竜電剛至
竜電 剛至(りゅうでん ごうし、1990年11月10日 - )は、山梨県甲府市出身で高田川部屋所属の大相撲力士。本名は渡邊 裕樹(わたなべ ゆうき)。身長190cm、体重149kg。血液型はAB型。好物は信玄餅[1]。左四つ、両差し、寄りを得意技とし、最高位は東前頭7枚目(2018年5月場所)。
Contents
人物
3人兄弟の末っ子として生まれ、長兄・次兄の影響で小1から柔道を始める。小学校卒業後は、柔道の強豪であった隣の甲斐市にある竜王中に進学し、柔道に取り組んでいた。
中学2年の時に柔道部の同級生をスカウトしようと中学校にやってきた当時の千田川親方に出会い、勧誘。これは同級生の他に「もう一人体の大きな子」がいると校長が勧めたことによるものだった。それまで相撲については全く知らず、柔道での高校進学の誘いもあったが、親方の「男の中の男になれ」という言葉に胸を打たれ、中学3年の夏に入門を決意した。
ちなみに次兄は同じ竜王中卒業後、前橋育英高に進学。関東大会2位、高校総体でベスト8になる実力で、国士舘大学柔道部に所属していた。
「兄は結構強い選手で有名だったから、自分は『相撲で有名になろう』という気持ちがあった。中学の時は、柔道で伸び悩んでいる感じもあったので」とも述べている。しかし中学3年の10月には自身も柔道の県大会で優勝している。
中学卒業後の2006年3月場所に高田川部屋から初土俵。同期には栃ノ心、境澤、政風らがいる。四股名は出身校の「竜王中」と、雷電爲右エ門から取ったもの。
とんとん拍子で、初土俵から2年後の2008年3月場所で新幕下へ駆け上がったが[2]、2勝5敗と大敗。2度目の幕下となる同年11月場所でも3勝4敗と負け越しを喫したが、翌年1月場所は初日に黒星を喫した後は6連勝し、勝ち越し。その後も幕下で取り続け、2009年7月場所では6勝1敗と好成績を残し、優勝決定戦まで進出したが、翌場所新十両となった双大竜に敗れる。
同年9月場所では幕下46枚目から19枚目まで躍進し、4勝3敗。11月場所では自身最高位となる幕下15枚目で5勝2敗という好成績を残した。同い年である千賀ノ浦部屋の舛ノ山(ただし入門は2場所後)と共に、初の平成生まれの関取候補として、また近年では珍しい叩き上げの日本人力士ホープとして注目を浴びていた。
師匠の高田川は「将来は横綱にする」、また相撲教習所の顧問だった中立や大嶽(当時・山響)の両親方からは「素直で真面目。人の話を良く聞いてやろうとする姿勢が見える。強くなりたいという意思がある」という高い評価を受けている。
しかしこの期待を受けた矢先に2場所連続で負け越し失速。特に2010年3月場所の貴ノ岩戦では頭から土俵に落ちて脳震盪を起こし、車椅子で運ばれるという屈辱を味わった。この負け越しにより2010年の十両昇進はほぼ絶望的となった。
一時は幕下下位まで番付を落とし、この間に2010年11月場所新十両の髙安、舛ノ山を筆頭に、数名の平成生まれ力士が十両に昇進。部屋の弟弟子である達(当時)に初めて番付で追い越されたことも一因となり発奮し、2012年9月場所は東幕下12枚目の地位で7戦全勝とし、幕下優勝を決めた。この好成績により、翌11月場所での新十両昇進が決まった[3]。この昇進により竜電は、1990年5月場所で十両に昇進した元十両秀ノ花以来22年ぶりの山梨県出身関取となった。更に、高田川部屋が元安芸乃島の現師匠に代わってからは初めての関取誕生となった。
新十両の場所では序盤こそ奮闘していたが、その後8日目に右股関節を骨折し、翌9日目から途中休場した。幕下に転落した次の場所は皆勤したが負け越し、その後は怪我のため途中休場した1場所を挟んで6場所連続休場。高田川によると、計3回、同じ部位を骨折し、医師からは再起は難しいのではないかと言われたという。再十両となった後も新十両に上がった時の稽古量はこなせていない。[4]折れた箇所は腰の骨であり、検査を受けると医師からは「ここは、トラックと衝突した時に折れるような箇所だ」と驚かれ、少しずれていれば一生歩けなくなる危険性があったことも伝えられた。絶望して泣いた竜電であったが、高田川は「大丈夫か?」などといってしまうと余計に落ち込ませるだろうと考え「お前が悪い、骨が折れるのが悪いんだ」と敢えて突き放し、後援者に高田川は「これは神様が与えてくれたチャンス。鍛え直すチャンスを大事にしないといけない」と説明した[5]。序ノ口にまで番付を落とした2014年1月場所も初日から休場したが、全休すれば番付外に転落してしまうため、本人の「番付外に落ちると自分が力士ではなくなるような気がした」という本人の意向[6]もあって、十分に回復はしていない中で7番相撲だけ出場[7]し、3場所ぶりに白星を挙げた。翌3月場所から7月場所にかけても同様の星取が見られた。完全復活したのは9月場所であり、この場所は10場所ぶりの皆勤出場で7戦全勝の序ノ口優勝を果たした。