日本相撲協会
団体種類 | 公益財団法人 |
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設立 | 2014年1月30日 |
所在地 | 東京都墨田区横網一丁目3番28号 |
起源 | 東京大角力協会 |
主要人物 |
理事長 保志信芳(八角信芳) 事業部長 中山浩一 (尾車浩一) 総合企画部長 青木康(芝田山康) |
活動地域 | 日本 |
活動内容 | 日本国内における相撲興行 |
活動手段 | 本場所・巡業の興行 |
収入 | 114億6,040万3,612円(経常収益・2015年12月期) |
基本財産 | 95億7,236万476円(2015年12月31日現在) |
子団体 | 相撲博物館 |
ウェブサイト | http://www.sumo.or.jp/ |
公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、英語: Japan Sumo Association)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)を授与するために1925年に財団法人として設立され、2014年に公益財団法人に移行した相撲興行団体である。公益法人としての法人格の取得及び維持のため、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の普及を定款上の目的としている。
Contents
概要
日本相撲協会は、公益法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している唯一の法人である。公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管[1]特例財団法人であった。通称「相撲協会」。日本国外のメディアでは「Japan Sumo Association」およびその略称のJSAが使われる。
定款第3条(目的)には、「この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」との定めがあり、この建前に基づき、青少年・学生への相撲の指導奨励[2]、相撲教習所の維持運営、国技館の維持運営、相撲博物館の維持運営などをしているものの、現状の主な事業は、本場所・巡業の興行である。構成員は、年寄、力士、行司、呼出、床山、若者頭および世話人などである。
公益法人としての適格性については、公益事業として相撲の指導普及を図るため指導普及部を設置し、指導普及部一般会員の進級試験も行っているものの、「興行に拘りすぎて、財団法人としての責任義務を果たしていないのではないか」という意見が多数ある。また、公益法人制度改革に関する有識者会議においても、法人の公益性の存在について疑義が提示された[3]。
不祥事
近年では数々の不祥事が明るみになり、公益法人としての責任・あり方が問われている。
2007年には「週刊現代」による八百長疑惑報道、時津風部屋力士暴行死事件、横綱朝青龍明徳の無断帰国・巡業休場問題が相次いで発生し世間の注目を集めた(朝青龍は2010年に別の不祥事の責任を取り引退。また八百長疑惑については「週刊現代」の出版元である講談社を相手取り、力士・年寄により損害賠償を求める複数の民事訴訟が提起され、2011年2月現在すべて勝訴している)。
2008年8月には、現役力士の大麻所持が発覚。協会の再発防止検討委員会が実施した抜き打ち薬物検査で陽性反応が出て、当時の北の湖敏満理事長が辞職した[4]。
2010年5月には大関琴光喜啓司の野球賭博関与[5]に端を発し、少なからぬ力士が常習的に野球賭博を行っていたことが明るみに出た。さらに同年6月には現役の親方が暴力団幹部に本場所を維持員席(いわゆる「砂かぶり席」)で観戦させていたことが発覚した。
2011年にはそれまで協会が否定しつづけてきた八百長疑惑で、警察によって八百長に関与したとされる力士の携帯電話のメールの存在が明らかとなり、一部力士が関与を認めたとされ、これを受けて相撲協会は史上初めてとなる「不祥事による本場所開催の中止」を決定した。
