東京スポーツ
東京スポーツ(とうきょうスポーツ)は、東京スポーツ新聞社が発行する日本の夕刊スポーツ新聞。略称は「東スポ」。休日は原則休刊[1]。GWは5月2日〜4日頃に、年末年始は12月28日頃に250円〜300円のGW特大号並びに新春特大号(お正月特別号)がそれぞれ発売され、以後GW並びに正月三が日が過ぎるまで休刊[2][3]。「飛ばしの東スポ」の異名を取る。
なお、名前が類似している新聞である東京中日スポーツは中日新聞社の東京本社が発行しているもので、東スポとはまったく関係ない。
Contents
概要
日付欄は「平成○○年(20○○年)」のように元号(西暦)と表記している。 「マドンナ痔だった」、「落合家チンポ丸出し放送」、「聖子輪姦」、「人面魚重体」、「大仁田爆死」、「フセインインキン大作戦」、「ダイアナ大胆乳」、「阪神次期監督上岡龍太郎」、「宇宙人化石発掘」、「ネッシー出産」、「電線に止まったUFO」、「SMAP解散」、「前田敦子ヌード」「今井絵理子議員ノーパン疑惑」など、1面の奇抜な見出しが特徴。これらの見出しの下には小さく「?」「か」「も」「説」「絶叫」などの語句・記号が書かれ濁されていることが多いが、それらは新聞スタンドに陳列されている状態や折りたたんである状態では見えないように紙面のレイアウトが計算されている。
創刊当時からプロレスを大きく扱い、他に競馬・風俗関係の記事に強い。1980年代半ばまで、赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られた。ただし長年女子プロレスは扱わず、1面に来るのはたいてい男子プロレスの記事であった。もっとも、東京スポーツ制定のプロレス大賞に1995年より「女子プロレス大賞」が新設されるなど変化が見られる。そのため新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体だった時代には「プロレスのテレビ中継は東スポが独占しろ」の社命のもと、キャップの桜井康雄がテレビ朝日『ワールドプロレスリング』、デスクの山田隆が日本テレビ『全日本プロレス中継』、記者の門馬忠雄が東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』の解説をそれぞれ担当していた[4]。
東京スポーツにおいてプロレス記事が多い理由は、夕刊紙であるが故に、野球などの記事での試合速報は他社と勝負にならない[2][5]ことと、プロレスは、八百長疑惑もあり、他のほとんどの新聞が扱わなかったためであった。その後「紫色のにくい奴」[6]「リングを染める鮮血の赤から、王者の風格のパープルへ」をキャッチフレーズに、青紫の見出しの紙面に刷新。
1986年、元横綱の輪島大士が全日本プロレス入りすると同時に、他のスポーツ紙もそろってプロレス報道をするようになり、その優位性は低下した[7]。 1988年、全日本プロレスや新日本プロレスがゴールデンタイムに放送されなくなり、プロレスがマイナー化すると、芸能ゴシップなどが1面に掲載されることが多くなる。1991年4月、ビートたけしが客員編集長に就いてからは、浅草キッドから「日付以外は全て誤報」[8]と言われるほど娯楽性を重視しており、「“ガセ”の東スポ」という異名も持つ。TBS『アッコにおまかせ!』では「“エキサイト新聞”東スポ」と称される。
2000年代あたりからは、日本人スポーツ選手の海外進出が本格化したため、時差の関係から、日本のスポーツ紙の中で最も早く国外スポーツの試合結果を伝えられるケースが多いという特性を生かし、野球のメジャーリーグ・ゴルフのPGAツアー・欧州各国のサッカーリーグなど欧米のスポーツに関する記事に力を入れるようになっており、娯楽性の強いゴシップ記事は減少傾向にある。
競馬に関しては、中央競馬の全レース(最大36レース)の馬柱が掲載されている。中央競馬開催前日付けの競馬面において、競馬新聞と同じ品質の紙を使用する。月曜や祝日の翌日に開催される場合、通常は夕刊フジ・日刊ゲンダイと共に休刊する日曜・祝日にも発行する(値段は変わらず)。地方競馬やそれ以外の公営競技についても、ナイター競走中心に予想を掲載することがある。
かつては東京都中央区築地の日刊スポーツ本社工場で印刷されていたが、1988年6月以降は東京都江東区越中島の東日印刷[9]本社ビル内に本社・編集局を構え、印刷も東日印刷が行っている。北海道発売分に関しては、2009年6月29日から、北海道北広島市の毎日新聞北海道センターでの現地印刷へ切り替えられたものの、2017年12月28日分をもって北海道における現地印刷や販売は終了した。
