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阿炎 政虎(あび まさとら、1994年5月4日 - )は、埼玉県越谷市出身で、錣山部屋所属の大相撲力士。本名は堀切 洸助(ほりきり こうすけ)。身長187cm、体重144kg、左利き[1]。最高位は西前頭2枚目(2018年5月場所)。好物はシーフード味のカップ麺[2]。大の喋り好き[2]。
Contents
来歴
建築関係の自営業を営む両親の下、男2人女2人の4人きょうだいの末っ子として生まれた。同じ年の子供より頭一つ大きく、よく食べてよく遊ぶ子供であった。性格はきょうだいの中でも一番優しく、幼稚園時代は母がテレビドラマを見て泣いているところもらい泣きする一面もあった[3]。
兄や姉はスポーツ万能であり、自身も幼少期から運動神経は悪くなかったが、太っていたので走るのは苦手だろうと思っていた両親の配慮で柔道をやらせてもらった。ただ、これは痛いのが嫌なのですぐ辞めてしまった。越谷市のわんぱく相撲では小学1年生、2年生の時に優勝していたが、3年生の時に負けてしまい、悔しかったため草加相撲練修会に入会して力を付けた。当初は相撲が嫌いで特にぶつかり稽古が苦手であったため、ぶつかり稽古の時間になるといつもトイレに逃げ込んでいた。4年生以降、越谷市では選手の層が薄かったため毎年優勝し、わんぱく相撲の全国大会にも出場したが、全国大会ではすぐに負けていた。両親は習字やそろばんと同じ感覚で相撲を始めさせており、無理に続ける必要はないと思っていた。しかし、相撲は嫌いだが仲間には恵まれ、後に入門する錣山部屋の兄弟子となる松本豊(後の幕下彩)に可愛がられていたこともあって相撲はやめなかった。人懐っこい性格なので、大会に行くと他の道場の子供ともすぐ仲良くなり、高西勇人(後の幕内、大栄翔)や中村大輝(後の幕内、北勝富士)とも小学校時代から仲が良かった[3]。
越谷市立大相模中学校進学後は相撲を辞めるつもりであったが、練修会の常光弘泰監督に説得されて嫌々ながら相撲を続けていた。常光は「休んでもいいから、やめるのは待ってください。あの子はきっと化けますから」と家族を説得したという。中学生時代には、2年生の秋に県大会で3位に入賞し、その後の大会でも同学年では敵なしであった選手に勝って優勝した。それ以来相撲が面白くなり、電車で1時間以上かけて少年相撲クラブに出稽古に通うようにもなった。第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞した。この大会では初日に予選落ちするだろうと本人は予想しており、開催地の鹿児島の海で泳ごうと水着を用意していたほどであったという[3]。
その後、千葉県立流山南高等学校に進学し、相撲部に入部。同校出身の同級生には大翔鵬(追手風部屋所属)がいる。高校総体ではベスト16に輝いたこともある。
高校3年生のとき、第61回選抜高校相撲十和田大会において、個人戦で3位に入賞[3]。ちなみに準決勝で敗れた相手は、イチンノロブ(のち逸ノ城)である。
両親は大学進学を望んでおり、学生相撲で全国優勝を目指してほしいと願っていたが、本人は家業を継ぐと言いだしていた。卒業後、相撲部の監督が錣山と親しいことから錣山部屋に入門。堀切は最初は自分が入門するとは言っていないため、期待させているみたいで悪い気がしたので両親が錣山と会うのを嫌がっていたが、卒業旅行で大阪に行っていた際に、堀切本人が入門したいと言っているという趣旨の話を父が聞いて、そのまま入門に至ったという[3]。2013年5月場所に初土俵を踏み、前相撲で一番出世。序ノ口で迎えた7月場所では蘇に敗れただけで6勝1敗。序二段で迎えた9月場所では7戦全勝で優勝を成し遂げた。三段目で迎えた11月場所では4勝3敗に終わったものの、翌1月場所では再び7戦全勝で優勝を成し遂げ、初土俵から所要5場所で一気に幕下上位となる西幕下13枚目へと駆け上がった。その後も殆どの場所で幕下上位を維持し、2014年11月場所には東幕下11枚目の地位で6勝1敗の好成績を上げ、翌2015年1月場所には関取目前となる西幕下2枚目の地位で5勝2敗。場所後の番付編成会議で、3月場所での新十両昇進が決定された。十両昇進と同時に、それまで本名のままだった四股名を「阿炎」に改める[4]。この四股名は師匠である錣山の愛称と同音であり、当の錣山は「阿修羅のように強く、燃えて戦う」と四股名に対する願いを新十両会見で話していた。