三島市

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ファイル:Mishima city center area Aerial photograph.1988.jpg
三島市中心部周辺の空中写真。
1988年撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

三島市(みしまし)は、静岡県東部の、伊豆半島の中北端に位置する

概要

地理

気候
当市は太平洋側気候に含まれている。一般的な太平洋側の気候は、夏は温暖多雨で、冬は雨が少なく乾燥しやすい。当市は駿河湾から北東にやや内陸部に入ったところにあるので、海に面した近隣の地域と比較して、日較差が大きい。夏は気温が高く、冬は冷え込むなどの内陸性盆地気候の傾向がある。ただし三島の年間平均気温は15.6℃で、最低気温の平均が零下になることはほとんどない。
地形・地質
考古学の研究では約2900年前に富士山の東の斜面が崩壊して、御殿場付近へ堆積した岩屑なだれの堆積物は、洪水のたびに土石流となって、愛鷹山箱根山との間の谷に運ばれ、三島溶岩流を覆って南へゆるやかに傾斜した台地の三島扇状地を作ったとされる。そのため、当市の台地は南へゆるやかに傾斜した扇状地となっている。一方で、当市南部は田方平野で多い沖積層で形成されており、当市南部及び国道1号を挟む南北地域は液状化現象の危険性があると指摘されている[1]

都市情報

三島の由来
  1. 三嶋大明神(三嶋大社)がこの地に遷座したときから三島の地名が生まれた説。
  2. 三嶋大明神(三嶋大社)が3つの洲(安志我良、珠流河、賀茂)の神であるとして、後に洲が嶋に改められ、三島の地名が生まれた説。
  3. 菰池や小浜池などを水源とした清流に挟まれた土地が3つの島のように見えたため三島の地名がうまれた説。
市章
市章は八角形の三嶋大社の紋章と富士山を組合わせ、また中央の三線は漢数字の「三」と水の流れを組合わせて図案化した物。
三島市民憲章[2]
わたくしたちは、箱根のふもと朝に夕に富士を仰ぐ恵まれた自然のなかに育った三島市民です
わたくしたちは、三島市民であることに誇りと責任をもち、お互いのしあわせを願い、この憲章を定めます。
わたくしたち三島市民は、
  1. 自然を愛し きれいなまちをつくりましょう。
  2. 良い風習を育て 住みよいまちをつくりましょう。
  3. 文化をたいせつにし 豊かなまちをつくりましょう。
  4. からだをきたえ 仕事にはげみ 明るいまちをつくりましょう。
  5. 平和を望み 友愛のあふれるまちをつくりましょう。

人口

三島市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政

歴代市長

  1. 花島周一(1941年7月27日 - 1945年7月26日)
  2. 渡辺知雄(1945年7月27日 - 1946年11月29日)
  3. 原国太郎(1947年4月6日 - 1948年12月10日)
  4. 朝日原作(1949年2月7日 - 1953年2月6日)
  5. 松田吉治(1953年2月7日 - 1961年2月6日)
  6. 長谷川泰三(1961年2月7日 - 1977年2月6日)
  7. 奥田吉郎(1977年2月7日 - 1993年2月6日)
  8. 石井茂(1993年2月7日 - 1998年11月17日)
  9. 小池政臣(1998年12月20日 - 2010年12月19日)
  10. 豊岡武士(2010年12月20日 - 現職)

市庁舎

市役所所在地は三島市北田町4番47号にあるが、一部窓口業務等がおいてある別館が2か所、支所が2か所ある。

  • 北田町本館 - 三島市北田町4番47号
  • 中央町別館(水道部、市教育委員会) - 三島市中央町5番5号
  • 大社町別館(総合防災センター、地域安全課等) - 三島市大社町1番10号
  • 中郷(なかざと)文化プラザ(中郷市民サービスコーナーして支所機能がある) - 三島市梅名353番地の1
  • 北上(きたうえ)文化プラザ(北上市民サービスコーナーして支所機能がある) - 三島市萩312番地

