VHS
Video Home System VHS | |
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メディアの種類 | テープ |
記録容量 |
30分 60分 90分 120分 140分 160分 180分 210分 |
読み込み速度 |
約33.34mm/s(SP) 16.76mm/s(LP) 11.18mm/s(EP) |
策定 |
日本ビクター (現・JVCケンウッド) |
主な用途 | 映像等 |
大きさ |
188×104×25mm (テープ幅:12.7mm) |
上位規格 | S-VHS |
下位規格 | VHS-C |
VHS(ブイ・エイチ・エス、Video Home System:ビデオ・ホーム・システム)は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)が1976年(昭和51年)に開発した家庭用ビデオ規格で、同社の登録商標(日本第1399408号ほか)[1]である。
当初は記録方式を表現したVertical Helical Scanの略称だったが、後にVideo Home Systemの略称として再定義された。
Contents
概要
VHSの特徴として、ビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間だった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったり、テープ幅やカセットのサイズもさまざまだったり、と互換性のない規格が氾濫していた。
技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、DF480を利用したときの現在は240分が最長となった。また、規格の範囲を大きく逸脱しないかたちでの改良を続けており、HQやHi-Fiオーディオ対応、ビデオカメラ規格のVHS-C、水平解像度400本以上の高画質機種S-VHSとそのビデオカメラ規格S-VHS-C、衛星放送などのPCMデジタルオーディオを劣化なく記録できるS-VHS DA(DigitalAudio)、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSなど幅広く展開している。全ての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「ノーマルVHS」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。なお、上位規格であるデジタル記録のD-VHSでは地上デジタル放送・BSデジタル放送・CSデジタル放送などの無劣化記録が可能となっている。
ベータ、8ミリ、LD、VHDなどさまざまなメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式としてデファクトスタンダードとなった。特に、DVD-Videoの普及以前は単に「ビデオ」といえば通常はVHSのことを指すものであり、関連企業も商品説明等でVHSの意でビデオという単語を用いていた(「ビデオ版とDVD版の内容は同一です」という表記や、VHSデッキを指して「ビデオデッキ」と称するなど)。
VHSのハードの普及台数は全世界で約9億台以上、テープに至っては推定300億巻以上といわれている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年(平成18年)にはIEEEによってVHSの開発が「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』に認定された[2]。
歴史
1956年(昭和31年)に開発されたアンペックス社の巨大な業務用2インチVTRを始まりとして、NTSC方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式の開発以降、各社は比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売する(方式はバラバラ)。松下電器産業・日本ビクター・ソニーの3社は家庭用も見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格(Uマチック)に合意。発売したが、高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途、教育機関、旅館/ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。
本格的に普及する家庭用VTR機器を狙い、ソニーが各社に規格統一を呼びかけ、先行して開発・発売されたベータマックスが、Uマチックの小型化を目指して開発された経緯から録画時間の延長よりカセットの小型化を優先し、最長60分の録画時間でU規格と同等の操作性を確保すべく開発されたが、ビクターは民生用途としての実用性を重視し、カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発。また、メカ構造もU規格にとらわれず、より量産化に適した構造を目指し、家庭用VTRというコンセプトを明確にして開発・発売された。
