豊ノ島大樹

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豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年6月26日[1] - )は、高知県宿毛市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は梶原 大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ、いきちゃん。身長169cm、体重158kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。明るい性格。趣味は音楽鑑賞、カラオケ釣りボウリングなどと多種多様である。最高位は東関脇2012年5月場所)。

座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山普天王らとも仲が良い。下戸でありは飲めない。持病としててんかんを持っている。夫人は、元歌手の竹内沙帆[2]。はとこに、女子サッカークラブAC長野パルセイロ・レディース國澤志乃がいる[3]

来歴

豆腐店の長男として生まれる。小学校時代、毎朝特大のおにぎり6個(米6合分)を食べて登校するなどして力士としての素養を磨いていた。小学校1〜3年生まではサッカーをやっていた。中学3年時に全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝を果たし、宿毛高校へ進学後、2001年に行われた宮城国体では県少年選抜チームの1人として相撲競技の団体優勝に貢献した。因みに、宿毛高校相撲部時代の恩師は土佐ノ海の弟であった。
高校卒業直前の2002年1月場所に初土俵、父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、時津風部屋に入門。同期入門に中学時代からのライバルであり親友でもある琴菊次(現・琴奨菊)がおり、序ノ口、序二段では琴菊次との優勝争いを制している[4]第15代時津風親方には「相撲人生を左右する時期に、いい意味で厳しく育ててもらった」と後年述懐しており、第15代時津風親方の付き人を務めたこともある。第15代時津風親方が指導を巡る事件(後述)を起こしてからは二度と直接会うことがなかったが、訃報を聞いた際には「おかげで関取になれたので」と好意的な立場であることを示した[5]

2004年5月場所に新十両へ昇進し(西十両13枚目)、第二検査受検合格者としては初の関取となった。十両は2場所で通過し、同年9月場所に新入幕(西前頭15枚目)。その場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所は十両へ陥落(東十両筆頭)するも、翌2005年1月場所で再入幕(東前頭17枚目)。同年7月場所は東前頭16枚目で6勝9敗と負け越し、翌9月場所には再び十両へ陥落(西十両筆頭)。その場所では14勝1敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌11月場所において2度目の再入幕を果たして以降は幕内に定着した[4]

2007年1月場所では優勝争いに絡む活躍を見せて、12勝3敗の好成績を挙げて初の敢闘賞技能賞を受賞した。自己最高位となる西前頭筆頭にまで躍進した翌3月場所でも2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月場所では新三役となる小結への昇進を果たした。これも第二検査合格者としては初の快挙である[4]

しかし、2007年4月30日に時津風部屋へ出稽古に出向いてきた横綱朝青龍との稽古中に、右膝と足首の靱帯を負傷した。豊ノ島は全治2週間と診断され、朝青龍には大きな批判が寄せられたが、豊ノ島自身は自身のブログで「稽古中の事故」としている。同年5月9日には時津風親方(元小結・双津竜)が休場の可能性を示唆したが、10日には怪我が完治していないものの強行出場することを明らかにした。その初日に朝青龍と対戦したものの、立合いからすぐに豊ノ島が腰から落ちて敗れてしまった。結局、この5月場所では豊ノ島は4勝11敗と大きく負け越してしまった[4]。翌7月場所でも怪我が完治していない中で出場したが、結果的には7勝8敗と負け越した。

続く同年9月場所では、11日目に横綱・白鵬から自身初となる金星を挙げ(白鵬が初めて配給した金星でもあった)、さらに琴欧洲・琴光喜の2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した。しかし、この9月場所の直後に時津風部屋力士暴行死事件が発覚し、それ以降、自身のブログの更新を自粛している。

2008年1月場所と続く3月場所ではいずれも6勝9敗の成績に終わった。一時期は147kgまで体重が増加し、さすがに廻しが取れなかったりする弊害が出てきたため、体重を142kgまで絞った同年5月場所では11勝4敗の好成績を挙げた。それでもまだ腰にかかる負担が多かったのか、西小結の位置で迎えた翌7月場所では腰にM字型のテーピングをしながらの出場となったが、初日に土俵際の捨て身の投げで朝青龍を破り、3日目には前場所に優勝した琴欧洲を破り、10勝5敗という好成績で三役では初となる勝ち越しを果たし、翌9月場所では関脇へ昇進した。時津風部屋からの関脇は蔵間以来30年ぶりのこととなった。その9月場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所では平幕へ陥落した。

