とんねるずのみなさんのおかげです
『とんねるずのみなさんのおかげです』は、フジテレビ系列で1988年10月13日から1997年3月27日まで毎週木曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されたバラエティ番組である。正式では『。』が付く。略称は『おかげです』もしくは『みなさん』と呼ばれている[1]。
お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。 1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組で年間平均視聴率1位を記録した。『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』と並ぶ、とんねるずの代表番組の一つである。
Contents
概要
- 不定期特番時代
元々は同局・火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』(後の『カスペ!』)のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みで再放送がないものの、放送ライブラリーで番組レギュラー初回の1988年10月13日放送分を閲覧する事ができる。
番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したが、スタッフの反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。そもそも当時、とんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。
- レギュラー放送時代
レギュラー番組に昇格した1988年10月からはコントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時はドラマコントがメインの番組構成で番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられた。後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年夏頃以降は総集編スペシャルと音楽企画の回を除いてモノラル放送(地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。
- 放送休止
1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため、一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。何度も放送休止をするバラエティ番組は稀である(他にも8時だョ!全員集合など)。他に1994年4月から9月まで『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から6月19日までは『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋貴明によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄したことが問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。
- 内容
その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年6月26日から後継番組ではなく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアルして放送を再開。それに伴い、『とんねるずのみなさんのおかげです』の最終回は、新聞のラテ欄では終マークはなかった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く「新・食わず嫌い王決定戦」や「モジモジくん」のコーナーが人気になっている。
コントに登場する名物キャラクターは他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズや宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。
- エトセトラ
木曜21時台という当時では子供向けと言うにはやや遅めの時間帯の番組であったが、「仮面ノリダー」を中心にさまざまなコントキャラクターが子供にも絶大な人気を誇っていた。宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ、ともさかりえ、松嶋菜々子など、まだ知名度が高くない時代から抜擢し人気タレントに駆け上がっていった登竜門的番組でもあった。その一方で、本来ならば子供人気や新人清純派タレントとは相容れない下ネタも多かったが、意味を理解しないまま子供受けしていたのも事実であり、子供人気、新人タレント、下ネタという綺麗なトライアングルを形成できたのはとんねるずのキャラクターによるある種の奇跡である。石橋が女性ゲストにキスや、押し倒したり添い寝をしたり、口に入れたお粥を牧瀬里穂の顔に垂らしたり、赤ちゃん役に扮していた小泉今日子が咥えていたおしゃぶりやイチゴなど取り上げて自分の口に入れ「…おいし〜い!」と至福の表情で言うなどといったセクハラギャグや「コンコンコーン」、「オナラじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」などで、ノリダー人気から家族単位で見ていた茶の間の親を凍りつかせて苦情もしばしば。また石橋が放送禁止用語をアドリブで発しピー音が付くのも晩年では茶飯事であった。子供への絶大な人気を受け『月刊コロコロコミック』などでも特集記事が組まれたりしていたが、下ネタギャグに関してはほとんど触れられていなかった。
スペシャル版の放送は、人気絶頂期においては通常の延長よりも長くされていたが75分(実際はミニ番組放送の関係上70分延長、予告編を含めて21:00 - 23:05放送)の延長とされることが多く、子供人気が高かったことから深夜時間帯に差し掛かる直前にエンディングが流れるなどの配慮がされていたほか、稀に夜19時からの放送となることもあった。
放送末期には楽屋落ちが増え、あまり作り込んでいないという印象を視聴者に与えてしまっていたが、木梨がTRFの振り付けのモノマネをした際には本番の数時間前にスタジオ入りし多忙の中練習に励むなど真剣にやるべき演出は決して手を抜かない一面も持ち続けていた。
- 初の映像ソフト化
2018年3月21日、放送開始30周年記念として、「おかげです」時代のコントや、「ガラガラヘビがやってくる」「がじゃいも」「ガニ」のオープニング、野猿の楽曲PVを収録した3枚組のDVD-BOXが発売された。DVD-BOXは、「観賞用」と「保存用」の2パターンがあり、「保存用」に関しては、箱がシールで封がされている。剥がす事は可能だが、その際箱に傷がつく恐れがあり、その際の責任は一切負いかねるとの事。
出演者
メイン
- とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)※91年末から92年初頭期にかけて名前のテロップの上に「オリコン初登場1位歌手」「ミリオンセラー歌手」「'91日本歌謡大賞受賞歌手」「'91紅白歌合戦出場歌手」「'91FNS歌謡祭大トリ歌手」「日本卓球協会名誉初段」(後に2段に変更)と肩書が徐々に増えて表記されていた。
準レギュラー
- 渡辺満里奈 ※第1期のみ「仮面ノリダー」が毎週放送していた為、レギュラーメンバー出演。それ以外のコーナーにもほとんど登場しており、事実上とんねるず以外では唯一のレギュラーメンバー扱いだった。
- 小林昭二(おやっさん)※第1期のみ「仮面ノリダー」が毎週放送していた為、レギュラーメンバー出演。
- 岡田真澄(ファンファン大佐)※第1期のみ「仮面ノリダー」が毎週放送していた為、レギュラーメンバー出演。
- 宮沢りえ ※第1期に月一で、主に学園物コントに出演。
- チェッカーズ ※第1期と第2期に月一(第2期はグループ解散までの間)、第1期は学園物コント中心に、第2期は「新巨人の星」「珍義なき戦い」中心に出演。
- 松本伊代
- 飯島愛
- 田坂都(わが青春の1ページ)
- 保積ぺぺ(わが青春の1ページ/われら定時制高校野球部)
- 森川正太(わが青春の1ページ/われら定時制高校野球部)
- 岸田今日子(保毛尾田家の人々/われら定時制高校野球部)
- 直江喜一(われら定時制高校野球部)
- 柳生博(われら定時制高校野球部)
- 小野みゆき(デビルタカマン他)
- 細川ふみえ(デビルタカマン他)
- 地井武男(「ちょっと北の国から」/「太陽にほえろ」一連のパロディ)
- 伊藤淳史 ※第1期は「仮面ノリダー」のみの出演。第2期ではさまざまなコントに顔を出すようになったが、「仮面ノリダーV2」には未出演。
- 倉田プロモーション(ジョッカーのみなさん/ベンガル星人)
- 劇団ひまわり(島田雄一郎/麻生雅人/萩野志保子ほか)
- 茶魔男
- 荻野目洋子(貧乏家の人々)
- 牧瀬里穂
- 観月ありさ
- ブラザーコーン
- ともさかりえ(聖オゲレツ学園)
- 松嶋菜々子(近未来警察072)
- 長門裕之(近未来警察072)
- ベンガル
- 諸星和己(関東石橋組見参!!)
