北マリアナ諸島
- 北マリアナ諸島自治連邦区
- Sankattan Siha Na Islas Mariånas
Commonwealth of the Northern Mariana Islands
Commonwealth Téél Falúw kka Efáng llól Marianas - 地域の標語:なし
公用語 | 英語、チャモロ語、カロリン語 |
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主都 | サイパン島ススペ (事実上キャピトル・ヒル) |
最大の都市 | ガラパン |
通貨 | USドル (USD) |
時間帯 | UTC UTC+10 - チャモロ標準時(DST:なし) |
ISO 3166-1 | MP / MNP |
ccTLD | .mp |
国際電話番号 | 1-670 |
北マリアナ諸島自治連邦区(きたマリアナしょとうじちれんぽうく、チャモロ語: Sankattan Siha Na Islas Mariånas, 英語: Commonwealth of the Northern Mariana Islands)、通称北マリアナ諸島(チャモロ語: Notte Mariånas)は、ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、南端のグアム島を除く、サイパン島やテニアン島、ロタ島などの14の島から成るアメリカ合衆国の自治領(コモンウェルス)である。主都は、サイパン島のススペ。
地位
北マリアナ諸島は、1919年から1945年まで日本が委任統治していた。戦後、アメリカの信託統治を経て、現在は米国領の中でもコモンウェルスという政治的地位にあり、北マリアナ諸島の住民は、アメリカ合衆国の市民権を有する。他の州とは異なり連邦税の納税義務を持たない代わりに、アメリカ合衆国大統領選挙の投票権がない。アメリカ合衆国議会の選挙権も無く、かつては首都ワシントンに北マリアナ政府代表が常駐するにとどまっていたが、2008年よりオブザーバーの資格でアメリカ合衆国下院の委員会に代表委員を送ることが認められるようになった。
「北マリアナ諸島連邦」と日本語訳されることがあるが、北マリアナ諸島は連邦制(英:federation)をとっておらず、アメリカ合衆国と連邦の関係にあるわけでもない。この連邦とは、コモンウェルス(英:commonwealth)とよばれる自治の形態で、複数の国またはそれに匹敵する地域が政治的経済的につながりを持っている関係を指しているのみである(税関申告書の日本語版には、「北マリアナ連邦へようこそ」と書かれている)。
地理
島々
日本語 | チャモロ語 | 英語 | 人口 人 |
面積 km2 |
最高標高 m |
北緯 N | 東経 E | 行政区画 |
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ファラリョン・デ・パハロス島(ウラカス島) | Farallon de Pajaros (Uracas) | Farallon de Pajaros (Urracas) | 0 | 2.55 | 319 | 20°33' | 144°54' | 北部諸島市 |
マウグ島 | Måug | Maug Islands | 0 | 2.13 | 227 | 20°02' | 145°19' | |
アスンシオン島 | Asuncion | Asuncion | 0 | 7.31 | 891 | 19°43' | 145°41' | |
アグリハン島 | Agrigan | Agrihan | 0 | 43.51 | 965 | 18°46' | 145°40' | |
パガン島 | Pågan | Pagan | 0 | 47.24 | 579 | 18°08' | 145°47' | |
アラマガン島 | Alamågan | Alamagan | 0 | 11.11 | 744 | 17°35' | 145°50' | |
ググアン島 | Guguan | Guguan | 0 | 3.87 | 301 | 17°20' | 145°51' | |
ジーランディア礁 | Papaungan | Zealandia Bank | 0 | 0 | 0 | 16°45' | 145°42' | |
サリガン島 | Sarigan | Sarigan | 0 | 4.97 | 549 | 16°43' | 145°47' | |
アナタハン島 | Anatåhån | Anatahan | 0 | 31.21 | 787 | 16°22' | 145°40' | |
ファラリョン・デ・メディニラ島 | Farallon de Medinilla | Farallon de Medinilla | 0 | 0.85 | 81 | 16°01' | 146°04' | |
サイパン島 | Sa'ipan | Saipan | 48,220 | 115.38 | 474 | 15°11' | 145°44' | サイパン市 |
サイパン海峡 | ||||||||
テニアン島 | Tini'an | Tinian | 3,136 | 101.01 | 170 | 14°57' | 145°38' | テニアン市 |
テニアン海峡 | ||||||||
アギガン島 (アグイハン島) |
Aguiguan | Aguigan / Aguihan / Aguijan | 0 | 7.10 | 157 | 14°42' | 145°18' | |
ロタ島 | Luta | Rota | 2,527 | 85.39 | 491 | 14°08' | 145°11' | ロタ市 |
ロタ島の南にはアメリカ合衆国準州のグアム島がある。グアム島も含める場合はマリアナ諸島と呼ぶ。
内政
歴史
