古舘伊知郎
古舘 伊知郎(ふるたち いちろう、1954年12月7日 - )[1]は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元テレビ朝日のアナウンサーで、フリーになってからはニュースキャスターも務めた。古舘プロジェクト所属。
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経歴
東京都北区出身。北区立滝野川第二小学校、千代田区立今川中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。1977年、全国朝日放送(現:テレビ朝日、採用試験時はNETこと日本教育テレビ)にアナウンサーとして入社。面接にて広辞苑の丸暗記という特技を披露し、採用される。同年7月には『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビュー。
1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組む。「おーーーーーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えてきた。また、大発行部数を誇る週刊少年マガジンで連載される「異能戦士」にフルタチのキャラで頻繁に登場し、プロレスファン以外にも知られる存在となった。なお、フリーになるかならないかの頃に、フジテレビ『オレたちひょうきん族』の1コーナーである「ひょうきんプロレス」に覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のもじり)として出演したこともある(「奮い立ち伊知郎」と名乗ったこともある)。しかし、NGを出してひょうきん懺悔室に送り込まれ、水を被り、正体を明かした。
1984年6月にテレビ朝日を退社後、大学時代の友人と芸能事務所「古舘プロジェクト」を設立。フリーになってからは、10年以上に渡ったワールドプロレスリングの実況を1987年3月に勇退、その後の1989年から1994年までのフジテレビのF1放送や、競輪における特別競輪(現:GI)決勝戦の実況中継、さらには、自らの一人芝居型講演会「トーキングブルース」(1988年開始)を始め、数々のテレビ番組に出演。そして、NHKと民放キー局5社で全てレギュラー番組を持った。1988年には映画『スウィートホーム』、1991年にはNHK連続テレビ小説『君の名は』に出演し、俳優業にも挑戦した。また、テレビ朝日『ニュースフロンティア』(1991年4月 - 1994年3月)という『ニュースステーション』のオンエアが無い土曜日の23時から放送されていた報道番組も一時期担当した。1994年 - 1996年には、NHK『NHK紅白歌合戦』の白組司会を担当、史上初の民放のアナウンサー出身の紅白司会者となった[2][3]。
1987年7月、結婚。妻はJALの元客室乗務員[4]。長女はTBSアナウンサーの吉田明世の同級生であり、吉田が幼少の頃より彼女とも親交がある[5]。長男・佑太郎はThe SALOVERSのボーカリストを経て俳優として活動中である。その他に次女もいる[6]。
プロレスファン以外の視聴者にも古舘の名が一躍認知されるようになった端緒は、1985年のフジテレビ『夜のヒットスタジオ』の司会抜擢であった。当時民放各局に乱立していた音楽番組の中でも抜きん出た格上の番組であり、そこにフリー転身から1年しか経たない古舘が抜擢されたことについて、当時の視聴者から危惧の声が上がっていたようだが、その当初の視聴者の反応も、当時の『夜のヒットスタジオ』の看板司会者であった芳村真理の強い後盾もあったためか聞かれなくなり、司会者としてのキャリアを上げる大きな契機となった。1988年に芳村は番組を勇退し、古舘自身も独立早々の苦境の時に最初に使って貰ったという恩義から、『夜のヒットスタジオ』、そして芳村に対しての強い敬意の念を抱いているようである(『SmaSTATION!!』に出演した際にこの点については述べている)。古舘の結婚式の仲人は芳村夫妻が務めており、芳村とは家族ぐるみの親交を続けている。
「トーキングブルース」は後述の事情により2003年を最後に開催していなかったが、2014年に復活することとなり[7]、この模様は同年12月にテレビ朝日[8]、BS朝日[9]、並びにスカパー!・ケーブルテレビのテレ朝ch2[10]で放送されることになり、テレ朝ch2では同作品とは別に、過去の講演を抜粋した「トーキングブルースレジェンド」の放送も決まった。古舘によると、「トーキングブルース」復活を促したのはテレビ朝日の早河洋会長だという[11]。
1989年、アントニオ猪木がスポーツ平和党から参議院選挙に立候補した時には、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というキャッチコピーで応援した。
世界水泳では2001年の日本・福岡大会と2003年のスペイン・バルセロナ大会を2大会連続で特別実況し、世界陸上では1999年のセビリア大会から2003年パリ大会にかけて、女子マラソンの実況を担当した。
2004年4月5日、テレビ朝日にて『ニュースステーション』の後継番組に相当する『報道ステーション』の初代メインキャスター(アンカーマン)に就任[12]。そのため、20年ぶりにテレビ朝日に勤務した。他局のレギュラー番組やコマーシャル出演を相次いで降板した。以後、後の降板まで仕事は基本的に『報道ステーション』に絞っていた(ただし稀にではあるが、ゲスト出演を行ったり、テレビ朝日の特別番組に出演することもあった)。週刊誌のインタビューについても『報道ステーション』開始後は応じていなかったが、2014年には『AERA』(七月十四日号)の取材に応じている[13]。『報道ステーション』担当後も日本テレビ『おしゃれカンケイ』のみ2005年3月まで出演を継続した(こちらについても『報道ステーション』専念のために降板を示唆し、番組は打ち切りとなった)。
古舘は2006年7月3日放送の日本テレビ『みのもんたの“さしのみ”』へのゲスト出演を最後にテレビ朝日以外での番組出演を、2008年5月6日放送のテレビ朝日『テスト・ザ・ネイション』を最後に『報道ステーション』以外の司会およびバラエティ番組の司会を『報道ステーション』降板後まで行わなかった[14]。
2015年12月24日に『報道ステーション』の降板を発表。これは「現在のキャスター契約期間が同月で満了すること」と、「自ら新しい挑戦をしたい」とする古舘の意思を尊重してのものである[15]。12月24日には降板説明記者会見を開き[16]、「不自由な12年間だった。言っていっていいことと、いけないこと…大変な綱渡り状態でやってきた」「今日もずっとインターネット(の反応)を見ていたら、『古舘降板だってさ。やったぜ!』っていうのがありまして、一番印象に残りました(笑)。『ああ、そういう人はいっぱいいるんだなー』って…そういう人には『よかったですね』と言いたいですし、『育ててくれてありがとう』とも言いたいです」と記者団に向かって快活に答えた[17]
2016年3月31日の放送日を以って、『報道ステーション』を降板。
同年6月1日、恵比寿アクトスクエアで行われた公開トークイベント「微妙な果実〜トーキングフルーツ」で活動再開[18]。
『報道ステーション』降板後初めて応じたインタビューにおいて、今後についてエンターテインメント分野中心の活動を宣言し、2020年夏季オリンピック開会式の実況や紅白司会への再登板を目標として語った。同時に「報道のど真ん中はもうやらないし、やれない」としつつ「いつかニュースのサイドストーリーを扱ったような新しい番組をやりたい」とも語った[19]。また、古舘の『報道ステーション』降板が表明された前年末時点において、『アサ芸プラス』(同年12月31日付)が「古舘が2016年の『第67回NHK紅白歌合戦』の総合司会を狙っているのでは?」と報じていた[20][21]。
