遠藤聖大
遠藤 聖大(えんどう しょうた、1990年10月19日 - )は、石川県鳳珠郡穴水町中居出身で、追手風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長184cm、体重151kg、血液型はAB型[1]。得意手は左四つ、突き、押し。最高位は西小結(2018年5月場所)。締め込みは、えんじ色、鮮やかな赤色、金色の3本を持っている。
来歴
相撲を始めてから高校卒業まで
幼少期の遠藤はすぐに拗ねる子で父親もそんな遠藤に礼儀や忍耐を身につけさせる目的で相撲教室に参加させた。これが遠藤の相撲人生の始まりであった。当時の心境を遠藤は「初めは断ったけど3日連続で連れて行かれてあきらめた。嫌々始めたというのが本当のところです」と苦笑しながら振り返る[2]。穴水町相撲連盟副会長の上野勝彦は当初の印象を「周囲の子に比べて背は大きかったが、泣いてばかり。相撲は途中でやめるのではと思っていた」と話し、遠藤は現に上野を恐れて稽古を逃げたこともある。だが上野は指摘された点をすぐに修正できる遠藤の「素直さ」に将来性を感じていた。とはいえ小学1年生の頃より強制されるような経緯で稽古を始めただけに、相撲中継が始まると部屋を離れるほど相撲を毛嫌いしていた。稽古を逃げた際には祖父の家に匿ってもらうことが多かったという。相撲が好きになったのは小学5年生の頃であり、2002年の金沢巡業で当時大関だった朝青龍に会って、スピードあふれる豪快な相撲にむき出しの闘争心、多彩な技に「面白い」と感じた[2]。心をわしづかみされ「録画してまで見るようになった」という。ただ一言、「強い」とその横綱像を語っている[3][4]。そんな遠藤が転機を迎えたのは小学6年の時であり、珠洲市で開かれた大会で敗退して泣いている遠藤の姿を見た上野に「泣くなら明日から来なくていい」と大声で叱られて以降遠藤は厳しい稽古に真剣に向き合い、相撲の基礎を徹底的に吸収するようになる。全国レベルの大会でも結果を出し始め、人前で涙を見せることはなくなった[5]。小学生の頃は相撲を習う傍らでバスケットボール部にも所属していたといい、本人が後年『スラムダンク』に影響されていたことや、家の前にあったゴールリングの前で毎日暗くなるまで練習していたことを話している。[6]
小学校卒業後、地元の穴水町を始めとして能登地方の中学・高校の多くで相撲部が休部状態に陥っているという事情から相撲を続けるために12歳で親元を離れて金沢市に転住[2][7]。監督の家に下宿しながら、小学校時代も週7回稽古していたのと同じように、相撲ばかりの毎日を過ごした[8]。 金沢市立西南部中学校2年次に行われた中部日本選抜中学生相撲大会では、中学・高校で1学年上の矢鋪光太郎(のちの栃乃里)を決勝で破り個人優勝。団体戦でも優勝を果たした。
金沢学院東高校相撲部時代は団体・個人共に活躍し、3年次に高校相撲金沢大会と選抜高校相撲十和田大会でそれぞれ優勝した。3年時のインターハイ個人戦1回戦では立合いで相手と呼吸が合わず計6度の「待った」を行い、立合いに計10分を所要したことで再三注意され、最後は「次に待ったをした方が負け」と異例の宣告を受けた[9]。以降決して「待った」をしないよう心掛けるようになった。
日大時代
高校卒業後は日本大学経済学部経済学科に進み、1年時から団体戦レギュラーとなった[3]。19歳の時には食事に訪れた店で偶然朝青龍と対面し、「いい体をしているな。プロに入るのか? 頑張れよ」と声を掛けられた。3年時の後半は怪我に苦しみ右膝の靭帯損傷により半年近くまともな稽古ができず、手術を避けながら稽古土俵の外で四股を踏むしかない時期を過ごしたが[2][10]これを乗り越えて4年次には団体戦の主将を務めた。個人戦では全日本相撲選手権大会優勝(アマチュア横綱)および国体相撲成年個人の部A優勝(国体横綱)という2つのビッグタイトルを取得した。これにより、市原孝行(後の幕内力士)以来史上2人目となる幕下10枚目格付出の資格も取得することになった[11]。
入門から新入幕まで
アマチュア横綱獲得を最後にアマチュア相撲の試合は全て終わり、その後は高校教師やプロ入りといった複数の選択肢から進路についてよく考えた結果、同郷出身で日大の先輩でもある追手風親方(元幕内・大翔山)が師匠を務める追手風部屋に入門することを決意した[12]。2013年2月14日に記者会見を行って入門を正式表明、記者会見では日大出身者で唯一横綱となった石川県出身の輪島が目標と語った[13]。同月20日に日本相撲協会の理事会で幕下付出入門が承認され[14]、3月2日に行われた新弟子検査も無事合格[15]。場所直前の3月3日には、前日に焼き肉をたらふくご馳走になった上に弁当三つを平らげたことで朝から苦しい思いをした中、部屋の力士達との申し合いで20勝2敗と圧倒し、さらに食べ過ぎによる体調不良があったとはいえ「70~80%の力で稽古しました」と豪語してみせた[16]。同年3月場所、本名の「遠藤」を四股名として初土俵を踏んだ。
