東龍強
東龍 強(あずまりゅう つよし、1987年5月12日 - )は、モンゴル国ウランバートル市(2015年11月場所以降の公称出身地は同国ゴビ・アルタイ県)出身で、玉ノ井部屋所属の現役大相撲力士である。本名はサンドゥイジャブ・トドビレグ(モンゴル語キリル文字表記:Сандуйжавын Тодбилэг)。身長191cm、体重155kg、血液型はB型。最高位は東前頭14枚目(2014年3月場所)。右四つの相撲を得意としており、頻繁に上手投げで白星を奪い取るのが取り口の特徴である。尊敬する力士は魁皇。
来歴
モンゴルでスカウトを受けたため、2003年11月に15歳で明徳義塾高校に相撲留学。2006年に九州情報大学へ進学し、2年生で全国学生個人体重別選手権大会無差別級で3位に入賞している。2008年9月に大学を3年次で中途退学し、同年6月に体験入門していた玉ノ井部屋へ正式に入門し、同年11月場所前の新弟子検査を受検する。折しも角界が大相撲力士大麻問題に見舞われた直後の時期であったが、その点6年の日本生活を経験して常識を備えていたトドビレグは協会で行われた面接の結果として玉ノ井からも太鼓判を押されるなど信頼されていた。それまでは外国人力士も新弟子検査に合格した場所で初土俵を踏んでいたが、この場所の検査からは興行ビザの取得と力士教育を済ませてから初土俵を踏むように変更されたため、同じモンゴル出身の貴ノ岩とともに初土俵は2009年1月場所となった。2009年1月場所初土俵の同期生は他に宝富士、皇風、德勝龍らがいる。
初めて三段目に昇格した2009年9月場所は7戦全勝とし、優勝同点。初土俵から1年足らずの翌11月場所で幕下に昇進して以降は幕下に定着し、2011年9月場所では関取昇進の可能性があるとされる、幕下15枚目以内に初めて昇格。2012年11月場所では西幕下筆頭で6勝1敗の好成績で、場所後の番付編成会議で翌2013年1月場所での新十両昇進が決まった。[1]新十両発表を受けた2012年11月28日は母親の命日であり、明徳義塾高校2年生の時に母親が死去した時には「聞いた時は涙も出ないくらい信じられなかった」といい、命日からちょうど8年で念願の関取の座を掴んで母親の供養を果たした恰好となった。[2]新十両発表に際して「魁皇関のような相撲を取りたい」と話した。
新十両の場所は勝ち越し、2場所目の同年3月場所は12勝3敗の好成績。旭秀鵬との優勝決定戦に敗れたため十両優勝はできなかったが、続く5月場所で新入幕(東前頭16枚目)。モンゴルからの新入幕は、2012年1月場所の旭秀鵬以来17人目。翌5月場所では予てよりの弱点である攻めの甘さとあっさり土俵を割る点が露呈し、6勝9敗の負け越し。その後2014年1月場所に西十両3枚目で10勝5敗の好成績を残した[3]ことで翌3月場所には再入幕を果たし、自己最高位を東前頭14枚目まで更新する。2013年5月場所以来5場所ぶりの幕内復帰。その場所は9日目まで5勝4敗だったが、14日目に負け越しが決定し、最終的には6勝9敗。西関脇だった琴欧洲が場所中に引退し、翌場所は幕尻が東前頭17枚目になることから、幕内残留はほぼ確実だった。しかし、西十両4枚目で8勝7敗だった佐田の海が新入幕を果たしたため、翌5月場所は十両に陥落(東十両筆頭)。1場所で幕内に復帰するも、その場所14日目の逸ノ城戦で右膝を負傷してしまい、千秋楽は自身初の休場を余儀なくされた[4]。
続く9月場所の全休を経て、十両下位に落ちた同年11月場所で復帰するも、2場所連続で負け越して2015年3月場所では幕下に陥落した。幕下転落2場所目の同年5月場所で1年ぶりの勝ち越しを果たし、同年9月場所では東幕下2枚目で、7番目では幕下で唯一6連勝としていた佐藤を破って6勝1敗8人による優勝決定戦に進出。トーナメント形式の準決勝で千代翔馬に敗れて幕下優勝とはならなかったが、続く11月場所では十両に復帰した。しばらく十両中位から下位にあったが、2016年5月場所に10勝5敗の成績を挙げると翌7月場所は再入幕の窺がえる西十両筆頭の地位を得た。この場所は13日目に勝ち越しに王手をかけたが、14日目から2番連続で給金相撲を落として7勝8敗の負け越し。続く9月場所も6勝9敗の負け越し。それからは十両上位と中位を往来。2017年5月場所は西十両5枚の地位を与えられ、8勝7敗。7月場所はやや幸運で2枚半上昇の東十両3枚目。10月8日の秋巡業富士場所では十両の申し合いで9番相撲を取った[5]。
主な成績
2018年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:335勝297敗15休(58場所)
- 通算勝率:.530
- 幕内成績:19勝26敗15休(4場所)
- 幕内勝率:.422
- 十両成績:205勝200敗(27場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2009年 (平成21年) |
(前相撲) | 東序ノ口23枚目 5–2 |
東序二段90枚目 6–1 |
西序二段13枚目 5–2 |
東三段目81枚目 7–0 |
東幕下52枚目 4–3 |
