鏡桜南二
鏡桜 南二(かがみおう なんじ、1988年2月9日 - )は、モンゴル国ウランバートル出身[1]で鏡山部屋所属の現役大相撲力士。本名はバットフー・ナンジッダ(モンゴル語キリル文字表記:Батхүүгийн Нанжид)。得意は右四つ、寄り、上手投げ。身長182cm、体重140kg、最高位は西前頭9枚目(2015年9月場所)。締め込みの色は緑。[2]
人物
モンゴルではバスケットボール、ブフ(モンゴル相撲)、レスリングを経験している。13歳の頃に、モンゴル時代はバスケットボールの強豪選手だった白鵬が現在どうしているのかをバスケットボールチームのコーチに聞いたところ、大相撲へ勧誘されて日本へわたったことを知らされ、以来本格的に日本の相撲へと傾倒していく。2003年に旭鷲山の紹介を受けて德瀬川と共に来日し、実業団の摂津倉庫で稽古を積んでから鏡山部屋に入門し、2003年7月場所で初土俵を踏んだ。[3]四股名には鏡山部屋の名から「鏡」を貰い、下の名である南二は、本名のナンジッダからきている。
同年9月場所で初めて番付に載った。この時の体重は90kgで、德瀬川に吊り出しで敗れるなど、軽量を突かれることが度々あった。この場所こそ勝ち越したが、それ以降は勝ったり負けたりが続き、序二段通過までに2年近くを要している。鏡山部屋には長らく新弟子は入っておらず、鏡桜を除けば師匠鏡山親方(元関脇・多賀竜)の実子である竜勢しか所属していない。部屋にいるだけでは満足な稽古はできない[4]ため、幕下時代は鏡山部屋と同じく新小岩駅近くにあった中村部屋(2012年12月閉鎖)に出稽古へ行き、地力をつけることが多かった。
2005年5月場所で初めての三段目昇格を果たしたが、初の三段目での勝ち越しは同年11月場所。しかしこれ以降はしばらく自己最高位を更新し続けるなど、一時は殻を破った感はあったが、三段目上位の壁に今度は当たる。この後しばらく三段目で苦労していたが、2008年5月場所では無傷の5連勝を記録するなど、最終的には6勝1敗の好成績。翌7月場所では幕下に始めて昇進した。2009年5月場所以降は幕下に定着しており、2011年1月場所では初めて十両昇進が見える幕下15枚目以内を経験した。2012年11月場所では西幕下4枚目で4勝3敗と、十両に昇進するには微妙な成績だったが、幕下上位で勝ち越した者が少なかったことも影響し、場所後の番付編成会議で新十両昇進が決まった。十両昇進までは所要56場所で、外国出身としては史上6位のスロー昇進だった[5]。
新十両昇進をしてから3場所目となる2013年5月場所では、一時は優勝争いの単独トップにも立つ大健闘であり、最終的には十両の優勝次点に当たる12勝の勝ち越しを収めた。翌7月場所は新入幕も狙える番付で負け越してしまったが、翌9月場所では再び大健闘。初日に敗れた後、2日目から11連勝。9日目には1敗で優勝争いの先頭に立ち、十両優勝も夢では無かったが、13日目に敗れて2敗に後退すると照ノ富士に2敗で並ばれてしまった。14日目は勝ち、照ノ富士は負けたため、千秋楽の直接対決は自身が勝てばそのまま十両優勝、照ノ富士が勝てば優勝決定戦という状況で、本割と優勝決定戦で照ノ富士に連敗。十両優勝はできなかった。この場所の各段優勝表彰式は審判部長を務めている師匠が担当のため、優勝すれば師匠から弟子に賞状が贈られるところであったが、その夢は叶わなかった。続く11月場所の番付では東十両筆頭にとどまり新入幕も叶わなかった。[6]その11月場所でも10勝5敗と勝ち越し、翌2014年1月場所で新入幕を果たした。所要62場所での新入幕は外国出身としては史上2番目のスロー出世で、鏡山部屋からも多賀竜が部屋を継承してから17年で初めての幕内力士誕生となった。[7]その日に鏡山部屋で行われた記者会見では「自分としては早い。15年かかると思っていた。食い下がって頭をつけるのを心掛けたのが良かった」と喜びを語った上で同年8月に同じモンゴル出身の女性と結婚したことも公表した。[8] 幕内ではやや体力負けする相撲が目立って1月場所と3月場所いずれも負け越し、5月場所は十両へと陥落。場所の後半で白星を大きく重ね、14日目終了時点で十両優勝争いの先頭と1差。千秋楽はその単独トップだった琴勇輝を倒して4人による優勝決定トーナメントへと持ち込んだが、決勝戦で逸ノ城に敗れてしまい、初の各段優勝とはならなかった。7月場所で再入幕を果たすも、2場所連続6勝9敗に甘んじ再び十両へ陥落。2015年1月場所に3度目の入幕を果たすもここで負け越して十両に陥落。翌3月場所は場所前に稽古で左足首を捻った上2日目の阿夢露戦で背筋の一部を断裂したことで4勝11敗の不振に終わった。ところが続く5月場所は12勝3敗で十両優勝を果たし、4度目の入幕も確実にした。[9]しかし2場所幕内を務めた後に同年11月場所で十両へ陥落すると、2016年1月場所からは3場所連続で途中休場を経験(内2場所は後に再出場)するなど怪我・病気に苦しめられた。5月場所では西十両12枚目の地位で1勝しかできず、翌7月場所で3年半守り続けた関取の地位を失い、幕下に陥落した。さらに幕下陥落後も2場所続けて2勝に留まり、2016年11月場所では西幕下40枚目まで番付を落とした。しかしこの場所では6番相撲まで勝ち続け、7番相撲で新十両を懸ける照強と対戦。