廃車 (鉄道)

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積み上げられて解体を待つ米国パシフィック電鉄の廃車車両

鉄道車両における廃車(はいしゃ)とは、鉄道車両の本来の用途における使用(人や物を運ぶこと等)をやめ、車籍(登録)を抹消して鉄道事業者資産でなくすこと、またはそうされた車両のことである。

廃車の原因

ある鉄道車両が廃車となる理由には、大きく分けて次の3種類がある。

  1. 経年廃車
  2. 用途(余剰)廃車
  3. 事故(天災によるものも含む)廃車

経年廃車

鉄道車両は、整備や手入れを多額の費用や時間をかけて行えば、30年以上使用することも可能である。長期間使用された車両の例としては、1936年ベルリンオリンピック時に製造されたSバーン用電車がドイツ分裂、東西統一を経て21世紀初頭まで運行していた例や、西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線において2003年まで70年間にわたって使用されたクモハ42形電車などが挙げられる。また、経年が100年を超える蒸気機関車動態保存され、客車を牽いて運転されている例もある。しかし、これらは非常に稀であり、大抵の車両は早くて25年前後、遅くとも35 - 40年(新幹線車両は15 - 20年)で役目を終えている。

これは以下のような理由による。

老朽化
鉄道車両も機械であるため、使い続ければ車体や機器の消耗・老朽化が進んでいく。各種機器の老朽化による動作不良が事故を招くこともあるので、ある程度の期間使用した時点で廃車となる。特に新幹線の車両では在来線よりも高い安全水準が要求されることや、高速・長距離走行のため各部の摩耗や傷みが在来線車両より早く進行するといった理由から、車両の寿命が15年程度である。
日本では、鉄道車両の減価償却期間は大蔵省令により定められており[1]、電車は13年である。つまり、少なくとも13年間使用することを前提とされている。ただし、これを基準に設計された車両はJR東日本209系電車東京都交通局8000形電車と例は少なく、大抵は設計上の耐用年数を20 - 30年程度とし、内装や車体、機器等の更新を行いながら法定耐用年数の13年を超えて使用される。さらには「延命工事」などと言われる大規模な更新工事を行うことで設計上の耐用年数の延長を図り、40 - 50年以上使用され続けている車両も存在する。しかし、使用期間の長さもまちまちである。
この設計上の耐用年数も時代によって変遷しており、一般に1950年代前半までに製造された車両は頑丈に造られており、モノコック構造の採用による軽量化が一般化した1950年代後半以降に製造された車両に比べて、同一経年であっても一般に老朽化の度合いは小さい。例えば、1940年代後半から製造された国鉄スハ43系客車が、後継車として製造された軽量構造のナハ10系客車が老朽化により全廃された後も大量に残存した事例がある。それゆえ、その後に製造された車両は、行き過ぎた軽量構造を見直し、やや頑丈な構造として重量も増加している。また、アルミ合金車オールステンレス車は、普通鋼製の車両に比べての発生による劣化(肉痩せ)がなく、塗装の省略等による保守上のメリットも大きいため、車体デザインの陳腐化さえ考慮しなければ、長期にわたり使用可能である。例えば普通鋼製の大阪市交通局100系電車 (新交通)は海浜部を走行する関係で塩害による車体へのダメージが酷く、2001年までに全廃された後も同時期登場のアルミ合金車の神戸新交通8000型電車(こちらも海浜部を走行する)が2009年まで残存していた例がある。また、鋼製車の南海7000系電車は塩害による車体へのダメージが酷く、2015年に全廃された後も先に登場したオールステンレス車である南海6000系電車は廃車が1両も出ていない。
旧型車から下回りや機器を流用した車体新製車は、流用機器の老朽化から完全新造車に比べて短い期間のうちに新造した車体ごと廃棄される例も多い。流用機器の老朽化や陳腐化が理由であるが、コストなどの保守面等でのデメリットが更新当時の想定以上に急速に表面化するなどの理由によって、早期に廃車される例も見られる。一方で、老朽化の進んだ機器を廃棄し、新造した機器あるいは余剰となっているより新しい機器と交換して、経年の浅い車体が活用される例も少なくない。
特急形車両(その格下げ改造車を含む)は高速・長距離運転を行う性質上、一般車両より老朽化を進行させやすい。例えば国鉄583系電車から改造された715系電車は583系時代における長距離運転による走行距離の大きさとラッシュ時の運用に不適な車体構造などから早期に淘汰され、全廃された後も同時期に製造された急行形車両の方が多く残存した事例がある[注釈 1]阪急電鉄2800系電車は特急車時代において高速運転による走行距離の大きさとその後の一般車格下げ改造による車体強度の低下により老朽化で全廃されたあとも先行して登場した一般車両の2300系電車の方が残存した事例がある。後継車両である6300系電車は特急用として使用され、高速運転による走行距離の大きさにより老朽化が進行したことから京とれいん用と嵐山線用に転用された車両を除いて廃車となり、こちらも先行して登場した一般車両である3300系電車5300系電車の方が残存していた車両が多い。西日本鉄道においても8000形電車は一般車両である5000形電車より車齢が若いながらも老朽化を理由に2017年度までに全廃された[2]
技術的要因
技術の向上により、時代に合わなくなったことを理由として廃車することである。製造された当時は最新鋭の技術を使っていたとしても、技術革新により陳腐化することは避けられない。また、新たに開発された保安装置を設置できなくなることもある。鉄道車両は、長期間にわたって法定の保守点検を行うことが義務付けられているため、新造費用だけでなくランニングコストが多くかかる。このため、新しい車両に置き換えた方がトータルコストを低減できることがある[注釈 2]ため、寿命に達していなくても廃車されることがある。
あまりにも古い車両の場合、交換用の部品が製造中止になってしまい、修理が行えないために、廃車になる場合もある。先述のクモハ42形の場合、42001号を走らせるため、稼動中の42006号を廃車して部品取り用にした。
逆に車体自体は比較的新しいが、足回りの老朽化もしくは環境変化に対応出来なくなった、を理由に廃車になるケースもある。京阪2000系700系(2代目)の場合、架線電圧の昇圧(600V→1500V)に主電動機などが対応出来なかった事を理由に廃車となっている。ただし、車体は再利用され、足回りを新調し、冷房装置取り付けなどを行った上で、それぞれ2600系および1000系(3代目)として「代替新造」扱いされた。
また、特殊な構造を持つ車両や極端に性能の異なる車両(例えば試作車や、何らかの理由で少数しか製造されなかったグループ)は保守に手間がかかったり、交換部品のコストが嵩んだりするため、多数の車両を運用する大手鉄道事業者では早期の整理対象となりやすい。多少古い車両であったとしても、数がまとまっていれば量産効果により維持コストは削減可能であり、性能が揃っていれば運転上の特殊な取り扱いもしなくて済む。実例には長崎電気軌道2000形電車[注釈 3]営団06系電車[注釈 4]等がある。

用途(余剰)廃車

運用体系の変化や輸送力増強などに伴う編成の組み換えに伴う余剰車両の廃車が挙げられる。本項では標準的な寿命(新幹線車両は15年、一般車両は30年程度)と比べて相当短い期間で廃車された事例を列挙する。

