古河市
古河市(こがし)は、関東地方のほぼ中央、茨城県の西端に位置する市である。人口約14万人。旧・下総国(千葉県)葛飾郡。県西地域最大の都市。
近隣の栃木県野木町などから労働人口流入があり、本市を中心とする古河都市圏を形成している。
Contents
概要
「古河」は、古く「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれている。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える。
平安時代には、9世紀初め〜10世紀における東日本最大級の“製鉄所”(川戸台遺跡)があった。9世紀後半の「半地下式平窯」(江口長沖窯跡)も発見されており、製鉄や窯業の生産拠点でもあった。
室町時代後期から戦国時代にかけて古河公方の本拠地、江戸時代には古河城の城下町、日光街道の宿場町・古河宿が盛えた。 古河藩領は下総国・下野国・武蔵国に跨り、市域も下総国、千葉県を経て茨城県に編入された経緯があることから、旧常陸国、水戸街道が中心となって形成された近代以降の茨城県の県史としては傍流的な位置づけになる。
明治期に入ると製糸産業が発達し人口が急増、古河町(当時)は一時期、県内で二番目の人口となった。 1958年(昭和33年)に東北本線が電化され、上野まで約一時間で結ばれるようになってからは、東京のベッドタウンの役割が加わって人口が増大し、合併前には人口密度で県内第1位となった。現在の古河市は、都心回帰の影響で東京のベッドタウンとしての役割は薄れたが、人口では土浦市に次いで県内第6位である。
行政上では茨城県に属するが、国道4号(日光街道)や宇都宮線(東北本線)の沿線であることから、経済や教育の面で栃木県・埼玉県・東京都とつながりが強い(旧古河市はかつて県西地域で唯一東京大都市圏に属していた)[注釈 1]。
2005年9月12日、旧古河市と総和町・三和町が新設合併、現在の古河市となる。
地理
地勢
関東平野のほぼ中央に位置し、全域にわたり平坦な地形が広がる。南部を利根川が東流、西部は渡良瀬遊水地を経由した渡良瀬川が流れ利根川橋の北で利根川に合流する。
南部に比べ北部はやや標高が高く、市内を流れる川は利根川を除き北から南へと流れる。一方東西方向では目立った標高差の傾向はない[注釈 2]。
河川
池および沼
隣接する自治体
気象
典型的な関東内陸の気候である。夏に関しては同じく酷暑で有名な熊谷や前橋、館林と並び酷暑となる。 また冬は北西の季節風の強い日が多く、実際の気温以上に寒く感じられる。
- 1997年7月5日に観測された日最高気温記録の39.5度は県内最高気温であり、同日の10分ごとの値では40.0℃を観測している。8月の最高気温の平均値(30.7度)も県内最高である[注釈 3]。
- 冬は放射冷却現象により、朝は氷点下の冬日となることもしばしばである。日中は北西の季節風が強く、休耕中の田畑から砂埃が舞い上がることも多い。
市勢
- 面積:123.58 km²
- 人口:142,995人
- 男性:71,450人
- 女性:71,545人
- 世帯数:50,465
(平成22年国勢調査)
人口
近年の都心回帰傾向をうけ、人口が減少する傾向にある[注釈 4]。
古河市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地名
古河市側から渡良瀬川の対岸に「向古河(むかいこが)」地区や東武日光線「新古河駅」があるが、所在は埼玉県加須市(旧北川辺町)になる。
行政
現在は、旧3市町の役所に各課を配置する分庁舎形式である。
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初-2代 | 白戸仲久 | 2005年10月16日 | 2012年11月19日 | リコール運動により辞職 |
3代 | 菅谷憲一郎 | 2012年12月16日 | 2016年12月15日 | 元総和町長 |
4代 | 針谷力 | 2016年12月16日 | 現職 |
市役所各庁舎(本庁舎を除く)
- 古河庁舎(旧古河市役所)
長谷町38番18号 - 三和庁舎(旧三和町役場)
仁連2065番地
国の出先機関
- 国土交通省
- 利根川上流河川事務所古河出張所
県の出先機関
警察
市内全域を古河警察署が管轄。なお、三和地区は合併以前は境警察署の管轄であった。 合併の結果、市の西に寄ってしまった警察署を東へと移転・改築する計画がある[1]。
- 古河警察署 - 旭町一丁目1番23号
- 中田駐在所 - 中田1325番地16
- 駒羽根地区交番 - 駒羽根1391番地3
- 鴻巣交番 - 鴻巣1154番地3
- 上辺見駐在所 - 上辺見1210番地1 →廃止
