日本人のノーベル賞受賞者

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日本人のノーベル賞受賞者(にほんじんのノーベルしょうじゅしょうしゃ)では、ノーベル賞を受賞した日本人の一覧を掲載する。なお、受賞対象となった研究成果を挙げた時には日本国籍を有していたものの受賞時点で日本国籍のない受賞者や、受賞を逃した人物、日本にゆかりのある受賞者等もあわせて掲載する。

概要

第二次世界大戦終戦後、未だ戦後占領期にあった1949年11月3日(文化の日)、日本人として初めて湯川秀樹が授賞した[1]広島原爆投下および長崎原爆投下からわずか4年余りしか経ってないにも関わらず、原子力爆弾の基本理論に近しい素粒子理論である「中間子理論」を授賞理由とした湯川は敗戦直後の日本国民に受け入れられ、国民に大いに自信を与えたという[2]

1901年から始まり2017年に至るノーベル賞の歴史の中で、日本は非欧米諸国の中で最も多い26名の受賞者を輩出しており、このうち3名が受賞時点で外国籍を取得していた。21世紀に入ってからでは、自然科学部門の国別で日本は米国に続く世界第2位のノーベル賞受賞者数となっている。ただし、経済学賞を受賞した日本人はおらず、また女性[注 1]や団体及び複数回にわたってノーベル賞を受賞した日本人・団体もいない。

部門 日本国籍の受賞者 その他の日本出身の受賞者 合計 備考
物理学賞 9 2 11 アメリカ国籍の南部陽一郎中村修二
化学賞 7 - 7
生理学・医学賞 4 - 4
文学賞 2 1 3 イギリス国籍のカズオ・イシグロ[7][8]
平和賞 1 - 1
合計 23 3 26
各年毎の日本国籍、および、日本に縁のある受賞者数

(合計:23+5名) {{#invoke:Chart|bar chart |width=700 |height=200 |group 1= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:1:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:1:0:0:0:0:0: 0:0:1:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:1:0:0:0:0:0:3:0:0: 0:0:0:3:1:0:0:0:0:0 |group 2= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 1:0:0:0:0:1:1:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 1:1:0:0:0:0:0:1:0:2: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0 |group 3= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:1:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:1:0:0:1:1:0:0:0:0 |group 4= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:1:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:1:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:1:0:0:0 |group 5= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:1:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0 |group 6= 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0: 0:0:0:0:0:0:0:0:0:0 |colors=Purple:Orange:Red:Aqua:Blue:Green |group names=物理学賞(9+2名):化学賞(7+2名):医学・生理学賞(4+0名):文学賞(2+1名):平和賞(1+0名):経済学賞(0+0名) |x legends=1901::::::::::1911::::::::::1921::::::::::1931::::::::::1941::::::::::1951::::::::::1961::::::::::1971::::::::::1981::::::::::1991::::::::::2001::::::::::2011:::::::::2021 |units prefix= |units suffix=名 |stack=1 }}

受賞時点で日本国籍の受賞者

現職などは各受賞者の記事を参照。

物理学賞

受賞時日本国籍のノーベル物理学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1949年 75px 湯川秀樹 京都帝国大学理学部卒、理学博士大阪帝国大学
1/1 中間子の存在の予想[9]
1965年 75px 朝永振一郎 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学
1/3 量子電気力学分野での基礎的研究[10]
1973年 75px 江崎玲於奈 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1/4 半導体におけるトンネル効果の実験的発見[11]
2002年 75px 小柴昌俊 東京大学理学部卒、ロチェスター大学大学博士課程修了 (Ph.D.)、理学博士(東京大学)
1/4 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献[12]
2008年 75px 小林誠 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論CP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[13]
75px 益川敏英 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[13]
2014年 75px 赤崎勇 京都大学理学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[14]
75px 天野浩 名古屋大学工学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[14]
2015年 75px 梶田隆章 埼玉大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1/2 ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見[15]