2017年から2018年にかけては、秋巡業中に横綱日馬富士公平による前頭貴ノ岩義司への酒席での暴行(日馬富士は引責により引退)など部屋内外での暴力行為の続出、立行司によるセクシャルハラスメント行為の発覚、十両大砂嵐金崇郎による無免許運転行為(大砂嵐は引退勧告を受け引退)など、協会内における不祥事が相次いで続出。さらに2018年春巡業での大相撲舞鶴場所では多々見良三舞鶴市長が土俵上での挨拶中に倒れ、救命処置のため土俵に上がった女性たちに対し「女性の方は土俵から降りてください」と行司により複数回アナウンスがなされる[6][7][8][9]など、巡業における救命体制や「女人禁制」との問題点が日本国内はもとより海外にも記事が配信され、国際的に批判を浴びている[10]。
沿革
母体は東京に本拠を置いた「東京大角力協会」であり、その起源は江戸時代に遡る。下記以外の歴史については、『大相撲の歴史』を参照。
- 1925年12月9日 - 時事通信社が「東京大相撲協会が財団法人大日本相撲協会に組織替え」と報道(当時の正式名称は「東京大角力協会」)。
- 1925年12月28日 - 財団法人大日本相撲協会設立が許可される。
- 1927年1月5日 - 大坂相撲協会が解散し、大日本相撲協会に合流して、東西大相撲が合併。
- 1927年1月7日 - 新しい番付を発表(1925年から1926年にかけて行われた東西連盟大相撲の成績をもとに作成)
- 1927年1月8日 - 役員改選し、会長には福田雅太郎(陸軍大将)が就任。
- 1928年1月 - 大日本相撲協会に改称。
- 1966年4月1日 - 財団法人大日本相撲協会から財団法人日本相撲協会に改称(文部省関係許可認可等臨時措置令施行規則の一部を改正する省令(昭和41年文部省令第6号))。
- 2014年1月28日 - 公益財団法人の認定を受ける[11]。
- 2014年1月30日 - 財団法人日本相撲協会から公益財団法人日本相撲協会に改称。
役員
公益財団法人となったため、役員の規定が大きく変わった。
評議員
- 定款第12条に基づき、評議員の定数は5名以上7名以内(総数の過半数は外部有識者)。
- 任期は、選任後4年以内に終了する事業年度のものに関する定時評議員会の終了の時まで。すなわち、2018年3月~2022年3月(予定)開催の評議員会まで。
氏 名 | 肩 書 | 備 考 | |
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外 部 | 池坊保子 | 元文部科学副大臣 | 評議員会議長 |
海老沢勝二 | 元日本放送協会会長 第11代横綱審議委員会委員長 元日本相撲協会外部理事 |
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瀧野欣彌 | 元内閣官房副長官 | ||
木村惠司 | 元三菱地所会長 | ||
力士出身者 | 森田武雄 | 元関脇・藤ノ川武雄 元日本相撲協会内部理事 |
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石田佳員 | 元関脇・鷲羽山佳和 元日本相撲協会内部理事 |
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小塚一 | 元前頭2枚目・朝乃翔嚆矢 |
理事・副理事
理事は、年寄から選ばれる理事候補と、外部から選ばれる理事候補から、評議員会によって任命される。定員は10名から15名の間。年寄からの理事候補は、全年寄による単記無記名の投票によって選出される。(以前の財団法人時代には、現役力士代表と立行司にも選挙権があったが、公益財団法人移行にともない、力士と行司の選挙権はなくなった)
理事会は互選で理事長(代表理事)を選出する。年寄からの理事で、理事長以外の理事が業務執行理事となる。
また、副理事は年寄による選挙により、年寄の中から副理事候補が選出され、理事会で任命される。
監事
監事は外部有識者2名から3名が、評議員会で任命される。
現在の役員
- 太字は理事長経験者
役職 | 氏名 | 肩書 | 備考 | |
