頭筆頭へと番付を上げたが、5勝10敗と大きく負け越した。翌7月場所でも、初日から8連敗と振るわず、後半には盛り返したものの6勝9敗と負け越した。翌9月場所では、初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決め、勝てば敢闘賞受賞が決定していた千秋楽の舛ノ山戦に敗れて三賞受賞はならなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げた。
2013年1月場所では、6日目から9連勝して10日目に勝ち越しを決め、12勝3敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した[24][25]。翌3月場所では3日目に横綱・日馬富士を破り自身初となる金星を獲得したものの[26]、結果的には5勝10敗と大きく負け越した。続く2013年7月場所では、3日目に横綱・日馬富士を上手捻りで破り2個目の金星を獲得し[27]、その後も5日目に鶴竜、6日目に琴欧洲の2大関を破って9勝6敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した[28]。翌9月場所では小結へ昇進し、平成生まれ初の三役力士となった[29]。[30]しかし、その場所では横綱・大関陣からは白星を挙げられず(琴欧洲の不戦勝を除く)、5勝10敗と大きく負け越した。翌11月場所は番付運に恵まれてわずか2枚半下降の東前頭3枚目の地位に就いたがここで3勝12敗の大敗を喫してしまう。
2013年末には、師匠の14代鳴戸(隆の鶴)が田子ノ浦に名跡を変更したことに伴う部屋移転に追われる苦労を味わった。田子ノ浦部屋の力士として迎えた2014年1月場所直前の2014年1月2日には、木刀を振るという独特の調整法[31]を実践している様子が伝えられていた。1月場所は終盤4連勝する追い上げもあって9勝6敗の勝ち越しとなった。
同年5月場所を東前頭8枚目での6勝9敗で終えた高安は、千秋楽の翌日に「優勝争いに絡みたい」と翌7月場所に向けての決意を固めるべく、母の故郷・フィリピンへ出掛け、マニラの議員会館でマニー・パッキャオを訪ねたり、母の兄弟と会うなどして過ごした。ちなみに高安がフィリピンを訪れるのはこれが初めてだったという。[32]13代鳴戸もパッキャオをボクサーとして気に入っており、稽古場で試合の話をすることが多かったという。[3]
西前頭11枚目の地位で迎えたその7月場所は、2012年9月場所以来となる中日勝ち越しを果たし、三役以上との対戦が、大関・琴奨菊ただ1人に留まった有利もあって優勝争いに最後まで加わるも、千秋楽の取組を終えて11勝4敗となった時点で、12勝3敗同士の優勝決定戦に望みをつなぐことは不可能となった。結局、優勝は13勝2敗の白鵬が勝ち取ったものの、2013年1月場所以来となる2ケタ勝利を収めた上に、敢闘賞を獲得する活躍を果たすことができた。[33]
東前頭3枚目の地位で迎えた11月場所は、白鵬に初めて勝利して唯一の黒星を付けた[34] 他、日馬富士・豪栄道と2横綱1大関を破る活躍で10勝5敗の好成績を挙げ、2つの金星が評価されて2度目の殊勲賞を受賞した。[35]
2015年春巡業のトーナメント戦では、優勝を果たして賞金100万円を手にし、これで弾みが付いたのか、直後の5月場所では10勝5敗の勝ち越しを収めた。[36]同年9月場所では、2日目に大関・豪栄道を撃破する星があったが、3日目の逸ノ城戦で左足を負傷し、「左下腿筋挫傷、左足関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出して4日目から途中休場(この日の栃煌山戦は不戦敗)、これが自身初の休場となった。[37]休場明けとなる翌11月場所は、場所前に稽古ができなかったと本人が語っていたが、9日目に勝ち越すなど好調であった。しかし10日目以降は13日目以外白星を挙げられず、終盤の失速により9勝6敗にとどまった。[38]
大関取りへ
2016年7月場所は、再小結で11勝4敗の好成績を挙げ、自身初めて技能賞を受賞した。翌9月場所は新関脇に昇進。一時は優勝争いするなど好調だったが終盤3連敗してしまい10勝5敗で場所を終えた。終盤の3連敗に対して「クソー」と言い残し、千秋楽の取組後の支度部屋では記者の質問に一切応じなかった。[39]しかし翌11月場所は大関取りの場所となり、昇進を預かる審判部の二所ノ関部長は「優勝争いに絡み、悪くても(昇進目安とされる直前3場所合計の)33勝だ」と12勝を大関昇進のノルマに設定した。[40]10月14日の秋巡業豊橋場所では照ノ富士と三番稽古をして12連勝と好調を示した[41]。しかし11月場所は6日目までに3敗、後が無くなったが中日の4敗目でこの場所での大関取りに失敗。さらに10日目には6敗目を喫したことで大関取りを次の場所に持ち越すことが不可能になった。そして中日から連敗が5になり、12日目に負け越し、関脇からの陥落を確定させた。それでも13日目から残りをすべて勝って7勝8敗と意地を見せた。12月9日の冬巡業天草場所では千代の国、正代、佐藤(現・貴景勝)、栃煌山、豪風、輝を相手に12番取り8勝4敗、体重が増えたせいか今一つ動きにキレがなく、佐藤(現・貴景勝)の突き押しに動き負ける場面が見られると伝えられた[42]。