翌11月場所(序二段)とその次の2015年1月場所(三段目)も7戦全勝で優勝している。続く3月場所で幕下に復帰すると、復帰後初めての負け越しに終わり、以後は一進一退が続いた。2016年5月場所では千秋楽の相撲で勝てば十両復帰という状況で敗れてしまい、負け越した。同年9月場所では十両陥落後の最高位となる西幕下2枚目の地位で7番目の十両・若乃島戦に勝って4勝3敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で丸4年ぶりとなる十両復帰が決まった。これは昭和以降3番目に低い番付からの十両復帰である[8]。再十両を果たした際に竜電は「とにかくいい相撲をとりたい。早く幕内に上がり、いずれは横綱を目指したい」と意欲を見せ、高田川は「正々堂々の真っ向勝負で、スピーディーな相撲をとってほしい」と期待を込めた。[4]また、後年のインタビューでは、弟弟子の輝が関取になって個室を貰ったり高田川と一緒に食事を行っているのを見て「オレも」と思ったことを語っている[6]。その11月場所では12日目に勝ち越しを決め、「4年前にできなかったことができて良かった。諦めなくて良かった」とコメントした[9]。翌2017年1月場所も9勝6敗と勝ち越し。しかし3月場所前には高田川から「勝負弱い!あいつの素質からすれば10勝して当然なんです」と手厳しいコメントがスポーツ紙に寄せられた。その3月場所は初日から5連敗するなど散々な立ち上がりであり、6日目から13日目までは6勝2敗と盛り返した。だが結局14日目に負け越しを確定させ、そのまま千秋楽も負けて6勝9敗になり、高田川の期待に応えることはできなかった[1]。4月の春巡業では連日、朝稽古で積極的に申し合いに参加。「相撲を取っていかないと相撲を取れなくなる」と禅問答のようなコメントを残した。ときには幕下力士とも相撲を取るなど必死さを見せた。5月9日に尾車部屋で行われた二所ノ関一門の連合稽古では、十両の申し合いで一番最初に土俵に入った。「(攻めが)遅いんだ。何だその相撲は」「膝が伸びきっているから力が出ないんだ」と高田川の厳しいゲキを受けて合計16番取った。その後は稀勢の里、白鵬の両横綱の稽古を見つめて自らの糧にした[10]。5月場所は5日目まで2勝3敗と出遅れ、6日目から10日目まで5連勝したものの、11日目と12日目を連敗。幕下陥落の危機にあったが、13日目に勝って勝ち越しを確定させた。この場所は9勝6敗と関取残留を果たした。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを6番行った[11]。6日の横浜場所の朝稽古では10番申し合いを行った[12]。8日の富士場所では十両の申し合いに参加し、14番取った[13]。自己最高位となる西十両2枚目で迎えた11月場所は、13日目に勝ち越しを決めて8勝7敗。これで4場所連続での勝ち越しとして、場所後の番付編成会議にて2018年初場所での新入幕が決定した。序ノ口まで落ちた十両経験者の入幕は琴別府に続き史上2人目[14][15]。山梨県出身力士の入幕は、1988年春場所の大乃花武虎以来29年10か月ぶりとなる。これに伴い、地元の新聞社は号外を発行した[16]。
新入幕となった初場所では5日目まで2勝3敗と序盤は出遅れたが、12日目に勝ち越しを決め、10勝5敗で敢闘賞を受賞した。山梨県出身力士の幕内勝ち越しおよび三賞受賞は1983年秋場所の富士櫻栄守以来34年4か月ぶり、また新入幕での二桁勝利および三賞受賞は山梨県出身力士として初めてとなった。続く3月場所は6枚半上昇の西前頭9枚目と、自己最高位を更新。白星スタートとなったものの、2日目からの5連敗もあって10日目の時点で3勝7敗と後がなくなった。しかし12日目の蒼国来戦を不戦勝で勝利する幸運もあり、残りを5連勝として8勝7敗と勝ち越しを決めた。この場所の5日目には栃煌山に珍しい決まり手である波離間投げで敗れた。通常は大柄の力士が小柄な力士に決めることの多い決まり手だが、対戦相手の栃煌山は竜電とほぼ同じ体格だった。9月場所はその場所の幕内最速となる9日目での勝ち越しを決め[17]、10勝5敗と敢闘賞候補に挙がったが、票が足りずに見送りに[18]。国技館内相撲記者クラブ会友の委員からは「竜電はもう少し進歩を見たい」と意見が出された[19]。それでも本人は場所の相撲について「基礎をしっかりやっているので」と下半身の安定を感じ、さらに「攻める気持ちがあるので上体も起こされない」と好調を実感していた[20]。
取り口
両差しになって前に出るのが竜電の相撲。2018年1月場所のように、先手を取って攻め、両差しになる相撲が冴え渡ると好成績を残せる。一方、小兵には手を焼く面があり、2018年1月場所5日目の石浦戦に関しては「小さい相手が苦手なんでいやだったんですけど」と同年3月場所前のインタビュー記事で答えている。2018年1月場所時点では、幕内上位で活躍する力士に対しては力量の差から両差しになっても攻め切れない一面がある[6]。