  • JR50系客車
    JR発足後、動力分散方式を推進したことにより、車齢が若いながらも気動車や電車に置き換えられる形で廃車となった。
  • 小田急3000形電車 (初代)「SE」
    「SSE」化した際(8両編成4本→5両編成6本)、余剰となった2両が廃車となった。
  • 京成AE形電車 (初代)
    6両編成7本を8両編成5本に組み替えた際に余剰となった先頭車2両が廃車となった。残る車両もAE100形への置き換えにより編成組み換え後僅か2-3年程度で運用を離脱し、経年15 - 20年余りで全車廃車されている。なお、AE形の主要機器は3400形へ流用されている。
  • 新京成電鉄8900形電車
    全編成の6両編成化に伴い、余剰となった中間付随車6両が廃車となった。同じ理由で6両化された8800形は先頭車化改造を行ったため廃車は発生していない。
  • 名鉄1000系電車1600系電車(ク1600)「パノラマSuper」
    名鉄特急の運営方針の転換(一部特別車化)によって運用が減少し、一部が廃車となった。一部機器が1000系から新5000系に、1600系から2300系に流用された。
  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)211系電車
    高崎線東北本線普通列車でのグリーン車の営業運転に先立ち、編成の組み換えによって転籍してきたグリーン車を組み込むことになり、これによって編成から捻出された付随車(サハ211形)に34両の余剰が発生し廃車となった。
    2009年からは千葉支社113系・211系の置換え用として209系2000・2100番台が投入され、これにより幕張車両センターに配置されている211系が3両編成に短縮した上で長野総合車両センターに転出し、余剰となった付随車が廃車となった[注釈 5]
    その後は上野東京ライン開業を目前にE231系・E233系に車種を統一するため、余剰となった1000・3000番台は3両編成に短縮、東海道本線用の基本編成は6両編成に短縮した上で長野総合車両センターに転出したが、その際に余剰となった付随車とグリーン車が廃車となった。また、東海道本線用の2000番台付属編成も他線区に転用されることなく、廃車となった。
  • JR東日本E231系電車(サハE230形500番台6ドア車)
    山手線可動式ホーム柵導入に際し、編成中に2両連結されている6扉車を4扉車に差し替えることにより104両が廃車となった。4扉車への置換えは検査周期の関係から最終編成である552編成から順に実施した[5]
  • JR東日本485系電車(クハ481形1100番台)
    車齢が若いサロ481形1000・1500番台がひたちの短編成・モノクラス化で余剰となり、クハ481形0番台を置き換えるために改造されたが、E653系に置き換えられたため、廃車となった。
  • 営団1500形電車(1500NN形)
    1981年丸ノ内線分岐線(方南町支線)の3両編成化に際し、銀座線で運用されていた2000形を転用するため、その補充として8両が製造された。その後銀座線の運用車両は01系に統一されることになり、1993年までに全車が廃車された。
  • 営団7000系電車営団01系電車営団03系電車営団05系電車営団06系電車
    アルミ車両は経年20年程度経過した段階で更新工事の施工により、40年 - 50年程度使用することを前提としていたが、副都心線開業や東西線でのラッシュ時対策により、7000系および05系の一部車両が経年20年前後で廃車されている。
    また、01系は経年が30年程度であるが、車体が小形なため更新工事の施工が困難なことにより、今後予定されている銀座線でのホームドア設置・ワンマン運転に際し銀座線の運用車両を1000系に統一するため2013年から廃車が開始されており、1997年度製の最終製造車も経年16年で廃車となった。2017年までに全車廃車された。
    06系は前述の理由により、2015年に廃車となった[6]
    03系も経年が20年前後であるが、今後予定されている日比谷線でのホームドア設置に伴い、同線の運用車両を現行の車体長18m級3扉車および5扉車の8両編成から20m級4扉車の7両編成に統一するため、2016年度から2019年度にかけて新型車両に置き換えられ、廃車されている[7]
  • 伊豆急行2100系電車「リゾート21」サロ2180形(ロイヤルボックス
    一部の100系編成に連結していた特別車「ロイヤルボックス」の利用が好調なことと、臨時特急「リゾート踊り子」の運用ではグリーン車に相当する車両も必要とされることから、2100系でも1990年に落成した第4編成で「ロイヤルボックス」を連結した。1991年に当時在籍していた第1 - 第3編成、1993年に落成した第5編成「アルファ・リゾート21」にもそれぞれ「ロイヤルボックス」が連結されたが、2003年3月31日をもって普通列車運用時の「ロイヤルボックス」連結は廃止され、3両が廃車になった。
  • 西日本旅客鉄道(JR西日本)新幹線500系電車
    700系などとの車内設備の違い・運用上の制約などの使いにくさの問題で「のぞみ」の運用はN700系に順次置き換えられ、山陽新幹線内の「こだま」用に16両編成から8両編成への編成短縮改造が施工された。その際、編成から外れた中間車は廃車となった。また、唯一16両編成で残されたW1編成は、運用から外れた後、2012年1月31日に中間車6両が廃車され、残りの10両も2014年3月28日に廃車となった。
    廃車後はほとんどが解体されたが、521-1は京都鉄道博物館で保存され、522-1は博多総合車両所で保管されている。
  • JR西日本キハ37形気動車
    山陰本線の高速化で2003年から休車となっていたが、車齢が若いながらも他線に転用されずに2009年に廃車となった(JR西日本には2両だけの在籍であり、同社では採用例が皆無に近いDMF13S型エンジンが搭載されていたため、保守上の問題があった)。
  • JR西日本683(2000番台しらさぎ編成)・289系電車
    289系化に伴い5両編成12本を6両編成5本と4両編成7本に組み替えた際、余剰となった付随車2両(サハ683-2509・サハ289-2510)が廃車となった。
  • 大阪市交通局6100形電車
    1964年(昭和39年)の弁天町~本町間開業に伴いナニワ工機で11両が製造された。その後900形に改番されたが、4両化に伴い余剰となった911号(旧6111号)が1972年(昭和47年)3月に廃車された。
  • 大阪市交通局10系電車
    大阪市営地下鉄御堂筋線の車両を10両編成化した際、新20系(21系)が増備途上であったため、車齢が古い01 - 03編成を分割・改造及び電装解除のうえ他編成に組み込んだ。その際残った4両は廃車となった。
  • 大阪市交通局30系電車(最終増備車)
    御堂筋線への10系増備に際し、8両編成だった30系を6両に短縮して中央線に転用したが、その過程で余剰となった中間車も中央線の編成として活用する目的で、1984年に先頭車のみ4両が落成した。その後、新20系(24系)投入により1両が中間車化改造・冷房装置搭載の上谷町線に転用されたほかは1993年に廃車された。
  • 西鉄1300形電車
    先頭車は600形(初代)からの流用であるが、中間車は1000形より車齢が若いながらも先頭車の車齢の高さから3扉化も冷房化もされず、大牟田線の全面冷房化に際して1985年に廃車された。
  • 近鉄10000系電車(ビスタI世) ・10100系電車(ビスタⅡ世)
    1970年に特急券のオンライン化が行われたが、1編成しかない10000系は特急券のオンライン化が困難であるため、廃車となった。また10000系の量産型に当たる10100系も後に登場した汎用型特急車と比べて車内設備の陳腐化が著しく、30000系に置き換えられることとなり、製造後15 - 20年程度で全車廃車となった。
  • 近鉄11400系電車
    1969年に11400系の全面3両化に際してク11520形が3両製造されたが、12200系と同時期製造でありながら22000系に置き換えられる形で廃車となった。
  • 京阪3000系電車 (初代)
    当初は8000系投入後も一貫して継続使用する予定であったが、8000系に比べて見劣りしていたことから8000系への全面置き換えへの方針変更により、1編成7両と予備車2両を残して廃車となった。なお、主要機器類は8000系に流用され、車体は富山地方鉄道大井川鐵道に譲渡された。
  • 京成AE100形電車
    成田スカイアクセス開業とAE形 (2代)への置き換えにより、4編成が廃車となった。一部の編成は「シティライナー」用として使用されていたが、こちらも列車廃止により全廃された。
  • 東京都交通局10-300R形電車
    先頭車は車齢が若いが、中間車が10-000形からの転用であり、且つ老朽化が進んでいたため、10-300形の増備に伴い、先頭車は中間車に連鎖される形で廃車となった。2017年までに全車が廃車された。
  • JRED79形電気機関車
    北海道新幹線開業に際してフル規格新幹線の電圧に対応できないため、廃車となった。但し、JR化後の完全新製車である50番台を除けば、前身のED75形700番台としての製造から35年以上経過して老朽化も進行していた。
  • 東急5000系電車 (2代)6扉車(サハ5400・サハ5500・サハ5800形)
    田園都市線でのホームドア導入に際し、編成中に2~3両連結されている6扉車を4扉車に差し替えることにより廃車となった。
  • 東急9000系電車
    東京メトロ副都心線との直通を目前に東急東横線の車種を5000系・5050系に統一するため、9000系を5両編成に短縮した上で大井町線に転出したが、その際に編成から外されたサハ9700形・デハ9300形・サハ9800形が廃車となった。
  • JR東日本E751系電車
    つがるの運行系統変更に際して編成を6両から4両に短縮し、編成から外された中間車は増結用としたが、実際は使われることなく、廃車となった。
  • 京王7000系電車
    8両編成4本のうち2本が6両編成化されたが、その際に編成から外れた4両が廃車となった。

また、新型車両を投入した後にそれまでの車両を廃車にせず他の線区へ転出しその線区の旧形式車を淘汰させることがある。この時に編成は適宜組み替えられるが、組み替えた結果として余った車両が廃車となることがある。

