刈谷市
刈谷市(かりやし)は、愛知県西三河地方にある市。西三河地方の西端にあり、境川を挟んで尾張地方と接している。
Contents
概要
江戸時代には土井氏二万三千石の城下町であった。現在はトヨタグループ主要企業の本社・工場が集まる日本有数の自動車工業都市であり、トヨタ自動車の発祥の地である。
2018年現在、愛知県10番目の人口を有する。JR・名鉄刈谷駅周辺にはデンソーやアイシン精機などトヨタグループ主要企業の本社がある。2008年度の財政健全度ランキングでは、東京都の武蔵野市を抑えて全国1位だった[1]。
地理
三河国と尾張国との国境だった境川が市の西端部を流れる。この川に沿って市域は南北に長い形をしており、南北最長は13.2kmとなっている。旧三河国の西端に位置する。市域は海抜10m前後の、全体的に平坦な土地であり、田畑が広がる地域もある。
境川の他にいずれも境川水系の逢妻川、猿渡川等の中小河川が市内を東西に横断するように流れ、それぞれの流域に小規模ながら沖積平野を形成している。これらの沖積平野部はかつては衣浦湾が入り込んだ入り江であったところに河川がもたらす土砂が堆積して生じたものである。この沖積平野部に近世初頭以後干拓によって得られた新田が加わり、低湿地帯を形成しており、多くは現在も水田として利用されている。
そのほかの市域の多くは洪積台地であり、工場や住宅地が拡がっている。北部の愛知教育大学周辺は丘陵地帯であり、天然記念物である小堤西池のカキツバタ群落など僅かではあるが自然が残る地域である。
現在の南北に細長い市域の成立は、近代の市町村合併によるものだが、江戸時代の刈谷藩の時代に既に、元刈谷地区 - 井ヶ谷地区の半分まで、藩領であったことが確認できる。一方で、半城土・依佐美・小垣江の南部・東部は、重原藩であった。そのほか、高浜市域が刈谷藩であったことが確認できる。
町一覧
刈谷市の町名を参照。
人口
刈谷市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
隣接する自治体
歴史
原始・古代
衣浦湾の入り江の奥に位置し、魚介類が豊富に採れ、台地端からの湧水も豊富であったことから、旧石器時代より人の住む地域であったと考えられている。市内には縄文時代の本刈谷貝塚のような貝塚や、古墳も多く存在している。窯業も行われた。
- 現存する古墳
- 移築・取り壊された古墳
中世・近世
- 城下町としての刈谷
平安時代末期から室町時代にかけては、知立を中心とした広大な荘園であった重原荘の一部となっており、地頭の重原氏や二階堂氏、大仏氏が支配した。刈谷の城下町としての歴史は戦国時代前期の天文2年(1533年)、水野氏宗家の水野忠政の刈谷城築城に始まる。当時は刈谷と東浦の間には衣浦湾が入り込んでおり、刈谷城の背後は入り江、周囲は湿地や堀に囲まれており、水に浮かんだ亀のごとくに見えたことから別名を亀城と呼ばれた。本丸には三層の櫓も建造されていた。
水野忠政は緒川から刈谷に本拠地を移し、徳川家康生母於大の方は刈谷城主の娘として、同じく今川氏傘下の岡崎城主松平広忠のもとに嫁いだ。父水野忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田信秀と同盟(織水同盟)を結んだため松平氏を離縁となった彼女は阿久比城主久松俊勝に再嫁するまでの日々を刈谷城近くの椎の木屋敷で過ごした。三河・尾張に於ける有力な豪族であった水野氏の拠点として刈谷はしだいに政治的戦略的に重要性を増していき城下町としての体裁を整え始めた。
なお水野信元の時代について『三河物語』や『今川氏真判物』に下記のような記述がみられる。
『三河物語』によると、桶狭間の合戦の項目で「小河より水野四郎右衛門尉(信元)殿方カラ、浅井六之助(道忠)ヲ使にコサせラレテ」との記述があり、桶狭間合戦当時、信元は緒川城周辺を守備するか、もしくは戦の成り行きを日和見していたと考えられる。同じく『三河物語』の三河一向一揆の項目では「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記述がある。
