碧山亘右

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碧山 亘右(あおいやま こうすけ、1986年6月19日 - )はブルガリアヤンボル(2009年9月場所まではソフィア)出身で春日野部屋所属(入門時は田子ノ浦部屋)の大相撲力士。本名はダニエル・イヴァノフ。身長191cm、体重188kg。得意技は右四つ・寄りとあるが、突き・押しでも相撲が取れる。最高位は東関脇2014年11月場所、2015年1月場所)。好物はサラミスイカ[1]。サラミは地元ブルガリアの母が手作りのものを日本まで送ってくれるという。[2]好きな飲み物はワイン[3]趣味は映画鑑賞、釣り。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[4]

経歴

レスリングを10年、アマチュア相撲を3年経験した後、琴欧洲の紹介でブルガリア出身2人目の力士として角界入りを果たす[5][6]。1度目に琴欧洲に誘われた際は断ったが、再度の勧誘に備えて後述するように力士体型を作った。増量して2度目の勧誘を受けた際は、人相も異なっていたイヴァノフを琴欧州は別人と勘違いしていたという[7]。師匠である14代田子ノ浦(元幕内・久島海)に「山と川どちらが好きか」と尋ねられ、本人が「山」と答えたため「碧山」という四股名に決まった[8]

初めは「碧山 聖人」を名乗り、2009年7月場所で初土俵を踏み、翌9月場所では7戦全勝で序ノ口優勝を果たした[9]。名を「碧山 亘右」に改めた後、2009年11月場所では7戦全勝で優勝決定戦へ進出し、優勝決定戦で風斧山を破って序二段優勝を果たした[10]

三段目へ昇進した2010年1月場所では、5日目に北皇(高田川部屋)に敗れてデビュー戦からの連勝が16で止まったものの、残りの取組は勝利し、この場所でも6勝1敗という好成績を残した。幕下へ昇進した翌3月場所では7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たした。その後は幕下上位に在位し、2011年5月技量審査場所において東幕下筆頭の位置で5勝2敗の好成績を挙げて、翌7月場所に新十両へ昇進し、大相撲八百長問題で多くの力士が引退した影響もあり、新十両ながら番付を西十両4枚目まで大きく上げた。翌9月場所では腰椎椎間板ヘルニアのため初日から休場したが、3日目から出場して最終的に10勝3敗2休という好成績を挙げて、翌11月場所において新入幕を果たした。

新入幕となった2011年11月場所では、11日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗の好成績を挙げて初の三賞となる敢闘賞を受賞。[11]初土俵から所要14場所での三賞受賞は小錦武蔵丸らに並ぶ史上6位のスピード記録(幕下付け出しを除く)となった。

2012年2月13日に師匠である14代田子ノ浦が急逝して田子ノ浦部屋が閉鎖されたため、本人は同年3月場所前に春日野部屋へと移籍した[12]。転籍後の初稽古では引退したばかりの竹縄が教育係を務めた。[13]春日野部屋へ移籍して初めての場所となった同年3月場所では8勝7敗と勝ち越し[14]、続く5月場所でも自己最高位となる西前頭6枚目の位置で11勝4敗と大きく勝ち越した。東前頭2枚目まで番付を上げた翌7月場所では、横綱・大関陣との対戦が続いた7日目までは1勝6敗という成績だったものの、8日目以降は白星を重ねて、最終的には8勝7敗と勝ち越しを決めた。翌9月場所では新三役となる東小結へと昇進し、ブルガリア出身力士としては2005年3月場所における琴欧州(現・琴欧洲)に続く2人目の新三役となり、初土俵から所要18場所での新三役昇進はと並ぶ史上7位のスピード記録(幕下付け出しを除く)となった。新三役昇進が決定した際の会見では、前師匠の田子ノ浦親方の遺影を持って会見に臨んだ。その9月場所では初日から7連敗と不振で、4勝11敗という成績に終わった。翌11月場所では8日目まで6勝2敗と好調だったものの、8日目にを破った際に左膝の関節を捻挫してしまい、翌9日目から途中休場した。