初土俵場所は7戦全勝優勝で所要1場所での新十両を目標としていたが[17]、3番相撲(6日目)で祥鳳に突き落としで敗れてプロ初黒星となった。初黒星を喫した直後は「気持ちの切り替えが大事」と語っていたが[18]、さらに4番相撲も続けて敗れたため、幕下優勝も1場所での新十両もともになくなった。その後は2番とも白星でデビュー場所は5勝2敗で終えた。
2013年5月場所は東幕下3枚目で5勝2敗の成績で終えた。5月場所後に行われた7月場所番付編成会議では新十両昇進が決まった[19]。しかしながら本人も師匠の追手風親方も「5月場所の成績では(十両への)昇進は難しいだろう」と考え、7月場所での新十両昇進を予想していなかった[20]。このことから、当初は関取となってから四股名を付ける予定であったものを準備不足を理由に見送り、7月場所は本名のままで土俵に上がることになった[19]。新十両で迎えた7月場所は4日目に徳真鵬に敗れたものの、終始他を寄せ付けない圧倒的な強さで13日目に栃乃若を破り、千秋楽を待たずに2012年1月場所の千代大龍以来となる新十両での優勝を決め、千秋楽も勝って14勝1敗で終えた。新十両での14勝は1950年9月場所の米川(後の横綱・朝潮)以来史上2人目、実に63年ぶりだった。9月場所では新入幕[21]。史上4人目となる十両1場所通過、幕下付出から史上最速の所要3場所での新入幕だった。勝ち続けている中で流れを変えないために四股名はまだ付けず、本名で入幕することになった[22]。
入幕後
2013年
新入幕の9月場所は、初日大歓声の中、豊真将に寄り倒しで敗れ、黒星スタートとなったが、2日目の佐田の富士戦で幕内初勝利を挙げた。11日目の旭天鵬戦で勝ち越したが、12日目の德勝龍戦で左足首を負傷。皆勤すれば三賞を受賞する可能性も場所中取り沙汰されていたが[23]、13日目の栃煌山戦で悪化させてしまい、「左足関節捻挫で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出して14日目から途中休場した[24]。場所後の秋巡業には参加したものの、申し合いには参加しないで軽い調整に留まり[25]、さらに捻挫だけでなく剥離骨折、さらにはアキレス腱炎まで発覚したが、11月場所には出場する意向を示している[26]。11月場所では2日目の宝富士戦で左足の重傷を抱えた身ながら34秒4の長い相撲を記録する[27]など怪我を押した相撲を披露したが結局は6勝9敗に終わり入門以来初の負け越しを経験した。
2014年
翌2014年1月場所は初日に翔天狼に敗れたが、その後は白星を重ね、12日目に大関・琴奨菊との取組が組まれた。初土俵から所要6場所での大関戦は雅山に次ぐ2位タイのスピード記録[28]。もし勝てば長岡(のち大関・朝潮)に並び史上最速タイの6場所での大関撃破だったが、その一番では琴奨菊に何もできずに完敗[29]。翌13日目に大関特例復帰を懸けた関脇・琴欧洲と対戦し見事に勝ち、三役力士から初白星を挙げ、そして自身初の幕内二桁勝利を記録した(なお琴欧洲はこの敗戦で6敗目を喫し特例復帰がなくなったため、遠藤に引導を渡された形となった)。14日目に里山に勝ち、敢闘賞の受賞が決まった。初土俵から6場所目での三賞獲得は、5場所目で敢闘賞を受賞した99年春場所の雅山に続く歴代2位のスピード記録[30]。千秋楽は貴ノ岩に敗れたものの11勝4敗の好成績で場所を終えた。2014年2月14日には石川県庁を訪れて初場所の敢闘賞を報告した。入門発表からこの日で1年であり、本人は入門以降を「できすぎです」と振り返った[31]。2014年3月場所5日目の稀勢の里戦ではザンバラ髪の力士として年6場所制となった1958年以降で初の快挙となる大関戦勝利を果たした[9]。初土俵から7場所目で大関・横綱から白星を獲得したのも2位タイの記録である[32]。この場所勝ち越せば年6場所制定着(1958年)以降最速タイとなる初土俵から所要7場所での新三役が確実[33]となったが14日目に8敗目を喫し、6勝9敗の成績に終わった[34]。 東前頭4枚目に下がった5月場所であったが、直前の5月8日には部屋で幕下以下の力士達だけを相手としたが80番取った。2014年の時点でも関取が1日の稽古で30番を超える相撲を取ることは珍しく、まさに極めて異例の荒稽古での仕上げだった[35]。この場所が4日目に新横綱・鶴竜を破り初金星を獲得したが、他の横綱・大関陣に勝てず、13日目に栃煌山に負けて2場所連続負け越しが決まった。14日目と千秋楽に連勝して7勝8敗と場所を終えた。7月場所は10日目に5勝5敗と星を五分にした際「あとは食べて寝るだけ」と話し[36]、千秋楽に3場所ぶりとなる勝ち越しを決めた。 西前頭筆頭で臨んだ9月場所では序盤から調子が上がらず、3勝12敗と大きく負け越した。 西前頭8枚目で迎えた九州場所では中日まで2勝5敗と苦戦したものの、その後8連勝とし5場所ぶりに2桁勝利を挙げた。
2015年
