志摩ノ海航洋
志摩ノ海 航洋(しまのうみ こうよう、1989年7月11日 - )は、三重県志摩市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名は濱口 航洋(はまぐち こうよう)[1]。身長177cm、体重165kg。最高位は西十両7枚目(2018年5月場所)。趣味はトレーニング、懐メロ(河島英五など)鑑賞。[2]好物は肉、嫌いなものは寿司。[2]目標とする力士は武双山、琴奨菊。[2]ライバルは英乃海。[2]
来歴
布施田小学校3年生の時に相撲を始め[1]、地元の志友館相撲道場で稽古に励んだ[3]。)和具中学校(現:志摩中学校)在学中から松ヶ根部屋をはじめ複数の相撲部屋からスカウトはあったが、この段階では入門しなかった。小学校3年から中学校3年まで相撲の他に野球をやっていたが、あくまで相撲がメインであったため行ったのは基礎トレーニングのみであった。[2]中学卒業後は高校相撲の名門明徳義塾高校に進学したが、高校在学中は部員不足などで不完全燃焼に終わったため、高卒で入門することは諦めた[2]。その後近畿大学[1]経営学部に進学。大学時代は西日本学生相撲新人選手権大会で早速団体・個人共に優勝。その後も団体戦レギュラーとなり、3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝などの活躍をした。しかし個人戦では優勝の実績は少なく、大学在学中には大相撲の幕下付出資格を取得することができなかった。
大学卒業後は大相撲の世界へ進むことを決意。「強い人がたくさんいる部屋で刺激を受けたい。」という理由で木瀬部屋に入門して2012年5月場所に初土俵を踏んだ。初めて番付に名前が載った同年7月場所ではいきなり7戦全勝として序ノ口優勝決定戦で岩崎との同部屋決戦に臨んだが、敗れて優勝はできなかった[4]。序二段に昇格した9月場所でも7戦全勝としたが、またもや岩崎との優勝決定戦に敗れ、2場所続けて各段優勝を逃した[5]。三段目に昇格した11月場所は、2日目(1番相撲)に貴月芳に敗れて初土俵からの連勝記録は14でストップした。三段目2場所目となった翌2013年1月場所ではまた1番相撲から連勝が続き、土付かずの7戦全勝を果たした。この場所は他に三段目で7戦全勝を達成したものはおらず、優勝決定戦は行われず初の各段優勝が決まった[6]。同年3月場所は、この大健闘により、全勝すれば翌場所に十両昇進が可能とされる幕下15枚目以内の番付まで一気に躍進。7月場所では西幕下4枚目とついに関取昇進も目前の番付まで上がったが、7日目(4番相撲)の千代丸戦で敗れた際に左膝前十字靭帯断裂[7]の大怪我を負って9日目から途中休場することになってしまった(5番目の千代皇戦は不戦敗)。翌9月場所以降も、怪我が治らずに休場を続けた。
2014年7月場所で土俵復帰したが、番付は序ノ口まで転落。この場所は7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。翌9月場所も序二段優勝を果たし、優勝インタビューでは「落ち着いていけたことが良かった。膝の痛みはまだあるが、腫れはなくなってきた。とにかく前に出るしかない。幕下に戻るまでは、このまま全勝でいきたい。」と怪我の快癒を明かしつつ今後の抱負を語った[8]。三段目に復帰した翌11月場所では3日目の3番相撲で元幕内の大喜鵬に敗れ、上述の「抱負」は叶わなかったが、翌2015年1月場所で幕下に復帰。2016年1月場所では6勝1敗で幕下の優勝決定戦に進出し、1回戦で同部屋の宇良と対戦した[9]。5月場所では東幕下5枚目で千秋楽の元十両・竜電戦で勝ち越して4勝3敗と、通常ならば幕下に留め置かれる成績だったが、十両下位及び幕下上位に負け越した力士が多かった関係で場所後の新十両が決定した[10]。このタイミングで師匠・木村瀬平の現役時代の四股名肥後ノ海にちなみ、「志摩ノ海」に改めた[1]。十両昇進後、志摩ノ海は復帰するまでの稽古やトレーニングについて「自由にやらせてくれた」と木瀬に感謝するコメントを残しており「親方はその人のレベルに合った話しかしないので、自分でレベルを上げていってさらに高いレベルの話を聞きたいと思って頑張ってきた。強くなったら『次はこれだ』と新たな課題も出してくれる」とも話した。[11]同年7月2日には伊勢志摩ロイヤルホテルで自身の新十両祝賀会が開かれ、関係者・後援者・ファンなど470人以上が駆け付けた。志摩ノ海は「ここまで来れたのは地元の方々や応援していただいている方々のおかげ。将来は武双山関のような相撲をとれる力士になりたい」と話し、三重県からは57代横綱・三重ノ海以来横綱が出ていない旨を記者に言及された際には「できるだけ上に上がれるように頑張りたい」と目を細めた[12]。7月場所は中日まで4勝3敗と一進一退であったが、9日目から8連敗して4勝11敗と大敗を喫し、幕下からの出直しを余儀なくされた。
