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阿武咲 奎也(おうのしょう ふみや、1996年7月4日 - )は、青森県北津軽郡中泊町出身で、阿武松部屋所属の現役大相撲力士。本名は打越 奎也(うてつ ふみや)。身長176cm、体重163kg、血液型はO型。最高位は西小結(2017年11月場所、2018年1月場所)。四股名「阿武咲」には地元の恩師の「土俵上で花が咲くように」との願いが込められている[1]。
来歴
祖父の勧めで5歳から相撲を始め、地元の中里道場に通って力をつけた[2]。宝富士は中里道場の10学年先輩で、打越の憧れ[3]。NHK大相撲中継の新十両インタビューでは「力士がカッコいいと思いました」と当時から大相撲に憧れていたことを話している[4]。中里小学校6年次に全日本小学生相撲優勝大会で優勝。中里中学校進学後は2年次と3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会の無差別級で、大会史上初の2連覇を達成[5][6]。雪国の生まれとあってウインタースポーツが得意。スキー、スノーボードもかなりの腕前で「昔から体重の割に動きが速く、バネがあるのはそのおかげ」だという[1]。舞の海の話によると、子供の頃はやんちゃであったという[7]。アマチュア時代は厳格な父から1週間で5kg増量することを命じられたり、腕立て伏せと縄跳びを1日に1000回やらされたりしたが、父が若かったので父と競いながら稽古をしていた[8]。
中学卒業後は三本木農業高校に進学。1年生ながら全国高校相撲宇佐大会と国体相撲少年の部で優勝し、団体戦でも選抜高校相撲十和田大会優勝に貢献するなど、実力を遺憾なく発揮して自信を深めたため、卒業を待たずに角界入りすることを決意。高校を11月に退学して、小学生の頃から道場時代の監督と部屋所属だった元十両・古市が大学の同期という縁で稽古の交流があった[9]阿武松部屋(関脇・益荒雄)に入門し、2013年1月場所で初土俵を踏んだ[10][11]。打越は入門に関して「あえて厳しい部屋を選びました。力士でいられるのは長くても20年。その時間を濃いものにしたいんです」と後に週刊誌で語っている[12]。 2014年11月場所では東幕下3枚目で5勝2敗の成績を収め、場所後の番付編成会議にて2015年1月場所での新十両に昇進することが決定された[13]。18歳5ヶ月20日(番付発表時)は昭和以降で10番目に若いスピード出世。昇進会見では「これからも感謝の気持ちと謙虚さを忘れずに」と「感謝」と「謙虚」の言葉を8度も用いる様子を見せ、師匠の阿武松は「身長は低く体は小さいが、全身にバネがある。スピードと瞬発力で、相手を根こそぎ持って行くような相撲を取ってほしい」と願い「相撲界で一番稽古する力士になってもらいたい」と期待していた[14]。
関取昇進後は2場所目の2015年3月場所で入門以来初の負け越しを経験した。同年11月場所では11日目から自身初の休場となったが、13日目から再出場した[15]。この年は3場所勝ち越して1年間十両の地位に定着した。しかし怪我の影響もあり2016年5月場所では幕下への陥落を経験。陥落直前には春巡業館林場所で朝稽古の最後に稀勢の里(当時は大関)とぶつかり稽古を行っている様子が伝えられた[16]。巡業で稽古を積んだ甲斐があってか、5月場所は優勝決定戦で小柳に敗れはしたが7戦全勝で1場所での十両返り咲きを決めた。9月場所では千秋楽まで十両の優勝争いにからみ、11勝4敗の好成績で場所を終えた。続く11月場所は負け越したが、2017年1月場所は9勝6敗で勝ち越し、翌3月場所では千秋楽まで優勝争いに絡んで西十両2枚目で9勝6敗の成績を残し、5月場所で無事新入幕を果たした。
その稽古の甲斐もあり、新入幕で迎えた2017年5月場所は初日こそ黒星だったものの、2日目からの5連勝もあり12日目に勝ち越しが決定。千秋楽は入門前からのライバルで、中学・高校と全国大会で競い合ってきた貴景勝に敗れた。それでも最終的には10勝5敗の二桁勝利で、自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した[17]。(因みに、この場所の三賞受賞者は阿武咲を含めて4人いるが、他の3人も全員千秋楽は敗れるという珍事になった[18]。)初三賞の感想を「全然考えてなかったです。ありがたいですし、うれしいですね」と述べ、記者から「今場所を振り返って」「新入幕で、初めてのことも多かったと思います」と聞かれると、「いいところも悪いところも全部出たんじゃないですかね。課題も見つかりましたが、自信になった部分もありますよ」「皆様の応援のおかげですし、何より1番1番楽しめたと思います」とそれぞれコメントした[19]。6月17日は出稽古にやってきた稀勢の里と27番取って5勝した[20][21]。その中には、電車道で持っていく相撲もあった[22]。
