豪栄道豪太郎
豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう、1986年4月6日 - )は、大阪府寝屋川市出身で境川部屋所属の現役大相撲力士である。本名は澤井 豪太郎(さわい ごうたろう)、愛称はゴウタロウ、豪ちゃん。身長183cm、体重160kg、血液型はB型。得意手は右四つ・寄り・出し投げ・切り返し・外掛け・首投げ。趣味は格闘技テレビ観戦、漫画雑誌を読むこと。好きな食べ物は牛肉、嫌いな食べ物は生魚、納豆、漬け物。最高位は東大関。締め込みの色は現在は黒色。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]。
Contents
来歴
生誕
大阪府寝屋川市で生まれる。体重4380グラムと、かなり大きな赤ちゃんで、豪太郎の母親が車を運転する時には、ハンドルとお腹が擦れるほどであったという。男の子らしい名前にしたいと「太郎」を、さらに豪華で大きいというイメージから「豪」の字をひらめき、「もっとも豪華で大きな太郎」という意味を込めて、「豪太郎」と名付けられた[2]。
入門前
明和小学校1年生の頃から相撲を始める。当時の豪栄道が同級生の子供らの中で偉そうにしているのを見かねた家族が「相撲大会で大きい子にやっつけてもらおう」と市の相撲大会に出場させたところ、思いがけず優勝してしまった。それ以来本人は相撲の面白さの虜になったという[3]。
小学校3年生からアマチュア相撲では高名な交野市の古市道場(元十両・古市の実家)に京阪電車で通い、相撲の手ほどきを受ける[4]。小学校時代は5年生の時には「わんぱく横綱」に輝くなど大活躍していたが[5] 寝屋川四中時代には中学3年生の時点で80kgと軽量な体重のために低迷。相撲に対する熱意が薄れたという[6]。名門埼玉栄高校相撲部の監督に勧誘された際は中学時代の不振を理由に躊躇ったが、そんな自分に声を掛けてくれたことに心を動かされ埼玉栄高校への進学を決心。中学3年の夏ごろから埼玉栄への入学が決まった10月までの半年足らずの間に体重を30kg増量し、身体を作ることにつとめた。高校入学後は相撲部に在籍し稽古に邁進。高校相撲では1年生の頃からインターハイや全国大会で頭角を現し[6]、高校横綱、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など11個の個人タイトルを獲得し活躍。全日本相撲選手権大会でも高校生としては史上4人目となる3位入賞を果たした。全日本選手権の大会前には初の「高卒の幕下付出」の出現も期待されていたほどであった[7][8]。2004年の全日本選手権直前、記者に対して大会を控えての謙遜や緊張の様子を見せるどころか「プレッシャーはないっすね。できるものなら優勝したいっす。狙っています」と言ってのけ、後年の文献では「ほとんど笑うことはなく、そのたたずまいは高校生ではなく勝負師だった」と評されている[9]。
高校の2学年後輩にあたる常幸龍は高校時代の豪栄道について「実力が違い過ぎたので稽古を付けてもらったことも無い。アマチュアのトップだった」と証言している[10]。元幕下・大翔勇でお笑い芸人のマービンJr.は埼玉栄高校の後輩である縁から豪栄道ネタを十八番としている。
同期では春日野部屋の栃煌山は自他共に認める少年時代からのライバルである。
入門から新入幕まで
高校3年生の時に日本大学への推薦入学が内々定したが、澤井は角界入りを望んでいた。結果として日大への進学を辞退したが、これによって直前に控えていた国民体育大会相撲競技に臨むために稽古をする場所がなくなった(豪栄道の稽古相手が務まる選手は日大ぐらいにしかいなかった)。そんな時、埼玉栄高相撲部の山田道紀監督の先輩である境川親方(元小結・両国)に相談したら部屋の力士が稽古相手を引き受けてくれた。幕下相手に稽古をしたら澤井の方が圧倒的に強かったという。境川部屋には稽古に行くだけかと思われたが入門を即断して、そのまま境川部屋へ入門し角界入り[11]。2005年1月場所に初土俵を踏み前相撲デビューする。三学期に入門してはいるが、埼玉栄高校は卒業している。
序ノ口から三段目までをそれぞれ1場所で通過し、幕下2場所目となる2005年11月場所では7戦全勝の成績を挙げて初の幕下優勝を果たした。2006年1月場所では西幕下2枚目の位置まで番付を上げたものの3勝4敗と入門してから初の負け越しを経験した。翌3月場所も3勝4敗と連続して負け越した澤井は「勝ちたい気持ちが強すぎて、固くなって自分の相撲が取れなくなった」と立合いで変化して相手を捌く小手先の相撲を封じ、以降関取昇進まで立合いで正面から当たれるようになったことで攻めのスピードも上がった[12]。新十両昇進では栃煌山に先を越されたものの、2006年9月場所において西幕下6枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて2回目の幕下優勝を果たして、翌11月場所において新十両へ昇進し、同時に四股名を本名の「澤井」から「豪栄道」へと改名した[8]。"豪"は本名の豪太郎と師匠の境川豪章の名前から、"栄"は埼玉栄高から、"道"は相撲道と埼玉栄高相撲部監督の山田道紀の名前から1字ずつ採り、「力強く栄え相撲道に精進する」意を込めた[13][12][15]。
新十両となった2006年11月場所と翌2007年1月場所は連続して勝ち越し、安定した実力を示す[8]。
ひと足先に栃煌山が入幕した翌3月場所では、初日から7連勝して十両優勝の争いに名乗りを上げ、千秋楽には里山に敗れ惜しくも十両優勝とはならなかったが11勝4敗の好成績を挙げた[8]。東十両3枚目へと番付を上げた翌5月場所では6勝9敗と負け越すが、翌7月場所では西十両5枚目の位置で12勝3敗で優勝決定戦へ進出、岩木山・旭天鵬との巴戦となった優勝決定戦で敗れ十両優勝を逃した[8]ものの、好成績は翌9月場所の新入幕昇進を確実なものとした。
幕内昇進から三役定着まで
晴れて新入幕となった2007年9月場所は西の14枚目の番付で、2日目に栃煌山戦で負けた以外は白星を連日積み重ね、11日目の時点で10勝1敗の好成績を挙げ新入幕力士ながらも優勝争いに加わり日を追うごとに存在感を見せつけた。11日目に新横綱・白鵬が2敗目を喫したために俄然、単独で優勝争いのトップに躍り出る。そのため12日目からは上位の役力士らとの対戦が3日連続で組まれ、12日目には安馬(のちの横綱・日馬富士)、13日目には大関・千代大海、14日目には横綱の白鵬と対戦するがいずれも勝てなかった。新入幕の力士が最高位の横綱と対戦するのは戦後4人目に数えられる記録とされ、1995年7月場所2日目の新入幕土佐ノ海と横綱・貴乃花以来12年振りの極めて珍しい事態となった。優勝争いからは外れるも、最終的には新入幕で11勝4敗の好成績を挙げ、初の敢闘賞を受賞し次代を担う若手有望株と目される場所となった[8]。続く11月場所では番付上位へ躍進し2日目から6連勝、後半に負けが込んだものの8勝7敗と勝ち越しを決めた。東前頭3枚目の位置まで番付を上げた翌2008年1月場所では、3日目に大関・琴光喜を破り大関戦初勝利を挙げたものの、結果的には5勝10敗と、自身の入幕後において初めての負け越しを喫した[8]。西前頭5枚目の位置で迎えた同年9月場所では10日目の時点で9勝1敗と好調ぶりを示し、横綱・大関ら上位陣には不戦勝の朝青龍を除いて1勝もできなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞し、翌11月場所において新三役となる東小結へと昇進した。その11月場所では5勝10敗と大敗したものの、平幕へ陥落した翌2009年1月場所で10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞し、翌3月場所で小結へ復帰した。その3月場所では白鵬と朝青龍の両横綱には敗れたものの、千代大海・琴光喜・琴欧洲の3大関と把瑠都・稀勢の里の両関脇を破り9勝6敗と勝ち越しを決め、翌5月場所に西関脇に昇進した。2010年1月場所5日目に対横綱戦の初勝利となる金星を朝青龍から挙げ座布団の雨を降らせたが、この場所後に朝青龍は自身の問題行動による引退を表明したため、結果的に豪栄道が朝青龍にとって最後の金星配給の相手となった。