2009年1月場所では西小結へ復帰したが、7日目の魁皇戦で小手投げで敗れた際に左肘を負傷してしまい、翌8日目からは休場した。休場は自身初のこととなった。その後の数場所は幕内中位であまり芳しい成績は収められなかったが、2009年11月場所において11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。

2010年1月場所では東前頭筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌3月場所では関脇へ復帰した。しかし、同年6月に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したという理由により、謹慎処分を受けて同年7月場所を全休し、翌9月場所では十両へと陥落してしまった。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日賭博開帳図利容疑で書類送検されている[6][7]

西十両筆頭の位置まで番付を落とした2010年9月場所では、幕内経験を生かした圧倒的な強さを見せ付けて、14勝1敗の成績を挙げて2回目の十両優勝を果たした。再入幕となった翌11月場所では3日目に旭天鵬に敗れた以外は連勝を続け、把瑠都・魁皇の2大関も破る活躍で千秋楽まで優勝を争い、14勝1敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出した。千秋楽では稀勢の里を破ったが、その取組は、左四つから稀勢の里が先手を取って寄り詰めるが、豊ノ島は土俵際で左にうまく体を開き、体勢の崩れた相手を押し倒した、という内容であった[8]。優勝決定戦では横綱・白鵬に敗れて優勝は逃したものの、3回目の敢闘賞と3回目の技能賞を同時に受賞した[4]

しかし、2010年11月場所における関脇・栃煌山鶴竜が揃って7勝8敗で小結に下がり、また小結・栃ノ心阿覧が平幕に陥落したものの、東前頭筆頭の稀勢の里と西前頭筆頭の琴奨菊が関脇に上がったため、2011年1月場所では三役への昇進を果たせずに東前頭筆頭の位置に留められた。平幕で14勝以上しながら翌場所でも平幕に留められるのは史上初のこととなった。その1月場所では初日に大関・把瑠都を破った後、2日目から7連敗を喫したが、その後は一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。小結へ復帰した同年5月技量審査場所では5勝10敗と振るわなかったものの、大相撲八百長問題により多数の力士が引退した影響もあり、翌7月場所では西前頭2枚目とわずかな番付の降下に留まった。その7月場所では9勝6敗と勝ち越し、小結へ復帰した翌9月場所では9日目まで1勝7敗と振るわなかったものの、またもそこから一転して7連勝を果たして8勝7敗と勝ち越しを決めた。前場所と同じ東小結の位置に留め置かれた翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを果たした。

関脇へ復帰した2012年1月場所では5勝10敗と大敗してしまい、翌3月場所では平幕へと陥落してしまったが、その場所で11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、翌5月場所に関脇へ復帰した。その5月場所では9日目に久々に白鵬を破ったものの、取組が組まれなかった琴欧洲以外の5大関には全く勝利できず、最終的には7勝8敗と負け越した。西小結の位置で迎えた翌7月場所では鶴竜・琴欧洲の2大関を破ったものの5勝10敗と大敗した。

2011年4月に同じ時津風部屋の霜鳳大相撲八百長問題に関与したという理由により引退勧告を受けて引退したため、それまで霜鳳が所有していた年寄・錦島年寄名跡を譲られた[注 1]

2013年に入ってからは稽古不足の影響[注 2]で7月場所まで4場所連続負け越しを喫するが、9月場所は初日から4連敗しながらも8勝7敗と5場所ぶりに勝ち越した。翌11月場所は3日目に琴奨菊から不戦勝を得る幸運も手伝って14日目に勝ち越しを手にする。[注 3]

2014年3月場所で小結に復帰(東小結)。小結は2012年7月場所以来10場所ぶり。

2014年5月場所では西前頭4枚目で相撲をとっていたが、13日目に腰を痛め、休場した。本人曰く「同日朝に腰を突然痛め、相撲を取れる状態ではなくなった。ぎっくり腰のような感じ。背筋を伸ばして歩くことができない」とコメントしている。この場所は前日の12日目で負け越しが決まっていた。 なお、この場所では6日目に横綱・日馬富士に押し出しで勝ち、3つ目の金星を得ている。休場明けとなった7月場所では12日目に勝ち越しを決め、14日目の隠岐の海戦で不戦勝を得る幸運もあって2012年11月場所以来の2ケタ勝利となる10勝5敗の好成績。翌9月場所は西前頭2枚目まで番付を戻したものの初日の稀勢の里戦で敗れた際に左膝の靭帯を痛め、2週間の治療と安静が必要と診断されて2日目から途中休場。なおこれにより、2日目の対戦相手であった豪栄道は不戦勝の形で大関として初めての白星を得る結果となった。[9]それでも「番付の枚数をあまり落としたくない」[10]という理由で6日目から再出場を果たし、中日に休場を含めての負け越しが確定したものの初日の出た9日目から千秋楽までに6勝するなど終盤に大きく追い上げた。2015年11月場所は5日目の琴奨菊戦で肩透かしを決めたように見えたが行司差し違えで黒星を喫する[注 4]。結局この場所は13日目に負け越しが確定したばかりか14日目から左足底筋断裂により途中休場の憂き目にあった。