先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL-6300)で1975年(昭和50年)4月16日に発表、同年5月10日に発売。
1976年(昭和51年)10月31日に日本ビクターがVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。また、シャープ、三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。
ビクターは親会社の松下電器産業(現:パナソニック)にVHS方式への参加を要請したが、1973年(昭和48年)にオートビジョン方式の家庭用VTR機器を発売したが失敗したこと[3]、1974年(昭和49年) - 1975年(昭和50年)に子会社の松下寿電子工業(現・パナソニック ヘルスケア)が開発したVX方式のデッキを販売していたこと、さらにベータ方式を支持する社内意見もあるなど、いくつかの要因が重なった社内事情により松下の態度は不鮮明であった。
そこで、のちに「VHSの父」と呼ばれる高野鎭雄が松下幸之助に直訴。1976年(昭和51年)末、松下本社で幸之助、松下、ソニー、ビクター各社社員ら出席し、両社のビデオデッキを見比べる会議(直接対決)が開かれた。その席で幸之助は「ベータは100点(満点)、しかしVHSは150点。部品点数が少ないので(VHSは)安く造ることができ、後発組に有利」と見解を示した[4]。通商産業省が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、新規格での規格統一も提案したが両社とも自社規格を引っこめる気がないために幻となり、松下はVHS方式への参加を決めた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは前述に挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSはギリギリ持ち帰れる重さで、購入者が自分で自宅に持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった[5][6]。
1977年(昭和52年)には松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「マックロード」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。
長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため1977年(昭和52年)に米国市場向けの2倍モード(LP)が、1979年(昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され幅広い機種に搭載された。また、規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後、5倍モードも開発され一部の機種に搭載されている。
1972年に松下電器のビデオ事業部長になった谷井昭雄(元社長)によると、VHS普及の最大の山場は1977年2月のRCAとの提携だった。条件がついて8月の出荷までに録音時間を2倍の4時間にすることも求められた。村瀬通三(元松下電器副社長)などの技術陣が達成した[7]。
当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅はコンパクトカセットより狭く、テープスピードも1/2以下だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)およびワウフラッターの増加によりさらに音質が悪化。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべくドルビーノイズリダクションシステム(ドルビーB)、dbxなどの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたもののワウフラッターには対応できなかった。現在、その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。更に問題なのがノーマル音声トラックに二ヶ国語の洋画を録画した場合であり聴くに耐えることは難しいこととなる。当然のことながらスピーカーの左右バランスを調整しようが解決することは素人では全く不可能である。