2013年5月場所は自己最高の192kgを計測し、その影響から5勝10敗の不振に甘んじた。この場所後、「182~184キロくらいにしたい。ご飯はお茶わんの半分にして、野菜を多く食べています」と明かした。これには、古傷の左膝、腰の負担を軽減する狙いもある。[15]同年7月場所は上位陣が星を落としていく中で12日目までただ一人で2敗を守り、全勝の白鵬を追いかける展開となった。残り3日は上位との取組が組まれて3連敗し、最終的には10勝5敗と二桁勝利を挙げた。翌9月場所は西前頭2枚目まで番付を戻し、その場所では6勝9敗と負け越したが、4日目の横綱・日馬富士戦で自身初の金星を獲得した。座布団が乱舞するこの中で、碧山は無意識に神に感謝をささげるため右手の人さし指を天に向ける仕草を見せ、涙を流した。[16]翌11月場所では12日目に大関・鶴竜を破って勝ち越しを決めるなど好調で、最終的には10勝5敗の好成績を挙げた。

2014年1月場所は番付運に恵まれず、僅か2枚上昇の東前頭3枚目で迎えた。6勝9敗と負け越したが、大関・稀勢の里から初白星を挙げた。2014年2月9日の大相撲トーナメントでは決勝戦で琴欧洲とブルガリア出身者対決を演じ、これを制して2010年の豪栄道以来となるトーナメント平幕優勝を達成した。[17]翌3月場所は9勝6敗と勝ち越し。東前頭筆頭だった翌5月場所は2大関(稀勢の里・琴奨菊)を破り、2場所連続の勝ち越しを決め、翌7月場所では11場所ぶりに小結に復帰したが6勝9敗と負け越し。東前頭3枚目に番付を落とした9月場所は稀勢の里と豪栄道の2大関を破って10勝5敗の好成績で場所を終えた。これを受けて翌11月場所は新関脇に昇進。ブルガリアからの新関脇は、2005年9月場所の琴欧州以来2人目となった。この11月場所の西関脇は初土俵から6場所目にして新三役の地位を得た逸ノ城であった。両者がこの場所3日目で対決した際にはともに新関脇であり尚且つ200kgに迫る巨漢であることから「合計約400kgの重量対決」として話題になり、逸ノ城と共に場所を8勝7敗の勝ち越しで終えた。[18]この場所では、横綱・日馬富士と大関・稀勢の里を破った。

2015年は「大関昇進」を目標としている。しかし2015年1月場所直前の連合出稽古ではインフルエンザが疑われるなど不調が伝えられていた。[19]体重が理想(182~184kgくらい)より重い190kg台後半だった2015年1月場所は、左膝の状態が良くなかったためか、5勝10敗だった。しかし、横綱・日馬富士を2場所連続で破った。翌3月場所はあばらを痛めていた影響で振るわず5勝10敗の不振に終わった。[20]続く5月場所、7月場所を連続で勝ち越して、9月場所は東前頭筆頭まで番付を戻したが、この場所から4場所連続で7勝8敗と千秋楽で給金相撲を落とした。

2016年5月場所も6勝9敗で終わり、5場所連続での負け越しとなった。翌7月場所はダイエットが功を奏したのか[21]1年ぶりとなる勝ち越しを決め、14日目の取組後には「うれしい。長かった。7勝8敗ばかりだと誰でも落ち込むよ」とコメントした。[22][23]東前頭5枚目まで番付を戻した9月場所は9勝6敗の勝ち越し。勝ち越しを確定させた13日目には支度部屋で「5場所連続負け越しの後、2場所連続勝ち越し。負け越しが続いていたときはずっと落ち込んでいた。気持ちが戻った」とコメントした。[24]しかし11月場所は初日から5連敗を喫するなど大関以上からは琴奨菊しか白星をあげられず、4勝11敗と大敗した。二桁の黒星は2015年3月場所以来となる。