スタッフ
- 石井正幸(ディレクター→アシスタントプロデューサー→プロデューサー・ディレクター)
- 鈴木正人(ディレクター)
- 小松伸一(アシスタントディレクター→ディレクター)
- 松村匠(アシスタントディレクター→ディレクター)
- 時宗大(アシスタントディレクター→ディレクター)
- 加賀義則(アシスタントディレクター→ディレクター)
- 小澤俊一(アシスタントディレクター→ディレクター)
- 白石一幸(アシスタントディレクター)
- 関口正晴(大道具→とんねるずマネージャー)
- 菊原共基(構成作家)
- 大関晃(視覚効果)
- 水尾一雄(特殊効果)
フジテレビアナウンサー
番組に出演したゲスト
- 玉置浩二
- 浅野ゆう子
- 沢田研二
- 小松政夫
- 梅津栄
- 薬丸裕英
- 団しん也
- 石田ひかり
- 清水アキラ
- 田中美佐子
- 黒木瞳
- 松田聖子※レギュラー版初回並びに「食わず嫌い王決定戦」初回ゲスト。
- 中山美穂
- 中森明菜
- 七瀬なつみ
- 小林千登勢
- 真理アンヌ
- 緒形拳
- 天本英世
- 小林稔侍
- 今井美樹
- 賀来千香子
- 柴田恭兵
- 石田純一
- 十勝花子
- 由利徹
- 松崎真
- ガッツ石松
- グッチ裕三(ビジー・フォースペシャル)
- 高嶋政宏
- 水野美紀
- 坂井真紀
- 大塚寧々
- THE ALFEE(桜井賢・坂崎幸之助・高見沢俊彦、ビートボーイズ)
- 井上陽水
- 林家こぶ平※主に秋元康の役で出演。
- いしだあゆみ
- みのもんた
- 高橋英樹
- 斉藤由貴
- 薬師丸ひろ子
- 小泉今日子
- 沢口靖子
- 柳葉敏郎
- 田中裕子
- 伊東四朗
- ヒロミ(B21スペシャル)
- ポール牧
- 市毛良枝
- ウォーレン・クロマティ
- 逸見政孝
- 南野陽子
- 三田佳子
- 古手川祐子
- 多岐川裕美
- 大原麗子
- 田中好子
- 谷隼人
- 勝呂誉
- MCハマー
- 石原真理子
- 瀬戸朝香
- 岡村隆史(ナインティナイン)
- 工藤静香
- 粟津號
- 村井国夫
- 斉藤慶子
- 荒井注
- 左時枝
- 岡本夏生
- 柳沢慎吾
- 福井敏雄
- 武豊
- 遠峯ありさ
- 鈴木紗理奈
- ルビー・モレノ
- セクシーメイツ
- 藤谷美和子
- 川島なお美
- 他多数
放送期間
火曜ワイドスペシャル版
レギュラー版
- 第1期
- 1988年10月13日 - 1990年4月5日
- 第2期
- 1990年10月11日 - 1994年3月31日
- 第3期
- 1994年10月13日 - 1997年3月27日
レギュラー版全体を通しての放送回数は363回。
コント・コーナー
- 基本的にゲストが出演しているドラマ・映画のパロディが多い。ゲストが演ずる役はそのままで、他の役をとんねるずが演じるのが大まかのパターンである。全盛期になると番組スタッフが積極的に駆り出されたりもしていたが、末期になると石橋・木梨が一人で数役も演じるコントが多くなった。
人気キャラクター
- 石橋
- 保毛尾田保毛男(ほもおだほもお) - 話し方のモデルは井上陽水。ホモということを問いただされると、「あくまでも噂で・・・」とはぐらかすのがお決まりのパターン。市役所勤務の姉(岸田今日子が演じていた)と二人暮らし、時折ネタにしていた。放送当時実際の「ホモ」の人たちが学校などで弄りの対象にされる事態も起きていたようで、後述のように後年「おかげでした」でこのキャラクターを復活させた際には、設定などを理由に賛否両論を巻き起こすことになった。一方ミッツ・マングローブはこのキャラクターがきっかけで、同級生から「お前もホモなの?」と訊かれた際には、「それはあくまで噂でございます」と答えられるぐらいの優雅さを持とうと思ったという[2]。
- ダーイシ男 - モデルは石田弘(番組プロデューサー)。豪放な性格で糖がきてるという。 「すまなかった!」が口癖。後に『まるまるちびまる子ちゃん』にも出演。
- バブルス - 元ネタはマイケル・ジャクソンのペットのチンパンジー。タバコを吸うなどふてぶてしい態度を取る。後にガールフレンドも登場した。
- 田村マサカズ - モデルは「ニューヨーク恋物語」での田村正和。ドラマ内での口調を誇張した異様に舌っ足らずなしゃべり方をし、終始クールに振舞おうとするが空回りして失敗するキャラクター。「後ろ髪長いですか?」が口癖。「新畑任三郎」では大幅に違うキャラクターになっていた。
- ストロベリー - モヒカン風のアフロヘアーがトレードマークの黒人ダンサー。
- 中村江里子(ひな) - モデルは本人。「もう、台無し。」が口癖。「おかげですカルトQ」に出場した際に、司会の判定に不満を持つあまり途中で収録をボイコットしている。
- 木梨
- ノリユキ - 今で言うストーカーないし度が過ぎたアイドルオタク。コントに脈略なく現れてはアイドルに対し「息くれよ。」とせがむが大抵マネージャーもしくは恋人役の石橋にどつかれる。体当たりが得意技で、石橋に「飛ぶぞ」と挑発する。
- 小港さん - モデルは港浩一(プロデューサー兼ディレクター)。常に腕を組み、口を尖らせながら競馬の予想を気にしている。ダーイシとは犬猿の仲。
- サブ北島 - モデルは北島三郎。本人が出演していたちらし寿司の素のCMのワンフレーズをよく口ずさむ。「ひとりものまね王座」以降はなぜか身長が縮む。
- ひろし5木 - モデルは五木ひろし。パンストを被った上にカツラをかぶった顔つきで、常に怪しげな動作をする。演歌のあぜ道のコーナーで、水中に落ちた際にパンストが息を通さなくなり死にかけ、口の部分を開けて破ることで九死に一生を得た。ちなみに、石橋も「陽子の悪夢」というコントで同じような事態に見舞われている。