その後も幕下15枚目以内の番付を維持し、2017年5月場所では西幕下5枚目の番付で5勝2敗の成績を挙げるが、この場所では十両下位で負け越して幕下陥落が見込まれる力士が2人しかいなかったのに対し、東幕下筆頭の阿炎が5勝2敗・西幕下2枚目の岩崎が6勝1敗と志摩ノ海の成績を上回った関係上、翌7月場所は西幕下2枚目に留まって3勝4敗と負け越し。翌9月場所中には「ウチは下からガンガン来るから厳しい。宇良の時のように、もう下に抜かれるのはごめんです」と心境を語り[13]、西幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越したが、またしても2017年5月場所と同様の事態が発生し、翌11月場所では西幕下3枚目に留め置かれた。以降は勝ち越しを続け、西幕下2枚目で迎えた2018年1月場所で5勝2敗の成績を修め、場所後の番付編成会議で10場所ぶりの十両復帰が決まった[14]。十両復帰の3月場所は、自己最高位を更新する西十両11枚目の番付で迎えた。中日までに2勝6敗と苦しい星勘定だったが、中日以降は見違えるような相撲で7連勝とし、9勝6敗の成績で十両で初めて勝ち越した。9月場所は「前半は当たりが悪かった」と自認する調子の上がらない相撲に終始し、中日まで3勝5敗。途中から「叩かれてもいいから思い切り当たろう」と意識を変えたが、この場所は5勝10敗と成績が付いて行かなかった[15]。
取り口
- 体を丸くして相手を一気のハズ押しで持っていく取り口を自身の理想としている[16]。
- 幕下上位の機動力に秀でた力士に対しては動き勝つ相撲もある。
- 一方で突き押し力士らしく四つ相撲は苦手であり、組まれるとそのまま寄り切られることが多い。
エピソード
- 上述の通り、序ノ口と序二段での優勝決定戦は、共に同期同部屋の英乃海と対戦したが、同じ部屋の2人が2場所続けて優勝決定戦に出場するのは、優勝決定戦制度が誕生して以降で初めてのことであった[17]。
- 2012年11月場所で初土俵からの連勝記録が14でストップしたが、この14勝目の相手は大砂嵐で、連勝ストップとなる初黒星の相手は貴月芳だった。2場所連続で優勝決定戦を戦った英乃海も同様に連勝記録が伸びていたが、英乃海の連勝記録16の最後の相手と連勝ストップの相手も、それぞれ大砂嵐と貴月芳で、2人は同じ組み合わせで連勝記録が終わったことになる。
- 志摩市出身で初めての関取となった[1]。十両昇進が決まった日は、出身地で開催される第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の前日であった[1]。2016年6月15日に志摩市長・大口秀和を表敬訪問し、十両昇進を報告した[1]。
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:164勝105敗37休(39場所)
各段優勝
- 三段目優勝:1回(2013年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2014年9月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2014年7月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2012年 (平成24年) |
x | x | (前相撲) | 西序ノ口16枚目 7–0 |
西序二段10枚目 7–0 |
東三段目18枚目 4–3 |
2013年 (平成25年) |
東三段目7枚目 優勝 7–0 |
東幕下12枚目 4–3 |
東幕下8枚目 5–2 |
西幕下4枚目 2–3–2 |
西幕下16枚目 休場 0–0–7 |
西幕下56枚目 休場 0–0–7 |
2014年 (平成26年) |
東三段目37枚目 休場 0–0–7 |
東三段目98枚目 休場 0–0–7 |
西序二段58枚目 休場 0–0–7 |