編成組み換えによって余剰となるのは多くが付随車で、転用する場合は電装(モーターなどを取り付けて動力車に改造すること)などが必要となり、莫大なコストが掛かる。ただし、転属や増発による短編成化で制御車(先頭車)が不足する場合には、改造されて制御車になる場合もある。457系電車におけるグリーン車や165系電車などからの改造車、80系電車205系電車485系電車などの例がある。逆に伊豆急行では東急8000系電車の制御車を電動車に改造した事例がある。

また、東京メトロ東西線乗入れ専用車であった国鉄301系電車の場合、営団(当時)との協定でJR側の乗り入れ数が減少したために余剰となった1編成が廃車となった。

他にも廃線や列車廃止の影響による廃車もある。

  • 国鉄EF63形電気機関車
    信越本線横川 - 軽井沢間における碓氷峠の急勾配区間専用補助機関車として使用された同機は1997年北陸新幹線(高崎 - 長野間)先行開業と引き換えの碓氷峠区間の在来線廃止に伴い全車が除籍され形式消滅した。なお、碓氷峠では先代の国鉄ED42形電気機関車も粘着運転への切り換えに伴うアプト式運転廃止で全車廃車となっており、この区間では路線切り換えによる車両の用途廃止による廃車が2代続いたことになる。
    廃車後はおもに碓氷峠鉄道文化むらや軽井沢駅に静態保存(一部は動態保存)されている。
  • 国鉄EF71形電気機関車
    おもに末期は奥羽本線福島 - 山形間の客車普通列車の牽引に使用されていたが1992年山形新幹線開業のためこの区間が標準軌化されたことで同区間での用途を失った。
    一部は東北本線で臨時の運用に使用されたこともあったが、もともと平坦線区間での粘着係数を重視せず、増加分のモーターは長時間抑速回生ブレーキ運転における主電動機熱容量に余裕を持たせるためであり、弱め界磁を装備せず高速運転を考慮しない、となどという板谷峠での運用のみに割り切った特殊設計であるがゆえに他線区への転用・活用ができず1993年までに全車が除籍され形式消滅した。
    廃車後は殆どが解体され1号機のみが新幹線総合車両センターに静態保存されている。
  • 長野電鉄10系電車
    木島線廃止の影響で余剰となり、普通列車の運用が3500系電車に車種統一できることから廃車となった。ちなみに、車齢は3500系や、その後東京急行電鉄より譲渡された8500系電車より若い(1編成2両だけの在籍だったため運用上や整備上の問題もあった)。
  • 郵便車荷物車
    鉄道による郵便・荷物輸送の廃止により、廃車となった。荷物車の中には旅客車や事業用車に転用された車両もあるが、気動車については他用途に転用されることなく、国鉄末期に廃車となった。

後者の外部的な変化としては、他事業者他路線もしくは他車両・新しい規制や法令の影響などで廃車された例がある。

  • 東京都電6000形6152号車
    都電全盛時代を伝える唯一の車両として、またライトの形状から「一球さん」という愛称で保存車として親しまれていたが、京福電気鉄道越前本線列車衝突事故の事故車のブレーキ機構が1系統しかなく、このブレーキ故障によって停止不能となったことが原因として明らかとなり、同様のブレーキシステムであった6152号も休車となり、その後廃車された。
  • 小田急10000形電車「HiSE」
    交通バリアフリー法が施行され、鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、ハイデッカー構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、より古い7000形電車「LSE」よりも早く廃車となりそのうち2本(10021Fと10061F)が4両に短縮の上、長野電鉄へ譲渡された。
  • 小田急20000形電車「RSE」
    小田急10000形電車「HiSE」と同様、交通バリアフリー法が施行され、鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、ハイデッカー構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、より古い小田急7000形電車「LSE」よりも早く廃車となり1本(20002F)が3両に短縮の上、富士急行線へ譲渡されフジサン特急として活躍している。
  • 横浜市交通局2000形電車
    2006年まで1号線・3号線で運用された同車は3000A・N・R形とドア幅が異なり、翌年に開始されたホームドアによるワンマン運転に対応できないため、2006年までに全て廃車になった。なお、第16編成以外の台車や空気圧縮機・ブレーキ装置等の一部機器は3000S形へ流用された[注釈 6]
  • 東海旅客鉄道(JR東海)新幹線100系電車
    1985年に登場した100系は0系と基本性能は変わらず、300系700系の270km/h超の車両の投入によるスピードアップに対応できないため、山陽新幹線こだま用として短編成化されたK・P編成を除き、通常の寿命よりも3~4年早く淘汰された。100系の設計最高速度は275km/hだが、騒音基準を満たせなかったことにより220km/hでの運転にとどまったことも要因の一つである。

また、食堂車はその外部的要因と内部的要因による影響を複合的に受けた例の一つである。

まず、1972年北陸トンネル火災事故によって国鉄10系客車の食堂車火災に対する安全性が問われ(外部的要因)、早期に全廃された。また、国鉄末期になると、新幹線網の発達や自動車の普及、航空機利用の大衆化による特急電車の短距離化・短編成化の傾向の影響を受けたり(内部的要因)、さらに海外旅行の大衆化をはじめ、近年の旅行形態の多様化の影響を受けるなどして(外部的要因)、昼行特急列車の食堂車の多くが廃止され、余剰であるとして廃車となった。

  • 新幹線も現在の車両には連結されていない。
  • なお廃止となった昼行特急列車の食堂車のうち、廃車を免れた少数の例として国鉄485系電車において雷鳥の食堂車を廃止する代わりに和風電車「だんらん」に改造した例がある。この車両は後の「スーパー雷鳥」新設時にラウンジ付グリーン車に再改造されている。JRに継承した一部は国鉄24系客車(「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」)の食堂車に改造された。
  • 上記の通り1970年代は多数の食堂車が余剰になったが、車齢が10年前後と若いものが多く、そのまま廃車手続きを取ると会計検査の関係上問題があった為、車籍を有したまま各地で長期留置された。例えば1970年まで製造された20系客車のナシ20形については1978年に運用停止になった後も品川客車区などで留置され、国鉄分割民営化直前に廃車された。

珍しい例としては、新幹線1000形電車の「解体設備の運転試験のために廃車」といったものや、国鉄DD54形ディーゼル機関車阪神3801形電車第1編成のように「故障や事故が多発し過ぎて廃車」(いずれも車齢12年と法定耐用年数の13年に達する前に廃車)、JR貨物EF200形電気機関車のように「メーカーが機関車製造から撤退して部品調達が困難となり廃車」といったものなどがある。

試験終了による廃車

試験車は大きく分けると次の3タイプになる。

  • A 新造車:試験のために開発された車両。今までと違う機器を搭載していたり、車体形状が突飛であったりしていることから、編成内でバラバラであることも多い。
    例 - 新幹線500系電車900番台(WIN350)、JR東日本E993系電車(ACトレイン)。
  • B 改造車:台車やモーターなど一部分のみの試験を行う車両。在来の車両に改造や仕様変更を行っただけなので、旅客運転をしながらデータ収集を行うことも多い。
    例 - 国鉄103系電車DDM駆動改造車(JR東日本京葉電車区所属モハ103-502)。
  • C 先行試作車:次期新造車両の性能を確認するための車両。新造車と違うのは、量産を念頭に置いた車両である点と、実際に客扱いを行う点で、突飛な姿をしていることはまずない。また、客の評価や運用上の問題点などを調べ、量産車に反映させる役割も担っている。
    例 - JR東日本901系→JR東日本209系900・910・920番台、JR西日本681系電車(現在の681系1000番台)。

Aが旅客車に改造されることはなく、試験終了後引退となるものがほとんどであるが、障害物に激突させ、原形を留めない姿で解体されていくものも多い。ただし、国鉄キハ391系気動車(2015年初旬に片側の前頭部を残して解体)や新幹線955形電車(300X)、新幹線500系電車900番台(WIN350)・新幹線952形・953形電車(STAR21)などの高速試験用新幹線のように試験終了後も現在に至るまで保存(片側または両側の先頭車もしくは前頭部のみ、中間車は952形・953形の一部を除いて全て解体)されているものもある。ただし、都営地下鉄大江戸線12-000形電車の試作車の様に試験終了まで入籍しなかった車両も存在する。また、非常に稀な話だが全く別の試験車になるケースがある。例えば製造工法確認を目的として試作されたクモハ223-9001クモヤ223-9001U@tech試験車に改造された例が挙げられる。