また、永禄3年(1560年)6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物に「苅屋城以籌策、城主水野藤九郎其外随分者、数多討捕、城内放火、粉骨所不準于他也」とあり、屋が当てられている。上記の判物には桶狭間合戦当時の刈谷城主水野藤九郎(信元の弟)と記されているが、藤九郎信近は信元の城代として刈谷を守備していたと考えるのが妥当である。武家のしきたりとして弟は嫡男の家臣となるのが通例であった。今川方の文書から藤九郎信近を刈谷城主とするのは適当でない。
- 江戸期の刈谷
江戸幕藩体制の刈谷藩は水野勝成の三万石で始まった。その後江戸中期までは頻回に転封があり、石高の最小は阿部氏の一万六千石から最大は本多氏の五万石まで変化したが、いずれも譜代の小藩であった。1747年、土井氏が二万三千石で入封し、以後、土井氏の治世が廃藩置県まで120年余り続いた。この間、刈谷は城下町として少しずつ発展していった。市域は侍屋敷を中心に発達したが、多くの町人も集まり、太田平右衛門、加藤新右衛門、岡本権四郎等の大商人も現れ、活況を呈するようになった。
土井家時代の市域の中部・南部は刈谷藩の領地であったが、北部の井ヶ谷村の半分および東境村の半分も刈谷藩であった。市の南部や東部の一部(半城土、小垣江など)は重原藩の地域が多く、他に、西大平藩などの領地もあった。
幕末期、刈谷藩主土井利善は早くから西洋式軍隊の優位性を認め西洋式軍事訓練を行う開明的な譜代大名として知られており幕府陸軍奉行に任じられ、やがては幕閣を担う逸材として将来を嘱望されていた。
また同時期に、譜代藩であったにもかかわらず刈谷藩は二人の勤皇志士を輩出している。天誅組総裁松本奎堂と同組幹部の宍戸弥四郎である。 本来、藩主土井利善と松本、宍戸は良き主従であり互いの理解者でもあったのだが、激動の時代の幕開けはしだいに松本や宍戸らを先鋭的な勤王運動へと向かわせ二人は吉野での天誅組の壊滅と共に壮絶な死を遂げることとなった。
そして天誅組の変は刈谷藩主土井利善の運命も変えてしまった。元家臣が天誅組の幹部である責任を問われた彼の幕府内での立場は一転し、隠居に追い込まれたのち失意のうちに死去したのである。
さらには勤皇派藩士の誤認による三家老斬殺事件という悲劇も起きており、大きく動揺した。
近代・現代
- 明治以降の刈谷
東海道本線開通時の刈谷駅設置、商業、酒造業、蚕業、窯業等の発達と市域の拡大、刈谷駅で南北にクロスさせる形での三河鉄道敷設の成功、愛知県第八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)、愛知県刈谷高等女学校(現愛知県立刈谷北高等学校)の誘致の成功、この鉄道網と教育機関立地の優位性による豊田自動織機の誘致の成功などにより現代の刈谷の基盤となる部分が整えられた。豊田自動織機の誘致が工業都市としての発展につながった。
太平洋戦争中には数日違いで空襲を逃れた。戦後は急速に工業都市へと変貌した。
沿革(明治以降)
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。碧海郡刈谷村の区域に刈谷町が発足。
- 1906年(明治39年)5月1日 -碧海郡刈谷町、重原村、小山村、逢妻村、元刈谷村が合併し、改めて碧海郡刈谷町が発足。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 刈谷町が市制施行して刈谷市が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 碧海郡依佐美村の大部分と富士松村を編入。
- 1994年(平成6年) - 米軍に接収されていた依佐美送信所(無線塔)が日本に返還される。
- 1998年(平成10年) - 長野県下伊那郡下條村に、刈谷市民休暇村サンモリーユ下條を開設。
郡 | 明治22年以前 | 明治22年10月1日 | 明治23年 - 明治45年 | 大正1年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧 海 郡 |
刈谷村 | 刈谷町 | 刈谷町 | 明治39年5月1日 合併 刈谷町 |
刈谷町 | 昭和25年4月1日 市制 刈谷市 |
刈谷市 | ||
元刈谷村 | 元刈谷村 | 元刈谷村 | |||||||
小山村 | 小山村 | 小山村 | |||||||
高津波村 | 逢妻村 | 逢妻村 | |||||||
熊村 | |||||||||