同年11月よりフジテレビにて『フルタチさん』、『トーキングフルーツ』を担当することが決定[22]。なお同年7月、10月からのレギュラー番組が一切決まっていないと発言していた[23]。レギュラー番組が中々決まらなかった状況について、女性誌記者が「その原因はテレビ局にとって古舘が高い買い物だと思われてしまったからです」と推測していた[24]。古舘は当初簡単にレギュラー番組は決まると思っていた節もあったという[25]。
人物・エピソード
古舘の独特の語り方は「古舘節」と呼ばれる。
生年月日が1954年12月7日であるが、その約10か月前の同年2月19日は「力道山・木村政彦VSシャープ兄弟」の試合が街頭テレビで放送され、日本中が熱狂した日であった。そのため古舘は父親に「親父はこの日にやったのか?」と訪ねたところ「試合を見たのははっきり覚えてるが、その日にやったかは覚えてない」と言われたという。そのため確定はしていないが、古舘は一応この日を「自分が受精した日」としている[26]。
母親と実姉は喋り達者であり、古舘は喋る隙さえ与えられず無口な少年だった。古舘は小学生になっても人前で喋ることが苦手、朗読の時間は寝たふりをしていた。小学生の頃、健康優良児を目指して食べまくった結果”無口のデブ”になった。いつになっても越えられない優秀な実姉へのコンプレックスから出会ったのがプロレスであり、200名以上のプロレスラーを丸暗記、そこに立ちはだかったのが母親で外国の俳優・女優の名前を全部暗記していた。こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優vsプロレスラ-の記憶勝負、この対決が喋ることへの目覚めだったとしている[27]。
いずれも立教大学の先輩である徳光和夫(元日本テレビアナウンサー)やみのもんた(元文化放送アナウンサー)に憧れてアナウンサーになった。アナウンサー希望で就職活動を始めた頃にNHKの就職試験を受けたことがある。古舘が得意とするユーモア実況の原点は徳光だという。
中学校に上がった古舘はみのに憧れるようになっていた。彼のように喋れるようになりたいと、みのの母校・立教高校を目指し猛勉強、合格を果たした。ある時、みのと会える機会があり「君なら絶対にアナウンサーになれる」と適当にあしらわれた言葉をかけられたが、古舘にとっては人生を左右する一言となる。テレビ朝日内定後、古舘はみのが所属していた文化放送に通い、みののカバン持ちをして彼の技を盗んでいた。
テレビ朝日入社から半年が経過した1977年初夏、古舘はプロレスの実況に大抜擢され、迎えた放送日、テレビから流れる自分の声を聞き、その当時の感動は忘れらないという。
テレビ朝日退社からしばらくした後、偶然にも局アナ時代に世話になった先輩とすれ違うと「お前、絶対に3ヶ月で潰れるからな」と言われた。厳しい一言だったが古舘の糧となり、悔しさをバネに必死に仕事を掴んだとしている[28]。
フリー転身を決めたのは、「自己評価と他者評価の違い」と述べている[29]。
1984年2月11日、前年の引退からの復帰を宣言していた初代タイガーマスクが興したタイガージムのジム開きパーティに、「年来の友情」から、アナウンサーの立場を離れた「個人の資格」で参加し、司会を務めた。ザ・タイガーへの改名や、山崎一夫の新日本プロレス離脱&インストラクター就任などがその場で発表されたのだが、古舘の出席はテレビ朝日でも新日本も問題視しなかった。これは、テレビ朝日退社が既に公然の事実だったのと、「古舘は新日本および猪木に対して不利益なことはしないだろう」という信頼感による部分が大きかった。
1986年1月1日放送のフジテレビ『初詣!爆笑ヒットパレード』でヘリコプター中継を担当。当時のテレビ朝日本社に差し掛かった場面において、「『ニュースステーション』をくれ」と述べた[30]。
実姉のことを幼少時から憧れ、アナウンサーの道に導いてくれたとしている。なお、実姉もアナウンサーを目指していた。
1991年、古舘の実姉が癌で他界する不幸に見舞われた。この時、それまで特に親しくなかった逸見政孝(元フジテレビアナウンサー)は、フリーアナウンサー同士で身内を癌で亡くしたという同じ経験を持つことから古舘にお悔やみの手紙を送った。ここから2人の間に交流が生まれ、逸見が癌で闘病中、古舘が日本テレビ『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を代行している。なお、逸見からは会見前に自身が癌であることを古舘に伝えられていた。告白を聞き、何も言えなかったという。逸見の見舞いにも訪れたとしている[31]。
2012年5月28日、自身の母親が死去した。実姉と同じく癌によるものだった。古舘は母親の入院先は実姉の入院時と同じ病院を選んだ。実姉の癌が発見される前、体調不良を訴えて違う病院で診察を受けていたが、何度通っても返ってくる答えは「大丈夫」という言葉だけで「おかしい」と思ったら別の病院に切り替えたところで癌と分かった。発見が遅すぎたため「最初からその病院だったら姉は死なずに済んだかもしれない」と後悔していたことにもよる。
『報道ステーション』で多忙を極める中、実姉の時以上に、献身的に看病したという。同日夜、『報道ステーション』開始の数時間前に母親は息を引き取り、古舘は番組の打ち合わせ中にこれを局内で聞いたという。このため、実姉の時と同様、仕事で母の最期を看取ることはできなかった。その直後、母親が亡くなってから数時間後に始まった『報道ステーション』の生放送では、いつもと変わらぬ様子で、淡々とニュースを伝えた[32]。
中学時代からの吉田拓郎のファン[33]。拓郎とは自身が司会を務めた『おしゃれカンケイ』(2000年6月18日)で共演した[34]。
THE ALFEEの高見沢俊彦とは親友で、高見沢は古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。「古舘伊知郎のトーキングブルース」のステージで使用する楽曲の提供を毎年行っており、それらをまとめたCDアルバムが発売されている。また、テレビ朝日時代の同期の南美希子も古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。また、『夜ヒット』で司会コンビを組んだ芳村真理(上記の通り、古舘夫妻の結婚式の媒酌人も務めた)や加賀まりこからは「伊知郎さん(または伊知郎ちゃん)」と呼ばれている(ただし両者共にこの呼び名で古舘を呼ぶのは番組出演以外の場のみで番組共演時は主に「古舘さん」の呼称を使っていた)。
叔父は、ラジオ時代の大相撲中継のアナウンサーだった。その叔父に憧れてアナウンサーの道を進んだという[35]。
1994年・1995年の紅白において、両組司会コンビを組んだ上沼恵美子とは、この共演が原因で確執が生じたとされる[36][37]。1996年の紅白における両組司会もこの2人を起用する方向で話が進み、古舘は続投したが、上沼は古舘との確執を理由に拒否したと伝えられている(紅組司会は松たか子に交代)[38]。
2003年、『ニュースステーション』のメインキャスターを務めた久米宏は「後を受け継ぐ古舘さんに何かメッセージありますか?」と記者に尋ねられた際(久米の『ニュースステーション』降板表明会見より)、「いや、番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ」と回答した。これに対し古舘は先述した『AERA』のインタビューで「(久米を)冷たい男だなと思いましたけど」「それから久米さん嫌いになったんですけど」と述べた。その後には「半分は大先輩だと思って尊敬している。半分は嫌いっていうところに落ち着くんだけど」と語った。ただし、その後久米は「いかにつらいか、大変さが手に取るように分かる。(最近は)見ていないけど、無意識のうちに避けているのかもしれない」「自分は家を土台から造った。自由に造って来た。でも、彼はその土台を壊す事をさせてもらえずに、建物を造る様にさせられている。その事に苦労していると思う」と古舘を気遣うコメントをしたことがある[39][40]。