2017年1月場所は再び東小結で白鵬、鶴竜の横綱2人と照ノ富士、豪栄道、琴奨菊の大関3人を倒す活躍を見せる。最終的には11勝、自身4度目の敢闘賞を受賞した。3月7日の田子ノ浦部屋の大阪場所の稽古場で30番連続で相撲を取って、横綱・稀勢の里と9勝14敗、出稽古に来た幕内・嘉風に6勝1敗と充実の稽古を行った[43]。3月場所は関脇復帰。初日から同部屋の横綱・稀勢の里と共に10連勝。同じ部屋の力士による初日からの10連勝は、2004年3月場所の高砂部屋の横綱・朝青龍と当時平幕の朝赤龍以来13年ぶり[44]。15日制定着後、同部屋の2関取のみが10戦全勝で並ぶのは史上初[45]。しかし11日目から3連敗。それでもこの場所は12勝3敗で殊勲賞を獲得。4月21日、父親の出身地であり自身も幼少期に数年間住んだことがある茨城県水戸市での春巡業に参加。偶然にも、前夜に宿泊したホテルの目の前はかつて、両親がレストランを開いていた場所で、当時は記憶も定かでない幼稚園の前の時代だが「懐かしい。思い出しますね。何となく覚えている。思い出すのは、父親と散歩したことかな」と懐かしんだ[46][47]。
5月場所前の5月2日には「初日から堂々とやって全勝を目指す」と強気の発言[48]。2017年5月28日、5月場所を11勝4敗で終え34勝を記録し、取組後、12代二所ノ関(若嶋津)審判部長が高安の大関昇進を議題とした緊急の臨時理事会を要請したと発表。大関昇進が確実となった。5月31日、高安は大関昇進伝達式で「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」と力強く口上を述べた[49]。昇進伝達式の直前に口上に関して高安は「自分が思っていることをストレートに言いたい。これからの覚悟や気持ちを込めて、伝えたいと思います」とコメントしており[17]、昇進伝達式の後には口上に入れた「正々堂々」について三役に定着する一年ほど前から温めていた言葉であると明かし「一番好きな言葉。この言葉を胸にやってきて、こういう日を迎えられるようになったら使おうと思っていた」と説明した[50]。大関昇進伝達式が行われた際、高安は次の7月場所について「やはりここ(大関)から上がるには、優勝しかない。目指してやります」と取材に答え、稀勢の里との優勝決定戦のイメージを問われ、10秒近く考え込んで「できたら最高ですね」と兄弟子超えの覚悟を決め、力強くうなずいた[51]。
大関昇進後
6月5日に本格的な稽古を再開。 本人によれば3日も稽古場で軽く汗を流したという。5日は相撲を取らず、すり足をしたり、若手に胸を出したりした。当面は基本運動や体幹強化に努める方針で「激しい稽古をしても、壊れない体をつくりたい」と説明した。5月の夏場所千秋楽で大関・照ノ富士の小手投げに屈した際に右肘を痛めたが「もう治った」と問題がないことを強調した[52]。6月26日に7月場所の番付発表がされ、番付上に大関として高安の名前が載った。初土俵から所要73場所での大関昇進はこの時点で史上9位のスロー記録[53]。7月場所の目標としては「ここから上(横綱)を目指すには優勝が必要になる。しっかりと15日間、堂々と相撲を取って優勝したい」と語った[54]。7月場所は3日目の11日に相撲ジャーナリストの荒井太郎が「場所前の稽古で調子の良かった大関高安関が、13勝で優勝すると予想している」と述べており[55]、実際10日目に勝ち越しを決めるなどここまでは順調であったが、11日目から14日目まで黒星続きと途端に崩れた。千秋楽の豪栄道戦では勝って連敗を4で止めたが、9勝6敗とやや振るわなかった[56]。なお、この場所の初日には初顔の北勝富士に敗れており、2009年11月場所の日馬富士(対嘉風)以来昭和以降4回目となる新大関の初日に初顔に敗れた記録となった(新大関で初顔相手の対戦は10例目)。この日には豪栄道、照ノ富士も相次いで敗れており、初日に3大関全員に土がついたのは1978年9月場所以来の、三重ノ海、旭國、貴ノ花以来[57]。2017年8月2日の夏巡業富山場所では体調不良で稽古土俵に上がらなかったものの[58]、19日の札幌場所では錦木と、時間の関係でストップがかかるまで計16番の三番稽古を行った。前日は阿武咲と相撲を取るなど横綱、大関陣でただ1人、連日の稽古。「自分はやらないとダメになる。どんな状況でもやらないと、巡業の生活リズムが悪くなる」と当然のように話した。支度部屋でも貴ノ岩らとキャッチボールに興じて「汗かきますね」。力が有り余っている様子だった[59]。 9月場所は初日白星。しかし2日目の玉鷲戦で玉鷲の激しい突き押しに防戦一方となり、半身になって右足一本で土俵に残ろうとした際右太ももを痛めた。高安は負けて礼を行おうと土俵に戻ったが既にこの時は足を引きずっており、その後車椅子で相撲診療所へ向かった。その後、高安は「右大腿筋群損傷」の診断書を相撲協会に提出して休場、3日目の北勝富士戦は不戦敗[60]。秋巡業を全休した高安は、その間に治療と並行してトレーニングを行った。ギプスが外れて松葉づえなしで歩けるようになったのは10月上旬。10月31日、福岡県大野城市の田子ノ浦部屋の九州場所稽古場で稀勢の里と稽古を行い、1勝10敗と稀勢の里の復調を印象付ける結果となった。大関3場所目でいきなり角番となった高安だが「気楽にやる。切羽詰まってやると、自分の相撲が取りきれない。今場所がダメなら来場所、という気持ちでやる」といい、今後は出稽古も見据えて調整していく方針を示した[61]。歩けるようになった時期が遅いだけに、場所前の相撲雑誌の記事では11月場所での活躍の可能性は薄いと見られていた[62]。 11月場所は初の角番だったが3日目の阿武咲戦で相手が足を滑らせる幸運な白星を収めた[63]こともあって11日目に勝ち越しを決める。しかし12日目の取組で負傷。13日目から「右内転筋筋損傷で3週間程度の加療を要する」との診断書を提出して休場した。13日目の豪栄道戦は不戦敗[64][65]。田子ノ浦によると「先場所と同じところを痛めた。歩くことはできるものの、相撲を取るのは厳しい。最後まで出てほしかったが、ここでけがが長引いて悪化したらいけないと判断した」という[66]。