水島新司

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水島新司
生誕 (1939-04-10) 1939年4月10日(85歳)
日本の旗 新潟県新潟市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
称号 紫綬褒章
旭日小綬章
活動期間 1958年 -
ジャンル 野球漫画
代表作野球狂の詩
ドカベン
あぶさん
受賞 第19回小学館漫画賞(『男どアホウ甲子園』『出刃とバット』)
第4回講談社出版文化賞児童漫画部門(『野球狂の詩』)
第22回小学館漫画賞(『あぶさん』)
日本漫画家協会賞文部科学大臣賞
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水島 新司(みずしま しんじ、1939年4月10日 [1]- )は、日本漫画家野球漫画の第一人者。新潟県新潟市出身。代表作に『野球狂の詩』、『ドカベン』、『あぶさん』など。趣味は野球将棋血液型はB型。元タレント俳優水島新太郎は長男。

経歴

1939年、新潟市の魚屋の家に生まれる。父親がギャンブル好きで多額の借金を背負い、金銭的に困窮した少年時代を送る。中学卒業後、父親が借金をしていた水産問屋に丁稚奉公に出されるが、そこで漫画家になることを決意。仕事後に睡眠時間を削って漫画を執筆する。

1958年、大阪の貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する。評価としては次点であったが審査員の一人だった佐藤まさあきがその才能を評価し入選を強硬に主張。特別に特選二席として表彰される。その表彰式で社長の山田秀三に漫画家になりたい旨を直訴、「一年以内に漫画家になる」という条件で家族を説得し来阪する。山田宅に住み込んで日の丸文庫の編集の下働きの仕事をしながら寝る間を削って漫画を執筆、人気貸本漫画家となる。日の丸文庫では主にコメディ漫画を執筆。短編集『オッス!』シリーズや『水島新司爆笑シリーズ』、大阪のTV局製作ドラマ『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』の漫画化などで人気を博す。

1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。『週刊少年キング』で多くの作品を描く。本格的な野球漫画として1969年に『エースの条件』を発表。1970年から『週刊少年サンデー』や『週刊少年チャンピオン』に仕事の幅を広げ、最初の大ヒットとなる『男どアホウ甲子園』、『銭っ子』をそれぞれ連載。1972年からは『月刊少年マガジン』で『野球狂の詩』を読み切り不定期掲載、『週刊少年チャンピオン』で『ドカベン』を連載開始。1973年からは『ビッグコミックオリジナル』で『あぶさん』を連載開始。青年漫画にも進出する。

この頃より上記の連載作品が人気を博し、野球漫画の第一人者としての地位を確立する。以降1975年に『男どアホウ甲子園』の続編『一球さん』を『週刊少年サンデー』に、1976年に『球道くん』を『マンガくん(少年ビッグコミック)』に発表。1977年からは野球漫画専門誌『一球入魂』を創刊し、『ある野球人の記録』(単行本では『白球の詩』)を連載する。これらの主要な作品は各々長期の連載となり、野球漫画の名作という評価を得ていく事になる。1981年にはプロ野球機構そのものをすべてオリジナルで作る壮大で野心的な作品『光の小次郎』を『週刊少年マガジン』に発表した。

1983年には自身が今まで描いてきた高校野球漫画の集大成作品『大甲子園』を発表。『ドカベン』を中心に『野球狂の詩』『男どアホウ甲子園』『一球さん』『球道くん』『ダントツ』などの人気漫画の、それまで意識して描かなかったという登場キャラクターの高校3年の夏の大会を描いた。

以後は1984年に『極道くん』(週刊少年マガジン)、1987年に『へい!ジャンボ』のリメイク『虹を呼ぶ男』(週刊少年チャンピオン)、1988年に『野球狂の詩』の番外編的作品『ストッパー』(コミックバーガー)、1990年に高校野球漫画の総決算『おはようKジロー』(週刊少年チャンピオン)を、1993年の『平成野球草子』(ビッグゴールド)を連載。

清原和博の希望もあって、1995年に『ドカベン プロ野球編』(週刊少年チャンピオン)を、リメイクブームの風潮から1997年に『野球狂の詩 平成編』(ミスターマガジン)を連載開始。