2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では野球賭博に関与したという事で、特別調査委員会から謹慎休場を勧告され[16]同年7月場所を休場し、翌9月場所の番付は十両への陥落を余儀なくされた[8]。この問題で法的には、2011年3月3日に賭博開帳図利容疑で書類送検された[17]。場所中の名古屋では宿舎からの外出禁止が厳しく言い渡された。自責に駆られ引退の可能性も口にしていたようだったと母からの証言もあり、思い悩んだ謹慎時に一緒に苦しんでくれた師匠の元で相撲の稽古に精進した[14]。
東十両筆頭の位置で迎えた2010年9月場所で12勝3敗の好成績を挙げて周囲との実力差を示し、1場所での幕内復帰を果たす。翌11月場所でも12勝3敗という好成績を挙げた。続く2011年1月場所でも11勝4敗と大勝し、翌5月技量審査場所でも3場所連続しての二桁勝利となる11勝4敗の好成績を挙げて[18]2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では再び東小結へ昇進したものの、その7月場所では5勝10敗と大敗した。2012年3月場所では西前頭6枚目の位置で12勝3敗という好成績を挙げて3回目の敢闘賞を受賞[19][8]。
14場所連続関脇在位を経て大関へ
再び自己最高位となる西関脇へ昇進した2012年5月場所では、8日目に横綱・白鵬に初めて勝利し、加えて把瑠都・琴奨菊・琴欧洲という3大関も破る活躍で8勝7敗と勝ち越しを決め、初の殊勲賞を受賞した[8]。この5月場所の後、同年3月場所前から違和感があったという左肘を内視鏡手術し、遊離軟骨の除去を行っている[20]。自己最高位を更新する東関脇の位置で迎えた翌7月場所では、2日目に琴欧洲を破り、7日目に稀勢の里を破ったものの、その稀勢の里戦で左脇腹を痛めてしまい、その後も出場して勝ち越しを目前としていながら、13日目の栃ノ心戦において上手投げで敗れた際に負傷箇所を悪化させたために翌14日目から休場し、結果的には7勝7敗1休という成績となって負け越した。前場所で負け越したものの翌9月場所でも西関脇の位置に留まった。
翌11月場所では幕内では自身初となる初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決めた。その後、9日目に横綱・日馬富士に敗れ[21][22][23]、12日目まで4連敗を喫して優勝争いからは脱落したものの、2009年9月場所における把瑠都以来となる5大関全員を破る活躍を見せて、11勝4敗の好成績を挙げて3回目の技能賞を受賞した[8]。
2013年4月23日には、豪栄道の送迎を担当する個人運転手が同年2月20日に豪栄道の自宅に侵入し腕時計(300万円相当)を窃盗したとして、逮捕された。警視庁竹の塚警察署によると、容疑者は「夜中に車を使われるのが嫌だった。困らせてやりたかった」と供述した[24][25]。
2013年5月場所は7勝8敗と5場所ぶりに負け越したが、翌7月場所は西関脇にとどまり、その場所では初日から3連敗したが、終盤に6連勝し8勝7敗と勝ち越した。
2013年7月場所初日に相撲解説者の舞の海秀平が「場所前にぎっくり腰になった」と明かしたが、豪栄道は絶対に怪我のことを自分で言いたがる力士ではない[27]。
2013年9月場所では9場所関脇連続在位となり、史上3位タイの記録となった[28]。その場所では10日目に横綱・白鵬に唯一の黒星を付け、その他にも4日目に大関・琴奨菊、5日目に大関・琴欧洲、13日目に大関・稀勢の里を破る活躍を見せて11勝4敗の好成績を挙げ、2回目の殊勲賞を受賞した。翌11月場所は関脇連続在位が10場所となり、関脇連続在位は昭和以降では単独3位の記録となった。
同年10月には、寝屋川市ふるさと大使の委嘱を寝屋川市役所から受け(2015年11月現在に至る)、同市役所には豪栄道の等身大パネルやトロフィーなどが展示されている[29]。
何度も大関取りを逃しては関脇で停滞を繰り返したことで一時期は「弱いから去年と同じ地位にいるんです」と自嘲気味だったが[30]、2014年からは大関昇進を公言して自らを奮い立たせようとした[31]。
2014年1月場所は関脇連続在位が11場所となり、関脇連続在位は昭和以降では琴光喜に並ぶ2位タイ記録となった。翌3月場所は関脇連続在位が12場所となった。関脇連続在位は昭和以降では単独2位(1位は魁皇の13場所連続)の記録となった。また、栃煌山が関脇に復帰したため、3関脇となった。3関脇は、2011年9月場所以来である[32]。その場所では、7日目に大関・琴奨菊、13日目に横綱・日馬富士、千秋楽に大関・稀勢の里を破る活躍を見せて12勝3敗の好成績を挙げ、3度目の殊勲賞を受賞した。
翌5月場所は関脇連続在位が13場所となり、昭和以降では魁皇と並び1位タイ。この場所は成績いかんで大関昇進にもなり得るが、10日目を終えて5勝5敗と不調であった。それでも11日目に横綱・白鵬を破る殊勲の星を上げ、千秋楽に大関・琴奨菊を下して8勝7敗と勝ち越しを決め、4回目の殊勲賞を受賞した。続く7月場所は関脇連続在位が14場所となり、昭和以降では単独1位の記録となった。この場所は14日目が終了した時点で「関脇で安定しているので大関になってもまだまだやれるだろう」と伊勢ヶ濱審判部長が関脇連続在位記録を評価し、理事会で千秋楽の琴奨菊戦で白星を挙げることを条件として大関昇進を認める方針が決定した[33]。千秋楽の取組では寄り切りで琴奨菊を下し、事前に示された条件を満たす形で大関昇進を決定づけた[34][8]。
それから3日後の7月30日、愛知県体育館で開かれた日本相撲協会の番付編成会議と臨時理事会において、満場一致を得て正式に豪栄道の大関昇進が決定した[35]。大阪府出身の大関誕生は、1970年9月場所に新大関となった前の山太郎以来44年ぶりである[36]。協会は直ちに出来山理事と大鳴戸審判委員を愛知県扶桑町の境川部屋宿舎に使者として派遣し、昇進を伝達。伝達式では、「謹んでお受けいたします。これからも大和魂を貫いて参ります」と口上を述べた[37]。しかし、7月場所12日目の日馬富士戦で左外側半月板損傷の重傷を負ったことを受けて、場所直後の夏巡業は全休した[38]。
実母は大関昇進が確実となった豪栄道について「小さいときから肉をよく食べていました。ガキ大将でしたが、今もそのまま大きくなった感じです。大学に進学することも考えてましたが、今はプロに入って良かった」と語っている[39]。
大関昇進後
新大関として迎えた9月場所には初日の髙安戦でいきなり黒星を喫する。2日目の豊ノ島戦では不戦勝による大関初白星を得たが、昇進後の初白星が不戦勝というケースは昭和以降初めてである[40]。12日目には1敗を守り優勝争いをしていた新入幕の逸ノ城に破れた[41]。6勝6敗で迎えた13日目の白鵬戦では勝利を収める奮闘を見せ、千秋楽での勝利によりようやく8勝7敗の勝ち越しを果たした[42][43]。場所後の10月5日、相撲関係者を始めとして約1000人が集まった大規模な昇進披露宴が開催され、北の湖理事長や横綱審議委員会の松家里明らから激励を受けた[44]。