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理事長 | 保志信芳 | 八角信芳(第61代横綱・北勝海信芳) | 高砂一門 | |
理 事 |
事業部長 | 中山浩一 | 尾車浩一(大関・琴風豪規) | 二所ノ関一門 |
全国維持員会会長 | ||||
博物館運営委員 | ||||
指導普及部長 | 黒谷昇 | 鏡山昇司(関脇・多賀竜昇司) | 時津風一門 | |
生活指導部長 | ||||
危機管理部長 | ||||
博物館運営委員 | ||||
地方場所部長(福岡) | 小林秀昭 | 境川豪章(小結・両国梶之助) | 出羽海一門 | |
巡業部長 | 綛田清隆 | 春日野清隆(関脇・栃乃和歌清隆) | 出羽海一門 | |
監察委員長 | ||||
警備本部長 | ||||
地方場所部長(名古屋) | 小岩井昭和 | 出羽海昭和(前2・小城乃花昭和) | 出羽海一門 | |
教習所長 | 平野兼司 | 山響謙司(前1・巌雄謙治) | 出羽海一門 | |
広報部長 | 青木康 | 芝田山康(第62代横綱・大乃国康) | 二所ノ関一門 | |
総合企画部長 | ||||
博物館運営委員 | ||||
審判部長 | 手島広生 | 阿武松広生(関脇・益荒雄広生) | 貴乃花一門 | |
(ドーピング防止委員長) | ||||
新弟子検査担当 | ||||
地方場所部長(大阪) | 蓬田光吉 | 高島大造(関脇・高望山大造) | 伊勢ヶ濱一門 | |
(外部理事) | 山口壽一 | 読売新聞東京本社代表取締役社長 | ||
今井環 | 元日本放送協会理事 | |||
高野利雄 | 元名古屋高等検察庁検事長 | |||
監 事 | 岡部観栄 | 高野山高等学校校長 高野山真言宗興山寺住職 |
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梶木壽 | 元広島高等検察庁検事長 | |||
福井良次 | 元総務省総務審議官 |
2018年3月26日現在、出羽海一門が理事を4名出している一方、時津風一門、高砂一門、伊勢ヶ濱一門、貴乃花一門の理事はそれぞれ1名だけである。現役時代の最高位が「大関」以上の理事は3人で、「前頭」の理事が2人いることも特徴として挙げられる。
理事長
- 常ノ花以降の歴代理事長を一門別に分けると、出羽海一門7度、時津風一門2度、二所ノ関一門2度となる。
- 理事長は初代(陸軍中将)を除きすべて部屋持ち親方、もしくは部屋持ちの経験がある親方で、部屋持ちの経験がない親方が理事長を務めた例はない。理事長在任時に部屋持ちでなかった親方は武蔵川喜偉(理事長就任前の出羽海親方時代に部屋持ち経験あり)と任期後半の出羽海智敬(理事長職専念のため境川に名跡変更)の2人のみ。
- 再任経験があるのは北の湖敏満のみ。
歴代理事長
代数 | 名前 | 一門 | 在職期間 | 最高位 | 現役名 | 備考 |
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初代 | 廣瀬正徳 | 1920年1月-1938年9月 | 陸軍主計中将 | |||
2代 | 藤島秀光→出羽海秀光 | 出羽海 | 1944年3月-1957年5月 | 第31代横綱 | 常ノ花寛市 | 自殺未遂により任期途中で退任。 |
3代 | 時津風定次 | 時津風 | 1957年5月-1968年12月 | 第35代横綱 | 双葉山定次 | 公選初代理事長。任期途中で死去。 |
4代 | 武蔵川喜偉 | 出羽海 | 1968年12月-1974年1月 | 前頭筆頭 | 出羽ノ花國市 | |
5代 | 春日野清隆 | 出羽海 | 1974年2月-1988年1月 | 第44代横綱 | 栃錦清隆 | 二子山が理事長代理 |
6代 | 二子山勝治 | 二所ノ関 | 1988年2月-1992年1月 | 第45代横綱 | 若乃花幹士 | |
7代 | 出羽海智敬→境川尚 | 出羽海 | 1992年2月-1998年1月 | 第50代横綱 | 佐田の山晋松 | |
