鶴竜力三郎
鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう、1985年8月10日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で井筒部屋所属の現役大相撲力士。本名はマンガルジャラビーン・アナンド[1](モンゴル語キリル文字表記:Мангалжалавын Ананд、ラテン文字転写:Mangaljalavyn Anand)、愛称はアナンダ。身長186cm、体重159kg、血液型はA型、趣味はスポーツ観戦。得意手は右四つ、寄り、下手投げ、もろ差し。第71代横綱。実際に生まれ育ったのはウランバートル市内だが、取組前の呼び出しでは父親の出身地であるスフバートルを自身の出身地としている[注 1]。好物は焼肉(特にハチノス)[2]。
四股名の「鶴」は部屋ゆかりの四股名「鶴ヶ嶺」から、「力三郎」は尊敬する井筒部屋の大先輩・寺尾が新十両場所だけ名乗っていたゆかりの四股名「源氏山」の下の名前に由来する。締め込みの色は現在紺色。
Contents
来歴
モンゴル時代
大学教授一家の裕福な家庭に生まれ、幼少時にはテニス・バスケットボールなど、当時の庶民の子弟には高嶺の花と言えるスポーツに滋しむことができ、レスリングにも励んだ。親の影響で勉学にも励み、いわゆる優等生であったが、その裕福な家庭環境から、自宅でNHKの相撲中継も視聴することができたため、当時興っていたモンゴル国内における「相撲ブーム」に接して、同郷の旭鷲山などの活躍に憧れて力士を志し、花籠部屋の選考会に参加したが、一旦は不合格となった。しかし諦念しきれず、雑誌「グラフNHK」の広告で相撲愛好会(日本相撲振興会)の存在を知り、父が勤務する大学で日本語を教えていた同僚に頼んで自身の決意文を和訳してもらい、それを同振興会の時田一弘会長宛に入門希望の手紙として送った。これを受領した時田会長は、同志の鈴木賢一と相談の上、井筒親方(関脇・逆鉾)に諮って井筒部屋に入門させ、2001年5月に来日、同年11月場所に初土俵を踏むに至った[3]。
大相撲入門以後
井筒部屋に入門した2001年9月の時点では65kgしかなく、井筒は最初「床山にでもするか」と思ったという。だが3ヶ月で82キロまで増やし、新弟子検査に合格した鶴竜の笑顔を見て井筒は「こいつを育てなきゃ可哀想だ」と感じた[4]。入門当初から物覚えが良く、廻しの切り方は1度で覚え、日本語は来日1年で堪能になったという。また、納豆も平気で食べられるなど日本食にも初めから適応できていた[5]。同期生によると、相撲教習所時代には準備体操のランニングでいつも先頭を走るなど当初より向上心の高さが垣間見られたといい、同期の元幕内・隆の山は引退会見で「毎朝2人で先頭を走り、『寒いから早く走って中で暖まろうぜ』と片言の日本語で話していました」と当時の様子を述懐していた[6][7]。 こうして着実に番付を上げて行ったが、魚が嫌いでなかなか体重が増えず、三段目の下位で苦労した時期もあった[5]。しかし、魚嫌いを克服してから徐々に体重も増え、三段目の上位でも勝ち越せるようになり、2004年7月場所に7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌9月場所は一気に幕下14枚目まで番付を上げた[6]。この場所は1勝6敗と跳ね返されたものの、千秋楽の夜に涙を流していたところに部屋付き行司の9代式守與之吉から「明日も四股を踏むくらいだったら怒られないよ」と耳打ちされ、場所後1週間の稽古休みとなる中で翌日からの與之吉の言葉通り稽古場で大汗をかくほど四股を踏んで精進を図った[6]。そして同年11月場所から6場所連続勝ち越しを続け、2005年9月場所では幕下東5枚目で5勝2敗という微妙な成績ながら11月場所には十両に昇進した。しかし十両では軽量が災いしたか成績が伸びず、1場所で幕下に陥落した。翌2006年1月場所に東幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、十両に戻った3月場所は3勝6敗から6連勝して9勝6敗と関取として初の勝ち越しを果たした。その後は勝ち越しを続け、2006年9月場所では西十両筆頭で9勝を挙げて、翌11月場所には新入幕を果たした[3]。
新入幕となった2006年11月場所では異例とも言える前頭東8枚目に番付を上げ、その後も勝ち越して西前頭2枚目まで番付を上げた。新十両以来二桁勝利は長らく無かったが、2008年1月場所では11勝4敗の好成績を挙げ、初の技能賞を獲得した[3]。2008年9月場所から出身地を父の出身地であるスフバートルに変更した。西前頭筆頭で迎えた3月場所は7日目まで2勝5敗だったが、中日から8連勝で10勝5敗と二桁勝利を挙げて、3大関を破るなど2度目の技能賞を受賞した。翌5月場所は新三役(小結)に昇進。この場所は、3月場所と同様に2勝5敗とかなり苦戦したが中日から7連勝して最終的に9勝6敗と勝ち越し、3月場所に引き続き2場所連続で3回目の技能賞を受賞した。翌7月場所は新関脇に昇進したものの5勝10敗と負け越して1場所で平幕へ陥落した。翌9月場所では11勝4敗と好成績を挙げて4度目の技能賞を受賞した。翌11月場所は西関脇に復帰したものの、7勝8敗と負け越した。
平幕に陥落した後も2場所連続で負け越すなど調子を取り戻せないでいたが、7月場所では初日から8連勝し、中日には大関・琴欧洲を破るなどの活躍を見せた。結果11勝4敗の好成績で3場所ぶりの勝ち越し、5場所ぶりの二桁勝利を記録し、5度目の技能賞を受賞した[3]。
5月技量審査場所では西小結の位置で、13勝2敗で優勝した白鵬(第69代横綱)に次ぐ成績の12勝3敗という自身最高の成績を挙げて6度目の技能賞を受賞した[8]。翌7月場所では3大関を破る活躍を見せて西関脇(2枚目)の位置で10勝5敗と、三役で2場所連続の二桁勝利を挙げた。次の9月場所は東関脇(2枚目)の地位で、東関脇の琴奨菊と共に初の大関獲りを目指したが、不調で7日目で早くも4敗を喫してしまう[9]。終盤4連勝して勝ち越したが9勝6敗に終わった。
1月場所10日目には、初顔合わせの2007年9月場所から20連敗を喫していた横綱白鵬に寄り切りでついに初勝利、同場所は10勝5敗で初の殊勲賞を獲得、三役で2場所連続で二桁勝利を挙げたことで2度目の大関獲りとなった[10]。3月場所は、初日から7連勝し、中日で大関・稀勢の里に敗れ初黒星となったが、翌9日目で前場所に引き続き白鵬に快勝して勝ち越し[11]。その後14日目まで鶴竜が13勝1敗で単独トップ、12勝2敗の白鵬と優勝を争っていた。千秋楽本割で勝てば鶴竜の幕内初優勝だったが、平幕(西前頭6枚目)の豪栄道に敗れ2敗に後退。さらに13勝2敗同士の優勝決定戦では、本割で勝っていた横綱・白鵬に上手投げで敗れ惜しくも優勝を逃してしまったが、殊勲賞と技能賞をダブル受賞。また14日目、琴欧洲戦の白星で直前3場所の勝ち星が大関昇進の目安となる33勝(10勝-10勝-13勝)となったため、翌5月場所の新大関が確定的になった[3][12]。なお、「6大関」となるのは職業相撲が始まったとされる室町時代以降、大相撲界では史上初の出来事である。2012年3月28日、満場一致で鶴竜の大関昇進が決定[13]。昇進伝達式での口上は「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します」であった[14]。なお、昇進を伝える使者として1月場所後の改選で新理事に昇進した雷親方(元前頭筆頭・春日富士)と一門の勝負審判として部屋の先輩にあたる錣山親方(元関脇・寺尾)が井筒部屋に派遣され昇進を伝えた[15]。