次の7月場所は運良く前場所より7枚半上昇で西前頭6枚目の地位を与えられた。その7月場所は13日目に4敗目を喫して脱落するまで優勝争いに加わり、最終的に10勝5敗の好成績[23]。受賞は逃したが、敢闘賞と技能賞の候補に入っていた[24]。新入幕から2場所連続2桁勝利は年6場所制下では4人目となる記録[25]。8月16日の夏巡業津軽りんご市場場所では、いつも胸を出してもらっている高安に三番稽古で7戦全勝するなど絶好調であった[26]。「よかったと思う。足がよく動いた。地元の声援がうれしかった」と阿武咲は感想を述べている[27]。
続く9月場所は上位総当りの東前頭3枚目の番付となった。横綱・大関に休場者が多かったため実際に対戦したのは1横綱2大関だけであったが、横綱日馬富士からの初金星獲得と大関照ノ富士からの白星があり、5日目終了時点では幕内の優勝争いの単独首位となっていた[28]。特に日馬富士戦で金星を獲得した際には、空中を前方一回転させる叩き込みを決めている[29][30]。後半戦では3連敗もあって優勝争いから脱落したが、最終的に10勝5敗とし、15日制が定着した1949年夏場所以降では達成者がいなかった[31]、新入幕から3場所連続の2桁白星という快挙を達成し、2度目の敢闘賞も獲得した。千秋楽の支度部屋では「二桁勝つことができて本当にうれしい。師匠から教わった押し相撲が取れた」と話す一方、「まだ一発で持っていく馬力がないという課題が分かった。自分の相撲を磨いて、次の九州場所に備える」と先を見ていた[32]。この好成績により、11月場所では新小結(西小結)に昇進した。21歳3ヶ月での新三役昇進は、平成以降初土俵の力士としては6番目の年少記録である[33]。11月場所は初日の日馬富士戦に勝利して幸先の良いスタート切ったが、その後の上位戦は立ち合いから攻め込みながらも足が流れて負ける取組が多く、2日目から6連敗となった。11日目の栃煌山戦にも敗れて勝ち越しに後が無くなったが、そこから連勝。14日目には2敗で白鵬を追っていた北勝富士に土を付け、千秋楽では同郷の先輩にあたる宝富士を電車道で押し出し、新三役の場所を勝ち越して終えた。2018年1月場所は9日目まで4勝5敗と振るわなかったばかりか、9日目の逸ノ城戦で右膝を痛め、都内で診察を受け「右膝後十字靱帯損傷で1月場所の休場を要する」との22日付の診断書を提出して10日目から休場[34]。幕内での休場は自身初。新入幕から5場所目で初めて負け越したのは年6場所制定着以降阿武咲が9人目であり、休場によるケースは1985年5月場所の北尾以来2例目[35]。場所後の2月3日、芝公園の増上寺で行われた節分追儺式は直前の場所を休場した関係上一度は不参加を伝えたが、場所後に参加を決め、実際に勢と仲良く豆を撒いた[36]。
3月場所は怪我が回復しないため全休。場所後の春巡業は初日からの休場が発表された[37]。5月場所は十両へ陥落して、西十両筆頭の番付で土俵へ復帰した。この場所は12勝3敗と格の違いを見せて、自身初めての各段優勝となる、十両優勝を果たした。7月場所は西前頭11枚目と2度目の入幕を果たし、ここでも10勝5敗と自身4度目の幕内2桁白星。9月2日の阿武松部屋へ出稽古へやって来た稀勢の里と13番取って3勝。最初の一番からエンジン全開だった。稀勢の里は阿武咲の激しい突き押し、強烈なのど輪を何発も受けながらも、まわしにこだわらず突き押しで対抗。その後も、まるで血気盛んな若手同士が行うほどの激しい相撲が続き、稀勢の里は鼻血を出しながら途中「あークソ」と叫ぶなど感情もむき出しにした[38]。
取り口
短躯肥満を活かした速攻の突き押しを得意とする。基本的に組みも引きもせず一直線に出る相撲を取り、下半身のバネの強さを利用して相手を一気に土俵外へ出す相撲もままある。一方でバネが強いということは股関節が固いということであり、体重が重いこともあって簡単に落ちる相撲も目立ち、負ける時は大抵引き技で負ける。両足首が悪い場所は前に出る力も弱くなり、元々落ちやすいのがさらに落ちやすくなる。2017年5月場所で敢闘賞を受賞した際には「いいところも悪いところもあって課題が見つかった。立ち合いを磨いていきたい」と自身の相撲ぶりについてコメントしている[39]。2017年5月場所などは相手を見過ぎて得意の速攻が見られず、武蔵川(元横綱・武蔵丸)もそれを指摘している[40]。同場所では15番中10秒以内に終わった取組が13番、5秒以内が10番と、相手を見過ぎたとはいえ相撲は速い[41]。2017年11月場所前の座談会で、阿武松は基本的に叩かれてもいなされても突き押しに徹するように阿武咲に指導しており、突き押しを交えながら相手の内側に入っていく方向で相撲を教えている、という趣旨の発言をしており、舞の海は同座談会で「阿武咲は一七六センチとあまり長身ではないので、絞ってこられたらなかなか下手は差せないし、上手を取ろうとすると押されてしまう。あの体型は武器だと思います」とコメントしている[42]。