化学賞

受賞時日本国籍のノーベル化学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1981年 75px 福井謙一 京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1/2 化学反応過程の理論的研究[16]
2000年 75px 白川英樹 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
1/3 導電性高分子の発見と発展[17]
2001年 75px 野依良治 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1/4 キラル触媒による不斉反応の研究[18]
2002年 75px 田中耕一 東北大学工学部卒、工学士(東北大学)、東北大学名誉博士
1/4 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発[19]
2008年 75px 下村脩 旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
1/3 緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献[20]
2010年 75px 根岸英一 東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)
1/3 クロスカップリングの開発[21]
75px 鈴木章 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)
1/3 クロスカップリングの開発[21]

生理学・医学賞

受賞時日本国籍のノーベル生理学・医学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1987年 75px 利根川進 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了 (Ph.D.)
1/1 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明[22]
2012年 75px 山中伸弥 神戸大学医学部卒、博士(医学)大阪市立大学
1/2 様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製[23]
2015年 75px 大村智 山梨大学学芸学部卒、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了、薬学博士(東京大学)、理学博士(東京理科大学
1/4 線虫寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見[24]
2016年 75px 大隅良典 東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得満期退学、理学博士(東京大学)
1/1 オートファジーの仕組みの解明[25]

文学賞

受賞時日本国籍のノーベル文学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1968年 75px 川端康成 東京帝国大学文学部国文科卒、文学士(東京帝国大学)
1/1 伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して[26]
1994年 75px 大江健三郎 東京大学文学部仏文科卒、文学士(東京大学)
1/1 個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩的な言語を用いて現実と神話の混交する世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見る者を当惑させるような絵図に描いた功績に対して[27]

平和賞

受賞時日本国籍のノーベル平和賞受賞者の一覧
受賞 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1974年 75px 佐藤栄作 東京帝国大学法学部卒、法学士(東京帝国大学)
1/2 非核三原則の提唱[28]

経済学賞

2017年現在、ノーベル経済学賞を受賞した日本人はいない。

日本出身の受賞者

日本出身(外地を除く)で受賞時外国籍の受賞者

物理学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
2008年 75px 南部陽一郎 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見[13]
1/2 福井県福井市にて生まれ育ち、東京帝国大学を卒業、東京大学で理学博士号取得。ノーベル賞として評価された研究は渡米後のものだが日本国籍の時のものである。その後1970年に49歳でアメリカ国籍を取得した際に日本国籍を失っており、受賞時にはアメリカ国籍。晩年はイリノイ州シカゴだけでなく大阪府豊中市の自宅にも居住していた。
2014年 75px 中村修二 徳島大学工学部卒、博士(工学)(徳島大学)
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[14]
1/3 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。1994年になって徳島大学で博士(工学)の学位を取得。徳島県阿南市日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、1993年に世界に先駆けて高輝度青色LEDを発明、実用化した。1999年に同社を退職し、2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任。アメリカで研究を続ける都合により、米国籍を取得[29]

文学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
2017年 75px カズオ・イシグロ ケント大学卒、M.A.(イースト・アングリア大学
感情に強く訴える小説群により、世界とつながっているという我々の幻想に潜む深淵を明るみに出したことに対して[30]
1/1 長崎県長崎市で生まれる。漢字表記は石黒一雄。1960年、海洋学者の父が北海で油田調査をすることになり、一家でイギリスのサリー州ギルドフォードに移住、1978年、ケント大学英文学科卒業。1980年、イースト・アングリア大学大学院創作学科でMaster of Artsを取得。1983年、イギリスに帰化。