大関としての真価が問われる2018年1月場所は7日目まで4勝3敗と前半もたついたものの、残りを全て勝って12勝3敗と自身初となる大関での二桁白星を果たすと同時に2差だが優勝次点を記録。続く3月場所は初日から連敗してしまうもその後12日目まで連勝し、2敗で優勝争い。しかし12日目に千代丸に敗れ連勝がストップ。優勝を逃してしまう。しかし、その後は再び連勝し、千秋楽は取り直しとなった一番で横綱・鶴竜を倒し、12勝3敗で2場所連続の優勝次点を記録した。4月3日の春巡業堺場所では三番稽古で阿炎、正代、関脇・御嶽海と計12番取って11勝[67]。5月場所は、初日より、「左上腕三角筋部分断裂で約3週間の安静と加療を要する」との診断書とともに休場を届け出た。翌7月場所は、自身2度目の角番となる。迎えた7月場所は、立ち合いの馬力が戻っておらず、本来の姿を見せることができずに辛うじて白星を手にすることも多く3日目と6日目に黒星を喫したが、9日目の時点で2敗と優勝争いに残っていた。だが、そこから魁聖、逸ノ城と巨漢相手に連敗。そして12日目に、全勝で優勝争いの先頭に立っていた西関脇の御嶽海の取り組みで、押され込んでしまうも、土俵際の突き落としで物言いのつく相撲に。軍配は、御嶽海にあがったものの軍配差し違えで勝利。大関の意地を見せた。同時に角番を脱出する。しかし、14日目から豊山、豪栄道と呆気ない相撲で敗れ場所を9勝6敗で取り終えた。8月31日に行われた横綱審議委員会の稽古総見は腰痛などで回避したが、9月2日の時津風部屋への出稽古では部屋の豊山、同じく出稽古に来ていた朝乃山と相撲を合計19番取り、14勝した。 高安は熱のこもった稽古にも「8分目くらいでしょう」とはぐらかした[68]。9月場所では、3大関で唯一の、初日から7連勝。3日目の千代大龍戦は押し込まれてからの叩き込みで勝利したため「負けみたいな相撲。なんで勝ったのか、よくわからない」と納得していなかった[69]。しかし、中日で正代に引き落とされて初黒星を喫し、昨年春場所以来の中日勝ち越しとはならなかったが、翌日には勝ち越し。10日目には、1敗で並んでいた大関の豪栄道を下すも、翌日には、全勝の横綱・白鵬に呆気なく敗れるなど、終盤失速し、11勝4敗で場所を終えた。
取り口など
基本的に突き押しを得意としており[70]、13代鳴戸からは、入門当初より「当たってひたすら突っ張れ」と教え込まれた。[13]一方で、左四つからの寄り身も強みである[70]。差し手の返しが多少甘くても、胸を合わせて体力で押し込む場合が多い。前述のように上手捻りも得意としており[70]、投げは左四つになれば上手からでも下手からでも出る[71]。攻めが速いので出足が鈍い力士には相性が良い。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「足腰が硬い印象はあるけど、そこを分かった上で相撲を取っている印象」と体質と取り口の兼ね合いについて好評価していた。[72]豪栄道との対戦成績は18勝9敗(不戦勝1を含む)と大きく勝ち越しており、2013年7月場所に初黒星を喫するまで豪栄道には初顔から6連勝していた。足腰は堅いが上体は柔らかく、鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「ちょっと力が上に抜けてやりづらい相手でしたね。突っ張っても力が上に逃げてしまうというか、ほかの力士にないものを持っていますね」と高安の体質について現役時代の取組の感想と共に話している[71]。2016年11月場所前には左四つ一本の力士になろうと決めたが、実際に左四つ中心の相撲を試して負け越したため諦めている[73]。叩きも上手く、無理して攻める相手にはいなしてタイミングよく落とすことが多い[71]。2017年7月場所前のコラムでは舞の海が「夏場所(2017年5月場所)の高安は、叩きが多かったことで、やや批判的な声もありますが、自分はあまり悪い印象はないですね。高安の叩きは苦し紛れではなく、馬力で圧倒しておいての引き技なので、危なげがないです。それだけ馬力、押し込みが強いとも言えます。相撲は押して勝つ、寄って勝つですが、バランスの崩し合いなんです。たとえばはたき込みだけで8番勝ったとすれば、それはもうその力士の芸なんですよ(笑)」と評価している[74]。大関候補に名乗りを上げてから本人は「突っ張ってから展開する相撲が合っている」と考えるが、実際は突っ張りだけで勝負が決まることも増えている[70]。強烈なかち上げや、突き、押しを軸に大関の地位を手に入れたが、昇進直後の記事では「これまでやってきた自分のスタイルを強化していく」と力強く言い切った。[52]2017年9月場所前の座談会では西岩(元関脇・若の里)が「コンスタントに二桁白星を挙げるには、上体が伸びあがるようなかち上げはやめたほうがいいと思います。かち上げはいいと思うんですよ。ただ、膝を曲げてもっと低い体勢からいってもらいたい」と話している[75]。