しかし続く11月場所では振るわず、中日から5連敗と崩れて12日目に負け越しが確定。結局同場所を5勝10敗の成績不振に終わる。2015年1月場所は大関3場所目で初の角番を迎えるが、12日目終了時点で5勝7敗と絶体絶命。あわや僅か在位3場所で大関陥落の大ピンチに陥ったものの、土壇場から3連勝して千秋楽に琴奨菊に勝利して8勝7敗と勝ち越し、辛うじてカド番を脱出し関脇転落を免れた。
大関としては初めて地元の大阪府・3月場所を控え、場所前に「優勝争いに加わり13勝する」と公言したものの、結果的には8勝7敗どまりであった[45]。5月場所は12日目に白鵬に首投げで土をつける活躍を果たしたもののその1番で左肩を故障。13日目に勝ち越しを果たしたにもかかわらず、14日目に「左肩峰剥離骨折で約4週間の加療を要する見込み」との診断書を日本相撲協会に提出して休場した。[46]
2015年7月場所、左肩のケガが完治せずも敢えて強行出場。初日からいきなり2連敗と苦戦を強いられたが、7日目に新大関・照ノ富士を下すなど持ち直して12日目に勝ち越し。その後白鵬・鶴竜の両横綱には敗れたが、千秋楽は稀勢の里を突き落とし、自身大関としては最高成績の9勝6敗で取り終えた。だが翌9月場所は、絶不調であり、千秋楽に稀勢の里に寄り切られ7勝8敗、大関として2度目の皆勤負け越しを喫してしまった[47]。次の11月場所は2度目の大関角番だったが、千秋楽の栃煌山戦で得意の首投げでぎりぎり8勝7敗と勝ち越して大関の地位を確保した。
2016年1月場所は前年11月場所前に傷めた右手首痛が悪化した影響からか[48] 、7日目からは9連敗、12日目の白鵬戦で突き落とされ、負け越しが決定。千秋楽には大関・琴奨菊に突き落とされ、2006年1月場所の栃東以来10年ぶりの日本出身力士による幕内優勝を献上する格好となった。最終的に大関昇進後ではワースト成績の4勝11敗に終わってしまい、ご当所・2016年3月場所は3度目の大関カド番となる[49]。3月場所は好調で、5日目に琴勇輝に敗れた以外は白星を増やし、9日目に早々にカド番を脱出。11日目終了時点で10勝1敗で白鵬、稀勢の里と並び優勝争いのトップに立った。しかし12日目の白鵬との直接対決であっけなく敗北。その後も優勝争いに絡み続けたが、千秋楽で稀勢の里に敗れ、12勝3敗で終えた。それでも大関昇進後初の二桁勝利をあげる活躍をみせた。この場所は5日目の相撲で右太もも肉離れの重傷を負っており、蹲踞もできず他人の肩を借りないと歩けないほどであったが、人知れず複数の病院に出向き、痛み止めの注射を5本も打ち、栃木から気功師まで呼んで緊急処置を受け、土俵に立ち続けた[50]。5月場所は開幕5連勝と好調な滑り出しだったが、6日目に琴勇輝に立合いが上手く合わずに敗れるとその後調子を崩し、9勝6敗の成績だった。この場所12日目の白鵬戦では左目眼窩内壁を骨折した[50]。7月場所は12日目までに7勝を挙げるもそこから負け続け[51]、7勝7敗で迎えた千秋楽も敗れ3連敗を喫し7勝8敗と負け越した。
角番から全勝初優勝
場所前の9月6日、境川部屋に出稽古に来た日馬富士との三番稽古を終えた後、今年は大関の活躍が目立つが、という趣旨の記者の質問に対して「俺も目立ちたい。プロなんだから目立ってなんぼ」と4度目の角番を迎える大関の心境とは思えない前向きな言葉を発した[52]。普段いくら軽口をたたいても、相撲のこととなれば慎重に言葉を選ぶ豪栄道であったが、8月に「タイを用意しといて」と言って周囲を驚かせた。場所前は「自分で『努力してます』って言うやつが嫌い」と稽古の内容を詳しく話すことはなかったが、場所中に二所ノ関審判部長(元大関・若嶋津)が「体が張っている。大きくなっている」と評したように、好調ぶりは明らかであった[53]。自身4度目の角番で迎えた9月場所、初日から連勝を続け好調を維持。7日目に2横綱3大関を倒し快進撃を続けていた隠岐の海との全勝対決を制し隠岐の海の勢いを止め「負けないと思っていた。気合が入っていたので(隠岐の海の勢いは)気にしなかったです」と語り[54]、11日目には逆転優勝を目指していた稀勢の里を渡し込みで下す[55]。13日目には前場所優勝者の横綱日馬富士に土俵際の首投げにて逆転勝利する。この勝利に豪栄道は「必死でした。褒められた技じゃないけど、今日に関してはよしとしないと」と、興奮気味に語っていた[56]。そして迎えた14日目。玉鷲を完勝で下し14連勝を挙げ千秋楽を前に幕内最高優勝を決めた。かど番での優勝は2008年5月場所の琴欧洲以来8人目[57]。幕内在位53場所目での初優勝は史上4位のスロー記録となった[58]。また、大阪出身力士としては1930年1月場所の山錦善治郎(出羽海部屋)以来となる86年ぶり3人目の優勝であり[59]、15日制となってからは大阪出身力士の優勝は初[60]。また現行の優勝制度施行以来103人目の優勝力士誕生となった[59]。優勝のインタビューでは涙を流し「いろいろな思いがありました。思い通りにいかないことが多くてつらかったけど、今日で少し報われました。うれし涙です」「大関に上がってなかなか思うように勝てなくて、そういうつらい中で、自分の中で我慢してきた」「僕は不安でいっぱいだった。勝負ごとは最後まで分からない」と語り、優勝できた勝因については「右差しにこだわって取ったのが良かった」と振り返り「まぐれだと言われないように来場所、頑張りたい」と来場所についても語った。綱取りについては「まだ何も考えていない。ちょっと余韻に浸らせてください」と、喜びをかみしめ家族との優勝記念写真におさまっていた[61]。そして、千秋楽も大関琴奨菊を寄り切りで破り初優勝を全勝で決めた。大関角番での全勝優勝は史上初。日本人力士の全勝優勝は1996年9月場所横綱貴乃花以来20年ぶり[62]。初優勝が全勝となるのは1994年7月場所の大関武蔵丸以来22年ぶり[63]。日本人大関の全勝優勝は1994年11月場所貴乃花以来22年ぶりとなった[64]。全勝で場所を終えたことに豪栄道は「大満足です」と語っていた[65]。また、埼玉県から彩の国功労賞を受賞。
初優勝後
自身初めての東正位大関、そして初めての綱取りで迎えた11月場所も初日から連勝を続け、前場所から20連勝を記録。日本出身力士の20連勝以上は、大関・貴乃花94年九州場所以来。史上25人目の快挙[66]。しかし6日目に玉鷲に突き落としで敗れ連勝が20でストップした[67]。翌日の6連敗中の魁聖には勝利するもその翌日から1勝6敗の不調の隠岐の海に物言いで際どい判定だったが軍配覆り敗戦し[68]、続く稀勢の里にも敗れ連敗。琴奨菊に勝利してからは3敗で追走していたが13日目に日馬富士に敗れた。豪栄道は「今場所で相撲人生が終わるわけではない」と前を向いたがこの敗戦で4敗に後退し優勝の可能性と綱取りが完全消滅した[69]。この場所優勝は鶴竜が14勝1敗だったため、結果的にこの場所早々に優勝争いから脱落していた。結局この場所終盤横綱3人に3連敗するなど9勝6敗で初めての綱取り場所は終了した。豪栄道は場所を振り返り「もうちょっと相手を良く見ていけばね、最後までね」と発言し、動きについては「動きは悪くなかった」と手ごたえも口にし、「期待されてて、それに応えられなかったのは申し訳ないけど、また来場所から気合入れてやるだけです。いい経験できるように」と気持ちを新たにしていた[70]。
2016年12月20日、第49回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞「功労賞」を受賞した。「思い通りにいかないことも多くて辛い日もあったけど、少し報われた」と本人はコメント[71]。