東前頭7枚目で迎えた2016年1月場所は、10日目に勝ち越しを決め好調であった。13日目には3横綱を破り無敗だった琴奨菊にとったりを決め勝利し、平幕で唯一終盤まで優勝争いに加わり続けた。14日目の嘉風戦に勝利した際に左膝を痛めた影響で、千秋楽は栃煌山に突き出しで敗れて3敗目を喫し、優勝争いから脱落[11][12](この取組の後、琴奨菊は14勝1敗でこの場所初優勝)。それでも12勝3敗の好成績で場所を終え、優勝した琴奨菊に唯一の土を付けた事が評価されて3度目の殊勲賞を受賞した。

2016年3月場所は、最高位である2012年5月場所の東関脇以来23場所(約4年)ぶりの関脇復帰(西関脇)となった。初日にいきなり横綱の鶴竜を破る最高のスタートを切ったが、2日目から8連敗。9日目にして平幕落ちが確定する。10日目には横綱・日馬富士を破り、意地を見せたが結局3勝12敗と大きく負け越した。7月場所は東前頭11枚目の地位となったが、場所前の稽古中に左足のアキレス腱を断裂したため、休場を発表した[13]。このため、続く9月場所では2010年9月場所以来6年ぶりとなる十両へ陥落した。その9月場所も全休に甘んじ、これにより74場所連続で務めた関取の地位から離れることとなった。三役から4場所後に幕下に陥落したのは史上初の記録であり、三賞受賞から1年以内に幕下に陥落したのも高見盛以来2例目[14]。知人がスマートフォンで撮影した動画には、怪我の瞬間が残っている。7月1日、巨漢の逸ノ城の攻めに、豊ノ島が左に回り込んだ時に「バン!」という大きな音と同時に豊ノ島は崩れ落ちた。「誰かに足を引っ張られたようだった。腱が切れた音や感覚は、今も残っている」と豊ノ島は話した。怪我をした豊ノ島の元へ駆けつけた妻や後援者には当初強がっていたが、その晩に家族だけになると不安に襲われて号泣した。妻は「家のことは心配せず、きちんと直して後悔のないよう相撲を取ってください」と伝えるのが精一杯であった[15]。手術で患部を13針も縫合し、歩くまで1カ月半を要した[16]。熊本市内でのリハビリ中から、土俵に戻ることだけを考えてきた。「最後の一番が稽古場なんて嫌だ」。幕下陥落後は取的と一緒に大部屋で生活している。特別待遇を断り、食事も風呂も若い衆と同じ順番である。「全ては自分自身を奮い立たせるため」と現実を受け入れた[16]。負傷から3ヶ月半の療養を経て、10月22日の大相撲秋巡業高知場所で復帰。この時点では、三段目の当たりを受けて左足で踏ん張れるようになったが、相撲を取れる状態には戻っていない。復帰に際して「もう一度相撲と向き合えるいい経験になった。時天空関は相撲をやりたくてもできなくなった。それを考えたらまだまだできる」と言っている[17]。迎えた11月場所は幕内優勝決定戦進出力士としては北勝力以来、史上2人目の幕下陥落となったが、場所入りに際して「もう一度復活して幕内優勝を狙ってやろうという気持ち。歴史に残るようなドラマチックな力士になろうと思っている」と言い切った[18]。西幕下7枚目の地位で土俵に上がった11月場所は夫人からこの場所に際して冗談で「これで勝ち越せなかったら別居だね」と伝えられた中、6番相撲で勝ち越しを果たし、4勝3敗で場所を終えた。勝ち越しを決めた6番相撲の行われた11月24日のちょうど7年前である2009年11月場所10日目の旭天鵬戦では、夫人から「勝ち越したら付き合う」と言われて掬い投げで旭天鵬を破り、この日が “交際確約記念日”になったというトリビアがある[19]

