臥牙丸勝
臥牙丸 勝(ががまる まさる、1987年2月23日 - 、本名「ジュゲリ・ティムラズ」 、ジョージア語:თეიმურაზ ჯუღელი、ラテン文字転写:Teimuraz Jugheli)は、ジョージア(旧呼称グルジア)の首都トビリシ市出身で、木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。愛称は「ガガ」、赤鬼。趣味はDVD観賞。身長186cm、体重212kg。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]。
Contents
来歴
1992年に行われたバルセロナオリンピックにおいて柔道95kg超級で金メダルを獲得したダヴィド・ハハレイシヴィリに師事し、相撲でも2005年7月に行われた世界ジュニア相撲選手権大会で無差別級3位という成績を挙げている。入門前は大相撲を「厳し過ぎる世界」と認識していたが、師匠の木瀬親方(元前頭・肥後ノ海)から「稽古も私生活も自主性に任せる」とおおらかな姿勢で迎えてもらったことを理由に木瀬部屋に入門し、本人の「ガガ」というニックネームに木瀬親方が好む「臥」「牙」の字を当てて、武蔵丸のように成功してほしいという意味を込めて付けられた「臥牙丸」という四股名を名乗り、2005年11月場所に初土俵を踏んだ。翌2006年1月場所に7戦全勝で序ノ口優勝を果たし、同年11月場所において幕下へ昇進した。
幕下へ昇進した2006年11月場所では6勝1敗の好成績を挙げたものの、2007年に入ってからは幕下中位から下位に留まり、同年11月場所では一旦三段目に番付を下げた。その11月場所では6勝1敗の好成績を挙げて、翌2008年1月場所において1場所で幕下へ復帰したが、2008年に入っても幕下中位から下位に留まっていた。しかし、同年11月場所と続く2009年1月場所で連続して6勝1敗の好成績を挙げて、一気に自己最高位となる東幕下3枚目の位置まで番付を上げた。東幕下10枚目の位置で迎えた同年9月場所では7戦全勝で優勝決定戦へ進出し、優勝決定戦でも魁聖を破って初の幕下優勝を果たした。幕下上位15枚目以内での7戦全勝優勝ということで内規により翌11月場所において新十両へ昇進した。
新十両となった2009年11月場所では8勝7敗と勝ち越しを決め、翌2010年1月場所は東十両13枚目の位置で12勝3敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たした。続く3月場所でも東十両3枚目の位置で8勝7敗と勝ち越し、2010年5月場所では西十両筆頭の位置で10勝5敗の好成績を挙げて、翌7月場所において新入幕を果たした。その7月場所では5勝10敗と大敗したが、翌9月場所では10勝5敗の好成績を挙げた。
2011年の大相撲八百長問題では、特別認定調査委員会の調査において八百長に関与した力士として名前が挙がったものの[2]、その後八百長に関与していないと認められた[3]。
2011年9月場所では初日に敗れたものの2日目から10連勝して一時は優勝争いに加わった。その後は3連敗して優勝は逃したものの、11日目には初対戦で大関の把瑠都を破り、最終的には11勝4敗の好成績を挙げて、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。西前頭3枚目の位置まで番付を上げた翌11月場所では2勝13敗と大敗したが、翌2012年1月場所では西前頭10枚目の位置で12勝3敗の好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞した。翌3月場所で新三役となる自己最高位の東小結へ昇進したが、199kgに留めていた体重が210kgにまで増加し、ばったりと前に倒れる相撲が多くなり、結果的には6勝9敗の負け越しに終わった。この3月場所後に木瀬部屋が再興されたため、それに伴い臥牙丸は北の湖部屋から木瀬部屋へと再び転籍したが、臥牙丸は北の湖部屋で過ごした間に兄弟子らに親切にしてもらったために複雑な心境であったと語っている。木瀬部屋へ戻って初の場所となった同年5月場所では西前頭2枚目の位置で5勝10敗と大敗したものの、続く7月場所では10勝5敗という好成績を挙げた。翌9月場所における場所前体重測定では自己最高体重を更新する212kgを記録し、「この目方は人としてどうかと思う。日本食がおいしいのがいけないんです」と語った[4]。その9月場所では出足の勢いに精彩を欠いて、西前頭2枚目の位置で4勝11敗と大敗した。2013年9月場所は東前頭9枚目の地位で6勝9敗の負け越しを喫し、翌11月場所はやや運悪く4枚半下降となる西前頭13枚目まで番付を落とした。