一方で、腰高で脇が甘いので守勢に回ると脆く、特に差し身の上手い相手には苦労しており、諸差し(もろさし)からの速攻を得意とする栃煌山は大の苦手で、対戦成績は7勝19敗(不戦敗1を含む)と大きく負け越している。また、機動型の力士も苦手としており、稽古場では兄弟子の隆の山を苦手としていた。[76]2017年5月場所前の時点では、稽古場で稀勢の里と三番稽古を行うと五分近い割合で勝ち、時には勝ち越す日もある[77]。大関昇進直前の時期になると立合いでもたついて守勢に回っても巧さで勝つことが増え、2017年5月場所12日目の宝富士戦などは左下手を取られかけ、とっさに右から上手で振り回し、俵を前に一瞬2人が横並びになったところで懸命に右上手投げを決めた[78]。2017年7月場所後の座談会では錣山が「上体が起きたかち上げなので、みんなが覚えてきたら中に簡単に入れます。栃煌山戦もそうですし、そっくり返ってかち上げるので中に入りやすいです最も体を丸くして前傾姿勢でかち上げていけば、また別な高安を見ることができると思います」と前途を案じつつ助言を行っており、さらに叩きが増えたことも指摘している。阿武松も同調するかのように、突っ張りが減ったことを指摘している[79]。2017年8月10日の日立場所では白鵬から「左の使い方を工夫するように」とアドバイスを受けている[80]。2017年9月場所前の黒姫山のコラムでは「高安は稀勢の里と違って左を差して十分ではない。左四つになって右上手を取って初めて十分な体勢になる。かち上げから突き放して相手を起こし、左四つに組み止めるという攻めをもう一度、磨き直してほしい」と言われている[81]。2018年1月場所後の記事では、藤島(元大関・武双山)から「。立ち合いの体当たりからの馬力はすごいが、上を狙うには違う立ち合いも身につけることだ」と意見されている[82]。
四つになると捻りを含めて器用さを見せるがたまにその器用さが裏目に出て敗戦を喫することがあり、甲山(元幕内・大碇)がその点を指摘している。実際に2017年3月場所などは前捌きに頼った四つ身の相撲を取ったことが裏目に出て11日目から3連敗しており、阿武松(元関脇・益荒雄)は場所後の座談会で高安に対して「終盤戦は相手を見るようになり、そしてさばく守りの相撲でした。何をやっているんだという感じの相撲になりました。もっと突っ張って攻めるべきです」と注文を付けている[83]。とはいえ器用さが白星を生むことも事実であり、実際に2017年5月場所5日目の遠藤戦などは、下から両手であてがって起こそうとしたが「起こしきれない」と判断すると、相撲内容を瞬時に変更、前に出ていた圧力を利用しながら左を差し、まわしを取って胸を合わせる相撲で寄り切った[84]。
メンタルが強い印象を持たれることがあり、雷(元小結・垣添)などが2017年3月場所前の座談会で「あの大一番(2017年1月場所の白鵬戦)でむしろ、楽しんでいる印象すらある。表情を見ていても、硬くなっている感じは全くしない」と話している[85]。
星取表に現れる特徴としては、序盤の出遅れが目立つ[86]。大関昇進に近づくにつれて体重が増えた影響なのか、2017年7月場所後の武蔵川のコラムではスタミナ不足を指摘されるようになり、そのコラムでは「13日目の白鵬戦なんて、途中から息が切れてるんだもの。どこかの幕下力士かと思ったよ」と酷評された[87]。2018年1月場所では相手を受けてからどうにかする相撲に終始し、やはりスタミナ不足により長期戦で疲れて相撲が雑になることで星を落とした[88]。
合い口
- 2018年7月場所終了現在
- 第69代横綱・白鵬には2勝16敗と大きく負け越している。初白星は初金星。直近では2017年1月場所で押し出しで勝利した。
- 第71代横綱・鶴竜には7勝12敗(不戦勝1有り)となっているが、2016年以降の対戦成績は4勝3敗(不戦勝1除く)と高安の方が勝ち越している。直近では2018年3月場所で勝利した。
- 先輩大関・豪栄道には18勝10敗(不戦勝・不戦敗各1有り)と大きく勝ち越している。特に、初顔から6連勝をするなど圧倒的な差をつけていた。その後はやや合口が悪くなったものの、不戦敗を除くと2017年1月場所以降は再び高安が6連勝している。
- 元大関・琴奨菊には14勝11敗。初顔から5連敗を喫するなど2016年3月場所までは3勝11敗と合口がかなり悪かったものの、その後の2016年7月場所から11連勝中である。
- 元大関・照ノ富士には8勝7敗とほぼ互角。2015年1月場所から2016年3月場所にかけて5連敗していたが、その後の2016年7月場所から2017年3月場所までは逆に5連勝していた。
- 玉鷲には9勝10敗と苦手にしており、特に2016年~2017年にかけては2017年5月場所から11月場所にかけて4連敗を喫するなどして2勝6敗と大きく負け越していた。
- 前述したが、栃煌山には7勝19敗(不戦敗1有り)と大きく負け越している。特に、2012年7月場所から2013年9月場所にかけて8連敗、2014年3月場所から2015年7月場所まで5連敗を喫するなど圧倒的な差をつけられていた。しかし、2016年以降は5勝3敗と高安の方が勝ち越している。
- 以下、引退力士
- 第70代横綱・日馬富士(2017年11月場所後に引退)には5勝15敗であった。2017年5月場所では日馬富士に勝利して大関昇進を決定付けた。
エピソード
- 普段は穏やかな人物であり、13代鳴戸からは「土俵に入ったら人格を変えろと」と闘志を出すように助言されていた[89]。
- チャールズ・チャップリンの化粧廻しを持っている[90]。
- 2017年5月31日放送のTBS系『ビビット』で高安の大関昇進伝達式会場から生中継したMCの真矢ミキから伝達式で高安がどんな口上を述べるかを聞かれた上路雪江リポーターは「高安関は、正々堂々という言葉が大変お好きということで、もしかしたら、その四字熟語が入るかもしれません」と予想した[91]。
- 苗字「高安」は現在の大阪府・八尾市で発祥したと言われており、飛鳥時代の667年に天智天皇が高安山に高安城を築城し、その豪族の一つが高安氏となり今も受け継がれている[91]。
- 自身の大関昇進確定直後、近鉄「高安駅」に近い商店街では高安フィーバーが起きていることが報じられ、地域のふとん店が手作りの特大サイズの座布団を通常の1万円から7000円にして販売。パン店では「高安大関ツイッペ」と呼ぶ特製のパンを200円で販売。