1983年(昭和58年)4月にソニーがステレオハイファイ音声記録方式(Beta hi-fi)を採用した「SL-HF77」家庭用1/2インチビデオとしては世界で初めて発売したのに対抗し、同年5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用したハイファイステレオオーディオ機能を追加した「NV-800」を発売。この機能はVHSHi-Fiステレオ標準規格として採用され、同年秋にはビクターから、初めて正式にVHSHi-Fi規格に対応した「HR-D725」が発売されている。なお、このD725などの機種には前述のノーマル音声方式での録再も可能でドルビーBにも対応していた。ダイナミックレンジは当初80dB以上、1986年(昭和61年)以降の機種では90dB以上に向上した。周波数特性は20 - 20000Hz。これにともない、ノンハイファイのステレオ機器は1980年代には生産終了した。国内メーカーによるノンハイファイのモノラルVCRは単体機は1990年代後半に生産を終了。テレビデオはしばらくノンハイファイ機の生産が続いたが、2000年代初頭には終了した。
1983年3月、谷井、高野、RCAのジャック・ソーター副社長の3人の写真が当時の世界最大の国際週刊誌「タイム」の表紙を飾った。
1992年に高野鎮雄が68歳で死去したとき、普及台数は3.7億台であった。
2008年(平成20年)に初代VHSデッキHR-3300が国立科学博物館の定めた重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の第0020号に登録された。
2016年(平成28年)、最後の生産メーカーだった船井電機(日本国内では「DX BROADTEC」ブランドとして展開)が7月末日をもってVHSビデオテープレコーダーの生産を終了し、これをもってVHSビデオレコーダーの生産がすべて終了となり、名実共にVHS規格の誕生から40年の歴史に幕を閉じることとなった[8][9]。
ベータマックスとの規格争い
1975年(昭和50年)にソニーが開発・発売した家庭用ビデオベータマックスの対抗規格として脚光を浴びた。約10年間も続いた規格争いを制して生き残った。その要因としてはいくつかある。
- VHS陣営はファミリー形成を重視した展開を行ったこと[4]。これが功を奏し、VHSを採用するメーカーを多数獲得して共同で規格の充実を図る体制を確立したこと。
- 量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できたこと[4]。
- ベータはUマチックとおなじUローディング方式をそのまま用いたのに対し、VHSは開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した。
- 記録時間を最初から実用的な2時間に設定し、その後も長時間化に成功したこと。
- ビデオソフトメーカーは、1989年(平成元年)頃まではVHSとBetaを併売していた(一部メーカーは8㎜ビデオソフトも供給)。Betaファミリーが崩壊し各社がVHSへと移行。ソニーも1988年(昭和63年)にVHS/Beta/8㎜ビデオデッキを併売するようになり、Betaは市場シェアを徐々に落として行った事からビデオソフトメーカーはビデオソフトをVHSのみで発売するようになり、レンタルビデオ店でもVHSが標準となった。家電量販店などでもビデオデッキはVHSやS-VHSが主流となった。より高画質を求めたBetaユーザーはBetaソフト供給打ち切り前後を境にレーザーディスク(LD)へと流れて行った。
- ベータ規格主幹のソニーによる広告戦略の失敗。1984年(昭和59年)1月25日から4日間、ソニーが主要新聞各紙に広告を連続で掲載し、見出しは「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」となっており、最終日に「ますます面白くなるベータマックス!」と締めくくる展開であった[4]。これは当時の新製品を告知する逆説的アプローチだったのだが、消費者には理解されず『ベータ終了』と短絡的に捕らえ、これを機にベータ離れが加速された[4]。
などが挙げられる。
VHSの需要低下
21世紀に入るとDVDやハードディスクレコーダ、パソコンの普及、高精細テレビ放送やBlu-ray Discの登場、多くの国でのデジタルテレビ放送の開始といった「デジタル時代」・「ハイビジョン時代」の中で、それに対応できないVHSカセットやVHS単体機は次第に売れなくなっていった[10]。デジタルレコーダーとの複合機も、過去のライブラリーをデジタル化することに重点が移り、テレビ番組の録画ができないタイプのものが増えた。ビデオ判定にも用いられたこともあったが、水平解像度が240本とアナログテレビ放送の330本より低いことから、正確な判定ができないケースも見受けられた[11]。
こうした状況も重なり、日本ビクターは2007年(平成19年)5月30日、経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの撤退・清算を発表した[12]。2008年(平成20年)1月15日にS-VHS単体機を全機種生産終了したと発表し[13]、同年10月27日にはVHS方式単体機の生産を終了した。
