オセアニア

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オセアニア
An orthographic projection of geopolitical Oceania.
オーストラリア
面積 8,525,989 km2 (3,291,903 sq mi)
人口 36,659,000 (2010, 6th)
人口密度 4.19 /km2 (テンプレート:Convert//sqmi)
住民の呼称 Oceanian
国数
保護領
言語
標準時 UTC+14 (キリバス)からUTC-11 (アメリカ領サモア & ニウエ) (最西端から最東端)
最大都市 オーストラリアの旗 シドニー
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オセアニア英語: Oceania)は、六大州の一つ。大洋州(たいようしゅう)。

一般的な解釈では、オーストラリア大陸ニュージーランドを含むポリネシアニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。狭義にはオーストラリア大陸を含めない。また、最も広く解釈すると太平洋上の陸地のすべてを指して使われる[脚注 1]。すなわち、この解釈では日本台湾フィリピンインドネシアおよび、ハワイ州ガラパゴス諸島イースター島アリューシャン列島まで含まれるが、一般的ではない。

六大州中最小の州であり、その小さな陸地面積のうちオーストラリア大陸が86%を占め、さらに島々の中で最も大きなニューギニア島とニュージーランドを含めると98%にもなる[1]。残りは、太平洋の中に点在する小さな島々であり、それがオセアニア(大洋の州)との州名の由来にもなった。これらの諸島は陸地面積こそ小さいものの、マレー・ポリネシア系民族が独特の航海術によって隅々まで植民しており、独自の海洋文明を築いていた。ここでは広義のオセアニアを扱う。オセアニアの人口は約3567万人である。

名称

これらの3地域の名称は、ヨーロッパ人探検家たちによる命名が始まりである。1756年、フランス人探検家シャルル・ブロス(Charles Brosses)「多くの島々」を意味するギリシャ語の「ポリネシア[脚注 2]」を太平洋全島々の総称として用いたのがはじまりである[脚注 3]。その後、同じくフランスの探検家デュモン=デュルヴィユ(J-S-C Dumont D'Urville)がオセアニア島嶼部を3地区に分けることを考えだし、1831年にパリの地理学会で公表した。現在は、この案を基本的に踏襲している。「メラネシア[脚注 4]」はギリシャ語で「黒い島々」を意味し、「ミクロネシア[脚注 5]」はギリシャ語で「小さな島々」を意味することから名づけられた[脚注 6]。  

地理

ファイル:Pacific Culture Areas.jpg
ポリネシア(紫),ミクロネシア(赤),メラネシア(青)

オセアニアは、南西端にある一つの巨大な陸塊であるオーストラリア大陸と、オーストラリアの北に位置するニューギニア島と同じく東に位置するニュージーランド南北島というやや大きな2つの島、そしてその北から東にかけて広がる広大な太平洋と、その中に点在する無数の小さな島々からなる。この島々は、もっとも北に位置しほとんどが小さな環礁からなるミクロネシア、オーストラリアとミクロネシアの間に位置し、ニューギニア島を含み、やや大きな火山島や標高の高い島々が多数を占めるメラネシア、そしてオセアニアの東半分を占め、ニュージーランドやハワイ諸島などの大きな島々から小さな環礁までさまざまなタイプの島々が広大な海域に点在するポリネシアの3つの地域に区分されている。

地質学的には、オーストラリア大陸はいわゆる安定陸塊であり、東端を南北に走るグレートディバイディング山脈のみが古期造山帯に属する。これに対し、ニューギニア島からメラネシア全域を通りニュージーランドまでは環太平洋造山帯に属し、火山活動が活発な地域である。しばしば大きな地震が起きる。ハワイ諸島太平洋プレートの中心に位置しているもののホットスポットであり、非常に活発な火山活動が現代でも続いている[2]