Bは試験終了後、未改造の車両の仕様に戻され、他の車両と同じに戻ったケースもある(例 - JR西日本221系電車160km/h走行対応改造車、JR西日本223系2000番台シングルアームパンタグラフ試験車およびリチウムイオン蓄電池駆動試験車、阪急7000系電車ボルスタレス台車試験車)が、基本的にはそのままの姿で使用され続ける(例 - 阪急7300系VVVFインバータ試験車、阪急8000系PMSM・SiC-VVVFインバータ試験車)。しかし、種車に旧型の車両を選んでいた場合は牽引車や入替車として再利用される場合を除いて廃車される。一部の試験車では運行を開始したが、保守などの取り扱い上の問題から早期に廃車となる例もある。

Cは量産型に合わせた量産化改造が行われ、新形式の一員として使用され続けるものがほとんどである(例 - JR西日本207系電車量産先行車新幹線700系電車)。しかし量産が中止になったり、量産時に大幅な設計変更が行われたりした場合、その車両は早めに休車され、その後廃車されたり(例 - 国鉄415系電車クハ415-1901JR東日本E331系電車)、新形式登場後も引き続き試験用として使用されたりすることもある(例 - 新幹線N700系電車)。また、無事に運用を開始したとしても量産編成の中間に組み込まれたり(例 - 国鉄201系電車900番台)、支線運用に就き続けたりする場合や(例 - 営団6000系電車1次試作車)、事業用車へ転用される場合(例 - 東急7200系アルミ試作車)が多い。量産に至らなかった車両はラッシュ時限定で使用されたり(例 - 阪急8200系電車)、試験用として使用されたりすることもある(例 - JR北海道735系電車)。中には国鉄207系電車国鉄713系電車、および近鉄3000系電車など本線で運用されている例もある(国鉄207系は2010年1月6日に、近鉄3000系は2012年に廃車)。国鉄207系は1986年に次世代型VVVFインバータ制御試作車として登場したが、当時はまだ半導体技術が未熟であったため、コストが掛かり過ぎるなどの理由で、同タイプの車両の量産に至らなかった(国鉄分割民営化後にJR西日本が新設計で207系を新造・量産した)。国鉄713系は九州初の交流専用車の試作車として登場したが、当時の国鉄の財政事情により急行形の車体載せ替えおよび近郊形化改造で必要両数を賄う方針に転換した為、結局8両の先行試作車だけが残ってしまった。近鉄3000系は近鉄初のオールステンレス車、電機子チョッパ制御車で、京都市交通局烏丸線への直通運転用として1979年に登場し、概ね良好な成績を残したものの、烏丸線京都駅 - 竹田駅間の延伸開業が遅れた事、京都駅 - 竹田駅間が開業した際には既にVVVFインバータ制御が実用段階に入っていたこと、また近鉄ではアルミ合金製車体を標準採用されるようになっていたため、電機子チョッパ制御やオールステンレス製車体を踏襲する必要性が事実上皆無になっていたことから、同タイプの車両の量産に至らなかった(その後、近鉄は京都市交通局烏丸線直通用に3200系を新造・量産した)。また国鉄DE50形ディーゼル機関車のように量産先行形として試作を行い実際の営業運転でも良好な成績を残したものの、その後の環境の変化(全国的な電化の進捗)により量産しても需要が見込めないなどとして、結局1形式1両の先行試作機だけが残ってしまったというケースもある。珍しい例としては、JR北海道キハ285系気動車のように営業運転はおろか試験すら行わずに休車され、廃車解体された車両も存在する[8][注釈 7]

イベントトレイン・ジョイフルトレインの廃車

イベントトレインとジョイフルトレインは多くが旧型車の改造によって製造されており、改造の種車自体の車齢が高いものが多い。そういった車両に展望化やハイデッカー化など無理な工事を施せば当然各部が老朽化してくる。

また特定列車専用のワンオフ改造をした車両が多いために転属も難しい。そのため、その列車が廃止されればそのまま廃車にされる場合も多い。特に最近では団体旅行の減少等、旅行スタイルや価値観の多様化、さらには長引く不況も後押しして廃止が相次ぎ、これらの車両の数も減少傾向にある。

これらの車両が残存する場合には次のようなものがある。

団体専用車になる場合
イベントトレイン・ジョイフルトレインは元々団体用の車両の場合が多く、これが最も多いパターンである。ほぼ無改造で転用される場合がほとんどであるが、一部の客車列車などには欧風→和風の改造(逆もあり)など内装の変更が行われる場合もある。
このパターンではJR西日本のキハ65形「エーデル」・「シュプール&リゾート」改造車などがある。
別のジョイフルトレインに改造される場合
経年の浅い車両では再改造されて別のジョイフルトレインになる場合もある。キハ183系1000番台がよい例で、「オランダ村特急」→「ゆふいんの森(II世)」→「シーボルト」→「ゆふDX(赤→黄)」→「あそぼーい!」と5回も変わっている。
このパターンの場合の改造は主に内装とカラーリングの変更を中心に行われる。
全く別の車両になる場合
非常に稀な話だが数例がある。例えばクロ212-1クヤ212-1U@tech試験車に改造された例が挙げられる。
一般車に戻される場合
改造が塗装の変更など少しであった場合や、各種ビアホールトレインなど元々期間限定であった場合などに行われる。元に戻った後は他車と全く区別が付かなくなる場合もしばしばである。また戦後の混乱期には車両数を確保するために展望車などを無理矢理改造したこともあった。
例としては前者に1000系ブルーライナー」、後者には江ノ電の納涼電車などが挙げられる。
一般車に格下げされる場合
これには2パターンあり、元々グリーン車や座席指定の車両を普通車(自由席)にする場合と運用がなくなったイベントトレインとジョイフルトレインを一般車と共通運用にする場合がある。
前者の場合リニューアル改造などが同時に行われることも多いが、後者の場合は無改造であったり座席の固定化などの簡単な改造で済ますことも多い。
前者の例ではKenjiなどが、後者では近江鉄道700系電車などが当てはまるほか最近の国鉄色復元車(例…JR九州キハ58・65形TORO-Q用車両)もこれに含まれる。
戦中・戦後の混乱期には輸送力を確保するため、一等寝台車などを三等車(普通車)に改造した例もあった。
地方私鉄に譲渡される場合
JR・大手私鉄では余剰となった車両でも、バス自家用車との乗客確保争いに明け暮れる地方私鉄では重要な戦力になる場合も少なくない。
後述のようにその鉄道会社に合わせた改造が行われることがほとんどだが、内装はそのまま使われることも多い。
ジョイフルトレインではわたらせ渓谷鐵道の「サロン・ド・わたらせ」(旧「やすらぎ」)や富士急行の「フジサン特急」(初代、旧「パノラマエクスプレスアルプス」)、イベントトレインとしては三陸鉄道36-300形(横浜博覧会協会より譲受)といった例が存在する。

特別廃車

日中戦争が勃発した1937年以降、軍の要請により日本が支配する外地植民地)の鉄道整備のため、鉄道省に在籍する車両が改造のうえ彼地へ送られた。これを一般に戦時供出といい、対象となった車両には特別廃車の手続が取られた。

1937年から1938年にかけては、主に中国華中鉄道華北交通向けに9600形C51形などの蒸気機関車のほか、スハ32600形客車キハ40000形キハ42000形気動車などが、標準軌に改造のうえ供出された。

太平洋戦争が始まると、今度は南方のタイビルマ海南島などの占領地で建設された軍用鉄道向けに、多数の機関車が供出された。泰緬鉄道に供出されたC56形が代表的であるが、C12形C50形C58形D51形なども対象となっている。これらは1m軌間に改造のうえ発送されたが、途中で輸送船が撃沈されるなどして失われたものも多い。

戦後残ったものは所在する国に接収され、その国の鉄道で使用された。タイ国鉄に引き継がれたC56形のようにその後の消息が比較的聞かれ、その後日本に帰還したものもあるが、ほとんどの消息は不明となり人知れず異郷の土となった。