テレビ欄は社会面の下に掲載している。在京テレビ局の番組表のみ掲載されており、他の東スポ管轄エリアのテレビ局の番組表は掲載されていない(いずれも東スポの場合)。かつては別々に掲載していた。
記事の信憑性
飛ばし
- 1969年1月、グレート東郷の日本再進出に際し、日本プロレスがNETテレビ(現:テレビ朝日)が計画していた東郷が設立する予定のプロレス新団体の放送を阻止するよう東スポに飛ばし記事を掲載するよう依頼した。その後東スポは「ルー・テーズが極秘来日」(実際には1969年は一度も来日せず)などの飛ばし記事を掲載するなど日プロの工作に加担して東郷の計画を阻止し、NETテレビは同年7月に日本プロレス中継番組である『NETワールドプロレスリング』の放送を開始した[10]。
- 2002年10月、「岩手県遠野市で河童が発見された」と写真付きで報道。のちに日本テレビの『電波少年に毛が生えた』の企画でタレントが扮装していたものと判明した。これが引き金となり、同番組は2003年1月で打ち切られた。
- 2007年5月、「一部で噂となっていた辻希美と杉浦太陽の交際が破局した」という記事を載せたが、その数日後に両者のできちゃった結婚が発覚した。
- 2007年度の『東京スポーツ映画大賞』内の「ビートたけしのエンターテインメント賞・話題賞」をダウンタウンの松本人志が受賞した折、同イベントに出席した松本は、「以前、(東スポの記事で)『松本、吉本解雇!』って書かれてたんですけどね…」と、過去の飛ばし記事をネタにし、聴衆の笑いを誘っていた。
裁判
- ロス疑惑で注目された三浦和義から、「三浦和義差し入れ品横流しで特別待遇」という見出しで、三浦が拘置所で差入れの菓子を看守にばれないように他の収容者に与えたという梨元勝文責の記事(1986年3月25日付)について、梨元とともに名誉毀損で300万円の慰謝料を求めて訴えられた際に、一審の東京地裁平成4年9月24日判決は、「被告梨元のリポート記事の類は、社会的事象を専ら読者の世俗的関心を引くようにおもしろおかしく書き立てるものであり、東京スポーツの本件記事欄もそのような記事を掲載するものであるとの世人の評価が定着しているものであって、読者は右欄の記事を真実であるかどうかなどには関心がなく、専ら通俗的な興味をそそる娯楽記事として一読しているのが衆人の認めるところである。そして、真摯な社会生活の営みによって得られる人の社会的評価は、このような新聞記事の類によってはいささかも揺らぐものでないことも、また経験則のよく教えるところである。したがって、このような評価の記事欄に前記のような内容の記事が掲載されたからといって、当時の原告が置かれていた状況を合わせ考慮すると、記事内容が真実であるかどうかを検討するまでもなく、原告の社会的地位、名誉を毀損し、あるいは低下させるようなものと認めることは到底できないものというべきである。もっとも、本件記事が名誉毀損にわたるものではないとしても、思わせぶりな前記見出しの掲げ方とともに、被告らにおもしろおかしく前記のような記事として取り上げられたこと自体が、原告にとって不快なものであろうことは推認できないではない。しかし、当時の原告の置かれた状況並びに世人から寄せられていた関心の高さと、その性質及びそのような関心を寄せられたとしてもやむを得ない状況にあったこと、右記事から既に六年以上が経過し、右記事自体の陳腐さが明らかであること等の諸事情に照らすと、右記事の掲載に損害賠償をもってするほどの違法があるものとも認められない」と判示して三浦の請求を棄却した。
しかし三浦が控訴し、二審の東京高裁平成5年8月31日判決は、「被控訴人梨元の執筆する芸能リポート記事が通俗的な興味をそそる娯楽性の高いものであること等の事情によつて右結論が左右されるとは考えられない」と、三浦の請求を認めて(慰謝料10万円)確定したため、結局は東京スポーツ側が敗訴した。この二審では、判決公判において裁判長が「報道機関が自ら『記事を信用する人間はいない』と主張することは、報道機関としての存在そのものを自ら否定していることに他ならない」と、出席した東スポ関係者に説教する一幕もあった[11]。 - 1990年9月、元地方競馬の騎手で当時は日本から離れシンガポール競馬で活躍していた道川満彦について、「現地で八百長行為に関与している」という記事を掲載。道川は「全くの事実無根である」として、東スポを相手取り名誉毀損による損害賠償を求め訴訟を起こし、1992年に勝訴して自身の潔白を証明した。しかし、この東スポの記事が主な原因となり、道川はイメージ悪化による騎乗機会の逸失など、その後のホースマンとしての人生が暗転してしまう程の大きなダメージを被った。
