ツエーゲン金沢
ツエーゲン金沢 | |
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原語表記 | ツエーゲン金沢 |
呼称 | ツエーゲン金沢 |
クラブカラー | 赤[1]、 黒[1]、 黄[1] |
創設年 | 1956年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン |
金沢市[1]、野々市市[1]、かほく市[1]、 津幡町[1]、内灘町[1] を中心とする 石川県全県[1] |
ホームスタジアム | 石川県西部緑地公園陸上競技場[1] |
収容人数 | 20,261[1] |
運営法人 | 株式会社石川ツエーゲン[2] |
代表者 |
米沢寛(代表取締役社長) 西川圭史(代表取締役GM) |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
ツエーゲン金沢 (ツエーゲンかなざわ、Zweigen Kanazawa)は、日本の金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町を中心に石川県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
Contents
概要
1956年創設の「金沢サッカークラブ」が前身。2006年に「ツエーゲン金沢」へ名称を変更した。2013年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[3]、2014年にJリーグに入会した。運営会社は株式会社石川ツエーゲンである。なお、同社設立までの運営母体であった一般社団法人石川フットボールクラブは「ツエーゲン金沢後援会」の運営などを手掛けている[4]。
ツエーゲン (Zweigen) は、ドイツ語のツヴァイ (zwei=2) とゲーエン (gehen=進む) から、「チームとサポーターが共に進んでいく」を意味し、金沢弁で「強いんだっ!」を意味する「つえーげん!」の意味も有する[1]。エンブレムのデザインは石川県の県花であるクロユリをモチーフとしている[5]。マスコットは「県鳥」のイヌワシをモチーフにしたマスコットキャラクターの「ゲンゾー」である[6] 。
ホームスタジアムは石川県西部緑地公園陸上競技場[1]、練習場は津幡運動公園陸上競技場[1] や白山市松任総合運動公園グラウンド[1] などである(詳細は#スタジアム・練習場他を参照)。
歴史
前史
- 1956年:「金沢サッカークラブ」が創設される。
- 1982年:北信越フットボールリーグに初昇格。
- 1990年:全国社会人サッカー選手権大会 (以下「全社」)に初出場し、初勝利を挙げた。
- 1992年:天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場。1回戦で日産FC横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に敗北。
- 2002年:全国地域サッカーリーグ決勝大会 (以下「地決」)に初出場。TDK(現ブラウブリッツ秋田)などと同組のグループAに入ったが、1勝2敗のグループ最下位の成績で1次ラウンド敗退。
- 2004年:2部制に移行した北信越リーグ1部で初優勝。
- 2006年:運営母体として任意団体の「石川フットボールクラブ」が発足。クラブ名称を「ツエーゲン金沢」に変更した。
2006年 - 2009年(北信越リーグ)
- 2006年
小川雅己が選手兼任で監督に就任した。リーグ戦は松本、JAPANサッカーカレッジ(JSC)、長野と優勝を争ったが、4位に終わった。また、石川県サッカー選手権大会の準決勝でテイヘンズFCに敗れ、天皇杯本戦出場も逃した。
- 2007年
運営母体の「石川フットボールクラブ」を任意団体から有限責任中間法人へ移行。元日本代表の池田司信が監督に就任した。リーグ戦は松本、JSC、長野に次ぐ4位の成績。全社は2回戦でYS横浜に敗北。2年ぶりの出場となった天皇杯は3回戦で水戸に敗れた。
- 2008年
池田体制2年目。リーグ戦は長野・JSCに次ぐ3位の成績。また、全社の北信越大会でも、長野にリーグ戦と合わせて3度目の敗戦を喫し、全国地域リーグ決勝大会出場は成らなかった。天皇杯は3回戦でFC岐阜に敗北。シーズン終了後に池田が監督を退任した。なお、同年中に「石川フットボールクラブ」が有限責任中間法人から一般社団法人へ組織改組した。
- 2009年
京都元ヘッドコーチの上野展裕が監督に就任。Jリーグチームから新たに選手を補強するだけでなく、ブラジル人コーチの招聘や、ブラジル州リーグ所属の選手を獲得しシーズン開幕を迎えた。リーグ戦はJSC・長野に次ぐ3位の成績。全社で準優勝。第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会は3位に入り、JFL17位・FC刈谷との入れ替え戦に出場。入替戦は1勝1分の成績でFC刈谷に勝利し、2010年からのJFL昇格が決まった。
2010年 - 2013年(JFL)