- 三和地区交番 - 仁連1932番地6
- 古河駅前交番 - 本町一丁目1番15号
- 下山交番 - 東三丁目1番19号
- 小堤駐在所 - 小堤1410番地3
消防
一部事務組合である、茨城西南広域消防本部下にある消防および消防団がある。
- 古河消防署 中田1683番地9 (消防本部併設)
- 住吉分署 古河797番地1
- 三和分署 仁連2070番地
- 総和消防署 下大野752番地2
- 上大野出張所 上大野1933番地3
消防団は、合併当初は各地区ごとに、古河市古河消防団・古河市総和消防団・古河市三和消防団で構成されていたが、現在は古河市消防団として統合。1〜27分団で編成されている。
歴史
地理的条件
古河市が接する渡良瀬川の下流は、中世には太日川と呼ばれ(現在の江戸川)、直接東京湾に注ぐ水運上の重要な河川だったため、古河は現在の東京・房総と北関東を結ぶ位置にある。このような拠点性、および西方(現在の渡良瀬遊水地方面)が湿地である天然の要害でもあったことから、室町時代に古河公方が古河城に移座することになった。しかしこれら水運の良さと要害性の一方では、水害に悩まされることが多く、明治期の足尾銅山鉱毒事件の際には、河川改修事業により古河城が徹底的に破壊されることになる。
先史時代
縄文時代のものとみられる貝塚、集落が発見されており、そのころから人が定住しているものと考えられる。
古代(奈良・平安時代)
古河の歴史は、『万葉集』にまで求められ、当時の情景が二首詠まれ「許我(こが)」の記述までさかのぼる[2]。元の古河地域は奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える[注釈 5]。
- “まくらがの 許我の渡りのからかじの音高しもな寝なへ児ゆえに”
- “逢はずして 行かば惜しけむ 麻久良我の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも”
平安時代:渡良瀬川近くの市内牧野地にある川戸台遺跡が、9世紀初め〜10世紀の平安時代に東日本最大級の“製鉄所”跡で、ここで生産された鍋が多賀城(仙台市)や秋田城(秋田市)に送られていたことが、古河市教育委員会の発掘調査により判明した。同じく古河市教育委員会の発掘調査により、三和窯跡群の一角で、かつて飯沼だった東仁連川近くの古河市江口にある江口長沖窯跡で、9世紀後半の「半地下式平窯」が県内で初めて発見され、ここで作られた須恵器が水運により関東地方の広範囲に流通していたと考えられるなど、平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。
中世(鎌倉時代〜戦国時代)
- 平安時代末〜鎌倉時代初期:下河辺行平(小山氏の一族)が市内の立崎(竜崎)に館を築き、古河城の起源となる。
- 室町時代〜戦国時代:古河城は鎌倉公方の軍事拠点、のちには古河公方の本拠地となり、元の古河地域は関東の中心の一つとして発展する。市域南部の水海(水海城)は古河公方重臣・簗田氏の拠点となった。
近世(江戸時代)
- 古河藩が設置され古河城が藩庁となった。現在の市域西部を日光街道(日光道中)が南北に貫き、古河城下(元の古河)に古河宿、中田に中田宿が設けられた。一方、市域東部では日光東往還(日光東街道)が縦断し、谷貝宿・仁連宿・諸川宿が設けられた。
- 古河藩領は、現在の市域を含む下総国北西部、および隣接する下野国南部、武蔵国北東部にまたがって形成され、当時の古河城下は古河藩領の中心にあった。しかし、近代以降に旧藩領は県境によって分断され、三方を他県域に囲まれた県最西端の町になる。なお現在の市域東部には、古河藩に含まれなかった地域も多かった。例えば、諸川宿・仁連宿は壬生藩領から天領(幕府直轄地)、谷貝宿は関宿藩領である。
- 歴代古河藩主においては、大老2人(土井利勝、堀田正俊)のほか、老中や京都所司代などにつくものも多い、有力譜代藩であった。
- 1832年:古河藩第十一代藩主である土井利位が、日本初の雪の結晶に関する観察図鑑『雪華図説』を出版した。
近代・現代
- 1885年(明治18年)7月16日 - 東北本線古河駅開業。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により現在の市域の町村が成立。
- 1896年(明治29年)3月29日:西葛飾郡が廃止され、古河町・新郷村・岡郷村・水海村・勝鹿村・桜井村は猿島郡に編入される。
- 1932年(昭和7年)7月1日:新郷村大字伊賀袋および立崎の一部が、埼玉県北埼玉郡川辺村(のちに北川辺町→加須市)に編入される。
- 第二次世界大戦後
