「FNSスーパースペシャルテレビ夢列島」の版間の差分
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『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』(エフエヌエススーパースペシャルテレビゆめれっとう)は、1987年から1991年までの『FNSの日』の通称であり、1年に1度夏に生放送された長時間特別番組である。通称は『夢列島』・『FNSテレビ夢列島』[1]。
この番組は現在も『FNS27時間テレビ』として継続しており、このうち本項目では1995年の『FNSの日 1億2500万人の超夢列島』と1996年の『FNSの日十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック』についても扱う他年度については該当記事参照)。
Contents
- 1 概要
- 2 番組タイトル・放送日・内容
- 3 スペシャルドラマ
- 4 裏番組への対応
- 5 スタッフ
- 6 関連項目
- 7 脚注・出典
- 8 外部リンク
概要
フジテレビ開局30周年特別番組として企画された大型バラエティ番組である。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のパロディ及びアンチテーゼが番組の根幹にあり、チャリティーなしでお笑いだけをやる24時間の生放送番組として企画された。チャリティーを行っていないため最初の数年間は番組内でたびたび「募金は行っておりません」というテロップが出ていたが、勘違いして募金を放送局に持ってくる人もいた。また、当時フジテレビが行ったイベント『夢工場』の宣伝の要素もあった。
当初は1回きりの特別番組の予定だったが、初回放送の平均視聴率が19.9%、瞬間最高視聴率は38.1%という高視聴率となり、以降毎年継続して企画・放送されている。放送時間は23時間54分。視聴率の最高記録は1987年(第1回)の平均視聴率19.9%と、1992年(第6回)の瞬間視聴率38.3%である。
「夢列島」というタイトルは1998年から2001年・2008年の『FNS27時間テレビ』において、『FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』、『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島』『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』として再び使われている。
製作総指揮は第1回(1987年)は鹿内春雄、第2回から第5回(1988年 - 1991年)は鹿内宏明が務め[2]、制作代表は第2回から第5回(1988年 - 1991年)と第9回・第10回(1995年・1996年)は日枝久が務めた(後者は製作総指揮と兼任)。
初代総合司会のさんまはそれ以来、2018年現在『FNS27時間テレビ32』まで32年連続出演することになり、ライバルの『24時間テレビ』に第1回から出演し続ける徳光和夫の異名"ミスター24時間テレビ"に対抗し"ミスター27時間テレビ"と呼ばれるようになる。
番組タイトル・放送日・内容
第1回(1987年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島
総合司会はタモリ[注 1]と明石家さんまで、テーマは「夢家族」。系列局が推薦する全国24の"夢家族"をタレントたちが生中継で訪問する企画がメインであった。タモリとさんまの起用は『森田一義アワー 笑っていいとも!』と『オレたちひょうきん族』のスタッフの意向という[3]。
放送開始直前まで中継していた大洋×巨人戦の試合が伸びたため、本編内でも一部中継を行なった。実況は古館伊知郎と松倉悦郎。
土曜深夜のトークコーナーで、フライデー襲撃事件で謹慎中だったビートたけしがテレビ復帰を果たす。かつお笑いBIG3が1986年9月5日放送の『笑っていいとも!』オープニング以来の共演を果たした。
放送開始から約2時間後に、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』と勘違いした視聴者からビンに小銭が詰まった募金が届いてしまうハプニングがあった。タモリが「この番組は、チャリティーではありません!」と喚起した。
日曜早朝には、神宮球場にさんまが赴いて、古館伊知郎と共に中継で『一万人のラジオ体操』(ラジオ体操第一)を行った。このラジオ体操のコーナーは第3回(1989年)まで続いた。
この年は、番宣CM、提供クレジットなどにおいて星形のステッキを持ったふくろうを模したキャラクターが登場した。
テーマ曲として松田聖子「夢のクレッセントムーン」(Boy Meets Girlの「Waiting for a Star to Fall」のカバー。放送直前の番宣CMやエンディングで歌付きのものが、インフォメーションでインスト版が使われたものの、レコード・CDなどの音源化は今日まで一切されていない。)が起用された。CM前のジングルには、佐藤博「Sweet Inspiration (Extended Power Club Mix)」の5分56秒の部分(第2回(1988年)でも起用)などが使用された。
終盤にこの年の新人アナウンサー(青木美枝・笠井信輔・塩原恒夫・中井美穂)が24時間の提供スポンサーを生で読み上げた。これは恒例行事となって、その後も続いている。
出演者
※は、フジテレビアナウンサー(当時・現在含む)。
- 総合司会
- インフォメーション
- 長野智子※
- 「夢家族」リポーター
- さんまのプロ野球ニュースデラックス
- 司会:明石家さんま
- 解説者:平松政次
- 広島・ヤクルト戦報告:吉沢孝明※・土橋正幸
- 近鉄・阪急戦報告:出野徹之(当時関西テレビアナウンサー)・山本一義
- 西武・南海戦報告:三宅正治※・大矢明彦
- 巨人・大洋戦報告:松倉悦郎※・谷沢健一
- 中日・阪神戦報告:馬場鉄志(当時関西テレビアナウンサー)・大崎三男
- タモリ
- タモリのニュースファクトリー(FNNニュース工場)
- スーパータイムスペシャル