負けたことで照強の新十両を許すが6勝1敗で場所を終え、自身8場所ぶりの勝ち越し。しかし以降も調子が戻らず、2017年9月場所では西幕下49枚目まで番付を落とすが、この場所の7番相撲では同じモンゴルの後輩で、アマチュア横綱と学生横綱に輝いたこともある水戸龍をやぶって7戦全勝の幕下優勝。優勝に際して鏡桜は「向こうはまだ三場所目だが、こっちは十五年も相撲を取っているし、十年かけて関取に上がっているんだ」という思いで戦ったことを明かした[10]。怪我で休場していた際には引退も考えたが、鏡山からは「ケガで落ちてそこから上がれば本物。ケガしただけだったらお前が弱い」と言われたという。最後に「腐らずやってきてよかったと思う。十両に上がって、もう一回上でやりたい」と語った[11]。翌9月場所では西幕下5枚目まで番付を戻すも、2勝5敗に終わり十両復帰を果たせなかった。東幕下10枚目で迎えた2018年3月場所では左膝を痛めて途中休場、翌5月場所も全休したことで7月場所では三段目まで降格した。しかしこの7月場所で7戦全勝の上優勝決定戦も制し、自身3度目の各段優勝を果たして復活をアピールした。翌9月場所では西幕下12枚目まで番付を戻し、5勝2敗と勝ち越した。
取り口
左の上手を得意とし、これを引けば出し投げで崩しておいての寄りと、強烈な上手投げがある。一方で馬力や出足にはそれほど優れず、巨漢や速攻相撲には弱い傾向にある。負ける時は大抵寄り切りや押し出しで思い切り土俵外に出されてしまう。とはいえ新入幕からしばらくした頃になると体がある程度出来上がったため正攻法の相撲でも通用するようになった。重心が低いため投げや引き技で仕留められることはそれほど多くない。そのまま突き切ることはまずないが、突っ張りも得意である。
エピソード
- 2013年1月場所から関取になった鏡桜は本来であれば、関取になったことで部屋に自分の個室が与えられるはずであるが、自身は「負け越したら引っ越しが面倒」という理由でしばらく大部屋生活を続けた。また、付け人も他の部屋から借りている状態であり、家事の一部は自身で行っている。[12][13]
- 2013年9月場所の千秋楽に、本割と優勝決定戦で照ノ富士に連敗して逆転優勝を許した際に、師匠から「1場所で同じ相手に2回負けるとは情けない」と言われて以降、対照ノ富士戦で負けたことは無い。但し照ノ富士とは2014年以降は対戦が組まれていない。(照ノ富士が大関に昇進したのに対して、鏡桜は幕下に陥落したため)[14]
- 2014年3月28日に、同年3月場所後に第71代横綱に推挙された鶴竜の初めての横綱土俵入りで露払いを務めた。横綱に推挙されたばかりの鶴竜はまだ三つ揃えの化粧廻しを持っていないため、第55代横綱で当時は相撲協会理事長を務めていた北の湖の三つ揃えの化粧廻しを借り受けて着用した。[15]
- 2015年1月場所5日目の阿夢露戦で小褄取りを決めた際に報道陣から「モンゴル相撲にもこんなワザがあるの?」と突っ込まれたのに対し「そう言われても、オレが(来日する前に)やっていたのはバスケットボールだからねえ」と答えた。[16]
主な成績
2018年9月場所終了時点
- 通算成績:407勝369敗22休(91場所)
- 幕内成績:43勝62敗(7場所)
- 十両成績:109勝92敗9休(14場所)
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(2015年5月場所)
- 幕下優勝:1回(2017年9月場所)
- 三段目優勝:1回(2018年7月場所)
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2003年 (平成15年) |
x | x | x | (前相撲) | 東序ノ口37枚目 4–3 |
西序二段114枚目 3–4 |
2004年 (平成16年) |
東序ノ口5枚目 6–1 |
東序二段39枚目 3–4 |
東序二段57枚目 4–3 |
東序二段34枚目 3–4 |
東序二段56枚目 4–3 |
西序二段32枚目 3–4 |
2005年 (平成17年) |
東序二段55枚目 5–2 |
西序二段11枚目 5–2 |
東三段目76枚目 3–4 |
西三段目88枚目 3–4 |
西序二段10枚目 4–3 |
東三段目93枚目 5–2 |
2006年 (平成18年) |
東三段目58枚目 4–3 |
西三段目43枚目 5–2 |
東三段目16枚目 4–3 |
東三段目4枚目 1–6 |
西三段目42枚目 4–3 |
西三段目26枚目 2–5 |
2007年 (平成19年) |
東三段目52枚目 4–3 |
西三段目35枚目 4–3 |
東三段目22枚目 4–3 |
西三段目10枚目 3–4 |
東三段目26枚目 3–4 |
西三段目40枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東三段目55枚目 5–2 |
西三段目28枚目 3–4 |
東三段目42枚目 6–1 |
東幕下55枚目 2–5 |
東三段目16枚目 6–1 |
西幕下40枚目 2–5 |
2009年 (平成21年) |
西幕下59枚目 3–4 |
東三段目14枚目 5–2 |