- 1950年(昭和25年)8月1日 - 古河町が市制を施行し、古河市となる。(単独市制、県下4番目)
- 1950年(昭和25年)8月10日 - 初代の市章を制定する。
- 1953年(昭和28年)5月18日 – 国道125号が制定。
- 1955年(昭和30年)
- 1968年(昭和43年)1月1日 - 総和村が町制施行し総和町となる。
- 1969年(昭和44年)- 三和村が町制施行・改称し三和町(さんわまち)となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 新利根川橋が開通。
- 1992年(平成4年)4月8日 - 新4号国道が全線開通。
- 1992年(平成4年)9月7日 - 新たな住居表示地名として、けやき平1丁目,2丁目(旧大字中田、茶屋、板間の各一部)を設定[3]。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 国道354号(館林市 - 大洋村間)が制定。
- 2005年(平成17年)9月12日:古河市と総和町、三和町が合併(新設合併)し、新たに古河市となる。
- 2006年(平成18年)1月21日 - 2代目の市章を制定する[4]。
- 2010年(平成22年)12月17日 - 旧古河市が全額出資していた古河市住宅公社が破産。
- Flag of Former Koga Ibaraki.JPG
初代の古河市旗
- Former Koga Ibaraki chapter.JPG
初代の古河市章
- Flag of Koga Ibaraki.JPG
2代目の古河市旗
- Koga Ibaraki chapter.JPG
2代目の古河市章
行政区域変遷
変遷の年表
古河市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現古河市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の町村がそれぞれ発足。[5][6] |
1896年(明治29年) | 3月29日 | 西葛飾郡は猿島郡に編入。 |
1916年(大正5年) | 香取村の一部(釈迦・前林の各一部)は五霞村に編入。 | |
1932年(昭和7年) | 7月1日 | 新郷村の一部(伊賀袋と立崎の一部)は埼玉県北埼玉郡川辺村に編入。 |
1950年(昭和25年) | 8月1日 | 古河町は市制施行し古河市になる。 |
1955年(昭和30年) | 2月11日 | 幸島村・八俣村・名崎村が合併し三和村(みわむら)が発足。 |
3月15日 | 新郷村は古河市に編入。 | |
3月16日 | 香取村・桜井村・勝鹿村・岡郷村は合併し総和村が発足。 | |
6月 | 三和村の一部(成田新田)は八千代町に編入。 | |
1968年(昭和43年) | 1月1日 | 総和村が町制施行し総和町となる。 |
1969年(昭和44年) | 1月1日 | 三和村は町制施行・改称し三和町(さんわまち)となる。 |
1975年(昭和50年) |
| |
2005年(平成17年) | 9月12日 | 古河市・総和町・三和町とともに合併し古河市が発足。 |
変遷表
古河市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | |||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
葛飾郡 (西葛飾郡) |
古河町 | 古河町 | 明治29年3月29日 猿島郡に編入 |
昭和25年8月1日 市制 |
平成17年9月12日 古河市 |
古河市 | |||
原町 | |||||||||
悪戸新田村 | |||||||||
中田町 | 新郷村 の一部 |
昭和30年3月15日 古河市に編入 | |||||||
新久田村 | |||||||||
鴻巣村 | |||||||||
駒ケ崎村 | |||||||||
長谷村 | |||||||||
牧野地村 | |||||||||
立崎村の一部 | |||||||||
鳥喰村 | |||||||||
中田新田 | |||||||||
茶屋新田 | |||||||||
坂間村 | |||||||||
大山村 | |||||||||
駒羽根村 | 香取村 | 昭和30年3月16日 総和村 |
昭和43年1月1日 町制 | ||||||
釈迦村 | |||||||||
磯部村 | |||||||||
前林村 | |||||||||
上砂井村 | |||||||||
砂井新田 | |||||||||
水海村 | |||||||||
高野村 | 桜井村 | ||||||||
久能村 | |||||||||
柳橋村 | |||||||||
