関取
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関取(せきとり)とは、大相撲の番付の階級の総称であり、幕内、十両の力士を指す。これに対し、幕下以下の力士は取的(正しくは力士養成員)という。
Contents
概要
呼称は「名乗っただけで関所を通ることができる」ことに由来している[1]。
力士は十両に昇進することで、一人前の力士として認められる。関取は一人前力士の総称といえる。関取と取的との差異は、以下のとおり。
- 日本相撲協会から月給ほか諸手当が支給され、場所毎に与えられる力士褒賞金、引退時の退職金等も大きく増額する。
- 化粧廻しが用意され、本場所では毎日土俵入りを行う。取組も15日連続で組まれる。
- 廻しは、本場所用と稽古用の廻しが別々になる。本場所用の廻しは繻子製であり「締め込み」と呼ばれている[2]。さがりも締め込みと同色のものを用い、糊付けされる。稽古用の廻しは幕下以下と同じく木綿で出来てはいるが、色は白である[3]。
- 土俵下の控で座布団が用意される(幕内は私用、十両は共用)。
- 「○○関」と呼ばれるようになり、幕下以下の力士が付け人として身の回りの世話をする。
- 正装として紋付袴の着用が許される。
- 本場所や公式の場では髷を大銀杏に結う(なお、大銀杏はあくまで正装とされるため、関取でも稽古の時など、普段結う髷は丁髷である)。
- 協会の公式の移動の際に飛行機ではビジネスクラスを利用できる。
- 部屋によっては幕下以下の力士が生活する大部屋から移動し、専用の個室が与えられる。
- 結婚が許される。
なお、新十両昇進者は場所前の準備が多いため、番付編成会議の直後に特例として、昇進する事実のみ発表される(正式な昇進は番付発表日付)。
十両を経験することで、力士として一人前とみなされる。一例として、1998年の長野オリンピックの際に、力士が各国選手団の先導役を務めたが、その時にも、十両以上の力士だけでなく、幕下以下でも十両経験者が大銀杏を結って参加したことも、そうした考えに基づいたものである。
記録
以下の記録は1927年の東西合併以後のものである。
年少昇進記録
順位 | 昇進年齢 | 四股名 | 最高位 |
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1位 | 17歳2か月 | 貴花田光司(のち貴ノ花光司のち貴乃花光司) | 横綱 |
2位 | 17歳9か月 | 萩原寛(のち稀勢の里寛) | 横綱 |
3位 | 17歳11か月 | 北の湖敏満 | 横綱 |
4位 | 18歳0か月 | 花田満 | 大関 |
5位 | 18歳1か月 | 若瀬川泰二 | 前頭・1 |
太字は現役力士、四股名は十両昇進時の四股名 (最高位は2017年1月場所終了時)
年長昇進記録
順位 | 昇進年齢 | 四股名 | 最高位 |
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1位 | 34歳5ヶ月 | 出羽の郷秀之 | 十両・14 |
2位 | 32歳9ヶ月 | 華王錦武志 | 十両・6 |
3位 | 32歳9ヶ月 | 小野錦喜三郎 | 前頭・16 |
4位 | 31歳8ヶ月 | 剣武輝希 | 前頭・16 |
5位 | 31歳8ヶ月 | 常の山日出男 | 十両・12 |
太字は現役力士、四股名は十両昇進時の四股名 (最高位は2017年1月場所終了時)
一部屋の最多関取人数
1931年1月場所の出羽海部屋の30人(幕内20、十両10)が最多。
脚注
- ↑ “年収0円がいきなり1600万円に!? 力士の生活が激変する運命の番付とは…”. . 2017閲覧.
- ↑ 締め込みの色は「黒・紺・紫色系統の物を使用する」と力士規定に明記されているが、昨今では事実上死文化しており、黄金色、銀鼠色、オレンジ色など様々な色の締め込みが用いられている。
- ↑ 幕下以下の力士の廻しは本場所用・稽古用兼用である。木綿製の黒色の廻しで、さがりは糊付けされておらず、紐のままの状態である。
関連項目
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
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十両 | ||||||
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十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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