- 2005年に全日本プロレスがプロレスラーケンドー・カシンこと石澤常光に対し世界タッグ王座ベルト返還を求める民事訴訟を起こしたが、このとき全日本側は証拠品として東スポを提出。石澤は不定期の人生相談コーナーを持つなど東スポ誌面に数多く登場しており、石澤が問題のベルトを所持していること、全日本を中傷する言動を繰り返していること等の証拠とされた。しかし裁判長は東スポの記事について証拠能力を認定せず。訴訟自体も石澤がベルトを全日本側に着払いで送りつけ、やはり東スポ上で終結宣言を発したのを最後に、うやむやのうちに取り下げられた。
なお梨元勝によれば、自らが寄稿した新聞・雑誌記事の信憑性を巡る損害賠償請求訴訟で敗訴した場合には、「通常なら損害賠償の全額を(記事を掲載した)会社側が支払ってくれるが、東スポは好きなことを書かせてくれる代わりに折半で負担させられる」システムになっているという[12]。こういった点からも、記事の内容について、よく言えば執筆者の自主性を重んじている、悪く言えば面白半分の信憑性の乏しい記事でも執筆者任せで最低限のチェック機能しか置いておらず、刺激的な飛ばし記事を繰り出してでも販売部数を優先する、東スポのスタイルを窺い知ることができる。
スクープ
ゴシップ系記事や芸能人の動向などにまつわる記事でも稀に事実を記載することがある。また、それが大きなスクープであることも多いが、上述の様にスクープに見せかけた飛ばし記事が多い紙面体質ゆえ、「東スポの記事だから」と冷淡に扱われることが多く、そのスクープが東スポ独占状態の時点では世間を騒がせることは少ない。
- 1985年4月に、当時全日本プロレス所属で、メキシコで海外遠征を行っていた越中詩郎の全日本退団をスクープした。東スポには越中が全日本に対して提出した辞表が掲載され、全日本はこれを否定し続けたが、同年8月にアジア・プロレス所属の形で新日本プロレスへ移籍した。
- 1997年にいち早く宗教団体「摂理」(当時の名称はMS教団)の問題と危険性を報じた[13]。
- 2003年1月にひったくりの容疑で逮捕されたプロレスラー・剛竜馬が偽名でゲイビデオに出演していたことをスクープした。剛は「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」とゲイビデオに出演していた事実を認めた。
- 2003年秋、総合格闘家・キックボクサーのミルコ・クロコップが母国クロアチアの総選挙にクロアチア社会民主党から出馬することを日本でいち早く報道した。その際の1面見出しは「ミルコ・クロコップ社民党から出馬」。折りしもこの年の11月9日は日本国内では第43回衆議院議員総選挙の投開票日であった。
- 2008年5月12日の1面で、サザンオールスターズの無期限活動休止をスクープした。「サザン解散か」という見出しで、「(活動休止)イコール事実上の解散ではないか」と論評する内容だった。同年5月19日に同年限りでの活動休止がサザンの所属事務所などから正式に発表された。なお、所属事務所や桑田佳祐は解散を否定しているものの、期限を設定しない活動休止であり、そのプレスリリースを受けて少なからぬ芸能マスコミ・音楽関係者が「公式発表は休止だが、事実上の解散に等しい」とコメントするなど、東スポの記事内容が事実上追認される格好になった。しかし当のサザンは2013年6月25日に活動再開を発表し、あくまでも休止に過ぎなかったことが露になった。
- 2008年の暮れに取材でユニコーン再結成をスクープした。その後バンドは2009年に再結成を果たした。
コラボレーション
- 2006年にはソフト・オン・デマンドと共同で、アダルトビデオ日本一を決めるコンテストとして『AV OPEN〜あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦〜』をスタートさせた。ただ同イベントは不祥事などの影響により、2007年をもって一旦終了しているが、2014年に復活した。
- 2009年5月には関東のコンビニチェーン・セーブオンとタイアップし、セーブオンの店舗で缶コーヒー『東スポ 宇宙人からの「甘い誘惑コーヒー」』と『東スポ ビッグフットの足型大盛のり弁当』の2種類の商品が発売された。特に缶コーヒーは、缶の表面のデザインが東スポの1面を思わせるものとなっている[14]。
- 2010年12月にはハローキティとのコラボレーションでTシャツと根付を発売した。「ハローキティは宇宙から来た!」という見出しが一面の東スポをキティ自身が読んでいるというデザインになっている[15]。
- 2015年4月には金沢カレーで有名なゴーゴーカレーとタイアップし、ゴーゴーカレーの店舗でコラボレーションメニューである「UFO襲来カレー」を発売した。目玉焼きの部分がUFOを、ウインナーの部分が宇宙人をそれぞれ模している[16]。