気候的には、オーストラリア大陸の大部分は亜熱帯高気圧に覆われるため、非常に乾燥した砂漠気候となっている。ただしグレートディバイディング山脈の東側および南側には十分な降雨があり、北がサバナ気候、中央部が温暖湿潤気候、南部およびタスマニア島西岸海洋性気候、南西部が地中海性気候となっていて、オーストラリアの人口の大半はこの地域に居住する。また、大陸南西端のパース周辺は大陸西部としては例外的にやや湿潤であり、地中海性気候となっている。太平洋上の島々やニューギニア島は緯度の低いことや海からの水蒸気が大量の降雨をもたらすため、多くは熱帯雨林気候となっている。ただし、降雨量は火山島とサンゴ礁島では異なり、火山島の方がより多い降雨に恵まれることが多い。これは海からの風は火山島にあたって大量の降雨をもたらすのに対し、標高の低いサンゴ礁島ではそういったことが起こらないためである。また、サンゴ礁島は地質が石灰岩であるため土壌の透水性が高く、少ない降雨も多くがすぐに地中に浸透してしまうため、水資源の確保が困難な島々が多い。

ニュージーランドは降雨量は多いものの緯度が高いために気温が低く、全島が西岸海洋性気候となっている[3]

ファイル:LocationOceania.png
オセアニアの位置

先史時代

約5~6万年前から3万5000年前、東南アジア方面から現在のオーストラリアニューギニアの内陸部や沿岸部へ住み始めたのはオーストラロ・メラネシア系(オーストラロイド)の人々であったといわれている。これらの人々は、このオセアニアに移住する前は、東南アジアの島々や東アジア大陸に居住し、狩猟採集しながら暮らしていた。 ところで、約5~3万年前は、更新世最終氷期の時代であり、地球規模で気温がさがり、海面も現在の海面よりも最大で150メートルも下がり、島々は大陸とつながっていた。たとえば、ボルネオ島やジャワ島などはアジア大陸(スンダ陸棚)とオーストラリアやニューギニアは陸続き(サフル大陸)であった。しかし、この両者(スンダ陸棚とサフル大陸)はこの時代も海によって隔てられており、多くの島々が存在した。ウォーラシア海域と呼ばれ、最短でも直線で100キロメートルほど離れていた。

人々は海を渡り、各島へ移住していったのは約3万5000年前のことといわれる。これらのことを示す証拠として有袋類のクスクス黒曜石が多数出土している。しかし、ソロモン諸島より東への移住はこの時代でなく、はるか後の約3300年前にまで下がってくる[脚注 7]

そこからオーストロネシア語系の言語を持つモンゴロイド系のラピタ人と呼ばれる人々は、パプアニューギニアのビスマーク諸島から東南方向に島伝いで移動しフィジーにたどり着いた。そこから南西方向(ヴァヌアツとニューカレドニア)と南東方向(トンガとサモア)の二方向に分かれて遠くまで移動を続けた。こうしてトンガやサモアにたどりついたラピタ人は、そこで1000年ほど留まり今のポリネシア文化の祖形を作り上げた。そして、ポリネシア人へと変容した。およそ2000年前に移動を再開し、1600年前ごろにはハワイ諸島やイースター島まで到達していた。さらに、彼らポリネシア人は、800年前にはニュージーランドにたどり着いている[脚注 8]。これらの島々は船によって緊密な連絡を相互に保っており、950年ごろに成立したトンガ大首長国は北のサモアや西のフィジーまでを支配下におさめた一大帝国を1500年ごろまで維持していた。

