和光市
和光市(わこうし)は、埼玉県の南部にある人口約8万1千人の市である。
Contents
概要
東京23区に隣接することから、戦後急速にベッドタウンとして人口が増え、本田技研工業の工場建設(現在は工場は廃止)によって工業都市として発展した。市域の一部はキャンプ・ドレイクの跡地に位置しており、本田技研工業の和光本社、国立病院機構埼玉病院、国立研究開発法人理化学研究所のほか、近年では司法研修所、税務大学校、裁判所職員総合研修所などの国や民間の研究・研修施設などの立地が進んでいる。
住宅地として造成が進んでいるが、かつての武蔵野の面影を残すような雑木林や畑が点在するほか、県営の和光樹林公園など緑の多い公園もある。
地理
- 埼玉県の南側にあり、東京都練馬区と板橋区に接している。
- 地形的には武蔵野台地の上にあり、市の東側の東京都板橋区との境に沿うように白子川が、市の北端には荒川と新河岸川が流れている。
- 東武東上線を境に南側は大規模に開発されており、国・民間の研究機関・本社や団地が立ち並び、近年急速に商業集積が進んだ。北側は小規模開発の住宅地と畑が混在しており、区画整理が実施されている地域もあるが、和光市駅の北口の駅前はまだ開発が進展していない。
- 東京外環自動車道、笹目通りが市内を縦断、国道254号(川越街道)が市内を横断しており、市内から至近距離に関越自動車道、首都高速道路の入口がある。和光市駅は東武東上線と地下鉄有楽町線、地下鉄副都心線が利用可能。また、市内の居住エリアによっては、都営三田線、都営大江戸線、西武池袋線も利用できるので様々な場所にアクセスしやすく、当市は交通の要衝となっている。
- ただし、荒川対岸で隣りの戸田市への公共交通機関は、当市下新倉付近を走る国際興業バス増14(成増駅北口〜下笹目)のみで、利用しても戸田市中心部には行かないため再び別の路線に乗り継がなければならない(逆も同様)。このため、2駅隣の朝霞台駅から武蔵野線で武蔵浦和駅を経由して埼京線、または東武東上線、地下鉄有楽町線、副都心線で池袋駅を経由し埼京線を利用するのが一般的である。
- 周辺は湧水が多い地域で現在でも井戸がある。旧川越街道沿いの富沢病院駐車場では今も湧水が豊富である。近年病院側(地主)が駐車場整備のため一部閉鎖してしまったが、敷地には柵もないため道路からは湧水が確認できる。
歴史
近世まで
- 白子川沿いの台地には縄文期の遺跡が発見されている。隣接する成増地区にも同様に遺跡があり、台地上に集落が築かれていたと思われる。現在、その集落跡には寺社が建てられているケースが多い。
- 古墳時代から奈良時代にかけて、帰化人の移住があったとされる。その理由として白子(シラコ)は新羅(シラギ)の、新倉は新座(すなわち新羅)の転化とする説や、百済王子の住んだとされる牛房城伝説があるが、考古学的には何ら実証されていない。ただ江戸時代中期までは新倉は「新座」と表記されており(読みは同じ“にいくら”)、志木市や新座市にも同様の伝説があることから、単なる伝説ではないと考えられている。新座郡の項も参照されたい。
- いずれにせよ、かなり古い時代から白子台地には集落が築かれており、現に寺社も多く、その中心地は現在バス停に名をとどめているだけだが「市場」辺りだったらしい。
- 戦国期には白子台地上で上杉勢と北条勢の争い「白子の戦い」があった。
- 江戸期には川越街道の宿場として白子宿が栄えた。当時の街並みはほとんど残っていないが、当時の中心地だった熊野神社周辺には旧家が残っている。中でも花火を稼業とした富沢家は中心的役割を占めており、現在も富沢姓の旧家が多い。また、江戸時代には新河岸川を通る水運も盛んであり、新倉には河岸が設けられていた。
- 鉄道が敷かれ、川越街道のルートが変更されると、白子宿や新倉の河岸は寂れた。白子宿周辺では豊富な清水を利用して魚の養殖、水車営業も行われたが、市の中心地は駅周辺に移行した。以前の白子には湧水が盛んに沸き出ており、明治9年(1876年)には白子村の熊野神社境内に日本最初の養魚場ができ、明治23年(1890年)に養魚場は閉鎖された。又、近くには、以前湧き水が流れ落ちていたため、滝坂と呼ばれる坂が現在でもある。
- 川越街道は、15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものが起源と考えられており、元々は近世の川越街道(現在の旧川越街道、埼玉県道109号新座和光線)の東を蛇行していた。近世の川越街道の完成は松平信綱が川越城に入った寛永16年(1639年)以後のことである。
近代以降
- 江戸時代、当市域は新座郡に属し、上新倉村・下新倉村・白子村の3村が設置されていた。