ビクターの撤退により、日本国内メーカーのVHSビデオ単体機の製造は船井電機(以下、フナイ)のみとなったが、やがてフナイも完全撤退した。以降はDVD、HDDなどの複合機として展開されていたが、大幅に縮小された[14]。各社はテレビの完全デジタル化を睨み、販売の主力をHDD併用のブルーレイレコーダーに移しており、商品ラインナップは縮小の一途をたどっている。これにあわせ録画用テープから撤退する事業者も相次いでおり、有力メーカーとしては製造を続けているS-VHS用テープは既に販売終了となっており、2014年12月末で日立マクセルも生産終了。2015年2月にはTDK(←イメーションのTDK Life on Recordブランド)も生産終了となり、2015年6月には録画用テープの在庫切れが目立ってきた。
最近までVHS一体型のDVDレコーダーないしBDレコーダーが製造されていたが、各社とも2011年末までに生産完了となった[15]。2012年2月10日、パナソニックが「VHSデッキの日本国内向け生産を2011年限りで完全終了した」旨を公式発表した。
2016年現在、新品で流通するVHSデッキは以下の通り。
- DXR170V(VHS一体型DVDレコーダー)
- 2014年7月1日にDXアンテナ(DX BROADTEC)から発売された。製造元は当時同社の親会社であったフナイ。
- 2012年5月に「お客様のご要望にお応えして新発売!」と発売された「DXR160V」の後継。2016年7月末で生産終了[16][17]。
- RVP-100(再生専用VHSプレーヤー)
- 2013年12月中旬にドウシシャ(SANSUIブランド)から発売された。
- 4ヘッドHi-Fi音声対応でデジタルトラッキングを搭載した「再生専用」のVHS機であり、家庭に眠るVHS資産のDVD化やBD化、データ化に寄与する目的で商品化された[18]。生産・販売終了。
規格一覧
- 記録方式:ヘリカルスキャンアジマス方式
- 記録ヘッド数:2
- ヘッドドラム径:62mm
- ヘッドドラム回転数
- カセットテープサイズ: 188×104×25mm
- テープ幅:12.65mm
- テープ送り速度:約33.34mm/s(SP)/16.76mm/s(LP)/11.18mm/s(EP)
- 記録トラック幅:約58μm(SP)/29μm(LP)/19μm(EP) ※LPモード対応機種は、日本国内ではほとんど普及していない。
- 音声トラック
- ノーマル1トラック(モノラル音声)
- ノーマル2トラック(ステレオ音声。1978年(昭和53年)の音声多重放送開始に対応するために追加された。ヒスノイズが増加したため、対策としてドルビーノイズリダクションシステムBタイプを搭載した。なお、対応する製品は1987年(昭和62年)・日本ビクターのHR-S10000以降生産されていない[20])
- Hi-Fi2トラック(1983年(昭和58年)に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた)
- リニアPCM(過去には日本ビクター製の1990年(平成2年)発売の「HR-Z1」、パナソニック製「NV-DX1」、日立製作所製「VT-PCM1」、三菱電機製「HV-V3000」に対応する外付式DAプロセッサ「CX-P3000」など、国内のメーカーから対応する製品が発売された。衛星放送のエアチェックファンなどからDAT並みの高音質と高く評価されたが、1台30万円〜40万円前後の高価格が災いし、わずか1世代で生産が終了した)なお、まだCDやHi-Fi規格もない1980年代前半、VHSカセットを用いた高音質・非圧縮PCMデジタルオーディオデッキテクニクス「SV-P100」が60万円。日立製作所Lo-D「PCM-V300」が498,000円と高額ではあるが発売されオーディオマニア層を中心に愛好されていた。
- 信号方式
- 映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:3.4MHz/白ピーク:4.4MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式)
- 映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:5.4MHz/白ピーク:7.0MHz:クロマ信号:低域変換方式(S-VHS方式)
- 音声信号:2チャンネル長手方向記録(ノーマル音声トラックの場合)
VHSテープを利用したシステム
コンピュータ用ストレージ
VHSが普及するにつれ量産効果が上がり、テープ価格が大幅に値段を下げた。オープンリールを多用していたコンピュータ業界はテープの安さからデータカートリッジとしての利用を推し進めた。富士通などは大型コンピュータの補助記憶装置として用い、数百本のVHSテープを筐体内ラックに納め、コンピューター制御によりジュークボックスさながらのオートローディングを行わせ大型磁気ディスク装置のバックアップ装置として活用した。この際使用したテープは市販のビデオ用テープと同じ規格の物を使用した。
プロオーディオユース