東序ノ口18枚目 優勝 7–0 |
東序二段13枚目 優勝 7–0 |
西三段目22枚目 6–1 |
2015年 (平成27年) |
東幕下45枚目 6–1 |
東幕下19枚目 5–2 |
東幕下11枚目 4–3 |
西幕下8枚目 3–4 |
西幕下13枚目 4–3 |
西幕下9枚目 3–4 |
2016年 (平成28年) |
東幕下18枚目 6–1[18] |
西幕下7枚目 4–3 |
東幕下5枚目 4–3 |
西十両14枚目 4–11 |
東幕下7枚目 4–3 |
東幕下5枚目 2–5 |
2017年 (平成29年) |
東幕下13枚目 4–3 |
東幕下9枚目 5–2 |
西幕下5枚目 5–2 |
西幕下2枚目 3–4 |
西幕下5枚目 5–2 |
西幕下3枚目 4–3 |
2018年 (平成30年) |
西幕下2枚目 5–2 |
西十両11枚目 9–6 |
西十両7枚目 7–8 |
東十両8枚目 7–8 |
東十両9枚目 5–10 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 濱口 航洋(はまぐち こうよう)2012年5月場所 - 2016年5月場所
- 志摩ノ海 航洋(しまのうみ こうよう)2016年7月場所 -
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「tokushu
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “志摩びとだより【vol.13】”. 志摩びとの会事務局 (2012年8月8日). 2016年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年6月26日閲覧.
- ↑ “序ノ口優勝は岩崎/名古屋場所”. nikkansports.com (2012年7月22日). 2016年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年6月26日閲覧.
- ↑ 常幸龍が十両優勝、序二段は岩崎/秋場所 SANSPO.COM 2012年9月23日(2012年12月7日閲覧)
- ↑ 鬼嵐、7戦全勝幕下優勝で再十両へ…初場所13日目 スポーツ報知 2013年1月25日(2013年1月25日閲覧)
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年10月号(秋場所総決算号) 69頁
- ↑ 【秋場所】栃ノ心が2場所連続十両優勝 2014年9月26日17時19分 スポーツ報知
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年2月号(初場所総決算号) 76頁
- ↑ “新十両に大輝と浜口=大相撲”. 時事ドットコム. (2016年5月25日). オリジナルの2016年5月25日時点によるアーカイブ。 . 2016閲覧.
- ↑ 『相撲』2016年7月号21ページ
- ↑ 志摩市初の関取誕生「志摩ノ海」、地元で新十両昇進祝賀会に470人集める 伊勢志摩経済新聞 2016年07月03日
- ↑ 日刊スポーツ 2017年9月23日
- ↑ “貴乃花部屋から初の双子関取誕生、貴公俊が新十両”. 日刊スポーツ. (2018年1月31日) . 2018閲覧.
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.65
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.59
- ↑ NHK・大相撲中継 2012年9月23日放送
- ↑ 8人による幕下優勝決定戦に進出(トーナメント形式の1回戦敗退)
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
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十両 | ||||||
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十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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