その他
- ケネディ大統領暗殺事件の際、他の新聞全てでこのニュースが1面に掲載された中、唯一「ブラッシー血だるま」を1面に掲載した、という都市伝説が存在する(実際の日本時間11月24日付紙面見出しは「力道不覚!新兵器も不発」であった。とはいえ、話題が他社とずれていることには変わらない)[17]。なお、この都市伝説については東スポ自身による考察[18]も参照のこと。
- 1989年の昭和天皇崩御の翌日の1面は「ブッチャー流血」だった。
- 1994年にアイルトン・セナが事故死した際の1面は前日の新日本プロレス福岡ドーム大会で行われたアントニオ猪木 vs グレート・ムタであった。
- 1994年に日本テレビ『進め!電波少年』で松村邦洋の隠し子を探すという企画を行ったが、宛先は日テレではなく東スポだった。
- 1995年の阪神大震災翌日の1面は、「ベイダー、オブライトに圧勝」だった。
- 2005年にロンドン同時爆破事件が発生した際の翌日の1面は「健想WWE解雇」だった。
- 2000年のシドニーオリンピックの現地取材の際は、「東京スポーツ」という首都名を冠した名称のためか、現地関係者に「日本の一流スポーツ新聞」と勘違いされ、他紙よりも好待遇を受けた(※欧米系諸国では首都名は国の中央政府を意味することがある。例:ワシントン=米国連邦政府)。
- 2006年にマイケル・ジャクソンが8年ぶりに訪日した際、取材拒否された。東スポでは以前に「マイケル、まだらチンポ」との見出しで「本人曰くマイケルは『色素が抜ける病気』なので、男性器も黒と白のまだらになっているという『信頼できる筋』からの情報がある」という内容の記事を掲載したことがある。
- 2010年4月2日付(4月1日発行) 東スポの創刊50周年記念として、中面に東スポ第1号の1面(日本プロ野球の開幕をテーマにした記事)を復刻コピーした紙面を掲載した。
- 東京スポーツの運動部記者は、スーツ姿で取材することが多いという。理由は、「選手がユニフォームという正装を着ているのだから、記者も正装すべき」という考えによるものだという[19]。
- 2011年6月には、プロレスラーの平井伸和の報道を一面で取り上げ、全日本プロレスから批判され全日本プロレスから取材拒否を受ける[20]。
- 前述のサザンに関する記事も含め、何度か東スポにデマを流された一人である桑田佳祐は、2017年に発売されたアルバム『がらくた』初回限定盤A・B・C特典「がらくたノート」で、前述した他社と話題がずれている見出しを「東スポ頑張れ!」「アナタ、いや御社だけは決してブレなかった」「東スポサイコー!!」と半ば冗談めいた形で絶賛している[21]。
沿革
- 1958年4月16日:国民タイムス社より『国民タイムズ』創刊(旧『やまと新聞』『新夕刊』)
- 1959年2月16日:国民タイムス新社が『国民タイムズ』を承継
- 1960年4月1日:国民タイムス新社が『国民タイムズ』を廃刊。代わりに『夕刊東京スポーツ』が創刊。号数は国民タイムスのものを継承せず、改めて第1号とした。
- 1962年9月:『東京スポーツ』に改題。
- 1964年5月1日:関西版である『大阪スポーツ』創刊。
- 1966年2月1日:九州版である『九州スポーツ』を朝刊で創刊。
- 1968年3月1日:中京版である『中京スポーツ』を創刊すると同時に、全国紙体制を確立。
- 1988年8月:現在の東京・越中島に本社を移転(社屋はスポーツニッポン新聞社と同じ場所)。
- 2009年6月29日:北海道で『東京スポーツ』の現地印刷を開始
- 2010年
- 2月11日より『東京スポーツ』・『中京スポーツ』が祝日も休刊となる(中央競馬確定時と重なった場合は特別に発行)。GW特別号の発行開始(これに伴いGW期間中は休刊)。
- 4月1日:東京スポーツ創刊50周年。
- 2017年12月28日:この日をもって北海道から撤退。2018年の新春特大号以降は北海道を除く46都道府県での発行となる。
発行地域
発行する地域によって題字が異なる。予め朝刊で発行されている九州以外は、配送の事情により夕刊紙ながら、他の朝刊紙とともに翌朝に店頭に列び販売されている地域(東北・四国のほぼ全域、および大阪スポーツを扱う中国のごく一部)もある。特に東北は、他のスポーツ紙が現地印刷を始める中、配送距離が東スポ本社から600km以上の地域があるなど、スポーツ紙の配送体系では異例の長距離配送となっている(中京スポーツ・大阪スポーツ・九州スポーツの発行範囲は印刷工場からの輸送距離が500km以内にほぼ収まっている)。
- 東京スポーツ