- 自身と同じ名前の、京都市左京区のラーメン店「中華そば高安」も、高安関の活躍と共に知名度を更に伸ばしている[92]。
- 2017年4月時点では、入門以来、母親の誕生日である9月16日には負けたことがない[93]。
- 2017年6月8日、東京都江戸川区東小松川のボートレース江戸川で行われたイベント「地元若手プロアスリートトークショー」に参加した。午後1時すぎから、同じ江戸川区を地元に活躍する女子ボートレーサーの富樫麗加と1回目のトークショーを行った。同年5月23日、大関取りのかかる高安は夏場所10日目で白鵬に敗れ2敗目を喫した。落胆で部屋に戻ったが、富樫の参加していた「トランスワードトロフィー2017男女W優勝戦」(富樫はこのレースで初優勝を果たした)を見て一転。「すごく落ち込んでいたのが、レースを見て鳥肌が立って、翌日以降のいいモチベーションになりました」と、大関取りにつなげたエピソードを明かした。富樫との2回目のトークショーでも「好物は煮魚」「ケーキよりプリンが好き」などリップサービス。司会者のリクエストに応じ、富樫をお姫様抱っこするサービスも見せた。最後には、優勝選手への花束贈呈のセレモニーなどでイベントに花を添えた高安。ボート場のファンから「横綱になれよ!」のかけ声も飛んだ[94][95]。
- 2017年3月場所前、13代鳴戸がかつて自分に対してそうしたように、一気に5人加入した新弟子にアイスを振る舞った[9]。
- 入門前から1日4食と大食漢であり、体ができあがった現在でも1食に丼飯4杯から5杯を食べ、その他に、外食、間食を行う。本人は「増やそうと思えば体重は200㎏までいける」という[9]。
- 体幹を鍛えるため道具としてウォーターバッグを利用している。2017年4月の春巡業加東場所では付け人の手違いによってそれが東京に送られてしまったが、高安は付け人に一時帰京の際に取りに帰らせ、直後の藤沢場所でウォーターバッグを抱えてすり足を行った[9]。
- 2017年7月場所終了時点の報道では、東京場所では両親が送迎車の運転手を務めているという[96]。
- 好きな漫画はONE PIECE。2017年7月場所終了時点の報道では、全巻揃えているという[96]。
- 山根千佳によると、体毛の薄い時の高安は調子が良いとのこと。体毛が薄いということは稽古で体毛が擦り切れているということであるという理由からこのジンクスが成り立つ[97]。
- 2017年7月場所3日目には「勝負」とかけて菖蒲の染め抜きで場所入りした[98]。
- 高安の顔写真がプリントされた菓子商品「高安サブレー」が日本相撲協会から公認され、土浦の新たな名産品として9月から販売が始まった。商品は同市東真鍋の菓子製造販売会社、久月総本舗(横山和裕社長)が売り出した。同社は相撲協会と高安の商品の製造販売の1年契約を結んだ。高安の顔写真と「高安関 正々堂々 大関相撲」などの応援の言葉が、かまぼこと同じ自然着色料を使ってプリントされている[99]。
- 2017年9月場所千秋楽祝賀会では、加藤紗里が稀勢の里に花束を贈呈し、細川たかしが高安・稀勢の里とともに酒樽を割る鏡開きをしたが、愛想よく振る舞う稀勢の里に対して高安は仏頂面をしながら出席者に対応していた。細川は高安をステージ壇上に誘い、「まだ独身だそうですが、交際相手はいらっしゃるのですか? 好きな女性のタイプはいますか?」と質問したが、これに高安は仏頂面で「いいえ」と答えるだけで、これには場内に白けたムードが漂い、長続きせず。角界関係者からは「ダメだなあ」という声が飛び、そこで細川は慌てて西岩をステージに上げ、半ば強制的にビールの一気飲みをさせて取り繕った。高安がファンサービスを得意としないことを表わすエピソードである[100]。
- 歌がうまい。2016年2月21日に放送されたNHK福祉大相撲の「お楽しみ歌くらべ」においては、May J.といとしのエリーを披露している。
- 2018年2月10日の第51回NHK福祉大相撲では、水森かおりと『カナダからの手紙』をデュエット、ソロでは『冬のリヴィエラ』を歌った[2]。
- 琴剣の著書『相撲めし』(扶桑社)によると「あっさり勝つ」に繋がることからアサリの味噌汁ととんかつを験担ぎとして好む[101]。
- 2018年7月場所にはユリの描かれた浴衣で場所入りした[102]。
主な成績
2018年7月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:489勝392敗40休(勝率:0.555)
- 通算在位:80場所
- 幕内成績:329勝276敗40休(勝率:0.544)
- 幕内在位:43場所
- 大関成績:51勝25敗29休(勝率:0.671)
- 大関在位:7場所
- 三役成績:73勝47敗(勝率:0.608)
- 三役在位:8場所(関脇4場所、小結4場所)
各段優勝
- 幕下優勝:1回(2010年9月場所)
三賞・金星
- 三賞:9回
- 殊勲賞:3回(2013年7月場所、2014年11月場所、2017年3月場所)
- 敢闘賞:4回(2013年1月場所、2014年7月場所、2016年9月場所、2017年1月場所)
- 技能賞:2回(2016年7月場所、2017年5月場所)
- 金星:4個(日馬富士3個、白鵬1個)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2005年 (平成17年) | x | (前相撲) | 西序ノ口29枚目 4–3 | 西序二段129枚目 4–3 | 東序二段98枚目 4–3 | 東序二段73枚目 4–3 |
2006年 (平成18年) | 西序二段48枚目 2–5 | 西序二段78枚目 3–4 | 西序二段98枚目 5–2 | 東序二段44枚目 3–4 | 西序二段67枚目 4–3 | 西序二段41枚目 5–2 |