ヨーロッパとの接触

初めてこの地域に白人が訪れたのは、大航海時代さなかの16世紀初頭のことである。1521年にはフェルディナンド・マゼランがヨーロッパ人として初めて太平洋を横断した。この時以降しばらくの間は太平洋は東から西に進む航路しか存在しなかったが、1564年にはアンドレス・デ・ウルダネータフィリピンからアカプルコへと向かう航路を開拓し、これによって太平洋を往復する航路が確立された。これを使用して1565年にはマニラ・ガレオンアカプルコマニラの間を往復するようになった。その後、17世紀にはアベル・タスマンによってニュージーランドとタスマニアが発見されるなど徐々に地理的知識は蓄積されていったが、領土進出という点ではスペインがマリアナ諸島カロリン諸島を領有した程度で、それほど積極的に進出してはいなかった。また、地理的にもいまだ発見されていない島が多数存在しており、オセアニアの南部には広大な南方大陸が存在していると考えているものも多かった。18世紀に入ると徐々に探検が進んでいったが、太平洋における地理的「発見」の最後を飾ったのはジェームズ・クックである。彼の1768年からの三回の探検によって、オセアニアの地理はほぼ完全に明らかとなった。

ヨーロッパ人による植民が本格的にはじまったのは、1788年1月26日にイギリスからの最初の植民船団(ファースト・フリート)がオーストラリア大陸南東部のシドニー湾に到達してからのことである。これ以降オーストラリアには続々と移民が送り込まれ、先住のアボリジニを駆逐しながら植民地化が進められていった。初期はオーストラリア東岸の降雨量の多い地域のみの植民であったが、1813年にはグレゴリー・ブラックスランドらの探検隊によって山脈西側に草原が発見され、以後内陸部の開発も進むようになった。

19世紀初頭にはニュージーランドもヨーロッパ人が多く進出するようになり、1840年にはワイタンギ条約が締結されてニュージーランドもイギリス領となった。19世紀後半には太平洋諸島も分割が進み、19世紀末にはすべての島々が植民地化された。

1851年にオーストラリア南東部でが発見されるとゴールドラッシュが起き、オーストラリアの人口は急増した。1860年から1861年にかけてはオーストラリア内陸部の状況を調べるためにバーク・ウィルズ探検隊が送られ、悲劇的な結果に終わったものの内陸部の状況は明らかになった。1901年にはオーストラリア大陸にあった諸植民地が合同し、オーストラリア連邦が誕生した[4]

第2次世界大戦

ミクロネシアやメラネシアが太平洋戦争大東亜戦争)の時、主戦場の一つであった。日本がアメリカとオーストラリアの共同作戦を阻止するために、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)と当時イギリス領であったフィジー・サモア、同フランス領ニューカレドニアを攻略する作戦(FS作戦)を計画した。

国々の誕生(現代)

第二次世界大戦後の植民地独立の波を受け、オセアニアにおいても1962年の西サモア(現サモア)の独立を皮切りに、1968年にはナウルが、1970年にはトンガとフィジーが、1975年にはパプアニューギニアが、1978年にはソロモン諸島とツバルが、1979年にはキリバスが、1980年にはバヌアツがそれぞれ独立した[5]。一方で、フランス領ポリネシアやニューカレドニアのようにフランスの海外県にとどまるところや、ハワイのように本国の一州として加入するもの、またマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオ、クック諸島、ニウエのように自由連合の形をとり、独立はするものの軍権や外交権は旧宗主国が統括する国々も現れた。こうした国々は地形的、言語的、文化的、民族的に多様性に富み、国家の誕生に大変苦しんでいる [脚注 9][脚注 10]。当初は島嶼部の大半の地域で政治的安定が保たれていたが、2000年ごろを境として、フィジーやソロモン諸島、パプアニューギニア、トンガなどのように政情が不安定になり、クーデターや暴動が発生した国家も存在する[6]