2017年1月場所は前頭7枚目の地位で臨んだ。序盤は黒星が先行したが、終盤持ち直して8勝7敗と勝ち越した。

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靖国神社奉納大相撲 土俵入りする碧山関(2017年4月17日撮影)
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靖国神社奉納大相撲 碧山関の相手は宇良関(2017年4月17日撮影)

場所後にはブルガリア人女性との結婚を公表した[25]。2月19日、東京都内のホテルで結婚披露宴を開催。碧山は新婦の白無垢姿に「きれいですね。びっくりしました。皆さんがかわいい、と言ってくれてうれしい」と顔を赤らめた。新たな門出に気が引き締まったようで「相撲でも金星を取らないとね。頑張るしかない。もっと自分に厳しくして、奥さんのため、部屋のためにも頑張ります」と言葉に力を込めた[26]。5歳年上の姉さん女房ということで、相撲界では「金星」と言われた[7]。3月場所は千秋楽に勝ち越しを決め、自身の結婚に花を添えた。5月場所は西の3枚目に番付を戻したが、開幕から4連敗をするなど序盤に負けが込み4勝11敗と大幅に負け越した。7月場所はここ4年間でもっとも番付の低い東の8枚目で場所を迎えた。序盤から出足が良く、武器の突き押しに威力があり、開幕から7連勝で横綱の白鵬と並んで全勝をキープ。しかし8日目に阿武咲に敗れて連勝が止まると、11日目には錦木が敗れ2敗に後退。しかし同日にここまで全勝の白鵬も敗れたため、星の差一つで優勝戦線に踏みとどまった。13日目には物言いの付く微妙な判定ながら勝利を収め、千秋楽では割変えで小結の嘉風と対戦し勝利。幕内自己最高の成績となる13勝2敗とし、千秋楽に白鵬が敗れれば優勝決定戦というところまで持ちこんだが、白鵬が勝利し、叶わなかった。それでも他の上位陣が軒並み不振で星を落とす中、白鵬の独走を許さずに千秋楽まで場所を盛り上げる活躍を見せ、平成23年九州場所以来、2度目の敢闘賞を獲得した。三賞受賞はこのとき以来34場所ぶりで、太寿山と並び5番目に長い受賞間隔となった[27]。この場所は自己最速となる9日目での勝ち越しとなった[28]。八角理事長は「碧山がいなかったら大変だったよ」と2横綱1大関が休場したこの7月場所の“立役者”に感謝を表わすコメントを残した[29]。この場所の快進撃の背景には妻の応援があり、本人は「毎日、彼女に電話で励まされました。『アドレナリンが上がると思いますが、自分の相撲を取れば大丈夫』と師匠のようなことを言われましたよ。彼女の口から相撲のことが出るのはめったにないのでびっくりしましたが、必死で応援してくれてるんだと思うとうれしかったですね」と場所後の雑誌の記事で語っている[30]。9月場所は三役から平幕に落ちる力士が琴奨菊1人だけであり、さらに本来なら三役に上がってもおかしくない星の力士が平幕上位にとどまったため、わずか5枚半上昇にとどまる西前頭2枚目の地位となった。さらに不運にも場所前に元々悪い膝を負傷。左膝骨挫傷で約1カ月の治療期間を要する見込みとの診断書を提出して休場[31]。その後8日目から出場。復帰初戦でいきなり結びの一番を取ったが黒星。その後は膝の状態が本調子からは程遠い状態ながら10日目に関脇の御嶽海を破るなど3勝を挙げた。最終成績は3勝5敗7休場。なお、12日目の輝戦では勝負がついた後、力を抜いた状態の輝を土俵下まで突き飛ばしたため、山科審判部副部長(元小結・大錦)は口頭で注意[32]。2017年11月場所も2日目の取組で足を負傷。本人はバキッと音がしたとコメントし、車いすで退場になり、そのまま翌日から休場。詳しい診断症状は右足首捻挫、靭帯損傷のため約1カ月の治療とのこと。3日目の対戦相手魁聖は不戦勝。休場は通算で4度目となった[33]。場所中の復帰は絶望視されていたが、8日目から再出場して大翔丸に白星。しかしやはり足の状態は思わしくなく、そこからは6連敗をするなどで合計3勝に留まり、翌場所で37場所連続在位を続けてきた幕内から陥落。