上野体制2年目。元日本代表の久保竜彦を獲得した。4月9日にJリーグ準加盟を申請した[7]。12月15日、株式会社ツエーゲンを設立して、トップチームの運営を「石川フットボールクラブ」から移管した[8]。
上野体制3年目。再度準加盟を申請したが継続審議となった。東日本大震災の影響でシーズン日程が変更され、リーグ戦は中盤に暫定で首位に立ったが、最終成績は7位。シーズン終了後に上野が監督を退任した。また、マイケル・ジェームズがニュージーランド代表に選出され、クラブ初のA代表選出となった。
福岡元ヘッドコーチの森下仁之が監督に就任。ホームスタジアムの改修やクラブの資本金増資の遅延により、2012年2月審査の準加盟申請は見送られた[9]。また、クラブ事務所を、ホームスタジアムである西部緑地公園そばのカフェ併設の事務所に移転し、開幕前に地元政財界人の経営参加と運営会社に8千万円の増資が行われた[10]。
- 2013年
- チームスローガン:団結エーゲン
森下体制2年目。2013年2月、Jリーグ準加盟が承認された[3]。天皇杯の2回戦で横浜FCに勝利した(3回戦で清水に敗北)。11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[11]。
2014年(J3)
- 2014年
- チームスローガン:やっぞ!! CHALLENGE OF ZWEIGEN 2014
森下体制3年目。ソニー仙台FC元監督の田端秀規が強化部長、長崎元監督の東川昌典がアカデミーダイレクターおよびユース監督にそれぞれ就任した。またJリーグ経験のある太田康介、原田欽庸、辻正男、作田裕次が加入した。シーズン中に元大分の辻尾真二が完全移籍で、金子昌広、姜成浩、水永翔馬が期限付き移籍で加入する一方、本田真吾がHonda FCに期限付き移籍した。
リーグ戦は長野、町田らと昇格を争ったが、第21節からの7連勝(第28節の引き分けを挟み最終的には13試合負けなし)で2位以下を突き放した。11月16日、第32節FC琉球戦に勝利して優勝を決めた。11月19日、Jリーグ理事会でJ2昇格が承認された[12]。
2015年 - (J2)
- 2015年
- チームスローガン:創力戦 Do our best.
森下体制4年目。栃木SCからチャ・ヨンファン、清水から廣井友信を完全移籍で、CAメトロポリターノからジャーン・モーゼル、山形から秋葉勝を期限付き移籍で獲得。玉城峻吾、星野有亮が新加入し、金子昌広と水永翔馬が完全移籍で加入した。
また、シーズン途中にユニオンECからメンデス、甲府から野田紘史を完全移籍で、仙台から茂木駿佑が期限付き移籍で加入。
リーグ戦は序盤戦から好調で6連勝という快進撃を見せ、一時は首位に立ったが、後半戦19試合勝ちなし(11分8敗)と低迷。それでも第39節で20試合ぶりの白星を挙げ、終盤戦は2勝1分け1敗の成績を見せ、最終成績は12位。
- 2016年
- チームスローガン:勇轟 FUSION
森下体制5年目。前年のチーム得点王である清原翔平がC大阪へ、前年のJ2最優秀ゴール賞を受賞した佐藤和弘が水戸へ、田中パウロ淳一と秋葉勝が岐阜、辻正男がYS横浜、ジャーン・モーゼルが栃木へ移籍。また、チャ・ヨンファンが契約満了で退団。
一方で湘南から安東輝、横浜FMから熊谷アンドリュー、川崎から可児壮隆と安柄俊を期限付き移籍で、山形から山崎雅人、群馬から小柳達司、札幌から古田寛幸、CRヴァスコ・ダ・ガマからロマリーニョ、鳥取から馬渡和彰を完全移籍で獲得、尚州尚武FCU-18からキム・テソン、別内ユナイテッドからキム・ヨンホンが入団した。
また、シーズン途中にアル・オロバからダビを完全移籍で、鳥栖から中美慶哉が期限付き移籍で加入。また、岐阜に移籍していた秋葉勝が期限付き移籍で再加入した。
J2リーグ戦では、第1節終了時の15位タイが最高順位で、第3節以降は、第5、24、37、38各節終了時に20位になった以外常に21位以下、かつその大半が最下位で、第41節終了時でも最下位であったものの、最終節、引き分けでも優勝となる首位札幌と引き分けたことにより、同節で敗れた21位北九州を逆転し21位でJ2・J3入れ替え戦へ出場、J3リーグ2位の栃木SCに2戦2勝となりJ2残留を決めた。シーズン終了後に森下が監督を退任した。
- 2017年
- チームスローガン:ONE ACTION つかみたい明日のために、ひとつになれ。
監督に元新潟の柳下正明が就任。馬渡和彰が徳島、安柄俊が熊本、阪本翔一朗がアルビレックス新潟シンガポール、辻尾真二が相模原、玉城峻吾がJFL・今治へ移籍、吉川翔梧が契約を更新せず期限付き移籍していたJFL・八戸へ移籍、水永翔馬が北九州、古田寛幸が秋田へ期限付き移籍、安東輝、熊谷アンドリュー、可児壮隆は期限付き移籍期間満了、大橋基史は引退、ロマリーニョ、ダビ、Honda FCへ期限付き移籍していた本田真吾が契約満了で退団した。
一方で、松本から白井裕人、長崎から佐藤洸一、仙台から杉浦恭平、鹿島から大橋尚志を完全移籍で、磐田から石田崚真、新潟から宮崎幾笑、鹿島から垣田裕暉を期限付き移籍で獲得した。また秋葉勝が完全移籍に移行した。