葛生村 | |||||||||
下大野村 | |||||||||
下辺見村 | 勝鹿村 | ||||||||
上辺見村 | |||||||||
東牛谷村 | |||||||||
西牛谷村 | |||||||||
女沼村 | |||||||||
大堤村 | |||||||||
小堤村 | 岡郷村 | ||||||||
上大野村 | |||||||||
関戸村 | |||||||||
稲宮村 | |||||||||
猿島郡 | 諸川村 | 幸島村 | 幸島村 | 昭和30年2月11日 三和村 |
昭和44年1月1日 町制 | ||||
五部村 | |||||||||
上和田村 | |||||||||
諸川新田 | |||||||||
下片田村 | |||||||||
大和田村 | |||||||||
上片田村 | |||||||||
駒込村 | |||||||||
新和田村 | |||||||||
仁連村 | |||||||||
北山田村 | 八俣村 | 八俣村 | |||||||
山田村 | |||||||||
東山田村 | |||||||||
谷貝村 | |||||||||
長左衛門新田の一部 | |||||||||
猿島郡 | 恩名村 | 名崎村 の一部 |
名崎村の一部 | ||||||
長左衛門新田の一部 | |||||||||
江口新田 | 明治14年 江口村 | ||||||||
尾崎村 | |||||||||
尾崎村新田 | |||||||||
水口村新田 |
姉妹都市・交流都市
- 国内の姉妹都市
- 海外の国際交流都市
隣接する都道府県との関係
概要の通り、歴史的な背景・現在の交通網の関係(東北本線(宇都宮線)・国道4号を中心とした交通網)から、現在でも県内では特殊な傾向を示す地域である。 県民であっても、栃木県や埼玉県に属すると誤認する人間もいる[注釈 6]。
県内の他市町村と比べて埼玉県・栃木県との関係が強い。 各種調査[7]でも栃木県・埼玉県への流動を見ることができるほか、以下のような例外扱いを受けている。
- 市外局番(0280・古河MA)や通話料金区域では栃木県扱い。そのため、県内他地域への通話は県間通話扱いとなる。古河MAの通話料金区域は、茨城・栃木・埼玉の三県に跨っている。
- 市内を走るJR宇都宮線は、JR東日本大宮支社管轄。
- 日本通運の宅配便では16佐野ターミナル(栃木県佐野市)管轄。
- 当市内の国道4号、新4号国道は、結城市内の国道50号などと共に宇都宮国道事務所の管轄。
一方で県内とは、JRバス関東東古河妻線の八千代町松本以東廃止後は、直接結ぶ公共交通機関は隣接する境町への路線バスと季節運転の高速バスを除き失われてしまうなど、県内の中心軸の常磐線・国道6号線沿線との関係が希薄な状態が続いている[注釈 7]。
茨城県庁では、上記のような状況を県土の一体性を損なうものと認識しており、地域格差を解消するための施策として、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、首都圏との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを目指している。 一方、古河市についてはその地域特性を認め、埼玉県、栃木県との連携も視野に古河都市計画区域マスタープラン[8]においても、「さいたま新都心や小山・宇都宮圏と連携し,東京都市圏の機能の一翼を担う」と明記されている。
教育
この地域は、北関東三県・埼玉県・千葉県が互いに近いため、各県が相互協定を結び、高等学校において一定の他県学生を受け入れていた[9]。そのため多くの高校生が栃木・埼玉へと流れている。 国勢調査によれば、15歳以上の通学者のうち県内他市町村へは738人。対する栃木への通学者は625人、埼玉へは1319人が向かう。
市内の教育機関は以下の通りである。
中等教育学校
- 茨城県立古河中等教育学校(2012年7月1日開校、2013年4月生徒募集開始)
高等学校
- 茨城県立古河第一高等学校(定時制併設)
- 茨城県立古河第二高等学校
- 茨城県立古河第三高等学校
中学校
- 古河市立古河第一中学校
- 古河市立古河第二中学校
- 古河市立古河第三中学校
- 古河市立総和中学校
- 古河市立総和北中学校
- 古河市立総和南中学校
- 古河市立三和中学校
- 古河市立三和北中学校
- 古河市立三和東中学校
小学校
- 古河市立古河第一小学校
- 古河市立古河第二小学校
- 古河市立古河第三小学校
- 古河市立古河第四小学校
- 古河市立古河第五小学校
- 古河市立古河第六小学校
- 古河市立古河第七小学校
- 古河市立釈迦小学校
- 古河市立下大野小学校
- 古河市立上辺見小学校