2018年1月場所は西十両2枚目の地位で土俵に上がり、10日目まで5勝5敗であったが11日目から4連勝。千秋楽は黒星であったが9勝6敗と半年ぶりの勝ち越しを果たし、翌3月場所に再入幕。幕尻となる東前頭17枚目で迎えた3月場所は、序盤から好調で初日から4連勝を記録。5日目の妙義龍戦では、土俵際の判定が微妙だったものの、物言いが付かずに敗れる不運もあって連勝が止まったが、そこからも調子を大きく崩さず、11日目に勝ち越しを決めた。しかし残りを4連敗として勝ち越しは1つに留まった。4月2日の春巡業中津川場所の朝稽古ではこの日の力士最多となる19番(16勝)でやる気をアピールした。栃ノ心が1月場所に幕内最高優勝を果たしたことと春日野が巡業部長に就任したことが、発奮して稽古に励む要因となっている[34]。9月場所前の相撲雑誌に「幕内の申し合いがわずか26番というのは、お粗末の一言だろう」と嘆かれた7月30日の夏巡業大津場所では、14番取るなど積極的な稽古を行い、この日の稽古では11連勝も確認されている[35]。その他、連日幕下にも20番ほど胸を出している[36]

合い口

いずれも2018年9月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には1勝18敗。2015年9月場所で不戦勝を獲得したが、自力での勝利は無し。
  • 横綱・鶴竜には1勝17敗。鶴竜の横綱昇進後は11敗。鶴竜が大関だった2013年11月場所で初勝利。
  • 横綱・稀勢の里には6勝13敗(不戦敗による1敗を含む)。稀勢の里の横綱昇進後は1敗。2013年まで5戦全敗(不戦敗による1敗を含む)だったが、2014年1月場所で初勝利。2014年以降は6勝7敗。最近では2016年1月場所で勝利。横綱大関陣の中では最も相性が良い相手と言える。
  • 大関・豪栄道には3勝19敗。豪栄道の大関昇進後は3勝7敗。2014年9月場所で初勝利。最近では2015年11月場所で勝利。
  • 大関・高安には9勝7敗。2012年3月場所の幕内初顔合わせから2013年5月場所まで4連勝していたが、自身が新関脇となった2014年11月場所から2015年5月場所まで4連敗。2015年7月場所から2016年11月場所まで4連敗。
  • 大関・栃ノ心には1勝。2012年3月場所以降は栃ノ心と同部屋に所属しているため、対戦が組まれなくなった。
  • 元大関・琴奨菊には5勝14敗。初顔合わせだった2012年7月場所で初勝利。最近では2018年9月場所で勝利。
  • 元大関・照ノ富士には1勝12敗。照ノ富士の大関在位中は1勝8敗。2016年9月場所で初勝利。
  • 元横綱・日馬富士には3勝15敗。日馬富士の横綱昇進後は3勝13敗。2013年9月場所で初勝利。最近では2015年1月場所で勝利。
  • 元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に2度対戦し2勝。
  • 元大関・把瑠都には2戦全敗。
  • 元大関・琴欧洲には4戦全敗。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
朝赤龍 1 0 安美錦 10 5 阿覧 2 5 8 12
逸ノ城 3 6 隠岐の海 8 14 魁聖 11 6(1) 旭天鵬 4 2
琴勇輝 7 3 正代 1 3 宝富士 16 3 豪風 13 7
玉鷲 5 4 栃煌山 0 1 豊ノ島 8 6 御嶽海 2 1
妙義龍 9 9 嘉風 9 11 若の里 1 1
小結
遠藤 5 3 阿武咲 2 1 臥牙丸 3 2 常幸龍 4 0
松鳳山 13 5 貴景勝 0 2 千代鳳 6 1 千代大龍 7 2
時天空 6 2 豊真将 3 0 若荒雄 2 1
前頭
朝乃山 1 3 阿炎 0 1 阿夢露 1 0 荒鷲 3 2
石浦 4 2 宇良 1 0 大砂嵐 3 3 6 1
北太樹 4 3 木村山 1 0 旭秀鵬 2 1 旭大星 1 1
磋牙司 1 0 佐田の海 2 5 佐田の富士 10 0 翔天狼 3 1
蒼国来 2 0 大奄美 2 1 大栄翔 3 1 大翔丸 3 1
大道 4 2 貴ノ岩 2 3 隆の勝 1 0 隆の山 1 0
千代翔馬 3 3 千代ノ皇 0 1 千代の国 4 7 千代丸 3 1
剣武 1 0 天鎧鵬 1 1 德勝龍 4 1 栃乃若 0 1
豊響 7 2 錦木 4 4 英乃海 1 0 富士東 3 1
寶智山 1 0 北勝富士 1 5 誉富士 1 0 舛乃山 2 0
豊山 1 1 竜電 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年9月場所終了現在、現役力士