オセアニア諸国

ファイル:Oceania without Asian country codes.jpg
オセアニア全体の面積は約850万km2である

独立国

記号 国名 首都 面積 人口
AU オーストラリアの旗 オーストラリア連邦 キャンベラ 768万6850 km2 2129万3000 人[7]
CK クック諸島の旗 クック諸島 アバルア 237 km2 2万1008 人[8]
FJ フィジーの旗 フィジー共和国 スバ 1万8270 km2 84万9000 人[7]
FM [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Micronesia|border|25x20px|テンプレート:Country alias Micronesiaの旗]] ミクロネシア連邦 パリキール 702 km2 10万8155 人[9]
KI キリバスの旗 キリバス共和国 タラワ 811 km2 10万798 人[9]
MH マーシャル諸島の旗 マーシャル諸島共和国 マジュロ 326 km2 6万1963 人[10]
NR ナウルの旗 ナウル共和国 ヤレン地区(政庁所在地) 21 km2 1万131 人[11]
NU ニウエの旗 ニウエ アロフィ 260 km2 2156 人[9]
NZ ニュージーランドの旗 ニュージーランド ウェリントン 26万8680 km2 426万6000 人[10]
PG パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア独立国 ポートモレスビー 46万2840 km2 673万2000 人[7]
PW パラオの旗 パラオ共和国 マルキョク 458 km2 2万303 人[10]
SB ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島 ホニアラ 2万8450 km2 52万3000 人[7]
TO トンガの旗 トンガ王国 ヌクアロファ 748 km2 10万4000 人[7]
TV ツバルの旗 ツバル フナフティ 26 km2 9652 人[11]
VU バヌアツの旗 バヌアツ共和国 ポートビラ 1万2200 km2 24万 人[7]
WS サモアの旗 サモア独立国 アピア 2944 km2 17万9000 人[7]

主な各国領

記号 領名 首府 面積 人口
AS [[ファイル:テンプレート:Country flag alias American Samoa|border|25x20px|テンプレート:Country alias American Samoaの旗]] 米領サモア        
   アメリカ準州
パゴパゴ             199 km2       7万0260 人[8]
CC [[ファイル:テンプレート:Country flag alias CCK|border|25x20px|テンプレート:Country alias CCKの旗]] ココス (キーリング) 諸島
   オーストラリア領
ウェスト島(中心街) 14 km2 628 人[9]
CX 25x20px クリスマス島
   オーストラリア領
フライングフィッシュ
コーブ
143 km2 1493 人[11]
GU [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Guam|border|25x20px|テンプレート:Country alias Guamの旗]] グアム
   アメリカ準州
ハガニア 549 km2 16万3941 人[8]
ID 西パプアの旗 パプア州西パプア州
   インドネシア州
ジャヤプラ 420,540 km2 359万4236 人[12]
MP [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Northern Mariana Islands|border|25x20px|テンプレート:Country alias Northern Mariana Islandsの旗]] 北マリアナ諸島
   アメリカ自治領
ススペ 477 km2 8万0006 人[8]
NC [[ファイル:テンプレート:Country flag alias NCL|border|25x20px|テンプレート:Country alias NCLの旗]] ニューカレドニア
   フランス領
ヌーメア 1万9000 km2 21万9246 人[11]
NF [[ファイル:テンプレート:Country flag alias NFK|border|25x20px|テンプレート:Country alias NFKの旗]] ノーフォーク島
   オーストラリア領
キングストン 35 km2 1841 人[9]
PF フランス領ポリネシアの旗 仏領ポリネシア
   フランス海外領邦
パペーテ 4167 km2 24万5405 人[9]
PN [[ファイル:テンプレート:Country flag alias PCN|border|25x20px|テンプレート:Country alias PCNの旗]] ピトケアン諸島
   イギリス領
アダムスタウン 47 km2 48 人[8]
TK [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Tokelau|border|25x20px|テンプレート:Country alias Tokelauの旗]] トケラウ諸島
   ニュージーランド領
アタフ島(中心街) 10 km2 1450 人[9]
US ハワイ州の旗 ハワイ州
   アメリカ合衆国州
ホノルル 1万6635 km2 125万7608 人[8]
WF 25x20px ウォリス=フツナ
   フランス領
マタウトゥ 274 km2 1万5734 人[8]
UM 25x20px ウェーク島
   アメリカ領有
7 km2 約75 人[13]
UM 25x20px ジョンストン環礁
   アメリカ領有
3 km2 無人[14]
UM 25x20px ミッドウェー環礁
   アメリカ領有
6 km2 約40 人[13]
km2未満は四捨五入