- 1869年3月21日(旧暦明治2年2月9日) - 3村は品川県の所属となる。
- 1871年12月25日(旧暦明治4年11月14日) - 3村は品川県から入間県へ移管される。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県と群馬県合併により3村は熊谷県所属となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 熊谷県が分割され、3村は埼玉県所属となる。
- 1884年(明治17年)4月1日 - 連合戸長制施行により、3村は白子村連合戸長役場の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上新倉村が白子村連合戸長役場の所属から離脱し新倉村となる。また、下新倉村・白子村は合併し(新)白子村が発足。
- 1891年(明治24年)6月15日 - 新倉村字長久保を東京府に移管(北豊島郡大泉村、現在の東京都練馬区大泉学園町の一部)。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡に編入され、新倉村・白子村は北足立郡所属となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 新倉村と白子村が合併し、北足立郡大和町(やまとまち)となる。
- 1967年(昭和42年) - 理化学研究所が東京都から移転。
- 1970年(昭和45年)10月31日 - 大和町が市制施行に伴い名称変更、和光市になる。同時に市章を制定する[1]。
- 2016年(平成28年) - 理化学研究所で発見されたアジア初の新元素にニホニウムと命名。
市名(町名)の由来
- 町制施行時に町名に関してもめた為、「大いなる和」で一つになると言う意味から「大和町」と名付けられた。
- 市制施行時にすでに神奈川県に大和市が存在したため区別する為に新市名を一般公募し、「和光市」と名付けられた。大和町の「和」と栄光の「光」を組み合わせ、平和・栄光・前進を象徴し明るく住みよい街に躍進するように、という願いが込められている[2]。応募された市名で一番多かったのが「和光市」で、続いて「新倉市」「美和市」「埼玉市」「東埼市」「白子市」「埼南市」「本田市」「新和市」「栄市」「新大和市」「昭和市」「東和市」「南埼玉市」だった[3]。
市制施行記念の文鎮
1970年の市制施行時に当市では市章を模った記念の文鎮を制作して市内小学校の児童に配布した。文鎮の底面には「市制施行記念、昭和45年10月31日、和光市」と記されている。鋳鉄製、大きさ=縦65mm、横80mm、厚7mm。
合併の状況
長らく関係の深い朝霞市・志木市・新座市との合併を目指す運動がしばしみられる。
1960年代には、当時の朝霞町・足立町[4]・大和町・新座町4町で合併し市制施行を目指す動きがあったが、話がまとまらないうちに1967年(昭和42年)に朝霞町が単独で市制施行し、合併はついえた。また、市制施行の人口要件が3万人に下げられたことから、大和町も含めた他の3町も単独で市制施行した。
平成の大合併では、2001年(平成13年)4月に「朝霞市・志木市・和光市・新座市合併協議会」が設置された。しかし、2003年(平成15年)4月13日に4市で実施された、合併の是非を決める住民投票で朝霞市、志木市は賛成多数、新座市はわずかに賛成多数となったものの、和光市では77%が反対という結果となり合併は破談となった。
合併に否定的な背景には、1986年から2010年まで[5]、および2016年以降[6]地方交付税の普通交付税不交付団体であることや、東京都に隣接しているという地理的な事情がある。
人口
和光市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域
現行行政町名
和光市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。 テンプレート:未完成の一覧
町名 | 町名の読み | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
白子一〜四丁目 | しらこ | 19xx年xx月xx日(一〜三) | 19xx年xx月xx日 | ||
2004年11月1日(四) | 2004年11月1日 | 大字下新倉の一部 | |||
南一・二丁目 | みなみ | 19xx年xx月xx日 | 19xx年xx月xx日 | ||
中央一・二丁目 | ちゅうおう | 1969年8月1日 | 1969年8月1日 | 大字下新倉、大字白子の各一部 | |
