水曜ロードショー (日本テレビ)

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水曜ロードショー』(すいようロードショー)は、1972年4月5日から1985年9月25日まで、日本テレビ系で、毎週水曜日の21:00 - 22:56(拡大・遅延の場合あり)に放送された映画番組である。

概要

1972年4月5日から1985年9月25日まで放送された。放送開始から2年間は21:30 - 22:56の90分間の放送だった(21:00 - 21:30は『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』)が、1974年4月3日放送分以降は21:00からの120分となった(『特ダネ登場!?』は19:30 - 20:00に移動)。

放送開始年の10月4日に放送された『続・黄金の七人』から、レギュラー解説者として映画評論家水野晴郎が登場した[1]。締めくくりに放つ台詞「いやぁ、映画って本当に(「ほんっとうに」と発音)いいもんですね![2]は、彼のトレードマークとなる。

1983年参議院議員選挙に出馬するために水野は6月1日の放送をもって一度降板する。降板後しばらくの間はレギュラーの解説者を設けず、当時日本テレビのアナウンサーであった福留功男が代理で解説を務めていた回もあった(1983年6月15日放送)。

同年8月10日から1984年8月1日までは愛川欽也(豪華なセットが用意され、オープニングの決め台詞は「ようこそ僕の映画の部屋に。」)。10月3日から1985年3月27日までは堀貞一郎が代役を務めた。1983年10月5日放送の『スター・ウォーズ』シリーズ第1作『エピソードIV 新たなる希望』のテレビ初放映はこの時期に当たる。なお、水野は1985年4月3日放送の『クレイマー、クレイマー』のテレビ初放送の回から復帰した。

映画終了後には「水野晴郎の映画がいっぱい」というコーナーもあった。

『水曜ロードショー』のタイトルは、その後1989年から1993年まで同じタイトルTBS系で放映された。

上述の通り1985年9月25日で終了。10月4日からは、放送曜日を金曜日へ移動した『金曜ロードショー[3]』となり、現在も放送が続けられている。

『今夜のロードショー』は21:00から3分間、この日に放送する内容の見所を紹介していたが、秋田放送他ではこの部分を放送しておらず、OPアニメからのスタートになっていた(遅れネットの地域を除く)。

水曜特別ロードショー

超大作映画を放送する場合、日本テレビ製作のヒット作を放送する場合、亡くなった名優の作品(主に追悼特別企画)を放送する場合、映画として公開されていない当番組のための撮り下ろし作品を放送する場合などは『水曜特別ロードショー』というタイトルになる。

映画以外には1984年1月4日に、千葉真一主演テレビドラマ素晴らしきサーカス野郎』が“ドラマスペシャル”として同枠で放映された。

放送時間

※放映作品によって拡大・遅延の場合あり。

放送期間 放送時間
1972年04月05日 - 1972年09月27日 21:30 - 22:56(086分)
1972年10月04日 - 1974年03月27日 21:30 - 22:55(085分)
1974年04月03日 - 1975年09月24日 21:00 - 22:55(115分)
1975年10月01日 - 1980年03月26日 21:00 - 22:54(114分)
1980年04月02日 - 1985年09月25日 21:02 - 22:54(112分)

映画解説者

降板期間中は愛川欽也(1983年8月10日 - 1984年8月1日)と堀貞一郎(1984年10月3日 - 1985年3月27日)が担当。

歴代高視聴率獲得作品

ビデオリサーチによる。関東地区。

オープニングおよびエンディングの映像

テーマ曲は高名な人物に依頼しており、ニニ・ロッソの作品が起用された。

  • 初代: 夕日ヨットハーバー(フィルム映像。1972年4月 - 1976年9月。テーマ曲: ニニ・ロッソ(作曲&演奏)「水曜日の夜」(1972年に来日した際に作曲された曲))
  • 2代目: 前作の手直し版(フィルム映像。1976年10月 - 1985年9月)
    • 『水曜ロードショー』時代のオープニングフィルムは提供クレジット挿入時に映像がブラックバック(実際は闇の中の桟橋の映像であり、かすかに街灯に照らされた様子が見える)に変わるスタイルが採用されており、このスタイルは『金曜ロードショー』になってからもしばらく続いていた。