- 夜明けの電話相談室
- その他
第2回(1988年)FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'88
この年もさんまに総合司会を依頼したが、さんまは「1回目を超えられない」という理由で断ったという。なお、さんまは番組内ドラマ『愛そして旅立ち』に駅員役として出演。
1988年4月に鹿内春雄が死去したため、製作総指揮はこの年からフジテレビ会長に就任した義弟・鹿内宏明に交代した。
テーマは「結ぶ」。青函トンネルと瀬戸大橋が開通し日本が鉄道で繋がったため、JR旅客全6社が全面協力し東京六大学の鉄道研究会学生たちの監修のもと特別列車を走らせた。札幌駅と博多駅から数チームに分かれた芸能人・文化人(小堺一機、関根勤、渡辺正行、海老一染之助・染太郎、山本晋也、林家こぶ平ほか)が全国各地の中継駅を回って東京・河田町にあったフジテレビまで戻って来られるように日程を組んだ。
オープニングでは横浜スタジアムでの大洋×巨人戦の模様を中継。中井美穂が初めてプロ野球の実況に挑戦した。
キャプテンシステムを使い、独自の「おもしろ視聴率」を集計した。
前年不参加の鹿児島テレビがこの回から参加し25局ネットとなるも、翌年は再び編成上の都合がつかずにネットを辞退した。
FNS各系列局が探した『おもしろ人間』を3分間のVTRにまとめて紹介するコーナーが番組内に設けられた。福岡・テレビ西日本が紹介したおもしろ人間は複数いたが、その一人にテレビ西日本でケーブルさばきのアルバイトをしていた当時大学生の松村邦洋がいた。彼は17日夕方の『スーパータイムデラックス』にて福岡・小呂島からの中継で登場。中継の最後で海にダイブした。このとき中継のため小呂島へ行っていた片岡鶴太郎との出会いが芸能界に入るきっかけとなった。また、『スーパータイムデラックス』のパートでは当時『FNNスーパータイム』の週末キャスターを担当していた黒岩祐治が東京上空から中継リポーターを務めた。
CGキャラクターのネーミングを電話で募集し、『ノケゾリーナ』という名前に決まった。名付け親は当時栃木県在住の女子小学生。しかし、このネーミング募集に電話が殺到し、電話回線がパンクしてしまうトラブルがあり、翌日の『笑っていいとも!増刊号 電リクスペシャル』で行う予定だった、電話リクエストを中止せざるを得ないという影響も出た。
『ノケゾリーナ』と出演者の会話は、最初から番組内で出演者が話す言葉を脚本家が書き、その返答が描かれた紙をオペレーターが見て、音声合成装置にキーボードから入力するという方法が使われた。CGの動作は、丸型の携帯ラジオから内部の機械をすべて外して、動きを指示するためのボタンを付けたリモコンが使われた。リハーサル時にはCGシステムが故障するトラブルもあったが、本番では、予備のハードディスクを使うことで事なきを得た[4]。
中継駅に行った芸能人が「北海道・食の祭典」や「よかトピア」などのコンパニオンガールからおみやげを受け取ったりするシーンが何度となくあった。
フィナーレでは、チャイルズや松本明子が感極まって号泣したり、スタジオに持ってきたドジョウが飛び出すハプニングもある中、出演者たちの10秒前からのカウントダウンで幕を下ろした。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは青嶋達也・有賀さつき・河野景子・八木亜希子の男性1人、女性3人の合計4人。
出演者
- 総合司会
- 進行アナウンサー
- 中継リポーター
- 片岡鶴太郎
- 山本晋也
- 所ジョージ
- 渡辺正行
- 小堺一機
- 海老一染之助・染太郎
- 林家こぶ平
- 関根勤
- DATE LINEデラックス
- 司会:露木茂・森田一義(タモリ)
- 天気予報:福井敏雄
- プロ野球ニュースデラックス
- スーパータイムデラックス
- 司会:露木茂・森田一義(タモリ)
- スポーツ:笑福亭鶴瓶・塩原恒夫
- 東京上空からのヘリ中継:黒岩祐治
- リポーター:小田多恵子・野瀬義仁(東海テレビアナウンサー(当時))・片山さき子(関西テレビアナウンサー(当時))・ 笹栗実根(フジテレビ報道記者(当時))
- 天気予報:福井敏雄
- 笑っていいとも!増刊号 電リクスペシャル
- その他
第3回(1989年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89
1989年7月15日20:00 - 翌日16日20:54 - 一昨年までの野球中継がなくなったことから、今回は20時からのスタート(25時間)となる。
テーマは「クイズ」[注 2]
FNS系列局で行われた予選を勝ち残った一般人の解答者(1局あたり2人)と系列局のアナウンサーがフジテレビのスタジオで25時間通しでクイズを行った。クイズはスタジオからのほか、当時放送されていた番組・映画やドラマの収録先、解答者の地元応援団、さらに小堺一機と関根勤による移動中継(後述)、その他各コーナーからも出された。 小堺一機と関根勤は東京・新宿のスタジオアルタを出発地として『アルタ→タケシタ(竹下)通り』と次の中継先がしりとりになるように25時間東京近郊を回ってクイズを出した。
地方からの中継は系列局のアナウンサーが担当していたが、タレントが担当していた局もあった。
今回から深夜のお色気コーナー(「深夜のMr.レディーと大宴会」)が始まる。 そのコーナー内で、出場したニューハーフが放送禁止用語を使用し、CM明けにタモリ・さんまが謝罪。コーナー終了後のインフォメーション冒頭で、八木亜希子アナウンサーが改めて謝罪した。
また、日曜朝(モーニングクイズ)の石川テレビからの中継で、寺院内の墓地内にいる女性リポーターが「お墓に霊がウヨウヨしている」と発言し檀家から抗議の電話があったことに対して、昼(アフタヌーンクイズ)の放送で出場した寺院の住職が釈明した。
番組開始から十数時間が過ぎ、タモリ・さんまが一番辛いであろう時間帯に、癒しの企画として二人を「笑っていいとも!増刊号スペシャル」から出演していたダウンタウンとウッチャンナンチャン、笑福亭鶴瓶と共に、ジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気のゆるみからかおならをしてしまった。タモリは「気が出た」と弁明した。