- 関東地方、静岡県(大井川以東)、山梨県、長野県(南西部を除く)、新潟県、東北地方
- 中京スポーツ
- 東海3県(三重県伊賀地方と熊野市以南の東紀州地方を除く)、静岡県西部地区(大井川以西、主に浜松市周辺)、長野県南西部、滋賀県湖東・湖北地方、北陸地方
- 大阪スポーツ
- 近畿地方(三重県伊賀地方と熊野市以南の東紀州地方を含む、滋賀県湖東・湖北地方を除く)、中国地方(山口県と広島県安芸地方、島根県石見地方を除く)、四国(愛媛県松山市を除く)
- 九州スポーツ(朝刊で発行)
- 九州、南西諸島、山口県、広島県安芸地方、島根県石見地方、愛媛県松山市
東京スポーツの1面題字下には2007年秋から「TOKYO SPORTS PRESS」という英字表記が付くようになった。中京スポーツ、大阪スポーツ、九州スポーツの題字下には、英字表記ではなく「東京スポーツグループ」と表記されている。
宅配に関しては、一部地域は宅配を行っておらず、これらの地域では駅売店やコンビニなどにおける即売のみとなっている。月極申込もかつては本社が直接行っていたが、現在は発行地域別に東スポ・中京スポ・大スポ・九スポに直接申込む形をとっている。また、東スポ・中京スポ・大スポは3ヶ月以内、九スポは1ヶ月以内のバックナンバーも扱っている[22][23]。セブン-イレブン限定で、発行日の翌日にマルチコピー機で発売する4ページのモノクロ要約版「東京スポーツセレクト」を1部280円で発売している[24]。また、那覇空港内のコンビニや売店などで、発行日当日に東京から空輸されたのを販売している。なお、空輸費が加算されるため価格が50円増しの190円となる。
前述のとおり、販売から撤退した北海道では、かつては系列紙「北海道スポーツ」も存在した(道新スポーツとは関係がない)。以前は東京から輸送していたが、2009年6月29日から2017年12月28日まで、北広島市の毎日新聞北海道センター(毎日新聞・スポーツニッポンの印刷工場)で東スポの現地印刷を行っていた。北海道印刷分も公営競技、テレビ欄などは差し替えず、東京のものをそのまま掲載していた。北海道における現地印刷開始後も宅配は行っていなかったため、駅売店やコンビニなどにおける即売のみとなっており、札幌都市圏・石狩振興局管内では発行当日、それ以外の地域では翌朝の販売となっていた。2017年12月28日号(札幌都市圏・石狩振興局管内は当日発売分、その他の地域は29日発売分)をもって北海道での販売を終了した。販売終了の理由として「現地印刷を機にファンが拡大したものの、印刷費用が想定以上に多くかかってしまった」としている[25]。2018年以降、北海道で東スポを購読する方法は、郵送で購読するか[26]、東京スポーツセレクトで購読するか、発行の翌日以降に東スポ本社にバックナンバーを注文して購読するしかなくなった。
創刊年月日
事業所・印刷工場
九州スポーツ(九州支社)以外は、営業・販売・編集・印刷とも同一地に所在。
- 東京スポーツ(本社) - 東京都江東区越中島2-1-30 S・Tビル4-6階(印刷は同居している東日印刷へ委託)
- 大阪スポーツ(関西支社) - 大阪府堺市堺区松屋大和川通3-132 高速オフセット堺工場3階(印刷は同居している高速オフセットへ委託)
- 中京スポーツ(中京支社) - 愛知県名古屋市北区金城4-3-19 中日高速オフセット印刷4階(印刷は同居している中日高速オフセット印刷へ委託)
- 九州スポーツ(九州支社) - 営業・販売:福岡県福岡市中央区天神2-14-8 福岡天神センタービル 編集・印刷:山口県下関市山口県下関市東大和町1-1-7 みなと山口合同新聞社本社工場
- 東京スポーツは、1988年8月に現在の東日印刷(毎日新聞グループ)に委託する前は、朝日新聞グループの日刊スポーツ新聞社に印刷を委託していた。大阪スポーツも、現在の高速オフセット(毎日新聞グループ)に委託する前は、朝日新聞グループの大阪日刊スポーツ新聞社内に編集部を置き、印刷は大阪日刊スポーツ新聞社へ委託していた。
東京スポーツを題材としたもの
楽曲
- ラブユー東京スポーツ(作詞・作曲・歌:なぎら健壱) - 1985年3月21日発売のアルバム『青春ラリアート』に収録。1985年5月にシングルカット。
- 東スポソング(作詞・作曲・歌:藤田恵名) - 2014年10月29日発売のシングル『ユメヒコウセン』に収録。表題曲も先行配信していた同曲の歌詞違い。藤田はミス東スポ2014受賞者である[27]。
書籍
- 東スポ伝説〜一面見出し、そこは一行の劇場だ〜(東スポ探検隊編、扶桑社、1991年)
- 東スポの戯法〜爆笑見出しの知の理論(海保博之監修、ワニブックス、1995年)