2015年3月場所では初日に豊ノ島に破れた後は4連勝と好調だったが、5日目の松鳳山との一番に突き落としで勝利した際、左膝半月板損傷・前十字靱帯損傷の重傷を負い休場を余儀なくされた。また、対戦相手の松鳳山も初日から13連敗するなど1勝14敗と振るわず、この場所限りで十両に転落となった。この怪我以降、遠藤は15分で四股を100回踏めたのが、インターバルを含めて30分かけなければできなくなった[2]。 この怪我で全治2か月と診断され、春巡業を全休。一時は手術も検討されたものの最終的には手術を回避し、夏場所にも出場する意向を示した[37]。 初めて大銀杏を結っての土俵となった2015年5月場所では、序盤は初日から6連敗するなど怪我の影響が見られたものの、7日目の荒鷲との一番に勝利してからは星を盛り返し、この場所を6勝9敗で取り終え幕内残留を決めた。3月場所に負った怪我の重さを考えれば大健闘であった[2]。 10月、和歌山巡業で報道陣に色紙を渡され「三役を目指したい」とさらりと書いた。9月ごろには膝の調子は本人いわく「80%」程度であったが、誕生日の前に巡業で膝を悪化させてしまった。「もう、遠藤は終わった」という周囲の声もあったが、それに耳を貸さず、四股やすり足で昔の感覚を取り戻すために必死になった[2]。
2016年
2016年1月場所は、前場所で怪我の影響により4勝11敗と大きく負け越したため東前頭11枚目の低位置で迎えたが、満身創痍の状態で相撲を取ることは難しく、結局右足首の捻挫で途中休場。再出場しなかったためこの場所は1勝止まりとなり、3月場所では十両へ転落した。[38]3月場所は十両で11勝を挙げ、一場所で帰り入幕を果たした。しかし依然として稽古もままならない状況であり、せめてもの努力として増量に励んだ。普通のちゃんこに加えて夜食に焼肉を食べて、体重を154㎏にまで増やした[2]。さらにケアとリハビリのために宴席などの付き合いをほとんど断って治療に時間を割き、巡業中もスマートフォンで宿舎近くのトレーニングジムを探してトレーニングに励んだ[2]。5月場所は好調で、千秋楽で豪風に勝てば敢闘賞を受賞という一番だったがこれに敗れたものの、それでも11勝を挙げて復活をアピールした。7月場所は膝の状態が思わしくなく、初日から9連敗。最終的に3勝に留まった。場所後、けがの状態の悪さから3人の担当医師が揃って夏巡業の参加を反対したが、本人の意向によりフル参加。[39]夏巡業後は連日20番以上を取っており「だいぶ良くなってきている。これだけ休みなしに稽古を続けてこられたのは、本当に1年ぶりぐらい」と笑みものぞかせた。追手風も「場所前に20番取れるのはケガしてから初めて。一番いい」と太鼓判[40]。夏巡業などで鍛えられたのか、平幕下位の東前頭14枚目まで番付を落とした9月場所では好成績で自己最速となる9日目での勝ち越しを記録。[41]14日目まで優勝争いに加わり、13勝2敗の優勝次点で自身初の技能賞を獲得した。千秋楽の取組を終えた支度部屋では「三つの中でいちばんとってみたかった。自分の技能が評価されるのはすごくうれしい」と話していた。[42]2016年11月場所は2015年1月場所以来となる上位総当たりの場所であった。この場所でのけがの回復具合は「6、7割」と言いつつも「少しずついい方向に戻っている」とアピール[43]。場所6日目に横綱白鵬を寄り切りで倒し、自身2個目となる金星を獲得した。[44]この場所では他にも3大関に勝利したことから殊勲賞の候補となり、千秋楽に勝てば受賞と決まっていたが[45]、千秋楽に玉鷲との取組に敗れて7勝8敗と負け越し、受賞できなかった[46]。
2017年
2017年1月場所も7勝8敗と負け越したが、3月場所は8勝7敗と勝ち越し。3場所ぶりの勝ち越しについて遠藤は「別に。特に。(勝ち越しの要因を聞かれても)何でしょうね」とコメント[47]。5月場所は西前頭筆頭で、稀勢の里 を破る金星もあったものの、6勝9敗と負け越し。千秋楽の取組を終えた遠藤は「負け越しても、応援してくれる人の期待に少しでも応えられてよかったです。今場所は、最後まで取り切れたのだけがよかったのかなと思います。反省?負けたことじゃないですか」と記者に話した[48]。6月28日に行った三重県鈴鹿市にある追手風部屋の名古屋場所稽古場での稽古では、翔猿らと12番取って7勝5敗だった。「(調子は)ぼちぼち。これから上げていく」。6勝に終わった5月場所前は出稽古を含めて調整したが「今回は(出稽古を)考えていない」という[49]。7月場所は5日目から左足関節じん帯損傷(足関節内骨軟骨遊離体あり)、2カ月の見込みで通院治療を要す」との診断書を日本相撲協会へ提出し、休場。直後の夏巡業は全休[50]。7月下旬には左足首の2箇所を内視鏡で手術、遊離軟骨を除去した。予てより嫌っていた手術に踏み切った形となった[51]。9月場所の出場すらも危ぶまれていたが[52]、この場所は10勝5敗と7場所ぶりの幕内二桁勝利。11月場所は11日目に勝ち越しを決めるなど比較的好調[53]。この11月場所では14日目に結びの一番で相撲を取り、翌日の千秋楽では初っ口(中入り後最初の取組)で相撲を取るという珍事があった[54]。この場所は9勝6敗の成績を残した。