新大関となった5月場所は中日まで1敗であったが、8勝7敗に終わった。7月場所は4連敗を喫したものの、14日目に豪栄道の休場により不戦勝で勝ち越しを決め、千秋楽に琴奨菊を下手投げで下し9勝6敗で終えた。9月場所は12日目まで2敗を維持していたが、13日目に白鵬、14日目に日馬富士(第70代横綱)に連敗して優勝争いから脱落。千秋楽は7連敗中だった稀勢の里に勝利して11勝4敗、大関昇進後初の二桁勝利を挙げた[16]。
1月場所は終盤に4連敗し8勝7敗に終わった。2月の日本大相撲トーナメントでは決勝で豊ノ島を破り、初優勝を果たした[17]。3月場所は8勝7敗、3場所連続で一桁勝ち星に終わった。5月場所は初日から8連勝で大関昇進後で初の中日勝ち越しを決めたが[18]、9日目に琴奨菊に敗れ初黒星。その後の横綱、大関戦に全敗で10勝5敗。7月場所は10勝5敗と大関昇進後で自身初の連続二桁勝利を挙げた。9月場所は7日目まで6勝1敗としたものの、中日以降は連敗が続き、9勝6敗に終わった。11月場所は2日目から連敗し、その後は11日目まで2敗だったが、終盤4連敗で9勝6敗に終わった。
1月場所は初日に同学年の隠岐の海に敗れたが、2日目から白星を重ねて13勝1敗、千秋楽に14戦全勝の白鵬との直接対決に臨んだ。本割では白鵬を寄り倒しで破ったが、優勝決定戦では白鵬に敗れ初優勝はならなかった[3]。それでも北の湖理事長は「決定戦までいったし、優勝に準じる」と、本割で白鵬を破って14勝1敗の優勝同点の成績を評価し、翌3月場所を綱取り場所とする見解を示唆。目安については「最低でも13勝。(最近は)2桁勝利に届いておらず、高いレベルでの優勝が必要」と話した[19]。
春場所では3日目にこれまで2連敗の隠岐の海に押し出しで敗れ1敗となるが[20]、その後は連勝を重ね12日目に横綱の日馬富士を送り出しで破り、14日目に1敗で並んでいた横綱の白鵬を破り単独トップに立つと[21]、千秋楽で琴奨菊を寄り切りで破り、14勝1敗で初優勝を決めた[3][22]。また2014年春場所に於ける鶴竜の初優勝は大相撲個人優勝制度が1909年(明治42年)に制定されてから通算100人目の幕内最高優勝力士となる記念の優勝でもあった[23][24]。
2014年春場所千秋楽の後、理事長の北の湖は鶴竜の横綱昇進を横綱審議委員会へ諮問することを決め[25]、同月24日に開かれた同委員会で満場一致で推薦され[26]、同月26日に開かれた夏場所番付編成会議と臨時理事会において正式に第71代横綱への昇進が決定した。外国人力士としては史上6人目、モンゴル人としては史上4人目の横綱となった。時津風一門からの横綱昇進者は実に52年6ヶ月ぶりである。また、2場所連続優勝せずに横綱に昇進したのは大乃国以来27年ぶり、平成に入ってからは初である。横綱伝達式では「謹んでお受けします。これから、より一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」と口上を述べている[27]。なお、横綱土俵入りは雲龍型を選択、指導は貴乃花親方(第65代横綱・一代年寄)が行った[28]。本来は同部屋もしくは同一門の師匠が指導するのが通例であるが、時津風一門の横綱は柏戸剛引退から鶴竜の昇進までの45年間に渡って不在で、その全員が物故者であるために貴乃花親方が代わりに指導役を務めている。なお、この土俵入りの指導者系譜をさかのぼって行くと、鶴竜 - 貴乃花 - 2代若乃花 - 初代若乃花 - 12代立田川(時津風理事長の命による。初代若乃花の二所ノ関一門には若乃花の昇進の20年前に没した玉錦しか横綱がおらず、横綱土俵入りを教えられる者がいなかった)となり、他の一門に伝えられていた土俵入りをルーツである時津風一門に戻すという、歴史的意義を生む伝承となった。
5月場所初日、本場所で初めて雲龍型の横綱土俵入りを披露。なお、本場所での雲龍型土俵入りは、2010年1月場所後に引退した朝青龍(第68代横綱)以来25場所ぶり。さらに「3横綱」は、2001年1月場所(曙・貴乃花・武蔵丸。同場所の千秋楽後曙が現役引退)以来80場所ぶりとなる。この場所は12日目の結びの一番で、行司軍配は豪栄道に上がっていたが、勝ち残りで東の土俵下に座っていた白鵬が、行司の判定に異議があるとして物言いをつけた。協議の結果、豪栄道がはたき込んだ際にまげをつかんだとして、鶴竜が反則勝ちを得た。横綱が反則で勝ったのは史上初で、幕内の取組で土俵下に控えていた力士が物言いをつけたのは18年ぶり。この場所は結局9勝6敗に終わり、鶴竜を好評(後述)する横審の内山斉委員長もこの結果には「横綱として初めての場所で緊張は分かるが、6敗は多すぎる。いただけない」と苦言を呈した[29]。2012年11月場所、日馬富士が新横綱場所で出した9勝6敗に続いての1桁勝利だった。翌7月場所は11勝4敗とまずまずの成績を収めたが、5日目の大砂嵐戦では立合い変化による自滅を喫して初土俵から15場所という小錦に次ぐ史上2位の初金星スピード記録(幕下付出を除く)を許してしまった[30]。9月場所は、横綱昇進後初の中日勝ち越しとなり、場所を11勝4敗で終えたが、13日目には新入幕であり初土俵から5場所目の逸ノ城に黒星を喫し、金星を配給した。11月場所は12勝3敗という好成績を残したが、白鵬に32回目の幕内優勝を許したことから場所後には自身を「これで横綱と言えるのかな」と嘆いていた[31]。
2014年12月31日、23歳のモンゴル人女性と結婚することが関係者の話で判明した。翌2015年5月には第1子が誕生予定と明かしている[32]。
体調を崩し、稽古が万全にできないまま迎えた1月場所は初日の高安戦には勝利したものの、2日目の宝富士戦には上手投げで敗れ、宝富士にとっては初となる金星を配給してしまう[33]。6日目には栃煌山に敗れ、序盤に2敗したものの、10日目までは2敗を保ち優勝争いに加わっていた。しかし、終盤は負けが込んでしまい10勝5敗で場所を終えた。
翌3月場所は以前から痛めた左肩の怪我が悪化、全治1か月の診断により、3月場所初日の当日朝に突如逸ノ城との取組を不戦敗・休場する事になった[34]。なお、横綱が初日不戦敗となるのは1954年5月場所の吉葉山以来61年振り[注 2]。なお、2日目には鶴竜-妙義龍の取組予定だったが、急遽割り返しが行われる[35]。また、2011年1月場所から2015年1月場所まで続いた(ただし、本場所開催中止の2011年3月場所は除く)通算(幕内)連続勝ち越し記録も、24場所(歴代12位タイ)でストップとなった。翌5月場所も左肩痛が回復せず、2場所連続休場となった(横綱の2場所連続休場は、朝青龍(第68代横綱)が3場所連続休場した2008年7・9・11月場所以来7年ぶり)[36]。
場所後の5月29日に第1子となる4480グラムの女児が誕生し、"父親"となった鶴竜は「大きくて、とてもかわいい。生まれてきた子のためにも、これからまだまだ頑張らなければいけない。まずは下半身から鍛えていく」と、父親・力士としての抱負を述べた[37]。 休場明けの7月場所は、8日目迄白鵬らと共に8連勝で給金を直したが、後半戦の9日目・栃煌山戦で初黒星。その後13日目に稀勢の里にも敗れ、千秋楽結びの一番で白鵬戦に勝てば優勝決定戦に進出出来たが敗北、12勝3敗だった。