1991年(平成3年)、米ALESIS社がS-VHSテープに8トラックのデジタル録音を可能にしたMTR、ADAT(ALESIS DIGITAL AUDIO TAPE)を発売。機器ばかりでなくメディアも安価、かつ、16台までの同期動作も可能ということで、中小のスタジオやホームスタジオで急速に広まった。いくつかのメーカーから互換機も発売されるなど、この規格は一定の普及を見、adat(エーダット)として、Hi8テープに同様の録音ができるティアック社のDTRS規格とともに、ユーザーの根強い支持を得ている。
初期の機種ではデジタルがゆえに事前にフォーマット作業が必要だった(後に録音と同時フォーマットが可能になる)。120分の録画テープに対し、約41分の録音が可能。デジタル記録はヘッドとの物理的接触などによる損耗に弱いため、ベース・フィルムを強化したADATロゴ入りの推奨S-VHSテープも存在する。当初のTypeIフォーマットでは、サンプリングレートは44.1kHzや48kHz、サンプリングビット16bitsであったが、後のTypeIIフォーマットで24bitsにも対応した。さらに、1チャンネルにつき通常の2トラック分を使って96kHzの記録・伝送を実現するS/MUXという規格もある。 一方、デジタル入出力インターフェイスは、これも普及している角型オプティカル(TOS-Link)のジャックとケーブルを用いて、8チャンネルまでの同時伝送が可能なものを搭載していた(ADAT Optical Interface:こちらも後にレコーディング機器のディジタル入出力用として一定の地位を築いた)。もちろん、民生機で広く普及しているデジタル音声インターフェイスであるS/PDIFとは、論理フォーマット上の互換性はない。
エピソード
- VHS/Beta戦争の火ぶたが切られたとき、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーにOEM供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それはいろんなメーカーで販売することによって他社の販売網を活用できるし、VHSが多数派のような印象を持たれるように狙ったものと言われる。尚、ソニーもBetaファミリー各社の生産体制が整わないうちには自社製品をOEM供給していた。
- 松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCA社より、アメリカンフットボールの録画のためにさらに長い録画時間が必要という要望があり2倍モード(LPモード)をつけたVHSデッキを開発、OEM供給したがビクターの了承を得ないものだった。互換性を重視するビクターは松下の勝手なふるまいに怒ったらしい。しかしBetaのβIIモードへの対抗上、3倍モード(EPモード)でも画質は2倍モードとほとんど変わらないうえに、エッジ並びが成立するため特殊再生容易に可能、という技術的見地から3倍モードがVHS規格に追加された。Betaの3倍モード相当となるβIIIも、特殊再生や映像処理の面ではエッジ並びが成立しないVHS2倍モード相当のβIIより有利だった。
- 松下電器の独自規格によるVHSHi-Fi機「NV-800」はHi-Fi音声トラックの信号処理にdbxを使っていた。「NV-800」が採用したHi-Fi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHi-Fi方式をVHS規格化するにあたりdbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が開発され採用された。「NV-800」で録画されたビデオカセットを、ビクター「HR-D725」以降発売された正式なVHSHi-Fi規格ビデオデッキで再生すると、厳密には正式なVHSHi-Fi規格との互換性が無いため、音声が多少歪む可能性がある。
- VHS/Beta戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬライセンス収入があった。これは1969年(昭和44年)のU規格策定時にソニー/日本ビクター/松下電器の3社が結んだクロスライセンス契約が関係している。
- ソニーが多数所有する特許について、VHS陣営ではできるだけこれを回避するための努力がなされていた。ソニーが開発した特許技術の期限が切れたものから、順次VHS方式においても導入が図られ結果として性能向上が見られた。
- ソニーが1988年(昭和63年)にVHS方式へ参入した際、障壁となるもの全くなかった。前述の通り自社特許技術が多数採用された方式であったからである。また、ソニーの子会社であるアイワは先行してVHSに参入していた。
- 1977年(昭和52年)にビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHS1号機であるHR-3300の前期生産分は戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴをつけた唯一のデッキとなった。なお、後期生産分は現ロゴとなっていた。