2018年
1月場所は鶴竜を破る金星を挙げて9勝6敗、3月場所は4度目の前頭筆頭の地位で2大関を破る活躍を見せ9勝6敗で2回目の技能賞を受賞し、3場所連続9勝6敗で5月場所の新三役が濃厚となる。4月8日の春巡業静岡場所では、自身の経験から遠藤のことを見込んだ高安に三番稽古で胸を出してもらい、10番中1勝している[55]。5月場所では小結に昇進し、新三役となった[56]。 新三役で迎えた5月場所は3日目に大関・豪栄道を破り、5日目まで3勝2敗。しかし、6日目の御嶽海戦で負傷し、右上腕二頭筋遠位部分断裂のため7日目より休場した。10日目より再出場するも白星を挙げられず、3勝10敗2休に終わった。東前頭6枚目まで番付を下げた7月場所は中日までに7勝1敗と好調だったが、上位力士や好調力士との割が増えた後半戦は急失速し、8勝7敗と1つの勝ち越しに留まった。
取り口
子供の頃は突き押しを得意としていたが、大学に入学してから四つになることが段々多くなった。[6]柔軟な下半身と相撲の基礎に支えられた四つ相撲を得意とする。重心の低さや、当たりの角度、上手の位置が絶妙であると評されている。土俵際での器用な足さばきで逆転を狙う技術もある[57]。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「立合いも腰から出る」と下半身の強さを評価している[58]。一方で、廻しが取れないと苦戦を強いられる傾向があり、強い立合いの当たりを受けると多くの場合は一気に土俵外へ出される。「圧力をもっとつけて、自分から攻めていかないと大ケガにつながる。」と受け身の相撲の弊害を指摘する声もあり[59]、本人もこれについて「当たってからいなされたり、はたかれたりすることを気にしないことが大事。」と自覚している[60]。2016年の文献では北の富士が「あれの偉いのは、真っ向勝負で行くから。立合いに変化しないしね。その辺が人気があるんじゃないですかね」と評している[61]。精神面に関しては、角界入りする前に田中英壽は「最近の子供には甘さがあります。遠藤も精神的な弱さがあって、大事な大会では負けていました」と前置きしつつも、大学3年生の頃の怪我を経験したことについて「振り返ると、それが成長につながり、プロでも対応できる根性がつきました」と気持ちの部分での成長を褒めた[62]。柔軟性に頼った受けの相撲を取るため2015年から右足を中心として足腰のけがに悩まされるようになったが、2016年の後半あたりから足腰の状態が良くなった。2016年11月場所7日目の鶴竜戦は突き落としで敗れたが、勝った鶴竜が「いい当たりをしてきたので変わったな、と思った。前は頭で突っ込んでくることはなかった」と成長ぶりを認めている[63]。2017年3月場所前の座談会では竹縄(元関脇・栃乃洋)が「遠藤は九州場所あたりから相撲に重みが出てきた」と評しており、甲山(元幕内・大碇)も「体もひと回り大きくなって、いよいよ三役も近い印象です」と話している[64]。それほど力強さがあるわけではなく、舞の海は「遠藤の相撲は分かりやすいですね。馬力のある人には土俵際も残せない。そうでない人には組み止めて勝つ」と思うところを述べている一方で「後は患部がどこまで回復するかです。相撲は直すところが全くない」とその相撲の完成度に触れている[65]。2017年5月場所11日目に嘉風を破った際、嘉風は「ああ疲れた。遠藤は左を差したらうまい。攻めたようだが、攻めさせられた」と遠藤の取り口について触れている[66]。大兵を相手には下からの攻めが冴え、2017年5月場所初日に照ノ富士を破った際には「相手が大きいので、臆せず下から攻められた」と自身の取り口について示唆している[67]。2017年7月場所後の武蔵川のコラムでは、立合いも流れも遅く、然して大きくない体で胸から当たる点を指摘され、頭から当たるなど相撲自体を変えていくように助言された[68]。武蔵川は2017年9月場所後になると「年齢的にもまだまだ一皮むけところだし、それには出稽古に行ってボコボコにしてもらってこないといけない」とさらに稽古を積むよう相撲誌の記事で助言した[69]。2017年11月場所前の座談会で舞の海は、遠藤は相変わらず馬力のある力士には弱くて組み止められないと指摘しており、以前他の識者が指摘したように立合いの強化をするように言っている[70]。2018年9月場所前の記事では花田虎上が「ちょっと体が弱いのかな。どういった稽古、トレーニングをしているのかは分かりませんが、体感を鍛えるのがいいのでは」という助言をしていた[71]。同時期、舞の海からは「組んだ時の上手さを知っている力士達の張り差しや張り手などは研究するべきだ」という趣旨の論評を出されている[72]。2018年1月場所終了時点では上位総当たりに近い場所を7場所経験している中で絶不調だった1場所を除くと、対横綱の勝率は20%とそれほどでもないが、対小結関脇の勝率は43%、そして対大関の勝率は56%。しかし上位総当たりに近かったその6場所で、対平幕の勝率は49%。相撲ライターの西尾克洋によると、「取りこぼしが多いというよりも自身の懸賞金の多さが相手のモチベーションを上げてしまうために相手に会心の相撲を取られてしまう」とのこと[73]。
