「令制国一覧」の版間の差分

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[[ファイル:Japan_prov_map701.png|thumb|right|240px|[[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年)から[[702年]](大宝2年)まで。[[黄色]]で示す地域が制度の及ぶ範囲。]]
 
[[ファイル:Japan_prov_map.png|thumb|right|240px|[[鎌倉時代]]から[[1868年]]([[明治]]元年)まで]]
 
[[ファイル:1880s Meiji Japanese Folding Map of Japan - Geographicus - Japan-meiji-1880.jpg|thumb|明治初期の令制国の配置]]
 
 
'''令制国一覧'''(りょうせいこくいちらん)は、[[7世紀]]後半からの[[日本]]国内の[[地方]][[行政区分]]、国([[令制国]])の一覧である。
 
 
令制国の改廃は、[[奈良時代]]までと明治時代になされ、その間の[[平安時代]]から[[江戸時代]]には長期にわたって変更がなかった。
 
 
== 表記の仕方について ==
 
この一覧では、[[五畿八道|五畿七道]]に従って配列し、廃止・消滅したものや一時的に存在した諸国はその中に字下げして付ける。この一覧が、すべての国を列挙するためのもので、多くの改廃を記していないことに注意されたい。それらの詳細は、各国の項目に記す。
 
 
個々の国について、[[中国]]の地方単位である[[州#漢字圏の「州」|州]]になぞらえて、○州と呼ぶ慣用表現がある。○の部分には、二字からなる国の名のうち一字を採ってあてる。日本全体を総称する際には、「日本六十余州」などと表現することもあった。[[括弧#丸括弧()|丸括弧( )]]内にあるのが、州を付ける呼び方である。読み仮名は[[現代仮名遣い]]で、[[歴史的仮名遣]]で表記が異なるものは[[スラッシュ (記号)|スラッシュ]] " / " の後に示した。
 
  
 
== 五畿 ==
 
== 五畿 ==
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:※[[鎌倉時代]]から[[江戸時代]]にかけて[[和人]]が進出し居住していた[[蝦夷地]]('''北州''')を、[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後の[[1869年]]、北海道および[[樺太]]と改め、同時に[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し北海道11国86郡が置かれた。以後、'''五畿八道'''となる。なお、北海道および樺太を指した[[蝦夷国]](えぞのくに)は俗称であり、令制国としては存在しない。
 
:※[[鎌倉時代]]から[[江戸時代]]にかけて[[和人]]が進出し居住していた[[蝦夷地]]('''北州''')を、[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後の[[1869年]]、北海道および[[樺太]]と改め、同時に[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し北海道11国86郡が置かれた。以後、'''五畿八道'''となる。なお、北海道および樺太を指した[[蝦夷国]](えぞのくに)は俗称であり、令制国としては存在しない。
  
 
 
<!--== 外地 ==
 
;[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]
 
* [[大韓帝国]] だいかんていこく([[朝鮮半島]]最後の[[王朝]]。[[1910年]]の[[日韓併合]]後、[[朝鮮総督府]](植民地政府)は朝鮮に令制国ではなく内地の都庁府県(都道府県)に相当する[[日本統治時代の朝鮮#行政|十三道]]を置いた。 - [[1945年]])
 
;[[日本統治時代 (台湾)|台湾]]
 
* [[赤カン楼#鄭氏による東都承天府|東寧]]国 とうねい(台湾の[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権時代]]の国名。台湾における日本編入以前の唯一の独立国。[[日清戦争]]後の[[台湾総督府]](植民地政府)では内地の都庁府県(都道府県)に相当する[[日本統治時代の台湾行政区分|5州3庁]]を置いた。
 
;[[関東州]]
 
;[[南洋群島]]
 
 
以上の朝鮮・台湾・関東州・南洋諸島の旧外地は一度も内地編入されず、日本統治を離れるまで令制国は設定されていない。
 
-->
 
  
 
{{令制国一覧}}
 
{{令制国一覧}}

2018/9/1/ (土) 21:22時点における版

五畿

畿内

七道

東海道

東山道

  • 近江国 おうみ/あふみ(江州・近州)
  • 美濃国 みの(濃州)
  • 飛騨国 ひだ(飛州)
  • 信濃国 しなの(信州)
  • 上野国 こうずけ/かうづけ(上州)
  • 下野国 しもつけ(野州)
  • 陸奥国 みちのおく/みちのく/むつ(奥州/陸州) - 陸奥国7世紀常陸国より分立。
    • 石背国 いわせ/いはせ - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
    • 石城国 いわき/いはき - 718年に陸奥国より分立。数年後に再統合。
  • 出羽国 でわ/では(羽州;山形県秋田県の一部) - 712年(和銅5年)に越後国出羽郡を割いて出羽国を建てる。
    • 同年10月、陸奥国の最上・置賜両郡を出羽国に編入。
      ※ 陸奥・出羽は戊辰戦争の戦後処理の一環で分割された。
      • 陸奥国 (1869-) りくおう/むつ - 陸前・陸中等を分割後の部分。
      • 陸前国 りくぜん - 1869年に陸奥国より分立。
      • 陸中国 りくちゅう/りくちゆう - 1869年に陸奥国より分立。
      • 岩代国 いわしろ/いはしろ(岩州) - 1869年に陸奥国より分立。
      • 磐城国 いわき/いはき(磐州) - 1869年に陸奥国より分立。
      • 羽前国 うぜん - 1869年に出羽国より分立、現山形県に相当。
      • 羽後国 うご - 1869年に出羽国より分立、現秋田県に相当。

北陸道

山陰道

山陽道

南海道

西海道

戊辰戦争直後に置かれた一道

北海道

鎌倉時代から江戸時代にかけて和人が進出し居住していた蝦夷地北州)を、戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年、北海道および樺太と改め、同時に大宝律令国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた。以後、五畿八道となる。なお、北海道および樺太を指した蝦夷国(えぞのくに)は俗称であり、令制国としては存在しない。



関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 『延喜式 校訂 下巻』(大岡山書店、国立国会図書館デジタルコレクション)70コマ。
  2. 「壱岐国」『日本歴史地名大系 43 長崎県の地名』 平凡社、2001年。
  3. 「対馬国」『日本歴史地名大系 43 長崎県の地名』 平凡社、2001年。

外部リンク