新倉一〜八丁目 | にいくら | 1971年xx月xx日(一・二) | 1971年xx月xx日 | ||
2004年11月1日(三〜八) | 2004年11月1日 | 松ノ木島町の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 | |||
本町 | ほんちょう | 19xx年xx月xx日 | 19xx年xx月xx日 | ||
1996年4月1日(編入) | 大字新倉の一部 | ||||
諏訪 | すわ | 1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 大字白子の一部 | |
広沢 | ひろさわ | 1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 大字新倉、大字下新倉、大字白子の各一部 | |
西大和団地 | にしやまとだんち | 1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 大字新倉、大字下新倉、大字白子の各一部 | |
諏訪原団地 | すわはらだんち | 1969年4月1日 | 1969年4月1日 | 大字白子の一部 | |
下新倉一〜六丁目 | しもにいくら | 2004年11月1日 | 2004年11月1日 | 大字白子の全部及び大字下新倉、大字新倉の各一部 | |
大字新倉 | にいくら | 1943年4月1日 | 未実施 | ||
大字下新倉 | しもにいくら | 1943年4月1日 | 未実施 | ||
丸山台一〜三丁目 | まるやまだい | 1996年4月1日 | 1996年4月1日 | 大字下新倉、大字新倉の各一部 |
住宅団地
郵便
- 351-01xx - 和光郵便局管轄
- 和光郵便局(風景印あり)
- 和光新倉郵便局(風景印あり)
- 西大和郵便局(風景印あり)
- 司法研修所内郵便局(風景印あり)
- 和光白子南郵便局(風景印あり)
- 和光白子郵便局(風景印あり)
- ゆうちょ銀行和光市駅内出張所(ATMのみ)
- 東京北部郵便局 - 区分作業専門で、集荷は行わず窓口もない
行政
行政機関等
市の機関・施設
|
公民館・コミュニティセンター
- 中央公民館
- 坂下公民館
- 南公民館
- 白子コミュニティセンター
- 新倉コミュニティセンター
- 牛房コミュニティセンター
- 吹上コミュニティセンター
国の機関等
- 理化学研究所和光本所
- 司法研修所
- 裁判所職員総合研修所
- 税務大学校和光校舎
- 関東信越研修所(平成25年11月朝霞市から移転)
- 国立保健医療科学院
- 陸上自衛隊朝霞駐屯地
- 国立病院機構埼玉病院(旧:国立埼玉病院)
県の施設
- 県営和光樹林公園
- 彩湖(道満グリーンパーク隣接)
- 新河岸川水循環センター
- 荒川右岸下水道事務所
- 埼玉県下水道公社荒川右岸支社
- 食肉衛生検査センター白子分室
消防
- 埼玉県南西部消防本部(朝霞地区一部事務組合が運営する消防本部)
- 和光消防署
- 白子分署
- 和光市消防団
- Saitamakennanseibu-himedic.jpg
救急車・白子隊
警察
その他の施設
広域行政
- 朝霞地区一部事務組合 - 朝霞市、志木市、和光市及び新座市の4市が設立している一部事務組合。
産業
- 本田技研工業和光ビル・白子ビル
- 本田技術研究所(本田技研工業の研究開発子会社)本社・和光研究所・和光基礎技術研究センター・和光西研究所
- レインボーモータースクール本社(ホンダグループ)
- 写研工場
- イトーヨーカドー和光店
和光市駅南口は近年、区画整理が完了したことに伴い、多くの商業ビル、銀行などが立ち並ぶようになった。今後は北口地区の区画整理が実行される。
駅周辺は、当市の中心地であるが都内に近いこともあって、駅前への商業集積はそれほど多くないと言える。しかし、当市にある研究機関や会社で働く人が多いためか、居酒屋が多いのが特徴的である。駅前通り、旧川越街道にはマンションが建ち並び、昔ながらの商店は姿を消しつつあるが、現在も少なからず残っている。笹目通り沿いには近年発展した住宅街と、かつてからあるセメント会社や倉庫が点在している。新倉・白子近辺はかつて宿場町であったため、銭湯や小売店などが今でも存在する。又、荒川付近には産業廃棄物の集積場などがある。
かつて戦前は陸軍施設があったため軍需工場が立ち並んでおり、戦後は米軍施設(キャンプ・ドレイク)があったため、旧川越街道沿いには、朝霞市を中心に米軍相手の商店があった。1952年には本田技研工業が戦前からの工場用地を買収して白子工場(現在は白子ビル)、翌年には大和工場(後の和光工場・現在の和光ビル)を完成させ東京進出への足がかりとし、後に荒川テストコース(閉鎖)や本田技術研究所本社なども造られるなど、市としてホンダとの結びつきは強く企業城下町とも言えるようになった[7]。