この11月場所と翌2014年1月場所は8勝7敗の勝ち越しで終え、西前頭9枚目の地位で土俵に上がった翌3月場所を6勝9敗で終えると続く5月場所は辛くも4枚半下降となる東前頭14枚目まで番付を落とした。2014年7月場所は西前頭15枚目の地位で5勝10敗を喫し、これにより新入幕以降24場所連続で務め上げた幕内の座を離れることとなった。一時は冗談交じりに『引退』の二文字を口にするようになったものの、大好きなラーメンや酒を控え、稽古を真面目に行うようになったことで復調。[5]同年11月場所は西十両5枚目まで地位を落とし、この場所を8勝7敗で場所を終えて5場所ぶりの勝ち越しを果たす。2015年1月場所では9日目に勝ち越しを確定させるなど絶好調であり、この場所はかつて同部屋であった北太樹が13勝2敗での十両優勝を飾った中でそれに次ぐ11勝4敗の好成績を残した。しかしこの場所は幕内の中でも下から3番目の地位であったため、千秋楽の取組の前に三賞無しが確定していた。
2015年5月場所では前頭6枚目で横綱との対戦は無いと思われたが、日馬富士と同部屋力士の上位での人数や休場力士数の関係により10日目に横綱の日馬富士との対戦を迎えた。最初の立合いが不成立、そして2回目の立合いで日馬富士を突き押して一気にそのまま押し出し。この場所で初金星を獲得した。[5]師匠の木瀬から「右を開くな。そうすれば、お前も勝てるかもしれない」と助言された通りに取って金星を得た格好となった。前日には仲のいい玉鷲が同じく日馬富士から初金星を挙げており、臥牙丸も「相撲のサイトを見ていたら、玉鷲もある。栃ノ心も…。俺も欲しいなと思っていた」と動機付けについて明かした。[6]この場所は13日目に負け越しが決まったものの、14日目と千秋楽は連勝で終えた。2015年7月場所から2016年5月場所までは2015年11月場所以外は全て負け越し、2016年7月場所はついに2度目の十両陥落となった。この場所では215kgあった体重を193kgまで減らしたことが層を奏したのか、8勝7敗の勝ち越し。[7]一場所で再入幕を果たしたが、9月場所は5勝10敗と二桁の黒星。東前頭12枚目の地位での10敗と、十両再陥落も覚悟されたが、11月場所は東前頭16枚目の地位に留まり、8勝7敗と踏みとどまった。
2017年1月場所は東前頭13枚目の地位で5勝10敗。4場所ぶりに十両降格となった3月場所は東十両2枚目の地位で迎えたが、13日目に負け越しが確定、そこから2連勝で7勝8敗に収めたが、1場所での再入幕とはならなかった。5月場所は東十両3枚目の地位で9勝を挙げ、続く7月場所で再入幕を果たした。幕尻の東前頭16枚目で迎えた7月場所は初日から3連敗、10日目から6連敗を喫するなど3勝12敗と精細を欠いた。一気に西十両7枚目に番付を下げて臨んだ9月場所も5勝10敗と二桁の負け越しに終わった。11月場所は東十両12枚目と幕下陥落のピンチとなったため、番付発表前の10月15日の秋巡業京都場所では明生、竜電、琴恵光、矢後を相手に申し合いを行い、5連勝を含める8勝3敗。臥牙丸は「もう後がない。九州場所で頑張らないと幕下に落ちてしまう。しっかり稽古します」と九州場所での活躍を誓っていた[8]。その甲斐もあってか、11月場所では出足のスピードと諸手突きの威力が戻り、10勝5敗とおよそ2年半ぶりの二桁勝利を決めた。2018年7月場所は西十両9枚目の地位で7勝8敗。次の9月場所は前場所より2枚半下降の東十両12枚目。7勝8敗での2枚半下降は稀にしか起こらない不運な番付編成である。翌9月場所では十両十二枚目で6勝止まりとなり、53場所勤めた関取の座を手放すことになる見通し。幕下陥落に至るまでの不調の背景として後述のように母親が死去しており、これに関して臥牙丸は「お母さんとはSkypeで毎日、話していたけど、もう使わなくなった」と語っていた[9]。
取り口
臥牙丸は200キロ超える巨体を生かした突き押しが最大の武器で、立合いの出足が鋭く一気に相手を持っていくこともあった。しかし上体に肉が集まったバランスの悪い体型であるため、引きや叩きに脆く負ける時はしばしば腹から落ちることがある。2014年3月場所前の座談会では元小結・和歌乃山から「前に落ちるってことは、体重が多すぎるってことじゃない?」「稽古が足りないな(笑)」と一蹴され、尾崎勇気からも「自分の体重を活かしきれてないってことですよね。武蔵丸さんは臥牙丸よりも体重があったけど、俊敏さがありましたよね」と厳しく言われている[10]。以前は200キロを超える力士とは思えないほど腰が軽く、廻しを取られると簡単に体が浮いて投げられてしまったが、2014年頃から四つになってもそれなりに相撲を取れる。2015年頃から太り過ぎからか加齢からか立合いの出足が鈍くなり、手を付いて起き上がるだけの立ち方が目立つようになった。縦ミツは緩く、北の富士からも苦言を呈されるほどである。