事故・災害廃車

事故・自然災害・テロ行為等により損傷し廃車となることもある。JR福知山線脱線事故に被災したJR西日本207系電車Z16編成信楽高原鐵道列車衝突事故で被災したJR西日本キハ58系1023信楽高原鐵道SKR200形気動車2両、土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故に被災した2000系気動車2008・2218、JR鹿児島線列車追突事故で無閉塞運転中に衝突を起こしたJR九州811系電車PM2編成813系電車R008編成・R101編成・R231編成や石勝線特急列車脱線(火災)事故で全焼したJR北海道キハ283系気動車6両、8.6豪雨による土石流で被災したJR九州キハ200系気動車1007およびJR九州キハ40系2106・2124や高山本線特急列車脱線事故で被災したJR東海キハ85系気動車107東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による大津波で被災したJR東日本E721系電車P1・P19編成およびJR東日本205系電車M-9編成、2014年2月15日の東急東横線元住吉追突事故で被災した東急5050系電車5155編成2両・横浜高速鉄道Y500系電車Y516編成3両や2014年2月23日に川崎駅付近で発生した脱線事故で被災したE233系電車1000番台サイ177編成2両に見られるような原形を留めない場合や、そうでなくても修理費用が新製とほとんど変わらなくなったり、あるいは当該車を修理して営業運転に復帰させるよりも、新製するほうが費用が安い場合が典型例である。しかしながら、鉄道車両の場合は台枠と呼ばれる部位について、歪んだり変形したりした場合その修復は極めて難しく、新潟県中越地震で脱線した新幹線200系電車K25編成など修復可能のように見える車両であっても実際には修理不能として事故廃車(K25編成は修理不可というよりも脱線の状況の研究のために廃車となった)となったり、昭和57年台風第10号による集中豪雨王寺駅構内での100両もの大量冠水事故が発生した際は、同様の被害を受けたにもかかわらず車齢の差もあって101系電車60両が廃車となったのに対し、113系電車40両は修復を受けて復旧している。また、車体のダメージが無かったり修理可能であったとしても、事故地点の地形的な問題から車体の搬出が困難であったり、被災路線の迅速な復旧作業に支障が出ると判断された場合、又は人命救助が優先される場合、現地で解体されることもある(大村線の踏切事故で被災したキハ200-1011三里駅構内で脱線した三岐鉄道851系クハ1851、東日本大震災で被災したキハ110-30・38阪神・淡路大震災で被災し41両が廃車となった阪神電車の例など)。

  • 損傷が激しい事故廃車の場合、基本的に現地で解体されることとなるが、警察検察裁判所から証拠物件の保持命令が出された場合はそれが解かれるまで車籍の抹消は一切できない。そのため、2005年(平成17年)4月に発生した鉄道事故である福知山線脱線事故の207系S18編成は、2009年時点でも車籍抹消はされていない。三鷹事件の際の先頭車であった国鉄63系電車モハ63019の場合、裁判の資料として事件後十数年間に渡って留置され続けた(その結果、モハ63形が実際には消滅したかのように見えていたが、長年1両だけ残存していた)。
  • 事故で廃車になった分は補填をしなければならないため、事故廃車となった車両が古い場合、あるいは既に製造停止になっていた場合は他形式の車両を回す(最新型の車両を追加で新造投入[注釈 8])か、編成替えや運用の変更で代替車両をまかなうこととなる。まだ新しかった場合には事故廃車となった車両と同じ形式の車両を新造する。これを代替新造と呼ぶ。ただし、事故車が廃車対象車であったり、残った車両が編成両数の半分未満である(6両編成の場合は3両未満、7両編成の場合は4両未満)場合、また相鉄3000系電車 (2代)のように1形式1編成などの異端形式であった場合、残った車両も一緒に廃車となることもある。また、京王8000系電車の場合、事故廃車になった先頭車の代わりに新造の費用が比較的安い中間車を製造し、編成替えを行って先頭車を捻出して事故車の2代目とした。前述の851系は1編成しかないにもかかわらず部品確保用の車両を使用して復帰することや名鉄1380系電車のように修理改造までして残すのはかなり稀な例である。事故車が廃車対象車の場合は代替車が既に発注済みの場合もあり、その場合は追加で投入せずに発注済みの分だけでまかなわれることも考えられる。代替車両の補填が困難な場合は運転本数や編成両数の削減、系統分割などダイヤの見直しを行なう場合もある。
  • 鉄道車両には1両毎に番号が付いている。代替新造された車両には、事故廃車となった車両の番号と同じものを付けて新造する鉄道事業者もあるが、廃車車両と番号を区別する必要がある、事務上の処理において障害になる、あるいは縁起が悪いなどの理由から新しい番号を付番して、事故廃車となった車両の番号は欠番とする鉄道事業者もある。
  • また、車体全体あるいは車両そのものを製造し直し修理復旧扱いで再度営業運行に投入する例もある(大月駅列車衝突事故で大破したJR東日本E351系S3編成や2008年の脱線事故(踏切障害に伴う)で大破したJR東日本E233系青661編成など。これらの場合は事故車の部品を流用することが多い)。極端な例としては東武鉄道があり、基本的に事故車は修理する方針のため8000系など踏切事故で過去に大破した車両がある[注釈 11]にもかかわらず、生産から30年以上経った2004年まで廃車は1両もなかった。8000系は車体と機器の大半を再度製作した上で新造に限りなく近い形で復旧させた。同社で事故廃車扱いにされた車両は踏切事故に遭遇した7800系の7808Fおよび電気系統の火災に遭った5070系の5174F、8134F/8523Fのみであり、かつて2000系[注釈 12]営団日比谷線内で電気系統のトラブルで火災が発生し、全焼した時や、営団日比谷線脱線衝突事故20000系[注釈 13]営団地下鉄03系[注釈 14]と衝突、大破した時も同番号での修理復旧となっていた(営団03系は廃車)。また、事故廃車となった7800系にしても、その台車や機器類は修理して保管され、後の7800系の5000系列への更新の際に利用されている。

連接車やユニットモーター車など構造的に複数両数で1セットとなる車両においては、製造中止になっている場合、その中の1両でも廃車になると残った車両はそのままでは使えず、代替新造もできないということで再利用不可能となり、廃車される場合もある。ユニットモーター車の場合は電装解除して付随車(もしくは運転台を取付て制御車)となることもある(クハ111-1201など)。

事故から復旧しても、加速やブレーキ作動時の挙動に特有の癖が出る、あるいは故障が多発するなど不具合が残る場合もある。そういった場合、モーターを載せ換えるなどの修理を行うが、修理工程が新製に近いものになる、もしくは縁起が悪い、取り扱いが他の車両と異なるなどの理由で乗務員や検修員から極端に嫌われると、廃車処分される場合もある。例としてJR西日本所有の電気機関車EF66 55が1992年に山陽本線で発生した衝突脱線事故(寝台特急さくらトレーラー衝突事故)により大破、後に修理し、運用に復帰したが蛇行動など不具合の頻発により乗務員から敬遠され、他の車両より早く廃車されたケースがある。DD54 2急行「おき」機関車脱線転覆事故で脱線転覆、後に現役復帰したが、液漏れの多発のため廃車となり、DD54 1が1966年に落成したばかりであるにもかかわらず、DD54は1978年に全廃となった。

また、自然災害で車両自体は無傷でも、走行する路線が災害によって全面運休になり、経営基盤が貧弱な鉄道会社におては、膨大な復旧費用を捻出する事ができずに、廃線となった結果、車両が廃車になる場合もある。(高千穂鉄道など)

戦災廃車

鉄道は物資輸送や生産の面で、戦争遂行において重要な役割を果たすことからその機能を削ぐことは戦争に勝利するための戦略の一つとなる。そのため、鉄道はしばしば敵対勢力からの重要な攻撃目標となる。鉄道車両もその一要素をなすものとして攻撃対象となり、戦場となった地域では多くの車両が空襲や艦砲射撃、機銃掃射などによって破壊された。また、退却の際に鉄道施設を敵対陣営に使用させないため、自軍の手により破壊されることもある。

日本においては、太平洋戦争末期の空襲により多くの車両が焼失した。これらは戦後に除籍されたが、戦後に発生した輸送状況の逼迫を打開するため、廃車体の一部は応急的に復旧されて復籍し、復興輸送の一翼を担った。一部は私鉄に譲渡されている。しかし、これらは火災の際の熱により台枠等の基本構造にダメージを受けていたり、復旧自体が物資不足の時期におこなわれた応急的なもので品質が悪く、多くは早期に非旅客用車両への転用や車体更新が行われた。


車体振り替え

旧型車の置き換えの際に置き換え対象車の廃車の手続きを取らず、新規導入車を置き換え対象車両の改造名義で振り替えてしまう事例もあり、一部の私鉄ではかつては多く行われていた(東武鉄道200系6050系のほか、近年まで運行されていた5000系列および3000系列はこの手法を応用した形である)。こうした振り替えを繰り返していくと、実車はどう見ても新車であるが、書類上は100年以上も前の車両の改造車ということも起こりうる[注釈 15]。鋼体化改造や事故車の復旧名義による代替新造も広義にはこの範疇に含まれ、車体新造や部品流用だけでなく他事業者から購入した中古車体(台車や機器まで含めた一切合財)によることもある。こうした場合、名目上車籍は存続しているものの、旧車体が振り替えられて解体された時点で実質的に廃車になったと見るべきである。