エピソード
- 2009年の大相撲を振り返る番組「大相撲 とことんいいます」(同年12月29日・NHKで放送)では、舞の海や好角家のデーモン小暮閣下らから、隠岐の海と共に今後の活躍を期待する存在として話に上がった。なお幕下の力士が候補に上がることは極めて異例。
- 新十両昇進時に山梨スピリッツが組んだ特集には関取昇進の近い竜電が泣きべそをかくほどに厳しい高田川の指導の様子が報じられ、竜電はその特集で「できると思ってるから親方はやらせてくれる。だから逃げることはできない」と猛稽古を課したことに謝意を表していた。[21]
- 2017年11月の時点でも竜電は稽古の厳しさから高田川が怖く、朝が来るのを恐れているという[5]。
- 2017年6月1日、甲斐市立竜王小学校を訪れ、はしゃぐ児童と相撲を取るなど交流をした。竜電は、同じ高田川部屋の弟弟子で県出身の勝武士(当時三段目)と共に訪れ、同校の全児童約440人が出迎えた。竜電らが体育館に姿をみせると児童は「大きい」「強そう」などと歓声を上げて、クイズや相撲を通して交流した。質問コーナーもあり、竜電が、きつい稽古があるため、朝ごはんは食べないことや回転ずしでは勝武士と合わせて100皿近く食べることなどを披露。児童は驚きの声を上げながら笑顔を見せた。「夢をかなえるには何が必要か」との質問には「我慢して諦めず努力し続けることが重要」と回答。けがに苦しみながらも昨年、4年ぶりに十両に復帰した自らの経験をもとに、後輩を激励していた[22]。
略歴
- 2006年3月場所 - 初土俵。2番出世。
- 2006年5月場所 - 序ノ口
- 2006年7月場所 - 序二段
- 2007年3月場所 - 三段目
- 2008年3月場所 - 幕下
- 2009年7月場所 - 幕下優勝同点
- 2012年9月場所 - 幕下優勝
- 2012年11月場所 - 新十両
- 2014年9月場所 - 序ノ口優勝
- 2014年11月場所 - 序二段優勝
- 2015年1月場所 - 三段目優勝
- 2016年11月場所 - 返り十両
- 2018年1月場所 - 新入幕、初三賞
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:321勝239敗62休(75場所)
- 幕内成績:39勝36敗(5場所)
各段優勝
- 幕下優勝:1回(2012年9月場所)
- 三段目優勝:1回(2015年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2014年11月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2014年9月場所)
三賞・金星
- 三賞:1回
- 敢闘賞:1回(2018年1月場所)
- 金星:なし
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2006年 (平成18年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口28枚目 4–3 |
西序二段120枚目 6–1 |
西序二段39枚目 3–4 |
西序二段59枚目 5–2 |
2007年 (平成19年) |
東序二段20枚目 4–3 |
西三段目100枚目 4–3 |
西三段目81枚目 3–4 |
西三段目91枚目 5–2 |
西三段目60枚目 5–2 |
西三段目34枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
西三段目49枚目 6–1 |
西幕下59枚目 2–5 |
西三段目21枚目 3–4 |
西三段目36枚目 4–3 |
東三段目20枚目 6–1 |
西幕下42枚目 3–4 |
2009年 (平成21年) |
東幕下52枚目 6–1 |
西幕下25枚目 2–5 |
東幕下38枚目 3–4 |
西幕下46枚目 6–1 |
西幕下19枚目 4–3 |
東幕下15枚目 5–2 |
2010年 (平成22年) |
西幕下9枚目 3–4 |
東幕下15枚目 2–5 |
東幕下29枚目 4–3 |
西幕下24枚目 2–5 |
東幕下39枚目 3–4 |
東幕下46枚目 5–2 |
2011年 (平成23年) |
東幕下33枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
東幕下27枚目 4–3 |
西幕下14枚目 3–4 |
西幕下17枚目 5–2 |
西幕下8枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西幕下6枚目 2–5 |