- 森進一郎 - モデルは森進一。モデルの歌声を極端に誇張したような野太い奇声と異様に力の入った表情が印象的。
- みのりもんた - モデルはみのもんた。本人より威圧的なツッコミを飛ばす。
- スーさん - モデルは鈴木正人(ディレクター)。長髪と白い服という出で立ちで様々なコントに出没。「スイスイスー」が口癖。鈴木ほかスタッフ数名と「寝ちゃダメ隊」を結成している。
- 縦山弁護士 - モデルは当時話題の人物だった横山昭二(弁護士)。様々なコントに出没してはマスコミの取材攻めにあうという役回り。「馬鹿者!」が口癖。
- その他
- 玉井しのぶ(玉井貴代志) - 一時期コントにたびたび登場し劇中歌を歌っていた。
- 帰りなおばちゃん(稲村さち子) - 石橋に対して「とっととお帰りよ!」などと説教するが、芝居が出来ないので石橋をしばしば激昂させた。後述の騒動以降登場しなくなった。
- 渋谷哲平とdeep隊 - 毎回コントの途中で脈略なく現れては往年のヒット曲「Deep」を熱唱して去っていく。
- スーさん(鈴木正人) - 「北の国から'92朝立ち」で初登場して以降あらゆるコントに出没した。コントではほとんど女性の役が多かった。
おかげです事件史
- 爆薬演出でのトラブル
- 「おかげです」時代のコントでは爆薬を大量に使用する演出がよく行われ、トラブルもたびたび起きていた。これらは港浩一が演出したものであるといい、爆薬を大量に使う撮影では、通常は何度もリハーサルを重ねて撮影するが、港の場合は適当に爆薬を設置して、すぐに本番へと移るといった手法をとっていた。こういったこともあって、「仮面ノリダー」の後半ロケで撮影許可が取れなくなり、当時のフジテレビ本社の屋上で撮影をし、あまりの爆発音に驚かれて近隣病院の入院患者全員にフジテレビ社屋を窓越しから覗かれるといった出来事があったり、フジテレビ社屋移転前のお台場で警察とトラブルを起こしたり[3]、前述の宜保タカ子ロケでのトラブルなどが発生していた。また、石橋がセットの下敷きにされた挙句ムチ打ちになったり、木梨の至近距離で爆薬が爆発して木梨が死の恐怖を覚えるなど、出演者に対しても危険が及んでいた。
- ニンジン事件
- 沢口靖子と共演したコント1991年1月17日放送「ノリ江婆 あのドキドキ愛人日記」で、木梨が噛み砕いて吐き出したニンジンの煮物を石橋が「頂きます」と食べてしまった事件。木梨・沢口はおろかスタッフも大いに驚き、木梨は「何故こんなことができるかというと(石橋が)酔ってるからだよ」とコメント[4]。
- 木梨憲武の盲腸緊急追悼特番・騒動事件
- 1991年10月31日、木梨が盲腸による休養から復帰することになっていた放送で、冒頭から『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』と題し、木梨が死亡したという設定の元、生放送で追悼特番を模したドッキリを放送した。追悼特番司会の石橋と野崎昌一アナウンサー(現:フジMHD投資管理部長)が深刻な気配で会話し2分半程経過したところで、青のジャージを着た木梨が現れるというシュールなコントであった。木梨が登場した後も2分程無視して喋り続けるものの、石橋が「出口3箇所ふさがれてましたから・・・」といった直後笑い出して木梨に気付き、セットチェンジ。結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』として番組の総集編が放送された。このドッキリを敢行した理由については石橋が本放送内で語ったところによると、「(木梨が入院していた為)撮りに来ないから放送する分がなくなってしまい、何とかして視聴者の目をごまかそうとして」という事らしい。
- この放送を見ていた当時同局アナウンサーで番組レギュラーだった中村江里子アナウンサーは、途中まで本当に信じていたという。もし本当だった場合これだけのタレントなら新聞やニュースで大きく取り上げられるので、ネタであることが誰にでも分かると制作スタッフは踏んでいたようだが、この日の『タイム3』に木梨本人が生出演したこともあり、緊急性を含んだドッキリとして視聴者を信じさせる要素もあった。
- 放送中や番組終了後には、「本当ですか!?」との質問や「ふざけるな!」とのフジテレビに対する抗議の電話が約800件にも上り、「30年間で最もクレームが殺到したコント」と言われている。盲腸により木梨が入院して放送するネタがなかったことからこのドッキリが企画されたが、多数の菊の花と木梨の写真(番組スタッフの「憲武の寂しそうな写真ないか」という依頼を受けてマネージャーが提供した木梨の運転免許証の写真をモノクロで引き延ばして使用。引き延ばした時には周囲が「(遺影の)感じ出てるね」とこぼしていたという[5])を配した大きな祭壇を組んだ追悼セット、暗いBGM、現役アナウンサー出演など、あまりにも悪ふざけが過ぎるとの声が多かった。
- 放送内において、野崎アナは「亡くなられた」とは一言も発しておらず、代わりに冒頭で「信じられないことになってしまいました」と表現しているのみで、石橋が「これからご実家のほうで焼香に行ってですね」「ハゲる前に死ねて良かったな、と」「安らかに眠って欲しい」などと発言しているのは木梨登場後で、「眠って欲しい」といった時には木梨が「眠んねーよ、この野郎」といって石橋の頭を叩いている。本編前の木梨の生涯を辿る前編(BGMとしてダイアナ・ロスの『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』)では、ナレーションで「あまりにも短い生涯であった」という一節が放送されており、「親戚の老婦人に凄い怒られた」と木梨は後に語っている。
- この放送の最中に「『塗装業者の誘拐殺人』などの容疑で手配されていた元警察官が逮捕されました」とのニュース速報テロップが出るという一幕もあった。