優勝は、1550点獲得の新潟総合テレビ。準優勝は山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)、最下位が関西テレビ。優勝した新潟総合テレビには世界一周旅行、準優勝した山形テレビには沖縄旅行、関西テレビには北海道旅行が贈呈された。また、タモリ賞にはテレビ新広島の矢野寛樹アナウンサーにテレビが、さんま賞には福島テレビのポチ(出場した住職夫妻の飼い犬)にビデオが贈られた。
『スーパータイムデラックス』では舛添要一がゲスト出演し、スポーツのコーナーでは池谷幸雄・小菅麻里・小川直也がVTR出演した。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは木幡美子・智田裕一・佐藤里佳・田代尚子・境鶴丸・野島卓の男女3人ずつの合計6人。
出演者
- 総合司会
- タモリ
- 明石家さんま
- 問題進行アナウンサー
- 長野智子
- インフォメーション
- 八木亜希子
- 小堺・関根の25時間移動中継(出題者)
- 小堺一機
- 関根勤
- 深夜のMr.レディーと大宴会
- 中継担当(出題者)
- 長野県・美ヶ原:ABブラザーズ
- 北海道札幌市・羊ヶ丘:海老一染之助・染太郎
- 愛知県名古屋市熱田区・世界デザイン博覧会会場: 楠田枝里子・大内ひろのしん
- 宮城県仙台市宮城野区・蒲生海岸:斎藤清六
- 富山県・雨晴海岸:篠原勝之・松本明子
- 福井県:島崎俊郎(ヒップアップ)
- 沖縄県:東海林のり子
- 熊本県:田原俊彦
- 長崎県:デーモン小暮閣下
- 静岡県御前崎町(当時)・御前崎灯台:松尾貴史
- 『日本の夜明け 東京の夜明け』:松村邦洋(ヘリリポーターのみ)
- 愛知県蒲郡市・蒲郡プリンスホテル:山田邦子・沢口靖子・清水ミチコ
- トークゲスト(出題者)
- 愛川欽也(『なるほど!ザ・ワールド』出題者として)
- 石田純一
- 淡谷のり子
- 桂三枝(『クイズ!年の差なんて』出題者として)
- ジャイアント馬場
- 陣内孝則
- 田原総一朗
- 所ジョージ
- 野沢直子
- 原田大二郎・榊原郁恵・太平サブロー・シロー(『クイズなっとく歴史館』出題者として)
- 和田アキ子・ビートたけし[注 3]
- 森川由加里
- プロ野球ニュースデラックス
- DATE LINEデラックス
- スーパータイムデラックス
- 司会:露木茂・森田一義(タモリ)
- スポーツ:中井美穂・明石家さんま
- 気象庁からの中継:横山隆晴(当時フジテレビ報道局)
- 静岡県伊東市からの中継:(上空ヘリ)黒岩祐治、(地上)渡辺雅彦(当時テレビ静岡アナウンサー)
- サミット中継:西村洋子
- ゲスト(参院選関連):舛添要一(政治評論家)・竹内貞男(フジテレビ報道局)
- 天気予報:福井敏雄
- 笑っていいとも!増刊号デラックス
- タモリ・さんまの癒やしのコーナー[注 4]
- その他出演者(中継・VTR等)
第4回(1990年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'90
過去3回の総合司会はタモリと明石家さんま、笑福亭鶴瓶であったが、1990年は当時のフジテレビアナウンサー[5]のみで全コーナーを担当した。総合司会は須田哲夫と河野景子。フジテレビアナウンサーのみの総合司会は今回限りとなっている。当日ゲスト出演した上岡龍太郎に「経費削減に走りおった。」と揶揄された。
前年不参加の鹿児島テレビがこの回から、2年ぶりにネット復帰(以降は毎年参加)。
テーマは「おたく」("家"と"マニア"を指す)。宅八郎など典型的なマニアが登場した。この年から今日の『27時間テレビ』まで続く『通し企画』が始まりその第1回目として『24時間以内に家を建てる』という無謀な企画を東海林のり子のリポートでやった。フジテレビをはじめとするFNSの各アナウンサーが、全国の家を回った。
冒頭では、当日封切りとなった映画『タスマニア物語』公開にちなみ、主演の田中邦衛と薬師丸ひろ子が登場。『タスマニア物語』ロケ地となったオーストラリアタスマニア州の家から陣内誠が中継リポートを行った。
この年から昼のBIG3の企画がスタート。今回は『ビッグ3おたく座談会』と題して昭和30年代の家をイメージしたセットの中でトーク。当時、タモリが船舶免許を取得。その際にヨット乗船中に額を強打し4針縫うけがをしたため、ガーゼを付けて出演[注 5]。進行役の露木茂がコーナー終盤に、フジテレビアナウンサー(当時)の一員として不眠不休だったことや爆笑のあまり、よだれをこぼす失態を起こした。
深夜のゲーム大会は、クイズに答えると女性が1枚ずつ服を脱いでいくというもの。そういう企画のため、そのスタジオに男性アナウンサー達が大勢やってきて大はしゃぎし、ついには露木茂も駆けつけ、コーナーが終わってもスタジオから戻って来ず、皆あきれていた。
深夜の『FNN NEWSCOMスペシャル』は、通常キャスターの川端健嗣・島森路子が、銀座にある川端の実家のたばこ屋(川端たばこ店)内からの生中継でニュースを伝えた。実際に放送中・CM中に、川端自身も商品のたばこを売っていた。しかし、ニュース放送中にもかかわらず、いたずら電話と思わしき電話が鳴り響き、原稿を読んでいた川端が幾度か電話を止めるハプニングもあった。その直後の『プロ野球ニューススペシャル』では当時『志村けんのだいじょうぶだぁ』のレギュラーであった松本典子と平日担当の野崎昌一と土日担当の中井美穂が司会を務め、解説担当の柴田勲自宅からの生中継でその日の試合結果を伝えた。
日曜朝の『笑っていいとも!増刊号』は当時番組AD・印田弘幸(後にディレクター)の自宅アパートからの中継。狭い部屋にウガンダ、吉沢孝明、照明スタッフ等が密集し、暑い中での中継。さらにウガンダら部屋を物色され、進行役の中井の目の前でアダルトビデオのVHSパッケージをオンエアされてしまう。
夕方の『FNNスーパータイムスペシャル』は通常キャスターの黒岩祐治・小田多恵子が海部俊樹内閣総理大臣(当時)自宅(つまりは首相公邸)敷地内からの生中継でニュースを伝えた。
FNS企画は「全国美人妻コンテスト」。第3位が石川テレビ、第2位がサガテレビ、優勝がテレビ静岡。