下重原村 | 下重原村 | 明治24年8月14日 分立 重原村 | |||||||
半城土村 | 明治24年8月14日 分立 半高村 |
明治39年5月1日 合併 依佐美村(一部) |
依佐美村(一部) | 依佐美村(一部) | 昭和30年4月1日 刈谷市に編入 | ||||
高須村 | |||||||||
小垣江村 | 小垣江村 | 小垣江村 | 小垣江村 | ||||||
犬ヶ坪村 | |||||||||
野田村(一部) | 野田村(一部) | 野田村(一部) | |||||||
西境村 | 境村 | 境村 | 明治39年5月1日 合併 富士松村 |
富士松村 | 富士松村 | ||||
井ヶ谷村 | |||||||||
東境村 | 明治24年8月14日 分立 東境村 | ||||||||
泉田村 | 逢見村 | 逢見村 | 逢見村 | ||||||
今岡村 | |||||||||
今川村 | |||||||||
一ツ木村 | 一ツ木村 | 一ツ木村 | |||||||
築地村 |
行政
- 市長
- 広域行政
碧南市、安城市、知立市、高浜市との間で衣浦東部広域行政圏協議会を結成している。また、同じ枠組みで衣浦東部広域連合を結成し、消防業務を共同で行っている。ごみ処理に関しては、知立市との間で刈谷知立環境組合を結成している。
刈谷市が中心市となってて、知立市、高浜市、東浦町とともに衣浦定住自立圏を結成している。
財政
予算額の約半分をトヨタグループ企業(デンソー、アイシン精機、豊田自動織機、トヨタ車体、トヨタ紡織等)の法人税が占めている。
- 予算額
- 平成26年度
- 総額:805億5449万3千円
- 一般会計:517億4000万円
- 特別会計:248億4701万2千円
- 企業会計:39億6791万8千円
市名の由来
かりやという地名は、応永16年正月11日の熊野檀那職譲状写(米良文書)に「一所借屋郷」とあるのが初見である。一般には天文2年(1533年)の刈谷城の築城からとされるが、『宗長日記』には大永2年(1522年)に「此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。」、大永4年(1524年)に「八日に参川苅屋といふ所、水野和泉守宿所一宿。」、大永6年(1526年)に「かりや水野和泉守宿所。」との記載があり、水野和泉守の居館が苅屋にあったという。
『三河物語』では、三河一向一揆のくだりで、「水野下野守殿、雁屋より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記載され、「刈」の字に「雁」が当てられている。かつては「谷」ではなく「屋」の字を当てており、『宗長日記』や『三河物語』や『信長公記』や『今川氏真判物』では「苅屋」または「かり屋」と表記されている。
「以前は『亀村』と称していたが、元慶元年(877年)に出雲より一族を連れ移住した狩谷出雲守の名による」という伝承があり、平安時代から刈谷であったと言う説もある[3]。その他、水野藤九郎代牛田守次寄進状写に「一四百文目 坪本苅屋南 天文十九年 庚戌 三月六日」、水野和泉守寄進状に「合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎 大永五年 乙酉 弐月彼岸日 水野和泉守近守」とある。東照宮御実紀巻一に、三州刈屋の水野右衛門大夫忠政とある。
議会
- 刈谷市議会
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表者) |
---|---|---|
真政クラブ | 7 | ◎加藤廣行、渡邊妙美、外山鉱一、清水俊安、鈴木正人、前田秀文、加藤峯昭 |
市民クラブ | 6 | ◎鈴木浩二、伊藤幸弘、黒川智明、佐原充恭、中嶋祥元、山内智彦 |
自民クラブ | 4 | ◎蜂須賀信明、加藤賢次、鈴木絹男、神谷昌宏 |
公明クラブ | 3 | ◎白土美恵子、松永寿、樫谷勝 |
日本共産党議員団 | 3 | ◎新村健治、野村武文、山本シモ子 |
清風クラブ | 3 | ◎新海真規、上田昌哉、星野雅春 |
無所属 | 2 | 山崎高晴、稲垣雅弘 |
計 | 28 |
- 愛知県議会
- 選挙区:刈谷市選挙区
- 定数:2人
- 任期:2015年4月30日 - 2019年4月29日