エピソード
相撲関連
- 金沢巡業では同じ石川県鳳珠郡出身の丹蔵(こちらは能登町)と共に人気を集める存在である[74]。
- 2014年1月場所13日目にこの場所の10勝目を挙げたことで初土俵から6場所目に初めての幕内2ケタ白星の記録を達成した。年6場所制では35年ぶり3人目の最速タイ記録である[75]。
- 2014年1月場所では優勝した横綱・白鵬の旗持ちで初めてオープンカーに乗っている。旗持ちになった理由は白鵬と遠藤の所属部屋が伊勢ヶ濱一門の所属だったためである[76]。
- 2014年1月30日、4月12日に行われる春巡業「大相撲ぐんま場所」のPRのため、2月7日に群馬県前橋市に出向いた。遠藤は群馬とは縁もゆかりもないが、協会関係者は「巡業をPRするために指名されたということでしょう。人気力士ですから」と説明した。 ご当地力士以外が事前に巡業先で宣伝活動するのは異例[77]。
- 2014年3月場所8日目、東前頭11枚目の地位で初日から7連勝中だった大砂嵐と対戦。当時東前頭筆頭の遠藤は通常なら幕内中堅の好調な力士との対戦から組むのだが、鏡山審判部長(元関脇・多賀竜)は「8日目だからサービスだよ」と意図を説明した[78]。
- 巡業でも休む間が無いほど出番が多く、ファンサービスに追われて体調を崩したこともある。2014年8月12日の夏巡業秋田場所では午前中のサイン会から帰ってくると尾車巡業部長(元大関・琴風)に吐き気がすることを伝え、午後の土俵入りや取組は予定通りに行ったものの土俵での稽古を見送った。尾車はこれについて「無理をさせるとケガのもとになる。(サイン会は)毎日だから疲れも出たのだろう」と説明。その上で「人気者の宿命だが、何かあると遠藤が呼ばれる状況を秋の巡業では改善しないと」とファンサービスを緩和させる方針を示した[79]。
- 小学生時代に通った「穴水少年相撲教室」は一時存続が危ぶまれていたといい、創設された1970年代前半には30人の門下生を抱えていたものの遠藤が在籍していた2000年前後には3人まで減少していたこともある。それでも出身者の遠藤が絶大な人気を集めたことで2014年の春には3人の入門者に恵まれた。一度に3人も入門するのは、十数年ぶりだという[80]。
- 2015年9月場所6日目、対前頭8枚目豪風戦勝利のおり、解説の北の富士が遠藤の四股名について「三役昇進を果たした際には(かねて襲名の予定である)追手風部屋ゆかりの『清水川(元大関)』という素晴らしい四股名をぜひ名乗ってもらいたいね」と願望した。
- 左膝を慢性的に故障しているが、サポーターなどは一切巻かない。これについて本人は「最初はバンテージみたいなものをつけていたんですが、まあ、意味がないんです。気休めにしか感じなかったんですね。正直、邪魔でした。テーピングすることによってできないことができるようになるわけじゃないし」と語っている。[6]膝の具合に関しても、記者から「膝の手術をすれば良かったと思ったことはないのか」と聞かれると「好きで怪我しているわけではないので…自分から体にメスを入れることを許したくない」と言い切った。ただし、引退したら手術するつもりであるという[2]。
- 2015年2月2日に行われた相撲協会の健康診断で握力を測定したところ、記録は60㎏。前日は午後9時以降食事禁止の制限がかかっており「ご飯食ってたらもっと上がるんだけどなぁ」と苦笑いした[81]。
- 2017年7月場所終了後の記事によると、出待ち対策のために場所入りの際は通常とは異なる場所から出入りしている[82]。
- 2018年5月26日付で、年寄名跡「北陣」を継承(取得)した[83]。
懸賞金・タニマチ関連
- 2013年11月、マダムシンコから化粧廻しを贈られた[84][85]。
- 2013年12月25日、「永谷園」のお茶漬けのCMを収録した。遠藤は猫舌であったがそれでもOKが出るまでお茶漬けを30杯食べたと言い、これについて「水っ腹になった」と感想を述べている[86]。
- 2014年1月場所8日目の大砂嵐戦では14本の懸賞が設定された[87]。平幕同士としては約2年ぶりで異例の本数が集まった(取組は突き落としで大砂嵐の勝ち)[87]。
- 同場所11日目の臥牙丸戦を勝って受けた懸賞金を以て懸賞金の総獲得数104本を記録した。入幕3場所目にして懸賞金の獲得数が100本を超えた記録は若乃花・貴乃花兄弟の新入幕から所要5場所の記録を上回る[88]。
- 2013年12月15日、日立建機から同社が誇る双腕作業機「ASTACO」がデザインのモチーフとなる化粧回しを贈呈される。遠藤の故郷・石川県穴水町には日立建機の協力会社があり、遠藤の父親も勤務している縁から[89][90]、その直後の2014年1月場所、遠藤は自身初の指定懸賞として日立建機から毎場所1本設定されるようになった[91]。