取り口など

  • 基本的に体格と力[16][37]を活かした四つ相撲が持ち味であり、立合いで突き放す[38]相撲にも長けている。力相撲がツボにはまれば上位陣にも強く、2014年1月場所5日目に稀勢の里を押し出しで破った相撲は特に評価されている。[39]稽古場では栃煌山を電車道で持って行くこともあり[38]、新関脇会見でも春日野から「馬力はピカイチ」と評されている。[40]この背景には本人の稽古熱心さが関係している[38][40]一方で自他ともに認める腰高であり、14代田子ノ浦が死去した際には「腰を割る相撲は簡単ではないけれども、直後の場所では頑張る」という趣旨の発言をしていた。[3]新関脇昇進の際には、田子ノ浦から指導を受け継いだ春日野からも今後の課題として挙げられている。[40]テレビ朝日アナウンサー銅谷志朗は2014年11月場所前の座談会で「押しに徹してもらいたいけど叩きも強烈」と評している。[41]鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「いなされたり引かれたりするといろいろ考えて当たれなくなるし、叩く癖もあるからそこを直して、あの大きな体を生かして前に出る相撲を取っていけば、また三役に復帰すると思います」と話していた[42]。最高位が関脇以下の力士との幕内対戦成績からうかがえるように、右四つよりも左四つの力士に強い。横綱クラスの力士には突き押しでないと通用しないようであり、2017年5月場所中日の稀勢の里戦で敗れた際は「突き放したかったけど、左を差されたら横綱の相撲になっちゃう。残念」と、9日目の白鵬戦で敗れた際には「離れて取りたかった。四つになっちゃダメでしょう」とそれぞれコメントしている[43][44]
  • 前述のとおり、2015年は「大関昇進」を目標としている。体重を理想(182~184kgくらい)まで減らすことと、腰高を改善することが大関昇進への課題である。しかし、結局叶わなかった。2017年7月場所後に相撲雑誌に掲載された緒方喜治の記事では、碧山が一進一退を繰り返していたのは立合いで考えすぎる性格が災いしたことによるという[30]
  • 幕内に昇進した頃は四つ相撲と押し相撲を使い分けていたが、近年では膝の影響もあって突き押し相撲が主体となっており、2017年3月場所から11月場所までの5場所では計31の白星の中で寄り切りの決まり手は1つもなかった。[45]
  • 2018年頃に左足首の骨がずれた際に引っ張って関節に嵌め込む矯正を担当した医師が「足首が硬い」と体質について話していた[36]
  • これに限らず同じく2018年頃になると細かい怪我が増え、2018年9月場所中は本人が「いつも何かあって辛い」と嘆いていた[46]