- また、久米は「古舘君をはじめ、かなり人が勘違いしている。僕が『ニュースステーション』でかなりしゃべったというイメージを持っている方が多いんですが、ほとんどのニュースに関して、リード原稿は僕が読んでいたんです。僕が原稿を読んでいる時間が結構あったのを、フリートークだと思い込んで見ていた人がかなり多かった。このぐらいの時間、しゃべらないといけないんじゃないかと、後任者が思い込んだ可能性はあるんです。僕が本当にフリートークで話した時間は、短い時は2秒ぐらいですからね」とも述べている[41]。
2005年4月 - 2016年3月に古舘が『報道ステーション』以外の番組への出演をほとんど行わなかった理由について、テレビ局関係者は「報道キャスターというイメージを守らなければならないなど様々あります。売れっ子である古舘を1番組だけに絞られると、当然、事務所側としては収益が少なくなる。その見返りとしてなのか、事務所が丸々『報ステ』の制作を請け負っている。これは、事務所にとっては大きい。所属事務所の「古舘プロジェクト」は、構成作家など制作陣も抱えていますからね。1回の放送で3000万〜4000万円、事務所に入っているのではないでしょうか。一説には、6000万円という声もあります。ロケからニュース原稿作りまでほとんど事務所所属スタッフを使っていますからね。だから、古舘は他の番組をやる必要がないわけですよ」と語っていた[42]。
『報道ステーション』を受け持った時期の年収は、同番組以外からの物を含めて5億円程度とされる[43]。12年間でのギャラ総額について、本人曰く「世田谷、一等地、50軒位」[44]。
古舘が認める1番の司会者はみのもんたである[45]。また、一目を置いている後輩アナウンサーはTBS所属の安住紳一郎であり、自分に出来ないところを多く見せてくれるとし、『ぴったんこカン・カン』では人気番組にも関わらず冒頭でゆっくり喋り視聴者を焦らす、これは自身にも出来ない調整だという。また、「みのもんたの2世」として名前を挙げているのは宮根誠司で、あざとさは誰にも真似出来ないと話す[46][47]。その他、自身が視聴しているNHK総合テレビ『ニュース シブ5時』のメインキャスターを務めるNHK所属の松尾剛も気になる存在だと語っている[48]。
「夜寝る時最後に思うことは何ですか?」との問いに「明日目が覚めた時には本当に感謝しようと思っている」[49]、「どんな死に際がイイですか?」との問いに「死ぬ時は、自分で小さな声で実況したい」と発言[50]。
2012年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生から1年の節目にあたることから放送された『報道ステーション』特別版のエンディングで、前年末の番組が、福島第一原発が津波で壊れたのではなく地震によってどこかが損壊していたのではないかと追及したことを紹介し、その上で「今回このスペシャル番組でその追及をすることはできませんでした」と語った。さらに、日本には原子力村という村が存在し、産業がない地域が積極的に原発を誘致したと指摘した後、「その根本を徹底的に議論しなくてはいけない。私は日々の『報道ステーション』の中でそれを追及していく。もし圧力がかかって番組を切られてもそれは本望です」などと語ったことをLITERAの田岡尼は「『たんなるパフォーマンスだ』と冷ややかに嗤う者もいたが、それでもあのときの古舘は、プロレスになど持ち込めない“ガチ”勝負を挑んだはずだ」と評価している[51]。
寝る前の1時間だけテレビを観ようという時には面白い番組を観てしまうと寝れなくなってしまうので、CSチャンネルの中から最も興味のない映画を探して観るという。飽きるとルールを知らない囲碁の番組を観るという[52]。
『フルタチさん』初回放送の企画で脳の科学的分析を行ったところ、脳画像診断医の加藤俊徳に、お喋りの中枢と言われる「ブローカ野」が発達していると言われる。同箇所の断面積が通常の2倍あることが明かされ「ブローカ野が筋肉のように発達している」と加藤は述べた。ただ、整理整頓が苦手で方向音痴という分析結果もあることも明かされると、古舘は頷きながら「整理整頓しているうちに何しているか分からなくなる」と弱点も認識しているとした[53]。
報道ステーション関連
『報道ステーション』開始は2004年4月だが、その3年位前から早河が古舘プロジェクトの会長に対し、「『ニュースステーション』の後を古舘でお願いしたい」という打診があった。スポーツ実況やバラエティ番組、「トーキングブルース」等々、娯楽もので生きていきたいという思いからその打診をずっと断っていたが、早河に「自由にあなたの絵を描いて」と言われたため最終的に引き受けた。降板する2年位前に早河に「辞めさせてほしい」と申し出たが、契約があと2年残っているということで、「もうちょっと頑張ってよ」と言われ踏み止まった[54]。
『報道ステーション』のメインキャスター担当時、3年間自身の拘りから「今晩は」の挨拶をしなかった時期がある。この件に関し、視聴者から苦情が寄せられていたが、止めなかったという。しかし、プロデューサーから「いい加減にしてくれ」「もう無駄な拘りは止めてくれませんか」と怒られたため、それ以降態度を改め、挨拶をするようにしたと話している[55]。
『報道ステーション』時代、視聴者から毎日自身のもとへ100件以上の電話・メール(本人曰く「95%以上が誹謗中傷」)が寄せられ、それら全てに目を通していることを明かしていた。古舘は「そりゃ傷つくよ、メッタ打ちされるからな」と言いつつも、そんな心ない声にも「強烈な俺のファンじゃないか。ありがとうありがとうって無理矢理言い聞かせる」と発言[56][57]。新聞6紙(朝日・読売・毎日・産経・東京・日経)を購読・熟読していたとも話している[58]。なお、『報道ステーション』時代、毎日息苦しい思い(鬱憤が溜まったとも)をし、帰宅は2・3時頃だったことも明かす[59]。
古舘がニュースに対し個人的見解を述べるスタイルについても賛否あり、本人は「『お前の意見なんて聞きたくない』『ただニュースを淡々とやれ』と言われ続け、悪戦苦闘してきました。意見をちょっと言って引っ込めたり、引っ込め過ぎだと思って言ったりする『アコーディオン状態』に疲れた面もあります」と語っている[60]。
『報道ステーション』時代末期では、各メディアで古舘の降板説が書き立てられていた(同時にテレビ朝日の早河会長との不仲説も囁かれた)。合わせて(正式降板発表後の報道も含めて)、後任候補には富川や宮根誠司、羽鳥慎一、みのもんた、池上彰、橋下徹、前任者(前番組司会者)・久米宏、さらに一部週刊誌ではTBSの現職アナウンサーにも関わらず古舘降板時(2016年3月末)にTBSを電撃退社し、同年4月からフリーになり、『報道ステーション』のキャスターに就任するという記事が出た安住紳一郎の名前までが挙げられる等、数々の名前が挙げられていた[61][62]。古舘は2014年の「トーキングブルース」で降板説や後任と噂された宮根や羽鳥の存在に言及し、「誰が辞めるかっつうんだよ、ホントにバカヤロー!」とぶちまける一幕もあった[63]。
古舘最後の出演となる2016年3月31日放送の『報道ステーション』では、番組終盤に約8分間に渡って視聴者に向けて挨拶した。古舘は降板理由について「窮屈になってきました」と明かした上で「自分なりのしゃべりや言葉で皆さんを楽しませたいというわがままな思いが強くなった」と告白。続けて「巷でですね、何らかの圧力がかかってやめさせられるということでは一切ございません。それが真相です」と安倍政権や放送法遵守を求める視聴者の会からの圧力を否定する主張をした。また、朝日新聞5月31日朝刊では「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある」と述べている。また、古舘は自身の報道姿勢について「空気は一方向に流れがち。だから、誰かが水を差さなければならない」という、コメンテーターとして『報道ステーション』に出演していた中島岳志が、かつて番組内で述べた文言を引用した上で「人間は少なからず偏っている。情熱を持って番組を作れば多少は番組は偏るんです」とそれらの報道姿勢を貫いた自身の理念を説明した上で、最後は「人の情けに掴まって、折れた情けの枝で死ぬ。浪花節だよ人生はの一節です。死んでまた再生します。みなさん、本当にありがとうございました!」と深々と頭を下げ12年のメインキャスター生活のピリオドを打った。