2007年 (平成19年) | 西序二段5枚目 4–3 | 東三段目86枚目 5–2 | 東三段目55枚目 5–2 | 西三段目27枚目 3–4 | 西三段目41枚目 4–3 | 東三段目26枚目 5–2 |
2008年 (平成20年) | 東三段目2枚目 3–4 | 東三段目11枚目 4–3 | 西幕下59枚目 4–3 | 西幕下51枚目 3–4 | 東三段目5枚目 4–3 | 東幕下54枚目 5–2 |
2009年 (平成21年) | 東幕下39枚目 2–5 | 東三段目3枚目 4–3 | 東幕下54枚目 4–3 | 東幕下44枚目 4–3 | 西幕下36枚目 5–2 | 東幕下27枚目 4–3 |
2010年 (平成22年) | 西幕下22枚目 4–3 | 西幕下18枚目 5–2 | 西幕下10枚目 4–3 | 東幕下6枚目 2–5 | 西幕下13枚目 優勝 7–0 | 東十両11枚目 11–4 |
2011年 (平成23年) | 東十両3枚目 9–6 |
八百長問題 により中止 | 東十両筆頭 8–7 | 東前頭11枚目 9–6 | 東前頭6枚目 6–9 | 西前頭8枚目 9–6 |
2012年 (平成24年) | 西前頭3枚目 6–9 | 東前頭7枚目 10–5 | 西前頭筆頭 5–10 | 西前頭5枚目 6–9 | 西前頭9枚目 10–5 | 東前頭4枚目 5–10 |
2013年 (平成25年) | 東前頭7枚目 12–3 敢 | 東前頭筆頭 5–10 ★ | 西前頭5枚目 8–7 | 西前頭筆頭 9–6 殊★ | 西小結 5–10 | 東前頭3枚目 3–12 |
2014年 (平成26年) |
東前頭9枚目 9–6 |
西前頭3枚目 5–10 |
西前頭8枚目 6–9 |
西前頭11枚目 11–4 敢 |
東前頭2枚目 7–8 |
東前頭3枚目 10–5 殊★★ |
2015年 (平成27年) |
東小結 6–9 |
東前頭3枚目 3–12 |
西前頭8枚目 10–5 |
東前頭2枚目 6–9 |
西前頭3枚目 1–3–11[103] |
西前頭12枚目 9–6 |
2016年 (平成28年) |
西前頭8枚目 11–4 |
西前頭筆頭 5–10 |
西前頭5枚目 9–6 |
西小結 11–4 技 |
東関脇 10–5 敢 |
東関脇 7–8 |
2017年 (平成29年) |
東小結 11–4 敢 |
西関脇 12–3 殊 |
西関脇 11–4 技 |
東大関2 9–6 |
東大関1 1–2–12[104] |
東大関1 8–5–2[105][106] |
2018年 (平成30年) |
西大関1 12–3 |
東大関1 12–3 |
東大関1 休場[107] 0–0–15 |
西大関1 9–6[108] |
西大関1 11–4 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
2018年7月場所終了現在
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 7 | 10 | 朝赤龍 | 4 | 0 | 旭日松 | 1 | 0 | 安美錦 | 2 | 9 |
阿夢露 | 2 | 0 | 荒鷲 | 3 | 0 | 阿覧 | 0 | 6 | 勢 | 11 | 4 |
逸ノ城 | 4 | 4 | 遠藤 | 7 | 7 | 大砂嵐 | 3 | 0 | 隠岐の海 | 11 | 3 |
魁聖 | 8 | 5 | 臥牙丸 | 6 | 2 | 鏡桜 | 1 | 0 | 鶴竜 | 7(1) | 12 |
北太樹 | 8 | 2 | 木村山 | 1 | 0 | 旭秀鵬 | 3 | 2 | 旭天鵬 | 3 | 1 |
豪栄道 | 18(1) | 10(1) | 黒海 | 1 | 0 | 琴欧洲 | 2(1) | 2 | 琴奨菊 | 14 | 11 |
琴勇輝 | 2 | 1 | 磋牙司 | 1 | 1 | 佐田の海 | 3 | 0 | 佐田の富士 | 3 | 1 |
里山 | 1 | 0 | 常幸龍 | 4 | 3 | 正代 | 6 | 2 | 翔天狼 | 6 | 3 |
松鳳山 | 8 | 5 | 蒼国来 | 4 | 2 | 大栄翔 | 2 | 0 | 大道 | 3 | 0 |
貴ノ岩 | 3 | 2 | 高見盛 | 1 | 0 | 宝富士 | 13 | 4 | 豪風 | 4 | 10 |
玉飛鳥 | 2 | 0 | 玉鷲 | 9 | 10 | 千代鳳 | 2 | 3 | 千代翔馬 | 2 | 0 |
千代大龍 | 8 | 3 | 千代の国 | 4 | 1 | 千代丸 | 1 | 1 | 照ノ富士 | 8 | 7 |
天鎧鵬 | 0 | 1 | 時天空 | 5 | 4 | 德勝龍 | 3 | 3 | 土佐豊 | 1 | 0 |
栃煌山 | 7 | 19(1) | 栃ノ心 | 9(1) | 7 | 栃乃洋 | 1 | 0 | 栃乃若 | 4 | 6 |
豊ノ島 | 5 | 7 | 豊響 | 7 | 5 | 白鵬 | 2 | 16 | 把瑠都 | 2 | 2 |
日馬富士 | 5 | 15 | 英乃海 | 0 | 1 | 富士東 | 3 | 1 | 寶智山 | 2 | 0 |
豊真将 | 4 | 3 | 誉富士 | 1 | 1 | 舛ノ山 | 2 | 1 | 御嶽海 | 10 | 3 |
雅山 | 5 | 1 | 妙義龍 | 4 | 11 | 嘉風 | 10 | 10 | 若荒雄 | 1 | 3 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2018年7月場所終了現在、現役力士)
四股名
髙安 晃(たかやす あきら)(2005年3月 - )
ギャラリー