この年から『ちびまる子ちゃん』がアニメパートとして放送開始。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは大坪千夏・長坂哲夫・松井みどり・吉田伸男の男女2人ずつの合計4人。
出演者
◯は、当時フジテレビアナウンサー(黒岩・小田は記者)。
- 総合司会
- 須田哲夫◯
- 河野景子◯
インフォメーション
FAX担当
- 御意見番
お宅情報コーナー
24時間通し企画
- 東海林のり子(リポーター)
- 小中陽太郎
- BIG3コーナー
- タモリ
- ビートたけし
- 明石家さんま
- 露木茂◯(進行)
- FNN NEWSCOMスペシャル
- プロ野球ニューススペシャル
- 司会:松本典子・野崎昌一◯・中井美穂◯
- 解説:柴田勲ほか
- FNNスーパータイムスペシャル
- 司会:黒岩祐治◯・小田多恵子◯
- スポーツ:木幡美子◯
- 天気予報:太平シロー・八木亜希子◯
- フジテレビアナウンサー
- その他
ほか
第5回(1991年)FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91
総合司会は桂三枝(現・六代桂文枝)、フジテレビアナウンサー(当時)有賀さつき・八木亜希子の3人。フジテレビアナウンサーの総合司会起用は2015年時点で1991年が最後となっている。日本の総人口に合わせ、タイトルが若干変更された。
テーマは「戦い」
通し企画は『東京さ行くだ!クイズ』。松本明子・牧原俊幸が札幌から、吉村明宏・木幡美子(途中からデーモン小暮のものまねをした太平シローが参加)が鹿児島からFNS各局の代表として一般人を大型バスに乗せ、各地で勝ち抜け方式のクイズをしながら東京を目指す企画。北ルートはゴールしたが、鹿児島からの南ルートは渋滞に巻き込まれ河田町のフジテレビまでたどり着けず、バス車内(八王子市・中央道石川パーキングエリア)でエンディングを迎えることになった。
昼のBIG3企画『BIG3闘いゴルフ対談』はスタジオに小さなゴルフ練習場を作ってゴルフ対決。ここでたけしとタモリがさんまの自慢のクラブを壊そうと暴走。その後のフリートークで「誰が一番車の運転が上手いか」という話になり、さんまのレンジローバーを使って車庫入れをしようということになる。しかしたけしが暴走し、さんまのクラブで車体に傷をつけ、車庫入れではブロック塀でつくられた車庫に激突、さんまのレンジローバーはボロボロになってしまう。そしてこの因縁は翌年以降も続くことになる。
ニュースコーナーは夜が山田邦子司会の『FNN NEWSCOMスペシャル』、夕方は武田鉄矢司会の『FNNスーパータイムスペシャル』でどちらとも本番組のスタジオから放送され、露木がアシスタントを務めた。
深夜のゲーム大会は、前年に引き続きクイズに答えると女性が一枚ずつ服を脱いでいくというもの。そのスタジオに男性タレントのほか、スタッフまでもやってきて大はしゃぎし、番組のゼネラルプロデューサーの横澤彪も駆けつけた。
FNS各局対抗企画は「戦う!ビデオ大賞」。グランプリは岡山放送、準グランプリは山形テレビ、審査員特別賞は新潟総合テレビとなった。
この年開局した岩手めんこいテレビがネット開始。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは近藤サト・小泉陽一・中村江里子の男性1人・女性2人の合計3人。
出演者
- 総合司会
- 桂三枝(現・六代桂文枝)
- 有賀さつき
- 八木亜希子
- FNN NEWSCOMスペシャル
- プロ野球ニューススペシャル
- FNNスーパータイムスペシャル
- BIG3戦うゴルフ対談
- タモリ
- ビートたけし
- 明石家さんま
- 逸見政孝
- 輝け!戦うビデオ大賞
- その他
ほか
第9回(1995年)FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうちなんとか23時間
軸となる番組は「平成教育委員会」だが、1992年 - 1994年と比べその色合いは薄くなり[7]、「夢列島」に戻りさまざまな特別コーナーなどを織り交ぜ放送した。 「そのうちなんとか・・・23時間」とあるように、前年の放送直後にバイク事故で重傷を負ったたけしをみんなで助け合って23時間がんばろうというのがメインテーマであった。そのため、たけしの出演時間は例年に比べ激減したが、さんま・所・鶴瓶を始め今田・東野(途中深夜からナインティナイン(最後まで)・よゐこ(朝まで))が長時間出演した。
この年の各局対抗戦は「最優秀女子アナ決定戦」と題して、夜11時に「知力テスト」(「平成教育委員会」からの出題)、深夜の「意識調査」、朝の「料理の女鉄人」(当時、大人気番組だった「料理の鉄人」の女子アナ大会版・25局を3チームに分けての対抗戦)、昼の「愛ちゃんと卓球対決」の4ブロックで行い最高得点者にゴールデンマイクを授与した。さらに「最優秀女子アナ決定戦」の得点に加え、「めざめてるテレビ」の「そのうちなんとか合戦」(各ブロックでトップ賞となった局に得点)と「全国温泉○×王決定戦」(○×王が出た局に得点)の得点で優勝局を決定した。
BIG3コーナーで、さんまの車が破壊された最後の回になった。なお番組の本編の企画はクイズ形式で、3人のマイカーが滑り台形式の板の上に置かれ、間違える毎に一段ずつ滑り台が上がっていき、最終的に滑り落ちて壁に激突する、と言うものであったが、例によって問題はあからさまにさんま不利なものであり、当日のテレビ番組欄には「そしてさんまの車は…」と書かれていた。
お色気企画は今回で休止となっている。
上岡龍太郎、そのまんま東、トミーズ雅、(当時)フジテレビアナウンサーとして史上初のフルマラソン挑戦の武田祐子、木佐彩子の5人がオーストラリア・ゴールドコーストマラソンに挑戦。解説に大竹まこと、実況は三宅正治が担当した[8]。マラソンは全員完走かつベストタイム更新のためレギュラー番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」での公約にしたがって、後日大竹は坊主になった。また、「料理の女鉄人」内でマラソンの模様を中継した直後(調理終了2分前)に、東野幸治がこっそり炊飯器の中に入っていたご飯を盗み食いしているところをコーナー進行の笑福亭鶴瓶と今田耕司に発見され、指摘した鶴瓶と今田に「わしだって飯食うわぁ!!」「(マラソンなんて)どうでもええんじゃぁ!!」と暴言を吐いた。同じく進行役の森口博子が「ケンカはやめて!」と仲裁した直後に東野が慌てて「ファイト!ファイト!雅!」とフォローしたものの、この発言に対し、フジテレビには視聴者から2万本の抗議の電話がきた。この件は後述の通り、翌年の放送でも鶴瓶から伝えられている。