西幕下6枚目で迎えた2017年1月場所では、6日目(3番目)に同7枚目でその後同場所7戦全勝優勝した石橋(十両昇進後朝乃山に改名)に敗れるも、それ以外全勝で6勝1敗の好成績で終えた。1月31日に間垣(元小結・時天空)が死去した際、告別式で「4歳上の弟弟子が『年下のチビには負けられない』とケンカみたいな稽古をしたから、関取にまでなれた。しこ名の通り、天から空から見守って下さい。またいつか一緒に相撲を取りましょう」とコメント[20]。2017年3月8日の稽古中、右ふくらはぎを痛め、3月場所は1番相撲が不戦敗で2番相撲が休場扱いになった。この場所は4番相撲で負け越しを確定させ、7番相撲で1勝したことで場所成績は1勝5敗1休。場所を終え、記者に「来場所につながる白星にしたいか」と問われると、豊ノ島は「もうちょっと白星が欲しかったけど、まだあきらめてないし。時間がかかった方が(関取に)戻ったときに話題性があるでしょ。そう思うしかない」と来場所以降も現役を続ける考えを示した[21]。翌5月場所も3勝4敗と負け越し、7月場所は東幕下28枚目まで番付を落としたが、ここから3場所続けての勝ち越しを決めて番付を戻した。怪我による幕下陥落以降、怪我の影響によるけいこ不足で立合いの鋭さは今一つ[22]。2018年3月場所は幕内で対戦経験のある琴ノ若の長男である琴鎌谷と5番相撲対戦して勝利し、勝ち越しを確定させた。この場所は2016年11月場所で幕下に陥落して以降では最高成績タイとなる6勝1敗。7月場所には連続勝ち越しを3場所まで伸ばし、相撲雑誌にも7月場所の相撲について「相撲に重みが戻ってきた。勝った5番は安定感があり、2年ぶりの関取復帰がいよいよ現実となりそうだ」と期待を寄せる声があった[23]。9月場所では幕下西の筆頭で6勝1敗の成績を残し、見事13場所ぶりの関取復帰を果たした。4連勝を決めた6日目には妻と娘への感謝を語りながら大粒の涙を流した。十両復帰報告は家族3人が写った写真をInstagramに掲載して行った[24]。豊ノ島は場所6日目の常幸龍戦が取り直しになった後、「花道の方を見ながら、時天空のことを思い出した」という。取り直しの一番を制して勝ち越しを決め、十両復帰に大きく前進し、思わず涙を流した。「つくり話みたいで言うのが嫌だったけど。自分の形ではない右四つで寄っていったし、時天空が後押ししてくれたのかな」と感慨に浸った[25]

略歴

  • 初土俵:2002年1月場所
  • 新十両:2004年5月場所
  • 新入幕:2004年9月場所
  • 新小結:2007年5月場所
  • 新関脇:2008年9月場所

取り口

相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しを決めての速攻相撲を得意とする。小さい体であるにもかかわらずまともに胸を出すような立合いをするのが弱点であるが裏を返せば169cmの小兵でありながら胸から当たっても幕内で通用するという意味であり、元和歌乃山は「176cmの僕より小さいのに胸から行く立合いをするので、それを考えれば器用だ」と評していた[26]。豊ノ島の体質について尾崎勇気(元関脇・隆乃若)は「腰が強く柔らかいので土俵際でよく残された」と現役時代の取組の感触に基づき証言している[26]浦風は「内容的にはケガをしてもおかしくない相撲だね。見ていてヒヤッとするからね。土俵際であんなにエビ反って大丈夫か」と心配しつつ「そこが余裕になってしまっているから。残れるというね。そこがこの男の持ち味と言えばそうなんだけど」と反り腰・残り腰の強さを評している。[27]朝日山(元関脇・琴錦)は2016年3月場所前の記事で、二本に入った時に肘を曲げているので小手投げを食いにくい点、腹を使って圧力をかけることが上手い点、中に入れない時に安易に組まずに間合いを取る点などが特徴として挙げられている[28]。同じ記事では、下半身は硬いがどんな状況でも足が揃わず腹にためを作って必ず前に足を出していることにも触れている[28]