- たけしの「号外」!! - 東スポ客員編集長北野武問題発言集 '91-'98 (ビートたけし著、洋泉社、1998年)
- 東スポ黄金伝説(赤神信著、太陽出版、2006年) - 元東スポ記者が東スポの歴史を記した本。冒頭には「平成10年ごろの東スポ社員の年収は45歳・平社員でも3000万円近かった」とある。
東京スポーツの人物
所属記者
出身者
- 江尻良文 - 夕刊フジ編集委員。元は東スポの記者だった。
- ストロング小林 - プロレスラー。国際プロレス離脱後、一時東京スポーツ所属だった。
- 塩崎利雄 - 競馬評論家。現在は日刊ゲンダイに競馬小説を連載。
- 山田隆 - プロレス評論家
- 高橋三千綱 - 作家。記者職で入社。
- 澁谷果歩 - AV女優。元記者。
- KUSHIDA - プロレスラー。学生時代にアルバイトとして所属。
現在の寄稿者
客員編集長
- ビートたけし - 1991年より「客員編集長」の肩書きで、月に1度、1面と最終面に直近の話題についてジョークを交えた談話を掲載(週刊ポスト「世紀末毒談」に近い体裁)。
- 蝶野正洋 - 大阪スポーツ並びに九州スポーツの客員編集長。
野球関連
- 広岡達朗 - 野球評論家。同じく月1度の間隔で寄稿(東スポの契約評論家では無いため特別寄稿の扱いであり、東スポ特有の娯楽的な記事とは異なり、広岡氏特有の真面目かつ論理的な記事である)。
- 大下剛史 - 専属野球評論家(2009年頃 - )「熱血球論」を担当。
- 得津高宏 - 専属野球評論家
- 宇野勝 - 専属野球評論家(2014年 - )「フルスイングの掟」を担当。
- 朝井秀樹 - 専属野球評論家 「おじゃまします。」を担当。
- 大友進 - 専属野球評論家 「一球友魂」を担当。
- 遠山奬志 - 専属野球評論家(2015年 - )「ブラッシュ一本締め」を担当。
- 伊勢孝夫 - 専属野球評論家 (2016年 - ) 「新IDアライザー」を担当。
- 遠藤一彦 - 専属野球評論家 (2015年 -) 「ここが違う」を担当。
- 伊原春樹 -専属野球評論家 (2015年 -) 「新・鬼の手帳」を担当。
- 前田幸長 -専属野球評論家 (2014年 -) 「直球勝負」を担当。
競馬関連
九スポでの掲載は一日遅れる。三浦と蛯名はJRA所属の現役騎手のため、騎乗停止・海外遠征等の場合は休載となる。
- 毎週連載
- 井崎脩五郎(競馬評論家) - 2008年4月より毎週土曜の競馬面で「そりゃホントか井崎亭」を連載中。当初は、サイン予想の天才という、よく行く鰻屋の女将を引き合いに出した予想を中心としていた。
- 田中裕二(爆笑問題) - 2005年より毎週金曜の競馬面で「爆笑問題田中裕二の爆勝予想」を連載中。穴狙い、またはサイン予想が大方である。また、井崎とはサイン予想絡みで対談記事が掲載されることがある。競馬以外でも、不定期に相方の太田光と、最新映画の評論を行うことがある。
- 松村香織(SKE48) - 2015年9月より毎週土曜の競馬面で「SKE48の暴れ馬 松村香織の炎上予想」を連載中。
- 矢野吉彦(フリーアナウンサー) - テレビ東京『ウイニング競馬』メインレース実況担当。現在は火曜競馬面にコラム「矢野吉彦の地方競馬応援団」を連載中。かつては土曜に「矢野アナの実況席から勝つ馬が見えた」という連載を持っていた。
- 三浦皇成(JRA現役騎手) - 2008年から2016年8月まで、毎週金曜の競馬面で「三浦皇成 スマイル競馬」を連載していた。しかし、2016年8月の落馬事故以降、翌年の2017年8月に復帰するまで約1年間の長期休載が続いていた。復帰後の2017年8月からは、「帰ってきた三浦皇成」とタイトルを変えて連載再開し、現在連載中。
- 蛯名正義(JRA現役騎手) - 毎週木曜の競馬面で「エビショウの"独舌"講座」を連載中。
- GI開催週のみ連載
- 田中将大(ニューヨーク・ヤンキース) - GI開催週土曜の2,3面いずれかで「ヤンキース田中将大のガチ予想」を連載中。
- 郷原洋行(元JRA騎手・調教師) - GI開催週土曜の2,3面いずれかで「郷原洋行のGI指南」を連載中。
- 祥子(グラビアアイドル) - 2015年10月よりGI開催週土曜の芸能面で「競馬GI・10番勝負」を連載中。
- 安藤勝己(元JRA騎手)- GI開催週木曜の競馬面で「GIはアンカツに聞け!!」を連載中。
その他分野
- 藤田紘一郎 - 東京医科歯科大学名誉教授。連載コラム「カイチュウ博士の虫のいどころ」は2800回を超える長期連載となった。現在は毎週火・木曜にコラム「カイチュウ博士の健康四方山話」を連載中。