番組進行の流れ

当初は、21:00(1972年4月5日の放送開始時から1974年3月26日放送分までは、放送開始時刻は21:30からであった。なお、水野晴郎による放映作品の解説が始まったのは、『続・黄金の七人 レインボー作戦』を放映した1972年10月4日放送分からである)から番組の放送が始まり、オープニング (OP) 映像の後、一旦CMを挟んで、水野本人によるその日の放映作品についての解説(基本的には「ご機嫌いかがですか。水野晴郎です。」の挨拶の台詞からスタートした)があり、それから本編が開始する形になっていた。その後、『水曜ロードショー』時代の1980年4月16日放送分(放映作品は『幸福の黄色いハンカチ』)からは、21:00からニュース番組(『金曜ロードショー』になってからは、のちに、放映作品のミニ宣伝番組を放送するようになった)を放送した後、21:02(のちに21:03)から番組がスタートするようになったが、オープニング映像→CM→水野晴郎による解説→本編スタートという流れに変更はなかった(ただし、『水曜特別ロードショー』として時間枠を拡大するなどして放送する場合には、水野晴郎による解説の後、再び一旦CMを挟んでから、本編の放送が始まることもあった)。

また、映画本編の終了後には、再び、水野本人によるその日の放映作品についての解説があり、その後、水野本人による次回放映作品の紹介(次回放映作品の紹介の後、時々、「水野晴郎の映画がいっぱい」コーナーなどを放送することもあった)を経て、最後は水野本人による「いやぁ、映画って本当にいいもんですね! それではまた、ご一緒に楽しみましょう。」(時々、若干だけ変化することもあった)という締めくくりの台詞で終わるのが基本的なパターンとなっていた。

タレント吹き替え

ネット局

略称・系列・放送日時(基本)は『水曜ロードショー』としての最終回(打ち切り局は打ち切り時)時点。
備考欄の※印は開局と同時にネット開始した局。

『水曜ロードショー』ネット局
対象地域 放送局 系列 放送日時(基本) 備考
関東広域圏 日本テレビ(NTV) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54 制作局
北海道 札幌テレビ(STV)
青森県 青森放送(RAB) 日本テレビ / テレビ朝日系列
岩手県 テレビ岩手(TVI) 日本テレビ系列
宮城県 ミヤギテレビ(mm34) 1975年10月からネット開始。
(NETのネット枠だったため)
秋田県 秋田放送(ABS)
山形県 山形放送(YBC) 水曜 21:00 - 22:54 1980年3月までネット。
(テレビ朝日系のネット枠に移行したため[4]。)
山形テレビ(YTS) フジテレビ系列 火曜 21:02 - 22:54 1980年4月からネット開始。
1985年3月まで同時、4月から火曜に移動し時差ネット[5]
現在はテレビ朝日系列。
福島県 福島中央テレビ(FCT) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54
山梨県 山梨放送(YBS)
新潟県 新潟総合テレビ(NST) フジテレビ系列 / 日本テレビ系列 / テレビ朝日系列 日曜 21:00 - 22:52 テレビ新潟開局までネット[6]
テレビ新潟(TNN) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54
長野県 信越放送(SBC) TBS系列 土曜 深夜 [7]テレビ信州開局後も放送
静岡県 静岡県民放送(SKT) テレビ朝日 / 日本テレビ系列 金曜 21:00 - 22:54 ※→静岡第一テレビ開局までネット[8]
静岡第一テレビ(SDT) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54
富山県 北日本放送(KNB)
石川県 北陸放送(MRO) TBS系列 曜日不明 深夜 放送開始・終了時期等詳細不明[9]
福井県 福井放送(FBC)) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54 現在は日本テレビ系列 / テレビ朝日系列
中京広域圏 中京テレビ(CTV)
近畿広域圏 読売テレビ(YTV)
鳥取島根県 日本海テレビ(NKT) 日本テレビ / テレビ朝日系列
広島県 広島テレビ(HTV) 日本テレビ系列
山口県 山口放送(KRY) 日本テレビ / テレビ朝日系列
徳島県 四国放送(JRT) 日本テレビ系列 途中からネット開始。(TBSのネット枠だったため)
香川岡山県 西日本放送(RNC)
愛媛県 南海放送(RNB) 途中からネット開始。(TBSのネット枠だったため)
高知県 高知放送(RKC)
福岡県 福岡放送(FBS)
長崎県 テレビ長崎(KTN) フジテレビ系列 / 日本テレビ系列[10] 現在はフジテレビ系列。
熊本県 熊本放送(RKK) TBS系列 土曜 深夜 くまもと県民テレビ開局までネット[11]
くまもと県民テレビ(KKT) 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列 / 日本テレビ系列 / テレビ朝日系列 日曜 午後 放送開始・終了時期等詳細不明[12]
鹿児島県 南日本放送(MBC) TBS系列 土曜 23:35 - 25:30 1982年9月までネット[13]
鹿児島テレビ(KTS) フジテレビ系列 / 日本テレビ系列 水曜 21:02 - 22:54 1982年10月ネット開始。現在はフジテレビ系列。
  • A枠の提供クレジットの後に「ご覧(後に御覧)の水曜ロードショーは全国○○局ネットでお送りしています」という画面が表示されていた(○○には放送日時点のネット局の数が入っていた。ただし時差ネット局はスポンサードネットの局のみ計上。)[14]

