飛騨国
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飛騨国(ひだのくに、旧字体: 飛驒國)
現在の岐阜県北部。東山道の一国。下国。『旧事本紀』によれば,成務天皇のときに斐陀 (ひだ) 国造が置かれたという。令 (りょう) にも「斐陀国」とみえるが,『日本書紀』仁徳天皇の条には「飛騨国」とある。国全体が山中にあり,経済的に恵まれず,そのため賦役令の規定でも庸 (よう) ,調 (ちょう) ともに免じられ,50戸ごとに匠丁 (飛騨工 ) 10人を出す規定であった。国府は高山市上岡本。国分寺は高山市総和町。一宮は高山市一之宮町の水無 (みなし) 神社。『延喜式』には大野郡,益田郡,荒城郡の3郡を載せているが,益田郡は貞観 12 (870) 年に大野郡から分割された新置の郡であった。『和名抄』には 13郷,田 6615町と記されている。鎌倉時代の守護その他については不明。南北朝時代初期の頃姉小路家綱が国司に任じられたともいう。武家方は京極 (佐々木) 氏を守護とし,室町時代を通じて京極氏の支配が続いた。豊臣秀吉は金森長近をこの国に封じた。元禄5 (1692) 年金森氏が出羽に移封されてからは天領となり,飛騨郡代の支配下となった。明治1 (1868) 年5月飛騨県,同年6月高山県となり,梅村速水が知事として3郡を管轄したが,急激な新政の結果,梅村騒動を引き起こした。同4年の廃藩置県後,筑摩県に編入され,1876年岐阜県に合併された。
脚注