エピソード

  • 2007年3月場所初日に、身長が約35cmも高い角界最長身の大関琴欧洲を豪快な下手投げで破った。十両時代に琴欧州(当時)を破ったときも決まり手は下手投げであり、ほぼその時のイメージどおりに倒せたと語っている。豊ノ島は琴欧洲の巨大ぶりを『風の谷のナウシカ』に登場する「巨神兵」に喩えている。ちなみに琴欧洲とは新十両も新入幕も同じ場所での昇進である。
  • サッカー選手の佐藤勇人佐藤寿人兄弟と親交が深い。
  • 2008年6月2日に放送されたフジテレビジャンクSPORTS』に、中学時代からのライバルで友人の琴奨菊と共に出演した。番組内では「歌がうまい」と自ら称して、いっこく堂ビートたけし木村拓哉などの物真似を披露した。
  • 福祉大相撲のお楽しみ歌くらべでは2007年Berryz工房2010年モーニング娘。と、ハロー!プロジェクトとの共演が続いている。ここでもサッカーのリフティングや、物真似などを披露したほか、モーニング娘。に交じって「恋愛レボリューション21」のダンスも披露している[注 5]
  • 2013年10月28日放送の森田一義アワー 笑っていいとも! テレフォンショッキングに出演[注 6]したが、これが角界関係者として最後の同コーナー出演となった。番組終了を惜しみ「寂しいですね」とコメントしている[29]
  • 遅くとも2014年頃から、土佐料理店が贈呈した船盛りの描かれた化粧廻しを使用[30]
  • 2014年7月場所から、中村部屋出身の元十両・彩豪から贈られた鉄紺色の締め込みを使用している。未使用のままだった締め込みを1本譲り受けたもので、体格は彩豪のほうが身長、体重とも大きいが、長さに問題はなく、同年6月に行われた部屋の合宿で体に馴染ませてから使用している。なお、初めて着用したこの場所は10勝5敗の2桁勝ち星を挙げた[31]
  • 2016年1月場所千秋楽、豪栄道に勝って優勝を決めた琴奨菊に豊ノ島は東の花道で迎え、両肩に手を回しながら「よかったね」とライバルの初優勝を祝福した。一方で「(琴奨菊は)優勝してくれて一番うれしい相手だが、優勝されて一番悔しい相手」と複雑な心境も吐露していた[32][33]
  • アキレス腱断裂で幕下に陥落してから、琴奨菊からは電話で「お前の双差しは、俺が研究しても許した。負け越したって大丈夫。自信持って」と、白鵬からも「地力があっても心技体のどれかが欠けていると勝てない。特に心ですよ」と励まされた[22]
  • 東京ダイナマイトハチミツ二郎とも親交があり、Twitter上で二郎が互いの娘の絵を比べることもあった[34]
  • 2015年のインタビューでは、もし自分が女性だったら子供の頃の憧れでヒーローだった貴乃花や人間性の素晴らしい白鵬と結婚したいと話していた[35]
  • 2015年のインタビューにおいて、一番の宝物はであると答え、同時に若い衆に対しては外出する時に帽子で髷を隠さないように呼びかけた[35]

主な成績

2018年9月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:649勝573敗63休(100場所)
  • 通算勝率:.529
  • 幕内成績:480勝497敗43休(68場所)
  • 幕内勝率:.491
  • 三役在位:13場所(関脇5場所、小結8場所)

各段優勝

  • 十両優勝:2回(2005年9月場所、2010年9月場所)
  • 序二段優勝:1回(2002年5月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2002年3月場所)

三賞・金星

  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:3回(2007年9月場所、2008年7月場所、2016年1月場所)
    • 敢闘賞:3回(2007年1月場所、2008年5月場所、2010年11月場所)
    • 技能賞:4回(2007年1月場所、2009年11月場所、2010年11月場所、2012年3月場所)
  • 金星:4個
    • 白鵬1個(2007年9月場所)
    • 日馬富士3個(2013年3月場所、2014年5月場所、2015年3月場所)

場所別成績

 