エピソード

  • 入門から少しした後に憧れでもある地元の先輩・琴欧洲から日本語を覚えるためにと幼児用の絵本を数冊プレゼントされ、日本語が十分話せるようになった今でも大切にその本を持っている。しかしながら2011年11月場所11日目の取組後に記者から三賞の話題を出されて「1勝、2勝、3勝?」と答え[47]、2013年5月場所5日目の時点で平幕で唯一の勝ちっぱなしの状況について記者に感想を聞かれると「ヒラマクって何ですか?」と報道陣に逆質問した[48]
  • ブルガリア在住時代は卵の白身70個分を食して体作りをしていた。[49]ジャイアントキリング』2012年7月1日放送分では前菜としてチーズ1kgを毎日食べて力士体型を作っていたという。大好物のスイカは1度に1個丸ごと(通常スイカ1個の可食部は約6.6㎏)食べたことがある[50]
  • 2013年5月場所5日目、前頭3枚目宝富士戦で碧山は宝富士を引き落としに破ったが、三役行司11代式守勘太夫は碧山に「宝富士~」と誤って勝ち名乗りを上げた。勝ち名乗りを受けた碧山は唖然とした顔で一旦土俵下に降りたが、誤りに気付いた勘太夫に呼び戻され改めて勝ち名乗りを受けた。碧山は初日からこの日まで5連勝だったが、翌日から白星に見離され千秋楽まで10連敗、この場所は5勝10敗の大敗に終わった。
  • 2013年12月11日の体脂肪率測定では幕内力士最高の39%を計測した。[51][52]
  • 入門時の師匠である14代田子ノ浦の死去により春日野部屋へ移籍した後に、これまで使っていた「田子ノ浦部屋後援会」の字が入った化粧廻しが土俵入りに使えなくなるという事態が発生した。元女将から「この文字を変えれば使えるようになる」と勧められたものの、師匠との思い出を守るためにこれを固辞。その後新三役昇進時に碧山と女将の希望で新しい化粧廻しが贈られ、その化粧廻しには14代田子ノ浦の家紋が刻まれている。[53]
  • 春日野部屋所属の力士だが、田子ノ浦部屋からの移籍力士という経緯からか、栃木山守也に因む部屋の伝統である「栃」の字が含まれない四股名を名乗っている。
  • 設備上の理由[54]で移籍当初は栃乃若と同じ個室を共有した。
  • 2016年12月20日、大相撲冬巡業宮古島場所に参加した際、稽古後の支度部屋で宮古島産のさとうきびの切れ端を渡されるなり「これ割れます」と豪語。その言葉通り両手で両端を持って力を込めるといとも簡単にへし折り、割れ目から落ちた甘い汁を飲んだ。隣でたまたま目撃した松鳳山も「こんなさとうきびの食べ方をする人、見たことがない」と驚いていた[55]
  • 入門前はクラブの用心棒を行っていたことがある[29]
  • 2018年1月場所で同部屋の栃ノ心が優勝した際、パレードで旗手を務めた。
  • 2018年7月場所には緑の地にブルガリアの国旗と国章の描かれた浴衣で場所入りした[56]

主な成績

2018年9月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:376勝335敗19休(56場所)
  • 通算勝率:.529
  • 幕内成績:300勝298敗17休(41場所)
  • 幕内勝率:.502
  • 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
  • 十両成績:26勝17敗2休(3場所)

各段優勝

  • 幕下優勝:1回(2010年3月場所)
  • 序二段優勝:1回(2009年11月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2009年9月場所)

三賞・金星

  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(2011年11月場所、2017年7月場所)
  • 金星:1個
    • 日馬富士:1個(2013年9月場所)