9月場所は2日目から日馬富士、3日目から白鵬が相次いで休場し、事実上の一人横綱となった。3日目に嘉風戦、10日目に妙義龍に敗れたものの、終盤戦2敗で照ノ富士らと優勝戦線に加わった。14日目の稀勢の里戦で、立ち合いいきなり変化したが行司待ったで不成立。2度目の立合いで又しても変化し寄り倒して勝利、単独トップに。千秋楽結びの一番、本割りで照ノ富士に敗れ12勝3敗同士の優勝決定戦に進出、決定戦では照ノ富士に勝利し9場所ぶり2回目、横綱としては初めての幕内優勝を果たした。次の11月場所で2連覇を狙うも、序盤で2敗を喫する。千秋楽では横綱昇進してからは初めて白鵬を寄り切って勝利したが、新横綱場所だった2014年5月場所以来、9場所振り日馬富士と並ぶ横綱昇進後2回目の9勝6敗に終わった。
1月場所は序盤戦で安美錦戦・勢戦に取りこぼして早くも2敗。10日目、日本出身力士として10年ぶりの幕内優勝を達成した大関・琴奨菊に寄り切られ、3敗と優勝争いから脱落。その後も白鵬戦・稀勢の里戦でそれぞれ敗れて10勝5敗に留まった。3月場所は初日に関脇の豊ノ島に敗れ黒星スタート。その後は8日目まで白星を重ねるも9日目に豪栄道に敗れてから失速。終わってみれば10勝5敗の成績だった。5月場所は12日目に琴奨菊に敗れ3敗として優勝の可能性が消滅。それでもそこから優勝の可能性を残していた日馬富士、稀勢の里を破り、千秋楽も白鵬と激戦を繰り広げるなど横綱の意地を見せた。最終的には11勝4敗だった。7月場所は3日目から平幕相手に連敗。その後に場所前の稽古で腰を痛めていたことを明かし、腰椎椎間板症により2週間の加療が必要との診断が下され、更に4日目の高安戦で左足首を痛めていたことも明かし、5日目から休場となった。腰のケガの方は後に全治2ヶ月であり、くの字に骨が変形していたことが判明した[38]が、8月25日の夏巡業平塚場所で復帰した[39]。腰痛の影響で出場が危ぶまれていた9月場所は初日から2連敗と出遅れ、これが響いたのか場所成績は10勝5敗にとどまったが、腰痛を抱えた中で最低限の成績を残した[38]。11月場所は14勝1敗で自身3度目にして7場所ぶりの幕内最高優勝を果たした。7月場所から腰痛に悩まされていたが、それを乗り越えての優勝であった[38]。優勝インタビューでは「うれしい。(勝てば優勝の1番に)自分の相撲に集中した。(今年は)なかなか優勝に絡めず、苦しい時期を過ごしたけど、最後にいい形で良かった」と、喜びに浸った。2014年の11月場所で優勝を逃したことを言及しながら「思い出していた。ここで成長が試されると思った。気合を入れてやって良かった」ともコメントした[40]。2016年の大相撲では幕内最高優勝力士が5人現れ、しかも全員が大関以上という記録ができたが、これは1969年以来史上2回目となる。また、全員が30歳以上なのは優勝者数が4人以下の年も含めて史上初[41]。
1月場所は初の連覇を目指し初日から連勝。2日目には行司差し違えで松鳳山に勝利[42]するなど3連勝するも4日目から5連敗中だった荒鷲に負けるなど3連敗、御嶽海と荒鷲と2個の金星を与えている。荒鷲は初土俵から85場所目での初金星獲得は、昭和以降で7番目の遅さで、外国出身力士では最も遅いという記録を作った[43]。さらに9日目の勢にも不覚をとりこの場所3個目の金星を与えてしまう。10日目の玉鷲戦も良いところなく敗戦。横綱の10日目終了時点での5敗(不戦敗除く)は、1980年名古屋場所の三重ノ海以来約37年ぶりの不名誉記録となった。結局、11日目から怪我などで休場した[44]。詳しい症状は頸椎斜角筋損傷、左肩鎖関節脱臼で約1カ月のリハビリ加療を擁する見込みと診断されており周囲が想像していた以上の怪我であることが判明した[45]。2017年3月場所は6日目に過去11戦全勝であった松鳳山に金星を配給するなど調子が上がらず、11日目に勝ち越しを決めたもののそこから2連敗し、残りを連勝して10勝5敗と何とか2ケタ白星に漕ぎ着けた。4月2日に伊勢神宮奉納大相撲で行われた幕内トーナメントでは選士宣言を行い、大会は準優勝と好調をアピール[46]。
しかし5月場所は不振で、初日は小結・御嶽海、2日目は平幕・千代の国に連敗でのスタートとなった。また、千代の国に敗れた事で、横綱在位19場所で15個目の金星配給となった[47]。3日目の遠藤戦でようやく白星をあげるも、4日目の小結・嘉風戦では相手に中に入られて一方的に土俵外に後退し3敗目。結局、日本相撲協会に「左足関節離断性骨軟骨炎で今後約1カ月のリハビリテーション加療を要する見込み」との診断書を提出し休場。5日目に対戦予定の隠岐の海は不戦敗となった[48]。師匠の井筒親方によると都内の病院で診察を受け、左足首に遊離軟骨が確認されるなど状態が悪いことも説明。親方は「最初に痛みを訴えたのは初場所の時。今場所前の稽古でも前には出られるが、下がると全く戻せない状態だった。休場については連敗した時点から話をしていた」と状況を説明。今後は手術はせず、投薬治療で完治を目指すという。親方は「休場は申し訳ない。ただ、これまでわからなかった理由がはっきりしたのは良かったです」と横綱の思いを代弁していた[49][50]。6月11日には、5月22日に第2子が誕生したことを公にしており、自身も四股やすり足を再開していることを明かした[51]。
7月場所は初日・2日目と連勝。動きも良く好調さを見せていた。しかし、3日目に平幕・北勝富士に敗戦(北勝富士は横綱初挑戦で初金星)。本人は「もったいない負け方」と惜しみ、さらに負けた際「残す時に変な残し方をした」と右足首を痛めたことを明かした上で、「冷やせば大丈夫だと思う」と話していたが状態が良くならず、さらに検査で本人の考えより遥かに重症だと判明。4日目から「右足関節外側靱帯損傷により約3週間の安静加療を要する見込み」と診断書を提出し休場した。4日目の嘉風戦は不戦敗となり、自身の休場は通算7度目(横綱昇進以降では在位20場所で6度目)[52]。井筒親方は「けがをするということは力が落ちている証拠。次に土俵に上がっても勝てなければ、潔く(引退を)決断しなければならない」と次の出場場所で進退を懸けることを明言した[53]。鶴竜本人は「何がいけなかったのかという気持ちだ」と無念そうな表情を見せ、次は進退を問われる状況に「こうなった以上、そう言われてもしょうがない。だが、このけがで終わりたくないという強い気持ちがある」と次に出場する場所への意欲を見せていた[54]。9月場所も怪我が完治しなかったため全休した。休場の診断書の内容は右足関節離断性骨軟骨炎、靱帯損傷[55]。不調に喘ぎ、次の11月場所に進退が懸る中、10月1日には都内のホテルで夫人と結婚披露宴を行い、角界関係者ら約500人に盛大に祝福された。「この日を迎えられた。(奥さんは)人生のパートナーとしてこれからも支えになってくれる存在。落ち込んだりした時は元気に明るく接してくれる。それにつられて元気になる。(花嫁姿は)とてもきれい。いつまでも仲良く誰が見ても幸せな家族を築いていきたい」と愛妻と永遠の愛を誓った[56]。ちなみに鶴竜の結婚指輪のサイズが31号であることが同年11月場所前の相撲雑誌の記事で明らかになっている[57]。6日の秋巡業横浜場所では再起に向けて約3ヶ月ぶりに関取と相撲を取る稽古を行い、千代の国と10番取って8勝2敗。突き、押しや四つ身での動きを確認し「痛みもないし、このままずっとこういう感じでやっていければ問題ない」と笑顔で話した[58]。しかし、11月場所初日を目前にした11月8日に腰部挫傷、右足根骨剥離骨折後により約3週間の治療を要する見込みと診断され、4場所連続となる休場を発表した[59]。それまで力士会会長を務めていた日馬富士が11月場所後に引退したため、その後任として力士会会長に就任した[60][61]。