8代 | 時津風勝男 | 時津風 | 1998年2月-2002年1月 | 大関 | 豊山勝男 | |
9代 | 北の湖敏満 | 出羽海 | 2002年2月-2008年9月 | 第55代横綱 | 北の湖敏満 | 任期途中で大相撲力士大麻問題の責任を取り辞任 |
10代 | 武蔵川晃偉 | 出羽海 | 2008年9月-2010年8月 | 第57代横綱 | 三重ノ海剛司 | 任期途中で大相撲野球賭博事件の責任を取り辞任 |
代行 | 村山弘義 | 2010年7月4日-8月5日[14] | 元東京高等検察庁検事長 | |||
11代 | 放駒輝門 | 二所ノ関 | 2010年8月-2012年1月 | 大関 | 魁傑將晃 | |
12代 | 北の湖敏満 | 出羽海 | 2012年2月-2015年11月20日 | 第55代横綱 | 北の湖敏満 | 任期途中で死去[15]。 |
代行 | 八角信芳[16] | 高砂 | 2015年11月21日-12月17日 | 第61代横綱 | 北勝海信芳 | 事業部長による代行。後に正式に理事長に選出された。 |
13代 | 八角信芳 | 高砂 | 2015年12月18日- | 第61代横綱 | 北勝海信芳 |
- 年寄名は就任時
- 戦前は会長職を置いていた。会長を務めたのは福田雅太郎(1928年1月-1930年5月)、尾野実信(陸軍大将、1930年5月-1939年5月)、竹下勇(海軍大将、1939年5月-1945年11月)。福田も含めすべての会長が陸海軍の大将で、このことはベースボールマガジン社発行の月刊誌「相撲」のコーナーにおいても詰問されたことがあった。ただ、当時軍人をトップに戴いていた組織はそう珍しくはなかった(現在でも政治家や高級官僚OBを会長とする法人は珍しくない)。
理事長辞任
- 1957年5月 2代理事長 出羽海秀光 - 一族が経営する相撲茶屋(現国技館サービス)での不明朗な経理処理など、協会のありかたが国会で問われたことから、割腹自殺未遂[17]。
- 2008年9月 9代理事長 北の湖敏満 - 大相撲力士大麻問題(弟子の白露山も解雇された)で理事長辞任[17][18]。その後2012年2月に再任。
- 2010年8月 10代理事長 武蔵川晃偉 - 2010年5月に端を発した一連の大相撲野球賭博問題により、同年7月場所を謹慎後、一時復職するが、体調不良により理事長辞任[19]。
協会組織
それぞれの長は理事が務め、その指示のもと各年寄が職務に当たる。2以上の部署を兼任する年寄も多い。
職階は従前と同じく、委員、主任、年寄で、理事、副理事でない副部長は役員待遇委員となる。なお、2014年11月より停年退職の年寄が再雇用される際は参与の処遇となって職務を分掌することになった。
- 相撲教習所
- 新たに相撲協会に登録された力士を6ヶ月間指導教育する。
- 指導普及部
- 生活指導部
- 協会員の生活指導に当たり、適宜適切な指導を行う。部屋持ち親方は全員所属する。
- 事業部
- 東京での本場所の実施運営を行う。
- 審判部
- 本場所相撲における勝敗の判定及び取組の作成を行う。番付の編成も審判部の所管である。
- 地方場所部
- 大阪、名古屋、福岡の地方本場所の実施運営を行う。
- 巡業部
- 地方巡業の実施運営を行う。
- 広報部
- 国内および海外に対する広報業務を行う。また、映像の撮影、製作、管理を担当する。
- 社会貢献部
- 災害の被災地支援などを行う。[20]
- 相撲競技監察委員会
- 本場所相撲における故意による無気力相撲を防止し、監察、懲罰することを目的とする。
- 相撲博物館
- 主に相撲の研究、相撲資料の展覧・整理・保管および出版物の刊行を行う。国技館に併設されている。館長は協会を退職した横綱経験者が務めるのが通例であり、運営委員が理事から選任される。
- 健康保険組合
- 日本相撲協会は独自に健康保険組合を運営しており、構成員全員をその組合員としている。主な業務は相撲協会診療所の運営であり、主に構成員の診療にあたるが、一般人の診療も可能である。
財団法人時代の役員
役員総説
- 役職・階級
- 最高位は理事長である。設立当時の最高位は会長だったが、戦後廃止された。