同時期の別のコラムではそれに加えて「ある程度馬力があって動きも速い」「引き足も速く、廻しを取ってもいい。相手にしても見れば絞りきれない部分もあってやりづらいことでしょう」と絶賛している[43]。タレントで好角家の山根千佳は2017年秋巡業のレポートで「突き押しはもちろん武器ですが、それ以上に判断力が素晴らしいと思ってます。押し相撲だけでなく組んでも相撲が取れるところも魅力ですね(中略)十両の時は見ていて力を持て余しているような感じで、前に出過ぎて負けてしまうような相撲もありましたので」と話している[44]。一方、2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝、御嶽海、北勝富士とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘しており、御嶽海以外の共通点として「押し込んですぐに叩きに行く」と相撲のワンパターンさを突っ込んでいる[45]。
エピソード
- 2015年8月23日の夏巡業札幌場所では白鵬や尾車から太鼓判を押された。白鵬が「(夏巡業の)後半は阿武咲が頑張ってた」と言えば、尾車巡業部長も「遠藤も逸ノ城もおちおちしていられない」と評価するほどであった[46]。
- 『阿武咲』の文字を当時の中泊町町長であった小野俊逸が手掛け、北村春一が絵を手掛けた青森ねぶたの化粧廻しと、阿武松が尊敬するグラフィックデザイナーの松永真が手掛けたヒョウの柄の化粧廻しを持っている[47]。
- 徳勝龍とは「大好きな先輩。小さい頃から、お兄ちゃんのような存在だった」という親しい間柄。徳勝龍は、同じ近大相撲部で同学年の宝富士が故郷の青森に帰省した時に同行。そこで少年時代の阿武咲に稽古をつけてくれた[48]。2017年5月場所12日目には徳勝龍を破って勝ち越しを決めて恩返しを果たしている[49]。
- 次の日の支度部屋で徳勝龍に会った阿武咲は「おかげさんで勝ち越しました」と礼を言ったが、これに関して徳勝龍は2017年6月17日に浅草の東洋館で行われたトークショーで「いやいやその相手おれだから(笑)」と阿武咲にツッコミを入れている。阿武咲は、同じトークショーで「でも対戦の時に徳勝龍関が顔を張ってくる」と苦言を呈している[48]。
- 翌2017年7月場所は先場所より2日早い10日目で勝ち越しを決めたが、その相手は又もや徳勝龍であった。
- 貴景勝とは親友であり、巡業では昼休憩になると2人仲良く裸になって一緒に寝そべって、携帯電話で遊んでいた。しかし小学生の頃から土俵の上では良きライバルである[50][8]。貴景勝については、最初はふてぶてしいので大嫌いであったため口も聞かなかったが、2014年11月場所前に出稽古に行ったときに初めて喋ったのがきっかけで友達になったといい[51]、考え方や見方、持っているものの違いから貴景勝と接することは勉強になるという[8]。
- 白鵬が主催する少年相撲大会「白鵬杯」の第1期出場メンバーでもある。2017年7月30日に開催された夏巡業岐阜場所では「強い人とやると、食ってやろう、と思う。強い人の方が燃える」と、初の上位総当たり戦となる同年9月場所において「白鵬杯」で縁のある白鵬に対する恩返しを行うことを誓った[52]。ところが、その9月場所は左大腿四頭筋腱炎及び左足関節靱帯損傷により白鵬は休場。本人への恩返しは翌11月場所以降に持ち越しとなった。
- 2017年7月場所11日目は同郷の宝富士と初顔となり恩返しした。勝った阿武咲は支度部屋で「ずっとかわいがってもらっていた。俺も強くなったというのを見せたかった」と話していた。一方負けた宝富士は「(故郷の)町では宝富士は終わった。(これからは)阿武咲だなと言われそう」と落胆していた[53]。
- 2017年9月場所7日目から国技館の売店に急遽阿武咲の錦絵が加わった。99年ぶりに3横綱2大関が休場する異常事態の今場所を盛り上げている若武者とあって「あまりにも多くのお客さんから聞かれるので」と相撲錦絵師の木下大門が急遽、5時間かけて製作した。30年以上も錦絵をつくる木下が、場所中に急遽製作したのは3度目のこと。「ざんばら髪の遠藤と、同じくざんばら髪の逸ノ城のとき以来です。今回はあまり相撲観戦に不慣れなご婦人まで求められてきたので一種の事件ですね」と木下は語る[54]。
- 稀勢の里からは稽古でも私生活でも目をかけられている[12]。
- カラオケではCHEMISTRYをしばしば熱唱する。その腕前はプロ級[12]。
- 2017年11月場所前に行われたNHKアナウンサーの沢田石和樹によるインタビューでは、宝富士と地元後援会が共通していると明かしている[51]。
- 音楽鑑賞も趣味だが、音楽で気持ちが高まりすぎて相撲に余分な力が入ることからある時期から取組前に聴くのはやめている[51]。
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:229勝164敗21休(35場所)
- 幕内成績:56勝44敗20休(8場所)