古舘は『報道ステーション』を担当したことについて新聞記者出身だった筑紫哲也、岸井成格と比較し「外交、政治、経済にくわしくもない、ど素人が、重い任を背負ってしまった」と述べている[64]。
自身のメインキャスター就任が決まった際、前任者の久米から冷たい対応をされた時とは対照的に、自身の後任の富川に対しては、過去の仕事ぶりを褒め称え、視聴者にも「よろしくお願いします」と呼びかけたり、「悩んだ時は相談してほしい」など、熱いエールを送った[65]。その一方で富川が司会を担当している『報道ステーション』については「時折見ている」としており毎日見ているわけではないことを述べ、その理由として「嫌な突っ込みじじいになっちゃうから」と述べている[64]。なお富川とは、その後も交流を続けている[66]。
全ての原稿を自らチェックして、オンエア直前にニュースを差し替えることも日常茶飯事で、30秒程度のストレートニュースすら気に入らなければ変更していたという[67]。
『報道ステーション』降板後、じっとしていることが耐えられずまず映画を立て続けに30本拝見し、12年間ずっと新聞を読み、本も読んでいなかったので本も読んだが、3週間で不安になり喋りたくなったと話した[68]。当初は半年から1年程休養しようとも思っていた[69]。
同年10月にはラジオではあるが、毎週第4金曜日にニッポン放送『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』がスタートするにあたり、古舘は「なんと金曜夜10時から生放送!! ヤバイ!! 『報道ステーション』の裏だ」と話し、「ならば、ラジオブースの小さなモニター画面で生放送中の『報ステ』を観ながら、ニュースを伝えることから始めよう!! 『今、TVを観ている人は、音声多重でオレのラジオ聴いて!!』『今、ニッポン放送を聴いているリスナーは『報ステ』の画面だけつけて!!(音声なしで!!)。富川アナごめん!』これこそ、ラジオ・テレビの融合。ウィンウィンの関係だ」と笑いを交えながら語った[70]。
その『オールナイトニッポンGOLD』初回放送で「『報道ステーション』に戻りたい気持ちになることがある」と発言した[71]。
同年10月3日放送の『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』スペシャルにゲスト出演、『報道ステーション』降板以来のテレビ朝日出演を果たしている[72]。
『報道ステーション』降板後、その裏番組『しゃべくり007』(日本テレビ)に初出演(同年10月31日放送)した際、『しゃべくり007』の存在が「嫌だった」と語った[73][74]。
出演・作品
テレビ番組
司会・実況
- ワールドプロレスリング(テレビ朝日系)1977年 - 1987年
- 競馬中継(テレビ朝日)実況
- おはようテレビ朝日(テレビ朝日)1981年4月 - 1982年3月
- アフタヌーンショー(テレビ朝日) 事件レポーター
- 夢のビッグスタジオ(テレビ朝日)1982年 - スケジュール多忙を理由に別撮りとなった西田敏行に代わって、タモリとともに司会となるも、数回で打ち切りに
- 爆笑!!ドットスタジオ(テレビ朝日)1982年10月 - 1983年6月
- 輝け!第13回日本歌謡大賞(テレビ朝日) - 1982年11月17日 審査会場リポーター
- ぶったま!ピープー(テレビ朝日)1983年 - くりそつオナゴプロレス実況
- スポーツ宝島(テレビ朝日) 1984年4月 - 1984年6月
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ系)1984年10月 - 1987年9月 ※木曜日担当「撃突!たべるマッチ」コーナー
- 笑っていいとも!増刊号(フジテレビ系)同上
- アッコ・古舘のゆうYOUサンデー!(TBS) 1984年10月 - 1985年3月
- アッコ・古舘のアッ!言っちゃった(TBS) 1985年4月 - 1985年9月
- アッコにおまかせ!(TBS系) 番組開始当初
- 夜のヒットスタジオDELUXE→夜のヒットスタジオSUPER(フジテレビ)司会・1985年10月 - 1990年10月3日
- どっちDOTCH!(よみうりテレビ・日本テレビ) 1986年2月 - 1986年6月
- スポーツUSA(テレビ朝日)1985年? - 1987年
- オシャレ30・30(日本テレビ) 1987年1月 - 1994年6月
- おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴(フジテレビ)披露宴総合司会・1987年6月12日
- FNS歌謡祭(フジテレビ) 1987年 - 1989年
- クイズこれはウマい!(TBS)1988年4月 - 1989年3月
- 地球発19時(TBS)1988年4月 - 1991年9月 ※不定期出演
- とれんでぃ9(テレビ朝日)1988年10月 - 1988年12月
- JOCX-TV2・AUTO倶楽部(フジテレビ)1988年
- フジテレビF1中継 1989年 - 1994年
- F1ポールポジション(フジテレビ) 1989年 - 1994年
- クイズ!世にも不思議な逆回転(フジテレビ) 1989年5月 - 1990年3月
- TV PLUS PRESS(フジテレビ) 1990年4月 - 1991年3月
- ニュースフロンティア(テレビ朝日) 1991年4月 - 1992年3月
- ゲーム数字でQ(NHK総合テレビ) 1991年4月 - 1993年3月
- Goodジャパニーズ (TBS) 1992年4月 - 1992年9月
- MJ -MUSIC JOURNAL-(フジテレビ)司会・1992年10月 - 1994年3月
- プロ野球ニュース(フジテレビ系) 1993年 F1担当、月曜日
- クイズ日本人の質問→新・クイズ日本人の質問(NHK総合テレビ) 1993年4月 - 2003年3月
- NHK紅白歌合戦(NHK)白組司会1994年 - 1996年
- クイズ悪魔のささやき(TBS)1994年5月 - 1996年5月
- オールスター感謝祭(TBS)1994年秋 - 1995年春、94秋では30万円、95春では100万円獲得。
- おしゃれカンケイ(日本テレビ) 1994年7月 - 2005年3月
- クイズ赤恥青恥(テレビ東京)1995年 - 2003年
- 筋肉番付→体育王国(TBS) 1995年 - 2003年
- ニュースの女王決定戦(日本テレビ) 1995年
- 制作費100億使い切り特番! 世界最高 超豪華ゲーム!100万$の選択! THE BET(日本テレビ) 1995年、1996年
- 輝く日本の星!(TBS)1996年5月 - 1997年3月
- しあわせ家族計画(TBS)1997年4月 - 2000年9月
- オフレコ!(TBS)2000年10月 - 2002年9月
- 特別競輪決勝戦中継(テレビ東京)1998年 - 1999年
- 世界水泳/2001福岡&2003バルセロナ 特別実況(テレビ朝日)
- 国民クイズ常識の時間→クイズ!常識の時間!!→ジョーシキの時間2(日本テレビ)2002年10月 - 2004年3月
- どうにも語タク族(TBS)
- 最大公約ショー(MBS・TBS)
- スーパークイズスペシャル(日本テレビ)1997年春・1998年春・1998年秋
- SASUKE(TBS)実況
- 最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦(TBS)
- 生命38億年スペシャル・人間とは何だ!?(TBS・2年に1回)1997年、1999年、2001年、2003年