                                                                                                                                                                                                                                          
豊ノ島 大樹
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
(前相撲)西序ノ口32枚目
優勝
7–0
西序二段26枚目
優勝
7–0
東三段目30枚目
5–2 
東三段目5枚目
3–4 
東三段目17枚目
4–3 
2003年
(平成15年)
西三段目6枚目
7–0 
西幕下10枚目
2–5 
西幕下27枚目
3–4 
東幕下34枚目
5–2 
西幕下21枚目
4–3 
東幕下17枚目
5–2 
2004年
(平成16年)
西幕下7枚目
4–3 
西幕下4枚目
5–2 
西十両13枚目
11–4 
東十両4枚目
11–4 
西前頭15枚目
6–9 
東十両筆頭
8–7 
2005年
(平成17年)
東前頭17枚目
8–7 
東前頭13枚目
7–8 
西前頭13枚目
6–9 
東前頭16枚目
6–9 
西十両筆頭
優勝
14–1
東前頭8枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
西前頭9枚目
7–8 
西前頭10枚目
6–9 
東前頭13枚目
8–7 
東前頭11枚目
9–6 
西前頭6枚目
4–11 
西前頭10枚目
8–7 
2007年
(平成19年)
西前頭9枚目
12–3
西前頭筆頭
8–7 
東小結
4–11 
西前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
8–7
東前頭4枚目
9–6 
2008年
(平成20年)
東前頭2枚目
6–9 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭5枚目
11–4
西小結
10–5
西関脇
6–9 
東前頭筆頭
9–6 
2009年
(平成21年)
西小結
2–6–7[注 7] 
西前頭6枚目
8–7 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭7枚目
8–7 
東前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
11–4
2010年
(平成22年)
東前頭筆頭
8–7 
西関脇
6–9 
東前頭筆頭
5–10 
東前頭5枚目
出場停止
0–0–15
西十両筆頭
優勝
14–1
西前頭9枚目
14–1[注 8]
2011年
(平成23年)
東前頭筆頭
8–7 
八百長問題
により中止
西小結
5–10 
西前頭2枚目
9–6 
東小結
8–7 
東小結
9–6 
2012年
(平成24年)
西関脇
5–10 
東前頭4枚目
11–4
東関脇
7–8 
西小結
5–10 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭6枚目
11–4 
2013年
(平成25年)
東前頭2枚目
6–9 
東前頭4枚目
7–8
西前頭4枚目
7–8 
西前頭5枚目
6–9 
西前頭7枚目
8–7 
西前頭2枚目
8–7 
2014年
(平成26年)
東前頭筆頭
8–7 
東小結
5–10 
西前頭4枚目
4–9–2[注 9]
西前頭10枚目
10–5 
西前頭2枚目
6–6–3[注 10] 
東前頭6枚目
8–7 
2015年
(平成27年)
東前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
8–7
東前頭2枚目
4–11 
西前頭7枚目
7–8 
西前頭8枚目
10–5 
東前頭3枚目
5–9–1[注 11] 
2016年
(平成28年)
東前頭7枚目
12–3
西関脇
3–12 
東前頭7枚目
5–10 
東前頭11枚目
休場[注 12]
0–0–15
東十両8枚目
休場[注 12]
0–0–15
西幕下7枚目
4–3 
2017年
(平成29年)
西幕下6枚目
6–1 
東幕下2枚目
1–5–1 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下28枚目
5–2 
西幕下17枚目
4–3 
西幕下13枚目
5–2 
2018年
(平成30年)
東幕下5枚目
0–3–4 
西幕下35枚目
6–1 
東幕下14枚目
5–2 
西幕下7枚目
5–2 
西幕下筆頭
6–1 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