また、シーズン開幕直前にキム・ヨンホンが北信越1部・福井へ期限付き移籍。開幕後には榎本滉大が福島県1部・いわきFC、山藤健太が北九州へ期限付き移籍、メンデスが契約解除(後に栃木へ加入)したが、G大阪から田尻健、C大阪から庄司朋乃也を育成型期限付き移籍で、清水からビョン・ジュンボンを期限付き移籍で、沼田圭悟を大宮から完全移籍で獲得した。また、来シーズンの加入が内定している島津頼盛が特別指定選手として加入した。
J2リーグ戦では一時は10試合未勝利という苦しい時期があったが、白井が正守護神として、佐藤がエースストライカーとして活躍した事に加え、大橋や石田や宮崎、そして途中期限付き加入した庄司など出場機会に恵まれなかった若手選手が主力として活躍。特に庄司は金沢に期限付き加入後、22試合に出場した。シーズンが進むにつれ、柳下監督が目指すアクションサッカーが徐々に浸透し、終盤戦では7試合負けなしで締めくくった。またこの年3位だった名古屋から2勝した。結果は13勝10分19敗、得失点差-18で最終順位は17位となった。
- 2018年
- チームスローガン:SHINKA 進むために、深化しろ。
柳下体制2年目。太田康介がJFL・今治、星野有亮が鳥取、富田康仁、嶺岸佳介が沼津、原田欽庸が関東1部・栃木ウーヴァFC、阿渡真也が藤枝へ移籍、古田寛幸が契約を更新せず期限付き移籍していた秋田へ移籍、北九州へ期限付き移籍していた水永翔馬が契約を更新せずJFL・宮崎へ移籍、大町将梧が契約を更新せず期限付き移籍していたHonda FCへ移籍、キム・テソンがJFL・青森へ期限付き移籍したが開幕前に契約解除、福井へ期限付き移籍していたキム・ヨンホンが契約満了、ビョン・ジュンボン、中美慶哉は期限付き移籍期間満了、大槻優平、秋葉勝が引退した。
一方で、讃岐からアラン、鹿島から梅鉢貴秀、山口から加藤大樹、C大阪(昨季途中は徳島に期限付き移籍)から清原翔平、スコータイFCからマラニョンを完全移籍で、仙台から藤村慶太を期限付き移籍で獲得。また、鹿島から育成型期限付き移籍加入していた垣田裕暉、磐田から期限付き移籍加入していた石田崚真、新潟から期限付き移籍加入していた宮崎幾笑、C大阪から育成型期限付き移籍加入していた庄司朋乃也の移籍期間を延長、山藤健太が期限付き移籍先の北九州から復帰、毛利駿也、山本義道、島津頼盛、谷口遼弥が新加入。
成績
タイトル
クラブ
- J3リーグ:1回
- 北信越フットボールリーグ1部:1回
- 2004
- 石川県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会石川県予選):8回
- 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014
個人
- 日本フットボールリーグ
- ベストイレブン
- 2013年 : 清原翔平
- ベストイレブン
その他
スタジアム・練習場他
ホームスタジアム
ホームスタジアムは石川県西部緑地公園陸上競技場である。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは当項目を参照のこと。
スタジアムDJ
- 大平まさひこ(物真似・漫談師・司会者) - 2015年 -
練習場
練習場は石川県西部緑地公園補助競技場[1]、津幡運動公園陸上競技場[1]、白山市松任総合運動公園グラウンド[1]、金沢市安原スポーツ広場多目的グラウンド (金沢市)[1]、石川県サッカー・ラグビー場 (能美市)[1] となり、その他に北陸大学フットボールパークも使用している[13]。
2016年1月、金沢市安原スポーツ広場多目的グラウンドにて、専用のクラブハウスが完成。黒をベースにした外装になっている。着工日は2015年9月30日で、完成日は2016年1月18日。クラブハウスの完成により、選手達が腰を据えて練習に取り組める環境が確立。スタッフルームや多目的ルーム、メディカルルーム、休憩室、ロッカールーム、浴室、トレーニングルーム、ランドリールーム等が整備されており、食事面を含めた体作りやケア等、心身を鍛えながらリフレッシュできる体制になっている。なお、クラブハウスの外壁には、建設における支援金の募集に参加したサポーターやファン、スポンサーのネームプレートが飾られている[14]。
ユニフォーム
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チームカラー
ユニフォームスポンサー
提出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 北國新聞 | 北國新聞 | 2011年 - | 2009年はパンツ、 2010年は背中 |
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鎖骨 | あしたのチーム | あしたのチーム | 2018年 - | 2ndのみ掲出 |
背中上部 | 北國銀行 | 北國銀行 | 2011年 - | 2006年 - 2008年は背中、 2009年 - 2010年は胸 |
背中下部 | 澁谷工業 | 澁谷工業 | 2016年 - | |
袖 | 米沢電気工事 | 米沢電気 | 2010年 - | 2009年は背中 |