- 古河市立小堤小学校
- 古河市立上大野小学校
- 古河市立駒羽根小学校
- 古河市立西牛谷小学校
- 古河市立水海小学校
- 古河市立下辺見小学校
- 古河市立中央小学校
- 古河市立諸川小学校
- 古河市立駒込小学校
- 古河市立大和田小学校
- 古河市立八俣小学校
- 古河市立名崎小学校
- 古河市立仁連小学校
保育園、幼稚園に関しては 古河市のホームページ を参照。
医療
国内でもとりわけ医師不足が課題。県内、中でも医療事情が悪化している県西地域の事情にたがわず、古河市の医療事情も厳しい。 十万人当たり医師は120.89人 [2] で全国46位の県内平均を大きく下回っている。
古河市内の病院・診療所については 古河保健所のページ を参照のこと。
産業
国勢調査での古河市および全国の産業部門別割合は以下の通り(カッコ内は全国の値)。※平成17年度調査
以上の通り、全国に比べて第2次産業の割合が高い。 これは、以下で述べるように戦前からの製糸業の勃興と戦後の工業団地の造成により、工業都市として発展した経緯が影響している。
工業
かつて明治期から昭和中期までは製糸業が発展し当市の産業の軸となっていた。
しかしその全てが廃業し、現在は旧総和町の工業団地(丘里工業団地、配電盤工業団地、北利根工業団地)を中心に工業が発達している。他に旧古河市域に坂間企業団地が所在する。 年間製造品出荷額は約4千-5千億前後[10]。平成20年の事業所数は438で日立市に次ぐ2位、雇用者は日立市、ひたちなか市に次いで18000人弱の3位である。
特徴的なのは、食品製造業、殊に製菓業が多い点。 トモヱ乳業・山崎製パンの工場があるほか、ジャパンフリトレー(本社も併設)・ヤマザキビスケット・ギンビスの製菓業3社の唯一の工場を有している。 またセキスイ系とその派生企業も多く立地。積水化成品工業の大規模な工場ほか、積水ハウスの拠点工場である関東工場がある。
農業
市の土地利用の5割弱を農地が占めるなど [3]、旧総和町、旧三和町を中心として典型的な近郊農業が発達している。平成18年の農業出荷額は147億2千万円。
一方、農業離れも深刻で、耕作放棄地は500haを超えるなど、問題となっている[11]。
商業
広範囲を商圏に収める大規模小売店舗の出店が少なく、卸売に不可欠な情報集積という面では、全般に低落傾向にある [12]。 東京の通勤・生活圏であることから東京方面への買い物客の流出が激しいほか、周辺都市に続々建設されている大型ショッピングモールへ客足が流れるなど、商業施設が消費者の行動範囲が広いこともあり、中規模ショッピングセンターが所在する程度である。
市内に存在する主な店舗は下記の通り。
- VAL古河
- イオン 古河店
- イトーヨーカドー 古河店
- マーケットシティ古河
- ブックオフ 古河マーケットシティ店
- ジェイエステティック 古河店
- ビバホーム 古河店
- ヤマダ電機 テックランド古河店
- カワチ薬品 古河店、古河南店
- 古河鴻巣ショッピングプラザ
- ケーズデンキ 古河店
- ケーズデンキ 総和店(閉店)
- マーケットシティ古河ファッションモール
- しまむら
- Avail
- バースデイ
- ジョイフル本田 古河店
- カスミ 古河店、三和店、古河丘里店
- うおとみ 三和店
- ユニクロ 古河店
- g.u. 古河店(閉店)
- コナカ 古河店
- ザ・ダイソー
- イトーヨーカドー古河店、カスミ三和店、ザ・100円SHOPダイソーバル古河駅ビル店、
- ドラッグウェル古河2店、マーケットシティ古河
- 東京靴流通センター 総和店
- シュー・プラザ 古河店
- ウエルシア薬局
- 古河鴻巣店、古河三杉店、古河総和店、古河三和東店、古河三和店
- ヤオコー 古河松並店
- しまむら 古河店、三和店、総和店
- コジマ NEW古河店
- シダックス 古河鴻巣クラブ
- コメリ 古河坂間店、総和店
- ミスタータイヤマン 古河店 ミスタータイヤマン三和
- イエローハット 総和店
- ワンダーグー 古河店
- ゲオ 古河旭町店、テイクオンゲオ古河店、ゲオ古河下辺見店
- ガスト
- ココス 古河店、総和十間道路店、総和牛谷店
- まるまつ 総和店
- すき家 三和町店、総和十間道路店
- AOKI
- バーミヤン
- モスバーガー
- ワークマン
- タイヤ館
- 西松屋 総和店
- ベイシアスーパーセンター 古河総和店
- オートアールズ 古河総和店
金融機関
メガバンクでは、みずほ銀行の支店が古河駅前に存在(県西地区では唯一のメガバンク店舗)。
なお、みずほ銀行以外の都市銀行の最寄り店舗は、三井住友銀行が栃木県小山市(小山支店)、三菱UFJ銀行が埼玉県蓮田市(蓮田支店)、りそな銀行(埼玉りそな銀行)は埼玉県久喜市栗橋(栗橋支店)となる。