2017年1月場所は場所前に腰を痛め出場さえ危ぶまれたが[72]なんとか出場し、他の横綱、大関陣の多くが早々に脱落する中12日目まで3敗で優勝争いをしていた。だが、12日目に遠藤に敗れて優勝争いから脱落。さらに取組で足を負傷してしまう[73]。結局、相撲がとれる状態ではないということで休場し稀勢の里戦は不戦敗となった[74]。怪我の詳しい症状は右足関節外側靱帯損傷のため全治1カ月であり重症であった[75]。休場までに8勝を挙げていたため、カド番は免れる形となった。
3月場所は地元大阪だったが2日目から4連敗し、6日目に右足関節外側靱帯損傷で約5週間の加療との診断書を提出し休場、来場所は歴代ワースト8位の5度目の角番となった[76]。春巡業深谷場所では5月場所に向けて本格的に稽古を再開した。豪栄道は同じ相手と続けて相撲を取る三番稽古で、佐田の海と3番、母校の埼玉栄高の後輩となる大栄翔と9番を取った。左前ミツからの力強い寄りや横に動いての投げを見せたが、「体の反応とかがちょっと遅い。(調整は)これからじゃないですか」と納得はしていない様子だった[77]。5月2日にはその前日に死去が公表された、自身の大師匠にあたる佐田の山の遺影の前で黙祷を捧げた。豪栄道は「最近は出羽海一門の関取も減っている。頑張らないといけない」と責任感をにじませた[78]。
5月場所は11日目の時点で6勝5敗と勝ち越しを果たせるかどうか微妙なところであったが、13日目に勝ち越しを決め、9勝6敗で角番を脱出した。6月22日の朝稽古にはNFLのペイトリオッツに所属するトム・ブレイディが見学に訪れ、豪栄道はぶつかり稽古でブレイディに胸を出した[79]。
7月場所は初日から連敗。しかしその後3連勝し持ち直すも終盤の3連敗で7勝8敗と負け越し、来場所は歴代ワースト7位の6度目のカド番となる。8月7日の夏巡業本庄場所では正代を三番稽古の相手に指名し、9戦全勝[80]。13日の夏巡業仙台場所では朝稽古の土俵下で日馬富士から「やってみろよ」と勧められ1個5㎏の重りを両手に持ち腕を回すという内容のトレーニングを行った。勧めた日馬富士は「1人でやるのは寂しかったからさ」と笑いながらも「重いものを上げるばかりがトレーニングじゃない。これは腰から、首と全身を鍛えられるんだよ」と力説。「こういうやり方もあると実感できただけでも大きい」と豪栄道もヒントを得た様子だった[81]。8月17日、当時夏巡業札幌場所に参加中であった豪栄道は、札幌ドームで行われた北海道日本ハムファイターズ対埼玉西武ライオンズ戦で始球式を行った[82]。 照ノ富士が大幅に負け越したため、負け越しながら9月場所も西の正大関で迎えた。
9月場所は横綱3人がいきなり初日から休場。さらに大関も二人が休場し豪栄道のみになるなど幕内で休場者が続出する波乱の場所になる。豪栄道も初日いきなり琴奨菊に変化されて敗れるがその後8連勝し、見事角番脱出に成功。1敗で優勝争いをする。11日目に10連勝で二桁に到達し、11日目の段階で2敗力士が消え3敗に平幕力士がいるのみとなった。この後3敗力士もそろって敗れていき4敗に後退。優勝に王手をかけるものの、12日目に松鳳山、13日目に貴景勝と平幕の力士に連敗。その間3日目から琴奨菊、北勝富士、序盤の秋場所を引っ張った阿武咲に3連敗を喫し、10日目の貴景勝との一番にも落とした日馬富士に追い上げられてしまう。そして千秋楽の直接対決、本割と優勝決定戦ともに圧倒的な内容で寄り切られるという、実力差をまざまざと見せつけられるかのような敗戦で逆転を許してしまう。一時は3差あった状況からの屈辱の大失速で、優勝を逃し、11勝4敗の優勝同点の成績で終えた。 審判部の二所ノ関部長(元大関・若嶋津)は、本割で勝って12勝3敗での優勝なら「来場所につながるだろう」と九州場所での綱取りを明言したが、優勝同点に留まった事に、「2番ともに相撲にならなかった。横綱3人も休んでいるなか11番では…印象は悪いし、難しい」と否定的な見解を示し、綱取りにはならなかった[83]。敗れた豪栄道は、「いつか、これがあったからよかったと言える相撲人生にしたい」と、リベンジを誓った[84]。10月18日の秋巡業津場所ではこの巡業に入って初めて相撲を取り、正代と5番取って全勝[85]。11月3日に福岡県大野城市にある境川部屋九州場所稽古場では妙義龍ら部屋の力士と申し合いを行い、21戦全勝[86]。
11月場所は初日から好調で5連勝。しかし6日目から連敗。その後再び連勝するが再び3連敗。7勝5敗となったところで13日目の大関同士の対戦が高安の休場のため不戦勝となり13日目に勝ち越しを決め9勝6敗で場所を終えた。
2018年1月場所は初日から4連勝するもその後連敗し優勝争いから脱落。終盤3連敗するなど最終的に8勝7敗で場所を終えた。場所初日に北の富士が「今場所はいいと思うよ」と断言したが、結果的には振るわなかった[87]。
3月場所は地元大阪の観客から連日の大歓声を受けたが、初日に苦手の玉鷲に敗れると、4日目には遠藤に敗れて序盤から波に乗れなかった。中盤に持ち直したが、9日目に大関初挑戦となる千代丸に敗れて3敗に後退。それでも翌10日目には番付で下にあたる栃ノ心に立ち会い変化の末に勝利。僅かに残る優勝の可能性に執念を見せたが、13日目に大関・高安に敗れて4敗となり、優勝争いから完全に脱落。翌14日目には横綱・鶴竜に敗れ、目の前で優勝を決められた。千秋楽も敗れて9勝6敗の成績だった。
5月場所は場所前にもう一人の大関である高安が休場を発表したため、一人大関として迎えた。初日から盤石の相撲で連勝するも、3日目に新小結の遠藤に敗れると次第に引き癖を露呈して調子を落とし、中日を終えて3勝5敗と黒星を先行させた。場所9日目となる21日から左足関節離断性軟骨炎により途中休場。再出場の意思はなく、7月場所は歴代ワースト4位の自身7度目のカド番となる。またこの休場により大関が不在となったが、これは1959年9月場所以来59年ぶりの出来事となった[88]。
7月場所は、場所前の稽古で高安、栃ノ心の2大関を圧倒し[89] 、七夕の短冊の願い事に「優勝(なお、優の漢字のにんべんを行にんべんに間違えて記入していた[90]。)」と書く[91]など、好調ぶりが伝えられていた。しかし場所は、7日目までに鶴竜、白鵬、稀勢の里の3横綱全員と栃ノ心の1大関が休場する波乱。豪栄道も優勝を狙ったが、初日に正代に敗れ、4日目には元大関の琴奨菊にも敗れて序盤で2敗を喫してしまう。さらに、7日目には貴景勝に圧倒され3敗に後退。その後中日からは5連勝と持ち直し、11日目に勝ち越しを決めて角番を脱出する。しかし13日目に1敗で優勝争いの先頭に立っていた西関脇の御嶽海に敗れて4敗目を喫し優勝争いから脱落。千秋楽には後輩大関である高安に完勝し10勝5敗、昨年9月場所以来、5場所ぶりに二桁勝利を収めた。8月1日の夏巡業小松場所では十両と15番申し合いを行った[92]。
9月場所は、初日から魁聖に敗れるが、その後不戦勝を挟み、大関栃ノ心、大関取りの関脇御嶽海に完勝するなど、8連勝。10日目に高安との大関対決に敗れるも、その後、横綱鶴竜に完勝するなど3連勝し、優勝争いに加わる好調ぶりを見せる。14日目に同じく2敗の高安が敗れ、ここまで全勝の横綱白鵬に次ぐ2敗で、今場所の優勝争いが白鵬と豪栄道の2人のみに絞られ、最後まで優勝争いに加わった。しかし、この日の白鵬との直接対決で、白鵬の41回目の優勝と、前人未到の横綱通算1000勝を達成される歴史的取組で敗れた。千秋楽、横綱稀勢の里に完勝し、場所を通しての好調で、小結、関脇時代にも達成出来なかった、自身初の役力士での連続2桁となる12勝をマークし、白鵬に次ぐ自身7度目の優勝次点となり、自身3年連続となる秋場所での二桁勝利で場所を終えた。