- 役職は、理事、副理事(2008年以前は監事)、役員待遇委員、委員、主任、年寄(平年寄ともいう)の6職階に分かれている。なお、役員として監事が職階としてあったが、法人法制上は理事の監督機関であるはずの監事が、副部長として業務執行に関与するなどの実態が問題視された。そのため、監督官庁である文部科学省の指導により、法制上の監事は、現在外部登用をしている。それに対し、職階としての監事は「副理事」となった。また、1968年までは理事の上に取締という役職を置き、取締が協会運営の中枢を担っていた。さらに、かつては、主任の上位に参与の職階があったが、公益財団法人転換直前には、参与の職階に属する年寄は全くいなかった。
- 定員
- 役員(理事・副理事)の定数は、寄附行為の定めにより、理事は9名以上13名以内、副理事は3名以内。
- 任期・選任方法
- 理事長は理事の互選で定める。
- 役員(理事・副理事)の任期は2年で、西暦偶数年の1月場所後に選任される。
- 役員は、評議員(年寄名跡105名以内+一代年寄2名、現役力士4名以内、行司2名以内で構成)の投票による選挙で選出される。現役力士、行司の評議員は、それぞれ力士会、行司会の互選で定める。
- 現役力士の評議員は、慣例として日本国籍を有する番付上位(横綱・大関)の者が選ばれる。2000年代後半以降は横綱・大関に占める外国人力士の割合が高くなったため、現役力士の評議員は慢性的に4人を割り続けている。2011年7月場所で大関魁皇が引退同年9月場所後に琴奨菊が大関に昇進するまで、該当者がいなくなっていた時期がある。
- 行司の評議員は立行司がつとめるのが慣例である。
- 役員(理事・副理事)の立候補・投票制度は、1968年1月の協会機構改革により、確立された。1968年の最初の選挙では、監事候補が4名になったため、投票が行われた(高砂一門の若松親方が落選)が、それ以来、各一門が一門別の評議員(選挙人)に応じて立候補者数を調整し、理事・監事選挙に臨んだため、1970年から1996年までの連続14期・28年間は、全ての理事・監事が無投票で選出されていた。選挙が行われた時期は、1998年、2000年、2002年、2010年、2012年、2014年の6回である(協会理事と一門)。
- 1998年の改選の際には、間垣親方(2代若乃花(二所ノ関一門))および8代高田川親方(前の山太郎(高砂一門を破門))が一門の調整外で立候補し、18代陣幕親方(北の富士勝昭(高砂一門))が候補から外されたことで協会を退職したため、理事候補者が11人となり、初めて投票による理事選挙が実施された(当時の理事定数は、7名以上10名以内)。
- 2010年2月の改選の際には、貴乃花光司が、二所ノ関一門を離脱して、調整外で立候補することを表明。定数10に対し、11人が理事に立候補することとなり、2002年以来4期ぶりに理事選挙の投票が実施された。その結果、貴乃花親方が当選し、現行の役員制度になってから5番目に若い理事となった。
- 外部役員の導入
- 役員経験者の処遇
- 理事長経験者は相談役として、理事と同等の待遇を受ける。また、理事経験者や副部長の職責を全うできる者は、役員待遇として副理事と同等の待遇を受けることができる。
理事・監事
寄付行為により、理事定数は10名以上15名以内(うち年寄7名以上10名以内、外部理事5名以内)、監事定数は3名以内。
理事長以外の理事は各部の部長を務める。監事は、理事会及び評議員会に出席できるものの議決権はない。法律では、財団法人の監事は、「理事の業務執行の状況を監査する」機関である。しかし、監事が外部役員となるまでは、理事の部長に対して、監事は副部長として業務執行に従事するなど、法制度を無視する業務執行が行われ、監事の理事の業務執行に対する監査機能が軽視されていた。
諮問機関
諮問機関には、横綱審議委員会、運営審議会の2つがある。2007年には先述の時津風部屋における事件を踏まえて有識者を含む「再発防止検討委員会」を発足させた。委員は、協会からは伊勢ノ海、友綱、秀ノ山、中村、桐山、松ケ根、千賀ノ浦、井筒の8親方、外部からは塔尾武夫(日本相撲連盟副会長)、やくみつる(漫画家で好角家としても知られている)、山口弘典(日本プロスポーツ協会前副会長)、山本浩(元NHK解説委員)。