2010年 (平成22年) |
東幕下45枚目 5–2 |
東幕下33枚目 3–4 |
東幕下39枚目 5–2 |
東幕下26枚目 4–3 |
東幕下18枚目 3–4 |
西幕下23枚目 4–3 |
2011年 (平成23年) |
東幕下20枚目 1–6 |
八百長問題 により中止 |
西幕下44枚目 5–2 |
東幕下18枚目 5–2 |
西幕下5枚目 2–5 |
東幕下12枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西幕下9枚目 4–3 |
東幕下5枚目 3–4 |
西幕下10枚目 5–2 |
西幕下6枚目 4–3 |
東幕下5枚目 4–3 |
西幕下筆頭 6–1 |
2013年 (平成25年) |
東十両10枚目 8–7 |
東十両8枚目 12–3 |
東前頭16枚目 6–9 |
東十両3枚目 7–8 |
西十両4枚目 8–7 |
西十両2枚目 7–8 |
2014年 (平成26年) |
西十両3枚目 10–5 |
東前頭14枚目 6–9 |
東十両筆頭 10–5 |
西前頭14枚目 7–8[6] |
西前頭14枚目 休場[7] 0–0–15 |
東十両10枚目 6–9 |
2015年 (平成27年) |
東十両12枚目 6–9 |
東幕下筆頭 2–5 |
西幕下12枚目 5–2 |
西幕下5枚目 4–3 |
東幕下2枚目 6–1[8] |
西十両9枚目 6–9 |
2016年 (平成28年) |
西十両11枚目 9–6 |
西十両7枚目 7–8 |
東十両8枚目 10–5 |
西十両筆頭 7–8 |
東十両3枚目 6–9 |
西十両6枚目 8–7 |
2017年 (平成29年) |
西十両4枚目 5–10 |
西十両9枚目 9–6 |
西十両5枚目 8–7 |
東十両3枚目 8–7 |
西十両2枚目 6–9 |
西十両4枚目 8–7 |
2018年 (平成30年) |
東十両2枚目 7–8 |
西十両3枚目 6–9 |
東十両6枚目 7–8 |
西十両7枚目 5–10 |
東十両13枚目 9–6 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
四股名
- 東龍 強(あずまりゅう つよし) 2009年1月場所 -
参考文献
- 読売新聞社刊 月刊大相撲2008年12月号 『部屋だより 玉ノ井』
- しっかり者!玉ノ井部屋にモンゴル新弟子 - スポニチアネックス 2012年11月6日閲覧
- 「相撲」編集部編『平成二十四年度版 大相撲力士名鑑』 ベースボール・マガジン社、2012年、44頁
脚注
- ↑ 東龍と鏡桜が新十両に昇進…番付編成会議 YOMIURI ONLINE 2012年11月28日
- ↑ 新十両東龍、母命日に吉報 nikkansports.com 2012年11月29日9時1分 紙面から
- ↑ 『相撲』2014年2月号64頁には好調の理由として「2013年冬巡業で連日20番位以上の申し合いをこなした。」と伝えられている。
- ↑ 平幕の東龍、右ひざ痛め千秋楽に休場 大相撲名古屋場所 2014年7月27日
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号 p10
- ↑ 右膝前十字靭帯損傷及び内側側副靭帯損傷のため千秋楽を休場
- ↑ 右ひざ脱臼、靭帯損傷のため初日から休場
- ↑ 8人による幕下優勝決定戦に進出(トーナメント形式の準決勝敗退)
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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東 | 番付 | 西 | ||||
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横綱 |
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三役 | ||||||
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大関 |
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逸ノ城 | 関脇 | 御嶽海 | ||||
玉鷲 | 小結 | 松鳳山 | ||||
平幕 | ||||||
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幕内前頭 |
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十両 | ||||||
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十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||
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