また、茨城県を地盤とする銀行は、常陽銀行・筑波銀行・東日本銀行がある。中でも足利銀行は県内で強い影響力があり支店が3店。 栃木銀行も所在することから、栃木県との取引機会が多いことが分かる。
主な企業
- 市内に本社を置く企業
- 丘里工業団地
- 北利根工業団地
- 名崎工業団地
- ・日野自動車(古河工場)
- 工業団地外に立地する企業
- 老舗企業
- 株式会社大橋醤油店 - 1845年創業
交通
南北の交通が重視されている。三杉町交差点の125号、大堤交差点の354号は頻繁に渋滞を起こす[13]
鉄道
市内を通る路線は以下の通りである。
路線バス
いくつか存在するが、便数が少ないものも多い。なお、以下はすべて古河駅を始点として記述する。
- ジェイアールバス関東 東古河妻線(南筑波線より分割された路線)
- 行先: 大綱、および駒羽根・北利根工業団地循環
- 朝日自動車
- 行先: 境車庫
- 茨城急行自動車
- 行先
- 東口: 友愛記念病院、諸川、北茂呂車庫、八千代町役場、古河市三和庁舎
- 西口から発着していた栗橋駅、古河車庫(毎日1本のみ)行きは、2012年4月に市のコミュニティバス「ぐるりん号」南コースに統合・栗橋駅方面へ延伸される形で廃止された。
- 行先
- 関鉄パープルバス 急行わかば号(季節運転)
- 水戸市の運転免許センターまでを結ぶ。
- ぐるりん号
- 2012年4月1日から有料化された。
- 当初は茨城急行バスのみに運行委託していたが、2016年12月1日より増設となった「通勤通学ルート、市役所本庁・病院ルート」をJRバス関東に運行委託するようになった[16]。
道路
南北に物流の大幹線、国道4号線、新4号国道が走る。中間域においては中央運動公園通りが国道125号線から丘里工業団地を経由しとね南通りを経て国道354号を結んでいる。
一方東西は国道125号が北を走り下妻方面へ、十間通りが古河駅から丘里工業団地を横断し新4号国道と交差して三和庁舎まで(名崎工業団地まで延伸予定あり)、そして国道354号と県道56号が南部を経由し県南までを結ぶ。
- 当市内に高速道路は走っていない。2015年3月29日現在、市役所への最寄りICは隣接する五霞町にある圏央道の五霞ICだが、東京方面へは東北道久喜IC、仙台方面へは同道佐野藤岡ICを使われることも多いようである。ちなみに、東北道の本線上に設置されている館林IC(上下線)、羽生IC(下り線)の各出口の案内標識には『古河』と表記されているが、市役所のホームページでは「久喜インターチェンジから約18km」と案内している[17]。
- 茨城県道124号新宿新田総和線
- 茨城県道125号中里岩井線
- 茨城県道126号尾崎境線
- 茨城県道190号境間々田線
- 茨城県道228号原中田線
- 茨城県道250号古河総和線
- 茨城県道261号野木古河線
- 茨城県道294号東野田古河線
- 茨城県道312号古河停車場線
観光
史跡
神社・寺
- 正定寺
- 江戸幕府の大老を務めた古河藩主・土井利勝の開基。土井家代々の菩提寺である。
- 土井家は古河から鳥羽、唐津への転封を経たのち、再び古河に戻り、近世大名として最も長い期間、古河を国元とした。詳細は「正定寺」参照。なお、古河市下大野にある同名の正定寺も土井家に保護されていた。
文化施設
- Koga History Museum 01.JPG
古河歴史博物館
- Koga Literature Museum 01.JPG
古河文学館
- Nagai Michiko FH01.JPG
永井路子旧宅
- Takami Senseki Memorial Museum 01.JPG
鷹見泉石記念館
- Stippling Museum 01.JPG
篆刻美術館
- Koga Machikado Art Museum 01.JPG
古河街角美術館
- Suzume-jinja Shrine 01.JPG
雀神社
- Hase Kannon 01.JPG
長谷観音
特産
- 地酒
- ほおずき
- しらたま(和菓子)
- 御慶事(日本酒)
祭事
- 古河花火大会(8月第1土曜日)
- 古河朝市(9月下旬)
- 関東ド・マンナカ祭り(10月)
- 古河菊まつり(10月下旬〜11月下旬)
- 古河よかんべまつり(11月上旬)
- 古河提灯竿もみまつり(12月第一土曜日)
公園・レクリエーション施設
スポーツ施設
- 広域中央運動公園
- 日本陸連第2種公認競技場であり、各種の競技大会において茨城県西地区予選会場としてでよく使われる。陸上競技場のほかに、体育館、テニスコート、プールなどを併設する。なおこれら施設は県西各市町村が建設費を負担しており、それら市町村住民に対してはプールの利用料が割引される。