- 早乙女貢 - 時代小説家。東スポに『おれが百万石 前田慶次郎風流譚』など数々の新聞連載小説を書いていた。
- 岡留安則 - ジャーナリスト、『噂の眞相』編集長。「マンデー激論」を月に1度担当。
- 上杉隆 - 毎週土曜日に藤本順一とともに「永田町特別ワイド」を寄稿中。
- 襟川クロ - 隔週木曜に「エリすぐり一本」を連載中。
- 島地勝彦 - 毎週火曜に「グラマラスおやじの人生智」を連載中。
- 吉田たかよし - 医学博士・心療内科医師・元NHKアナウンサー。毎週水曜日に、最新の医学研究を紹介するコラム「日々是アンチエイジング」を連載中。
主な過去の寄稿者
- 千葉茂 - 専属野球評論家
- 林義一 - 専属野球評論家
- 小林繁 - 専属野球評論家
- 土井正三 - 専属野球評論家
- 藤本義一 - 「のむ・うつ・ただ」(1973年)、「日日日日」(2005年3月~2010年12月)
- レオ澤鬼 - 「玉門占い」
- 清水成駿(競馬評論家) - 2003年 - 2016年まで毎週土曜の競馬面で「馬単三国志」を連載。コーナー自体が1面になることも少なくなかった。例年、夏競馬期間中は休載。
番組表
東京スポーツのテレビ番組欄は発行日当日と翌日のそれぞれ18時から深夜までの番組を掲載。
- フルサイズ…NHK総合、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ
- ハーフサイズ…TOKYO MX1、NHK BS1、WOWOWプライム、BSスカパー!、日本映画専門チャンネル、釣りビジョン、ファミリー劇場
ミス東スポ
2012年から開催される東京スポーツ主催のミスコンテスト。例年4月から年末まで撮影会等の集客数を競い合い選出される。受賞後は翌年のプロレス大賞授賞式を皮切りに、1年間東スポの関わる競馬やボートレースなどのイベントに広く関わる。
2012年度
2013年度
2014年度
2015年度
2016年度
2017年度
2018年度
脚注
- ↑ これまでは日曜のみの休刊だったが、東スポと中京スポは2010年2月から祝日も休刊になった(ただし、中央競馬確定時と休日が重なった場合は特別に発行。日曜日に特別版が発行された場合は翌日休刊になる)。大スポは祝日にも特別版を発行する場合がある。
- ↑ 2.0 2.1 朝刊として発行され、なおかつ休刊日が日本新聞協会が申し合わせた休刊日の九州スポーツを除く。
- ↑ GW特大号は2010年より発行。中央競馬開催・非開催によって発行日は異なる。2009年までは通常通りGW期間中にも発行していた。
- ↑ 『日本プロレス事件史 Vol.2』P71(2014年、ベースボール・マガジン社刊 )ISBN 9784583621876
- ↑ 他の夕刊タブロイド紙は、球界内部の事情などが主なネタである
- ↑ 競合紙「夕刊フジ」が“オレンジ色のニクい奴”だった事にあやかった
- ↑ ただしデイリースポーツは以前からプロレスを報道していた他、日刊スポーツも輪島大士の全日本プロレス入りと同時期に本格的にプロレス報道を開始していた。東スポ・デイリー・ニッカン以外のスポーツ紙がプロレス報道を本格的に行うようになるのは1990年代前半のことである。
- ↑ なお(これは他の夕刊紙と同様ではあるのだが)発行の日付が翌日付であるため「その日付も違ってる」とさらに言われることもある。
- ↑ 毎日新聞系の印刷会社。毎日新聞、スポニチの他、機関紙なども印刷している。スポーツニッポン東京本社も入居
- ↑ 『日本プロレス事件史 Vol.2』P8 - P9(2014年、ベースボール・マガジン社刊 )ISBN 9784583621876
- ↑ 三浦和義著「弁護士いらず。」に収録されたエピソード。
- ↑ 『田代まさしのいらっしゃいマーシー』(MONDO21)第4回
- ↑ 2008年6月放送『2時っチャオ!』のコーナー「もっとわかっチャオ!」より。
- ↑ 衝撃スクープ! 東スポがコンビニ弁当をプロデュース - ORICON STYLE・2009年5月13日
- ↑ サンリオと東スポコラボ!キティTシャツ - 東京スポーツ・2010年12月11日
- ↑ ゴーゴーカレー×東スポ期間限定コラボ「UFO襲来カレー」販売 - 東京スポーツ・2015年4月27日
- ↑ 「東スポの戯法〜爆笑見出しの知の理論」P.31。なお件の「ブラッシー血だるま」のエピソードは高田文夫が「東スポ伝説 〜一面見出し、そこは一行の劇場だ〜」P.19で語っている
- ↑ 092:JFK暗殺をめぐる都市伝説を検証する - 東京スポーツ・2010年3月10日(リンク切れ)
- ↑ 浦和レッズマガジン公式サイト : 『東スポ』元レッズ担当の忘れられない一面記事とは?