ガバナンスの整備に関する独立委員会
日本相撲協会全般の改革を目的として外部有識者からなる。 議決権の無いオブザーバーとして親方や力士も参加する。 2010年7月10日発足。第1回会合は7月16日に開かれた。 委員会のメンバーは、奥島孝康、木暮浩明、山本浩、岡本浩一、中島隆信、菅原哲朗、新田一郎、深沢直之、前田雅英、渡邉美樹、森まゆみ。
日本相撲協会自立就職支援相談室の設置
日本相撲協会は、力士引退後の不祥事や、引退間際のトラブル、新弟子入門時の不安解消など、今までの各部屋や師匠任せになっていた力士の引退時のサポートを相撲協会本体で支援するために平成22年9月末日に理事会で承認し、同年10月1日より「日本相撲協会自立就職支援相談室」を設置した。 外部のコンサルティング企業に運営は委託しており、平成23年初場所より引退力士向けのセミナーなどを開催している。
活動内容は関連セミナーの運営、個別相談、インターンシップ先の紹介、民間ハローワークへの紹介など多岐にわたる。
処分
協会が賞罰規定で取り得る処分には、譴責・給与手当減額(減俸)・出場停止・番付降下(親方衆は降格。降格ができない場合は一定期間昇格見送り)・引退勧告・解雇・除名がある。また、賞罰規定にはないが部屋持ちの親方が処分相当となった際に部屋を閉鎖させた(取り潰した)こともある。除名以外は理事会の決議で発動できる。
除名
除名は旧法財団法人下では協会において最も重い懲罰と位置づけられ、理事会の4分の3以上の賛成で評議員会を招集、さらにその4分の3以上の賛成によって特別決議すると定められていた。
1925年(大正14年)に旧法財団法人日本相撲協会が設立された後、旧法財団法人、公益財団法人を通じて除名となった力士・親方はおらず、特に昭和末期以降は確定までの過程が理事会のみと緩い「解雇」によって除名と同等の意味を持たせるケースがほとんどを占める(後述)。戦前には清水川や真鶴、福住などが除名された例として存在するが、どれも正式な懲戒処分としては認められていない。この内清水川と福住は一定期間を経て処分を解除され、大相撲に帰参した。
しかし、明治時代には運営方法の対立から相撲協会とは別の団体を立ち上げようとした力士数名が除名となり、1873年(明治6年)冬場所の番付の四股名は墨塗りされてしまった[22]。解雇と異なる点として、『週刊ポスト』2012年8月17・24日号では名前や成績などの記録が一切抹消される点が説明されている。
現在の公益財団法人体制では、実務上除名に相当するのは「解雇」となる(後述)。解雇処分ではファンの理解を得られない余程の事態があった場合に評議員会の特別決議で対応する形を取る[23]。
解雇
協会における「解雇」は、一般企業の懲戒解雇と諭旨解雇の中間的な形と位置づけられている。理事会において機動的に処理できることから1990年代以降、罪を犯した現役力士や親方衆を協会からの永久追放に付す意味で使われている。除名はヤクザ社会の「絶縁」に相当するが、解雇でも「(形式上でも)引退を許さない」点で「破門」に相当する重い処分であり、相撲のプロ組織は協会以外にない、さらに一度協会を去った力士や親方衆の復職は認められていない[24]ため処分を受けた者は事実上選手生命を絶たれることになる。
解雇を行う場合、理事会の4分の3の賛成で決議される。養老金、勤続加算金(一般企業の退職金に相当)は理事会において支給見送りの付帯決議がなされなかった場合、本人からの請求によって支払われる。特別功労金(一般企業の特別退職金に相当。横綱・大関のみ)は支払われない。
2009年(平成21年)に解雇となった若麒麟真一の事例では除名を求める声もあったが外部役員から「養老金を支払わないために(前年の解雇と同様の事例を)除名にするのはおかしい」との指摘があり解雇に落ち着いた。このため協会は寄付行為施行細則を改正し、解雇であっても理事会の付帯決議で養老金の一部または全部を支払わないことができると定められた[25]。ただ、養老金・退職金を受け取る権利を与えられた解雇者であっても若麒麟をはじめ請求しなかった例も多い。