紀元前に東南アジアから渡って来たチャモロ人の定住を経て、古代にはタガ王朝が成立した。1565年には全島がスペインの支配下に入ったが、チャモロ人の反乱は絶えず、スペイン=チャモロ戦争が勃発する。1698年には全島民がグアムに強制移住させられた。1898年、米西戦争の結果ドイツ領となり、第一次世界大戦後、日本の国際連盟委任統治領になる。太平洋戦争中、日米の激戦地として住民を巻き込んだ地上戦が展開された。戦後、アメリカの国連信託統治領を経て、1978年から北マリアナ諸島としてアメリカの自治領になる。
- 紀元前16世紀頃 - チャモロ人が移住。
- 9世紀頃 - タガ王朝成立。ラッテストーンの建造が開始される。
- 16世紀頃 - カロリン諸島からのカロリニアンと交易し、一部がサイパン島に移住する。
- 1521年 - ポルトガル人フェルディナンド・マゼランがグアム島に到達。
- 1565年 - スペインが領有権を宣言し、スペイン領東インド(Indias Orientales Españolas)が成立する。
- 1899年 - ドイツ・スペイン条約によって、ドイツ領ニューギニア(Deutsch-Neuguinea)の一部となる。
- 1914年 - 第一次世界大戦で日本が占領。
- 1920年 - ヴェルサイユ条約により日本の委任統治領となる。
- 1944年 - 第二次世界大戦で住民を巻き込んだ激戦地となり、サイパン島を中心に多くの犠牲者が出る。サイパン島とテニアン島をアメリカが占領する。
- 1945年8月15日 - 日本が降伏する。この後ロタ島とパガン島もアメリカが占領する。
- 1947年 - 国際連合でアメリカの太平洋諸島信託統治領(Trust Territory of the Pacific Islands)の一部とされ、サイパン島のキャピトルヒルが首都とされた。
- 1950年6月 - アナタハンの女王事件が発覚する。
- 1952年 - サンフランシスコ講和条約発効により、日本が旧委任統治領を放棄する。
- 1986年11月3日 - アメリカとの独自の交渉によりコモンウェルス規約を締結し、レーガン大統領が北マリアナ諸島をコモンウェルスと宣言する。
- 2009年 - 連邦化プログラムが施行され、出入国管理権がアメリカ合衆国連邦政府に移管される[3]。
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住民
人種・民族・宗教
アメリカ市民権を有する者の中では、先住民族のチャモロ人・カロリン人が圧倒的に多い。先住民の多くが、スペイン統治時代に伝来したカトリックを信仰している。最初にこの島々に居住した人々の子孫はチャモロ人と呼ばれるが、現在はミクロネシア連邦に属するカロリン諸島との交流も古い伝統があり、カロリン諸島系の住民(カロリン人)も少なくない。ドイツ及び日本による統治時代には、先住民による遠洋航海禁止政策によって、一旦カロリン諸島との交流は途絶えたが、1970年にサタワル島の航法師ルイス・レッパンルックが再びカロリン諸島とサイパンの間をカヌーによって航海し、現在は両者の交流は再び盛んになっている。
戦後、北マリアナ諸島には、多くの外国人が移住しており、特にフィリピン人と中国人の人口は、チャモロ人を凌駕している。
言語
経済
主要産業は、日本人を対象にした観光業であり、観光客のほとんど(7割以上)を日本人が占めている。かつて、JALグループは、グアム以上にサイパンの観光開発を重視しており、日本‐サイパン間の路線を毎週14便運航し、年間16万人を旅客輸送していた。ホテル経営にも積極的で、ホテル・ニッコー・サイパンを営業しており、最盛期には、大型ショッピングモールラ・フィエスタ・サン・ロケ・ショッピングプラザをオープンさせ脚光を浴びていた。ラ・フィエスタでは、日本航空のジャンボジェットで空輸した雪で雪まつりが行われ、観光客のみならず地元住民も楽しみにしているイベントであった。しかし、2005年後半以降、収益性の低いリゾート路線のコスト削減の観点から、日本航空の定期便運休やサイパン地点撤退の影響もあり、ピーク時に比べ30%減と日本人観光客が減少傾向にある。これに対し、地理的に近いこともあって、韓国人や中国人の観光客が増加しているが、日本人観光客減少の損失を補えるほどではない。このため、北マリアナ経済は、大きな打撃を受けることとなった。そこで、マリアナ政府観光局は、再び日本人観光客を誘致するための政策を行っている、しかし政府の政策も虚しく2018年5月6日を持って唯一サイパンー日本間を結んでいたデルタ航空が撤退すること発表し、今後は LCCなどを誘致して日本への直行便が無い状態が続けば日本人にとって近くて遠い島になってしまうであろう。
かつては繊維業が盛んであった。北マリアナ諸島では、コモンウェルス盟約の規定により、独自の労働法や出入国管理制度が認められていたため、最低賃金を合衆国政府が定める基準よりも低く設定し、そして、入国審査も緩くすることで中国人の出稼ぎ労働者を受け入れ、彼らが働く繊維工場が域内各地に出来た。北マリアナ諸島は米国領であるため、「Made in USA」の表示が許され、安価な北マリアナ製衣服が市場を席巻した。しかし、労働者に対する不当な搾取が問題化したため、合衆国政府は北マリアナ諸島政府からこれらの権限を剥奪し、合衆国政府の管理下に置くこととなった。そのため、これらの繊維工場は次々と閉鎖されることになった。
脚註
- ↑ “Australia-Oceania :: NORTHERN MARIANA ISLANDS (Territory of the US)”. The World Factbook. Central Intelligence Agency. 2013年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
- ↑ “Australia-Oceania :: Guam (Territory of the US)”. The World Factbook. Central Intelligence Agency. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
- ↑ サイパンの歴史 of HISサイパン