「プロ野球ニュース」は「超・プロ野球ニュース」として放送。司会役には『夢がMORI MORI』から通称・夢モリコンビと言われていた森口博子と森脇健児が担当。ナビゲート役には土曜日コメンテーターとしてパンチ佐藤が担当。また、アメリカのロサンゼルスとイギリスのシルバーストーンからダブル衛星中継。野茂英雄、武田修宏・北澤豪、ジャン・アレジがつなぎメッセージを放送。
松村邦洋が鹿児島テレビから河田町のフジテレビ旧本社[9]までタクシーで横断する企画「松村邦洋 鹿児島→東京 1520km/タクシーマラソン」を行い、グランドフィナーレで走破。
「魔法のランプ」ではゴルフのショートホールニアピン大会を実施。
「HEY!HEY!HEY!」スペシャルは事前収録。以前「HEY!HEY!HEY!」のレギュラー放送で一部しか放送されなかったBOROの「大阪で生まれた女18」を、1番から18番までフルコーラス放送した。
視聴者参加クイズは、前回全問正解者が出なかったので、往年の人気クイズ番組を復活させた「賞金100万円!夜明けのイントロクイズ クイズ・ドレミファドン!」を実施。問題のジャンルは3段階でイントロ・ウルトライントロ・超ウルトライントロが10問ずつ。全問正解者は226名。抽選で100万円とハワイ旅行を各1名に贈呈した。
「料理の女鉄人」コーナーで、ゴールドコーストのトミーズ雅・ゴールと「賞金100万円!夜明けのイントロクイズ ドレミファドン!」FAX受付終了の両直後に今田耕司が「あと2分」と無意識に言ったのが、奇跡的に的中した[10]。
「笑っていいとも!増刊号」スペシャルは二部構成で放送され、さんま、タモリ、鶴瓶、関根の4人でやったゴルフで負けた鶴瓶がさんまの部屋を大掃除すると言う企画(録画)も放送された。第一部は片岡鶴太郎VS鶴瓶の鶴鶴対決。
○×王は「全国温泉○×王座決定戦」として行われグランドフィナーレ寸前までもつれ込大接戦になったが前回覇者のサガテレビが○×王を防衛した。
明石家さんま主催の当時の特番「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」でお馴染みの「オールスターフリースロー選手権」を生放送で開催。翌年、翌々年も開催された。
この年のFNS25局対抗戦は「最優秀女子アナ決定戦」と「FNS25局総合優勝局決定戦」の2本立て。「最優秀女子アナ決定戦」は岡山放送の竹下美保アナウンサーが賞品の『ゴールデンマイク』を獲得。一方の「FNS25局対抗戦」はサガテレビが優勝、ジミー大西画伯が今度は「ジミー工房」と題し、ステンドグラスを使って制作された優勝賞品「飛蝗」を獲得した。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは伊藤利尋・菊間千乃・高木広子・森昭一郎の男女2人ずつの合計4人。今回の提供CG:番組ロゴに登場していた謎の青いキャラ(翌年放送ではピンク色に改められ、「ユメリン」と名づけられた)がジャンプする度に提供社名が切り替わる。
プロ野球中継が延長したため番組開始後もノーステブレでしばらく続き、番組タイトルコールを発したのは試合終了後の22時頃だった。衛星中継は、1ヵ所目の フランスのパリ・エッフェル塔でのオープニング祭を筆頭に2ヵ所目は アメリカ合衆国のロサンゼルスにあるメジャーリーグの球団・ロサンゼルス・ドジャースの本拠地/ドジャースタジアムから野茂情報、3ヶ所目は イギリスのシルバーストーン・サーキットからF1情報、そして最後の4ヵ所目は南半球の オーストラリアのクイーンズランド州にあるシーサイドシティー・ゴールドコーストからマラソン中継と史上初の海外四元中継が実現した。
出演者
- 総合司会
- 北野武
- 明石家さんま
- 所ジョージ
- 笑福亭鶴瓶
- ヒロミ
- 今田耕司
- 東野幸治
- 超・プロ野球ニュース
- 新人アナ提供読み
- 伊藤利尋
- 菊間千乃
- 杉浦広子
- 森昭一郎
- その他
- 岡村隆史
- 矢部浩之
- 大塚範一
- 八木亜希子
- タモリ
- 小堺一機
- ラサール石井
- 福井謙二
- 中村江里子
- 三宅正治
- 青嶋達也
- 川端健嗣
- 露木茂
- 内村光良
- 南原清隆
第10回(1996年)FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック
略称は「夢リンピック」。この年、初めて「番組パーソナリティー制」を導入、SMAPが就任する。
30回開催されている「FNSの日」の中でも史上最も放送時間が長い番組(土曜18:00 - 日曜23:24/29時間24分)。
たけし、さんまは土曜夜、日曜夕方 - 夜のコーナーに出演し、鶴瓶は土曜夜と日曜朝から昼にかけてメインを担当。所は土曜夜 - 深夜と日曜夜、田代は土曜夜と日曜夜に出演。それぞれ出演する裏番組時間帯は出演せず。たけしがメインを張るも、実際は「さんまのスポーツするぞ!大放送」がメイン企画。これは1995年までの「平成教育テレビ」の流れも引き継いでいるということでさんまをメイン司会に置かず、副委員長として置き、たけしを大会委員長とした。たけしはこれより2008年まで「FNSの日」には出演せず、所も1997年以降「FNSの日」の出演はなかったが、2017年に21年ぶりに出演した。 この年の総合主旨は「芸能人軍団VS素人軍団/超究極全面大戦争」として開催された。
テーマは「スポーツ」 深夜の「スポクイバトル7」と「たけし・さんまの夜明けのスポーツ大バラエティ」は後日再放送された。なお、番組タイトルの『夢リンピック』は『夢列島』と『オリンピック』を掛け合せた造語(この年はオリンピックイヤーでアトランタオリンピックの開幕直前だった)。