- 古河市サッカー場
- 市営のサッカー専用競技場。大学サッカーでよく使用される。
- 古河ゴルフリンクス
- 過去に石川遼選手が練習していたことで知られているリンクス。日本では珍しい、本格的なリンクスコースと言われている。なお河川敷上にあるため、大雨時はよく水没する。また、古河市主催の『古河花火大会』は毎年、このゴルフ場で開催されている。
古河市出身の有名人
- 足利成氏(古河公方、室町時代後期〜戦国時代前期の武将)
- 鷹見泉石(江戸時代後期の古河藩家老、蘭学者)
- 土井利勝(江戸時代前期の幕府大老、古河藩主、徳川家康の隠し子(徳川秀忠の兄)という伝承もある)
- 土井利位(江戸時代後期の幕府老中、古河藩主)大塩平八郎の乱を鎮圧
- 土井大炊守土井利厚(としあつ) 。幕府老中。下総古河藩七万石三代藩主。実は松平遠江守忠名の四男
- 政官界
- 飯島雷輔(旧古河市長・貴族院多額納税者議員・貴族院勅選議員)
- 神風英男(衆議院議員・防衛大臣政務官・民主党)
- 小久保喜七(元衆議院、貴族院議員・民権運動家を経て立憲政友会)
- 永岡洋治(元衆議院議員・自由民主党)
- 塚田義一(元茨城県議会議員)(古河第一自動車学校創業者)
- 青木来三郎(元茨城県議会議員・自由民主党)
- 佐藤洋之助(元衆議院議員)
- 柳田和己(衆議院議員・民主党)
- 芸術
- 河鍋暁斎(幕末〜明治期の画家)
- 奥原晴湖(幕末〜明治期の画家)
- 小林久三(作家)
- 永井路子(作家)
- 粕谷栄市(詩人)
- 佐怒賀正美(俳人・編集者)
- 久慈力(ノンフィクション作家)
- 田窪寛之(ジャズピアニスト)
- 山本ヤマト(イラストレーター、漫画家、小説や雑誌のイラストや挿絵を多数手がける)
- 遠藤達哉(漫画家、代表作:「TISTA」、「四方遊戯」、「月華美刃」)
- 岡野玲子(漫画家、代表作:「ファンシィダンス」、「陰陽師」)
- 粟田正樹(色弱のデザイナー、本業は建築家)
- はすみとしこ(漫画家)
- 文化
- 芸能界
- 井上高志(俳優)
- 武田和歌子(朝日放送アナウンサー)
- 綾部祐二(お笑いコンビピースのメンバー)
- あおきさやか(旧名:青木静香・声優・生まれは秋田県)
- 北島瞳(モデル)
- 大野智子(福島中央テレビアナウンサー)
- 美弥るりか(宝塚歌劇団月組男役)
- 裕木壱啓(俳優・我武者羅應援團華の熱血リーダー)
- 守谷瞳(GTPのドラム&ボーカル、バンド解散後フリーで活動中)
- ジュンヤ(プロマジシャン・俳優)
- 田村隆(放送作家、主な担当番組、巨泉・前武のゲバゲバ90分!!・8時だョ!全員集合・11PMなど)
- 山中崇史(俳優)
- スポーツ
- 石崎剛(プロ野球選手・阪神タイガース)
- 塚田正義(プロ野球選手・福岡ソフトバンクホークス)
- 野澤佑斗(プロ野球選手・福岡ソフトバンクホークス)
- 仁志敏久(元プロ野球選手)
- 大道広幸(プロサッカー選手・グルージャ盛岡)
- 須田興輔(プロサッカー選手・元・モンテディオ山形)
- 黒津勝(プロサッカー選手・横浜FC)
- 高橋昌大(プロサッカー選手・元水戸ホーリーホック)
- 木澤正徳(元プロサッカー選手・現・水戸ホーリーホックコーチ)
- 桜花由美(プロレスラー)
- 松永智充(プロレスラー)
- 日原将吾(水泳選手・世界選手権出場・自由形200mの日本記録保持者)
- 山室光史(体操選手・2012年ロンドンオリンピック体操男子五輪代表・2011年体操男子世界選手権個人総合銅メダル・得意種目つり輪)
- 舘野哲也(陸上選手・2012年ロンドンオリンピック陸上男子400mハードル五輪代表)
古河市ゆかりの人物
- 渡辺徹(俳優、栃木県小山市生まれで、古河市育ち。)
- 永岡桂子(永岡洋治の妻・衆議院議員・自由民主党・農林水産大臣政務官、東京都出身。一時期市内に居住していた。)
- 大槻義彦(物理学者、宮城県角田市出身で古河市に在住。その後、東京都へ転居した。)
- 樋口真嗣(映画監督、主な監督作品『ローレライ』『日本沈没』。東京都出身で、市内に居住していたことがある。)
- 浅野恭司(アニメーター。WIT STUDIO所属。主な作品「サイコパス2」「進撃の巨人OAD&劇場版」「水曜どうでしょうDVDオープニングアニメ」。)
- 七五三掛龍也(アイドル、ダンサー。「ジャニーズJr.」所属。)
その他
- 古河温泉「古河市老人福祉センター・ふれあいの湯」と、少し離れたところに温泉スタンドがある。
- 日本放送協会 (NHK) のラジオ国際放送NHKワールド・ラジオ日本の送信所が八俣にある(送信所の所有者はKDDI)。