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
永井雅彦 | 新政あいち県議団 | 2 |
渡辺周二 | 自由民主党愛知県議員団 | 1 |
- 衆議院
氏名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
大西健介 | 国民民主党 | 4 | 選挙区 |
大見正 | 自由民主党 | 3 | 比例復活 |
国家機関
法務省
施設
警察
- 本部
- 交番
- 富士松交番(東境町)
- 富士松駅前交番(今川町)
- 一ツ木交番(一ツ木町)
- 刈谷駅前交番(桜町1丁目)
- 東刈谷交番(東刈谷町1丁目)
- 小垣江交番(小垣江町)
- 広小路交番(広小路3丁目)
- 高津波交番(高津波町4丁目)
消防
- 本部
- 消防署
- 刈谷消防署
- 分署
- 北分署(刈谷市今川町鍋田69-2)
- 南分署(刈谷市小垣江町西高根203)
医療
- 主な病院
郵便局
- 主な郵便局
文化施設
- 主な文化施設
運動施設
- 主な運動施設
姉妹都市・提携都市
- 姉妹都市提携
1980年(昭和55年)11月、カナダオンタリオ州ミシサガ市より、姉妹都市提携を希望する書簡が届いた。翌年1月、日本企業関係者がミシサガ市長ヘーゼル・マッキャリオンの親書を携えて訪問。これに対して慎重な態度をとり、まず調査団をミシサガ市に送った。ところがミシサガ市側は同日のうちに姉妹都市提携を宣言した。こうした問題があったものの、スポーツ・文化面での交流を中心に友好を深める線で合意に達し、調査団の帰国後、議会で承認可決した。調印式は、1981年(昭和56年)7月6日にカナダのミシサガゴルフカントリークラブでとり行われた。 しかしその後、一時は音信が途絶え、また議会先行の提携であったためか市民レベルでの交流はなかった。そこで次にアメリカ合衆国ミシガン州フリント市が姉妹都市提携を申し入れてきたが、これに対し当時の宮田刈谷市長は明確な回答を避けた。ようやく1983年(昭和58年)4月になって「刈谷市国際友好協会」が発足したことによってミシサガ市との具体的な交流が始まった。
- ミササガ通り
2001年(平成13年)に刈谷市の市制50周年とミシサガ市との姉妹都市提携20周年を記念してミササガパークが整備された。それと一体的にカナダをイメージして市道が整備がされたことから、この道路はミササガ通りと命名された。
1983年(昭和58年)に設立された「刈谷市国際友好協会」[5]を通じ、刈谷市とミシサガ市はさまざまな交流を行ってきた。ミシサガ市内には"Kariya Park"や、"Kariya Drive"など「刈谷」の名を冠した公園や道路がある。
ミササガ通りの沿道にはカエデが植えられており、毎年秋が深まる季節になると色鮮やかな紅葉が通りを演出する。また「ミササガ橋」と命名された猿渡川に架かる橋にはミシサガ市の市章のほかにサーモンやメイプルリーフなどの意匠があしらわれている。
- 区間
- 愛知県刈谷市半城土町(半城土町南大湫交差点)から同市田町2丁目(田町2丁目交差点)までを南北に通る
- 延長:約735m
海外
- 姉妹都市
通例Mississaugaは「ミシサガ」と表記するのが一般的だが、刈谷市では表記揺れの一つである「ミササガ市」を中心的に使用している。これに名を得たミササガ通りやミササガパークある。
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された愛知万博で、県内市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた。[6]。
- 過去の刈谷市内で行われた国際交流事業
- ナマステ・インディア in KARIYA
- カナダ・ストリートホッケー交流会
- ナマステ・インディア2009 in KARIYA
- ナマステ・インディア2010 in KARIYA
- 高校生による国際理解教育教材づくり
国内
- 提携都市
国際機関
領事館
- 名誉総領事館
- 在名古屋バングラデシュ人民共和国名誉総領事館
- 名誉領事館
- 在名古屋フランス共和国名誉領事館
経済
第一次産業
- 農業
- 逢妻川・猿渡川に隣接する沖積平野に、水田が多く見られる。市北部にはぶどう・すいか・大根等の農家が点在する。