- 元々は野崎アナではなく、当時役員待遇だった露木茂(現:フリー)アナウンサーの出演を予定していたが露木アナ本人が逃げてしまい、部長待遇だった野間脩平(現:共同テレビ)アナウンサーにも逃げられたため、『プロ野球ニュース』の司会のため夜勤だった野崎アナが急遽呼ばれた。よりリアリティを持たせるため森光子にもオファーを出したが断られたという。
- この回の視聴率は23%で多くの視聴者を驚かす結果となった。ゼネラルプロデューサー(当時)の石田弘が考えた企画と言われるが、石田プロデューサーは後年「ふざけると言っても超えてはならない一線があり、悪ふざけにはならないようにしなければならない」という、この一件を忘れたか、戒めるかのような発言をしている。また、この放送について石田は「普通に復帰するのは面白くないから」という理由でこの企画をした事と、当時の反響を「あれくらい怒られたことはないよ」と振り返る発言をしている[6]。
- なお、この回のエンディングではオープニングテーマであり、当時CD化されていなかった「ガラガラヘビがやってくる」のカセットテープを抽選で3名にプレゼントする企画の当選者の発表も行っている。
- それいけマサカズ・ボヤ事件
- 人気コーナー「それいけマサカズ」で、石橋扮する田村正和が燃えたカツラをかぶりながら何食わぬ顔で通り過ぎる、というコントを撮影したが、消防法上大変危険であるとして、当時のフジテレビ本社を管轄していた東京消防庁牛込消防署から抗議を受けた。
- 石橋貴明の試合放棄事件
- カルトQ「おかげです全般」で、司会者の木梨が石橋の解答に対して「正確じゃないとだめです」と何度も不正解とし、怒った石橋が「もういやだ」と言って途中で帰りそのまま試合放棄した事件。退場後は女児の人形が置かれコーナーは最後まで進行した。このとき石橋は「ひな」(中村江里子の愛称)という名前で出場していた[7]。
- セクシャルハラスメント訴訟事件
- 1992年11月4日、石橋とチーフディレクターがセクシャルハラスメントをしたとして、東京地方裁判所に民事提訴された事件。原告は「帰りなおばちゃん」として番組に準レギュラーで出演していた当時56歳の稲村さち子で、訴えの理由は、同年10月29日放送の番組内、露出度の高いビキニを着せられた稲村に対し、石橋が「ヘアが見える」と発言しテロップで「素人のおばちゃんですからヘアの手入れはしていません」と流されたこと、CMやテレビドラマで芸歴が10年あるにも関わらず「素人のおばちゃん」と2度テロップを流されたことだった。稲村は石橋とチーフディレクターに対し200万円の損害賠償と番組内で名誉回復のコーナーを設けることを請求した。フジテレビの石田弘プロデューサーは取材に対し「素人のおばちゃん役で出演してもらった。傷つけたことは申し訳ない」と回答し、石橋の所属事務所は「本人と連絡が取れないのでコメントできません」とした[8][9]。後に示談が成立し稲村は提訴を取り下げたことが報じられた[10]。元々当番組は下ネタ傾向が強く、事件後下ネタ禁止令が下されたと言われる事もあるが、実際には後年に「近未来警察072」などが制作されており、その傾向はほとんど変わらなかったと言える。
- 保毛尾田保毛男ネタに対する賛否
- 「おかげでした」時代の2017年9月28日、「とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念スペシャル」でのワンコーナーで保毛尾田保毛男を登場させた際に、LGBT支援団体から「性的少数者への差別・偏見を助長するもの」との抗議申し入れがあり、[11][12]それを受け翌日の定例会見で宮内正喜社長が謝罪する事態となった[13]。視聴者からは「このご時世にどうなんだ」という批判や、「懐かしいキャラクターで大変うれしい」といった好意的な意見が出るなど、賛否両論となった[14]。
- タレントで同性愛者のミッツ・マングローブはこの件に関する批判的な意見に対して反論のコメントを出した[2]。
視聴率
1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久(現:フジテレビ相談役)に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだという。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった。一方で、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。まもなく『火曜ワイドスペシャル』で番組を持たせてもらい、放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%。この結果は放送翌日の「夕やけニャンニャン」で石橋の口から発表され、「まあこんなもんだろ、よしよし」と二人は結果に満足していた)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。もう一説によるとこの公約を叩きつけた石橋は「20%に届かなかったら笑いの世界から身を引く」と後年TBSの特別番組でそのまんま東の発言によって語られた。
番組開始当初から「仮面ノリダー」のコーナーなどで人気を博し、開始から半年が経過した1989年3月30日(『とんねるずのみなさんのおかげです春休みスペシャル』)に最高視聴率29.5%[15](関東地区)を記録した(ただし、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年から1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率の第一位を保持、2度にわたる充電期間を経ても人気を保った。