- 十両成績:111勝98敗1休(14場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2018年5月場所)
三賞・金星
- 三賞
- 敢闘賞:2回(2017年5月場所、2017年9月場所)
- 金星:1個
- 日馬富士1個(2017年9月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2013年 (平成25年) |
(前相撲) | 東序ノ口7枚目 6–1 |
東序二段17枚目 6–1 |
東三段目55枚目 6–1 |
西三段目3枚目 4–3 |
西幕下54枚目 5–2 |
2014年 (平成26年) |
東幕下34枚目 4–3 |
東幕下28枚目 5–2 |
東幕下16枚目 5–2 |
東幕下10枚目 4–3 |
東幕下8枚目 5–2 |
東幕下3枚目 5–2 |
2015年 (平成27年) |
東十両11枚目 8–7 |
東十両9枚目 7–8 |
東十両10枚目 8–7 |
東十両8枚目 7–8 |
東十両9枚目 9–6 |
西十両6枚目 4–10–1[場所 1] |
2016年 (平成28年) |
東十両14枚目 8–7 |
西十両12枚目 5–10 |
西幕下3枚目 7–0[場所 2] |
東十両12枚目 7–8 |
東十両12枚目 11–4 |
東十両4枚目 7–8 |
2017年 (平成29年) |
西十両5枚目 9–6 |
西十両2枚目 9–6 |
東前頭14枚目 10–5 敢 |
西前頭6枚目 10–5 |
東前頭3枚目 10–5 敢★ |
西小結 8–7 |
2018年 (平成30年) |
西小結 4–6–5[場所 3] |
西前頭5枚目 休場[場所 4] 0–0–15 |
西十両筆頭 優勝 12–3 |
西前頭11枚目 10–5 |
西前頭6枚目 4–11 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 阿武咲 奎也(おうのしょう ふみや)2013年1月場所 -
脚注
- ↑ 1.0 1.1 相撲界、期待の新星は寡黙なスノーボーダー 2017年6月8日16時0分 スポーツ報知
- ↑ 「まずは十両」 国体V・打越君が阿武松部屋入門 青森 朝日新聞デジタル 2012年12月17日(2013年11月8日閲覧)
- ↑ 21歳阿武咲 青森・中泊の先輩宝富士に勝ち2敗死守 Sponichi Annex 2017年7月20日 05:30
- ↑ 阿武咲の新十両紹介 阿武松おかみさんのブログ 2015/1/14(水) 午後 10:19
- ↑ 横綱たちに稽古で可愛がられる新小結、阿武咲。「しっかり暴れます」 web Sportiva 2017.11.11(集英社、2017年11月23日)
- ↑ 三本木農・打越奎也くん、国体相撲個人戦優勝を報告 十和田市ブログ 「駒の里から」 2012年10月22日(2013年11月8日閲覧)
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p19
- ↑ 8.0 8.1 8.2 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p17-18
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年9月号(秋場所展望号) 33頁
- ↑ 三農高で活躍 打越が阿武松部屋入門 デーリー東北新聞社 2012年12月18日(2013年11月8日閲覧)
- ↑ 大相撲初場所:多彩な16人全員合格 新弟子検査 毎日.jp 2012年12月27日(2013年11月8日閲覧)
- ↑ 12.0 12.1 12.2 注目の新星力士「阿武咲」カラオケでケミストリーを熱唱中Smart FLASH 2017.07.25 .週刊FLASH 2017年7月18日号(光文社)(2017年8月23日閲覧)
- ↑ 阿武咲が新十両昇進 日刊スポーツ 2014年11月26日閲覧
- ↑ 阿武咲10代十両昇進も「感謝、謙虚」 nikkansports.com 2014年11月26日20時20分
- ↑ 十両の阿武咲が再出場へ=大相撲九州場所 時事ドットコム 2015年11月19日(2015年11月22日閲覧)
- ↑ 幕下陥落濃厚の阿武咲、稀勢の里とぶつかり稽古「一場所で戻る」 2016年4月13日8時0分 スポーツ報知
- ↑ 殊勲賞は2横綱倒した御嶽海、敢闘賞は阿武咲/三賞 日刊スポーツ 2017年5月28日13時29分
- ↑ 三賞4人全員敗れる珍事 阿武咲、新入幕で敢闘賞も悔しい千秋楽 スポニチ Sponichi Annex 2017年5月29日05時30分
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p40
- ↑ 日刊スポーツ 2017年6月18日