取り口
廻しを取ると力と技の両方が活きて強い。根は右四つではあるが、器用に右でも左でも前褌を引けば、引きつけの強さを生かして吊り寄り気味に前に出る。出し投げや切り返しなどで崩しつつ寄るテクニックもある。力を頼りに思い切った投げにいくこともある。気風の良さも技のキレに良い影響を与えているという評価があり、NHK大相撲解説者の北の富士は「豪栄道は自分の判断に沿って死ねる覚悟を持っている」と表現している[93]。
技術や判断力が高いが、反面両手から払い落とすような引き技が多く重圧がかかる場面では取りこぼしを恐れて引き癖を露呈しがちである。差し身や前捌きが上手くない部類に入る力士でもあり、日本体育大学相撲部監督の齋藤一雄は大関昇進に時間がかかった要因としてそれを指摘している[94]。2009年9月場所12日目の『どすこいFM』では解説を務めていた錣山(元関脇・寺尾)が「豪栄道という力士は本当に差し負けますね」と辛口の評を下した一方で「あそこまで差せないのに相撲が取れちゃうのは、相撲勘がいいんでしょうね」と返し、前述したような引き技の精度を絶賛した[93]。初優勝以前は左前褌に拘り過ぎる嫌いがあり、左上手を取ると稀勢の里などに抱え込まれてしまうことがあった[95]。大関昇進後は引き技は打たない傾向にある[96]。2017年9月場所などは、12日目の松鳳山戦、13日目の貴景勝戦と続けて敗戦を喫しているが、その負け方を武蔵川(元横綱・武蔵丸)から「僕のいちばん嫌いな豪栄道だったな。同じことをやってるんだ。自分より小さい相手に対して引いても、簡単にはくわないよ」と批判されている[97]。
また前に落ちる場面も目立つ。2011年までのそれほど大柄でなかった時期も含め、元来出足が鈍いことも弱点である。2013年3月場所まで廻しにこだわり過ぎて密着され上体が起き上がり、張り手を受けて出足が止まって離れたところで落とされる傾向もあったが、翌5月場所からはおっつけを多用しておりこの2つを幾分か克服している[98]。寄りながら不意に外掛けを打つことがある。首投げも武器になっているが裏を返せば脇が甘いという弱点が備わっているということであり、元日本テレビアナウンサーの原和夫がは2014年11月場所前の座談会でこの点を指摘している。同じ座談会に出席していた元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗はこの首投げについて「先場所(2014年9月場所)の稀勢の里戦のように決まる時は綺麗に決まっちゃうから、悪い癖を直すのもなかなか難しい」と評している[99]。
全勝優勝を果たした2016年9月場所になると、体重が160kgまで増え、相手の攻めに後退する場面が減った。これについては高校時代から師事するトレーナーの岡武聡が「決して急に強くなったわけじゃないんです。ケガをした時は、ケガをしていない部分も強化してきました。でも、稽古でできる筋肉と、トレーニングでできる筋肉は別物なんです。秋場所前は、夏巡業から4週間近く稽古して、相撲の筋肉がついて、体の張りが良くなった。本来の豪栄道の体に戻っていたんです」と話している[50]。また、この場所の相撲解説者達からは立合いが低い、引きがなくなったと好調の要因を指摘されていた[95]。黒姫山は、立合いで右手をしっかり付いて腰を割った状態で左のチョン付きで立って右四つに徹底した相撲を取ったことが同場所で優勝した要因と分析しており、それ以前に見られた張り差しが頭にあって腰が浮いた状態で立っては張り差しが失敗してバタバタして安易に引く相撲が見られなくなったという見方をしている。[95]
2017年9月場所前の黒姫山のコラムでは「密着できればいいが、相手と間隔ができると我慢しきれずにすぐに引きやいなしにかかる。まわしが取れなくても、おっつけながら密着していく攻めを心掛けてほしい」と評されている[100]。黒姫山は11月場所前になると「豪栄道も正代や栃煌山に対し、自分から踏み込んで突き起こしている。なぜ、あのような相撲が日馬富士に対して取れないのか。委縮する部分があるのかもしれないが、そこがすごく気になった点だ」と指摘し「『打倒、日馬富士』という意識を強く持つべきだと私は思う。白鵬の時はこうだ、鶴竜のときはこうだということよりも、日馬富士対策一つに絞って稽古していくべきだろう(中略)それが白鵬、鶴竜、稀勢の里といった他の横綱戦にもつながっていくと思う」と雑誌の記事内で助言している[101]。
大関昇進以降はけがで休場することが多く、西岩(元関脇・若の里)は「アクロバティックな相撲を取るわけでもないんですが、稽古を続けると筋肉が固まって疲労がたまるんですね。だから、親方も調整は本人に任せて、休みたいときには休ませる、治療する時は治療させるといったスタンスのほうがいいような気がします」と2017年5月場所前の相撲雑誌の記事で意見しており、同時に「全勝優勝した秋場所は師匠が九州場所担当でいませんでしたからね。あれがよかったんじゃないかと(笑)」と言っている[102]。
右四つ得意ではあるが、白鵬など右四つで大横綱の地位を確立したクラスの力士を相手にすると対処しきれない部分があり、2017年5月場所11日目に白鵬に敗れた際には「誘われるように右を差してしまった。それが失敗」と反省の弁を述べている[103]。
2017年7月場所3日目、4日目と変化して白星を収めたことを相撲ファンから批判されているが、二子山(元大関・雅山)は「優勝のチャンスが出た場所での勝利への執念」「変化した2番の相手は嘉風と栃ノ心で、豪栄道はやや苦手としているため容認できる範囲」と同年11月場所前のコラムで擁護している[104]。
2018年1月場所は中日の千代大龍戦で立合いの威力に屈してそのまま突き出しによって負けており、本人も「立ち合い負けでした。相手が良かったんじゃないですか。これからです」と立合いの威力に優れる力士には苦戦するという面を自覚しているかのようなコメントを残している[105]。
精神面に関しては2018年9月場所前の記事で花田虎上が、ライバルであった日馬富士の引退によって張り合いがなくなってしまったのではという分析をしている[106]。
合い口
- いずれも2018年9月場所終了現在。
- 横綱・白鵬には6勝37敗と全く分が悪い。初顔合わせから2012年1月場所まで13連敗、2012年5月場所でようやく初勝利を挙げた。その後も殆ど勝てなかったが、2014年5月場所は押し出しで4場所ぶりに白星を挙げ、翌7月場所は浴びせ倒し、9月場所は寄り切りで3連勝した。近年では、2015年5月場所に得意の首投げで勝利したのが最後である。
- 横綱・鶴竜には13勝27敗(不戦敗による1敗を含む)とあまり相性は良くないが、2012年11月場所から2013年3月場所まで3連勝したことがあった。鶴竜の横綱昇進後は5勝11敗、最近では2018年9月場所で押し出しで勝利している。
- 横綱・稀勢の里には15勝26敗(不戦敗による1敗を含む)と負け越しており、稀勢の里の大関昇進後から横綱昇進前は12勝18敗である。最近では2018年9月場所で突き落としで勝利している。
- 大関・髙安には苦手としており、10勝19敗と負け越している。2011年9月場所の初顔から6連敗していたが2013年7月場所にようやく初勝利を挙げた。
- 大関・栃ノ心には16勝10敗と勝ち越している。
- 元横綱・日馬富士には、11勝32敗で、さらに日馬富士の横綱昇進後は4勝19敗と全く相性が悪い。最近では2016年9月場所で得意の首投げで土俵際逆転勝利した。だが2017年9月場所では、11勝4敗同士で日馬富士に千秋楽本割り・決定戦共に寄り切りで敗れてしまい、逆転で優勝を奪われてしまった。