これらのさらなる続編となる『新・野球狂の詩』(モーニング)を2000年に、『ドカベン スーパースターズ編』を2004年にそれぞれ連載を始め、今もなお野球漫画を描き続けている。

2005年10月・11月に、8週連続(モーニングでは予告編含め9週)で『週刊少年チャンピオン』と『週刊モーニング』による、出版社を超えたコラボレーション企画として、『ドカベン スーパースターズ編』の東京スーパースターズと『新・野球狂の詩』の札幌華生堂メッツが日本シリーズで対決した。

2007年、漫画家生活50周年を迎え、『週刊少年チャンピオン』では漫画家生活50周年の企画として、連載している『ドカベン』を巻頭カラーにし、水島と同郷の高橋留美子の他、秋本治さいとう・たかをかわぐちかいじあだち充井上雄彦満田拓也藤子不二雄A森川ジョージ高橋ヒロシなど沢山の著名な漫画家からの寄せ書きとイラストが掲載され、多くの漫画家が慕ってやまないことが改めて読者にも示された。また、漫画家以外にも、王貞治長嶋茂雄ビートたけし爆笑問題松井秀喜城島健司などの多くの著名人からメッセージが寄せられるという異例の事態となった。

週刊少年誌に連載する漫画家としてはあだち充を12歳も上回り、現役最長老であるが、その創作意欲は衰えていない。2008年からは『ビジネスジャンプ』にて、『青春シリーズ』と題し、高校野球を舞台にした読み切り作品を数ヶ月ごとに掲載している。