会見ではまた「親方の番付を超えたい」という阿炎に対し、師匠は「磨けば光るところばかり。豊真将のまねをできたら、自分なんか目じゃない」と期待を寄せていた[5]。十両昇進を記念した祝賀会では壇上に両親を呼び寄せ「20年間、迷惑ばかり掛けて申し訳ありませんでした。親方の下で稽古に励みます」と感謝の思いを口にし、錣山は「結びの一番で白鵬と戦える力士に育てていきたい」とスピーチした。[6]2016年の文献では、北の富士から「手足が長くて、見た感じ、たらば蟹みたい(笑)」と評され「かわいい顔をしてるし」とも書かれている[7]。
十両の土俵では、昇進2場所目となった2015年5月場所で初めて勝ち越したものの、7月場所からは2場所連続の負け越しとなり、同年11月場所で幕下に転落した。その後も十両復帰は遠く2016年は丸1年間幕下生活となり、11月場所では途中休場した同部屋力士に代わるピンチヒッターではあったものの、幕下力士として横綱・鶴竜の付け人も務めた[8]。この場所からはまた勝ち越しが続き、2017年3月場所では東幕下16枚目で自身初の幕下優勝を果たした。この場所の7番相撲で負ければ6勝1敗の力士8人による優勝決定戦が行われるところであった。取組後、阿炎は「昨夜は立ち合いの変化を考えていました。師匠(元関脇・寺尾)から『思い切り前に出れば大丈夫』と言われ気持ちを切り替えました」とほっとした表情を見せ「気持ちが切れかかったこともありましたが、おいとめいが6人に増え、相撲でいいところを見せたい思いも出てきました」と心境を語った。幕下15枚目以内なら規定で十両に戻れたが「わがままは言いません。次の場所で頑張ります」と気持ちを切り替えて、5月場所の活躍を誓っていた[9]。5月場所は東幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越したことで翌7月場所で十両に復帰し、その場所も十両では2年ぶりの勝ち越しとした。9月場所は14日目時点で阿炎含め4人が5敗で4敗の琴勇輝を追う展開となり、千秋楽ではその琴勇輝との直接対決を制し、10勝5敗で4人が優勝決定戦に進んだ。一回戦の誉富士戦では立ち合い変化の末破ると、決勝ではこの日2回目となる琴勇輝戦を制し、十両優勝を果たして躍進の場所となった。優勝を果たしてインタビュールームに呼ばれた際には「土俵よりも緊張する」と言ったが、決定戦の土俵下で笑顔が見えたことを聞かれると「私は明るい性格なので相撲を盛り上げようと思った」と軽く答えた。しかし仲の良い阿武咲の活躍は「うれしいけど悔しい」とライバル心を見せる。「十両に戻って気持ちの面でも強くなった。来場所も、できることを精いっぱいやろうと思う」と気合を入れていた[10]。2017年10月2日の明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会第76回大会十両の部に参加して同部屋の青狼と対決、負けて準優勝[11]。11月場所でも調子が下がることはなく、10日目終了時点で8勝2敗の好成績で、1敗の蒼国来との優勝争いを演じていたが、ここから連敗して脱落。それでも十両優勝だった前場所よりも良い11勝4敗の好成績を挙げ、続く2018年1月場所で新入幕を果たした。1月場所は6日目まで3勝3敗と五分の星であったが、最終的に10勝5敗を挙げて敢闘賞を受賞。場所前から三賞トリプル受賞を狙うと公言していた[12]阿炎は「怖いほどうまいこといったので、この次も狙っていきたいと思います」とインタビューで答えた[13]。この場所で阿炎と同時新入幕の竜電も10勝5敗での敢闘賞を受賞している。東前頭7枚目で迎えた3月場所は中盤までは一進一退の星勘定だったが、中日から7勝1敗と調子を上げて新入幕から二場所続けての10勝を挙げた。11日目の千代翔馬戦では39度の高熱を出しながら出場し、この日は敗れたものの、翌12日目の豊山戦ではまだ微熱が残る中で豊山を押し出しで破った[14]。また、13日目の千代大龍戦、14日目の琴奨菊戦では二日続けて立ち合い変化を行う曲者ぶりも発揮した。5月場所は東前頭2枚目となり、初めての幕内上位での土俵となった。6日目に横綱 白鵬を破って自身初の金星を獲得。さらに翌7日目には大関 豪栄道も立ち合い変化で破り、三役戦を取り終えて3勝5敗と健闘を見せたが、千秋楽に同じく給金相撲の嘉風に敗れて7勝8敗に終わり、幕内で初となる負け越しを経験した。翌7月場所は東前頭3枚目で迎えた。5日目に自身が付き人を務めた経験もある横綱 鶴竜を破り2場所連続となる金星を獲得。しかしここから6連敗を喫するなど早々に負け越しが決まってしまった。それでも終盤に4連勝と意地を見せて6勝9敗の成績に留めた。