大会役員の入場時には「ヨコハマ・インスパイヤーズ Drum&BugleCorps」が全面協力した。
オープニングでの大会委員長による開会宣言では、たけしがSMAPを脱退して間もない森且行や野田秀樹の名前を出し、さんまや所に「(バンドマスターの人が)口にラッパ加えてるから笑われへん!」「今から一丸となって30時間やろうとしてるんだから!」と突っ込まれる。
選手宣誓は今田耕司と東野幸治が担当。宣誓前には鶴瓶が前年の東野の発言(前述)に触れた。最後は、選手宣誓を言い始めたところでCMに入るというオチだった。CM明けには、富士山五合目と中継を結び、聖火の採火を行った。採火方法は中居のフリースローがゴールしたのを確認して、アーチェリーの経験がある所が河田町社屋(当時)の第6スタジオから富士山に向けて矢を放つ(という設定。不可能であるため、実際はスタジオのマルチ画面に向けて所が矢を放った後に、河田町から富士山に向かって矢が飛んでいく過程をCG映像で処理し、富士山の中継映像に切り替えた)というものであった。中居が一回目でボールを真上に投げ、さんまをコケさせた後に、自ら笑いを取ろうと求めたたけしの頭にボールをぶつけるボケを繰り広げた後に、二回目で成功。所が矢を放ち、採火は成功した。また、従来、番組開始時に流れていたオープニングタイトルはこの時に流されている。
メジャーリーグ野茂英雄中継(ロサンゼルス・ドジャースVSサンフランシスコ・ジャイアンツ)があった。MLBオールスターゲーム後の後半戦・最初の野茂登板試合の模様をロサンゼルス・ドジャー・スタジアムと東京・フジテレビを衛星で結んで放送し映像は現地の映像を使用し途中からは日本のプロ野球中継で使われているサイン(何回の表・裏/チームの頭英語/スコア/SBO(現在はBSO)のカウント/ベースの状態<色が付いているベースはランナーがいる事>の5つ)も急遽使用した。解説はパンチョ伊東/実況・司会・進行はKIZAKIが画面実況する形で担当した。試合は7対0でジャイアンツの無失点勝利となった。野茂の結果は6回までで投球数が113球/対戦打者数が31名/打たれたヒット数が7本/被本塁打と与四死が3本ずつ/奪った三振数が二桁の10奪三振だった。7回入った所で代打を出されて交代となった。
メジャーリーグ中継に連動する形で西武ライオンズ球場(現在の西武ドーム)では超夢リンピックの予選会・第2弾/ゴルフ編として「ゴルフ 池ポチャ・アプローチ選手権in西武球場」が開催された。成績優秀者8名が下の決勝大会へ進出した。
番組開始時間が18時になったため、当時18時に放送していた「FNNスーパータイム」は17時30分に繰り上げ(2000年まで。2001年以降ニュースの通常放送時間が17時30分に変更されている)。
プロ野球ニュースは都内の居酒屋のあぶさんからの中継を行い、パンチョ伊東・漫画家の水島新司・声優の古谷徹等がゲスト参加した。また、五輪開幕直前のアメリカのアトランタからはTOKIOの松岡と長瀬が最新リポートを入れて2人は聖火リレーも体験していた。
富士山五合目からフジテレビまで26区間/130kmの系列局アナによる聖火リレーを実施。最終区間(新宿区富久町付近からフジテレビまで)の1kmを露木茂が走り、大声援の中フジテレビ内へ入った。大量の煙が出るためそれまで使用してきたトーチがスタジオで使えない事から、入口でトーチを小さなローソクのものに交換した上でゴールした。この区間は三宅の実況でCM無しで全区間を完全実況生中継。
深夜の「スポクイバトル7」では、たけし・さんま・SMAPが共演。番組内幾度となく「がんばりましょう」のサビが突如として流れ、メイン司会者のたけし・さんまもフリが分からない状態で踊りをやらされるハメになってしまうことになり、日曜日のビッグ3コーナーでたけしは「(フジテレビから自宅に)帰って倒れたもん!」と話した。なお、コーナーの後半では「スポクイカンカン!」を放送。スポーツをしているご本人が登場するなどスタジオは緊張感に包まれていた。このコーナー司会を担当した中居の司会進行ぶりがスタッフに高評価を呼んで後の総合司会・担当8回(1998年 - 2000年・2004年・2006年・2011年・2014年・2015年)を生んだ。
深夜のお色気企画に代わって深夜の女子アナリンピックが開催された。司会・実況・進行に三宅正治アナ、公式審判には山本小鉄が参加した。
「たけし・さんま・SMAP」特設会場88mボウリング
たけし・さんまの夜明けのスポーツ大バラエティ(このコーナーのみ後日再放送)
たけしが日曜日の夜明けから夕方まで(06:00 - 19:00頃)いないという前々年の重傷事故を引きずる形があった。この間の順番はフリースロー・予選から始まりいいとも!、ゴルフ予選+野茂中継、クイズ結果、さんま、競馬中継、○×、ニュース、ちびまる子ちゃん、サザエさんの10のコーナーまたは予選大会で繋げて行った。
10年の歴史をBIG3が鑑賞(二部構成)。19:00台に行われた第1部はタモリ・たけし・さんまのBIG3を迎えて10周年のハイライトを映像と共に振り返りその後に「特選!夢列島名場面集」と題して3人それぞれのリクエストを放送した(さんまは通常では裏番組の『さんまのスーパーからくりTV』に出演しているが、この日は休止であったためにそのまま出演)。第2部は超夢リンピックのゴルフ・ボウリングのUの字ボウリング・バスケットボールのフリースロー/3つ全ての決勝大会終了後に放送。「特選!夢列島名場面集」の続きを放送して第1部で放送出来なかった分を出演者全員で見た。第2部の最初は露木のリクエストで「フジテレビ新人アナ披露」を放送。
系列局対抗企画は「1億2500万人の超夢リンピック 全国名所でバスケット・フリースロー スーパー大予選会」と題してフリースローの予選大会を開催。めざましテレビの大塚範一と八木亜希子の2人が総合司会・笑福亭鶴瓶、今田耕司、東野幸治、岡村隆史、矢部浩之の5人がゲスト兼立会人として登場して開幕戦から準決勝までの23試合(1回戦・2回戦・準々決勝・準決勝の4ステージ)を完全実況生中継でお届けした(トーナメント表は青枠で囲っているブロック)。試合が進むに連れてトーナメント表が勝ち上がり局だけが上に上がる形式をとった。予選大会後のインフォメーションでは決勝進出を決めた2局の女子アナが参加していた(ここでは長野放送の浅野薫と鹿児島テレビの佐藤陽子両アナが参加していた)。