政治

オセアニア諸国の政治・経済状況は、オーストラリアおよびニュージーランドとその他島嶼国群とに大きく二分される。オーストラリアとニュージーランドは19世紀に入って植民したイギリス系の住民が多数を占め、政治的には入植初期から民主主義が発達し、経済的にも先進国の一員となっている極めて安定した豊かな国家である。これに対し、島嶼国群は1970年代以降に独立した新興国が多く、人口も少なく面積も少ないうえ可住地が広い範囲に点在している、いわゆる小島嶼開発途上国に分類される国家が多いため、経済開発がうまく進んでいない国家が多い。

政治的には面積・人口・経済力で他を圧倒しているオーストラリアがこの地域のリーダー格であり、ニュージーランドもイギリスから引き継いだ属領諸島をいくつか島嶼部に持ち、影響力を持っている。島嶼諸国のリーダー格は人口・経済力的にフィジーが務めることが多かったが、1980年代以降フィジー人インド人との対立によってクーデターが多発するようになり、政治的影響力を減退させた。

この地域の地域協力機関として最も古いものは、1947年にイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドの6ヶ国が設立した南太平洋委員会である。メンバーはこの地域に植民地を持つ宗主国によって占められ、のちに独立した域内諸国が加盟したものの、どちらかといえば旧宗主国主導の色合いが濃い国際機関だった。これに対し、独立した小島嶼国が主体として1971年に設立された国際機関が南太平洋フォーラムである。のちに、2000年に南太平洋フォーラムは太平洋諸島フォーラムに、南太平洋委員会は1998年太平洋共同体にそれぞれ改組された。また、1985年に南太平洋フォーラムの加盟8か国によって南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)が締結され[15]、2009年には13か国がこの条約に加盟している。

経済

経済的にも、この地域で圧倒的な力をもつのはオーストラリアである。オーストラリア経済はもともとヒツジウシを中心とする牧畜と、コムギを中心とする大規模農業を基盤としていた。牧羊はオーストラリア大陸中西部のやや乾燥した地域を中心に、コムギ農業はそれより東側のやや湿潤な地域を中心に行われている。こうした農牧業は現代でも高い生産性を保ち、羊毛や農作物は日本をはじめとして世界各国に輸出されているが、第二次世界大戦後は大陸西部の鉄鉱石や大陸東部の石炭を中心に各種鉱業が発達し、あらたなオーストラリア経済の柱となった。ニュージーランドは資源はほとんど産出しないものの、世界有数の生産性を誇るヒツジやウシの牧畜業や農業に支えられ、経済的には非常に豊かである。

この2国に対し、パプアニューギニアや太平洋諸島はそれほど産業が発達しておらず、パプアニューギニアのやニューカレドニアのニッケルのように地下資源に頼る国もあるが、多くは自給農業を行っているところが多い。こうした島々の多くでは、換金作物はココヤシから作るコプラ程度である。なお、例外的にフィジーにおいてはサトウキビプランテーションが特に乾燥したビティレブ島西部に多数存在しており、フィジー経済の柱となっている[16]。また、20世紀後半以降、先進各国の生活水準の向上と飛行機の発達によって観光産業が急速に発達し、美しい海を持つ太平洋諸島のなかにはタヒチやニューカレドニア、フィジー、ハワイ、グアム、パラオなどのように観光を経済の柱とする地域も多く存在するようになった。