- 蚕業
- 明治から大正にかけての刈谷は繭や蚕種紙の取引の中心地として栄えた。高野蚕種製造所、杉浦蚕種製造所などの大規模な蚕種製造業者や町田製糸場などの製糸業者が操業し、この地方では豊橋と並ぶ蚕都であった。刈谷駅北口の刈谷市産業振興センターの曲線の屋根はかつての蚕都・刈谷の名残りとして、繭の形を模したものである。
第二次産業
- 自動車産業
- トヨタグループの企業を中心に発展している。豊田自動織機、デンソー、トヨタ紡織、トヨタ車体、アイシン精機、愛知製鋼、ジェイテクト(旧豊田工機)などのトヨタグループの中心企業が軒並み本社、主力工場を構える。なかでも豊田自動織機は豊田佐吉の創業によるトヨタグループの本家であり、大正時代に刈谷に誘致された本社工場を基盤として飛躍的に発展した。この所以をもって刈谷はトヨタグループ発祥の地とされている。愛知県産業技術研究所(旧名:愛知県工業技術センター)も設置されている。
- 酒造業
- かつて刈谷は豊富な地下水を利用した酒造業が盛んであり、菊の世広瀬酒造、稲徳酒造など大きな酒造元が存在した。今の刈谷の姿からは想像が難しいが、美酒の産地として知られた土地であった。このうち菊の世広瀬酒造酒蔵は、犬山市の博物館明治村に移築されている。
- 窯業
- 刈谷地方は良質の粘土が産出したことから、明治時代に大野煉瓦工場が操業を開始し、以後土管や瓦の製造業が盛んであったが、現在は衰退している。クアーズテックの主力工場が現在も市内小垣江で操業しているが、主力製品はシリコンウエハーなどであり、地元の粘土を使ったかつての窯業とは性質が異なる。
第三次産業
- 商業
- 旧刈谷藩時代から城下町として発展した刈谷は近隣の商業の中心地であり、太田平右衛門、加藤新右衛門ら有力な御用商人がいた。明治以後も発展を続け、特に第二次大戦後はトヨタグループの発展とともに商業も発展を遂げ昭和50年代中頃までは刈谷駅から刈谷市駅にかけて、銀座、広小路、新栄、東陽町など中心地には地方都市としては広大な商店街、アーケード街が拡がり、休日ともなると歩行も困難なほどの人出であった。しかし現在は複数の要因により著しく衰退してしまった。「大企業が多数本社を構えているにもかかわらず、主要駅前、中心市域の衰退が著しいケース」として有名になっているほどである。
- 近年は刈谷駅前を中心に再開発が行われており[7] 、北口の歓楽街、南口のイベントスペースの設置やそれにともなう刈谷アニメcollectionなどのイベント、商業施設の誘致[8]によりその賑わいは戻りつつある。
- 主な大型商業施設
本社を置く主な企業
教育
刈谷市の中学生は、三河地区の県立普通科高校の他、尾張の大府高校、東浦高校、豊明高校の普通科に調整特例で進学できる。2007年からは、調整特例校に大府東高校がさらに追加された。
大学
- 国立
高等学校
- 県立
- 愛知教育大学附属高等学校
- 愛知県立刈谷高等学校
- 愛知県立刈谷北高等学校
- 愛知県立刈谷工業高等学校
- 愛知県立刈谷東高等学校
中学校
- 市立
小学校
- 市立
その他
- 刈谷自動車学校
スポーツ
Bリーグのシーホース三河をはじめ、様々なスポーツチームが本拠地を刈谷市に置いている。
詳細は刈谷市のスポーツを参照。
交通
JR東海道線刈谷駅の周辺はペデストリアンデッキで整備されている。コミュニティバスとして刈谷市公共施設連絡バスがある。刈谷駅北口周辺は歓楽街であり、飲み屋や風俗店が広がる。刈谷駅南口には商業施設や公共施設がある。先述の通り市域が南北に長いため、南部の小垣江駅から北部の愛知教育大学まで向かうのに名鉄電車と名鉄バスを刈谷駅で乗り継いで690円を要する(知立駅乗り継ぎなら640円)。
鉄道
市の中心となる駅:刈谷駅
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- CA東海道本線:(安城市)- 東刈谷駅 - 野田新町駅 - 刈谷駅 - 逢妻駅 -(大府市)
- 20px名古屋鉄道(名鉄)
- NH名古屋本線:(知立市)- 一ツ木駅 - 富士松駅 -(豊明市)
- MU三河線:(知立市) - 刈谷駅 - 刈谷市駅 - 小垣江駅 -(高浜市)
バス
- 愛教大線(イオン三好店アイモール前(みよし市)・日進駅(日進市) - 愛知教育大前 - 東境 - トヨタ車体前 - 知立駅(知立市))