日本にゆかりのある受賞者

化学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
1986年 75px 李遠哲 国立台湾大学卒、Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校
化学反応の素過程についての研究[31]
1/3 大日本帝国領だった台湾出身の台湾人。幼少時は日本国籍を有し日本語を話した。旧帝国大学の一つ、台北帝国大学を前身とする国立台湾大学を卒業後、国立清華大学大学院で学び、カリフォルニア大学バークレー校でPh.D.を取得。
1987年 75px チャールズ・
ペダーセン
デイトン大学English版卒、S.M.(マサチューセッツ工科大学
高選択的に構造特異的な相互作用をする分子(クラウン化合物)の開発と応用[32]
1/3 大日本帝国の保護国だった大韓帝国東莱郡(現在の大韓民国釜山広域市)にノルウェー人の父と日本人の母との間に生まれ、良夫という日本名も持つ。8歳まで朝鮮で育ち、教育を受けるために長崎県を経て、10歳で神奈川県横浜市に移り、18歳まで同市にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジで学んだ後、アメリカに渡った。後にアメリカに帰化した。

ノーベル賞受賞者の出身大学と所属

ノーベル賞受賞者の学位取得大学(人数別)

各日本人ノーベル賞受賞者が一つ以上の学位(学士号・修士号・博士号)を取得した大学(2017年10月時点)

  • 東京大学 11(物理学賞5、化学賞1、生理学・医学賞2、文学賞2、平和賞1)
  • 京都大学 6(物理学賞3、化学賞2、生理学・医学賞1)
  • 名古屋大学 5(物理学賞4、化学賞1)
  • 北海道大学 1(化学賞1)
  • 東北大学 1(化学賞1)
  • 埼玉大学 1(物理学賞1)
  • 東京理科大学 1(生理学・医学賞1)
  • 東京工業大学 1(化学賞1)
  • 山梨大学 1(生理学・医学賞1)
  • 大阪市立大学 1(生理学・医学賞1)
  • 大阪大学 1(物理学賞1)
  • 神戸大学 1(生理学・医学賞1)
  • 長崎大学 1(化学賞1)
  • 徳島大学 1(物理学賞1)
  • ペンシルベニア大学 1(化学賞1)
  • ロチェスター大学 1(物理学賞1)
  • カリフォルニア大学サンディエゴ 1(生理学・医学賞1)
  • ケント大学 1(文学賞1)
  • イースト・アングリア大学 1(文学賞1)

ノーベル賞受賞者の学位取得大学(学位授与数別)

受賞時の博士号取得者は、2017年10月時点で受賞者中21人である。そのうち3人が米国の大学で博士号を取得している。また、3人が日本国外の研究機関在籍中の受賞である。

大学名 学士 修士 博士 合計
東京大学 8 3 7 18
名古屋大学 3 3 5 11
京都大学 6 2 2 10
北海道大学 1 1 1 3
東京工業大学 1 1 1 3
徳島大学 1 1 1 3
東京理科大学 0 1 1 2
東北大学 1 0 0 1
埼玉大学 1 0 0 1
山梨大学 1 0 0 1
大阪市立大学 0 0 1 1
大阪大学 0 0 1 1
神戸大学 1 0 0 1
長崎大学 1 0 0 1
ペンシルベニア大学 0 0 1 1
ロチェスター大学 0 0 1 1
カリフォルニア大学サンディエゴ校 0 0 1 1
ケント大学 1 0 0 1
イースト・アングリア大学 0 1 0 1
合計 26 13 21 60
  • 東京大学、京都大学、大阪大学、長崎大学はそれぞれ東京帝国大学、京都帝国大学、大阪帝国大学、長崎医科大学附属専門部を含む。
  • 小柴昌俊はロチェスター大学(課程博士:Ph.D)[33]と東京大学(論文博士)[34]から博士号を授与されているため、人数が重複している。
  • 大村智は東京大学(薬学博士)[35]と東京理科大学(理学博士)[36]から博士号を授与されているため、人数が重複している。
  • ノーベル賞受賞を受け、田中耕一には東北大学から名誉博士の称号が贈られている[37]

所属

受賞者の多くが大学教授などの研究者である中、1973年に民間企業 (IBM) の技術者であった江崎玲於奈が物理学賞を受賞。2002年に民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一が化学賞を受賞。2014年に青色LEDの開発で赤崎勇、天野浩と共に物理学賞を受賞した中村修二も、民間企業(日亜化学工業)在籍時の高輝度青色LEDの発明・実用化が理由となった。