合い口

いずれも2018年7月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には2勝31敗(この他、優勝決定戦での1敗がある)。白鵬の大関在位中は2敗。白鵬の横綱昇進後は2勝29敗。2007年9月場所の勝利は、自身初金星だっただけでなく、白鵬にとっても初めての金星配給だった。2010年11月場所で幕内最高優勝決定戦を戦い黒星。直近の白星は2012年5月場所で、決まり手は首投げ。
  • 横綱・鶴竜には9勝16敗。鶴竜の大関在位中は2勝5敗。鶴竜の横綱昇進後は1勝2敗。直近の白星は2016年3月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 横綱・稀勢の里には9勝30敗。稀勢の里の大関在位中は3勝14敗。稀勢の里の横綱昇進後は対戦なし。直近の白星は2015年11月場所で、決まり手は押し出し。
  • 大関・豪栄道には15勝14敗(不戦敗による1敗を含む)と勝ち越しているが、豪栄道の大関昇進後は5敗(不戦敗による1敗を含む)。直近の白星は2014年1月場所で、決まり手は下手投げ。
  • 大関・髙安には7勝5敗。髙安の大関昇進後は対戦なし。直近の白星は2016年3月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 大関・栃ノ心には8勝8敗。栃ノ心の大関昇進後は対戦なし。直近の白星は2015年3月場所で、決まり手は送り出し。
  • 元大関・琴奨菊には13勝27敗(不戦勝による1勝と不戦敗による1敗を含む)だが、琴奨菊の大関在位中は8勝8敗(不戦勝による1勝を含む)と互角だった。2016年1月場所の白星は、この場所を14勝1敗で優勝した琴奨菊にとって唯一の黒星だった。
  • 元大関・照ノ富士には4勝4敗。照ノ富士の大関在位中は1勝1敗。
  • 元横綱・朝青龍には2勝7敗だった。2008年7月場所と9月場所で2連勝した。
  • 元横綱・日馬富士には9勝35敗だった。日馬富士の大関在位中は3勝12敗。日馬富士の横綱昇進後は4勝9敗。最後の対戦となった2016年3月場所は押し倒しで勝利した。
  • 元大関・出島とは、出島の大関陥落後に対戦して9勝4敗だった。2009年7月場所の対戦は、出島の現役最後の一番となった。
  • 元大関・千代大海には6勝2敗と大きく勝ち越した。2007年3月場所の初対戦から5連勝を記録したが、6回目の対戦となった2008年9月場所で初黒星。
  • 元大関・琴光喜には4勝12敗だった。琴光喜の大関在位中は3勝9敗。
  • 元大関・魁皇には8勝7敗と勝ち越した。2011年7月場所の対戦は、魁皇が当時の史上最多記録である通算1045勝に並ぶ白星を挙げた取組となり、これが最後の対戦となった。
  • 元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に対戦して6勝5敗だった。
  • 元大関・把瑠都には4勝18敗だった。把瑠都の大関在位中は3勝9敗。
  • 元大関・琴欧洲には16勝16敗と互角の成績だった。琴欧洲の大関在位中は15勝14敗と勝ち越した。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 6 8 朝赤龍 7 7 安美錦 20 20 阿覧 7 4
2 4 逸ノ城 1 1 隠岐の海 9 7 魁聖 5 2
旭天鵬 9 11 琴ノ若 1 0 琴勇輝 3 1 隆乃若 4 1
宝富士 4 4 豪風 8 18 玉春日 7 2 玉乃島 8 3
玉鷲 9 6 土佐ノ海 2 2 栃煌山 10 15 栃乃洋 4 4
追風海 1 0 北勝力 5 0 御嶽海 0 1 妙義龍 5 5
嘉風 14(1) 10(1) 若の里 7 6
小結
岩木山 4 4 遠藤 5 3 海鵬 2 2 臥牙丸 7 3
垣添 4 3 旭鷲山 2 1 黒海 5 3 常幸龍 2 2
松鳳山 5 6(1) 高見盛 9 7 千代鳳 1 1 千代大龍 7 2
闘牙 0 1 栃乃花 3 0 普天王 10 6 豊真将 10 8
露鵬 3 2 若荒雄 3 0
前頭
東龍 1 0 安壮富士 1 0 阿夢露 2 0 荒鷲 1 0
潮丸 2 0 皇司 3 1 大砂嵐 1 3 鏡桜 1 0
春日王 7 2 春日錦 3 1 片山 0 3 北桜 4 0
北太樹 8 5 木村山 1 0 旭秀鵬 1 3 琴龍 1 1
佐田の海 1 2 佐田の富士 1 0 里山 1 0 十文字 2 7
駿傑 3 1 翔天狼 5 0 青狼 2 0 蒼国来 3 0
大栄翔 1 0 大真鶴 1 0 貴ノ岩 0 1 隆の鶴 0 1
玉飛鳥 3 0 千代白鵬 0 1 千代丸 2 0 德勝龍 3 3
德瀬川 2 0 栃栄 1 0 栃乃若 3 1 豊桜 5 5
豊響 8 4 錦木 0 1 白露山 0 5 英乃海 2 0
富士東 3 0 武州山 3 1 武雄山 4 3 誉富士 3 1
舛乃山 1 0 猛虎浪 3 0 山本山 0 1 琉鵬 0 1
若兎馬 2 0 若ノ鵬 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年7月場所終了現在、現役力士

改名歴

  • 梶原 大樹(かじわら だいき)2002年1月場所 - 2002年5月場所
  • 豊ノ島 大樹(とよのしま - )2002年7月場所 -

関連項目

脚注

注釈

  1. 2017年5月12日に朝赤龍が現役を引退し「錦島」を襲名した時に、元朝赤龍がこの名跡を継承(取得)していることが日本相撲協会の平成29年度の事業報告書で確認でき、豊ノ島が名跡を手放したことが明らかになった
  2. 『相撲』2013年11月号56頁の紹介欄には「今や巡業で申し合いやぶつかり稽古を行う姿がほとんど見られない」と記述されていた。
  3. 場所直前に祖母が死去し、葬儀が場所初日に行われる不穏な状況の中で勝ち越しを果たした。
    豊ノ島、亡き祖母との約束果たす/九州場所 SANSPO.COM 2013.11.23 20:43
  4. 『大相撲ジャーナル』2016年1月号34頁によると、花道のモニターを見て「かかとの感覚はなかった」と判定に釈然としない様子であった。
  5. 2013年6月30日放送の『行列のできる法律相談所』での再現VTRによると、収録前日の妻との会話で「適当に踊ればいいよね」と言ったところ、「完璧に覚えてバチンと決めて来い!」と叱責され、夜中にPVを見ながら猛練習したという。
  6. 当日は11月場所番付発表日で、場所入りが義務付けられており「その日のうちに福岡入りすること」を条件として特別に許可が下りて新宿・スタジオアルタでの生放送に出演した。『相撲』2013年11月号89頁
  7. 左肘内側側副靱帯損傷により8日目から途中休場
  8. 白鵬と優勝決定戦
  9. 急性腰痛症により13日目から途中休場
  10. 左膝内側側副靭帯損傷により2日目から途中休場。6日目から再出場
  11. 左足底筋断裂により14日目から途中休場
  12. 12.0 12.1 左アキレス腱皮下断裂により全休