- ↑ 稀勢の里、阿武咲と27番「状態はいい」と復調実感 日刊スポーツ 2017年6月18日9時58分
- ↑ 雑誌『相撲』 2017年7月号(名古屋場所展望号)57ページ 同年6月29日発売
- ↑ 名古屋場所優勝争いは白鵬が1敗守る 碧山が1差 3敗に日馬富士、松鳳山 デイリースポーツ 2017.7.21
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p4
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p79
- ↑ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p7
- ↑ 阿武咲、大関高安に7戦全勝!秋場所は3役以上と総当たり「楽しみ」 SANSPO.COM(産経新聞社) 2017.8.17 05:02(2017年8月24日閲覧)
- ↑ “阿武咲の強心臓、初金星も「その空気が楽しかった」”. 日刊スポーツ. (2017年9月15日) . 2017閲覧.
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p38
- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 pp.4-5.
- ↑ “阿武咲 初の新入幕3場所連続2桁勝利にあと1「意識しない」”. スポニチアネックス. (2017年9月24日) . 2017閲覧.
- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.7.
- ↑ “新小結に阿武咲、横綱日馬富士は東正位 九州場所番付”. 日本経済新聞. (2017年10月30日) . 2017閲覧.
- ↑ 阿武咲が休場 右膝後十字靱帯損傷の診断書を提出 日刊スポーツ 2018年1月23日12時40分(日刊スポーツ新聞社、2018年1月28日閲覧)
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.79
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.10-11
- ↑ 稀勢の里、貴ノ岩ら12人が春巡業を初日から休場 日刊スポーツ 2018年3月31日9時9分(日刊スポーツ新聞社、2018年4月4日閲覧)
- ↑ 稀勢の里鼻血「あークソ!」闘志むき出し激しい相撲 日刊スポーツ 2018年9月3日8時57分(日刊スポーツ新聞社、2018年9月8日閲覧)
- ↑ 高安、照ノ富士に敗れるも「やっと終わった…素直に喜びたい」/夏場所 SANSPO.COM 2017.5.28 19:48
- ↑ 『大相撲中継』2017年6月18日号11ページ
- ↑ 『大相撲中継』2017年6月18日号 57~73ページ
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p23
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p26
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p20
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.44
- ↑ 十両唯一10代・阿武咲に白鵬ら太鼓判 Dairy Sports Online 2015.8.24
- ↑ 阿武咲の新十両紹介 阿武松おかみさんのブログ 2015/1/14(水) 午後 10:19
- ↑ 48.0 48.1 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p56
- ↑ 阿武咲、恩人徳勝龍下し勝ち越し「感謝の気持ち」 日刊スポーツ 2017年5月25日19時38分
- ↑ 日刊スポーツ 2017年5月30日
- ↑ 51.0 51.1 51.2 『大相撲中継』2017年11月18日号 p58-61
- ↑ 阿武咲 夏巡業で精力的申し合い 初の上位戦へ「強い人の方が燃える」 Sponichi Annex 2017年7月30日 17:41
- ↑ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p49
- ↑ 日刊スポーツ 2017年9月18日
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
|
幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
| ||||
関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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