- 2014年3月場所、初日から千秋楽まで毎日4社から指定懸賞が設定された。この場所の指定懸賞の設定元は遠藤が最多となり、設定元の数では白鵬(2社)を凌いだ[91]。同年7月場所には指定懸賞5社、総本数200本近くがかけられる予定である[92]。
趣味・嗜好
信条
- 自ら「完璧主義者」と称する性格から、負けてイライラするといけないという理由でゲーム類や将棋などは行わないという[95]。
- 子供の頃から初詣に行ったこともないほど験を担ぐことには縁がないが、2016年3月場所前にはお祓いをしてもらった[2]。
その他
- 2014年のバレンタインデーの朝には女性ファンから段ボール箱5個分のチョコレートが送られたという。また、2014年2月11日の「お姫様抱っこ企画」には定員6人に8132件の応募が殺到するなど、女性人気が高い。甘党であり、マダムシンコから化粧廻しを受けた縁でバウムクーヘンをもらってよく食べると語っている[96][93]。
- 自身の1年間を表す漢字は2013年が「縁」、2014年が「忙」、2015年が「辛」、2016年が「痛」[97]。
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:242勝232敗30休(34場所)
- 幕内成績:207勝213敗30休(30場所)
三賞・金星
- 敢闘賞:1回(2014年1月場所)
- 技能賞:2回(2016年9月場所、2018年3月場所)
- 金星:4個
- 白鵬1個(2016年11月場所)
- 鶴竜2個(2014年5月場所、2018年1月場所)
- 稀勢の里1個(2017年5月場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2013年7月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2013年 (平成25年) |
x | 幕下付出10枚目 5–2 |
東幕下3枚目 5–2 |
西十両13枚目 優勝 14–1 |
東前頭13枚目 9–5–1[98] |
西前頭7枚目 6–9 |
2014年 (平成26年) |
西前頭10枚目 11–4 敢 |
東前頭筆頭 6–9 |
東前頭4枚目 7–8 ★ |
西前頭5枚目 8–7 |
西前頭筆頭 3–12 |
西前頭8枚目 10–5 |
2015年 (平成27年) |
東前頭3枚目 6–9 |
西前頭5枚目 4–2–9[99] |
西前頭9枚目 6–9 |
東前頭12枚目 10–5 |
東前頭7枚目 8–7 |
西前頭4枚目 4–11 |
2016年 (平成28年) |
東前頭11枚目 1–6–8[100] |
東十両6枚目 11–4 |
西前頭15枚目 11–4 |
西前頭6枚目 3–12 |
東前頭14枚目 13–2 技 |
東前頭3枚目 7–8 ★ |
2017年 (平成29年) |
西前頭4枚目 7–8 |
東前頭5枚目 8–7 |
西前頭筆頭 6–9 ★ |
西前頭3枚目 2–3–10[101] |
東前頭14枚目 10–5 |
東前頭9枚目 9–6 |
2018年 (平成30年) |
西前頭5枚目 9–6 ★ |
東前頭筆頭 9–6 技 |
西小結 3–10–2[102] |
東前頭6枚目 8–7 |
西前頭3枚目 3–12 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 遠藤 聖大(えんどう しょうた) 2013年3月場所 -
メディア出演
バラエティ番組
- さんまのSUPERからくりTV(2013年12月15日、TBS)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(2014年3月25日、フジテレビ)
- 徹子の部屋(2014年6月3日、テレビ朝日)
ドキュメンタリー番組
- 情熱大陸(2014年6月29日、毎日放送)
- ザ・ノンフィクション(2017年2月5日、フジテレビ)
CM
参考文献
- 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p239-240
脚注
- ↑ 中日新聞2013年9月14日朝刊おまけ星取表より。
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p44-46
- ↑ 3.0 3.1 遠藤大金星!休まず攻めて「ヤッター」 nikkansports.com 2014年5月15日9時33分 紙面から
- ↑ 全国学生相撲選手権:10日開幕…個人戦Vの行方は 毎日jp 2013年3月8日閲覧
- ↑ 遠藤 いざ秋場所 (上)朝青龍の一言で憧れ強く YOMIURI ONLINE 2013年9月13日