こうしたケースは、改造として当局に届け出られるべき事項であるが、まれに無届のまま現車の振り替えが行われてしまうことがある。振り替え事例は私鉄ばかりでなく国有鉄道においても見られる。

廃車までの道のり

以下の形式名は説明上の都合で仮に付けたものであり、実在する車両とは一切の関連はない。

ここに、仮に1000系という鉄道車両があるとする。この度、その1000系を置き換えるための車両である新型車両、これを仮に2000系とするが、その2000系の先行量産車が投入され、1000系に代わって営業運転(乗客を乗せて本線を走ること)を開始した。こうなると1000系は営業運転から外れ(これを運用離脱という)、万一2000系が故障した際の予備車は休車となる。この時点では1000系はまだ必要な場合は自走できる状態で管理される。

2000系に問題がないと認められて量産車が製造されると、国土交通省へ1000系の廃車届が出される。これが受理された時点で1000系の車籍が抜かれることになる。自動車でいうところの抹消登録であり、この時点で正式に廃車となる(つまり廃車=解体ではない)。この時点を以て本線(旅客列車が走っている線路すべて。車庫や工場内は本線ではない)の自走はできなくなる。なお、鉄道車両にも一定期間毎の検査があり、検査を通すための修繕によって一定のコストが発生する事などから、これの期限が切れた車両から廃車されていくことが多い(一般的には「2全検」と呼ばれる製造後24年、「3全検」と呼ばれる製造後32年が目安になる)。他にも、車両の動態保存静態保存などの構想がある場合、意図的にトップナンバーなど若番車の廃車が先送りにされる事も見られるなど、廃車は若番車、車齢の古いものから順々にされていくとは限らず、京阪5000系電車のように最後に製造された編成から廃車されていく場合もある。

廃車により、ある形式(同じ形質を持っている車両の総称。例 - モハ101形)の車両が全車廃車になった場合、その形式を廃形式と呼び、ある系列(いくつかの形式が集まってできたグループ。例 - 国鉄101系電車)の車両が全車廃車になった場合はその系列を廃系列と呼ぶ。なお、特定の番台区分の車両がすべて廃車になった場合は廃区分番台と呼ぶ。また、車籍こそあるものの、付随車しか残っていない、運用離脱後屋外に放置されたまま朽ち果てているなどの理由で事実上本線走行が不可能になっている状態のものも廃形式・廃系列に含むこともある。ただし、その系列単独での編成は消滅したが、他の系列の編成に組み込まれて営業運転を行っている車両がある場合はこの対象外となる。

廃車になると、ほとんどは解体、もしくは他社売却となることが多いが、中には各種鉄道保存展示施設鉄道公園、あるいは一般の公園などに保存されたり、個人の宣伝用などに譲渡されることもある。珍しい例としては、名古屋市交通局では廃車車両を魚礁として海に沈めた例もあり、日本国外では多く見られるが、日本では廃棄物処理法および水質汚濁防止法の規制を受けるため、愛知県や山口県など一部でのみ行われている。

新車は車両メーカーに発注して営業運転に使えるようになるまでには1年程度掛かるため、事故などによる廃車を除いては、車両の更新(置き換え)計画は綿密に立てられている。

なお、日本貨物鉄道(JR貨物)では2009年までは他の鉄道事業者と同様に廃車の情報を「鉄道ファン」をはじめとする鉄道雑誌に公表し、情報提供していたが、2010年以降は公表していない。JR貨物所属車両において機関車に関しては「貨物時刻表」の車両配置表から特定することで引き続き可能ではあるが、貨車については独自の調査以外に方法はなく、貨車の形式消滅はJRグループにおいて旅客会社のみに所属している車両を除いて特定することが極めて困難な状況となっている。

廃車後の処置

廃車解体

ファイル:3093 Trailer.jpg
解体業者まで陸送される廃車車両。前照灯・ナンバープレートなどが取り外されている
ファイル:JRWest EMU kuha103-95.jpg
廃車解体作業中の電車。窓ガラス・冷房装置・ドア・内装材などが取り外されている

解体される場合、該当車両は解体場まで回送され、解体を待つことになる(これを廃車回送といい、解体場に着いた時点で籍が抜かれ、正式廃車となる。車両によっては、その廃車回送に最後の乗客を乗せて臨時団体列車に仕立てる企画も実施されている)。動力がない場合や検査切れなどで自走できない場合は他の動力車により牽引されて回送される。解体場は車両基地や工場の片隅を使用することが多い。近年は、環境上の問題から、自社に解体場は持たず、車両基地で輪切りにしてトラックに積んで解体業者まで陸送される場合も多くなっている。例えば、群馬県館林市内にある東武鉄道北館林荷扱所(資材管理センター北館林解体所)には専門の解体業者が駐在し、自社の廃車車両の処理だけでなく、JR東日本や他の大手私鉄や地方私鉄の廃車車両の解体も引き受けている。そのため小田急電鉄や京王電鉄などの他社の車両基地からも車両がトラックで陸送され、解体されている。

解体の順番が来ると、編成を解かれ、入れ換え機械により解体線に移されて、解体作業が始まるが、大体、次のような方法で解体されている。

  1. 機器や内装装置を取り外した後、バーナーで真横に焼き切り、重機(油圧ショベルのアタッチメントを替えたり、クレーンなどを使う。フォークリフトを使う場合もあり)を使って上部を外す。さらに下部も台車から外す。最終的にさらに裁断する。
  2. 機器や内装装置を外した後、重機(油圧ショベルのアタッチメントを解体用のものに替えて使用する)を使って裁断していく。
  3. 重機は使用せず、バーナーのみ使い手作業で解体していく。補助的にフォークリフトや小型クレーンを使うこともある。
  • JRでは、解体場が複数あるため、3つの方法すべてで解体されている(JR東日本の場合、解体業者との契約は各工場毎のため旧大船工場では1,旧大宮工場大成地区(現在の鉄道博物館のある場所)では2など、各工場で異なっていた)。
  • 解体業者に委託している鉄道会社の場合、既に台車や機器が取り外された車体のみで送られて来るので、2の方法が多い。
  • 西武鉄道などでは重機は使わず、3のバーナーによる手作業で解体している。
  • 東京地下鉄東葉高速鉄道などでは、特に機器や内装装置は外さずそのまま重機で解体した後に分別していた。しかし現在は、内装等を取り外し、ほぼ鋼体のみにして解体している。
  • 東海道新幹線浜松工場では、1の形を応用した専用の設備を使用する(まず屋根を電動カッターで外す→妻面を電動カッターで外す→車体下部を電動カッターで切断→切断した車体と床をまとめて細かく切断、となる)。
  • 半鋼車が多く環境規制がゆるやかだった時代には、車体に放火して木造の内装や座席等を焼却し、焼け残った構体等のみを解体する方法も用いられた。大気汚染の原因となるなどの問題から、日本の現行法規では禁止されている。

解体された後は基本的に産業廃棄物として処分されるが、再生可能な場合はリサイクルされる場合もある。 取り外した機器などは他の車両の予備として残されたり、他の鉄道事業者向けに中古部品として販売されることもある。

ナンバープレートなどは車両基地一般公開やイベント時に即売会や鉄道会社の通販などで販売されたり、競売にかけることもある。しかし、近年では悪戯防止や金儲けの転売を阻止する目的や、廃車車両に含まれていたアスベストの問題が表面化したことから、販売されず鉄道会社の倉庫に死蔵されたり、除籍と同時に廃棄処分されることも多くなっている。

JR東日本では東日本大震災の寄付金を集める目的で、東京駅に保管されていた鉄道部品を競売にかけたことがあった[13]

極めてまれな例の一つとして、廃車車両をニコ生で公開解体しながら、取り外された部品をその場で販売するという試みが、2012年に始まった、動画共有サイトニコニコ動画」のイベント『ニコニコ超会議』で行われた[14]

ニコ生配信同様にまれな例として、廃車となった広島電鉄750形電車766号車(廃車時に755号に改番)をテレビドラマ西部警察 PART-II』の撮影のために爆破させたことがあった。この車両は爆破後に改めて解体されている。