1月場所は休場から復帰。なお、この場所の開始前には前2017年10月25日に起こった日馬富士の傷害事件を、事件現場に居合わせながら止められなかった責任を問われて、1月場所の給与不支給という処分を受けていた[62]。白鵬、稀勢の里が続けて休場してしまい一人横綱になるが初日から好調で8連勝し、中日勝ち越しを決めた。7日目には全勝同士で栃ノ心と対戦しているが、戦後の15日制下で横綱と平幕が7日目に全勝同士で対戦したのは初の事例[63]。ところが、11日目に玉鷲に不覚をとると、12日目にも遠藤に敗れて連敗。13日目に対戦した御嶽海の勝ち越しも確定。14日目に栃ノ心が勝ったため、栃ノ心の平幕優勝を許す形となった。高安と3敗同士の対決にも敗れて、大関時代以来5年ぶりの4連敗となったが、千秋楽は白星で、最終的に11勝4敗と皆勤二桁白星によって目前に迫っていた引退危機は脱した。この場所では14勝1敗で平幕優勝した力士に横綱として全勝を阻止する星を付けるという、優勝制度発足以降3例目となる記録を達成している[64]。2月1日に左足首付近の内視鏡手術を受けた。4日に朝赤龍の引退相撲で綱締め実演を行ったが、手術直後のため土俵入りは「きれいにできないと思って」と回避[65]。場所後のやくみつるのコラムでは、終盤の失速につながった引き癖をその非合理さから「ミステリー」と指摘された[66]が、一方で武蔵川は、ただ単に皆勤が久しぶりなのでスタミナ切れを起こしたのだろうと推測している[67]。
3月場所も一人横綱として出場。ケガも微妙な状態であったが、途中物言いもつくなど際どい相撲もとりつつ勝利を重ね、自己最高の初日から11連勝をした。12日目に先場所優勝の栃ノ心に土をつけられるも、13日目は星の差1つの平幕・魁聖をかわし、14日目に大関・豪栄道に攻められるもうまく落とし優勝を14日目に決める。千秋楽は取り直しで大関・高安に敗れるも13勝2敗で8場所ぶり4度目の幕内最高優勝を成し遂げた。4月9日の春巡業掛川場所では共に一門の幕内力士である正代、豊山とそれぞれ10番、5番取り、鋭い踏み込みから一気に押し出すなど、付け入る隙を与えず、いずれも全勝。相撲を取るのは春場所千秋楽以来、約2週間ぶりとなったが疲れた様子も見せず「ボチボチというところ。動きの確認。まだ調整、調整でやっていきたいなと思っている」と、5月場所を見据える段階ではないと強調[68]。 5月場所は4日目に松鳳山に金星を配給してしまうものの、それ以外では安定した相撲を取り、14日目に1敗同士で大関昇進を狙う栃ノ心を破り、千秋楽の結びで白鵬に勝ち2場所連続5度目の幕内最高優勝を決めた。平成以降の横綱で唯一2場所連続の優勝がなかったが、この優勝が連覇となり笑みを表していた。7月場所は初日から3連勝していたが4日目から連敗し6日目に右肘関節炎のため休場、この場所は稀勢の里も初日から、白鵬も4日目から休場しており、鶴竜の休場によって3横綱全員が休場となった。これは1999年春場所の貴乃花、3代目若乃花、曙以来19年ぶりのこと。9月場所は初日から10連勝と好調であったが、11日目以降の横綱・大関戦は全敗し、10勝5敗であった。特に11日目から12日目までの相撲は専門誌に「軽い!この2日間」と評されるものであった[69]。
取り口
もろ差しと下手投げを主体とした相撲が得意であり、右四つになっても強い。四つ相撲一辺倒ではなく、突っ張りや引き技も持っているため、基本的に組んで良し離れて良しのオールラウンダーである。特に巻き替えからのもろ差しは大師匠の鶴ヶ嶺から師匠の井筒、そして自身に伝えられた伝統ある技術である[70]。突っ張りに関しては、現役最末期の頃の寺尾常史に付け人として採用された中で寺尾の突っ張りを見て学んで覚えたという[71]。
しかし引き癖は横綱らしからぬ取り口としてしばしば悪い意味で目を引き、千代鳳や妙義龍などの引き技に落ちない足腰を持つ力士に対して墓穴を掘ることも多い。これに関して井筒は「フロイド・メイウェザー・ジュニアのような、他の力士にないスピードだ」と評価している[70]。機動力そのものに対しては評価が高く、2014年3月場所前の座談会では尾崎勇気が「土俵を丸く使うのが抜群にうまい力士で、うまく回り込まれて叩かれたりしました」と現役時代に対戦した際の感想を述べており、大至伸行も同じ座談会で「身体はそれほど大きくはないですが底力を感じます。突っ張りも荒々しいですね」と評している[72]。機動力に対する評価としては他に、2016年11月場所前の座談会での鳴戸(元大関・琴欧洲)の「実際に取ってみた経験から、左右の足の動きは速いですね」という発言がある[73]。2018年3月場所前には、舞の海から押し負けたり上体が上がったりした時の対処の仕方が良くないと指摘されている[74]。
2014年11月場所前の座談会では元日本テレビアナウンサーの原和男が「鶴竜の相撲は軽くて、横綱相撲とは言い難い。はたきが悪いとは言わないが、それだけに相手に圧倒されているわけだから」と指摘しており、元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は「型がないよね。なんでもできるけど、器用貧乏というか」と、元文化放送アナウンサーの坂信一は「先場所(2014年9月場所)も仕切り線の向こうで勝負をつける相撲が少なかった」とそれぞれ返している[75]。精神面に関しては2016年3月場所前に浦風(元幕内・敷島)が「違う意味で諦めがあるような気がしてならないんですよ。優勝争いに食い込むというよりも、自分は自分の相撲を取るだけみたいな普通の幕内力士というか。相撲ぶりももっと激しくてもいいかなという感じがします」とこぼしており、高崎(元幕内・金開山)は「もちろん、もっと自信を持ってやってほしいですよね。土俵入り一つ取ってみても、自信なさげに映っちゃうんですよね。上がってきたころはもろ差し速攻といういいものがあったんですけどね」と、振分(元小結・高見盛)は「横綱になったから勝たなければいけないという気持ちが強すぎるんでしょうか」とこれに対して返している[76]。
2016年11月場所の鶴竜については井筒が「まず今場所は立ち合いの当たりが良かったと思います。スピードはなかったのですが、重みのある立ち合いでした。これまで何度か指摘したことですが、状態がのけぞらなかったのも良かった点です。(中略)それは、腰が良くなったことで背筋(背中の力)が強くなったからではないでしょうか。ですから、アゴは挙がりますが上体が起きないのです。押されても押し返すことができました。また、豪栄道戦で一度だけありましたが、待ったがほとんどなかった。立ち合いのタイミングもうまく取れていました。立ち合いが良くなったという印象が強いです」と論評している[77]。2017年の時点でも引き癖は治っていないようであり、5月場所初日にも引き癖で御嶽海に白星を献上した際には、本人が「引いてしまった。一番取ってはいけない相撲。相手より自分に負けた」と反省の言葉を述べている[78]。