番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。
1997年3月に放送終了(4月に内容変更・改題などのリニューアル)した。 「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%(最終回の前週に発表)。9年間で使った予算は186億8900万円(こちらは最終回でダーイシが発言)。
最終回
1997年3月27日放送の『おかげです』としての最終回はかつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え、石橋扮する石田(ゼネラル)プロデューサーと木梨扮する小港ディレクター(兼プロデューサー)とともに局内に入り「石田プロデューサーの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田プロデューサーがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。ちなみにこの時、石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、これが現在番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかは不明である。
そして、ラストはフジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う当時の番組のエンディングテーマ『テレビ〜時々の神よ〜』をバックに『おかげです』と共に使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。これには、石橋と木梨にとって『ここまで自分達を大きくしてくれた』河田町に思い入れがあってのことであろうと思われる。
後にコント形態として『おかげでした』に受け継がれたのは「ちょっと北の国から」と「新畑任三郎」のみである。『北の国から』のパロディ「ちょっと北の国から」に関しては「ちょっと北の国から'97冬」として1分にも満たない完結編が放送され、「純と蛍が凍死する」というストーリーであったにも関わらず、『おかげでした』では何事もなかったように続編が放送された。1998年には前編・後編・完結編と3週に渡って放送されたが、2002年には「北の国から コントの記憶」として総集編があったものの、本編は1週しかなかった。
2017年12月7日放送で2018年3月22日をもってとんねるずのみなさんシリーズを完結することを発表したが、その際に共同テレビの社長室にて、前述の「ちょっと北の国から」以来15年ぶりに往年のダーイシと小港さんによるコント形式で完結を発表した。2018年3月8日に北の国からの新作コントを放送。
ネット局
- 系列は放送終了時点(打ち切りの場合はその時点)のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1991年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局[16][17]。 |
岩手県 | 岩手めんこいテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から[18] |
宮城県 | 仙台放送 | |||
秋田県 | 秋田テレビ | |||
山形県 | 山形テレビ | 1993年3月25日打ち切り[19][20][21] | ||
さくらんぼテレビ | 開局前サービス放送期間中の1997年3月20日・27日のみ[22] | |||
福島県 | 福島テレビ | |||
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
長野県 | 長野放送 | |||
静岡県 | テレビ静岡 | |||
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビ | |||
広島県 | テレビ新広島 | |||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 遅れネット | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り | |
岡山県 香川県 |
岡山放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
愛媛県 | テレビ愛媛 | |||
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1996年9月打ち切り |
高知さんさんテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1997年3月の開局前サービス放送期間中のみ | |
福岡県 | テレビ西日本 | |||
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | 1990年9月までは、日本テレビ系列とのクロスネット局。 | ||
熊本県 | テレビくまもと | 1989年9月までは、テレビ朝日系列とのクロスネット局。 | ||
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
遅れネット →同時ネット[23] |
1993年9月までは、テレビ朝日系列を加えた3系列クロスネット局。 |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | 1994年3月までは、日本テレビ系列とのクロスネット局。 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ |
- 1994年3月に先述の理由により一旦休止するが、FNS加盟26局と青森放送・テレビ山梨・テレビ山口・高知放送はそのまま『ラスタとんねるず'94』のネット局となり、同年10月の本番組の再開時のネット局も同様だった。
歴代スタッフ
- 企画:石橋貴明、木梨憲武
- 構成:秋元康 / 遠藤察男、沢口義明、井辺清、西川晋、吉野晃章、成田はじめ、笠博勝、池田裕幾、三谷幸喜、西条昇、菊原共基、小川浩之→オガワ★ヒロユキ for men、小原信治、浅野吉朗、玉井貴代志、武良勇兒、大倉利晴、小野沢実、アラヤ★ダイスケ HOMME、岩崎夏海、柄沢正典、丸山桜奈、小板橋健、野口昌良、杉村秋生
- TD・SW:堀田満之・馬場直幸・石田智男(全員フジテレビ)、島本健司
- カメラ:藤江雅和、島本健司、小山茂明、高田治、花島和弘、北井勇作、武川圭祐、長瀬正人、小林光行、野々村知彦、河野昌寿、秋山勇人/伊澤明男・勝村信之・長田崇・二見健二・岸田花子(フジテレビ)
- 映像:原啓教、石井利幸、高瀬義美、田中十内、谷古宇利勝、瀧本恵司、田畑司、水野博道、斉藤雄一、塚本修、松岡浩司、宮本学、西脇貴美孝、青木洋子、高草木直樹、松宮竜一郎
- 録画:原啓教、油谷忍
- 音声:間野目政孝、篠良一、杉山直樹、石井俊二、松本政利、深谷高史、森田篤、海老沢俊彦、高橋幸則、本間祥吾、寺川秀和、戸山善裕、奈良岡純一、福沢寿三、横井哲也、平沢晃
- PA:唐松秀弥、後藤龍幸、横島一光
- 照明:蓑島公男、小田原敬、谷川富也、高木一成、吉川知孝、富沢宴令、中原淳一、森本勝、日高栄治、安藤雅夫、安藤雄郎、土倉潤一、岩本泰和、藤本潤一、穴田健二、黒井宏行、谷口明美、佐藤博樹、堀田耕二、宗像徹馬、牧野隆、藪木健太郎、毛利克也
- カメラクレーン:佐藤史郎、高久誠司
- 美術制作:石鍋伸一朗・重松照英(共にフジテレビ)
- デザイン:根本研二・越野幸栄(共にフジテレビ)、別所晃吉、藤森信之
- 美術進行:伊藤則緒、小野秀樹、安藤典和、古賀飛、工藤圭介、中村秀美
- 大道具:鈴木康之、成井一浩、塩山勝之、竹島正夫、工藤圭介、清水篤弘、関口正晴、畠山健、大原隆、石黒勇二郎、三上晋、迫田康義
- 装飾:三浦清隆、小池長寿、今村文孝、加藤登、竹内達、菊池保、望月富夫、門間誠、大串武士
- 持道具:若林一也、網野高久、平井文朗、山本健史、藤井直也、斉藤広治、竹川京太、中丸慶三郎
- 衣裳:土田清、武藤直樹、神波憲人、加藤文男、青木幸雄、沖田正次、小林幸子、永野美紀、中山美和、大吉明美
- メイク:塩幡万里子、浜崎真弥、興山洋子
- かつら:牧野勇、川田明子、矢津田一寛、郡司敏幸、植竹圭一
- 視覚効果:大関晃、飯塚生臣、内山栄一、坂井郁美、中里義明
- 電飾:須藤義光、田中信太郎、飯田修一、菰原大裕、中沢千恵子、小沢崇、崎本光成、井川延郎
- アクリル装飾:高信作、平山晃哉、上川洋行、今井輝彦、木谷伸三
- 生花装飾:春川興司、坂口曜子、武笠博子
- 植木装飾:須田信治(二)、広田明
- アートフレーム:津田忠直
- 楽器:磯元洋一、佐野武史、岩崎滋
- 特殊効果:水尾一雄
- 特殊美術:中島豪章(CAVIN)、佐藤むさく、スタジオ・モア
- タイトル:川崎利治、三好登久昭、原野真理子
- タイトルロゴ:染谷淳一
- CGタイトル:Go Go H.I.P.
- 編集:伊五澤守雄・正木俊行・頼信良三・管野邦大・真壁一郎・二宮嘉郎・清水良浩・藤井陽一・飯星岳・永吉敬文・今村猛彦・喜多彰宣・奥山なほみ・松田和茂・上野譲・原靖・大橋一明・小野貴志・吉田亨・吉川奈津子(全員IMAGICA)
- スキャニメイト:後藤和夫・大沢宏次郎(共にIMAGICA)
- ペイント:菊池大介・山口由紀子(共にIMAGICA)
- MAV:寺尾享泰・植松厳・新野真・森岡浩人・遠山正(全員IMAGICA)
- オープニングタイトル・CG:金田全央、森まさあき、香川かづあき、アニメーションスタッフルーム、熊田勇
- 音響効果:鈴木真、松下俊彦、張替正美、波多野精二
- コーナーテーマ:辻陽
- 車輌:ほしのみちあき、桑山朗、島村達也、富川太一、柏田武士、高村徹、岡本貴幸、杉川博志、風見高広、諸星寿伸、倉田知己、本田浩光、小池清治、駒崎浩宣、大塚修、福島真、奥山道明、久保清、森泉澄人、渡辺美夏子
- ナレーター:戸谷公次、田中信夫(火曜ワイドSP「貧乏家の人々」)、中江真司(仮面ノリダー/仮面ノリダーV2)、皆口裕子(仮面ノリダー内「ねるとん紅鯨団」)、久米明(眠狂四郎だマサカズ!/一杯のかけうどん/仮面ノリダー「恐怖すっぽん男」など)、納谷悟朗(仮面ノリダー「恐怖バレーボール女」/新巨人の星)、中西妙子(演歌のあぜ道)、青野武(保毛太郎侍最終回)、高岡健二(CMパロディ)、矢島正明(カメラがとらえた決定的瞬間/ボレロ・タケノリ教)、大平透(スパイ大作戦'90)、山本圭(ノリゴロウとゆかいな仲間たち)、野島卓、野沢那智、キャプテン・ジョージ(マジックくんと手品くんのビックリショー)、柴田秀勝(宜保タカ子/デビルタカマン/近未来警察072)、野田圭一、桑原たけし(キャプテンウルタカ)、牧原俊幸(キャプテンウルタカ/おかげですカルトQ出題)、田中秀幸(憲武を笑わせろスペシャル)、大坪千夏(ゴウゴウガール)、坂口哲夫(食わず嫌い王決定戦)、太田真一郎ほか
- 殺陣:多賀谷渉、菊地竜志、岡田勝ほか
- コレオグラファー:西条満ほか
- 編成:原岡健一郎・小林義和・鈴木専哉・石井浩二(全員フジテレビ)
- 広報:石井道夫・森隆志・大貫伊都子・八木祐子(全員フジテレビ)
- スチルカメラ:村山篤人、半田一道、久保田栄