都市

オセアニア最大の都市はオーストラリアのシドニーであり、人口は463万人(2011年)を数える。次いで大きな都市は同じくオーストラリアのメルボルンである。シドニーとメルボルンは歴史的にライバル関係にあり、オーストラリア連邦成立時にも両都市が首都の座を争った挙句、中間地点に新首都であるキャンベラを建設したいきさつがある。オーストラリア大陸東岸から南岸東部にかけてはオセアニアで最も人口の集中する地域であり、北からブリスベーンゴールドコーストニューカッスル、シドニー、キャンベラ、メルボルン、アデレードといった人口30万から100万以上の都市が並んでいる。同国の100万都市としてはほかに大陸西端にパースが存在するが、この都市は地理的に非常に孤立しており、周囲にほかの都市圏は全く存在せず、最も近い100万都市であるアデレードからも2000km以上離れている。

オーストラリア以外で最も大きな都市はニュージーランドの北島北部に位置するオークランドであり、アメリカ・ハワイ州のホノルルやパプアニューギニアのポートモレスビーがこれに次ぐ。ニュージーランドにはほかに、南島中央部にあり南部の中心都市であるクライストチャーチと、北島南端にあり同国の首都であるウェリントンがあり、オークランドと合わせ3大都市となっている。

島嶼部において、南太平洋諸国の中心的な役割を果たしているのはフィジーの首都であるスバである。スバの都市圏は近隣のナウソリなどを合わせ33万人にのぼり、島嶼諸国最大の都市圏を形成している。このほか、ニューカレドニアのヌメアも10万人程度の人口を有する。島嶼部においてはこれ以外に人口10万を超える都市は存在せず、各国の首都でも人口は数万人にとどまり、なかにはツバルやナウルのように明確な首都的都市が存在しない国家も存在する。もっとも、これはフィジーとソロモン諸島を除く島嶼諸国の人口規模そのものが小さいためであり、首都や都市への人口集中自体は他地域と同様に起こっている。

言語

本来この地域で話されていた言語は、オーストロネシア語族パプア諸語オーストラリア諸語の3つの言語群に属する言語のみである。その名の通りオーストラリア諸語はオーストラリア大陸のアボリジニが使用していた言語であり、パプア諸語はニューギニア島にて使用されていた諸言語の総称である。この2つの言語群内部において系統性は立証されておらず、そのため語族ではなく諸言語の集合という扱いとなっている。これに対し、オーストロネシア語族は東南アジアから太平洋の諸島群に進出したメラネシア人やポリネシア人の言語であり、系統性は明確に立証されている。その後、19世紀にオーストラリアとニュージーランドに進出したイギリス人が両国で増加したため、話者数的には現代ではインド・ヨーロッパ語族に属する話者が圧倒的に多い。この語族の言語のうち最も多く話されるものは英語であり、フランス領の島々ではフランス語も広く使われるが、他に同じく19世紀にイギリスによってフィジーに移民したインド人も、ヒンディー語を母体としたフィジー・ヒンディー語を話す。オーストラリア諸語の話者は英国系住民に圧倒されて話者数が非常に減少し、絶滅が危惧されている言語も多い。これに対し、パプア諸語はニューギニア島で、オーストロネシア語族は太平洋諸島において、いまだ多数派を占めている。

文化

文化的にも、この地域はオーストラリア・ニュージーランドの英国系植民者中心の地域とそれ以外の島嶼地域とに大別できる。島嶼地域においては、ポリネシアは非常に広大な地域であるのにもかかわらずかなり同質性が高い。これは植民がポリネシア人という一民族によって行われたうえ、植民後も船によって緊密な連絡が保たれた地域が多く、祖形が同じなうえに分化があまり進まなかったためである。これに対し、メラネシアはかなり分化が進んでおり、多様な文化が存在する。これはメラネシアは地形が険しく、自然環境もポリネシアやミクロネシアに比べ多様であり、画一化が進まなかったためである。ミクロネシアは島々によってメラネシアやポリネシアなど影響を受けた地域が異なり、ミクロネシア全体に共通する文化は多くない[17]

