磐城国

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磐城国(いわきのくに)は、戊辰戦争終結直後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国が分割されて設立された、日本の地方区分のの一つ。東山道に位置する。別称は磐州(ばんしゅう)。領域は、現在の福島県浜通り、福島県中通り南部、宮城県南部に当たる。

領域

西隣の岩代国とは福島県の中部を分割する形となる。現在の福島県浜通り全域、福島県中通りのうち田村郡石川郡東白川郡西白河郡田村市白河市郡山市東部などのかつての郡域を含む)、宮城県のうち亘理郡伊具郡刈田郡角田市白石市などのかつての郡域も含む)が範囲となる。

面積はおよそ6,788.29平方km。(現福島県域5,525.40平方km、現宮城県域1,262.89平方km)[1]

沿革

戊辰戦争後の西暦1869年1月19日明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国の分割により、岩代国、磐城国、陸前国陸中国陸奥国 (1869-)の5国が設立された。

範囲は718年から720年代まで存在した律令時代の「石城国」と似ているが、律令時代の石城国とは異なり、阿武隈山地を越えた内陸地域が含まれている。具体的には、伊具郡刈田郡田村郡石川郡東白川郡西白河郡が内陸地域である。

旧藩

磐城国の領域にあった藩は以下の通りである。

※以下、陸奥国から分立前に廃止された藩

近代以降の沿革

地域

人口

明治5年 (1872年) の調査では、人口34万8608人を数えた。

脚注

  1. ただし、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能な昭和10年国勢調査報告に記載された旧磐城国10郡の面積を合計した値であり、磐城国域と完全には一致しない点に注意を要する。
  2. 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。

参考文献

関連項目