2017年7月場所後の座談会では錣山が「稽古はよくやりますが、相撲が軽いというか、立ち合いのスピードがないです。幕内の平均体重からみると軽いほうです。その割には相撲が素直すぎるのです。たまには張ってもいいし、いい突っ張りを持っているので突っ張ってもいいです。突き出せなかったら引いてしまう悪いくせも持っています。ケガもありますが、ケガを治しながら稽古をしていくべきです。自分の相撲を切り替えていかないとだめです」と話していた[79]。同じ座談会で阿武松は「みんながやさしい感じを受けるものですから、この横綱は倒せるのではないかという気持ちで取ります。鶴竜には100%以上の力で挑戦してきます。相手を怖がらせる相撲を取って見せつけることも必要です。やさしい印象を受けると攻め込まれて相手に自信を持たれてしまいます」と分析している[79]。
2017年11月場所のコラムでは井筒自身が「鶴竜のことで頭がいっぱい」と休場続きの鶴竜のその行く末を案じた上で、怪我防止のための転んで受け身を取る稽古が鶴竜を含めてその時代の力士には足りていないと指摘している[80]。同時期の朝日山(元関脇・琴錦)のコラムでは「横綱のプライド故に一気に持っていこうとするが、勝手が違うと思わず引き技で墓穴を掘ってしまう」「横綱になって以降は立合いで当たって突っ張りながら相手の中に潜り込む相撲を忘れて、立ち合いからいきなり前まわしを狙う守りの相撲になっている」という趣旨の分析をされており、同時に「思いきり頭から突き刺さるように当たり、猛突っ張りを繰り出す攻めを思い出してほしい」と若手時代の相撲に回帰すべきだと助言されている。朝日山は同じコラムで「相撲人生に悔いを残さないようにすべきだ」「寄り切られて負けるよりは、前に落ちてもいいので前進に徹するべきだ」と言っており、正代や逸ノ城など稽古場で力を出さない一門の力士よりも阿武咲や貴景勝などの元気な若手と稽古すべきだと話している[81]。
合い口
- いずれも2018年7月場所終了現在。
- 先輩横綱・白鵬に対しては7勝39敗(優勝決定戦を含めると40敗)と大の苦手としている。21回目の対戦で初めて勝ったが、これが鶴竜にとって対横綱戦初勝利となった。鶴竜の大関昇進前は2勝20敗、大関時代は2勝10敗(優勝決定戦を含めると2勝11敗)、鶴竜の横綱昇進後は2014年5月場所から2015年7月場所まで6連敗、2016年1月場所から5月場所まで3連敗するなど3勝7敗と相性がかなり悪い。最近では2018年5月場所に勝利している。
- 後輩横綱・稀勢の里に対しても18勝31敗と大きく負け越している。2011年7月場所から2012年7月場所まで7連敗、2013年1月場所から11月場所まで6連敗している。鶴竜の大関昇進前は7勝16敗、大関時代は4勝8敗と大きく負け越していたが、横綱昇進後は7勝7敗と互角になっている。2015年9月場所、14日目稀勢の里戦において、立合いで2度の変化(歴代横綱初)をし批判が集中した。最近では、優勝した2016年11月場所に稀勢の里に唯一の黒星をつけられている。
- 後輩大関・豪栄道に対しては27勝12敗と大きく勝ち越している。2009年3月場所から2009年11月場所まで5連勝していた。鶴竜の大関昇進前は8勝4敗、大関時代は8勝4敗となり、横綱昇進後は11勝4敗と相性が良い。
- 後輩大関・高安には12勝7敗(不戦敗1有り)と大きく勝ち越している。特に、2013年9月場所から2016年3月場所まで8連勝をするなど圧倒的な差をつけていた。ただし、高安が三役に定着した頃から合口が悪くなっており、2016年9月場所以降は2勝4敗となっている。
- 後輩大関・栃ノ心に対しては22勝2敗と大きく勝ち越している。
- 元大関・琴奨菊に対しては28勝22敗(不戦敗1有り)とほぼ五分である。初顔から4連敗を喫したが、その後はお互い拮抗している。鶴竜の大関昇進前は9勝11敗と負け越し、大関時代は5勝5敗と拮抗していたが、横綱昇進後は14勝6敗と鶴竜が勝ち越している。
- 元大関・照ノ富士には7勝4敗(優勝決定戦を含めると8勝4敗)と僅かに勝ち越している。初顔から4連勝をしていたが、2015年9月場所(決定戦除く)から2016年3月場所まで3連敗を喫していた。その後は2016年5月場所から3連勝をしており、相性は再び良くなっている。
- 安美錦に対しては17勝15敗と拮抗している。初顔から6連敗を喫したが、2012年以降の対戦成績は12勝3敗と鶴竜の方が大きく勝ち越してる。鶴竜の大関昇進前は7勝11敗と相性が悪かったが、大関時代は6勝3敗、横綱昇進後は4勝1敗と相性が良くなっている。2013年3月場所からは8連勝するなど、差を離しつつある。
- 栃煌山に対しても22勝21敗と拮抗している。栃煌山には2010年5月場所から2010年11月場所まで4連敗していた。鶴竜の大関昇進前は11勝9敗、大関時代は6勝6敗、横綱昇進後も5勝6敗とほぼ互角の成績である。
- 妙義龍に対しては8勝8敗の互角の成績である。妙義龍には2012年5月場所から2012年11月場所まで4連敗していた。鶴竜の大関昇進前は2戦全勝していたが、大関時代は4勝6敗、横綱昇進後は3勝2敗となっている。2015年9月場所には行事軍配差し違いで敗れている。
- 隠岐の海に対しては14勝6敗(不戦敗1)と勝ち越しているが、2013年11月場所から2014年3月場所まで3連敗をしていた。鶴竜は2014年1月場所と3月場所で14勝1敗の好成績を残したが、いずれの黒星も隠岐の海がつけた。特に1月場所では白鵬との優勝決定戦で初優勝を逃しただけに、この黒星が大いに響いた。鶴竜の大関昇進前は1勝1敗だったが、大関時代は5勝3敗、横綱昇進後は7勝2敗(ただし、1敗は不戦敗)となっている。
- 嘉風には11勝7敗(不戦敗1)と勝ち越しているものの、2014年9月場所から2015年11月場所まで3連敗を喫してしまい、一時苦手としていた。その後は2016年1月場所から11月場所まで4連勝していたものの、2017年3月・5月・7月場所(不戦敗)と3連敗しており、再び合い口が悪くなっている。逆に嘉風の兄弟子の豪風には20戦全勝である。
- 玉鷲には8勝4敗と勝ち越しており、初顔から2016年11月場所までの対戦成績は6勝1敗と鶴竜が大きく勝ち越していたもの、2017年以降は同年1月場所から2018年1月場所まで3連敗を喫するなど急激に合口が悪くなっている。2018年3月場所では叩き込みで久しぶりに勝利を収めた。
- 御嶽海には4勝3敗と拮抗している。
(以下、引退力士)
- 元横綱・朝青龍には、7戦全敗と1度も勝利する事は出来なかった。
- 元横綱・日馬富士にも、17勝27敗と分が悪かった。鶴竜の前頭・三役時代は7勝15敗、大関時代も4勝7敗と負け越しているが、鶴竜の横綱時代は6勝5敗と僅かに勝ち越していた。
- 元大関・琴光喜には、4勝10敗(1不戦敗)で相性が悪かった。2008年3月に初めて勝利し翌5月も2連勝、その後は2009年5月・2010年1月に勝っていた。
- 元大関・千代大海にも3勝6敗で分が悪く、初顔から3連敗を喫している。2008年5月場所に初勝利、その後2009年3月・5月に2連勝した。