- 元大関・琴奨菊には28勝21敗と勝ち越しており、琴奨菊の大関昇進後も19勝14敗である。
- 元大関・照ノ富士には10勝5敗と合い口は良い方である。近年は2016年11月場所に寄り切りで勝利したが、ここ最近の2場所は共に敗れている。
- 同世代の豊ノ島にも14勝16敗(不戦勝による1勝を含む)と負け越しているが、豊ノ島が8勝18敗と苦手にしている豪風には14勝9敗と勝ち越している。
- 元大関・琴欧洲には10勝14敗(不戦敗による1敗を含む)。琴欧洲の大関時代は9勝14敗(不戦敗による1敗を含む)と負け越しているが、2012年5月場所から2013年1月場所まで5連勝したことがあった。
- 元大関・把瑠都には8勝10敗(不戦勝による1勝を含む)であったが、把瑠都の大関時代は4勝3敗(不戦勝による1勝を含む)と勝ち越していた。
略歴
- 2005年1月場所 - 初土俵
- 2005年3月場所 - 序ノ口優勝(7戦全勝)
- 2005年7月場所 - 三段目優勝(7戦全勝)
- 2005年11月場所 - 幕下優勝(7戦全勝)
- 2006年9月場所 - 2度目の幕下優勝(7戦全勝)
- 2006年11月場所 - 新十両、四股名を豪栄道と改名
- 2007年9月場所 - 新入幕
- 2008年11月場所 - 新小結
- 2009年5月場所 - 新関脇
- 2010年1月場所 - 初金星
- 2010年2月7日 - 第34回日本大相撲トーナメント優勝
- 2014年9月場所 - 新大関
- 2016年9月場所 - 幕内初優勝(全勝)
主な成績
通算成績
- 2018年9月場所終了現在
- 通算成績:640勝452敗43休(82場所)
- 通算勝率:.586
- 幕内成績:531勝401敗43休(65場所)
- 幕内勝率:.570
- 大関成績:204勝153敗18休(25場所)
- 大関勝率:.571
- 三役成績:158勝126敗1休(19場所)
- 三役勝率:.556
- 関脇成績:132勝92敗1休(15場所)
- 関脇勝率:.593
- 小結成績:26勝34敗(4場所)
- 小結勝率:.433
- 前頭成績:169勝122敗24休(21場所)
- 前頭勝率:.581
- 三役在位:19場所(関脇15場所、小結4場所)
- 十両成績:57勝33敗
連勝記録
豪栄道の最多連勝記録は、20連勝である。(2016年9月場所初日〜2016年11月場所5日目)
下記に、詳細を記す。
順位 | 連勝数 | 期間 | 止めた力士 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 20 | 2016年9月場所初日〜2016年11月場所5日目 | 玉鷲 | 2016年9月場所全勝優勝 |
各段優勝
- 幕内最高優勝:1回(2016年9月場所)
- 幕下優勝:2回(2005年11月場所、2006年9月場所)
- 三段目優勝:1回(2005年7月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2005年3月場所)
三賞・金星
- 三賞:11回
- 殊勲賞:5回(2012年5月場所、2013年9月場所、2014年3月場所、2014年5月場所、2014年7月場所)
- 敢闘賞:3回(2007年9月場所、2008年9月場所、2012年3月場所)
- 技能賞:3回(2009年1月場所、2011年5月技量審査場所、2012年11月場所)
- 金星:1個
- 朝青龍:1個(2010年1月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2005年 (平成17年) |
(前相撲) | 西序ノ口31枚目 優勝 7–0 |
西序二段25枚目 6–1 |
西三段目61枚目 優勝 7–0 |
西幕下37枚目 4–3 |
西幕下32枚目 優勝 7–0 |
2006年 (平成18年) |
西幕下2枚目 3–4 |
西幕下5枚目 3–4 |
西幕下9枚目 4–3 |
西幕下7枚目 4–3 |
西幕下6枚目 優勝 7–0 |
西十両11枚目 8–7 |
2007年 (平成19年) |
西十両10枚目 8–7 |
西十両9枚目 11–4 |
東十両3枚目 6–9 |
西十両5枚目 12–3 |
西前頭14枚目 11–4 敢 |
西前頭6枚目 8–7 |
2008年 (平成20年) |
東前頭3枚目 5–10 |
東前頭8枚目 8–7 |
西前頭7枚目 8–7 |
西前頭4枚目 7–8 |
西前頭5枚目 10–5 敢 |
東小結 5–10 |
2009年 (平成21年) |
西前頭3枚目 10–5 技 |
東小結 9–6 |
西関脇 6–9 |
西前頭筆頭 5–10 |
東前頭5枚目 10–5 |
西小結 7–8 |
2010年 (平成22年) |
東前頭2枚目 7–8 ★ |
東前頭3枚目 2–4–9[108] |
西前頭9枚目 9–6 |
東前頭4枚目 出場停止[109] 0–0–15 |
東十両筆頭 12–3 |
東前頭14枚目 12–3 |
2011年 (平成23年) |
東前頭5枚目 11–4 |
八百長問題 により中止 |
東前頭筆頭 11–4 技 |
東小結 5–10 |
西前頭5枚目 10–5 |
西前頭筆頭 7–8 |
2012年 (平成24年) |
西前頭2枚目 6–9 |
西前頭6枚目 12–3 敢 |
西関脇 8–7 殊 |
東関脇 7–7–1[110] |
西関脇 8–7 |
西関脇 11–4 技 |
2013年 (平成25年) |
東関脇 8–7 |
東関脇 10–5 |
東関脇 7–8 |
西関脇 8–7 |
西関脇 11–4 殊 |
東関脇 8–7 |
2014年 (平成26年) |
東関脇 8–7 |
東関脇 12–3 殊 |
東関脇 8–7 殊 |
東関脇 12–3 殊 |
西大関2 8–7 |
西大関2 5–10 |
2015年 (平成27年) |
西大関2 8–7[111] |
西大関2 8–7 |
西大関2 8–6–1[112] |
西大関1 9–6 |
東大関2 7–8 |
西大関2 8–7[111] |
2016年 (平成28年) |
西大関2 4–11 |
東大関2 12–3[111] |
西大関1 9–6 |
東大関2 7–8 |
東大関2 15–0[111] |
東大関1 9–6 |
2017年 (平成29年) |
西大関1 8–5–2[113] |
東大関1 1–5–9[114] |
西大関1 9–6[111] |
西大関1 7–8 |
西大関1 11–4[111][115] |
東大関1 9–6 |
2018年 (平成30年) |
東大関1 8–7 |
西大関1 9–6 |
西大関1 3–6–6[116] |
東大関1 10–5[111] |
東大関1 12–3 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
2018年9月場所終了現在
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 19 | 3 | 朝青龍 | 2(1) | 5 | 朝赤龍 | 5 | 0 | 安美錦 | 21(1) | 13 |
阿覧 | 5 | 4 | 勢 | 17 | 1 | 逸ノ城 | 8 | 8(1) | 遠藤 | 5 | 4 |
大砂嵐 | 3 | 1 | 隠岐の海 | 18 | 5 | 魁皇 | 6 | 5 | 魁聖 | 13 | 5 |
臥牙丸 | 2 | 2 | 輝 | 2 | 0 | 垣添 | 5 | 1 | 鶴竜 | 13 | 27(1) |
春日王 | 4 | 1 | 春日錦 | 1 | 0 | 稀勢の里 | 15 | 26(1) | 北桜 | 1 | 0 |