- 刈谷・愛教大線(愛知教育大前 - 富士松駅 - 刈谷総合運動公園 - 刈谷駅)
- 刈谷市公共施設連絡バス(無料)
- 西境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 富士松駅 - 刈谷ハイウェイオアシス - 洲原温水プール)
- 東境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 刈谷ハイウェイオアシス)
- 小垣江線(小垣江駅東口 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 逢妻駅南口)
- 東刈谷線(半城土町大原 - 東刈谷駅 - 野田新町駅 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 生きがいセンター)
- 一ツ木線(総合運動公園 - 一ツ木駅南 - 刈谷駅北口 - 刈谷駅南口 - 市役所)
- 依佐美(よさみ)線(東刈谷駅北口 - 野田新町駅北口 - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 小垣江駅西口)
- 東浦町運行バス(う・ら・ら)
- 刈谷線(刈谷駅 - 緒川駅東口(東浦町))
- あんくるバス - 安城市が運行しているコミュニティバス。
- 西部線(東刈谷駅 - 安城市方面)
- ミニバス - 知立市が運行しているコミュニティバス。
- 3コース(東刈谷駅 - 知立市方面)
- 4コース(東刈谷駅 - 知立市方面)
- 中部国際空港バス
- 高速バス
道路
衣浦港(境川)を渡河する境川橋・平成大橋とその周辺は車の渋滞が起こりやすい。刈谷駅東側にJRの線路をアンダーパスする立体交差がある。
- 高速自動車国道
- 刈谷ハイウェイオアシス
刈谷PA - ハイウェイオアシス。外部から利用可能。観覧車、天然温泉もあり観光名所となっている。
- 国道419号には高規格道路である衣浦豊田道路がある。
- 主要地方道
- 一般県道
- 愛知県道234号みよし沓掛線
- 愛知県道239号岡崎豊明線
- 愛知県道244号泉田共和線
- 愛知県道245号半城土広小路線
- 愛知県道246号刈谷大府線
- 愛知県道282号今川刈谷停車場線
- 愛知県道289号富士松停車場線
- 愛知県道296号小垣江安城線
- 愛知県道299号南中根小垣江線
- その他
- 境大橋
観光
名所・旧跡
- 主な城郭
- 主な寺院
- 主な神社
- 街道
- 主な遺跡
- その他
- 上天温泉跡
観光スポット
博物館・資料館
- 刈谷市郷土資料館 - 旧亀城小学校本館を改装。大正時代から昭和初期にかけての和洋折衷様式の建造物。国の登録有形文化財。
- 依佐美送信所記念館 - フローラルガーデンよさみ内にある記念館。所蔵される旧依佐美送信所の送信機器10件が近代化産業遺産に認定されている。
- アイシンコムセンター - アイシン精機の敷地内にある展示施設。アイシングループの歴史や製品などが展示公開されている。
- デンソーギャラリー - デンソー本社の敷地内にある展示施設。デンソーの技術や製品の展示公開されている。
- 夢と学びの科学体験館 - 科学体験施設。旧称は刈谷市中央児童館。プラネタリウム鑑賞のほかサイエンスショーなども行われる。
公園
- 亀城公園 - 旧刈谷城跡。本丸跡、堀などが残る。幕末の志士、松本奎堂辞世の句碑、豊田佐吉胸像がある。桜の名所。
- 刈谷市総合運動公園 - 総合体育館であるウィングアリーナ刈谷、多目的グラウンドであるウェーブスタジアム刈谷、人工芝1面、天然芝1面のサッカー専用のグラウンド「グリーングラウンド刈谷」の3施設からなる総合運動公園。
- 刈谷市交通児童遊園 - 遊園地。ゴーカートなどがある。
- ミササガパーク - ミササガ市と姉妹都市になった際の記念公園。
- 洲原公園・洲原池
その他の施設
- 刈谷市総合文化センター - 複合文化施設。大ホール、小ホールなどからなる。
- 刈谷市産業振興センター - 複合文化施設。
- ウォーターパレス - 温水プール。隣接するクリーンセンターの熱を利用している。
その他
- 小堤西池のカキツバタ群落 - 天然記念物。
- 刈谷ハイウェイオアシス