- 元大関・把瑠都には、12勝13敗と僅かに1つの差で負け越しているが、把瑠都の大関昇進後の成績は9勝6敗と勝ち越していた。
- 元大関・魁皇には、10勝6敗と逆に勝ち越している。2009年7月場所から2009年11月場所までと2011年1月場所から2011年7月場所までに3連勝していた。
- 元大関・琴欧洲にも、18勝12敗と勝ち越している。2011年7月場所から2012年3月場所まで4連勝しており、鶴竜の大関時代は5勝3敗と勝ち越している。
人物
- 控えめな性格で感情を表に出すことが少なく[82]穏やかで礼儀正しい。関取の多くが後援会や部屋が用意したタクシーや車で会場入りするなか、鶴竜は一人で歩いてくることもある[83]。
- 一方で負けず嫌いな一面も多々見られる。2012年3月場所千秋楽、勝てばその時点で優勝となる豪栄道戦で敗れた際には直後の支度部屋では悔しさのあまり風呂場で珍しくうめき声を上げた。心が整わないまま臨んだ白鵬との優勝決定戦でも敗れたことで平常心の大切さを思い知らされたという[24]。2014年1月場所の優勝決定戦で白鵬に敗れた際にも「これで悔しくなければ辞めた方がいい」と語気を強めて語ったことがある[84]。2014年9月場所13日目、この場所の新入幕力士である逸ノ城に金星を配給した際には、唇を震わせるなど怒りに満ちた表情で取組後の取材を拒否するほどに悔しがっていた[85]。
- 好角家で知られるアイドルの山根千佳は「普段は七福神のような優しさに包まれていますが、相撲では意外と挑発的なところもあり、そのギャップが魅力的です」と評している[86]。
- 日本語はテレビ番組とカラオケを通じて覚えた。また、英語とロシア語も話せる[87]。
- 自分の取り組みをVTRで見ては反省点をノートに書き出し、課題を決めて稽古に取り組む[88]。
- 生真面目な性格ゆえに、大関昇進直後にまだ十両が稽古している午前9時前に稽古場に登場し、大関以上の申し合いまで1時間以上も待った。「自分のタイミングで(申し合いに)入っていけない。今まで通りにやっていきたいけど…。待つ時間が長い。準備運動をして待っている間に体が冷えて気持ちも落ち着いてしまう。(準備運動を)遅めにするとかしないといけない」と語っている[89]。
- 巡業の土俵では厳しい態度で胸を出す。白鵬や日馬富士が土俵に上がらない時には自分にお鉢が回るため、その傾向に拍車がかかる。2017年4月11日の春巡業三島場所では一門の後輩である正代に胸を出したが、力の弱い押しに火が付いた。「立ておら、力出せ」と怒声を浴びせ、何度も土俵に転がし、砂まみれに。無理やり腰を落とさせ、何周も土俵を回らせ、約20分に渡って猛稽古を行わせた。鶴竜は「長く胸を出すつもりなんかなかった。早く終わるつもりだったけど、力を出さないから。正代が悪い。腰が高い。白関(横綱白鵬)がいないから言っていこうと思って」と、今後も“鬼指導”を予告した[90]。
- 2018年3月場所後の休みを利用して3日間ゴルフを楽しんだが、3日間でのベストは18ホールを95[91]。
エピソード
相撲関連
- 平成以降に昇進した横綱8人が全て2場所連続優勝を果たしたのに対し、鶴竜の場合は結果的に綱取り場所となった2014年3月場所が初優勝だった。また、昇進3場所前に該当する2013年11月場所は9勝6敗であり、2014年3月場所終了現在において年6場所制定着以降において直前3場所前が1ケタ白星であったにもかかわらず連覇無しで綱取りを果たした唯一の力士となっている。それでも2014年3月場所後の横綱審議委員会は無風で、10分余りのスピード推薦。決め手となったのは鶴竜の真面目な人柄とひた向きな姿勢であった。横審では一つも注文が出されず、各委員からは鶴竜の人間性を絶賛する声が続出した。宮田亮平委員は鶴竜を「頭が良い。言葉、礼儀作法がしっかりしている」と褒め、高村正彦委員は「日本人以上に日本人らしい力士だ」と高く評価。大島寅夫委員は「行儀も良いし、よく考えた相撲を取る。品格のある横綱になると思う」と期待していた[3][92]。
- 2014年5月9日に東京都墨田区の野見宿禰神社で奉納土俵入りを披露した際に最後の塵手水を忘れる失態を犯してしまった。奉納土俵入りでの失敗は近年では稀なことであり、これには師匠の井筒も「なんだかんだいって緊張してるんだろうね。心配になっちゃう。本場所ではやめてほしいよ」と苦笑いだった[93]。
- 師匠の現役時代のしこ名「逆鉾」を襲名するという話もあったが、「鶴竜」が定着したこともあり立ち消えとなった[94]。
- 横綱審議委員会の委員長である内山斉は鶴竜を評価しており、事あるごとに「かなり長く綱を張るのではないか?」と発言している。
- 2014年9月場所からはDHCから1日5本ずつの指定懸賞が設定されている[95]。
- 日本相撲協会の規定では一つの取組にかけられる懸賞は上限50本だったが、2015年1月場所は白鵬が最多記録となる33度目の幕内最高優勝を決めた場所ということで中日までに千秋楽の結びの一番に懸賞を希望する企業などが殺到し、特例で千秋楽の白鵬戦に60本の懸賞金が受け入れられた[96][97]。
- 横綱になると、付け人が7〜8人が必要となるが、横綱昇進決定直後の時点では井筒部屋の所属力士が鶴竜を含めて5人しかいなかったため、時津風一門の錣山部屋、一門の枠を超えて高砂部屋、春日山部屋からも付き人を借り入れ、合計4部屋で付き人を供給した[98]。
- 2016年10月4日、両国国技館で開かれた大相撲の国際文化交流イベント「大相撲beyond2020場所」で、日馬富士と並んで上段(気迫)中段(攻撃)下段(防御)の3つの型をつくる「三段構え」を、貴乃花と曙が1996年4月の伊勢神宮奉納相撲で行って以来、20年ぶりに披露した。鶴竜は「名誉あること。横綱全員がやったことではない。この時代にできたことがうれしい」と感激していた[99]。
- 2017年4月12日の春巡業横須賀場所で稽古を終えた鶴竜は「全般的に言えることだが、しんどくなったら力を抜く力士が多い。しんどくても我慢することが大事。そこからが本当の稽古なんだから。それは自分が下のころ、師匠や兄弟子から教わったことです」と最近の若手の傾向など思いを語った。同時に「そろそろ上の力士を脅かす若手が出てこないとおかしい。奮起してもらいたいですね」とも注文を付けた[100]。
- 春場所は験が良く、幕内では11場所中8回勝ち越しており、ダブル受賞を含めて三賞2回、幕内優勝2回も記録している。名古屋場所は2015年まで幕内負け越しは1回だけであったが、2016年から3年連続で途中休場を喫している。
- 東京井筒部屋後援会からはアヤメ科の植物が描かれた化粧廻しを贈呈された[101]。
その他
- 若手時代に『ボンボン』『金持ち』と呼ばれることには腹が立っていたそうで、後に朝日新聞の記事で「向こうで大学の先生といっても、給料はよくない。バスケをやっていたのに、バッシュを買えなかった」と反論しており、実家のマンションも1LDKで自室は無かったという[4]。
- 横綱ともなれば移動にタクシーや自動車を使うことが当たり前である中、昇進以降も日常生活では自転車の使用を好んでおり、現在も自宅から数分かけて自転車で部屋まで通うという[102]。
- 角界屈指のサッカー通であり、自身が立てた2014 FIFAワールドカップ日本代表メンバーの予想はほぼ的中したという[103]。