- タイムキーパー:杉山清美、安富弘江、江野澤郁子
- デスク:鈴木桂子、長谷川薫、関根弘之、生雲理愛、道山雄一
- 制作スタッフ→ディレクター(1989年4月 - ):鈴木正人、和久津一成、光野道夫、時宗大、北村要、篠原一成、石田英史、本多修司、菊川正、小澤俊一、鈴木智、小松伸一、白石一幸、矢島英敏、清水勇、藤井勝之、佐々木裕哉、松村匠、加賀義則、佐々木俊、太田一矢、李闘士男(第3期)、神原孝、濱田俊也、河津潔、澤田親宏、神尾昌宏(コント「太陽にほえるな!」のメンバーの一部)
- ディレクター→演出(1989年4月 - 第2期まで)→アシスタントプロデューサー→ディレクター・プロデューサー:石井正幸(フジテレビ)
- 制作デスク:関根弘之
- アシスタントプロデューサー:尾崎充(第3期)
- 演出→兼プロデューサー(1989年4月 - ):港浩一(フジテレビ)
- プロデューサー:増田晴男(フジテレビ、1988年10月 - 1989年4月)
- プロデューサー→ゼネラルプロデューサー:石田弘(フジテレビ)
- 演出協力:ウイルスプロダクション
- 技術協力:ニユーテレス
- 制作協力:オフィスAtoZ(1986年11月 - 1994年3月)、アライバル(1994年10月 - 1997年3月)
- 制作:フジテレビ第二制作部
- 制作著作:フジテレビ
- 一部のスタッフについては野猿も参照。
テーマソング
オープニング
- 曲名不詳1(第1期) 1988年10月13日~1989年6月15日
-
- 作曲:後藤次利
- 基本的にインストゥルメンタルだが「ゲロゲロ~」など石橋と木梨の台詞が随所に挟まれている。
- ロゴが巨大な足に踏まれて潰れるなど、「空飛ぶモンティ・パイソン」をパロディしたシーンが多い。
- 曲名不詳2(第1期) 1989年6月22日~1990年4月5日
-
- 作曲:後藤次利
- ほぼ全編クレイアニメで、不思議な生物が住むジャングルから、神殿のような建物に進む。本編のダイジェストを見ていた二匹の怪物が、巨大な龍に丸呑みされる。
「PITCH&JAB」(第2期) 1990年10月11日~
- 作曲:後藤次利
- 石橋と木梨の二人が、様々な色のペンキを使い、白い壁などを自由に塗っていく。
- 「ガラガラヘビがやってくる」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 歌詞にも登場するガラガラヘビと二匹のヒヨコが、「トムとジェリー」のような攻防を繰り広げる。
- 本編ダイジェストを除き、とんねるずの二人が出演していない。
- 「がじゃいも」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 歌詞の世界観を忠実にクレイアニメで再現している。
- こちらも、とんねるずの二人は出演していない。
- 「フッフッフッってするんです」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- とんねるずが「ピンポンパン」のお兄さん風に扮したPVが使用された。
- このOPからロゴが変更され、「。」が省略される。
- 「ガニ」(第3期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- アメコミ風の石橋と木梨が対決するアニメーション。
- このOPからロゴが筆文字風に変更。
- 当OPの途中からタイトルバックと提供シーンのみに簡略化される。
- 第3期開始当初は白黒アニメーションだったが、途中でカラーアニメーションに変更される。
- 「うなちん」(第3期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- コンサート会場で様々な楽器演奏、コーラス含めてとんねるずが担当し歌う一方で、格闘ゲーム風の映像も挿入される。
- シングルとしてリリース予定も諸事情で中止になった。また前述の「ガニ」のOP期間よりも早く変更から僅か3ヵ月ほどで省略OPへ変更となっている。
エンディング
- 「星降る夜にセレナーデ」(第1期) 1988年10月13日~1989年9月28日
- 「あした元気になーれ」(第1期)1989年10月5日~1990年4月5日
-
- 作詞:松井五郎 / 作曲:玉置浩二 / 編曲:武部聡志 / 歌:とんねるず
- 「星降る夜にセレナーデ」と同様に歌唱時以外の番組で使用された音源はCD音源と違うものが使用されていた。
- 「こんな男でよかったら」(第2期) 1990年10月11日~
- 「情けねえ」(第2期) 1991年5月2日~
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- EDテーマは基本的に2時間SPなどの特番放送時のみで歌唱していたが、この曲からはシングル曲と言うこともあってかレギュラー放送時にも歌唱する機会が増える。
- 2018年3月22日放送のとんねるずのみなさんのおかげでしたの最終回EDで歌詞を変えてフルコーラスで歌われた。
- こちらの曲も番組で使用された音源はCD音源とは異なるものが使用されたが、途中でCD音源に変更された。
- 「はっぴぃ ばあすでぃ」(第2期)
-
- 歌:とんねるず
- ミニアルバム3歳からのとんねるず発売に際しての使用。この後すぐに後述の曲がリリースされた為、使用期間は歴代でも一番短い。
- 「セブンスコードを天国にくれ」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- アルバムがむしゃら発売に際しての使用。
- 「一番偉い人へ」(第2期)
- 「俺がいる」(第2期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「おまえ百までわしゃ九十九まで」(第3期)