北太樹 | 5 | 0 | 旭天鵬 | 11 | 6 | 光龍 | 1 | 0 | 黒海 | 1 | 2 |
琴欧洲 | 11 | 14(1) | 琴奨菊 | 28 | 21 | 琴光喜 | 6 | 5 | 琴勇輝 | 1 | 2 |
霜鳳 | 2 | 0 | 常幸龍 | 1 | 0 | 正代 | 7 | 4 | 翔天狼 | 1 | 1 |
松鳳山 | 13 | 7 | 蒼国来 | 1 | 0 | 貴ノ岩 | 2 | 1 | 高見盛 | 8 | 0 |
髙安 | 10(1) | 19(1) | 宝富士 | 12 | 5 | 豪風 | 14 | 9 | 玉春日 | 3 | 0 |
玉乃島 | 4 | 1 | 玉鷲 | 10 | 8(1) | 千代鳳 | 1 | 0 | 千代大海 | 3(1) | 5 |
千代大龍 | 6 | 6 | 千代の国 | 4 | 0 | 出島 | 2 | 1 | 照ノ富士 | 10 | 5 |
時天空 | 11 | 1 | 德勝龍 | 1 | 0 | 德瀬川 | 2 | 1 | 土佐ノ海 | 1 | 1 |
土佐豊 | 4 | 0 | 栃煌山 | 22(1) | 13 | 栃ノ心 | 16 | 10 | 栃乃洋 | 3 | 3 |
栃乃若 | 4 | 0 | 豊ノ島 | 14(1) | 16 | 白馬 | 0 | 1 | 白鵬 | 6 | 37 |
白露山 | 1 | 0 | 把瑠都 | 8(1) | 10 | 日馬富士 | 11 | 32* | 富士東 | 1 | 0 |
武州山 | 2 | 0 | 普天王 | 6 | 1 | 豊真将 | 7 | 6 | 北勝力 | 5 | 4 |
御嶽海 | 7 | 4 | 雅山 | 8 | 1 | 猛虎浪 | 2 | 1 | 嘉風 | 11 | 12 |
龍皇 | 1 | 1 | 露鵬 | 2 | 3 | 若荒雄 | 5 | 1 | 若の里 | 6 | 2 |
若ノ鵬 | 0 | 1 |
- 他に優勝決定戦で日馬富士に1敗がある。
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2018年9月場所終了現在、現役力士)
改名歴
- 澤井 豪太郎(さわい ごうたろう)2005年1月場所 - 2006年9月場所
- 豪栄道 豪太郎(ごうえいどう - )2006年11月場所 -
著書
- 『すもう道まっしぐら!』集英社みらい文庫・(2017年)
関連項目
- 大関一覧
- 宇良和輝 - 同郷・寝屋川市出身の幕内力士。幕内での対戦歴があり、初対決の際には寝屋川市役所内でパブリックビューイングを実施した(結果は豪栄道の勝ちであった。なお寝屋川市ではパブリックビューイング自体は宇良対豪栄道戦が実現した場合に実施することを計画していた)[117]。
脚注
- ↑ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
- ↑ 自著『すもう道まっしぐら!』12ページ
- ↑ 自著『すもう道まっしぐら!』には「嫌々始めた」とある。
- 読売新聞 2017年10月07日
- ↑ この道場には同学年の勢も通っていた。
- ↑ 小学6年時のわんぱく相撲では前年度のわんぱく横綱として土俵入りを披露し、その際には太刀持ちとして東口(現幕内・勢)を引き連れていた。
- ↑ 6.0 6.1 『大相撲ジャーナル』2013年10月号
- ↑ 『相撲』2004年12月号 143頁天皇賜杯第53回全日本相撲選手権大会観戦のすすめ 高校生の幕下付け出しなるか
- ↑ 8.00 8.01 8.02 8.03 8.04 8.05 8.06 8.07 8.08 8.09 8.10 8.11 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)223ページから224ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号20ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年12月号42頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号14ページ
- ↑ 12.0 12.1 雑誌『大相撲中継』 2006年九州場所展望号「新十両力士の素顔」
- ↑ 四股名の最終候補まで残ったものは「豪栄道」と「富士の山」という名前だった。
- ↑ 14.0 14.1 豪栄道“精進あるのみ”野球賭博で迷惑かけた親方に恩返しを Sponichi Annex 2014年7月29日 07:55
- ↑ 2003年2月に師匠は年寄名跡を「中立」から「境川」に変更。その際に姓名判断の先生から「数年後に『豪』という字に縁のある人間と出会う」と言われ、下の名前も「豪章(ひであき)」に改名(本名は小林秀昭)した。その2年後、澤井が入門を志願(下の名前は豪太郎)した。境川はこの出来事に対して「スカウトもしてないのに、あいつから入りたいと言ってきた時はぞっとした」と述懐している[14]。
- ↑ 朝日新聞 2010年6月29日
- ↑ 野球賭博:元琴光喜ら書類送検 捜査終結へ 毎日新聞(毎日jp) 2011年3月3日
- ↑ 平幕で3場所連続2ケタ勝利は出羽錦、吉葉山、若秩父に続いて49年ぶりにして史上4人目の記録である。
- ↑ 豪栄道 大阪出身力士初!吉本興業の懸賞金ゲット Sponichi Annex 2012年3月17日 06:00
- なお、この場所で大阪出身力士初として初めて吉本興業の懸賞金を獲得した。同社はのちに懸賞を同じ大阪の出身である勢にも提供している。
- ↑ 豪栄道、左肘の手術明かす MSN産経ニュース 2012年6月29日閲覧
- ↑ この一番では豪栄道が日馬富士を土俵際まで寄った際に審判を務めていた湊川(元小結・大徹)が「日馬富士の足が出た」と挙手し、立行司・39代式守伊之助(現・37代木村庄之助)は取組を止めさせた。協議の末に審判部長である鏡山親方(元関脇・多賀竜)は「向正面の審判が日馬富士の足が出たと勘違いし、手を挙げてしまいました。したがってもう一度、やり直しという形でやらせていただきます」と誤審を認める説明を行い、史上初の「やり直し」の裁定となった。やり直しの一番では日馬富士に敗れ、豪栄道は「負けは負けですから」と取組後に語った。
- ↑ 大誤審「日馬の足出た」/九州場所 nikkansports.com 2012年11月20日9時47分 紙面から
- 「やり直し」について協会広報部は「少なくとも戦後で同様の記録が残っていない。」との見解を示した。
- ↑ 「物言い」で最多4敗 豪栄道に「そりゃないで賞」 日刊スポーツ 2016年12月14日10時15分 紙面から
- この取り組みから窺がえるように豪栄道は物言いの付く接戦に弱く、2016年の幕内の土俵では最多となる物言いの付いた取り組みで4敗を喫している。しかもその全てが最初は自身に軍配が上がった取り組みであり、3回は差し違え、1回は取り直しであった。
- ↑ 豪栄道の送迎担当 稽古中に自宅侵入、高級腕時計盗む Sponichi Annex 2013年4月24日 06:00
- ↑ 豪栄道関の腕時計窃盗 警視庁、容疑の元運転手逮捕 :日本経済新聞
- ↑ 相撲デスク・佐々木一郎 5:13 - 2013年7月8日
- ↑ 相撲記者の佐々木一郎は言い訳にすることや同情されることを嫌う性格だという考えを述べた[26]
- ↑ 豪栄道は昭和以降3位の9場所連続関脇 秋場所新番付 MSN産経west 2013年9月2日 13時00分配信
- ↑ “寝屋川市ふるさと大使 豪栄道豪太郎関”. . 2015閲覧.