エピソード

本人に関する逸話

  • 中学は新潟市立白新中学校に通っており、当時同校に隣接していた新潟明訓高等学校への進学を希望していたものの、家庭の経済状況を勘案して高校進学を断念した。そうした思いから、のちに『ドカベン』で「明訓高校」を舞台にした。また、不知火が所属する「白新高校」の名称も通っていた中学校から取っている。なお、中学も家業の魚屋の手伝いのため欠席も多く、卒業が危ぶまれた事もあったという。
  • 新潟市古町通には、水島の功績を顕彰し、漫画の登場人物の銅像を並べた「水島新司漫画ストリート」がある。しばしば岩鬼の銅像の咥えている葉っぱが盗難に遭い、問題となっている[2]
  • 1970年代は東京都小金井市の音楽喫茶「白鳥」に通い、執筆や構想を練るなどに費やしていた。『野球狂の詩』のヒロイン・水原勇気は、その名を決めるのに思案し、喫茶店マスターの娘「ユウキ」という名が気に入りもらった。
  • 「あぶさん」と「ボッツ」という2つの草野球チームを主宰。漫画作品の執筆のかたわら年間60試合前後に出場し続け、投手として200勝を達成した時には自費で名球会入り記念パーティーを催した。
  • 草野球チームが縁で田中寅彦ら将棋のプロ棋士と知人になり、将棋漫画『父ちゃんの王将』を描いたり、作中に将棋棋士から転向した野球選手や、将棋棋士の名前そのまま、もしくはもじった名前の野球選手を登場させたりしている。
  • テレビ番組でのインタビューにて「最高の打者は誰か?」という質問に「山田太郎」(理由は甲子園大会通算打率7割5分を誇るから)と答えている。
  • 選手個人としては「エンターテイナーとしてパ・リーグを大いに盛り上げてくれる存在」として、新庄剛志(元・日本ハム)の大ファンであるという[3]
  • メジャーリーグを嫌っており、MLB入りしたイチロー松井秀喜らを非難している[4]。雑誌『月刊ホークス』内で2002年まで水島が連載を担当していたコラムでは、当時ダイエーに在籍していた井口資仁がメジャー移籍を球団に希望したニュースが流れた際、「何故日本で、日本のファンの前でプレーしてくれないのか」と疑問を呈し、「メジャーの選手が凄い凄いと言っても、漫画の世界ではそれ以上のものが描ける」と表現している。事実、1990年代以降の作品では登場する架空の選手がプロ野球記録や日本新記録を更新する描写が顕著化しており(福岡ダイエー以降の『あぶさん』が代表例)、あまりに現実離れした作風を批判する読者も多い。
  • また日本プロ野球の外国人選手も「現役バリバリはほとんどいないで、年俸だけは現役並み」と評しており日本人選手の生活圏や若手の働き場を奪っていると批判しており、いつの日か日本人だけのプロ野球が見てみたいと言っている[5]
  • MLB嫌いではあるものの、福岡ソフトバンクホークスオーナー・孫正義が考案する「世界一クラブ決定戦」の推進派である。理由としては、MLBの優勝決定戦が「ワールドシリーズ」と呼ばれることに不満を持っている為と言われる(「ワールド」の意味を理解しているのか、とのこと)。
  • 今までWBC、オリンピックの野球等の国際試合への言及、国際試合の描写は少なく、WBC日本代表合宿については、『あぶさん』の中で景浦景虎が代表候補に選出されて参加した様子、2004年北京オリンピックの予選のドカベン世代が参加した程度である。
  • 今まで見てきた甲子園の試合では、1992年の松井の5打席連続敬遠が最も印象深いと語っている。
  • 長男の水島新太郎カルビープロ野球チップスカードの収集家としても有名で、水島はカードを参考にしながら登場人物の打撃フォームや投球フォームを描いたこともあるという。『ドカベン』の里中智の投球フォームのモデルが阪急ブレーブス山田久志であることは有名である。(南海ホークス杉浦忠
  • 鈴木則文監督の実写映画『ドカベン』(1977年)に、自ら明訓高校監督の徳川役で出演。殿馬役の川谷拓三らを相手に楽しそうにノックする姿を観る事ができる。
  • いわゆる「空白の一日事件」で世間の大きな非難を浴び、おちおち外も歩けなくなった江川卓を一時かくまっていたことがあった。
  • 本宮ひろ志の『実録たかされ』によると、江川3年時の作新学院夏の甲子園2回戦で銚子商に敗れた夜に、作新学院の宿舎を訪れ、選手の述懐によると、「水島新司さんが来て酒飲んじゃって、どんちゃん騒ぎをしていた」というような事をしていたようである。
  • 飛行機が大の苦手で、よほどのことがない限り陸路で移動する。福岡にも新幹線で通っていた。「ドカベン プロ野球編」の第2巻では、福岡までやってきたサチ子が岩鬼の「どブス お前なんで福岡に来たんじゃい‼︎」という問いに対し「何でって水島新司と違うで 飛行機に決まってるじゃんさ」と答えている場面がある。
  • 大の野球好きであることはつとに有名だが、若手時代、身内で野球チームを作ろうとしたが人数が足りず、たまたまアシスタント志望でやってきた本宮ひろ志に対して、作品を見る前に「お前、野球できるか?」と尋ね、「できます」と言われたために即採用したという逸話も残っている。
  • 1986年6月1日、故郷・新潟の南海対西武戦で始球式を務めた際、通常は一球投げた時点で終わる所を、一打者に投げ終わるまで投げた事がある。ただしこの際に場内アナウンスで「これは真剣勝負です」と洒落で流したために、アウトカウントを勘違いするというハプニングがこの直後に起きている。
  • また、通常空振りで終えるはずの始球式で、過去に二度打ち返されヒットとされたことがある。前述の南海対西武戦と、日本ハム対ダイエー戦(2003年9月4日)である。一度目は西武の石毛宏典に、二度目はダイエーの柴原洋に打ち返されヒットとなった。打たれた水島はグローブを投げつけるリアクションを取った。
  • 2006年5月9日に設立が発表された、独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ(現:ベースボール・チャレンジ・リーグ)」のアドバイザーに就任している。
  • 2008年、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに入団。登録名は「あぶさん」、背番号は90。「代走での出場ならあるかもしれない。できたら遊撃手として出場したい」とコメントした。