- 第4学区(フジテレビ)
- 親知らずバラエティー 天使の仮面!!(朝日放送・テレビ朝日)
- そんなに私が悪いのか!?(テレビ朝日)
- サタッぱち 古舘の日本上陸(テレビ朝日)
- サタッぱち 古舘の買物ブギ!!(テレビ朝日)
- 古舘伊知郎流シネマの見方 サイダーハウス・ルール映画「サイダーハウス・ルール」紹介(2000年7月1日、テレビ東京)
- スイスペ!「古舘伊知郎 The Interview」(2003年5月7日、テレビ朝日)[75]
- 和田アキ子歌手35周年オールスター祝賀会!(2003年10月25日、TBS)[76]
- F1ドライバー・アイルトン・セナ緊急追悼特番(フジテレビ、司会)
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ 逸見政孝の代理司会)
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日、バイク事故で休養していたビートたけしの代理司会)
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(フジテレビ)
- 初詣!爆笑ヒットパレード(フジテレビ系)
- テスト・ザ・ネイション(テレビ朝日、2003年 - 2008年、2006年を除き、年1回放送)
- 報道ステーション(テレビ朝日系、2004年4月5日 - 2016年3月31日[77][78])
- 選挙ステーション(テレビ朝日、衆議院選挙もしくは参議院選挙実施時に放送)
- テレビ朝日開局50周年記念 特別番組 〜地球危機2008〜(テレビ朝日、2008年)
- 氷室京介 WOWOW SPECIAL〜DOCUMENT OF LAST GIGS〜(WOWOW、2016年6月26日、ナレーション)
- 人名探究バラエティー古舘伊知郎の日本人のおなまえっ!(NHK総合、2016年8月25日) - 司会 [79] ※『報道ステーション』降板後、初の司会担当番組。
- フルタチさん(2016年11月6日 - 2017年9月17日[80]、フジテレビ) - MC [81]
- トーキングフルーツ(2016年11月9日 - 2018年3月21日、フジテレビ) - MC [81]
- 古舘がニュースでは聞けなかった10大質問!!だから直接聞いてみた(TBS、2016年11月9日) - 司会
- 古舘トーキングヒストリー〜忠臣蔵、吉良邸討ち入り完全実況〜(テレビ朝日、2016年12月10日) - MC・実況
- 華麗なる雑談〜古舘とジュニアと◯◯〜(テレビ東京、2016年12月24日) - MC
- 古舘伊知郎ショー(テレビ朝日、2017年3月18日・12月23日) - MC
- 阿修羅 1300年の新事実(NHK総合、2017年3月23日)
- 人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! → ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!(NHK総合、2017年4月6日 - ) - 司会
- おしゃべりオジサンと怒れる女→おしゃべりオジサンとヤバい女(テレビ東京、2017年4月15日 - ) - MC
- モノシリーのとっておき〜すんごい人がやってくる!〜(フジテレビ、2017年11月3日 - ) - MC[80]
- 大谷翔平 超解剖!スペシャル(NHK総合、2018年3月30日) - MC
テレビドラマ
- 暴れん坊将軍II 第22話「十手を下さい お奉行様!」(1983年、テレビ朝日) - 与力 役
- 意地悪ばあさん GO!GO!!ハワイの巻(フジテレビ系、月曜ドラマランド)1984年10月
- ヨイショ君(フジテレビ系、月曜ドラマランド)1985年5月 ※初の主演作
- 制作2部青春ドラマ班 (1987年、テレビ朝日)
- ドラマ23「殺したい女」(TBS系)1988年3月
- ゴリラ・警視庁捜査第8班 第1話「ポリス・アドベンチャー」(1989年、テレビ朝日) - 番組解説
- 君の名は(NHK連続テレビ小説)1991年4月 - 1992年3月 - 本間定彦 役
- 豆腐プロレス(2017年1月22日 - 7月2日、テレビ朝日) - 古舘伊知郎(本人役)
コマーシャル
- 840(ハ・シ・レ)フォワード(1985年、いすゞ自動車)
- そうめんつゆ(1985年頃、キッコーマン)
- キャプテンシステム(1985年頃、NTT)
- サモン内服液(1987年、大正製薬)
- メガネスーパー(1987年 - 1995年)
- JIVE (1989年、キリンビバレッジ)
- EWS4800 (1992年、NEC)
- トレビーノ(1993年 - 2000年、東レ)
- ホンダプリモ店・F1キャンペーン(1994年 - 1996年頃)
- 細打名人(1994年、ハウス食品、高橋英樹と共演)
- フロンティア・ピュア(1996年、JT)
- 新三共胃腸薬((現第一三共胃腸薬)2000年 - 2002年、三共(現第一三共ヘルスケア))
- 競輪
- ティーエスキュービックカード(2001年 - 2003年、トヨタファイナンス(トヨタグループ))
- ソフトバンク CM 白戸家「友達来る(玄関)」篇、「友達来る(リビング)」篇
- ソフトバンク CM 「スポナビ強化篇(B.LEAGUE)」篇(2016年、ソフトバンク、ナレーション)
- ソフトバンク CM 白戸家「ピンボール」篇(2016年、ソフトバンク)
- ソフトバンク CM 白戸家「ゴジラ実況中継」篇(2016年、ソフトバンク)
- ソフトバンク CM 白戸家「ゴジラ中継」篇(2016年、ソフトバンク)
ラジオ番組
- 古舘伊知郎の赤坂野郎90分(TBSラジオ)
- 古舘伊知郎 フル・タッチ歌謡曲(ニッポン放送)
- 不二家歌謡ベストテン(ニッポン放送)
- 銀座音楽祭(ニッポン放送)1985年司会
- 古舘伊知郎のパワフルタッチのまるごと遊ビジョン(ニッポン放送)
- 古舘伊知郎の独占!オールニッポンヒット歌謡(ニッポン放送)
- フルフルサタデー 古舘伊知郎のどきどきモンスター(ニッポン放送)
- 古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD (2016年10月21日 - 、ニッポン放送) - パーソナリティー
舞台
- 「トーキングブルース」(1988年 - 2003年、2014年)
- 「トーキングフルーツ」(2016年)
映画
- ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団(1984年松竹)
- ウルトラマンと怪獣の名勝負を実況中継
- 「スウィートホーム」(1988年東宝 監督/脚本:黒沢清)
アニメ
- ウォナビーズ(1986年) - 実況アナウンサー役
書籍
- 過激でどーもすいません(全国朝日放送、1984年3月。ISBN 488131050X)
- おぉーっと!掟破りの言いたい呆題(全国朝日放送、1984年9月。全国書誌番号:85040780、OCLC 673424679。)
- 晴れた日には、会社をやめたい(扶桑社、1986年7月。ISBN 4893530992)
- くちびるにガムテープ(日本文芸社、1989年10月。ISBN 4537021527)
- 喋らなければ負けだよ(青春出版社、1990年5月。ISBN 4413015266)
- えみちゃんの自転車 -最愛の姉をガンが奪って(集英社、1991年9月。ISBN 4087482162)
- 新説 F1講座(勁文社、1991年10月。ISBN 4766915089)
- 母なる映画・父なるビデオ(講談社、1997年10月。ISBN 4062089181)
- 第4学区(集英社インターナショナル、2000年9月。ISBN 4797670185)
- そして世界は狂いはじめた(新潮社、2001年12月。ISBN 4104496014)
- 記憶がウソをつく!(扶桑社、2002年10月。ISBN 4594037453)