西幕下14枚目 6–1 |
東幕下5枚目 3–4 |
西幕下8枚目 3–4 |
西幕下12枚目 優勝 7–0 |
西十両12枚目 4–5–6 |
2013年 (平成25年) |
東幕下4枚目 2–5 |
東幕下10枚目 休場 0–0–7 |
西幕下50枚目 休場 0–0–7 |
西三段目30枚目 1–2–4 |
東三段目69枚目 休場 0–0–7 |
東序二段30枚目 休場 0–0–7 |
2014年 (平成26年) |
西序ノ口10枚目 1–0–6 |
西序ノ口7枚目 1–0–6 |
東序ノ口筆頭 1–0–6 |
東序ノ口14枚目 1–0–6 |
西序ノ口17枚目 優勝 7–0 |
西序二段11枚目 優勝 7–0 |
2015年 (平成27年) |
東三段目20枚目 優勝 7–0 |
東幕下14枚目 2–5 |
東幕下28枚目 6–1 |
東幕下10枚目 2–5 |
東幕下25枚目 5–2 |
西幕下11枚目 4–3 |
2016年 (平成28年) |
東幕下9枚目 3–4 |
西幕下13枚目 6–1 |
東幕下3枚目 3–4 |
東幕下7枚目 5–2 |
西幕下2枚目 4–3 |
東十両13枚目 9–6 |
2017年 (平成29年) |
西十両10枚目 9–6 |
西十両8枚目 6–9 |
東十両12枚目 9–6 |
西十両8枚目 9–6 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 8–7 |
2018年 (平成30年) |
東前頭16枚目 10–5 敢 |
西前頭9枚目 8–7 |
東前頭7枚目 3–12 |
西前頭15枚目 8–7 |
東前頭13枚目 10–5 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 竜電 剛至(りゅうでん ごうし)2006年3月場所 -
脚注
- ↑ 1.0 1.1 十両・竜電、信玄餅15個食べて春場所へ出陣 2017年3月12日8時0分 スポーツ報知
- ↑ 当時17歳3ヶ月で、平成に入ってからは貴乃花、稀勢の里に次ぐ最年少での幕下昇進。
- ↑ 大相撲九州場所:足踏み4年、今からが勝負 新十両の竜電 毎日jp 2012年9月26日閲覧
- ↑ 4.0 4.1 山梨)竜電「九州場所では勝ち越し目指す」 朝日新聞DIGITAL 2016年10月1日03時00分
- ↑ 5.0 5.1 大空出版『相撲ファン』vol.06 p12-17
- ↑ 6.0 6.1 6.2 『相撲』2018年3月号 p.16-17
- ↑ 幕下以下の取組編成は相星対決が原則であり、そのため同じくこの場所を序ノ口で6休していた森麗との対決となった。
- ↑ “小柳ら3人が新十両に 再十両は山口と竜電”. SANSPO.COM. (2016年9月28日) . 2016閲覧.
- ↑ 豪栄道「遠藤は大関陣や横綱を持っていったりしていたので…」 SANSPO.COM 2016.11.24 19:31
- ↑ 竜電、2場所ぶり勝ち越しへ気合…負け越せば幕下陥落危機 2017年5月14日8時0分 スポーツ報知
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p5
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p10
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78
- ↑ https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122600807&g=spo 竜電、序ノ口から再起=大相撲
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.97
- ↑ 竜電が平幕唯一勝ち越し、快進撃支える2つの理由 日刊スポーツ 2018年9月17日20時13分(日刊スポーツ新聞社、2018年9月21日閲覧)
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.7
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.6
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.63
- ↑ YBS TV 山梨スピリッツ 2012.11.4
- ↑ 竜電関が竜王小に 児童と交流「はっけよい!」 毎日新聞2017年6月2日 地方版
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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