-
- 作詞:秋元康 / 作編曲:後藤次利 / 歌:とんねるず
- 「テレビ~時々の神よ~」(第3期)
DVD
- とんねるずのみなさんのおかげでBOX【鑑賞用】&【保存用】(2018年3月21日発売、ポニーキャニオン)
脚注
- ↑ 2018年3月1日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』にゲスト出演した石橋が正式に『みなおか』とは呼ばないと否定していた。
- ↑ 2.0 2.1 ミッツ・マングローブ「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」 AERA dot. 2017年10月15日
- ↑ 石橋貴明が身の危険を感じたフジ番組の収録を明かす 木梨憲武は死を覚悟ライブドアニュース
- ↑ この日は、フジテレビ以外の民放在京キー局では同日発生した湾岸戦争の報道特別番組を放送していた。
- ↑ 『みなさん』初代演出・港浩一氏、30年続いた理由はとんねるずの"愛情" マイナビニュース
- ↑ フジ・石田弘EP、大いに語る -『とんねるずのみなさんのおかげ』30年続いてきた"悪ふざけ" マイナビニュース
- ↑ 次回も「バミューダ」の名前で出場した石橋が、正誤判定の厳格さに腹を立て退場しようとしたが、結局木梨らに説得され未遂に終わった。退場しようとした時に木梨が「ほっといたらいいんです!どうせ人形になるんですから!」と相槌の突っ込みを入れている。
- ↑ 「石橋さん(とんねるず)らを提訴 「番組の中で性差別発言」共演女優」『読売新聞』1992年11月5日朝刊。
- ↑ 「とんねるずのおかげでセクハラ フジテレビ出演の女性 石橋さんらを訴え」『中日新聞』1992年11月5日朝刊。
- ↑ 「TVセクハラ取り下げ」『中日新聞』1992年12月9日朝刊。
- ↑ レインボー・アクションは、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年SP」の放送内容に関し、断固抗議いたします。 特定非営利活動法人レインボー・アクション
- ↑ 2017年9月28日放送 フジテレビ系列「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」の番組内容に関する抗議文 (PDF) 「なくそう!SOGIハラ」実行委員会
- ↑ フジテレビ番組の同性愛キャラクター LGBT団体が抗議 NHKニュース2017年9月29日
- ↑ とんねるず「保毛尾田」フジには賛否両論 不快に思った人には「謝罪を」 とんねるず「保毛尾田」フジには賛否両論 不快に思った人には「謝罪を」gooニュース
- ↑ “『みなさんのおかげでした』来年3月終了 - 放送1300回超と30年の歴史”. マイナビニュース. (2017年12月7日) . 2018閲覧.
- ↑ 開始当初から1995年の春改編までは平日の夕方(金曜日16:00-16:55が多かった)に放送されていたが、翌月の『出会いふれあい生テレビ』開始に伴い末期まで火曜日深夜0:45-1:40で放送されていた。
- ↑ 開始後1年ほどでネットを開始したことから、放送の遅れを埋める為に、夏休み・冬休み期間中の平日夕方に集中放送を行っていた時期がある。
- ↑ 実質には、1991年3月のサービス放送時から。
- ↑ 『山形新聞平成5年3月号』「山形新聞」(山形新聞社)、646頁(1993年(平成5年)3月25日、朝刊18面)。
- ↑ 1993年3月31日までは、フジテレビ(FNS)系列。4月1日からは、テレビ朝日系列局に移行。
- ↑ テレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い打ち切り。ネットチェンジ後は、『木曜ドラマ』に移行。さくらんぼテレビの開局前のサービス放送開始(後述)まで、4年余り放送中断。
- ↑ 『山形新聞平成9年3月号』「山形新聞」(山形新聞社)、550・746頁(1997年(平成9年)3月20日朝刊22面、3月20日朝刊24面)。
- ↑ 1993年9月までは日曜10:00からの遅れネット(この為、毎年8月最終週は24時間テレビを放送するため休止していた。なお1989年1月8日放送分も、日本テレビの昭和天皇崩御ならびに今上天皇即位の特別番組が放送されたため休止している。)で、1993年10月から同時ネット(テレビ大分での同時ネット化に伴い、フジテレビ系列加盟全局での同時ネットを達成した。なお本番組の同時ネット化と同時期に、当時とんねるずのレギュラー番組だった『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系列)も同時ネットでレギュラー放送を開始(それ以前までは不定期放送だった。)し、これにより水曜・木曜と21時台にとんねるずのレギュラー番組を2日連続で視聴することができた。)。
関連項目
フジテレビ系列 木曜21:00 - 21:54枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
とんねるずの
みなさんのおかげです (第1期) |
||
ウッチャンナンチャンの
誰かがやらねば! |
とんねるずの
みなさんのおかげです (第2期) |
|
ラスタとんねるず'94
|
とんねるずの
みなさんのおかげです (第3期) |
関連項目 |
---|
テンプレート:とんねるずのみなさんのおかげです
テンプレート:とんねるず テンプレート:渡辺満里奈 テンプレート:チェッカーズ テンプレート:荻野目洋子 テンプレート:観月ありさ テンプレート:THE ALFEE |