東幕下50枚目 5–2 |
西幕下29枚目 4–3 |
西幕下23枚目 3–3–1 |
西幕下30枚目 2–5 |
2010年 (平成22年) |
東幕下46枚目 5–2 |
西幕下34枚目 2–5 |
西幕下50枚目 5–2 |
西幕下33枚目 4–3 |
東幕下25枚目 4–3 |
東幕下18枚目 5–2 |
2011年 (平成23年) |
西幕下9枚目 1–6 |
八百長問題 により中止 |
西幕下28枚目 3–4 |
西幕下28枚目 2–5 |
西幕下42枚目 6–1 |
東幕下17枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西幕下12枚目 3–4 |
東幕下18枚目 5–2 |
東幕下11枚目 5–2 |
東幕下7枚目 3–4 |
東幕下10枚目 4–3 |
西幕下4枚目 4–3 |
2013年 (平成25年) |
東十両14枚目 8–7 |
西十両12枚目 7–8 |
西十両13枚目 12–3 |
東十両4枚目 6–9 |
西十両8枚目 12–3[17] |
東十両筆頭 10–5 |
2014年 (平成26年) |
東前頭14枚目 6–9 |
東前頭16枚目 5–10 |
西十両2枚目 11–4 |
西前頭14枚目 6–9 |
西前頭16枚目 6–9 |
西十両筆頭 9–6 |
2015年 (平成27年) |
西前頭15枚目 7–8 |
東十両筆頭 4–11 |
東十両9枚目 優勝 12–3 |
西前頭14枚目 9–6 |
西前頭9枚目 4–11 |
西十両筆頭 6–9 |
2016年 (平成28年) |
西十両4枚目 7–7–1[18] |
西十両5枚目 4–11[19] |
西十両12枚目 1–6–8[20] |
東幕下9枚目 2–5 |
西幕下25枚目 2–4–1 |
西幕下40枚目 6–1 |
2017年 (平成29年) |
西幕下17枚目 2–5 |
東幕下35枚目 4–3 |
西幕下28枚目 3–4 |
西幕下39枚目 3–4 |
西幕下49枚目 優勝 7–0 |
西幕下5枚目 2–5 |
2018年 (平成30年) |
西幕下14枚目 4–3 |
東幕下10枚目 1–2–4 |
東幕下31枚目 休場 0–0–7 |
西三段目11枚目 優勝 7–0 |
東幕下12枚目 5–2 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 鏡桜 南二(かがみおう なんじ) 2003年7月場所 -
脚注
- ↑ 協会への届出はオボルハンガイ出身となっている(2014年7月場所以降)
- ↑ 2014年1月場所3日目のNHK中継で厚井大樹が「師匠の現役時代と同じ色の締め込み」と話していた。
- ↑ ベースボール・マガジン社刊「相撲」2014年1月号26頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号71頁では「百足の摺り足は足が4本しかないから、百足ではなく犬だ」と所属力士の少なさを揶揄する記述が見られる。
- ↑ 東龍と鏡桜が新十両に昇進…番付編成会議 YOMIURI ONLINE 2012年11月28日
- ↑ 『相撲』2013年11月号58頁には「優勝インタビューで新弟子を募集しようと思ったのに。」と悔しがっていた様子が記述されている。
- ↑ 貴ノ岩、鏡桜が初場所で新入幕 nikkansports.com 2013年12月24日
- ↑ 鏡桜が11年目で新入幕、結婚も公表し1月に第1子 SANSPO.COM 2013.12.24 17:49
- ↑ 『相撲』2015年6月号76ページ
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p56
- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.50.
- ↑ ベースボール・マガジン社 発行 「相撲」 2013年初場所総決算号より。
- ↑ 鏡桜十両昇格も付け人なし「洗濯自分で」 nikkansports.com 2012年11月28日17時34分
- ↑ ベースボール・マガジン社 発行 「相撲」 2014年春場所総決算号より。
- ↑ 鶴竜初土俵入り「間違えずやれました」 日刊スポーツ(電子版) 2014年3月29日
- ↑ 『相撲』2016年7月号87ページ
- ↑ 照ノ富士と優勝決定戦
- ↑ インフルエンザA型のため10日目から途中休場、12日目から再出場
- ↑ 腰椎捻挫及び筋筋膜性腰痛症のため13日目を休場(不戦敗)、14日目から再出場
- ↑ 右膝屈筋腱断裂のため7日目から途中休場
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
| ||||
三役 | ||||||
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大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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