ホークス関連

  • 1973年、『あぶさん』の連載にあたり、主人公・景浦安武の「入団交渉」のために当時の南海ホークス選手兼任監督であった野村克也を訪ねた時に、好きな球団を聞かれ「セは阪神、パは南海です」と答えたところ、「好きな球団は1つでええ」と言われたためその後はホークス一筋であった。「のんべえは持久力は無いけど、瞬発力があるから代打専門」という契約条件で入団、以来、永きに渡り代打専門で活躍している。また、『野球狂の詩』でプロ初の女性投手である水原勇気にリアリティを持たせるため、多くのプロ球界関係者にアドバイスを求めたところ、唯一前向きなアドバイスを与えてくれたのが野村であった(水原勇気の項目を参照)。
  • 野村監督との親交を深め、映画『野球狂の詩』(1977年)では現実のチームとして南海ホークスを登場させ、野村監督が実際に打席に立った。
  • 『あぶさん』で杉浦忠を追悼する回では、南海OBと公の場では絶縁しているはずの野村を出演させていた(一部OBとの私的な交流は実際にも若干あった模様)。また、『ドカベン プロ野球編』で岩鬼が福岡ダイエーホークスに入団したのも、水島のホークス好きに依ると言われている。
  • ホークスの選手寮にマイクロバスで乗り付けては、若手を食事に連れ出すなどしており、門田博光なども、そうした水島の援助を受けた一人である。
  • 南海ホークスを買収した直後の1988年、当時の中内功オーナーとお互いのマネージャー、秘書無しで一対一で会食した。中内が社員に「ホークスのことは誰に聞いたら一番よく分かるのか」と尋ねたところ、全員が水島の名を挙げたという。中内は水島の話を聞きながら、一生懸命にメモをしていたという。
  • 上記のようにホークス一筋が長かったが、2007年10月17日朝のNHKラジオきょうも元気でわくわくラジオ』のゲスト出演では「パはホークス、セは広島カープですね」と答えた。理由は「本物の野球球団、一から育ていい野球をしている」と答えている。
  • あるホークスの選手が起こしたふがいないプレーに激怒した水島は翌日、福岡に出向きその選手に説教をしたことがある。このエピソードは関口宏の東京フレンドパークIIに水島が来園した際に明らかにされた。

漫画に関する逸話

  • ニュースステーションにゲスト出演した際、あだち充の作品(『タッチ』他)を「野球を恋愛の小道具として扱っている」と批判した。その一方で『ドカベン スーパースターズ編』ではマンネリ化の打破のためか、岩鬼正美と夏川夏子、殿馬一人マドンナ里中智山田サチ子といった恋愛を描いている。この他、「あぶさん」(特に主人公の景浦安武が結婚する前)に於いて、景浦の女性関係が描かれることも少なからずあった。なお上記にあるようにあだちは週刊少年チャンピオンの漫画家生活50周年企画に寄稿している。
  • 伊集院光が水島にインタビューした際、「ドカベンを描いていて一番驚いた事はなんですか?」という質問で伊集院は「ファンの反響の多さ」等の答えを予想していたがそれに対しての水島の回答は「ネームでは岩鬼が三振するシーンを描いたのに、ペンを入れたら岩鬼がホームランを打ってしまった」と答え、伊集院を唖然とさせた。
  • 今でこそ執筆する作品は野球を題材にしたものがほとんどだが、『少年キング』時代はサイクルサッカーなど野球以外のスポーツ漫画も多く手がけていた。
  • 漫画家を始めてから10年近く野球漫画を描かなかったのは、打つ・走る・投げるなど本物に近い絵を描きたかったが絵が下手だったので一番好きな野球のジャンルを描くまで10年かかったため。

賞歴

作品一覧

五十音順。ただし、シリーズ物はそのシリーズ順。

テレビドラマ出演

脚注

  1. 激闘プロ野球公式サイト・水島新司オールスター
  2. 古町5番町の水島新司まんがストリートを歩く・にいがたれぽ公式サイト
  3. プロデューサー・新庄剛志が「僕たちのプレイボール」で劇場満員を口約映画ニュース - 映画.com、2015年11月22日閲覧。
  4. 但しイチローはその後も『あぶさん』に描かれた。
  5. ドカベンプロ野球編第17巻作者コメント

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