- 日本語 息・活・粋 -7時間ぶっとおしトーク・ライブ!(小学館、2003年2月。ISBN 4093874301)
- ハシモトシノブ人〜言語思考回路の車線変更(ワニブックス、2004年3月。ISBN 4847015460)
レコード・CD
- 「燃えろ!吼えろ!タイガーマスク」(RCA 1982年8月、初代タイガーマスク入場テーマ曲)
- 「大過激」(CBSソニー 1984年11月1日)
- 「男と女のはしご酒」(CBSソニー 1987年11月21日、伍代夏子とデュエット)
- 「おまえがいれば」(日本コロムビア 1994年11月21日)
- ハウス食品「細打名人」CFイメージソング 作詞は秋元康。
- 「魔笛-まほうのふえ」(東芝EMI 1998年12月9日)
- 朗読を担当。台本は如月小春。
漫画原作
光文社の漫画雑誌ジャストコミックで、以下の連載の原作を手がけた。
- 『おーっとフル・タッチ』(作画・小林よしのり 1984年) 古舘の自伝・兼・プロレスラー列伝的なエッセイ漫画。
- 『スープレックス山田くん』(作画・国友やすゆき 1985年) 当時新日の若手だったあるレスラーを主人公とした漫画。架空の女性記者との恋愛が描かれるなど、フィクション色が強い。
古舘語録
自らの実況スタイルを「亜流」と称するように、数々のキャッチコピーを編み出した。あらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨んでいる。特に地方会場からの実況の場合を中心に、その土地にちなむ歴史、偉人、産業などの紹介をしそれを登場しているプロレスラーや技などにこじつけて実況するのも古舘流。特にCMに入る前に話す「この番組は金太郎の足柄山で有名な南足柄市市立体育館より実況生中継でお送りしております」などは恒例。
また、新日本プロレスがメキシコ遠征した際、『ワールドプロレスリング』で何試合も連続して実況を担当した古舘は、高地であるメキシコ特有の暑さと息苦しさも手伝ってハイな状態となり、この時一度だけプロレス実況における「恍惚の極みに達した」と語っている。
プロレスやF1の実況ではレスラーやドライバーのキャッチコピーに『顔面』というフレーズを多用していた。
(例)F1ドライバーミハエル・シューマッハを「顔面三浦半島」、デーモン・ヒルを「顔面ジョージ・ハリスン」等
ワールドプロレスリング
- レスラー
- アンドレ・ザ・ジャイアント - 「1人というにはあまりにも巨大すぎ、2人というには人口の辻褄が合わない!」「人間山脈」「ひとり民族大移動」「太平洋をひとまたぎ」「現代のガリバー旅行記」「戦うギネスブック」「2階からのヘッドバット」
- ハルク・ホーガン - 「超人」「現代に甦ったネプチューン」「美しき殺人兵器」
- 藤波辰巳 - 「リアーチェのブロンズ像の様な肉体(均整の取れた筋骨隆々の肉体から)」
- ダイナマイト・キッド - 「爆弾小僧」「カミソリファイター」
- デイビーボーイ・スミス - 「筋肉の終着駅(これ以上の筋肉の隆起は無い→終着点)」
- キングコング・バンディ - 「マシュマロマン」「戦うひよ子のお菓子」「戦う白ナガスクジラ」
- 前田日明 - 「スパークリング・フラッシュ」「キックの千手観音」「黒髪のロベスピエール」「肉体のローマ式戦車」「UWFの危険な太もも」
- 高田延彦 - 「わがままな膝小僧」「地獄のタップダンサー」「UWFのジェームズ・ディーン」「青春のエスペランサ」「殺戮微熱青年」
- ブルーザー・ブロディ - 「インテリジェンス・モンスター(元新聞記者という経歴と独自のプロレス哲学を持つことから)」「マンハッタン・ターザン」
- ディック・マードック - 「テキサススーパーロデオマシーン」「ビッグ・テキサン」「牛殺しテクニック」
- 長州力 - 「革命戦士」「(長髪から)由井正雪を彷彿とさせる」「放浪の若志士」
- 越中詩郎 - 「人間サンドバッグ」「戦う起き上がり小法師」「戦う七転び八起き」「戦う七転八倒」「紺屋の白袴」
- 藤原喜明 - 「問答無用の仕事師」「UWFのカダフィ大佐」「UWFの辻斬り喜明」「顔面ダルマ大師」「顔面リアス式海岸」
- 橋本真也 - 「闘う渡辺徹」
- 木村健悟 - 「稲妻戦士」
- ブラック・タイガー - 「暗闇の虎」「漆黒の虎」
- ローラン・ボック - 「地獄の墓掘り人」
- 木戸修 - 「いぶし銀のポーカーフェイス、今日も髪型が決まっています」
- ラッシャー木村 - 「テトラポッドの美学」「崖っぷち部隊のドン」
- アニマル浜口 - 「斬り込み隊長」
- 寺西勇 - 「哀愁のオールバック」
- エル・カネック - 「アステカのならず者」
- 藤田和之 - 「闘魂一番搾り」
- ジョージ高野 - 「褐色の貴公子」「謎のアストロノーツ」
- マシーン軍団 - 「増殖マシン軍団」「戦う金太郎飴軍団」
- 若松市政 - 「地獄の御茶ノ水博士」 「悪のおせっかい」「悪の正太郎君」「悪の羊飼い」
- クラッシャー・バンバン・ビガロ - 「刺青獣」「ビア樽モンスター」
- 2人がかりの攻撃 - 「地獄のツープラトン」「地獄のランデブー」「太鼓の乱れ打ち」
総合格闘技
- 吉田秀彦 - 「青畳の柔道戦士」「玉砕の金メダリスト」「内股ハリケーン」「立ち技コレクション」「寝技の福袋」
- ボブ・サップ - 「青梅のような脳天」「地球規模のタイマン勝負」「ひとり定員オーバー!」「無類の強さはIQの高いゴリラ!無類の可愛さ愛嬌は陸上のタマちゃんか!」「銀行のATMまで破壊するショベルカー」「この肉体は輸入禁止だ!戦うワシントン条約違反だ!」「筋肉の二世帯住宅」
- ジェロム・レ・バンナ - 「筋肉のワインセラー」
- アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ - 「リオの絞め殺し屋」「皆殺しのサンバ」「リオの関節カーニバル」
- 安田忠夫 - 「闘う人間ドキュメンタリー」
- ミルコ・クロコップ - 「格闘処刑人」「蹴りの24時間営業」「クロアチアの首都ザグレブに身重の新妻を残しての闘いだ!まさに闘う出稼ぎ!蹴りの単身赴任」「素足の辻斬りマフィア!」「クロアチアのかまいたち」[82][83]
F1
- ドライバー
- アイルトン・セナ - 「音速の貴公子」「白昼の流れ星」「風の中の貴公子」「ポールポジションの狩人」「生まれついてのポール・シッター」「コクピット内の千手観音」「音速の失恋レストラン」「セナはセナの持ち腐れ状態」「パワード・バイ・ホンダ、スピリット・バイ・セナ」
- アラン・プロスト - 「プロフェッサー」「勝ちゃあいいんだ走法」「微笑み黒魔術」「F1詰め将棋」「カルタ取り名人」「F1勝利の方程式」「偏差値走法」「起承転結走法」「チャート式F1」「タイヤに優しく、風と仲良し」「チェックメイト理論」「腕前はフランス四星レストラン」「クルマに優しいヌーベル・キュイジーヌ走法」「つかず離れず走法」「プロストのシフトレバーはアイスピックでできてますから」「F1時事放談」「毒舌フルオートマ」「リスクマネジメントの帝王」
- ナイジェル・マンセル - 「荒法師」「暴れん坊将軍」「オレを誰だと思ってるんだ走法」「人間ドーベルマン」「パッシングの帝王」「チェッカーの狩人」「マンセル風と共にぶっちぎりで去りぬ」「雄叫びヒットマン」「UFOに乗った原始人」「走るアドレナリン」「命知らずの切り込み隊長」「逆噴射男」「ライオン」「ライオン丸」「ライオン・ハート」「ライオン・リターン」「インディの鬱憤晴らし」「帰ってきたブルータス」「アメリカからの逆移民」「戦慄のライオンキング」「懐かしの一人ウッドストック」「デジタル世代に唯一のアナログドライバー」
- ゲルハルト・ベルガー - 「地獄からの帰還兵」「第二のニキ・ラウダ」「私生活のワールドチャンピオン」「女好きのチロリアン」「スピードと快楽のシンドバット」「F1界のエロティカ・セブン」「運転手はセナ、車掌はベルガー」「横断歩道は気をつけて渡ってもらいたい」