- ↑ 6.0 6.1 6.2 大空出版『相撲ファン』vol.3 30頁から32ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号19頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号17頁
- ↑ 9.0 9.1 史上初!遠藤、ざんばらで大関撃破「まさか勝てるとは」/春場所
- ↑ 遠藤 いざ秋場所 (中)故障乗り越えアマ横綱に YOMIURI ONLINE 2013年9月14日
- ↑ 遠藤が初のアマ横綱 国体との2冠達成 全日本選手権 MSN産経ニュース 2013年3月8日閲覧
- ↑ アマチュア横綱・遠藤、追手風部屋入門を表明 YOMIURI ONLINE 2013年3月8日閲覧
- ↑ アマ横綱・遠藤が大相撲入り「輪島先輩が目標」 SANSPO.COM 2013年3月8日閲覧
- ↑ 大相撲:アマ横綱の遠藤 幕下10枚目格付け出しデビュー 毎日jp 2013年3月8日閲覧
- ↑ 遠藤ら39人が新弟子検査合格 スポーツ報知 2013年3月22日閲覧
- ↑ 遠藤、大器の証明 角界初稽古で圧倒的強さ 北國・富山新聞 3月4日01時39分
- ↑ 遠藤聖大 所用1場所での十両昇進挑戦 デイリースポーツonline 2013年3月22日閲覧
- ↑ 1場所で新十両ならず 遠藤「これで人生終わったわけじゃないですから」 スポニチアネックス 2013年3月22日閲覧
- ↑ 19.0 19.1 遠藤、予期せぬ昇進に「不思議な感じ」 日刊スポーツ 2013年5月29日閲覧
- ↑ この場所は大砂嵐が東幕下7枚目で7戦全勝、東西の筆頭および西2枚目の力士も勝ち越しており、十両からの陥落力士が2〜3名ほどの予想だった。
- ↑ 高安が新三役、遠藤は最速で入幕…大相撲秋場所 読売新聞 2013年9月2日
- ↑ 【名古屋場所】遠藤、最速入幕確実!14勝Vで十両1場所通過 スポーツ報知 2013年7月22日(2013年7月26日閲覧)
- ↑ 遠藤三賞級の活躍も“不発”相撲協会に欲しい懐の深さ ZAKZAK 2013.10.08
- ↑ 遠藤が左足首負傷で休場 12日目痛める 日刊スポーツ(電子版) 2013年9月28日(2013年9月30日閲覧)
- ↑ 遠藤 左足首痛で慎重、秋巡業一度も申し合いせず スポニチアネックス 2013年10月28日(2013年11月4日閲覧)
- ↑ 遠藤アキレスけん炎も判明 でも出る! 日刊スポーツ 2013年11月7日(2013年11月7日閲覧)
- ↑ 34秒4…遠藤連敗/九州場所 nikkansports.com 2013年11月12日9時39分
- ↑ 遠藤9勝 史上2位タイ6場所目で大関挑戦勝てば最速 スポニチアネックス 2014年1月23日(木)7時1分配信
- ↑ 遠藤3敗目…ほろ苦初大関/初場所 日刊スポーツ 2014年1月23日(木)20時6分配信
- ↑ 遠藤が初三賞、歴代2位の速さ/初場所 日刊スポーツ 2014年1月26日(日)13時29分配信
- ↑ 石川)遠藤関が県庁訪問 入門発表から1年「できすぎ」 朝日新聞DIGITAL 2014年2月15日03時00分
- ↑ 1位は長岡(のちの朝潮)の6場所目であり、1979年1月場所に大関・貴ノ花を破った。2位タイは豊山と武双山であり、豊山が1962年3月場所で大関・琴ヶ濱を、1994年1月場所で武双山が横綱・曙をそれぞれ破った。
- ↑ 遠藤、悔しさかみ殺す MSN産経ニュース 2014.3.23 00:21
- ↑ 白鵬が遠藤を圧倒「もう少し稽古して」 デイリースポーツオンライン 2014年4月13日
- ↑ 遠藤、人生初!炎の80番「ただの負けず嫌いですよ」(2/2ページ) SANSPO.COM 2014.5.9 05:03(産経新聞社、2017年12月4日閲覧)
- ↑ 遠藤 星五分に戻すも淡々「時の運」あとは食べて寝るだけ Sponichi Annex 2014年7月23日 05:30
- ↑ 遠藤が夏場所出場へ 土俵で12番「今決めました」 日刊スポーツ 2015年5月5日12時38分
- ↑ 遠藤が右足首捻挫で休場 春場所で十両転落確実に 日刊スポーツ 2016年1月16日(2016年1月24日閲覧)
- ↑ 遠藤 平幕V見えた!ケガ回復し復活の兆し 初の1敗ターン Sponichi Annex 2016年9月19日 05:30
- ↑ 日刊スポーツ 2016年9月8日
- ↑ 遠藤が自己最速勝ち越し、ケガ復調兆し実りの秋 日刊スポーツ 2016年9月19日20時46分
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号7ページから
- ↑ 遠藤、大関3連続撃破 復調実感「うまくいっている」 産経ニュース 2016.11.16 21:59
- ↑ 遠藤、衝撃の4秒で金星 アスリートから勝負師へ 日刊スポーツ 2016年11月19日 09:23
- ↑ “正代、石浦が敢闘賞受賞 玉鷲は初の三賞 遠藤は勝ち越せば殊勲賞”. スポニチアネックス. (2016年11月27日) . 2016閲覧.