夕方はラサール石井司会の『FNNスーパータイムスペシャル』(松山香織キャスターと共に)。
前年(1995年)の芸能人大会の好評に答えてFNS25局による第1回「全国フリースロー選手権大会」が開催された(「全国フリースロー選手権大会」については「さんまのスポーツするぞ」の項目を参照)。優勝はKTS鹿児島テレビ。「フリースロー・ドリームマッチ」でも芸能人軍団のタレント選抜&SMAPの2チームを一蹴し完全優勝を達成。
優勝した鹿児島から10代選手として参加した窪奈緒子選手と40代以上選手として参加した白水清美選手がダブルで大会MVPに選ばれた。選出理由は外したのは共にたった1投のみ(窪はドリームマッチの2投目・白水は決勝戦の1投目)という薩摩の若頭女王・薩摩の王者の名に相応しい活躍振りだった事が評価されての選出だった。更に20代選手の小浦康弘選手には特別賞のカムバック賞が贈られた。選出理由は予選では2回戦・準々決勝・準決勝の3投全てを外しチームの足を引っ張り決勝大会での活躍が不安視されたが、決勝大会では正しく別人。投げた4投中入ったのは3投という結果に西山アナから「挽回出来ましたね」と褒められていた。
競馬は札幌競馬場から札幌スプリントステークスを放送(進行は山田雅人・解説は井崎脩五郎・実況は吉田雅英)したが、このレースを制したノーブルグラスに騎乗の安田富男が全10場での重賞制覇を達成した。
「ゴルフ」は決勝大会としてニアピントーナメントの模様をこの大会の為に作ったフジリンクス8番ホール(13yards・PAR1)から生中継。上の西武球場での予選会を勝ち抜いた8名と芸能人軍団・8名の合計16名で優勝を争った今大会に於いて大山慶太選手が決勝大会の初戦(VS鶴瓶)と準決勝(VS薄井)で2度のホールインワンを達成。決勝戦(VS岡村)でもあと一歩でトリプルホールインワン達成の所まで行き、優勝を決めて副賞の北海道ゴルフツアー・4名分の目録が贈られた(なお、自分自身から優勝候補と挙げていたさんまは準決勝第2試合で岡村に敗れて、直後はスタートティーで実に15秒間に渡ってクラブを持ったまま動けず、動向一発目もクラブをティーに悔しさ毎にぶつけてCM後の決勝開始前にも一人だけスタジオの隅で悔しさを大爆発させながら「どうぞ、やれば!やれば!」とさじを投げ、挙げ句の果てには優勝した大山選手にもこき使われていた。また、この大会には笑福亭笑瓶・マリーン・工藤光一郎・斉藤満喜子・渡嘉敷勝男・工藤順一郎の6人が立会人兼ゲスト出演して後のフリースロー・ドリームマッチでもこの6人はハーフタイムショーの形で小堺一機と松村邦洋と共に8人でフリースローに挑戦していた)。Uの字ボウリングはSMAPが優勝。
4回目を迎えた○×王は「全国スポーツ○×王座決定戦」として開催。試合はさんま・今田・東野の3人の過去によるパーソナルクイズまで入れないと決着が付かないほどの○×大会・史上稀見る史上最大且つ史上最高の超大接戦になったが最後は仙台放送が勝利した(最後の問題になった東野クイズではスタジオにいた全員が声を嗄らすほどに、そして吐き捨てるかのように「分かれろ!」を大連呼しながら大絶叫して分かれた瞬間にはスタジオのほとんどの出演者が隣にいる人を見つけてはガッツポーズやハイタッチをしてこの上の無い喜びを大爆発させた。スタッフも同じように喜びを見せて中には万歳三唱をするスタッフも現れるほどだった)。なお、○×王試合開始前には来春(1997年4月)に開局される新しいFNS局として26局目のさくらんぼテレビ(山形県)と27局目の高知さんさんテレビの2局が紹介されSAYは競馬直後にさくらんぼを、KSSは○×王直前に山桃を其々、2人ずつ番組に登場して提供、出演者達を応援していた。
通し企画は、松村邦洋がフジテレビ駐車場で888ゴール達成するまで延々とフリースロー(達成)。開始時間は富士山の山頂に聖火が付いたのを確認してのスタートとなった。
グランドフィナーレで「見てないと分からないクイズ」の車(日産・ウイングロード)当選者に露木からビッグゴールデンキーが贈呈された。当クイズは前回の「ドレミファドン!」と同様のルールをとり、寄せられたFAXの総数は1447名(通)で全問正解者は260名(通)に及んだ。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは竹下陽平・佐々木恭子・藤村さおりの男性1人と女性2人の合計3人でこの3人は新宿時代最後の新人アナとなった。竹下・佐々木・藤村の3人は系列局の聖火リレーに最終走者兼最終区間の露木の伴走で参加した。
番組の最後でたけしが、聖火に見立てたローソクを吹き消すのに時間がかかり、結局吹き消そうとしている時に番組が終わった。なお、北野が総合司会に務めるのは此処から21年後の2017年の第31回となる。
また、所はこの第10回以降、「FNSの日」に出演していなかったがこちらも北野同様、第31回に出演を果たすこととなる。
CM前のジングルには、ribbon『太陽の行方』のアウトロ部分を使用。
出演者
- 大会委員長(総合司会)
- 北野武
- 大会副委員長
- 明石家さんま・笑福亭鶴瓶
- 大会委員(赤いジャケットに帽子というスタイルで出演)
- 所ジョージ・田代まさし
- 番組パーソナリティ
- SMAP
- 番組進行・インフォメーション
- F・MAP(福井謙二・三宅正治・青嶋達也)・西山喜久恵
- 選手宣誓他
- 今田耕司・東野幸治
- プロ野球ニュース
- フリースロー予選会
- 大塚範一・八木亜希子
- ゴルフ 池ポチャ・アプローチ選手権
- 小堺一機
- 川端健嗣
- 丹波哲郎
- 相原勇
- 斉藤満喜子
- 工藤兄弟
- 笑福亭笑瓶
- 渡嘉敷勝男
- 聖火リレー最終区間ランナー(露木以外は提供読みも担当)
- 露木茂
- 竹下陽平
- 佐々木恭子
- 藤村さおり
- その他
- 岡村隆史
- 矢部浩之
- タモリ
- 山田雅人
- ラサール石井
- 森昭一郎
- 野島卓
- 笠井信輔
スペシャルドラマ
- 1987年:『真夏の忠臣蔵』
- 「オレたちひょうきん族」メンバーによる時代劇コント。
裏番組への対応
- タモリ