- アンドレア・デ・チェザリス - 「サーキットの通り魔」「犬も歩けばチェザリスにあたる」「走る解体屋」「スピードのセクハラ男」「人間スクラップ工場」「ローマの野良犬」
- ネルソン・ピケ - 「スピードと女の漂流者」「自由人」「華麗なる住所不定男」「世界一のホームレス」
- ネルソン・ピケ&ロベルト・モレノ - 「F1ランバダ・ブラザーズ」
- リカルド・パトレーゼ - 「史上最強のセカンドドライバー」「錆びない鉄人」「サーキットの皆勤賞男」「ミスター・セカンドドライバー」「二百戦練磨」「史上最強の脇役」「F1勤労感謝の日」「走る局アナ」「F1界の村田兆治」
- ミハエル・シューマッハ - 「ドイツ自動車王国の申し子」「背後霊はメルセデスベンツ」「ターミネーター」「F1ティラノサウルス。凶暴なまでの走り」「一人恐竜戦隊」「一人電撃部隊」「一人忍者戦隊カクレンジャー」「人間ユンケル、走るリポビタンD」「F1ドラゴン」「史上最強の若僧」「機動戦士シューマッハ」「ワイルドセブン」「出る杭は打たれ強い」「顔面ケルン大聖堂」「顔面大倉山シャンツェ」「顔面ロマンチック街道」「顔面ザウス」「顔面アウトバーン」「顔面三浦半島」
- 中嶋悟 - 「納豆走法」「粘り納豆走法」
- 鈴木亜久里 - 「ネオジャパネスク」「F1日本大使館、走るJISマーク」「F1エキゾチック・ジャパン」「日本のスピード・ボーイ」「走る有言実行男」「不屈のポジティブシンキング」
- 片山右京 - 「張り子の虎走法」「F1一寸法師」「しゃかりき右京」「赤べこ走法」「サーキットの伊能忠敬」「日大三高が生んだヒーロー」
- 鈴木利男 - 「究極のソース顔」「ソース顔の38歳」「顔面グループサウンズ」「プロストと同い年の新人」
- 野田英樹 - 「F1受験生」
- 井上隆智穂 - 「F1駅前留学」
- デイモン・ヒル - 「才能の遺産相続人」「親はなくとも子は走る」「守護霊走法」「上底の栄光」「顔面ジョージ・ハリスン」
- マイケル・アンドレッティ - 「顔面ビッグマック」「顔面オーバルコース」「走るマクドナルド」「一人インディ」
- ジャンニ・モルビデリ - 「F1界の伊達男」「イタリアのトビウオ」「イタリアのバイク少年、あこがれのブランドはモルビデリ」
- ルネ・アルヌー - 「妖怪通せんぼジジイ」
- ミケーレ・アルボレート - 「走るロマンスグレー」「F1現役博物館」「F1若年寄」「目を閉じれば瞼の跳ね馬」
- ティエリー・ブーツェン - 「振り向けばブーツェン」「忘れたころのブーツェン」「F1パイロットの生徒会長」「優しき大木」「コンクリート走法」
- ジャン・アレジ - 「サテライトクルージング走法」「道は星に聞け」「フェラーリをロデオする男」「紅のミケランジェロ」「フェラーリストレス王」「アビニョンのハマコー」「一人ダイ・ハード」「ラテン快楽走法」「ベータ・エンドルフィン走法」「怒りのタバスコ走法」
- ミカ・ハッキネン - 「走る一人ウィーン少年合唱団」「サンタクロースの国からやって来たF1優等生」「空飛ぶフィンランド人」「北欧の貴公子」「顔面白夜」「男セーラームーン」
- ジョニー・ハーバート - 「サーキットの大道芸人」「F1ひょうきん男」「栄光のたらい回し」
- ミカ・ハッキネン&ジョニー・ハーバート - 「F1ライト兄弟」
- マーティン・ブランドル - 「パドックに敵なし」「F1ダークマン」「F1公務員」「F3時代はセナの影法師」「走る万年副操縦士」「走る新橋のサラリーマン」
- マーク・ブランデル - 「顔面バッキンガム宮殿」「走るビッグベン」「イギリスのセントバーナード」「サーキットの武道派」
- マーティン・ブランドル&マーク・ブランデル - 「F1界の峰竜太と竜雷太」「F1界の柏原芳恵と榊原郁恵」「マーティン・ブランドルとマーク・ブランデル。実況アナウンサーをバカにしてるのか」
- エディ・アーバイン - 「走るイエローカード」「一人IRA」「F1テロリスト」「情緒不安定男」「F3000魂も怖いものがあります!!」「スピードの逆輸入」「イギリスの駐日大使」
- デレック・ワーウィック - 「F1界の二谷英明」「走る英国屋」「年代物のプレミアム走法」「骨太イギリス人」
- アレッサンドロ・ザナルディ - 「ザナルディ。この男は要注意人物」「走る二重人格」「イタリアの火薬庫」「ロータスのデンジャラス系」「横浜中華街のようだ」
- クリスチャン・フィッティパルディ - 「F1貴花田」「顔面トム・クルーズ」「顔面フェロモン」「F1華麗なる一族」
- J.J.レート - 「北欧の暴走族」「走るプレッピー野郎」「かっとびレート」
- アレックス・カフィ - 「F1界の加勢大周」
- ステファノ・モデナ - 「シャイなイタリアン」「根暗なイタリアン」
- ピエルルイジ・マルティニ - 「ミスター・ミナルディ」「プチ・プロスト」「地中海のファイター」
- アレッサンドロ・ナニーニ - 「顔面エスプレッソ」「イタリアの彦星」「走るメンズ・ノンノ」
- イヴァン・カペリ - 「レイトンの天才トムソーヤ」
- マウリシオ・グージェルミン - 「不死身のマッチョマン」「F1界のトライアスリート」
- オリビエ・グルイヤール - 「周回遅れの天才ブロッカー」「ミラーを見ない男」「妖怪油すまし」「シャンゼリゼのストリートキング」
- ファブリツィオ・バルバッツァ - 「F1北京原人」「素顔の獅子舞」
- ガブリエル・タルキーニ - 「F1お祭り男」「スパイダーマンが好きで、ヘルメットのカラーリングにしてしまうあたりがいかにもF1ドライバーらしいところ」「F1界の松山千春」
- ジョナサン・パーマー - 「フライング・ドクター」
- ジョバンナ・アマティ - 「F1小町」「動くシケイン」
- 関係者
- ロン・デニス - 「F1界のドリー・ファンク・ジュニア」
- フランク・ウィリアムズ - 「車椅子の闘将」「F1界の星一徹」
- フラビオ・ブリアトーレ&トム・ウォーキンショー - 「F1界のポパイとブルート」
- チェーザレ・フィオリオ - 「マラネロの仕事人」「跳ね馬の調教師」
- ジョン・バーナード - 「ハイテク・ミケランジェロ」「F1界の丹下健三」
- ジャン・トッド - 「戦うテディベア」
- ギ・リジェ - 「政治力大魔王」
- ケン・ティレル - 「顔面厳窟王」「熟年ガリバー」「サーキットの足長おじさん」
- 後藤治 - 「ホンダの戦う係長」
- チーム・エンジン
- ウィリアムズ・ルノー - 「走るドーバー海峡」「F1軍事大国」「最強のアングロ・ラテン同盟」
- スクーデリア・フェラーリ - 「情熱のラテン民族同盟」「人間万事塞翁が跳ね馬」
- ベネトン - 「極彩色のスタイリスト」「走る熱帯魚」
- チーム・ロータス - 「彷徨える名門」「ラクダを失った砂漠の旅人」
- ホンダ - 「青山一丁目の伝説」
- レイトンハウス - 「走るワンレン・ボディコン」
- コローニ - 「水平対向エンジンで対抗する、スバルコローニ!」
- ミナルディ・フェラーリ - 「フェラルディ」
- ダラーラ(スクーデリア・イタリア) - 「ムラっ気の飛ばし屋軍団」「跳ね馬の金看板を背負ったからには、周回遅れは許されない!!」
- シムテック - 「未確認走行物体」「F1インディーズレーベル」
- その他
- 今宮純 - 「F1界のおりも政夫」
- 森脇基恭 - 「F1界の若大将」
- ピットクルー - 「オイルまみれのギャルソン」「サーキットの岸壁の母」
- アクティブサスペンション - 「音速のかに道楽」
- 鈴鹿サーキット - 「音速の一本道」「胸突き八丁130R!」
音楽番組
夜のヒットスタジオ
1985年10月より、長年司会を担当した井上順の後を受け、4代目の芳村真理のパートナーとして『夜のヒットスタジオ』の司会に参加。プロレス・F1中継などでの「ワンフレーズ」の手法をこの番組の司会でも多用した。
報道番組
メインキャスターを務めた報道番組に、『ニュースフロンティア』と『報道ステーション』がある。
報道ステーション