- Kisenosato Yutaka1.jpg
奉納土俵入りの稀勢の里関と太刀持ちの高安関(明治神宮 2017年1月27日撮影)
- Takayasu-3.jpg
稽古場の高安関(2014年1月2日撮影)
- Takayasu-4.jpg
稽古場の高安関と隆の山関(2014年1月2日撮影)
脚注
- ↑ 『相撲』2013年11月号33頁の記述によると、「序二段の頃に自然に稽古場でやるようになった。」と本人が証言しており、13代鳴戸が右上手から放つのとは異なり左右どちらからでも放つ。
- ↑ 2.0 2.1 『相撲』2018年3月号 p.12-13
- ↑ 3.0 3.1 公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』18pから19p
- ↑ 高安が幼なじみ秋元才加の観戦に応え白星2敗守る
- ↑ 秋元才加、印象一番は「もちろん髙安関、格好いい」
- ↑ 6.0 6.1 6.2 「脱走常習」の高安を大関昇進に導いたひと(2/4ページ) YOMIURI ONLINE 2017年06月01日 17時30分
- ↑ 毎日新聞2017年6月1日 東京朝刊
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.84-86
- ↑ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 9.13 9.14 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p8-12
- ↑ 10.0 10.1 10.2 新大関・高安 稀勢の十両昇進が転機 父とアポなしで鳴戸部屋へ Sponichi Annex 2017年5月29日 09:00
- ↑ 11.0 11.1 大相撲 高安晃(下) 兄弟子・稀勢の躍進から刺激 「次は自分がオープンカーに」 日本経済新聞 2017/5/10付
- ↑ 『相撲』2012年3月号 ちなみに兄も弟にあたる高安(晃)に負けず劣らずの巨漢であり、晃と兄弟喧嘩をすると母親ではとても止められなかったという。
- ↑ 13.0 13.1 『相撲』2016年9月号28ページ
- ↑ 新大関・高安、相撲イヤで脱走7回 身にしみた父の一言 朝日新聞DIGITAL 2017年5月31日18時15分
- ↑ 『相撲』2016年4月号
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号7頁
- ↑ 17.0 17.1 高安、口上に「自分で言う言葉だから自分で考えた」 日刊スポーツ 2017年5月31日9時15分 紙面から
- ↑ デイリースポーツ2010年9月30日付紙面より
- ↑ 19.0 19.1 「脱走常習」の高安を大関昇進に導いたひと(3/4) 2017年06月01日 17時30分 YOMIURI ONLINE
- ↑ デイリースポーツ2010年10月16日付紙面より
- ↑ デイリースポーツ2011年6月28日付紙面より
- ↑ 祝「日本出身平成生まれ初」大関昇進!高安の軌跡をまとめてみた デイリースポーツ 2017.5.30
- ↑ “平成生まれ初の幕内力士・高安 敗れても充実感”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年1月15日) . 2013閲覧.
- ↑ 記者クラブは千秋楽に13勝目を挙げることを条件に技能賞受賞も推薦していた。
- ↑ “高安が初の敢闘賞 3敗目も満足「日頃からの稽古の成果」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年1月28日) . 2013閲覧.
- ↑ “高安 日馬撃破!平成生まれ初金星、実感なし「何が何だか」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月13日) . 2013閲覧.
- ↑ “稀勢弟弟子が“援護”高安また金星「自信」2戦2勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月10日) . 2013閲覧.
- ↑ “5場所ぶり殊勲賞選出 1横綱2大関破った高安が初受賞”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月21日) . 2013閲覧.
- ↑ “高安が新三役、遠藤は最速で入幕…大相撲秋場所”. 読売新聞. (2013年9月2日)
- ↑ 本名三役も2004年3月場所に同時新小結を果たした霜鳥典雄、垣添徹以来の記録となる。
- ↑ 知り合いの合気道家から教わった調整法であり、腕の筋や腱、手首等を鍛え脳を活性化する目的であるという。
- 『大相撲ジャーナル』2014年4月号106頁
- ↑ 高安がパッキャオ効果で3連勝 2014年7月16日 紙面から
- ↑ 高安、平幕2年ぶりVへ今日琴奨菊戦 nikkansports.com 2014年7月26日10時10分 紙面から
- ↑ 白鵬にとっては2013年1月場所3日目(妙義龍戦)以来10場所ぶりの金星配給で、史上1位だった対平幕戦の連勝記録が82で止まった。また、この日は6日目だったため、同様に史上1位だった中日勝ち越しの連続記録も10場所で止まった。
- 白鵬、668日ぶり金星配給 平幕連勝記録も82でストップ スポニチアネックス 2014年11月15日(2014年11月25日閲覧)
- ↑ “高安、金星2つで殊勲賞 三役復帰も濃厚「精進したい」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年11月24日) . 2014閲覧.