受賞に関わった人物

平和賞

受賞を逃した人物

日本人としては、第1回から北里柴三郎野口英世などが候補に挙がっていたが、受賞者には選ばれなかった。北里に至っては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも拘らず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。

山極勝三郎市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された[38][39]。なお、現在フィビゲルが提唱した癌・寄生虫起源説は誤りであると考えられている。

世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した[40]

脊髄副交感神経の発見で1930年代に6度ノーベル賞候補となるも受賞を逃した呉建について、国連大使を歴任した松平康東は、当時日本枢軸国であったことから受賞に至らなかったとしている[41]

1970年に大澤映二・北海道大学理学部化学第二学科助教授(当時)はフラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に予言したものの、肝心の論文を日本語でのみ発表しており英文では発表していなかったため、1996年のノーベル賞を逃した。この顛末は当時の『ネイチャー』(第384号、96年12月26日発売)にも掲載された[42][43]

1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていたが、2008年に死去した。彼の後輩で教え子でもある梶田隆章が2015年に物理学賞を受賞した際には、もし戸塚が生きていれば共同受賞は確実だったと惜しまれた[44]

ほかに、2000年代頃から、作家の村上春樹がノーベル賞最有力候補としてしばしばメディアに取り上げられているが[45][46][47][48][49]、2017年現在、受賞していない。。

ノーベル賞候補者となった人物

ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1966年まで(平和賞のみ1967年まで)の候補者が公表されている。

ノーベル物理学賞では、本多光太郎が1932年の候補に日本人初の候補者に挙がっている。このほか、西島和彦(1960年 - 1961年、1964年、1965年)、中野董夫(1961年)、大貫義郎(1965年 - 1966年)、などがいる。

彼ら以外に坂田昌一は1969年にノーベル物理学賞候補者となっていたことがほぼ確実視されているが、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

ノーベル化学賞では、1911年に秦佐八郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、鈴木梅太郎(1936年)、朝比奈泰彦(1951年 - 1952年)、油脂化学を専門とした外山修之(1958年)、水島三一郎(1962年、1964年)、九州大学名誉教授の山藤一雄(1964年)などがいる。

ノーベル生理学・医学賞では、1901年に北里柴三郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、秦佐八郎(1912年 - 1913年)、野口英世(1913年 - 1915年、1920年 - 1921年、1924年 - 1927年)、鈴木梅太郎(1914年)、1919年に稲田龍吉井戸泰が共同候補者となり、山極勝三郎(1925年 - 1926年、1928年、1936年)、加藤元一(1928年、1935年、1937年)、呉建(1931年、1933年、1935年 - 1937年、1939年)、佐々木隆興(1935年 - 1936年、1939年、1941年)、市川厚一(1936年)、久野寧(1936年、1938年、1953年)、石原誠(1939年)、鳥潟隆三(1939年)、大阪大学名誉教授の黒津敏行(1952年)、勝沼精蔵(1953年)などがいる。

ノーベル文学賞では、1947年、1948年に賀川豊彦が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、西脇順三郎(1958年、1960年 - 1967年)、谷崎潤一郎(1958年、1960年 - 1965年)、三島由紀夫(1965年、1967年)などがいる。

ノーベル平和賞では、1909年に有賀長雄が日本人初の候補者に挙がっている。渋沢栄一(1926年 - 1927年)、賀川豊彦(1954年 - 1956年、1960年)、岸信介(1960年)、鈴木大拙(1963年)、吉田茂(1965年 - 1966年)、湯川秀樹(1966年)が候補となっていたことがノルウェー・ノーベル委員会の公表した資料により明らかになっており[50][51][52]、吉田については関係者の残した手記などから1967年にも推薦が行われたとみられていた[50]。2018年1月にノーベル財団がウェブサイトに公表した1967年度の候補者リストに吉田の名前があり(推薦者は栗山茂ら)[53]、推測が裏付けられた。