2004年4月5日から、『ニュースステーション』の後継番組としてスタートした『報道ステーション』の初代メインキャスターを担当。テレビ朝日および『ニュースステーション』を制作していたオフィス・トゥー・ワンは『報ステ』を『Nステ』と全く関係のない別番組としており、制作会社も古舘の所属事務所である古舘プロジェクトに変更になっている(古舘降板後、古舘プロジェクトは同時間帯の報道番組の制作から撤退している)。
脚注
- ↑ 「古館伊知郎」と表記される場合もあるが、正しくは「古舘伊知郎」(より正しくは、冒頭の注意書きの通り舘でもなく、偏が舎で旁が官)である。ただし、新聞ラ・テ欄などは字体の規制があるため前者の表記をする。また、読みは「ふるたて」でも「ふるだち」でもない。
- ↑ 古舘氏『報ステ』降板へ 偏向報道を指摘する声も 後任候補はだれ? (2/2ページ),ZAKZAK,2015年12月24日
- ↑ 『読売新聞』1994年11月17日付
- ↑ 古舘伊知郎 「報ステ」降板の真相は妻が突きつけた離婚届,NEWSポストセブン,2016年1月14日
- ↑ 爆問・太田、古舘伊知郎の褒め言葉を“無意味化”「小学生の吉田さん状態」,Sponichi Aneex,2016年9月18日
- ↑ 『フルタチさん』2016年11月13日放送分。
- ↑ 古舘伊知郎トーキングブルース2014
- ↑ テレビ朝日番組サイト
- ↑ BS朝日番組サイト
- ↑ “古舘伊知郎 トーキングブルース”. テレビ朝日. 2014年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
- ↑ 俺の後釜がミヤネ? 冗談じゃない! 古舘伊知郎が鬱憤ぶちまけた,LITERA,2014年12月20日
- ↑ 古舘は『ニュースステーション』にゲスト出演歴がある。
- ↑ 古舘伊知郎が懺悔告白“テレビはウソしか伝えていない”,LITERA,2014年7月15日
- ↑ 古舘伊知郎がNHKで13年ぶり司会 8・25放送,日刊スポーツ,2016年7月25日
- ↑ 古舘伊知郎キャスター「報ステ」降板へ 来年3月いっぱいで(Sponichi Aneex2015年12月24日 同日閲覧、古舘キャスター「報ステ」降板 テレ朝慰留も「新しいジャンルに挑戦を」出典・閲覧日同左
- ↑ この会見はテレビカメラを一切入れない体制となった([1],マイナビニュース,2015年12月25日)。
- ↑ (1)報道ステーション「不自由な12年間だった」産経新聞2015.12.24
- ↑ マシンガントークで2カ月ぶり活動再開 「俺のしゃべりを聞いてほしかった」,毎日新聞,2016年6月2日
- ↑ 古舘伊知郎さんインタビュー 「産経は本当に悪く書いてくれたけど、おいしい」「ニュースという化け物に負けた」…今後の「夢想」も語る,産経ニュース,2016年6月3日
- ↑ 「報ステ」降板の古舘伊知郎が狙うのは来年のNHK紅白の総合司会!?
- ↑ 『第67回NHK紅白歌合戦』では司会発表前、総合司会の有力候補と報じられたが、選出はなかった。
- ↑ 古舘伊知郎、フジ深夜でも新番組 トークバラエティー『トーキングフルーツ』,ORICON STYLE,2016年9月5日
- ↑ 古舘伊知郎がNHKで13年ぶり司会 8・25放送,日刊スポーツ,2016年7月25日
- ↑ 古舘伊知郎、失業状態続くワケ,ニュースカフェ,2016年8月5日
- ↑ 明石家さんま 古舘伊知郎を一喝「芸能界なめたらアカンで!」,お笑い,2016年7月23日
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- ↑ ラジオの古舘伊知郎26年ぶりに解禁!「本当に幸せだね。こんなにしゃべらせてもらって」 allnightnippon.com.
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- ↑ 古舘伊知郎、安住アナに太鼓判「すげえや彼は」…“みのもんた後継”は宮根,スポーツ報知,2016年10月28日
- ↑ NHK松尾アナ、急きょごごナマ出演 古舘に「気になるアナ」と指名され…,デイリースポーツ,2017年4月4日
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- ↑ 古舘氏、「フルタチさん」で自身の脳を科学分析、おしゃべりの中枢「筋肉のように」異常発達,スポーツ報知,11月6日
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- ↑ 古舘伊知郎氏 「報ステ」スタッフに怒られた過去「ムダなこだわりは止めて」,トピックニュース,2016年8月5日
- ↑ 俺の後釜がミヤネ? 冗談じゃない! 古舘伊知郎が鬱憤ぶちまけた,LITERA,2014年12月20日
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- ↑ フリーアナウンサー・古舘伊知郎(1)僕のことを本当に悪く書いてくれた…産経新聞に「ありがとう」,産経新聞,2016年6月20日
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- ↑ 64.0 64.1 古舘伊知郎さん「敗北だった」 キャスター経験12年間,朝日新聞,2016年5月31日
- ↑ 古舘氏、後任・富川アナにエール!「言うべきことは言う」報ステ魂を受け継ぐ,マイナビニュース,2016年4月1日
- ↑ 古舘伊知郎 『報ステ』富川アナに深夜の熱血指導,NEWSポストセブン,2016年9月26日
- ↑ 「報道ステーション」視聴率急降下 古舘後任の無害な優等生、デイリー新潮 2017年、2/2
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- ↑ http://www.oricon.co.jp/news/2078913/full/ なんと金曜夜10時から生放送!! ヤバイ!! 報道ステーションの裏だ」と、今年3月末に降板した報道番組の名を挙げ「ならば、ラジオブースの小さなモニター画面で生放送中の報ステを観ながら、ニュースを伝えることから始めよう!! 『今、TVを観ている人は、音声多重でオレのラジオ聴いて!!』『今、ニッポン放送を聴いているリスナーは報ステの画面だけつけて!!(音声なしで!!)。富川アナごめん!』これこそ、ラジオ・テレビの融合。ウィンウィンの関係だ」
- ↑ 古舘伊知郎、オールナイトニッポンGOLDでドッキリ発言「報道ステーションに戻りたい気持ちになる」,サンケイスポーツ,2016年10月22日
- ↑ 「ぶっちゃけ寺」で古舘が「報ステ」以来のテレ朝出演,ニューウォーカー,2016年9月27日
- ↑ 古舘伊知郎、報ステ裏番組『しゃべくり』初出演 脅威を感じる後輩は「安住&宮根」,ORICON STYLE,2016年10月29日
- ↑ 古舘伊知郎:“裏番組”「しゃべくり」初登場で爆弾発言 稼いだ金額は「世田谷の一等地に…」,まんたんウェブ,2016年10月29日
- ↑ 古舘伊知郎のTV出演情報
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- ↑ 古舘伊知郎キャスター「報ステ」降板へ 来年3月いっぱいで Sponichi Annex 2016年12月24日閲覧。
- ↑ 古舘キャスター「報ステ」降板 テレ朝慰留も…本人の意思を尊重 Sponichi Annex 2016年12月24日閲覧。
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- ↑ http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5834/inoki2002.html
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関連項目
外部リンク
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