出典

  1. 豊ノ島大樹 日本相撲協会公式サイト
  2. 豊ノ島が歌手竹内沙帆と「ニコニコ婚」 nikkansports.com 2011年2月6日8時12分 紙面から
    因みに婚姻届の提出は「ニコニコ」の語呂合わせとして時間を見計らって2011年2月5日午前2時5分、東京・墨田区役所で行った。
  3. 豊ノ島と国沢志乃 高知出身のはとこ2人「悔いなき競技人生を」 高知新聞 2015年12月31日 紙面から
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)208ページから209ページ
  5. 前時津風親方死去に豊ノ島「お陰で関取」 nikkansports.com 2014年8月13日8時51分 紙面から
  6. 野球賭博の捜査終結 書類送検力士らは36人に 警視庁 asahi.com 2011年3月4日
  7. 野球賭博 琴光喜ら27人書類送検 Sponichi Annex 2011年3月4日
  8. ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p44
  9. 平幕・豊ノ島が左膝のけがで休場 NHK 9月15日 11時39分
  10. 【白星黒星】松鳳山、大砂嵐の突きを顔面に浴び「あれは意識を失います」 SANSPO.COM 2014.9.22 20:02
  11. 豊ノ島 優勝に望み繋ぐも左膝痛めた デイリースポーツ online 2016年1月24日
  12. 豊ノ島、栃煌山に敗れる!3敗目喫しVレース脱落 スポーツ報知 2016年1月24日 17時4分
  13. 豊ノ島が休場へ アキレス腱断裂、十両転落確実”. . 2016閲覧.
  14. 『大相撲ジャーナル』2017年2月号24ページ
  15. Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p51
  16. 16.0 16.1 東京新聞 2016年11月10日 夕刊
  17. 豊ノ島復活!左アキレス腱断裂から3カ月半 地元大歓声に感謝 Sponichi Annex 2016年10月23日 05:30
  18. 豊ノ島 幕下からの再起で幕内優勝狙う「歴史に残る力士に」 Sponichi Annex 2016年11月4日 05:30
  19. 豊ノ島勝ち越しにホッ!夫人からの“別居通告”回避 日刊スポーツ 2016年11月24日16時7分
  20. 元時天空告別式、“年下の兄弟子”豊ノ島が涙「天から空から見守って下さい」 Daily Sports Online 2017.2.7
  21. 豊ノ島、現役続行宣言「あきらめてない」初白星 日刊スポーツ 2017年3月24日22時21分
  22. 22.0 22.1 毎日新聞2017年6月6日 東京朝刊
  23. 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.48-49
  24. 豊ノ島、家族3ショット笑顔で十両復帰報告「いろんな方々から励まし、支えてもらいました」 2018年9月26日23時55分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年9月29日閲覧)
  25. 豊ノ島 13場所ぶり関取復帰 亡き弟弟子を思いしみじみ「時天空が後押ししてくれたのかな」 Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社、2018年9月29日閲覧)
  26. 26.0 26.1 『大相撲ジャーナル』2014年4月号56頁から57頁
  27. 『大相撲ジャーナル』2016年4月号58頁
  28. 28.0 28.1 『大相撲ジャーナル』2016年4月号26-27頁
  29. “豊ノ島「寂しい」いいとも終了惜しむ”. 日刊スポーツ. (2014年3月31日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20140331-1278333.html 
  30. 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.58
  31. ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年9月号(秋場所展望号) 81頁
  32. 豊ノ島 ライバル琴奨菊を花道で祝福 デイリースポーツ online 2016年1月24日
  33. 豊ノ島、うれしくて悔しい=大相撲初場所千秋楽 時事ドットコム 2016年1月24日 20時13分
  34. ハチミツ二郎 4:39 - 2017年10月24日
  35. 35.0 35.1 『大相撲ジャーナル』2016年1月号 p.104

外部リンク


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