第1回衆議院議員総選挙(だい1かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1890年(明治23年)7月1日に行われた日本の帝国議会(衆議院)議員の選挙である。
選挙データ
内閣
投票日
改選数
選挙制度
- 小選挙区制(一部2人区制)
- 1人区(単記投票) - 214
- 2人区(連記投票) - 43
- 被選挙権 - 士族か平民(皇族・華族は立候補できない)
- 選挙権 - 直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性
- 有権者数[1] - 450,872(全人口39,933,478人の約1.13%)
- 人口対有権者比が最大の府県 - 滋賀県(人口:671,788人、有権者数:15,456人(人口比 2.30%))
- 人口対有権者比が最小の府県 - 東京府(人口:1,628,551人、有権者数:5,715人(人口比 0.35%))
- 有権者数が最大の府県 - 兵庫県
- 有権者数が最小の府県 - 北海道・沖縄県(有権者数:0人)
- 投票方法 - 記名投票(氏名と住所の記載、および、印鑑による押印が必要)
- 実施地域 - 本州、四国、九州。
その他
- 立候補者数 - 1,243
- 当選300人中191人が平民。最も多い職業は農業。
- 単純平均で人口13万人あたり1人の議員が選出されたことになるが、概ね都市部に有産者(直接国税15円以上を払える富裕層)が少なく、寄生地主や製糸業者などが多い農村部に有産者が多かったため、農村部では数百から数千票を得ないと当選に至らなかったが、都市部では数十票程度で議員になることが出来た。
選挙結果
議席数
テンプレート:第1回衆議院議員総選挙
選挙データ
- 投票率 - 93.91 %
- 最高得票者[2] - 松田正久(自由倶楽部)
この選挙で当選
大成会 国民自由党 立憲自由党 立憲改進党 無所属
補欠当選
- 宮城県第5区 遠藤温(1891.11.13辞職)→佐藤運宜(1891.12.8補欠当選)
- 茨城県第4区 森隆介(1890.8.12当選無効)→赤松新右衛門(1890.8.25補欠当選)
- 埼玉県第3区 間中進之(1890.9.5死去)→野口褧(1890.10.1補欠当選)
- 東京府第10区 森時之助(1891.2.27辞職)→角田真平(1891.3.19補欠当選)
- 新潟県第1区 山際七司(1891.6.9死去)→小柳卯三郎(1891.7.12補欠当選)
- 新潟県第5区 小林雄七郎(1891.4.4死去)→波多野伝三郎(1891.5.4補欠当選)
- 富山県第1区 磯部四郎(1890.10.30退職)→石坂専之介(1890.11.22補欠当選)
- 石川県第2区 相川久太郎(1891.6.18当選無効)→杉村寛正(1891.6.25補欠当選)
- 愛知県第4区 宮田慎一郎(1891.6.18辞職)→松山義根(1891.7.16補欠当選)
- 三重県第5区 北川矩一(1891.3.19辞職)→角利助(1891.7.15補欠当選)
- 滋賀県第1区 杉浦重剛(1891.3.6辞職)→川島宇一郎(1891.3.27補欠当選)
- 滋賀県第3区 伊庭貞剛(1891.7.6辞職)→中小路与平治(1891.7.30補欠当選)
- 滋賀県第4区 相馬永胤(1891.2.27辞職)→脇坂行三(1891.3.19補欠当選)
- 大阪府第4区 中江篤介(1891.2.27辞職)→村山龍平(1891.3.18補欠当選)
- 兵庫県第3区 法貴発(1890.12.23死去)→田艇吉(1891.1.17補欠当選)
- 和歌山県第1区 陸奥宗光(1891.9.12辞職)→岡崎邦輔(1891.9.24補欠当選)
- 鳥取県第1区 岡崎平内(1891.7.11辞職)→木下荘平(1891.8.12補欠当選)
- 鳥取県第3区 松南宏雅(1891.7.11辞職)→門脇重雄(1891.8.12補欠当選)
- 広島県第9区 三浦義建(1890.10.2死去)→井上角五郎(1890.11.12補欠当選)
- 山口県第2区 井上正一(1891.5.11退職)→堅田少輔(1891.7.10補欠当選)
- 山口県第4区 野村恒造(1891.8.29辞職)→矢島作郎(1891.9.22補欠当選)
- 熊本県第6区 松山守善(1891.7.6当選無効)→小崎義明(1891.7.27補欠当選)
脚注
関連項目
参考文献
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。