- 第1回から第3回までの総合司会であるタモリは土曜23:00 - 23:30に日本テレビで『今夜は最高!』が放送しているため退席し、その間は1987年・1989年は明石家さんま、1988年は笑福亭鶴瓶がそれぞれ一人で進行していた。
- 桂三枝(現・六代桂文枝)
- 第5回の総合司会である三枝はテレビ朝日にて『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送制作)が放送されている番組後半の12:45 - 13:15まで退席し、その間「戦う!ビデオ大賞」の審査員の一人だった高田文夫が三枝の代理を務めた。
- 明石家さんま
- 第9回の司会であるさんまは日本テレビにて『恋のから騒ぎ』が放送されるため、番組後半の23:00 - 23:30まで退席した。
スタッフ
- 構成:高平哲郎 / 詩村博史 / 鈴木しゅんじ、永井準、黒木一由、岩立良作、廣岡豊、谷口秀一、鶴間政行、加藤芳一 / 大倉利晴、清水東、太田一水
- スタイリスト:矢野悦子(タモリ担当)
- 技術:本田殻 / 堀田満之、那須俊郎、笹川一男、川合大実、佐藤五十一、下田誠 / 豊田仁
- 照明:小宮俊彦
- 美術:鈴木武治、重松照英、山本修身、水上啓光、金子隆、船場文雄、伊藤則緒、上瀬千春、岩崎光明、山口浩司、末松隆
- CGキャラクターデザイン:山田みどり(LINKS)(第2回)、清水新吾(第3回)
- CG:金田全央、藤井泰正
- ディレクター:荻野繁、大平司、三宅恵介、佐藤義和、大野三郎、鈴木恵悟、木村基子、森川久、星野淳一郎、小畑芳和、吉田正樹、及川俊明、佐山純三、田辺恵造、平林長務、永峰明、小林延行、光野道夫、小林豊、東秀夫、上田健、竹内茂夫、加藤好喜、水口昌彦、堀越広行、中松武憲、豊島浩行、佐々木宗彦、星田良子、村社淳、稲木甲二、高島二六
- プロデューサー:浅野次良、山縣慎司、石黒正保、吉森治利、梅田一男、矢野順二、吉田正樹、佐藤義和、吉田寛、星野淳一郎
- 総合プロデューサー:横澤彪
- 製作総指揮:鹿内春雄(第1回)、鹿内宏明(第2回~第5回)、日枝久(第9回・第10回)
- 制作代表:日枝久(第2回~第5回)
- 技術協力:IMAGICA、ニユーテレス、八峯テレビ、共同テレビジョン、彩光、東京テレビ技術、O.C.Bプロ、O.K.K、スタジオアルタ、日放、RVC(1995年・1996年)、ジャイロ(1995年・1996年)
- 制作協力:田辺エージェンシー/イースト(1995年・1996年)
- 制作著作:フジネットワーク(1987年・1989年=24社、1988年・1990年=25社、1991年=26社、1995年・1996年=25社)
- 1995年
- 1996年
- 構成:高平哲郎 /三木聡、長谷川朝二、田代一朗、鈴木おさむ、鶴間政行
- コーナー担当ディレクター:小倉浩介、岡崎洋三、内藤和明、小松純也、手塚久、黒木省一郎、小林昇、矢延隆生、坪田譲治、本間学、豊島浩行、高崎邦雄
- プロデューサー:桜井郁子、角井英之(イースト)
- 総合演出・プロデューサー:小西康弘、水口昌彦、荒井昭博・三宅恵介、小須田和彦・王東順
- 制作著作:フジネットワーク25社
関連項目
- FNS
- 日本の長時間特別番組一覧
- FNS27時間テレビ
- 平成教育テレビ
- 27時間テレビ
- BIG3
- 森田一義アワー 笑っていいとも!
- 笑っていいとも!増刊号
- オレたちひょうきん族
- コミュニケーションカーニバル 夢工場'87
- 夢工場ドキドキパニック
脚注・出典
注釈
- ↑ 番組開始から『さんまのプロ野球ニュースデラックス』直前までは、『笑っていいとも!』での正装であった髪型(7:3分け)と色が薄い茶色系レンズのサングラスのスタイル。以降エンディングまでは、当時タモリの正装であった真ん中分けと銀縁の黒いサングラスのスタイルで務めた。なお、1988年・1989年の回は全編通じて正装で臨んだ。
- ↑ ただし、総合司会のタモリと明石家さんまが「今回のテーマは『人間の欲』」だと幾度と番組内で発言していた。
- ↑ 7月16日の19時30分過ぎからエンディングまで。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』自体が、プロ野球中継(巨人対ヤクルトの試合)で休止となったため、被ることなく出演可能であった(1989年(平成元年)7月16日 『福島民報』(福島民報社) 朝刊 21面。テレビ番組表より)。
- ↑ 記事内便宜上でのタイトル。コーナー内でのタイトルはなかった。
- ↑ この年のBIG3のコーナー以降、タモリは、デビュー当時から変えてこなかったディップ(整髪料)で固めた真ん中分けの髪型に丸い銀縁のサングラスから、オールバックの髪型と黒色系のサングラスにスタイルを変えるようになった。
出典
- ↑ 開始当初は日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に対抗して同じ24時間の放送時間であったため、『FNS24時間テレビ』という通称もあった。
- ↑ 鹿内春雄死去のため。
- ↑ 太田省一『中居正広という生き方』
- ↑ 越川彰彦『CGクリエイターになるには』ぺりかん社〈なるにはBOOKS〉、1995年、32頁から34頁
- ↑ 番組内では、中継に出ているアナウンサーも含め全員が「アナウンサー歴○○年の○○です」と名乗り、名前テロップにもアナウンサー歴が併記されていた。
- ↑ http://www.news-postseven.com/archives/20150428_318094.html
- ↑ 1992年度と1993年度の総合司会である逸見政孝が1993年12月に逝去したことで企画自体が成立しなくなった。
- ↑ 前々年(1993年)と前年(1994年)は自転車レースの最高峰、ツール・ド・フランスの実況を担当した関係上、声のみの出演だった為にテレビ出演するのはこの年が初めて
- ↑ 現在は解体され河田町コンフォガーデンに建て替えられている
- ↑ 当たった理由はスタジオ内にあったカウントダウンタイマーがその様になっていたため。
外部リンク
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