- 魁聖とはプレイステーション3のオンラインゲームをして過ごした仲であったが、鶴竜の方は大関昇進後になると忙しくなってできなくなったという[104]。
- かつては師匠の娘であり元宝塚娘役の天咲千華との縁談も噂されていた[105]。
- 2016年11月場所で幕内最高優勝をした際、支度部屋から表彰式へ向かう花道の途中で、駆け寄ってきた妻にキスをする姿がNHKで放送された。さらに優勝インタビューで、アナウンサーからキスの感想を聞かれ、恥ずかしそうに照れながら「最高です」と答えた。
- 扁桃腺が大きく、熱が出やすい体質である。2016年11月場所後なども風邪をひいている様子が報じられた[106]。
- 2018年9月場所中日の支度部屋で、ゲンナジー・ゴロフキン 対 サウル・アルバレス戦でゲンナジー・ゴロフキンがプロ初黒星を喫したことに関して「えっ負けたの? 判定か…。(勝ったアルバレスとの)再戦あるんじゃないですか?」と記者に食いついた[107]。
略歴
- 2001年11月場所 - 初土俵
- 2005年11月場所 - 新十両
- 2006年11月場所 - 新入幕
- 2009年 5月場所 - 新小結
- 2009年 7月場所 - 新関脇
- 2012年 5月場所 - 新大関
- 2014年 5月場所 - 新横綱
主な成績
2018年7月場所終了時点
通算成績
- 通算成績:721勝464敗108休(100場所) 勝率.608
- 幕内成績:581勝361敗108休(69場所) 勝率.617
- 横綱成績:202勝84敗104休(26場所) 勝率.706
- 大関成績:119勝61敗(12場所) 勝率.661
- 関脇成績:71勝49敗(8場所) 勝率.592
- 小結成績:45勝30敗(5場所) 勝率.600
- 前頭成績:144勝137敗4休(19場所) 勝率.513
- 幕内成績:581勝361敗108休(69場所) 勝率.617
- 通算(幕内)連続勝ち越し:24場所(2011年1月場所 - 2015年1月場所)
- 幕内連続2桁勝利記録:4場所(2014年7月場所 - 2015年1月場所)
各段在位
- 幕内在位:70場所
- 横綱在位:26場所
- 大関在位:12場所
- 三役在位:13場所(関脇8場所、小結5場所)
- 平幕在位:19場所
- 十両在位:5場所
- 幕下在位:8場所
- 三段目在位:10場所
- 序二段在位:5場所
- 序ノ口在位:1場所
- 前相撲:1場所
各段優勝
- 幕内最高優勝:5回(2014年3月場所、2015年9月場所、2016年11月場所、2018年3月場所、2018年5月場所)
- 三段目優勝:1回(2004年7月場所)
三賞・金星
- 三賞:9回
- 殊勲賞:2回(2012年1月場所、2012年3月場所)
- 技能賞:7回(歴代4位タイ)
- (2008年1月場所、2009年3月場所、2009年5月場所、2009年9月場所、2010年7月場所、2011年5月技量審査場所、2012年3月場所)
- 金星:なし
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2001年 (平成13年) |
x | x | x | x | x | (前相撲) |
2002年 (平成14年) |
西序ノ口32枚目 5–2 |
西序二段97枚目 4–3 |
東序二段74枚目 5–2 |
西序二段32枚目 6–1 |
東三段目70枚目 5–2 |
西三段目40枚目 1–6 |
2003年 (平成15年) |
西三段目76枚目 2–5 |
東序二段4枚目 4–3 |
東三段目87枚目 3–4 |
東序二段5枚目 5–2 |
西三段目70枚目 3–4 |
西三段目86枚目 6–1 |
2004年 (平成16年) |
東三段目25枚目 4–3 |
西三段目13枚目 4–3 |
東三段目3枚目 3–4 |
西三段目17枚目 優勝 7–0 |
西幕下14枚目 1–6 |
西幕下35枚目 4–3 |
2005年 (平成17年) |
西幕下27枚目 4–3 |
西幕下21枚目 5–2 |
西幕下12枚目 4–3 |
西幕下7枚目 4–3 |
東幕下5枚目 5–2 |
西十両14枚目 5–10 |
2006年 (平成18年) |
東幕下3枚目 5–2 |
西十両11枚目 9–6 |
西十両8枚目 9–6 |
東十両4枚目 9–6 |
西十両筆頭 9–6 |
西前頭8枚目 8–7 |
2007年 (平成19年) |
東前頭8枚目 6–9 |
西前頭11枚目 9–6 |
西前頭5枚目 6–9 |
東前頭8枚目 9–6 |
西前頭2枚目 7–8 |
東前頭3枚目 4–11 |
2008年 (平成20年) |
東前頭8枚目 11–4 技 |
西前頭筆頭 6–9 |
西前頭3枚目 5–10 |
西前頭7枚目 8–7 |
東前頭5枚目 7–8 |
東前頭6枚目 5–6–4[注 3] |
2009年 (平成21年) |
西前頭8枚目 9–6 |
西前頭筆頭 10–5 技 |
東小結 9–6 技 |
東関脇 5–10 |
西前頭3枚目 11–4 技 |
西関脇 7–8 |
2010年 (平成22年) |
西小結 7–8 |
東前頭筆頭 6–9 |
東前頭3枚目 6–9 |
西前頭6枚目 11–4 技 |
西小結 9–6 |
西関脇 7–8 |
2011年 (平成23年) |
西小結 8–7 |
八百長問題 により中止 |
東小結 12–3 技 |
西関脇2 10–5 |
東関脇2 9–6 |
西関脇 10–5 |
2012年 (平成24年) |
東関脇 10–5 殊 |
東関脇 13–2[注 4] 殊技 |
西大関3 8–7 |
西大関3 9–6 |
西大関3 11–4 |
東大関1 9–6 |
2013年 (平成25年) |
西大関1 8–7 |
東大関2 8–7 |
西大関1 10–5 |
東大関2 10–5 |
西大関1 9–6 |
東大関2 9–6 |
2014年 (平成26年) |
西大関1 14–1[注 4] |
東大関1 14–1 |
東横綱2 9–6 |
東横綱2 11–4 |
西横綱 11–4 |
西横綱 12–3 |
2015年 (平成27年) |
西横綱 10–5 |
東横綱2 0–1–14[注 5] |
東横綱2 休場 0–0–15[注 6] |
東横綱2 12–3 |
西横綱 12–3[注 7] |
東横綱 9–6 |
2016年 (平成28年) |
東横綱2 10–5 |
東横綱2 10–5 |
西横綱 11–4 |
西横綱 2–2–11[注 8] |
東横綱2 10–5 |
西横綱 14–1 |
2017年 (平成29年) |
東横綱 5–6–4[注 9] |
西横綱 10–5 |
西横綱 1–4–10[注 10] |
西横綱2 2–2–11[注 11] |
西横綱2 休場 0–0–15[注 12] |
西横綱2 休場 0–0–15[注 13] |
2018年 (平成30年) |
西横綱 11–4 | 東横綱 13–2 |
東横綱 14–1 |
東横綱 3–3–9[注 14] |
東横綱 10–5 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
2018年7月場所終了現在
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 17 | 1 | 朝青龍 | 0 | 7 | 朝赤龍 | 5 | 5 | 安壮富士 | 0 | 1 |