場所別成績

                
碧山亘右
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2009年
(平成21年)
x x x (前相撲) 西序ノ口30枚目
優勝
7–0
東序二段25枚目
優勝
7–0
2010年
(平成22年)
東三段目30枚目
6–1 
東幕下48枚目
優勝
7–0
西幕下5枚目
2–5 
西幕下15枚目
4–3 
西幕下9枚目
5–2 
東幕下3枚目
3–4 
2011年
(平成23年)
西幕下5枚目
4–3 
八百長問題
により中止
東幕下筆頭
5–2 
西十両4枚目
7–8 
東十両6枚目
10–3–2 
東前頭16枚目
11–4
2012年
(平成24年)
西前頭7枚目
6–9 
西前頭10枚目
8–7 
西前頭6枚目
11–4 
東前頭2枚目
8–7 
東小結
4–11 
東前頭5枚目
6–3–6[57] 
2013年
(平成25年)
西前頭6枚目
7–8 
東前頭8枚目
9–6 
東前頭4枚目
5–10 
東前頭9枚目
10–5 
西前頭2枚目
6–9
東前頭5枚目
10–5 
2014年
(平成26年)
東前頭3枚目
6–9 
西前頭5枚目
9–6 
東前頭筆頭
8–7 
西小結
6–9 
東前頭3枚目
10–5 
東関脇
8–7 
2015年
(平成27年)
東関脇
5–10 
西前頭3枚目
5–10 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
8–7 
東前頭筆頭
7–8 
東前頭2枚目
7–8 
2016年
(平成28年)
西前頭2枚目
7–8 
東前頭3枚目
7–8 
東前頭3枚目
6–9 
東前頭6枚目
8–7 
東前頭5枚目
9–6 
西前頭筆頭
4–11 
2017年
(平成29年)
西前頭7枚目
8–7 
西前頭6枚目
8–7 
西前頭3枚目
4–11 
東前頭8枚目
13–2
西前頭2枚目
3–5–7[58] 
東前頭11枚目
3–8–4[59] 
2018年
(平成30年)
西十両2枚目
9–6 
東前頭17枚目
8–7 
西前頭13枚目
8–7 
東前頭11枚目
8–7 
東前頭10枚目
7–8 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 碧山 聖人(あおいやま きよひと)2009年7月場所 - 2009年9月場所
  • 碧山 亘右(あおいやま こうすけ)2009年11月場所 -