- ↑ 日刊スポーツ 2016年11月28日
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号7ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p39
- ↑ 遠藤、翔猿らと12番「調子はぼちぼち。これから上げていく」 SANSPO.COM 2017.6.29 05:01
- ↑ 遠藤、夏巡業全休へ…「左足関節じん帯損傷」で全治2カ月 SANSPO.COM 2017.7.26 05:02
- ↑ 遠藤、左足首を手術していた 秋場所の復帰目指す 日刊スポーツ 2017年8月18日4時53分(日刊スポーツ新聞社、2017年11月25日閲覧)
- ↑ 日刊スポーツ 2017年8月30日
- ↑ 勝ち越しの遠藤、残りも「きょうみたいに我慢して相撲を取る」 SANSPO.COM 2017.11.22 19:56(産経新聞社、2017年11月23日閲覧)
- ↑ 日刊スポーツ 2017年11月28日。相撲協会に記録はないが、同紙によれば2007年9月場所の豪栄道以来のことである。
- ↑ 高安「いい稽古になった」三番稽古で遠藤を圧倒 日刊スポーツ 2018年4月8日18時54分(日刊スポーツ新聞社、2018年4月10日閲覧)
- ↑ “遠藤が小結、北海道20年ぶり旭大星が入幕 新番付”. 日刊スポーツ. (2018年4月30日) . 2018閲覧.
- ↑ ホープ遠藤は相撲界の救世主になれるか Daily Sports Online 2014年2月13日
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号58頁
- ↑ 『相撲』2013年11月号80頁
- ↑ 遠藤、立ち合い「怖がっていちゃダメ」 nikkansports.com 2014年5月1日18時51分
- ↑ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p39
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.15
- ↑ 東京新聞 2016年11月20日 朝刊
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号65ページ
- ↑ 『大相撲中継』2017年5月27日号53頁
- ↑ 嘉風「ああ疲れた。遠藤は左を差したらうまい」 SANSPO.COM 2017.5.24 19:44
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p11
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p11
- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.53.
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p26
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.21
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.33
- ↑ 遠藤のブレイクを予想する根拠。大相撲の「上位定着から3~5年」説。 Number Web 2018/03/13 15:00(文藝春秋、2018年9月29日閲覧)
- ↑ 『相撲』2013年11月号12頁
- ↑ 遠藤、最速タイ10勝「びっくり」/初場所 nikkansports.com 2014年1月25日9時26分 紙面から
- ↑ 遠藤、旗手でも堂々=大相撲初場所千秋楽 時事ドットコム 2014/01/26-20:07
- ↑ 遠藤 人気者の証明!異例の「大相撲ぐんま場所」PR係 Sponichi Annex 2014年1月30日 05:30
- ↑ 大砂嵐を異例の大抜てき MSN産経ニュース 2014.3.15 23:31
- ↑ 遠藤 体調不良で巡業稽古を回避 ファンサービスで疲れ? Sponichi Annex 2014年8月13日 05:30
- ↑ 後輩力士もエール…遠藤秋場所 YOMIURI ONLINE 2014年09月14日
- ↑ 遠藤「セイッ!」握力検査で60キロ 日刊スポーツ 2015年2月2日14時46分
- ↑ 週刊女性2017年8月1日号
- ↑ “遠藤、「北陣」名跡を継承”. 中日スポーツ. (2018年5月28日) . 2018閲覧.
- ↑ 84.0 84.1 (cache) 遠藤に「マダムシンコ」化粧まわし:相撲:スポーツ:スポーツ報知
- ↑ 初日鶴竜に2日目日馬!遠藤、東前頭筆頭で上位陣食う (2/2ページ) - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)
- ↑ バレリーナばり!遠藤半回転で土俵際残った「ラッキー」 Sponichi Annex 2014年1月16日 05:30
- ↑ 87.0 87.1 大砂嵐 大鵬に感謝の白星/初場所 - 大相撲ニュース : nikkansports.com
- ↑ 遠藤、総懸賞金104本 若貴超え/初場所 nikkansports.com 2014年1月23日8時42分 紙面から
- ↑ 大相撲の幕内・遠藤関に、化粧まわしを贈呈日立建機プレスリリース、2013年12月26日
- ↑ 遠藤 “ガンダム風”新化粧まわしで巻き返す! Sponichi Annex 2013年11月27日 05:30
- ↑ 91.0 91.1 遠藤指定の懸賞金4本 白鵬超え最多 nikkansports.com 2014年3月8日9時57分紙面から
- ↑ 【名古屋場所】遠藤、懸賞横綱!白鵬に次ぐ多さ5社200本 2014年7月9日6時0分 スポーツ報知
- ↑ 93.0 93.1 遠藤にバレンタインチョコ「段ボール5箱」 2014年2月15日06時02分 スポーツ報知
- ↑ 北國新聞2014年8月22日
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号15頁
- ↑ 甘党の遠藤「最近はバームクーヘン」 nikkansports.com 2014年6月26日17時36分
- ↑ 遠藤「痛」かった1年振り返る 年内ラスト稽古終え 日刊スポーツ 2016年12月31日9時48分 紙面から
- ↑ 左足関節捻挫により14日目から休場
- ↑ 左膝半月板損傷・前十字靱帯損傷により6日目から休場
- ↑ 右足関節捻挫により7日目から休場
- ↑ 左足関節靱帯損傷により5日目から休場
- ↑ 右上腕二頭筋遠位部分断裂により7日目から休場、10日目から再出場
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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