脚注

  1. 水野晴郎『母の愛、そして映画あればこそ…―夢と希望を追い続けたわが60年』(近代映画社 1991年6月) ISBN 978-4764816701
  2. 「いい」の部分は「面白い」「素晴らしい」と発言することもある。
  3. 2012年4月6日から『金曜ロードSHOW!』。
  4. 以後は番組が『金曜-』移行後の1993年3月まで日本テレビ / テレビ朝日系列
  5. 火曜移行後は『火曜ロードショー』として放送。共にスポンサードネット。本放送の水曜→金曜移行時も変わらず、ネット打ち切りまで火曜日に放送していた。火曜ネット時は水曜ロードショーのオープニング映像に手を加えたものを使用(タイトル表示時に一瞬静止画に切り替わり、タイトルが表示される。「水とド」がつながっている部分が、「火とド」がつながっていた。また、提供スペースにおけるネットワーク表記のシーンでは、音声をそれぞれ差し替え、「引き続き、火曜ロードショーは」から提供スペースを戻してCMに入っていた。また、途中BGMが無音になっている。 CM入り、明け共に「火曜ロードショー」のロゴを番組名に被せている(CM明けで一瞬確認できる場合もあった)。 1985年4月の火曜への移動に伴い、系列局の本来の時間帯の番組である『なるほど!ザ・ワールド』は同時ネットから時差ネットに変更された(本放送の水曜→金曜移行時も同様だった)。 番組宣伝CMとして、5秒の静止画CM(作品を写実的にしたり、ぼかしたりしたイラスト)を独自に作成していた(音声は局IDとおぼしき「Y、T、S、山形テレビです。」)。
  6. 『NST日曜ロードショー』として時差ネット。
  7. 『土曜映画劇場』として土曜深夜に異時ネット。
  8. 「金曜ロードショー」として時差ネット。静岡第一テレビ開局により1年で終了。
  9. 「名画招待席」として深夜に放送
  10. NNS非加盟局では唯一のレギュラーネット局。
  11. 『土曜ロードショー』として5か月遅れの作品を放送。くまもと県民テレビ開局後も番組自体は続き、タイトルを引き継いで自主制作に切り替えた
  12. 「サンデー名画劇場」として放送
  13. 『MBC土曜ロードショー』として時差ネット、当初は22:30 - 0:25放送。その為に『JNNニュースデスク』『JNNスポーツデスク』は1時間25分遅れの放送だった。ちなみに22:00 - 22:30は「新婚さんいらっしゃい!」がその前に遅れ放送されていた。1980年10月『JNN報道特集』開始により同日の23:35 - 25:30に移行し、鹿児島放送開局に伴う番組改編により1982年10月から鹿児島テレビへ移動した。
  14. 時差ネットでかつスポンサードネットであった山形テレビでは、表示されていた1枚絵も本放送は「ご覧の水曜ロードショーは全国○○局ネットでお送りしています」などとなっている所が、「この番組は全国○○局ネットでお送りしています」などと微妙にデザインが異なるものに差し替えていた。

関連項目

外部リンク

日本テレビ系列 水曜21時台後半枠
前番組 番組名 次番組
巨泉のチャレンジクイズ
(火曜21時台後半枠へ移動)
【ここまで読売テレビ制作枠】
水曜ロードショー
(1972年4月 - 1974年3月)
【ここから日本テレビ制作枠】
水曜ロードショー
(枠拡大)
日本テレビ系列 水曜22時台
水曜ロードショー
(1972年4月 - 1974年3月)
水曜ロードショー
(枠拡大)
日本テレビ系列 水曜21・22時台
東芝ファミリーホール特ダネ登場!?
※21:00 - 21:30
(水曜19時台後半枠へ移動)
水曜ロードショー
※21:30 - 22:55
水曜ロードショー
(1974年4月 - 1985年3月)
ハーフポテトな俺たち
※21:00 - 21:54
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妻たちの課外授業
※22:00 - 22:54
【ここからドラマ枠】