- ↑ 武藤が社長を辞任「けじめをつけなければいけない」=全日本プロレス過激報道の東スポには“取材拒否”を宣言スポーツナビ 2011年6月7日
- ↑ 『がらくた』初回限定盤A・B・C特典「がらくたノート」p30 – 32より。
- ↑ 新聞購読・バックナンバーについて東京スポーツ
- ↑ 九州スポーツの紹介東京スポーツ
- ↑ 「東京スポーツセレクト」セブン-イレブンのマルチコピー機で発売中!東京スポーツ
- ↑ 太陽発行 月刊クォリティ 2018年2月号 P32-P33掲載「東スポが北海道で販売終了 首都圏人気No.1夕刊紙が消えた背景」による。
- ↑ 郵送購読の場合、第三種郵便物料金が加算される。配達も発行日の2〜3日後となる。
- ↑ “ミス東スポ・藤田恵名が「東スポソング」お披露目”. 東スポWEB (2014年7月11日). . 2017年01月31日閲覧.
- ↑ “「ミス東スポ」グランプリ3人が水着姿でお披露目 ポロリ覚悟の取材にも意欲”. eltha. (2012年1月10日)
- ↑ “「ミス東スポ2013」お披露目”. 東スポWEB. (2013年1月17日)
- ↑ “ミス東スポ2014オーディション”. . 2014閲覧.
- ↑ “「ミス東スポ2015」決定!グランプリは璃乃、星優姫、城田あや”. 東スポWeb. (2015年1月11日) . 2016閲覧.
- ↑ “ミス東スポ2016前期グランプリ佐藤美優 桜井奈津に決定”. 東スポWeb. (2015年7月8日) . 2016閲覧.
- ↑ “「ミス東スポ」2017誕生!グランプリ・日里麻美は「史上最強のミス東スポ」目指すと宣言 サプライズ選出・矢野冬子は大号泣”. T-SITEニュース エンタメ[T-SITE]. (2016年12月10日) . 2016年12月18日閲覧.
- ↑ “『ミス東スポ2018』に乃木坂46白石麻衣ものまねタレント・嶋村瞳ら5人が選出”. ORICON NEWS. (2017年12月25日) . 2017閲覧.
関連項目
- プロレス大賞
- 東京スポーツ映画大賞 - ビートたけしが審査委員長を務める映画賞。
- 東京スポーツ杯2歳ステークス - 寄贈杯を出している中央競馬の重賞競走(GIII)。
- 植苗カントリークラブ - かつて東スポが北海道苫小牧市で運営していたゴルフ場。
- ウイニング競馬 - データ協力および競馬担当記者が出演している。
- 小橋建太 - ゲーセン特訓やサウナ特訓など特訓シリーズが名物であった。
- 松井秀喜 - 高校時代からの東スポの愛読者として有名。ただし松井の出身地・石川県は系列の中京スポの管轄エリアであった関係で、高校時代は中京スポを購読していたため、東スポの購読はプロ入り後のこと[1]。
- 金融腐蝕列島 - 「再生」「混沌」「消失」の3シリーズが東スポ紙上で連載された。
- ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発 - 主人公2人が東スポの記者とカメラマンという設定である。
- みこすり半劇場 - 岩谷テンホーが東スポ(中京スポ・大スポ・九州スポ)紙上で連載されている4コマ漫画。ぶんか社から同名タイトルの4コマ誌として刊行された。
外部リンク
- 東京スポーツ新聞社
- (芸能ニュースを配信している)
- 東京スポーツ新聞社公式YouTubeチャンネル「東スポ@チャンネル」