取り口
スピード十分の突っ張りと相撲勘を主軸とした取り口を持っている[5]。2015年3月場所前には師匠から「突っ張って両手で引く取り口が一番似ている」と言われた。喉輪なども強く、土俵中央で繰り出してそのまま流れで出すパターンもある[15]。一方で腰高なので入られやすく、組まれるとあまり残すことはできない。調子の悪い場所であれば引き技が裏目に出ることが多くなりがちである。2017年に入ってからは食事と睡眠を増やしたことで体重が増え、安易に引く場面が減って勝負に対する我慢強さも出るようになった[16]。とはいえ新入幕した頃になっても気持ちが載った時に突っ走るのを除いて基本的には突いては叩く相撲なのでやくみつるはそれほど評価しておらず、始めて敢闘賞を受賞したのを見てようやく「光明が差してきた」と2018年1月場所のコラムで見直している[17]。同じ時期のコラムでは武蔵川は軽量を指摘しており、もっと増量すべきだと話していた[18]。勝つためには変化も厭わない性格であり、2018年1月場所中、本人は変化をしたことについて「自分の勘を信じた」「勝てばいい」という趣旨のコメントを支度部屋で残している[2]。2018年1月場所6日目に黒星を喫した相撲を、師匠の錣山は「足を出していないんじゃなく、手が回転してないから足が出ない。短距離走でも手を振れば足がついてくるでしょう」とNHK大相撲中継の解説で厳しく指摘[19]。2018年9月場所前の相撲雑誌では14代二子山が「師匠の錣山親方の現役時代に比べると、突きの回転が遅いですね」と注文を付けられており、その上で「相手の体重を抑えられるくらいの筋力をつけて、もっとノド元を攻めていけば、他の技も出しやすくなると思います」と助言している。14代二子山は同じ記事で「まだ自分と相手の距離感がつかめていない感じがします」「立ち合いも仕切り線にやや近いような気がします。手足が長いので、最初のもろ手突きは手が伸びるくらいがいいのではないでしょうか」と指摘している[20]。
エピソード
- 2018年1月場所9日目の支度部屋で、体重は間食、特にシーフード味のカップ麺で増やしていることを話した[2]。
- 下位時代、土俵でキョロキョロする癖があったが、本人は「周りを見ていると落ち着きます」とこれについて話していた[21]。
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:185勝135敗(33場所)
- 幕内成績:39勝36敗
- 幕内在位:5場所
- 十両成績:56勝49敗(7場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2017年9月場所)
- 幕下優勝:1回(2017年3月場所)
- 三段目優勝:1回(2014年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2013年9月場所)
三賞・金星
- 三賞:1回
- 敢闘賞:1回(2018年1月場所)
- 金星:2個
- 白鵬1個(2018年5月場所)
- 鶴竜1個(2018年7月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2013年 (平成25年) |
x | x | (前相撲) | 東序ノ口19枚目 6–1 |
西序二段33枚目 優勝 7–0 |
東三段目34枚目 4–3 |
2014年 (平成26年) |
西三段目23枚目 優勝 7–0 |
西幕下13枚目 3–4 |
東幕下18枚目 5–2 |
西幕下11枚目 5–2 |
東幕下7枚目 3–4 |
東幕下11枚目 6–1 |
2015年 (平成27年) |
西幕下2枚目 5–2 |
東十両12枚目 7–8 |
東十両13枚目 8–7 |
西十両10枚目 7–8 |
西十両11枚目 5–10 |
西幕下筆頭 3–4 |
2016年 (平成28年) |
西幕下4枚目 4–3 |
東幕下2枚目 2–5 |
東幕下12枚目 5–2 |
西幕下4枚目 1–6 |