参考文献

  • 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p231-232

脚注

  1. 『大相撲ジャーナル』2016年10月号102ページ
  2. 中日スポーツ2013年11月18日
  3. 3.0 3.1 『相撲』2012年3月号73頁
  4. 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
  5. 田子ノ浦部屋のイバノフ「琴欧洲のようになる」”. スポニチ (2009年5月1日). . 2009年11月30日閲覧.
  6. 琴欧洲紹介のイバノフ、しこ名は碧山”. イザ (2009年5月2日). . 2009年11月30日閲覧.
  7. 7.0 7.1 最愛のビオレタ夫人は5歳年上 大相撲前頭・碧山亘右(31歳)【スポーツ人間模様】 ニッポン放送 2017/07/25 10:00(2018年1月15日)
  8. ブルガリア出身ダニエルが新弟子検査受検”. 日刊スポーツ (2009年5月2日). . 2009年11月30日閲覧.
  9. 幕下は全勝同士で決定戦 序二段と序ノ口でV決定”. スポニチ (2009年9月25日). . 2009年11月30日閲覧.
  10. 北太樹が十両V 三段目は貴乃花部屋初の優勝力士誕生”. スポニチ (2009年11月29日). . 2009年11月30日閲覧.
  11. 因みにこの場所では当時同じく新入幕であった妙義龍松鳳山も10勝5敗と二桁勝利を上げており、大相撲史上初の新入幕力士3人2ケタ勝利が記録された。
  12. 田子ノ浦部屋の8力士、移籍先は2部屋 日刊スポーツ 2012年2月22日閲覧
  13. 碧山が転籍後初稽古「まだ慣れない」 nikkansports.com 2012年2月28日18時5分
  14. 師匠が急逝した心労が影響したのか、この場所の2日目の千代の国戦で敗れたあとに支度部屋の壁を叩き穴を空けて悔しがっていた様子が『相撲』2012年4月号23頁で報告された。
  15. 碧山、三役復帰へ野菜多めで減量作戦 Daily Sports Online 2013年6月18日
    この記事では「レスリング選手時代は140キロから20キロ減量して試合に出場したという」と報告されていた。
  16. 16.0 16.1 碧山、涙の初金星「うれしさが大きい」 Daily Sports Online 2013年9月19日
  17. 【大相撲トーナメント】碧山、琴欧洲とのブルガリア対決制し初V 2014年2月10日06時03分 スポーツ報知
  18. “ニュー逸ノ城”巨体対決制し2連勝 Daily Sports Online 2014年11月12日
  19. 春日野部屋 インフル禍 nikkansports.com 2015年1月4日8時42分 紙面から
  20. 『大相撲ジャーナル』2015年6月号64頁
  21. 『相撲』2016年9月号62ページ
  22. 1年ぶり勝ち越しの碧山「7勝8敗ばかりだと誰でも落ち込むよ」 SANSPO.COM 2016.7.23 19:39
  23. なお、この場所で同じ幕内の佐田の海は、年6場所制となった1958年以降では貴ノ浪らを抜いてワーストとなる幕内7場所連続負け越しの記録を作ってしまった。
  24. 『相撲』2016年10月号44ページ
  25. 元関脇の碧山が結婚 同郷ブルガリア人と2月挙式、十両徳勝龍も スポーツニッポン、2017年1月12日閲覧。
  26. 碧山、同郷女性と結婚披露宴「相撲でも金星を取らないとね」 SANSPO.COM 2017.2.19 18:15
  27. 碧山、白鵬との優勝決定戦ならず 「もう一番、相撲を取りたかった」/名古屋場所
  28. 『大相撲中継』2017年8月12日号 p43
  29. 29.0 29.1 日刊スポーツ 2017年7月23日
  30. 30.0 30.1 『大相撲中継』2017年8月12日号 p43
  31. 白鵬は「3週間の投薬リハビリ」、稀勢は「1か月の激しい運動制限」…相撲協会が診断書発表
  32. 碧山を口頭注意へ 勝負がついた後に輝を突き飛ばす 日刊スポーツ 2017年9月21日21時46分
  33. 碧山が休場=大相撲九州場所
  34. 碧山、朝稽古で最多の19番 同じ欧州出身・栃ノ心が刺激 2018年4月2日20時52分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年4月4日閲覧)
  35. 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.12
  36. 36.0 36.1 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.14
  37. 2013年9月場所中の報道によると身長192cm、体重193kg、腕周り62cm、握力86kgを記録している。
  38. 38.0 38.1 38.2 『相撲』2013年11月号55頁
  39. 『相撲』2014年3月号56頁
  40. 40.0 40.1 40.2 碧山が新関脇昇進「達成できてうれしい」 nikkansports.com 2014年10月27日20時29分
  41. 『大相撲ジャーナル』2014年12月号56頁
  42. 『大相撲ジャーナル』2016年12月号62ページ
  43. 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p25
  44. 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p27
  45. https://sports.yahoo.co.jp/sumo/stats/ スポーツナビ参照
  46. 『相撲』2018年10月号 p.62
  47. 『相撲』2012年1月号44ページ
  48. ブルガリア出身碧山、平幕唯一の5連勝 Daily Sports Online 2013年5月17日
  49. 『大相撲ジャーナル』2014年2月号59頁
  50. 碧山、大好物のスイカ「1個すべて食べたこともある、でも…」 2017年8月11日20時40分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年4月4日閲覧)
  51. 相撲協会によると体脂肪率測定は入門時に全力士が必ず受けるが、それ以外では今回の測定は2003年6月に「幕下以上、160キロ以上」を対象に実施して以来のこと。
  52. 松鳳山 体脂肪率“最低”24%、最高は碧山の39% スポニチアネックス 2013年12月11日07時05分
  53. 碧山の化粧まわし 女将さん(旧田子ノ浦部屋女将のブログ) 2013年01月11日
  54. 現在の春日野部屋には個室が3個存在するが、独身者の関取数がそれを上回ることが常態化している。
  55. 碧山 怪力伝説「これ割れます」 Sponichi Annex 2016年12月20日 23:06
  56. 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.80
  57. 左膝関節捻挫により9日目から途中休場
  58. 左膝骨挫傷で初日から休場。8日目から出場
  59. 右足首捻挫、靭帯損傷のため3日目から休場、8日目から再出場

関連項目

外部リンク

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