- 地名は、未開地を意味する空閑(くが)の転訛と。池波正太郎の鬼平犯科帳5では紹介。
脚注
注釈
- ↑ 旧藩主の土井氏が長崎に近い唐津から再入封し、鷹見泉石にみるように洋学が盛んだったことから、水戸藩と相いれない気風があった。明治期には県内有数の製糸業地帯となったが、文教の中軸である旧制中学が設置されなかったことに古河の人士は水戸の恣意と憤慨し、栃木県編入運動が起きている。また、旧制中学の進学先は浦和が最も多く、水戸中学は徹底して忌避された
- ↑ 詳細については国土地理院地形図から、三角点などで標高や流路を確認していただきたい
- ↑ 気象庁の統計を基に県内のアメダスに関して調査した結果
- ↑ 都心回帰といっても近隣の埼玉県旧栗橋町、旧鷲宮町や栃木県小山市などは人口が増加傾向にある
- ↑ この作者不明の万葉歌碑が現在渡良瀬川の堤防上にある
- ↑ 検索エンジンにおいて栃木県古河市、埼玉県古河市と検索すると、誤認している人々がいることが確認できる
- ↑ 古河駅発着の路線バスは全てフィーダー路線となって都市間路線は消滅し、水戸はもちろん、同じ県西地域でも常総線沿線や、つくばや土浦等県南地域の中央部へ直接向かうことができなくなった。つくば・土浦へは栗橋・春日部・流山おおたかの森経由または小山・下館・下妻経由、水戸へは小山経由となり、いずれも他県を経由しなくてはならない。
- ↑ 古河市議会でたびたび答弁がされている[15]
出典
- ↑ 警察署等再編整備構想 - 茨城県
- ↑ 『古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み』127頁。
- ↑ “町の区域の設定(平成4年9月7日 茨城県告示第1088号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第377号: p.3-4, (1992年9月7日)
- ↑ 『図典 日本の市町村章』p57
- ↑ 『角川日本地名大辞典 8』
- ↑ 『全国市町村名変遷総覧』
- ↑ 総務省 平成17年国勢調査 > 通勤・通学人口,従業地による就業者の産業別構成など(従業地・通学地集計結果その1) > 都道府県結果 > 08茨城県 > 報告書掲載表 常住地による従業・通学市区町村,男女別15歳以上就業者数及び15歳以上通学者数(15歳未満通学者を含む通学者-特掲)-都道府県,市町村 [1] 第2表より
- ↑ 古河都市計画(古河市)都市計画区域の整備、開発及び保全の方針
- ↑ “隣接県公立高等学校入学志願者取扱協定”. 2009年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
- ↑ 平成25年工業統計調査結果(速報)茨城県
- ↑ 2005年農林業センサス http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001009909&cycode=0 より耕作放棄地 - 耕作放棄地面積 参照、値を合算。
- ↑ 経済産業省 2009 平成21年版 我が国の商業、卸売業年間商品販売額を参照
- ↑ 茨城県道路移動性向上委員会 第4回委員会参考資料
- ↑ 第5回古河市総合計画審議会(後期計画)会議録概要 古河市
- ↑ http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/06renewal/gikai/kaisai_nitei/20_1/13-6.pdf 。
- ↑ 古河市循環バス「ぐるりん号」ご利用の手引き
- ↑ 古河市の概要-位置・交通・アクセス
- ↑ 古河・栗橋の静御前伝説(茨城県 境土地改良事務所)
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典 8』 角川書店、1983年。ISBN 978-4-04-001080-9。
- 兼子純・新名阿津子・安河内智之・吉田亮「古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み (PDF)」、『地域調査報告』第26号、筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ、2004年、 123-150頁。
- 日本加除出版株式会社編集部編 『全国市町村名変遷総覧』 日本加除出版、2006年。ISBN 978-4-8178-1318-3。
- 『図典 日本の市町村章』 小学館、2007年。ISBN 978-4-09-526311-3。
関連項目
外部リンク
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