安美錦 | 17 | 15 | 荒鷲 | 2 | 1 | 阿覧 | 12 | 1 | 勢 | 9 | 4 |
逸ノ城 | 10 | 2(1) | 岩木山 | 5(1) | 2 | 潮丸 | 0 | 1 | 遠藤 | 7 | 2 |
皇司 | 1 | 0 | 大砂嵐 | 2 | 1 | 隠岐の海 | 14 | 6(1) | 魁皇 | 10 | 6 |
魁聖 | 13 | 0 | 海鵬 | 1 | 0 | 臥牙丸 | 5 | 0 | 垣添 | 5 | 3 |
春日王 | 1 | 4 | 春日錦 | 1 | 1 | 片山 | 1 | 0 | 稀勢の里 | 18 | 31 |
北太樹 | 4 | 0 | 旭天鵬 | 15 | 3 | 豪栄道 | 27(1) | 12 | 黒海 | 6 | 2 |
琴欧洲 | 18 | 12 | 琴奨菊 | 28 | 22(1) | 琴光喜 | 4 | 10(1) | 琴勇輝 | 2 | 1 |
佐田の海 | 2 | 0 | 佐田の富士 | 1 | 0 | 里山 | 1 | 0 | 霜鳳 | 1 | 1 |
十文字 | 1 | 0 | 常幸龍 | 1 | 0 | 正代 | 9 | 0 | 翔天狼 | 1 | 0 |
松鳳山 | 13 | 2 | 蒼国来 | 1 | 0 | 高見盛 | 2 | 5 | 髙安 | 12 | 7(1) |
宝富士 | 13 | 1 | 豪風 | 20 | 0 | 玉春日 | 3 | 1 | 玉乃島 | 2 | 3 |
玉鷲 | 8 | 4 | 千代鳳 | 0 | 1 | 千代大海 | 3 | 6 | 千代大龍 | 9 | 0 |
千代の国 | 0 | 2(1) | 千代白鵬 | 0 | 2 | 出島 | 4 | 2 | 照ノ富士 | 7* | 4 |
時津海 | 2 | 1 | 時天空 | 9 | 4 | 德瀬川 | 0 | 1 | 土佐ノ海 | 4 | 0 |
土佐豊 | 3 | 1 | 栃煌山 | 22 | 21 | 栃ノ心 | 22 | 2 | 栃乃洋 | 5 | 2 |
栃乃花 | 2 | 1 | 栃乃若 | 3 | 0 | 豊桜 | 0 | 1 | 豊ノ島 | 16 | 9 |
豊響 | 6 | 2 | 白馬 | 1 | 0 | 白鵬 | 白露山 | 1 | |||
把瑠都 | 12 | 13 | 日馬富士 | 17 | 27 | 武州山 | 2 | 0 | 普天王 | 4 | 1 |
豊真将 | 12(1) | 8 | 北勝力 | 4 | 0 | 将司 | 3 | 0 | 御嶽海 | 4 | 3 |
雅山 | 6 | 2 | 妙義龍 | 8 | 8 | 猛虎浪 | 1 | 0 | 嘉風 | 11 | 7(1) |
露鵬 | 1 | 1 | 若麒麟 | 1 | 0 | 若荒雄 | 2 | 1 | 若の里 | 6 | 4 |
若ノ鵬 | 0 | 2 | 北勝富士 | 1 | 1 | 貴景勝 | 2 | 0 | 千代丸 | 1 | 0 |
阿炎 | 1 | 1 | 大栄翔 | 1 | 0 | 豊山 | 1 | 0 |
- 他に優勝決定戦で、照ノ富士に1勝、白鵬に2敗がある。
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2018年7月場所終了現在、現役力士)
脚注
注釈
- ↑ モンゴル国では、フビライ帝の時代以前から、自身の名前に「○○ドルジ(朶而只)」等と「○○という父親の息子」という表現を使うことが見られるなど出自には父親の系統が重視され、父の出身地を重視する慣行から、おしなべて多くのモンゴル出身力士は父親の出身地を自分自身の本籍地として表現する傾向がある。
- ↑ ただし、1996年11月場所、横綱貴乃花は小結(当時)武双山と取り組まれたが、初日の前日急性腸炎により休場。同場所初日は貴乃花不戦敗・武双山不戦勝と思われたが、相撲協会は「初日の横綱戦が不戦勝は格好つかない」の理由で割り返される。初日割返し後の武双山は横綱曙との対戦に変更された。
- ↑ 右膝内側側副靱帯損傷により11日目から途中休場
- ↑ 4.0 4.1 白鵬と優勝決定戦
- ↑ 左肩腱板損傷により初日不戦敗・休場
- ↑ 左肩腱板損傷により全休
- ↑ 照ノ富士と優勝決定戦
- ↑ 腰椎椎間板症により4日目から途中休場
- ↑ 頸椎斜角筋損傷、左肩鎖関節脱臼により11日目から途中休場
- ↑ 左足関節離断性骨軟骨炎で5日目から途中休場
- ↑ 右足関節外側靱帯損傷により4日目から途中休場
- ↑ 右足関節離断性骨軟骨炎、靱帯損傷により全休
- ↑ 腰部挫傷、右足根骨剥離骨折により全休
- ↑ 右肘関節炎のため6日目から休場
出典
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- ↑ 鶴竜、大関昇進絶望的「1番でも自分の相撲を…」 スポニチ 2011年9月18日 06:00
- ↑ 来場所大関獲りへ!殊勲賞の鶴竜「無心で…」 スポニチ 2012年1月23日 06:00
- ↑ 鶴竜 2場所連続白鵬に土!昇進へ望みつなぐ スポニチ 2012年3月20日 06:00
- ↑ 鶴竜13勝目まず大関“クリア”千秋楽勝って初Vだ スポニチ 2012年3月25日 06:00
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- ↑ 鶴竜、異色口上「お客さま喜ばせる相撲を」デイリースポーツオンライン 2012年3月29日配信
- ↑ 伝達式使者に鶴竜の兄弟子 師匠の実弟、元関脇寺尾が決定 スポニチ 2012年3月25日 21:25
- ↑ 猛省の稀勢、満足の鶴竜 スポニチ 2012年9月23日 20:49配信
- ↑ 大関鶴竜が初優勝、白鵬連覇ならず 大相撲トーナメント スポニチ 2013年2月10日 18:36配信
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- ↑ 鶴竜、初V 「綱確実」 大一番も冷静に MSN産経ニュース 2014.3.23 21:35
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- ↑ 『大相撲中継』2017年5月27日号104頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号 p.50
- ↑ 鶴竜庶民派 チャリンコ通勤続ける nikkansports.com 2014年4月6日9時45分 紙面から
- ↑ サッカー通の鶴竜、W杯代表は予想通り DAILY SPORTS ONLINE 2014年5月13日
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関連項目
外部リンク
- 鶴竜 力三郎 - 日本相撲協会
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
| ||||
三役 | ||||||
|
大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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