なお、CNNテレビの報道によると、賭博サイトBetfairが2015年及び2016年の受賞者候補者・団体の予測を行った際、創価学会名誉会長池田大作と、池田が会長を務めるSGI(創価学会インタナショナル)が候補の一つとして選ばれた[54][55][56]

日本にゆかりのある候補者としてはリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーがいる。クーデンホーフ家とカレルギー家が連携した伯爵一族クーデンホーフ=カレルギー家の人物で、東京生まれのオーストリアの国際的政治活動家。母はクーデンホーフ光子。日本人名の幼名を持ち、その名は、青山 栄次郎(あおやま えいじろう)。汎ヨーロッパ連合主宰者として汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、それは後世の欧州連合構想の先駆けとなった。そのため欧州連合の父の一人に数えられる。何度もノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。

日本における賞金にかかる所得税の扱い

日本人がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、所得税法第9条13号ホに基づき、ノーベル経済学賞を除き非課税となる(「ノーベル基金から支出される賞金」と規定されており、スウェーデン国立銀行から賞金が支出される経済学賞は同法第9条13号の対象外で同法第9条第13号ヘの財務大臣の指定[57]も受けていないため課税対象)。これは湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時、賞金に課税されることに世論の反発が起こり、1949年11月24日に、「贈与(個人からの贈与及び個人以外のものからの贈与のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品)を非課税とする」と所得税法が改正された結果である。

脚注

注釈

  1. 受賞に関わった女性としては2017年のノーベル平和賞の授賞式でメダル等を受け取り、受賞講演を行ったサーロー節子がいる[3][4][5][6]。(受賞に関わった人物を参照)

出典

  1. 「妻の支え」で得たノーベル賞 渡部裕明(産経新聞 2014年4月16日)
  2. もう一度読みたい <初のノーベル賞 湯川秀樹1>敗戦国日本 受賞に沸く(毎日新聞 2015年11月9日)
  3. 3.0 3.1 “授賞式でサーローさんら演説 ICANにノーベル平和賞”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年12月10日). http://www.asahi.com/articles/ASKDB2RW2KDBUHBI003.html . 2017閲覧. 
  4. 4.0 4.1 “サーローさん「核兵器は絶対悪」…平和賞授賞式”. 読売新聞 (読売新聞社). (2017年12月11日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20171210-OYT1T50080.html . 2017閲覧. 
  5. 5.0 5.1 “ノーベル平和賞 授賞式 サーローさん「核兵器は絶対悪」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年12月10日). https://mainichi.jp/articles/20171211/k00/00m/030/081000c . 2017閲覧. 
  6. 6.0 6.1 “平和賞受賞式でサーローさん演説”. 中国新聞 (中国新聞社). (2017年12月12日). http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=394794&comment_sub_id=0&category_id=112 . 2017閲覧. 
  7. Living memories”. The Guardian (2005年2月19日). . 2017閲覧. “When Ishiguro was included as the youngest member of the 1983 best of young British writers, he wasn't a British citizen. He took citizenship later that year as a very practical decision.”
  8. Kazuo Ishiguro wins 2017 Nobel Prize for literature”. The Financial Times (2017年10月5日). . 2017閲覧. “He became a British citizen in 1983.”
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  45. 村上春樹がノーベル賞を取れない理由 海外メディアが分析 - ハフィントンポスト、2013年10月8日
  46. 今年も村上春樹は取れなかった 書店員が見たノーベル文学賞をめぐる狂騒曲 - 田中大輔、日経ビジネスオンライン、2013年10月15日
  47. 「村上春樹はノーベル文学賞をいつとるのか」についての考察 - NEWSポストセブン、2014年10月12日
  48. 村上春樹はノーベル賞を受賞できるか - 鵜飼哲夫、読売オンライン、2016年10月11日
  49. 村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由 - 栗原裕一郎、東洋経済オンライン、2016年10月18日
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  51. 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作―― (PDF) 」高崎経済大学地域政策学会、2016年
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  57. 所得税法第九条第一項第十三号ニ又はヘに規定する団体又は基金及び交付される金品等を指定する件

関連項目

外部リンク