静岡県や国の機関

姉妹都市・友好都市

姉妹都市
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 パサディナ市 - 1957年昭和32年)7月24日提携
 ニュージーランド タラナキ州 ニュープリマス市 - 1991年平成3年)4月29日提携
友好都市
中華人民共和国の旗 中国 浙江省 麗水市 - 1997年(平成9年)5月12日提携

歴史

ファイル:Mishima-taisha shaden.JPG
三嶋大社。三島市はこの神社の門前町として発展した。
古代から中世まで
天正から江戸時代まで
明治から第二次世界大戦まで
第二次大戦後から平成まで
平成以降

災害史

  • 1685年12月10日:丑年の大火。貞享2年12月10日、三島の宿場町が全焼し、三嶋大社も全焼。
  • 1854年11月4日:安政の大地震安政元年11月4日 - 11月5日、三島は地震で壊滅し、火災も発生。三嶋大社が全損。
  • 1923年9月1日:関東大震災。三島で死傷者14名で、全半損148棟。余震回数は1208回を11月30日まで記録。
  • 1930年11月26日:北伊豆地震。三島広小路以東側が壊滅し、死傷者319名で全半損3021棟。有無感地震回数は2595回を11月28日まで記録。
  • 1958年9月26日:狩野川台風。伊豆半島に750mmの雨が降り、各地で土砂崩れ、堤防決壊や津波による大洪水が発生。死傷者1名。床上浸水161棟。
  • 1974年7月7日:七夕豪雨。三島市内で毎時50mm〜70mmの豪雨が約7時間降り、大場川の氾濫(床上浸水294棟)やインフラが寸断。
  • 1990年9月15日:秋雨前線による集中豪雨。三島市内に総雨量161mmの局所的な豪雨が主に生じ、大場川が氾濫(床上浸水102棟)した。
  • 1998年8月30日:静岡県東部・伊豆水害。大場川上流で総雨量261mmの局所的な豪雨が主に生じ、大場川が氾濫(床上浸水8棟)し、インフラが寸断。
  • 2009年8月11日:駿河湾地震で震度4を観測。
  • 2011年3月15日:静岡県東部地震により、震度4を観測。

経済

当市は首都圏に近いこと、化学繊維、製紙工業に不可欠な良質な水が大量にあること、田方平地での農機具、農薬の需要が高いこと、裾野、御殿場に自動車の生産拠点があることなどから、それらに関連する産業が多い。また、近年は長泉の県立静岡がんセンター研究所を中核に、健康関連産業を集積しようとの構想もある。

市内に立地する企業、工場
  • 東レ三島工場 - 1958年に操業。ポリエステル系合成繊維を生産[4]
  • 東レ総合研修センター - 関連会社や海外研修生を集めて人材育成。
  • 東芝テック三島事業所 - 1963年に操業[5]。多機能複合機を製造。
  • オムロン三島事業所 - シーケンス制御に使うPLC(シーケンサー)を製造。
  • 電業社機械製作所 - 1940年操業。各種ポンプ、送排風機などを製造。
  • 横浜ゴム三島工場 - 1946年操業。各種自動車向けタイヤを製造。
  • 万城食品本社 - 粉わさびを製造。
  • 伊豆箱根鉄道本社 - 1893年設立。田方地域の公共交通の中核を担う。
  • 森永製菓三島工場 - 1918年操業[6]。ココア、ウイダーinゼリーを製造。

農林業

当市は箱根山麓に位置しているため、平野が少なく、稲作よりも畑作が盛んであり、静岡県での根菜類の主要産地でもある。特に、畑作が集中する箱根山西麓は、火山灰土壌であり、水はけが良好で、土質も柔らかく、作土が深く雨が降っても固まらない性質を有している。そのため、根菜類の栽培に非常に適した土地である。また、南向きの傾斜畑は、農作業には厳しいものの、平地よりも太陽光を受けやすいメリットがある。