祭事・催事
- 万燈祭り - 毎年7月最終土日曜に市内銀座地区の秋葉神社にて行われる雨乞いの祭り。1778年(安永7年)から秋葉神社の祭礼に「万燈」が登場してからの歴史がある。愛知県指定無形民俗文化財。青森・五所川原の立ちねぶたに似た、優雅で勇壮な夏祭り。
- 大名行列 - 市原稲荷神社の春の祭礼の中の行事として、毎年ゴールデンウイーク中に行われる。市の中心部を大名行列が練り歩く。
- 刈谷総合踊り
- 刈谷わんさか祭り - 刈谷市総合運動公園で行われる夏祭り。200店を超える露店と約7000発の花火が打ち上げられる。
- 菊花祭り
- KARIYA洲原音楽祭
- 刈谷アニメcollection - 毎年秋に刈谷駅周辺で開催されるアニメコンベンション。2010年より行われていた「コスプレフェスタinKARIYA」を2013年にリニューアルしたもの。
- 刈谷国際音楽コンクール - 第1回は2014年に開催された。
文化
名物
歌
- 刈谷音頭
- 刈谷よいとこ
- 刈谷小唄
マスコット・キャラクター
- かつなりくん - 刈谷市マスコットキャラクター。刈谷城築城480年記念マスコットキャラクターとして誕生。初代刈谷藩主の水野勝成公と市の花「カキツバタ」がモチーフ。
- カリピー - ウイングアリーナ刈谷のマスコット。
- キー坊と仲間たち - 刈谷市役所 環境推進課所属、刈谷の環境を守る、自称木の精。
出身有名人
- 於大の方(徳川家康の母)
- 水野忠政(戦国時代の大名・徳川家康の母方祖父)
- 水野信元(戦国時代の大名・於大の異母兄・徳川家康の伯父)
- 水野勝成(江戸時代初期の大名・徳川家康の従兄弟)
- 土井利位(江戸時代後期の大名・老中・学者)
- 土井利善(幕末の刈谷藩主・大名・幕府陸軍奉行)
- 松本奎堂(刈谷藩脱藩の志士・天誅組総裁)
- 宍戸弥四郎(刈谷藩脱藩の志士・天誅組幹部)
- 河目悌二(挿絵画家)
- 田中実(浦和画家)
- 加藤与五郎(工学者・フェライト磁石の開発者)
- 森銑三(書誌学者)
- 大野耐一(元トヨタ自動車工業の副社長・トヨタ生産方式を体系化)
- 高野鎮雄(元日本ビクターの副社長・VHS方式ビデオの開発者)
- 河原温(現代美術家)
- 佐藤信之(陸上競技選手、シドニーオリンピック男子マラソン日本代表)
- 今藤幸治(元日本代表サッカー選手)
- 吉田光範(元日本代表サッカー選手)
- 近藤房之助(ミュージシャン)
- 酒井雄二(ミュージシャン、ゴスペラーズ)
- 近藤晃央(ミュージシャン)
- 赤星憲広(元プロ野球選手)
- 鮎川義文(元プロ野球選手)
- 原田政彦(元プロ野球選手)
- MICRO (ミュージシャン、HOME MADE 家族メンバー)
- 清水由紀(アイドル)
- 成瀬活雄(映画監督・脚本家)
- 山戸結希(映画監督)
- 増原光幸(アニメーション演出・監督)
- 石川由香里(アナウンサー)
- 柏田ユウリ(中京テレビアナウンサー)
- 南井克巳(競馬調教師)
- 岡部誠(競馬騎手)
- 熊沢重文(競馬騎手)
関連項目
脚注
- ↑ http://toyokeizai.net/articles/-/2499
- ↑ なお、2011年の市長選挙においてはトヨタグループの企業が土日操業を行ったために期日前投票に多くの人が行ったが、投票率は前回を下回った。土日操業で期日前投票に列 刈谷市のダブル選中日新聞2011年7月2日、竹中氏が刈谷市長再選中日新聞2011年7月4日。
- ↑ 愛知県観光情報ファイル>刈谷市
- ↑ 4.0 4.1 議長・副議長のあいさつ|刈谷市|刈谷市議会
- ↑ 2003年(平成15年)に「刈谷市国際交流協会」に名称を変更。
- ↑ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
- ↑ http://house.chunichi.co.jp/topics/detail.php?id=52&ts=1468018961
- ↑ http://www.m-sahara.jp/cms/wp-content/uploads/0f759cc7823e74b8c4d3143126a5859d.pdf#search=%27%E5%88%88%E8%B0%B7%E9%A7%85+%E9%96%8B%E7%99%BA%27
外部リンク