エピソード
相撲関連
- 玉鷲を苦手としており、これまでの対戦成績は2勝14敗と大きく差をつけられている。2013年11月場所10日目に対戦した際には、物言いの末に取り直しとなり、取り直しの一番では寄り切られて敗れてしまい、支度部屋で風呂から上がった後のインタビューで臥牙丸は顔を真っ赤にして涙を流しながら「勝ちたかった。マジで。なんで玉鷲はオレだけに強いの。(取り直し後の一番では)絶対に押し出してやろうと思ったけど。これ以上、どう相撲取ればいいか分からない」と嘆いた[11]。但し、普段は玉鷲との仲は良い。[6]
- かつては、臥牙丸がお気に入りのチョコレート色の派手な廻しを締めていたが、2014年現在は黒色の廻しを締めている。
- 2014年3月場所、正確に言えば同年2月の花相撲から横綱白鵬の土俵入りに協力している。本来は横綱と同じ部屋ないしは同じ一門の力士が務める慣例があり、一門が違う力士(白鵬は伊勢ヶ濱一門、臥牙丸は出羽海一門)が務めるのは極めて異例のことであるが、諸事情があり白鵬の太刀持ち・露払い共に交代せざるを得なくなってしまい、伊勢ヶ濱一門に適任者がいなくなってしまったところに自ら志願したようである[12]。現在も、白鵬の太刀持ちや露払いが何らかの事情で務められなくなると、代打を任されることがある。ちなみに、同郷の先輩の黒海も現役時代は白鵬の露払いを務めていた。
食生活
- ラーメンが大好きで、その中でも臥牙丸は師匠の木瀬親方の出身地である熊本県の熊本ラーメンが大好きと語っている。2013年11月場所におけるNHK総合・大相撲中継では北の富士勝昭・舞の海秀平・藤井康生の3人が「場所入り後に熊本ラーメンを12杯も食べた」[13]と具体的に証言していた。ちなみに臥牙丸の初土俵は九州場所であり、当時は熊本に九州場所用の宿舎があったため、現在でも九州場所前には宿舎の元貸主のいる熊本へ挨拶に出掛け、お気に入りの豚骨ラーメンを食べるのが恒例となっている。[14]
- 2016年2月10日、臥牙丸はなぜか自身の誕生日である2月23日より13日も早く届けられた誕生日プレゼントをツイッターに公開した。スナック菓子のうまい棒と、臥牙丸の大好物とされるインスタントの熊本ラーメンなどで作られたタワーであった。身長187cmの臥牙丸とほぼ同じ高さで、臥牙丸の故郷・ジョージアと日本の国旗が飾られていた。臥牙丸の好物にちなんだエピソードである。[15]
- アイスクリームも大好きであり、三段目や幕下の頃は1日に2~3kg食べていた。その頃は体重が140kg前後だったが、アイスクリームを大量に食べだしてから太りだした。臥牙丸の話によると、「昔はアイスを2~3kg? ああ、食べてましたね。今でもアイスは食べますよ。大好きなんです。一番好きな商品? 『ピノ』ですね」とのこと。現在は『ピノ』を1日5.6箱食べる程度に減らしている[16]。
- 和食では納豆が大好物。「素晴らしくおいしい。つい、ご飯を食べ過ぎちゃって」というほど好んでおり、朝稽古の後のちゃんこでは毎日食べているという[4]。
- 一方で好き嫌いも多いようであり、北の湖部屋在籍時代にはちゃんこの時間になる度に自分の口に合うものがどこにあるか懸命に探していたという。[17]。
故郷・家族
- 2006年10月に警察官だった父親を交通事故で失い、ワイン用のぶどう園を営む母親もその時の後遺症により内臓の持病を抱え、臥牙丸が新三役に昇進した時期には毎週4日ほど人工透析を受けるために通院していた。[18]母親は健康状態が悪く渡航も困難であったが、将来的には母を日本の病院に入れたいと語っていた。
- 2009年5月末に緊迫する対ロシア情勢の中で徴兵検査を受け、1ヶ月ほどの軍事訓練を受けるために帰国し、同年7月に再入国した(黒海・栃ノ心も同様)[21]。
- 四股名は「ガガ」という臥牙丸自身の幼少時からのニックネームから付けられたものだが(出生時に母親がガガと命名しようとしたがジュゲリと名付けられ、その後はずっと「ガガ」と呼ばれていた)、レディー・ガガが有名になって以降、臥牙丸は「(レディー・)ガガから臥牙丸って付けたって言われる」と困惑している。ただ、臥牙丸はレディー・ガガの曲は好きだという。
その他