- ↑ 豪栄道、挑み続けた大関昇進 千秋楽で勝負師の本領発揮:朝日新聞デジタル 朝日新聞 2014年7月28日10面
- ↑ 秘めた思い「土俵に出ていた」 横綱審議委員長が評価 豪栄道大関昇進へ:朝日新聞デジタル 2014年7月29日20面
- ↑ 鶴竜、初の綱とり=遠藤は東筆頭に躍進-大相撲春場所新番付 時事ドットコム
- ↑ 豪栄道、きょうの千秋楽に勝てば大関昇進へ 朝日新聞DIGITAL 2014年7月27日14時39分
- ↑ 白鵬、史上3人目の30度目V…豪栄道は大関昇進へ/名古屋場所 SANSPO.COM 2014.7.27 17:56
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- ↑ 豪栄道大関昇進へ 大阪出身44年ぶり DAILY SPORTS ONLINE 2014年7月27日
- ↑ 大関豪栄道「これからも大和魂を貫く」 日刊スポーツ 2014年7月30日
- ↑ 新大関の豪栄道、夏巡業を全休 左膝負傷で 日本経済新聞 2014/8/4 18:03
- ↑ 豪栄道の母も感激「昇進にびっくり」 Daily Sports Online 2014年7月28日
- ↑ 豪栄道、棚ぼたの大関初白星 不戦勝、続く緊張感 朝日新聞 2014年9月15日19時45分
- ↑ 逸ノ城、2日連続大関撃破…豪栄道を上手投げ YOMIURI ONLINE 2014年09月25日 19時37分
- ↑ 豪栄道、白鵬戦3連勝 見せ場つくった nikkansports.com 2014年9月26日20時45分
- ↑ 豪栄道、千秋楽勝ち越し「ホッとした」 nikkansports.com 2014年9月28日19時52分
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年12月号34ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号54頁
- ↑ 豪栄道が左肩骨折で休場 白鵬破った一番で負傷 日刊スポーツ 2015年5月23日11時55分
- ↑ 豪栄道、千秋楽負け越しかど番へ「反省して来場所」 日刊スポーツ 2015年9月27日20時43分
- ↑ 豪栄道 右手首痛で「まだ相撲を取っていない」ぶっつけで初場所も スポニチ 2015年1月4日
- ↑ 白鵬は1敗キープ デイリースポーツ 2015年1月21日
- ↑ 50.0 50.1 50.2 『相撲』2016年11月号4ページ
- ↑ 13日目の白鵬戦では白鵬が変化したこともあって腰砕けで敗れている。
- 『大相撲ジャーナル』2016年9月号16ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号16ページ
- ↑ 東京新聞 2016年12月19日 朝刊
- ↑ 豪栄道、隠岐の海に見せた意地 「負けないと思ってた」
- ↑ 豪栄道、稀勢の里下し11連勝!日馬、遠藤が痛恨の2敗目
- ↑ 優勝王手の豪栄道、日馬富士を破った首投げ「褒められた技じゃないけど…」
- ↑ 豪栄道は8人目かど番V 過去に小錦、魁皇、栃東ら
- ↑ 初V豪栄道、高卒エリートも大関で苦しむ 史上4位のスロー記録も
- ↑ 59.0 59.1 “豪栄道が初優勝 14連勝で決めた、大阪出身86年ぶり 来場所綱獲り”. SPONICHI ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2016年9月24日) . 2016閲覧.
- ↑ 豪栄道が母の前で初優勝、うれし涙 つらい日々に「少し報われました」
- ↑ 初V豪栄道「不安でいっぱい」前夜一睡もできず 記録ずくめの悲願
- ↑ 豪栄道が男泣き初V!かど番からイッキ綱とりだ/秋場所
- ↑ 豪栄道 史上初のカド番から全勝Vで締めくくり 来場所綱獲りへ弾み
- ↑ 過去の全勝優勝力士99人/一覧
- ↑ 全勝優勝の豪栄道「何か不思議な気分」「大満足です」
- ↑ 綱獲り豪栄 史上25人目20連勝!日本人力士94年貴乃花以来
- ↑ 豪栄道、初黒星 玉鷲に突き落としで敗れる 20連勝でストップ
- ↑ 豪栄道2敗目、物言いで軍配覆る「何とも言えないです」
- ↑ 豪栄道、4敗でV消滅「相撲人生が終わるわけではない」/九州場所
- ↑ 豪栄道の綱とり場所は9勝6敗「応えられなかった」
- ↑ 豪栄道、『功労賞』受賞「辛い日もあったけど、少し報われた」 SANSPO.COM 2016.12.21 05:01
- ↑ マービンJr.“先輩”豪栄道の休場に「正直、ほっとしてます!」/初場所
- ↑ 豪栄道「ぐねった」足首捻挫か 病院「帰ってから」
- ↑ 大相撲 豪栄道が休場 1敗の稀勢の里は不戦勝に
- ↑ 豪栄道は全治1カ月 右足関節外側靱帯損傷
- ↑ 豪栄道が地元・大阪で無念の休場 右足関節靱帯損傷で…
- ↑ 豪栄道が夏場所向け本格的に稽古再開 毎日新聞2017年4月24日 18時39分
- ↑ 佐田の山さん追悼で力士ら黙とう 豪栄道「頑張らないといけない」 DAILY SPOTRS ONLINE 2017.5.3
- ↑ 日刊スポーツ 2017年6月23日
- ↑ 大関豪栄道、かど番Vへ意欲「順調に来ている」 夏巡業で9戦全勝 デイリースポーツ 2017.8.7
- ↑ 豪栄道が日馬富士から新トレーニングを伝授される「見た目以上にキツい」 2017年8月13日18時10分 スポーツ報知
- ↑ 大関・豪栄道、始球式で苦笑い「選手に当たらなくて良かった」 SANSPO.COM(産経新聞社)2017.8.18 18:36 (2017年8月23日閲覧)
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- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.7.
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- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.46-47
- ↑ 豪栄道休場で59年ぶり大関不在、7度目のかど番へ (日刊スポーツ)
- ↑ 豪栄道、高安、栃ノ心に明暗 出稽古で3大関集結(日刊スポーツ)
- ↑ <大相撲名古屋場所>関取衆が書いた七夕の願い事。豪栄道「優勝」
- ↑ 豪栄道 七夕の願いは優勝「目標はでかい方がいい」(デイリースポーツ)
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.16
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- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.52.
- ↑ 『相撲』2013年11月号『豪栄道は大関への足固めをすることができるのか!?』
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- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p71
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p70-71
- ↑ 『大相撲中継』2017年5月27日号51-52頁
- ↑ 嘉風「ああ疲れた。遠藤は左を差したらうまい」 SANSPO.COM 2017.5.24 19:44
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p30
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- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.22
- ↑ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. . 2007閲覧.
- ↑ 2010年3月場所は左膝脛骨平面内側骨髄骨折のため6日目から途中休場
- ↑ 2010年7月場所は大相撲野球賭博問題による謹慎休場。
- ↑ 左第 8, 9肋軟骨骨折のため14日目から途中休場
- ↑ 111.0 111.1 111.2 111.3 111.4 111.5 111.6 大関角番(全7回)
- ↑ 左肩峰剥離骨折のため14日目から途中休場
- ↑ 右足関節外側靱帯損傷のため13日目から途中休場
- ↑ 右足関節外側靱帯損傷のため6日目から途中休場
- ↑ 日馬富士と優勝決定戦
- ↑ 左足関節離断性骨軟骨炎のため9日目から休場
- ↑ 豪栄道vs宇良、寝屋川同郷対決PVに300人声援 - 日刊スポーツ
外部リンク
- 豪栄道 豪太郎 - 日本相撲協会
- 豪栄道 豪太郎 - 相撲レファレンス
- 関東豪栄道後援会公式サイト
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
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十両 | ||||||
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十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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