いずれにしても、廃車となった車両が解体されるまでには数日程度の時間しか必要としないが、中には廃車された後も将来の保存を考慮して長期間にわたって車両基地内や工場内に留置させておくケースも散見される。しかし、保存が実現せずに結局解体された車両も多い[注釈 16]

他の鉄道事業者への譲渡

廃車になった後、他の鉄道事業者へ譲渡される車両もある。

大都市では性能的に古くなった車両ではあるが車体や機器は極端に劣化しているわけではなく(インバータ車を除く)、高速走行が少なく保守に手間がかけられる地方の私鉄から見れば高い品質性能を保っていることが多く、線路がつながっていたり系列会社であったりすればなおさら交渉もスムーズに行われやすい。

例えば能勢電鉄の車両はすべて元阪急電鉄から譲渡されたものである。また、旧性能電車を使用していた頃の新京成電鉄京成電鉄から譲渡を受けていた。さらに直通運転を行なっている事業者同士であれば車両規格や保安装置が共通であることから譲渡としては好都合となる。営団5000系電車東葉高速鉄道1000系電車京急1000形電車(初代)北総開発鉄道7150形電車などがある。

車両丸ごとだけではなく、台車や車体・あるいは部品1個単位といったいわゆる「バラ売り」で譲渡されることがある(元営団日比谷線の3000系電車が銀座線の2000形電車や京王電鉄の5000系電車の譲渡用に台車を提供した例や営団東西線5000系の冷房用電源装置を長野電鉄が通勤車冷房化用に譲り受けた例など)。

譲渡に際しては無償での譲渡となる場合も多いが、比較的新しい車両やグレードが高い車両の場合には有償で譲渡(売却)されることもある。また、譲渡先の設備に合わせた車両改造を譲渡元の鉄道会社に委託する場合、その費用を合算することもある。

災害で全線運休となった鉄道会社から、他の鉄道会社へ譲渡される場合もある。 2005年9月6日台風14号による暴風雨で鉄道設備に甚大な被害を受け、全線運転休止となった第三セクター高千穂鉄道より、JR九州TR-400形2両[注釈 17]と、第三セクター阿佐海岸鉄道TR-200形1両[注釈 18]がある。

太平洋戦争中は鉄道車両も統制物資の一つとなり、中古車両の譲渡も政府機関の鉄道軌道統制会を通じて行われた。戦後の復興期には輸送状況の逼迫を打開するため、大型の新製車両を大手私鉄に割当てる代わりにその会社の保有する小型車や中型車の地方私鉄への譲渡義務付けが政策的に行われたことがある。こちらも参照。戦前・前後は仲介業者を通じての売買や、私鉄経営者協会(日本民営鉄道協会の前身)発行の会報『経協旬報』といった業界誌への譲渡・譲受希望広告といった方法などが使われた。近年では一般向けの鉄道雑誌である「鉄道ピクトリアル」に広告が掲載された事がある[15]

2000年代に入ると大手私鉄→地方私鉄のみならず、第三セクターや地方私鉄相互間での譲受も見られるようになった。大手私鉄の多くが20m級の大型車両を製造し、地方私鉄で需要の多い16~18m級の小、中型車両の製造が少なくなっていることも一因とみられる。

その一方首都圏を中心とした各社では引き続き、車両交代時期に入った車両の廃車が続出しているが、そのまま解体されることも少なくない。改造に高い加工技術が要求されるステンレス車やアルミ車ばかりになったこと、機器の耐久性に劣るインバータ車が多くなり改造時に制御器の載せ買えが必要になるなど改造費の高騰化が顕著になったことに加えて、一般形電車と呼ばれる安価かつ他社車両と同規格で造れる電車が出現したのも一因となっている。

これについては鉄道会社によっても考え方があり、積極的に譲渡先を探す鉄道会社もある。例えば、東京急行電鉄では昔から地方私鉄への譲渡実績が多い。西武鉄道や京王電鉄なども同様で、東急テクノシステム京王重機整備といった傘下の車両整備会社の活動が活発な事もある。逆に東武鉄道近畿日本鉄道は廃車車両の機器を自社で再利用することが多かったことから、かつては譲渡実績がほとんどなかった。現在、近畿日本鉄道からは16000系が大井川鐵道で見ることができる。

なお、地方自治体の交通局においても以前は譲渡されることが多かったが、「まだ走れる車輌を税金を使って置き換えるのは税金の無駄遣い」と住民から苦情を受けるケースが増えたことから、近年はそのまま解体されることも少なくない。

譲渡に伴う改造

譲渡される場合は、相手の鉄道会社の設備に合わせた車両改造が必要になる。主なものは次の通り(全てが実施されるとは限らない。無論、これ以外の改造が行われることもある)。

  • 先頭車化改造(具体的には短編成化における運転機器の取り付け)
  • トイレの設置・撤去
  • ATSATCなどの改造(取り付け・取り外し)
  • モーターの改造(搭載車両の変更・出力の変化(電圧が異なる場合に多い)、付随車化など)
  • 台車の改造・交換(軌間の異なる場合に多い)
  • 集電装置の改造(第三軌条集電→架空線集電など)

転用先がワンマン運転をしている場合、当該路線のニーズに応じて自動放送装置やデッドマン装置緊急列車停止装置運賃回収機・乗車駅証明書発行機、バックミラーの設置が行われたり、ドア回路についても特定ドアのみの開閉が可能なように改造が行われる。また極端な例としてはわたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」の客車の中間車用として京王から譲渡された5000系は、譲渡に際して冷房装置の取り外し、電装の解除、内装の変更、窓周りの改造などといった種車の原形が無くなるほどの改造が行なわれている。

転用を期に各部のリニューアルが行われたり、非冷房車ならば冷房装置が取り付けられることも多い。

地方私鉄・第三セクター鉄道に譲渡された国鉄 (JR)・大手私鉄・公営地下鉄の車両

※下記には譲渡先で全廃となったものも含まれている。

譲渡元で現在も稼動している車両
譲渡元で既に全廃となった車両

日本国外に譲渡された事例

日本国内のみならず、国外の鉄道事業者への譲渡が行われることもある。

保存展示や個人などへの譲渡

廃車となった車両のうち、産業考古学的、鉄道史的などの観点から保存する価値があると認められた車両は保存されることがある。保存には2種類あり、線路上を自走できる状態で保存するものを動態保存といい、自走はできずに主に展示目的で保存するものを静態保存という。

なお、静態保存されていた車両が整備され、再び本線を自走できるように車籍を再び入れることもある。これを車籍復活(後述)という。蒸気機関車などに多い。ただ、本線の保安装置や定格速度などが大幅に変化していた場合、旧型の車両を走らせるのは不可能なので、あえて車籍を戻さない場合もある。阪急100形電車江ノ島電気鉄道100形電車などが当てはまる。 一方で国鉄C61形蒸気機関車20号機のように、後に採用されたATS-P保安装置を導入してまで車籍復活した動体保存機もある。

また、名車であることから廃車を延ばすこともある。JR西日本が北陸地区に「サンダーバード」増発の影響で489系電車が廃車になる時に廃車予定だったクハ489-501・1の2両が歴史的観点から廃車が延期となり、別編成に組まれていた504・4が代わりに廃車となり、両編成の先頭車が入れ替えられ、当分の間延命することになった[注釈 19]

数は少ないが、個人が保存目的や倉庫代わりに買い取る場合や、「思い出の車両」として地元自治体が引き取り、管理する場合もある。また、車両の製造会社が自社内で保存したり、「機械扱い」として車籍のない状態で工場内の牽引用に使用する場合もある。個人が買い取るケースは以前はよく見られたものの、近年では輸送費の高騰や土地の減少といった理由であまり行われていないことや、鉄屑の価格の方が「車両そのまま」で売却する価格より高いため、会社の方針として認めない場合も多い。個人が車両を丸ごと1両払い下げて何かに利用しようとすると、輸送費・土地代・改装費など込みで大体1,000万円くらいにはなる上、トレーラーなどでの輸送には警察その他多くの関係機関の許可が必要になり、その後の固定資産税も莫大なものになるとされる。

これらの対象とならないほとんどの車両は先に述べたように、解体場に運ばれて解体され、屑鉄となる。また、一旦保存されても、特に個人や財政基盤の弱い団体の場合は維持・管理が難しく、雨ざらしの状態で維持管理も十分になされずに置かれているうちに錆や破損、部品の盗難などが目立つようになり、無残な姿をさらし続けたあげく危険とされて解体されてしまう場合もある。