- 2011年1月14日、臥牙丸は墨田区内のインド料理店で食事中に黒海と口論になり、店の厨房と客席を仕切るガラス扉を割った上に天井に穴を開けていた[22]ことが判明し[23]、その際、店長からの警察への通報により器物破損罪容疑で警視庁本所警察署から事情聴取を受けたということが同年1月24日に明らかになった[24]。黒海は「親類を亡くして落ち込んでいた臥牙丸を励ましていたが、立ち上がった際にガラスが手に当たった」と説明している[25]。黒海の師匠である追手風親方(元幕内・大翔山)は騒動から5日経過した同年1月19日に放駒理事長(元大関・魁傑)に事件について報告し、同年1月24日に黒海・臥牙丸の両者と監督責任として追手風親方が放駒理事長から厳重注意を受けた[25]。放駒理事長は「喧嘩したとは聞いていない。ただ、(本場所中の)そんな時間まで顔が合う(取組が組まれる)力士(同士)が飲んでいたのは問題だ」と本場所中の騒動であったことを問題視し、放駒理事長は同年2月1日に開かれた力士会において両者に対して注意を行った[25]。店側とは既に示談が成立している。
- 2015年8月27日、東京・丸の内のJPタワー内にある商業施設「KITTE」で、同月29日に開かれる大相撲夏巡業「KITTE場所」に向けて豊ノ島と共にトークショーを行った際には「寝ることが一番幸せ」と出無精ぶりをアピール。また「昔は把瑠都関と、最近は大砂嵐と間違えられる」と悩みを告白した。[26]
略歴
- 2005年11月場所 - 初土俵
- 2006年1月場所 - 序ノ口(7戦全勝優勝)
- 2006年3月場所 - 序二段
- 2006年5月場所 - 三段目
- 2006年11月場所 - 幕下
- 2009年9月場所 - 幕下優勝(7戦全勝)
- 2009年11月場所 - 十両
- 2010年1月場所 - 十両優勝(12勝3敗)
- 2010年7月場所 - 新入幕
- 2011年9月場所 - 敢闘賞(初、11勝4敗)
- 2012年1月場所 - 敢闘賞(2度目、12勝3敗)
- 2012年3月場所 - 新三役
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:476勝480敗(72場所)
- 幕内成績:242勝298敗(36場所)
- 十両成績:134勝121敗(17場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2010年1月場所)
- 幕下優勝:1回(2009年9月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2006年1月場所)
三賞・金星
- 敢闘賞:2回(2011年9月場所、2012年1月場所)
- 金星:1個
- 日馬富士1個(2015年5月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
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2005年 (平成17年) |
x | x | x | x | x | (前相撲) |
2006年 (平成18年) |
西序ノ口34枚目 優勝 7–0 |
東序二段28枚目 6–1 |
西三段目64枚目 4–3 |
西三段目45枚目 5–2 |
西三段目16枚目 5–2 |
西幕下55枚目 6–1 |
2007年 (平成19年) |
西幕下24枚目 3–4 |
東幕下35枚目 3–4 |
西幕下46枚目 4–3 |
東幕下39枚目 3–4 |
東幕下48枚目 2–5 |
西三段目12枚目 6–1 |
2008年 (平成20年) |
西幕下35枚目 4–3 |
西幕下27枚目 3–4 |
東幕下35枚目 2–5 |
西幕下54枚目 4–3 |
西幕下43枚目 4–3 |
西幕下32枚目 6–1 |
2009年 (平成21年) |
東幕下13枚目 6–1 |
東幕下3枚目 3–4 |
西幕下6枚目 4–3 |
西幕下5枚目 3–4 |
東幕下10枚目 優勝 7–0 |
東十両14枚目 8–7 |
2010年 (平成22年) | 東十両13枚目 優勝 12–3 | 東十両3枚目 8–7 | 西十両筆頭 10–5 | 東前頭12枚目 5–10 | 東前頭15枚目 10–5 | 東前頭10枚目 9–6 |
2011年 (平成23年) | 西前頭6枚目 5–10 |
八百長問題 により中止 | 東前頭14枚目 8–7 | 西前頭7枚目 5–10 | 西前頭11枚目 11–4 敢 | 西前頭3枚目 2–13 |
2012年 (平成24年) |
西前頭10枚目 12–3 敢 |
東小結 6–9 |
西前頭2枚目 5–10 |
東前頭7枚目 10–5 |
西前頭2枚目 4–11 |
東前頭7枚目 8–7 |
2013年 (平成25年) |
東前頭4枚目 6–9 |
東前頭6枚目 5–10 |
西前頭11枚目 11–4 |
西前頭2枚目 3–12 |
東前頭9枚目 6–9 |
西前頭13枚目 8–7 |
2014年 (平成26年) |
東前頭12枚目 8–7 |
西前頭9枚目 6–9 |