食文化においては、オーストラリア・ニュージーランドはヨーロッパ系食文化を祖形として持つ。これにたいし、島嶼部はタロイモヤムイモを農耕の基盤とし、メラネシアはバナナがこれに加わる。土地が豊かで降水量の多い火山島ではこれら作物が主力となるものの、地味が貧しく水も少ないサンゴ礁島においてはこれらの栽培が困難であることも多く、このためこうした島々ではパンノキが主力となっているところもある。また、特にサンゴ礁島においてココヤシは非常に有用な植物であり、油脂源・調味料・食糧、そしてなによりも飲料水の供給源として重要である。

宗教的には、ほとんどの地域でキリスト教、とくにプロテスタント諸派がほとんどを占める。これはオーストラリア・ニュージーランドにおいては主流となった英国系移民が従来の英国国教会の信仰をそのまま持ち込んだためであり、また島嶼部においては19世紀後半においてプロテスタント諸派が盛んに宣教師を派遣し地元住民への布教を進めたためである。

海面上昇

地球温暖化に伴う海面上昇は、海抜の低い小島嶼国家の存立に深刻な影響を与える。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル、Intergovermental Panel on Climate Change)の報告書はミクロネシアのマーシャル諸島共和国について、環礁の約8割が海面下になる可能性を警告している[脚注 11]

地域機構

関連項目

脚注

  1. ブリタニカ国際大百科事典』 ティビーエス・ブリタニカ 出版、3巻、398ページ
  2. ギリシャ語「ポリ」(poly、多くの)と「ネソス」(nesos、島々)(棚橋訓「解説 アセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ)
  3. 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ
  4. 地域の先住民の肌が比較的黒いことに由来し、「メロス」(Melos、黒い)と「ネソス」から命名された。(棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180ページ)
  5. 「ミクロス」(micros、小さい)と「ネソス」から命名された(棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180ページ)。
  6. 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・棚橋訓編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 178ページ
  7. 小野林太郎「島じまの発見者」/吉岡政徳・石森大和編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書房 2010年 50-52ページ
  8. 棚橋訓「解説 オセアニア島嶼部」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 180-181ページ
  9. 江戸淳子「ミニ国家の誕生」/吉岡政徳・石森大和編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書房 2010年 64-67ページ
  10. 高橋康唱「独立国家への道」/印東道子『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 184-187ページ
  11. 柄木田康之「海面上昇と島嶼国家の危機」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 209-210ページ

出典

  1. 「オセアニアを知る事典」平凡社 p65 1990年8月21日初版第1刷
  2. 「世界地誌シリーズ7 東南アジア・オセアニア」p2-3 朝倉書店 2014年6月20日初版第1刷
  3. 「世界地誌シリーズ7 東南アジア・オセアニア」p7 朝倉書店 2014年6月20日初版第1刷
  4. 「地球を旅する地理の本 6 北アメリカ・オーストラリア」p189 大月書店 1993年11月29日第1刷発行
  5. 「地球を旅する地理の本 7 中南アメリカ」p210 大月書店 1993年11月29日第1刷発行
  6. 『現代オセアニアの「紛争 』脱植民地期以降のフィールドワークから」p2 丹羽典生・石森大和編 昭和堂 2013年3月25日初版第1刷
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 2008年
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 2003年
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 2004年
  10. 10.0 10.1 10.2 2005年
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 2006年
  12. 2010年
  13. 13.0 13.1 通年平均
  14. CIA World Factbook
  15. 「地図で読む世界情勢 第2部 これから世界はどうなるか」p27 ジャン-クリストフ・ヴィクトル、ヴィルジニー・レッソン、フランク テタール 鳥取絹子訳 草思社 2007年8月23日第1刷
  16. 「世界地誌シリーズ7 東南アジア・オセアニア」p30 朝倉書店 2014年6月20日初版第1刷
  17. 「世界地誌シリーズ7 東南アジア・オセアニア」p106-107 朝倉書店 2014年6月20日初版第1刷