東京に接しているが農地も比較的残っており、大消費地への近さを生かした近郊農業が行われている。なお、当市で採れた野菜は農協などで買うことができる。かつては豊富な湧水を生かした「酒造り」も行われ、2大銘柄として下新倉浅久保に「秀峰」、本村に「長泉(ながいずみ)」があったが、現在は2銘柄とも廃業している。
姉妹都市・友好都市
- 国内
- すべて友好都市
- 海外
教育
- 大学院
-
- 目白大学大学院看護学研究科看護学専攻(国立埼玉病院キャンパス)
- 専門学校
- 特別支援学校
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
文化・史跡
- 新倉ふるさと民家園(旧冨岡家住宅)
- 冨岡家住宅は江戸中期頃に建築されたものと推定されており、長年解体保存されてきたが、2003年(平成15年)に市指定文化財として指定され、2006年(平成18年)に開園した。埼玉県下では最古の部類に入る民家といわれている。
交通
鉄道
東武東上本線と東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線・副都心線の和光市駅が当市唯一の鉄道駅である。なお、市内の都県境、及び、朝霞市との市境に近接している地域では、市外の成増駅、地下鉄成増駅、西高島平駅、光が丘駅、朝霞駅も利用できる。
バス
タクシー
タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市などと同じエリアとなっている。
道路
- 県道
- 主な市道
- ニホニウム通り - 和光市駅南口と理化学研究所を、東武東上線に沿った後東京外環自動車道に沿って直角に結ぶ歩道。理研がニホニウムを発見したことを記念し、シンボルロードとして整備されることからこの名が付いた[8][9]。
出身人物
ゆかりの人物
- 清水かつら(詩人、東京都生まれ)
- 当市の防災無線のチャイムには、彼が作曲した童謡「靴が鳴る」が流れている。
- マッスル北村(ボディービルダー、東京都生まれ)
- フリーディア・ニムラ(旧芸名・こずえ鈴。タレント、ドイツ生まれ)
- 村木厚子(同市在住)
- 湯元進一(同市在住、2012年ロンドン五輪レスリング男子フリースタイル55kg級銅メダリスト)[10]
- 清水聡(同市在住、2012年ロンドン五輪ボクシング男子バンタム級銅メダリスト)[10]
その他
- 市外局番:048(市内全域)
- ニッポン全国鍋合戦
- 2005年(平成17年)から始まった和光市商工会主催のイベント(「彩の国鍋合戦」から名称を変更)。日本最大級の鍋合戦でもある。市役所前の広場で毎年1月末に開催され、市内の料理店を含め全国各地の鍋料理の中から最優秀鍋「鍋奉行」を決めるというもの。参加者は年々増えている。
- 当市の近くに東映東京撮影所(練馬区)があるため、市内では和光市役所などでドラマ・映画の撮影がしばしば行われている。
- 比較的水道代が高額な東京23区に隣接していながら戸田市と並んで水道代が安いことで知られる。20mm口径での1か月の水道代は1951円となっている。
- 和光市イメージキャラクター「わこうっち」と妹「さつきちゃん」は、市制施行40周年記念で決定した。
- Honda硬式野球部は1960年の創部から2000年まで本田技術研究所本社のある和光市を本拠地としていたが、2001年から本田技研工業埼玉製作所のある狭山市へ本拠地を移転した。
脚注
- ↑ 図典 日本の市町村章 p77
- ↑ 和光市40年のあゆみ
- ↑ 広報わこう
- ↑ 志木市の前身
- ↑ 和光市ホームページ“広報わこう掲載 市長コラム>第14回 26年ぶりに「交付団体」に(2011年9月号掲載)”. 和光市. . 2017年7月27日閲覧.
- ↑ “和光市6年ぶり 不交付団体に”. 東京新聞 (2016年7月30日). . 2017年7月27日閲覧.
- ↑ ホンダのバイク展示 - 和光市ホームページ
- ↑ “新元素の発見を記念してシンボルロードを整備します。”. 和光市. . 2016閲覧.
- ↑ “新元素発見記念 シンボルロードの名称の決定について”. 和光市. . 2016閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 湯元進一選手・清水聡選手! 銅メダルおめでとうございます! 和光市ホームページ 2012年8月14日