箱根山西麓で代表的な根菜類

なお当市では大根干しが冬の風物詩だったが、近年、干し大根の需要が低下した影響であまり見られない。また、連作障害や根菜類の需要低下を受けて、葉菜類の栽培も増えて来ている。また当市は全国的に見て、小規模農家が多い。

学校

大学・短期大学

高校

中学校

小学校

交通

鉄道

中心駅:三島駅

東海道本線東海道新幹線東海旅客鉄道
三島駅
伊豆箱根鉄道駿豆線
三島駅、三島広小路駅三島田町駅三島二日町駅大場駅

道路

高速道路

東名高速道路
最寄りのインターチェンジは沼津市にある、沼津IC
新東名高速道路
最寄りのインターチェンジは駿東郡長泉町にある、長泉沼津IC
伊豆縦貫自動車道東駿河湾環状道路
三島萩IC三島加茂IC三島塚原IC三島玉沢IC大場・函南IC

国道

県道

有料道路

バス

バスターミナル:三島駅南口

空港

市内に空港は無いが、以下の2つが主に使用される。

観光

年間祭事

名所旧跡
文化
吊り橋
ショッピングモール
  • 日清プラザ
せせらぎ事業施設

名物

ファイル:MISHIMACroquette.JPG
みしまコロッケ
  • (うなぎ) - 三島は鰻の産地ではないが、多数の飲食店で鰻を扱う「うなぎのまち」である。幕末までは鰻を神の使いと考え、食用にしなかった。
  • みしまコロッケ - 近年、特産品の三島馬鈴薯(メークイン)を使った新しい名物を作ろうという動きがあり、まちおこしの一環として商工会を中心としたグループによって作られる。材料が100%三島馬鈴薯であれば形や具材は各店の創意工夫に任せられており、現在、静岡県内外に150店ほどが認定店となっている。
  • みしまコロッケパン - 三島市内の製パン会社グルッペ・石渡食品が上記のみしまコロッケを用いたコロッケパンを開発。第3回(2012年日本全国ご当地パン祭りで1位となり人気商品となっている[8]

コミュニティFM

三島市を舞台とした作品

出身有名人

脚注

  1. 三島市・液状化ハザードマップ[2014年8月31日閲覧] img385.jpg
  2. 三島市 (1970年10月11日). “三島市民憲章|三島市”. . 2018閲覧.
  3. 三島市北沢にあった精錬工場による鉱毒公害で、反対運動で2年しか操業しなかった。しかし、工場跡地付近の草木も生えず赤茶けた山肌が現在も露出している。また、精錬後の鉱滓を近年まで放置していた為、カドミウムによる土壌汚染への懸念がある。特に除去等の対策は進行していない。
  4. 東レは水を大量に使っているが、工場で使用している水のほとんどは静岡県の柿田川工業用水を利用している。利用した排水は浄化した上で、大場川や源兵衛川に流している。
  5. 1940年に東芝と分離して大仁に東京電気器具株式会社を創設し、三島には蛍光灯製造部門を移設。
  6. 三島に森永製菓の工場を作ったのは、酪農が盛んだった丹那盆地に近かったこと、森永製菓の初代社長森永太一郎が箱根に来た時に、この地域を気に入ったため。森永太一郎が、お菓子の原料である乳製品の工場を作りたいと考え、錦田村名倉新一郎村長の協力を得て、乳製品の工場を作ったのが始まりである。
  7. 三嶋大社(社誌) 2001年, p. 35-38.
  8. なぜ三島でコロッケパン!? 松丸アナがご当地商品の人気の秘密を探る”. 日経トレンディネット (2015年10月6日). . 2017閲覧.
  9. 宇野朗は、私立三島病院(社会保険三島病院)の創設に尽力、東京大学名誉教授第一号。
  10. なお名誉市民授与の時、同時期に出身校(旧制静岡県立沼津中学を卒業)の関係で隣の沼津市も名誉市民を授与する事となり、異例の2都市での名誉市民授与者となった。

関連項目


外部リンク

行政
観光・商工