- ↑ 『相撲』2015年6月号70ページ
- ↑ 高安が左下腿筋挫傷などで休場 逸ノ城戦で痛める 日刊スポーツ 2015年9月16日(2015年9月27日閲覧)
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年1月号43頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号7ページ
- ↑ 高安、敢闘賞受賞も終盤で3連敗「本当に駄目。後味悪い」/秋場所 SANSPO.COM 2016.9.26 05:01
- ↑ 『相撲』2016年11月号18ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号30ページ
- ↑ 大関候補の高安、30番連続稽古「自分の人生のために闘う」 SANSPO.COM 2017.3.7 15:01
- ↑ 春場所 稀勢の里と高安がともに10戦全勝 NHK NEWS WEB 3月21日 20時23分
- ↑ 史上初!同部屋2関取のみが10連勝!稀勢の里、高安で達成! 2017年3月21日17時57分 スポーツ報知
- ↑ 高安に大歓声「懐かしい」父親の地元水戸で春巡業 日刊スポーツ 2017年4月21日17時9分
- ↑ 『大相撲中継』2017年5月27日号46頁
- ↑ 東京新聞 2017年5月2日 朝刊
- ↑ 大関昇進の高安、口上で「正々堂々と精進」 日本経済新聞 2017/5/31 10:22
- ↑ 東京新聞 2017年5月31日 夕刊
- ↑ 東京中日スポーツ 2017年6月1日
- ↑ 52.0 52.1 2017/6/6付日本経済新聞 朝刊
- ↑ 日刊スポーツ 2017年6月27日
- ↑ 毎日新聞 2017年6月26日 東京夕刊
- ↑ 岐阜新聞 2017年 7月12日
- ↑ 新大関高安、反省の9勝6敗「巡業で心と体を鍛えたい」 デイリースポーツ 2017.7.23
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p86
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p10
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「takacha
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 pp.12-13.
- ↑ 稀勢の里 九州場所へ稽古再開 高安を圧倒「これから右肩上がりに上げていかないといけない」 Sponichi Annex 2017年10月31日 15:51(2017年11月5日閲覧)
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p67
- ↑ かど番・高安、ラッキー3連勝!新小結・阿武咲が足滑らせ引き落とし/九州場所 SANSPO.COM 2017.11.15 05:01(産経新聞社、2017年11月24日閲覧)
- ↑ 高安、右脚痛め休場 田子ノ浦親方「けがが長引いて悪化したらいけない」/九州場所
- ↑ 毎日新聞2017年11月24日 東京夕刊
- ↑ 高安休場 北勝富士戦で負傷「相撲取るのは厳しい」 日刊スポーツ 2017年11月24日12時26分(日刊スポーツ新聞社、2017年11月24日閲覧)
- ↑ 高安 稽古量増やして優勝狙う Sponichi Annex 2018年4月4日 05:30(スポーツニッポン新聞社、2018年4月4日閲覧)
- ↑ 高安、出稽古で豊山と朝乃山を圧倒も「8分目くらい」と淡々 2018年9月2日12時50分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年9月3日閲覧)
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.60
- ↑ 70.0 70.1 70.2 70.3 日本経済新聞夕刊 2017年5月9日掲載
- ↑ 71.0 71.1 71.2 『大相撲ジャーナル』2016年12月号57ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号58頁
- ↑ 東京新聞 2017年5月16日 朝刊
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p18-19
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p23
- ↑ 叩き上げ高安 ホープ遠藤叩き2敗死守、残ったV争い Sponichi Annex
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号7頁
- ↑ 東京新聞 2017年5月26日 朝刊
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p14
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p12
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- ↑ 大揺れ初場所での熱戦を評価したい SANSPO.COM 2018.1.29 05:00(産経新聞社、2018年1月31日閲覧)
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- ↑ 東京新聞 2017年5月19日 朝刊
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号58ページから59ページ
- ↑ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P160
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p11
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.6-7
- ↑ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p108
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.60
- ↑ 91.0 91.1 大関昇進の高安、ゆかりの土地のフィーバーぶり紹介 2017年5月31日9時21分 スポーツ報知
- ↑ 新大関・高安関のルーツは大阪・八尾にあり 地元商店街が応援、同名の京都人気ラーメン店も盛況 産経West 2017年6月3日、2018年7月8日閲覧。
- ↑ 週刊FLASH 2017年4月11日号
- ↑ 新大関高安が「お嬢様レーサー」とトークショー 日刊スポーツ 2017年6月8日17時47分
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p105
- ↑ 96.0 96.1 週刊女性2017年8月1日号
- ↑ 週刊女性2017年7月25日号
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p109
- ↑ 「高安サブレー」誕生 相撲協会公認 顔、応援の言葉印刷 茨城新聞クロスアイ 2017年10月2日
- ↑ 大相撲大関・高安の“塩対応”に心配の声、親方衆も「どうかなあ」「だめだなあ」と…… 日刊サイゾー 2017.10.15 (2017年11月5日閲覧)
- ↑ 「ちゃんこってなんですか?」ド素人の質問を元力士&漫画家の琴剣淳弥さんにぶつけてみた【相撲メシ】メシ通 2018-03-30 (リクルート、2018年4月12に閲覧)
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.66
- ↑ 左下腿筋挫傷及び左足関節靱帯損傷のため4日目から休場
- ↑ 右大腿筋群損傷のため3日目から休場
- ↑ 角番
- ↑ 右内転筋筋損傷のため13日目から休場
- ↑ 左上腕三角筋部分断裂により初日から休場
- ↑ 角番
関連項目
外部リンク
- 高安 晃 - 日本相撲協会
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
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十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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