- VHSカセットから派生されたものとして、PVC(Premium Video Cassette)がある。プレミアムボックスという開閉できる透明な蓋がカセットの背ラベル部分に付いている。ここにはセルビデオの特典物の小物(模型、キーホルダー など)を収納することができる。収納できない物の種類として、粉類、水、油、磁気性のあるもの、溶けやすいもの、膨張するもの、液漏れしやすいもの、食品や菓子類、電池、壊れやすいもの、ボックスの開閉に支障があるもの、重量制限は40グラムまでという制限がある。ジャケットの背ラベルにも穴がくり抜かれていて、ボックス内が少し見えるようになっている。
- 1990年(平成2年)に任天堂が発売した家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」は、そのゲームソフトのパッケージ寸法がVHSテープと全く同じであった。この時点ではすでに多くの一般家庭にVHSが普及しており、いわゆるビデオラック(VHS用)においても安価なものが出回っていたため、ゲームカセットの保管としてVHSのビデオラックが好まれた。
- 1980年代〜1990年代に映画や音楽ビデオテープダビングの商売の横行があったが、現在は著作権の問題から政府がそれらのダビングを法律で禁止している。
- 1990年代後半にDVDが発売された時VHSをそのままDVDにしているのが多かった。
- モーニング娘。は2000年から2004年まではVHSとDVDを同時リリースしていた。
- ビデオ戦争の末期には、ソニー製のVHSビデオデッキを望む声が市場から上がっていた。このことがソニーがVHS方式に参入する一つのきっかけとなっており、VHS・ベータ・8ミリのフルラインナップで「VTRの総合メーカー」を目指す方針に転換した。
関連映像
脚注
- ↑ 他社も、同じ商標を登録されている。
- ↑ 権威ある「IEEEマイルストーン」に認定 日本ビクター 2006年(平成18年)10月11日
- ↑ 岩本敏裕『VTR産業の生成』 (PDF) 立命館経営学 第45巻 第5号 2007年(平成19年)1月
第6回シンポジゥム『研究開発と企業競争力』/ 大曽根収「VHS世界制覇への道」 東洋大学経営力創成研究センター 2006年(平成18年)7月8日 - ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 Sony History 第2部 第2章 規格戦争に巻き込まれた秘蔵っ子、ソニー
- ↑ さよならベータ!日本の黒物家電を変えたVHSとの「ビデオ戦争」の顛末
- ↑ [1]
- ↑ 「どん底事業部、世界一を生み出す」日本経済新聞2014年11月13日夕刊14面
- ↑ “VHSビデオ機の生産から国内勢最後の船井電機が撤退”. 映画ナタリー. (2016年7月15日) . 2016閲覧.
- ↑ “船井電機、VHSデッキ撤退へ…国内で唯一生産”. YOMIURI ONLINE(読売新聞社). (2016年7月14日) . 2016閲覧.
- ↑ D-VHSではハイビジョン記録に対応したが、こちらも2008年までに全メーカーが生産を終了している。
- ↑ 2012年5月19日に横浜スタジアムで開催された横浜DeNAベイスターズ対千葉ロッテマリーンズでは、アレックス・ラミレスの本塁打性の飛球の判定に家庭用VHSデッキが使用され、映像では本塁打であることが分からなかったためにファウルと判定されたケースがあった(“テレビは16型、ビデオは家庭用 友寄塁審「確認できないので判定通り」”. スポーツニッポン. (2012年5月20日) . 2012閲覧.)。
- ↑ 2007年度業績見直しについて (PDF) 日本ビクター 2007年5月30日
- ↑ S-VHSビデオデッキ販売終了のご案内 日本ビクター 2008年1月15日
- ↑ 日本ビクター、ビデオデッキの生産終了 NIKKEI NET・日経産業新聞 2008年10月27日
ビクター、単体VHSビデオデッキの生産を終了 -DVD/VHS複合機などを継続展開 AV Watch 2008年10月27日 - ↑ 2011年末までVHS一体型のDVDレコーダーを発売していたのは、フナイとDXアンテナ以外ではパナソニックのDIGA「DMR-XP25V」(パナソニック自社生産)と東芝「D-VDR9K」(フナイのOEM)であった。
- ↑ VHSビデオ機生産に幕日本経済新聞 2016年7月14日
- ↑ 一定のニーズがあり、価格競争も起こらないので販売を続ければ利益は出るが、部品の調達が困難となりやむを得ず生産終了に至った。
- ↑ RVP-100の公式発表リリースPDF
- ↑ 正確には30/1.001Hz
- ↑ 民生用機種の生産は終了したが、再生のみ対応する機種や、いわゆる業務用機種で対応した製品は、その後も生産されている。
関連項目
参考文献
- ジェームズ・ラードナー、西岡幸一『ファースト・フォワード ――アメリカを変えてしまったVTR』ISBN 4-89362-039-8
- 中川靖造『ドキュメント 日本の磁気記録開発 ――オーディオとビデオに賭けた男たち』全国書誌番号:84025231
- JIS C 5581 VHS方式12.65mm(0.5in)磁気テープヘリカル走査ビデオカセットシステム
外部リンク
- 株式会社JVCケンウッド (日本語)
- 当該サイトのWebアーカイヴ (日本語)