近年では、自治体の財政が悪化していることや、国際的に鉄屑の価格が上昇していることから、売却や保存より解体する方が金になるため、保存される例は減ってきている。2003年相鉄6000系電車が運行を終了した際、最後まで残った32両の無償譲渡を発表していたにもかかわらず、1両も引き取り手が現れなかった事例もある。また旧馬込車両工場に2両が留置されていた東京都交通局5000形南海20000系の中間車(みさき公園で静態保存されていた先頭車も解体されている)もほぼ同様の理由に従って解体されている。

また、敷地の都合などから保存箇所を車両の部分的箇所に限定する例も少なくない。代表的なものとしては東急5000系電車 (初代)東武1720系電車のように車体を短縮して保存されるもの、蒸気機関車のように「動輪」「ボイラー蓋」「プレート」という部品単位での例がある。

車籍復活

一旦廃車となり車籍が抹消された後、鉄道会社や各自治体、団体などで保存されていた車両が、車籍を戻し現役として復活する例も稀ながら存在する。その多くはイベント列車として走行する蒸気機関車である。これらは保存時も整備され状態が良かった車両が選ばれ、走行に問題が無いと判断され車両工場全般検査を通した上で本線の営業走行に復帰する。

また、民営化直後には国鉄清算事業団が所有していた廃車車両を、列車の増発等を目的にJR各社や私鉄各社が購入して整備の上で車籍復活した例もあった。

廃車後に車籍復活した車両の一例

現在は再び廃車となった車両も含む。

試験・訓練・研修などの教材として使用

鉄道の安全を維持するために、多くの会社で毎年事故復旧訓練や防災訓練が行われるが、電車が脱線した時の乗客救助は最重要課題である。しかし、実際に電車を脱線させるだけでも大掛かりになる上、救助訓練を行うと車両を破損するため、実際に営業中の車両を使用する訳にはいかないので、廃車になった車両を解体する前に使うことになる(JR東日本201系など)。その他、車両火災や衝突事故の防止、被害軽減のための実車試験に使用されることも多い(例:脱線試験に用いられた京急旧1000形電車、車両火災試験に用いられた営団400形電車)。

これとは別に、会社によっては訓練所で専用の車両を使用している会社もあるが、本線に出ない場合、車籍を抹消した車両を使用している(例に車籍復活前のEF551号機など)。

民間に譲渡された車両が、結果として何らかの教材として利用される例もある。千葉県いすみ市にある知的障害者訓練施設「いすみ学園」に譲渡された東急デハ3450形電車は、入所者の自立支援として社会に出たときに鉄道に乗る訓練の教材となっている。かつて東京都自由が丘に存在したトモエ学園では、廃車体を教室として利用していた(後に卒業生の黒柳徹子が著書『窓ぎわのトットちゃん』で述べたことで知られるようになった)。また、博物館や研修施設ではシミュレーター用に実物の先頭車のカットモデルが転用されることがあり、最前部から1枚目の乗降扉までが使われることが多い。

脚注

注釈

  1. ただし、同じ583系改造の419系はJR西日本の経営事情は厳しく、これらの新車による大量置き換えが難しいことや、製造コストの高い交流直流両用車ということもあり置換えが行われず、715系が淘汰された後も全車が残存した。新型車による置換えが始まったのは2000年代後半であり、2012年にようやく全廃となった。
  2. JR東日本が、国鉄時代の車両を209系以降の車両で急速に置き換えたのも、この思想に基づく。
  3. 同車は5両導入される予定であったが、開発遅延とコスト高騰により2両で製造が打ち切られたため、メンテナンスが難しいなどの欠点を生み、その結果2009年度末で1両が営業運転から離脱し、残る1両も2014年3月で営業運転を離脱した。
  4. 1992年に千代田線の輸送力増強のため10両編成1本が新製されたが、当時千代田線の主力車両であった6000系は代替時期に達しておらず、この1編成のみの導入にとどまり、後に6000系が代替時期に達した際には新系列である16000系の新製によって実施され、本系列も2015年に廃車となり、6000系に先んじて全廃となった[3]
  5. 当初は中央東線で運用されている115系の置換え用として豊田車両センターに転出する予定になっていた。この時に抜き取られる付随車28両は余剰廃車となる予定であった[4]
  6. この辺りの事情は営団07系電車が東西線へ転配された理由と同様。詳しくは当該項目を参照。
  7. JR北海道の事故、不祥事及び、北海道新幹線の開業準備の計画、安全性の問題に伴い開発を中止し、運用実績のある既存のキハ261系の増備を継続してJR北海道管内の気動車特急をキハ261系に統一することで、車種統一によるランニングコストの低減を図る(本項目の技術的要因にあたる)方針に転換されたため[9][10][11]
  8. 事故車の補充で追加新造された車両は相鉄10000系電車(10両編成1本追加)、JR西日本321系電車(7両編成3本追加)などが該当。
  9. 詳細は不明だが、台車など機器類を被災車から流用した可能性もあるとの記述がある[12]。その場合は下記の修理復旧扱いとなる。
  10. 事故車はSM3編成であり、クモハ・モハ・サハ885-3の3両が廃車されたが、代替車両は3+400=403より、クモハ・モハ・サハ885-403となっている。
  11. クハ8139。
  12. 2112Fのモハ2312。
  13. 21852Fのモハ23852・モハ24852。
  14. 03-102Fの03-802。
  15. 一例として近江鉄道では車籍上開業時に導入した客車(18・1898年製)が、車体振替により電車の制御車(クハ1219)となって1999年に廃車となった。現在では同社の220形の224(大正3年鉄道院新橋工場製)がこれにあてはまる。
  16. JR東海のEF58形122号機、JR西日本のEF60形503号機、EF64形1号機など。
  17. 水戸岡鋭治のプロデュースにより改造され、形式をJR九州の一般型気動車であるキハ125形に編入して特急仕様の400番台とし、2009年10月10日から日南線で観光特急海幸山幸」として運行されている。
  18. 阿佐海岸鉄道への1両は同社の車両1両が2008年に事故廃車となったところに今回の無償譲渡の話があり、新車導入がままならない状態の同社にとってはまさに渡りに船であった。
  19. その後、当該車両のうちクハ489-501は2012年6月1日付で廃車となり、解体される予定であった。その後、小松市や愛好家団体の要請で小松駅近くの公園で静態保存されることになり、整備の上、2013年4月より一般公開された。

出典

  1. 減価償却資産の耐用年数等に関する省令[1]
  2. 西日本新聞朝刊、2015年3月5日付
  3. 鉄道ダイヤ情報2016年4月号(No.384)p.128
  4. 『鉄道ファン』2009年11月号(通巻583号)67ページ(交友社)
  5. 白土裕之「山手線用6扉車取換え計画」『鉄道ファン』2010年11月号(通巻595号)76p, 交友社
  6. 鉄道ダイヤ情報2016年4月号(No.384)p.128
  7. “東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーラインに新型車両を導入します -日比谷線・東武スカイツリーライン新型車両を導入し、日比谷線にホームドアを設置-” (PDF) (プレスリリース), 東京地下鉄, (2014年4月30日), http://www.tokyometro.jp/news/2014/pdf/metroNews20140430_h93.pdf . 2014閲覧. 
  8. “開発費25億円の夢、鉄くずに JR北海道、新型特急試作車を解体”. 北海道新聞(どうしんウェブ) (北海道新聞社). (2017年3月3日). オリジナル2017年3月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170303021120/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0374633.html . 2017閲覧. 
  9. “新型特急車両の開発中止について” (PDF) (プレスリリース), 北海道旅客鉄道, (2014年9月10日), http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2014/140910-1.pdf . 2017閲覧. 
  10. “JR北海道、新型特急車両の開発を中止 - 当面はキハ261系気動車の製作を継続”. マイナビニュース (マイナビ). (2014年9月10日). http://news.mynavi.jp/news/2014/09/10/557/ . 2017閲覧. 
  11. “新型特急285系 未使用で廃車へ 開発に25億円 JR北海道”. 北海道新聞(どうしんウェブ) (北海道新聞社). (2016年4月26日). オリジナル2016年4月26日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160426113813/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0263551.html . 2017閲覧. 
  12. 「新幹線EX」2016年9月号
  13. 鉄道部品1200点を競売に、震災支援でJR東:鉄道コム・2011年8月12日(2012年9月15日閲覧)
  14. 「ニコニコ超会議2」新幹線200系&E1系"公開解体" - EF81形の部品が46万円! - マイナビニュース 2013年4月28日
  15. 初出は1992年6月号、メトロ車両(帝都高速度交通営団関連会社)による。

関連項目