東前頭14枚目 7–8 |
西前頭15枚目 5–10 |
西十両3枚目 5–10 |
西十両5枚目 8–7 |
2015年 (平成27年) |
西十両2枚目 11–4 |
西前頭15枚目 11–4 |
東前頭6枚目 7–8 ★ |
西前頭6枚目 6–9 |
東前頭9枚目 6–9 |
東前頭11枚目 8–7 |
2016年 (平成28年) |
西前頭9枚目 7–8 |
東前頭10枚目 5–10 |
東前頭15枚目 6–9 |
東十両筆頭 8–7 |
東前頭12枚目 5–10 |
東前頭16枚目 8–7 |
2017年 (平成29年) |
東前頭13枚目 5–10 |
東十両2枚目 7–8 |
東十両3枚目 9–6 |
東前頭16枚目 3–12 |
西十両7枚目 5–10 |
東十両12枚目 10–5 |
2018年 (平成30年) |
西十両5枚目 8–7 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 4–11 |
西十両9枚目 7–8 |
東十両12枚目 6–9 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 臥牙丸 太郎(ががまる たろう)2005年11月場所 - 2008年5月場所
- 臥牙丸 勝(- まさる)2008年7月場所 -
脚注
- ↑ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
- ↑ 八百長問題:30人超関与の可能性 1日最終報告難しく 毎日jp 2011年4月1日
- ↑ 蒼国来と星風は継続して調査 臥牙丸はシロ 2011年4月2日
- ↑ 4.0 4.1 臥牙丸「納豆、素晴らしくおいしい」 デジタル朝日新聞 2012年9月7日
- ↑ 5.0 5.1 臥牙丸、母に捧げる初金星 朝日新聞DIGITAL 2015年5月19日20時35分
- ↑ 6.0 6.1 臥牙丸「神様ありがとう」玉鷲に続いた初金星 日刊スポーツ 2015年5月19日
- ↑ 増量目指す宇良とは逆に20キロダイエットの力士は? 日刊スポーツ 2016年7月18日10時11分 紙面から
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p111
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.65
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号67ページ
- ↑ 臥牙丸悔し涙「なんで玉鷲は…」/九州場所 日刊スポーツ 2013年11月19日
- ↑ 理事選原因で白鵬相棒変更 日刊スポーツ 2014年2月10日
- ↑ この場所で同じく幕内を務めていた常幸龍は12敗の大敗を喫しており、「熊本ラーメン12杯」が「12敗」を連想させた形となった。
- ↑ 『相撲』2013年11月号57ページ
- ↑ 臥牙丸に笑撃の誕生プレゼント Daily Sports Online 2016年2月10日
- ↑ 臥牙丸「アイス1日3キロ」どか食い 東スポWeb 2011年9月25日
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号69頁
- ↑ 新小結臥牙丸、グルジアの母が電話で祝福 nikkansports.com 2012年2月27日12時23分
- ↑ 『相撲』2018年10月号 p.127
- ↑ 『相撲』2018年9月号 p25
- ↑ グルジア3力士が兵役…ぶっつけで本場所 日刊スポーツ 2009年7月1日閲覧
- ↑ 東京・墨田区のインド料理店で外国人力士2人がけんか 店の備品破損 FNNニュース 2011年1月24日
- ↑ 器物損壊:黒海関と臥牙丸関、酔ってけんか 店の備品壊す毎日新聞 2011年1月24日
- ↑ 初場所中に黒海関と臥牙丸関が大げんか 飲食店で口論、ガラス破壊MSN産経ニュース 2011年1月24日閲覧
- ↑ 25.0 25.1 25.2 黒海と臥牙丸を厳重注意=場所中の騒ぎ問題視-相撲協会 時事ドットコム 2011年1月24日
- ↑ 臥牙丸が悩み告白「最近、大砂嵐と間違えられる」 日刊スポーツ 2015年8月28日8時39分 紙面から
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
| ||||
逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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