西幕下21枚目 3–4 |
西幕下28枚目 4–3 |
2017年 (平成29年) |
東幕下24枚目 5–2 |
東幕下16枚目 優勝 7–0 |
東幕下筆頭 5–2 |
東十両14枚目 8–7 |
西十両11枚目 優勝 10–5 |
西十両5枚目 11–4 |
2018年 (平成30年) |
東前頭14枚目 10–5 敢 |
東前頭7枚目 10–5 |
西前頭2枚目 7–8 ★ |
東前頭3枚目 6–9 ★ |
西前頭4枚目 6–9 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 堀切 洸助(ほりきり こうすけ)2013年5月場所 - 2015年1月場所
- 阿炎 政虎(あび まさとら) 2015年3月場所 -
脚注
- ↑ <新十両昇進会見>現在20歳の阿炎。日本相撲協会公式ツイッター 2015年1月28日 13:59
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 阿炎そこまで言ってええんかい、美徳と対極の語録 日刊スポーツ 2018年2月9日10時14分(日刊スポーツ新聞社、2018年2月26日閲覧)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 『相撲』2018年3月号 p.14-15
- ↑ 新十両に阿炎、天風、石浦 日刊スポーツ 2015年1月28日(2015年1月28日閲覧)
- ↑ 5.0 5.1 阿炎「順調過ぎて怖い」=大相撲春場所・番付編成会議 時事通信 2015/01/28-17:24
- ↑ 阿炎20歳 昇進祝賀会に300人 nikkansports.com 2015年2月22日9時13分 紙面から
- ↑ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P131
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年12月号(九州場所総決算号) 93頁
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号23ページ
- ↑ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.49.
- ↑ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p4
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.55
- ↑ 阿炎、公言通りの三賞受賞に「怖いほどうまいこといった」/初場所 SANSPO.COM 2018.1.28 19:24(産経新聞社、2018年1月31日閲覧)
- ↑ 阿炎、豊山を押し出し7勝目「昨日より力が出ました」 スポーツ報知
- ↑ 【新風力士】女性ファン注目!阿炎 師匠・寺尾ばり「突っ張り」武器 Sponichi Annex 2015年3月20日 08:40
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号90頁
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.4-5
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.6-7
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.46-47
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.36
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号29頁
参考文献
『大相撲ジャーナル』2014年4月号29ページ
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
| ||||
十両 | ||||||
|
十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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