パンツ | サンキュー | 100満ボルト | 2015年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
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2006 - 2007 |
2008 - 2010 |
2011 |
2012 |
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2014 |
2015 |
2016 |
2017 | |
FP 2nd | ||||
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2008 - 2010 |
2011 |
2012 - 2013 |
2014 |
2015 |
2016 |
2017 | |||
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2006 | エー・オー・シー | 解禁前 | 北國銀行 | 解禁前 | シーピーユー | NTTドコモ | PUMA |
2007 | ウイル・コーポレーション | AOC | |||||
2008 | ウイルコ | ||||||
2009 | 北國銀行 | 米沢電気 | 北國新聞 | ||||
2010 | 北國新聞 | 米沢電気 | かいてき薬局 | ||||
2011 | 北國新聞 | 北國銀行 | |||||
2012 | A-LINE | ||||||
2013 | |||||||
2014 | UNDER ARMOUR | ||||||
2015 | 100満ボルト | ||||||
2016 | 澁谷工業 | adidas | |||||
2017 | |||||||
2018 | あしたのチーム(2nd) |
アカデミー
2009年、金沢市と津幡町にサッカースクールを設立、U-12年代での人材の育成と、地域におけるサッカーの普及・サッカー文化の発展を目指している。また、ツエーゲン金沢U-18を発足させた他、2010年にツエーゲン金沢 津幡U-15、2011年に七尾市にツエーゲン能登ジュニアユースを設立した。
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 “プロフィール:ツエーゲン金沢”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-1-1閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「name
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 3.0 3.1 サポーターの皆様へ(準加盟承認のご報告), , ツエーゲン金沢, (2013年2月26日) . 2013閲覧.
- ↑ “2015ファンクラブ会員募集開始します!”. ツエーゲン金沢 (2014年11月22日). . 2014閲覧.
- ↑ “クラブ紹介”. ツエーゲン金沢. . 2014-1-31閲覧.
- ↑ 2011年2月18日付クラブリリース「ツエーゲン金沢にマスコットキャラクターが誕生しました!」
- ↑ “Jリーグ準加盟申請について” (プレスリリース), ツエーゲン金沢, (2010年4月11日) . 2015-4-10閲覧.
- ↑ “Jリーグ準加盟申請について” (プレスリリース), ツエーゲン金沢, (2011年1月7日) . 2015-1-6閲覧.
- ↑ 「Jリーグ準加盟申請」について記者会見を行いました(2011年11月27日付ツエーゲン金沢オフィシャルHP)
- ↑ 「Jリーグ加盟へ経営強化 ツエーゲン金沢」 北國新聞(2012年2月9日2時52分更新)
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「j3
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “湘南ベルマーレ、松本山雅FCのJ1昇格およびツエーゲン金沢のJ2昇格審査結果について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2014年11月19日)
- ↑ “第16節 vsツエーゲン金沢 前日練習”. J3リーグ (2014年6月13日). . 2014閲覧.
- ↑ “クラブハウス完成の御礼と支援金募集期間延長のお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2016年2月3日) . 2017-8-26閲覧.
関連項目
- ツエーゲン金沢の選手一覧
- 宮澤ミシェル:スーパーバイザー(2006‐2008年)
- 越田剛史:テクニカルディレクター(北陸大学教授)
外部リンク
ツエーゲン金沢 関連テンプレート |
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テンプレート:ツエーゲン金沢のメンバー テンプレート:ツエーゲン金沢及びその前身チーム歴代監督 |