2007年(平成19年)の15代時津風親方の時は解雇者への養老金支払いについて明文規定がなかったにもかかわらず支払いが凍結されたため裁判に持ち込まれ、結局支払うことで両者が和解した。
引退勧告
賞罰規定による引退勧告処分は、2014年(平成26年)の公益財団法人化と同時に定められた。強制力のある『解雇』程ではないものの、土俵に上げさせない覚悟もあるという意思を表明すると位置づけられていて、公務員の依願退職に近い形で運用することを期待されている。この形での適用第一号となったのは、2018年(平成30年)の大砂嵐である。
協会には賞罰規定とは別に『故意の無気力相撲に対する懲罰規定』も存在しており、こちらでは以前から「引退勧告」の制度があった。
なお、力士のうち横綱の番付降下は事実上不可能であるため、これに相当する場合には横綱審議委員会が「引退勧告」を行うことができる。
理事会が発動する引退勧告には期限を付けることができ、期日までに引退届が提出されなければ強制力のある解雇処分に切り替えることができる。これに対し横審の引退勧告には強制力がない。
過去に処分された力士・親方衆・関係者
これまでの処分には以下のものがある。
年月日 | 対象者 | 処分 | 理由 | |
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1 | 1985年2月 | 12代花籠(横綱・輪島大士) | 降格(委員→年寄) 無期限謹慎[詳細 1] |
年寄名跡を借金の担保にしたため[詳細 2]。 |
2 | 1995年6月 | 14代振分(前頭12・朝嵐大三郎) | 降格(委員→年寄) 当年度一杯謹慎 |
自身のサイドビジネスに絡み日本相撲協会の肖像権規定に違反したため。 |
3 | 1997年1月 | 16代山響(小結・前乃臻康夫) | 解雇 | 1996年11月場所から翌年初場所まで予告なしに本場所を欠場(失跡)したため[詳細 3]。 |
4 | 1998年8月 | 14代雷(小結・羽黒岩智一) | 降格(委員→年寄) | 1998年3月場所の入場券収入の一部を計上しなかったため。 |
5 | 2000年12月 | 6代高砂(小結・富士錦猛光) | 降格(役員待遇委員→年寄) | 弟子の闘牙進が現役力士の運転原則禁止に違反したうえに、交通死亡事故を起こした監督責任を問われたため。 |
6 | 2006年7月 | 前頭3・露鵬幸生 | 3日間出場停止 | 本場所中、カメラマンに暴行したため。 |
7 | 2007年5月 | 前頭8・旭天鵬勝 | 1場所出場停止 期間中謹慎 |
現役力士の運転原則禁止に違反し、自動車を運転して人身事故を起こしたため。 |
8 | 2007年8月 | 横綱・朝青龍明徳 | 2場所出場停止 期間中謹慎 給与手当30%減額4か月 |
腰の骨折などと称して療養のためモンゴルへ帰国した直後に中田英寿らとサッカーに興じたことで、詐病が疑われたため。 |
9 | 2007年10月 | 15代時津風(小結・双津竜順一) | 解雇 | 時津風部屋力士暴行死事件に関与したため。 |
10 | 2008年8月21日 | 前頭1・若ノ鵬寿則 | 解雇 | 大麻取締法(所持)違反で逮捕されたため[詳細 4]。 |
11 | 2008年9月8日 | 前頭3・露鵬幸生 十両6・白露山佑太 |
解雇 | 大麻使用の疑いのため[詳細 4]。 |
16代大嶽(関脇・貴闘力忠茂) | 降格(委員→年寄) | 弟子の露鵬幸生に対する監督責任を問われた[詳細 4]。 | ||
12 | 2008年12月18日 | 序ノ口7・明義豊
番付外・怒濤 番付外・時王丸 |
解雇 | 時津風部屋力士暴行死事件に関与したため。 |
13 | 2009年2月21日 | 十両3・若麒麟真一 | 解雇[詳細 5] | 大麻取締法(所持)違反で逮捕されたため[詳細 6]。 |
14 | 2010年2月4日 | 7代高砂(大関・朝潮太郎) | 降格(役員待遇委員→主任) | 弟子の朝青龍明徳の一般男性への暴行事件の監督責任[詳細 7]。 |
15 | 2010年5月27日 | 11代木村瀬平(前1・肥後ノ海直哉) | 降格(委員→年寄) 2013年5月まで昇格見送り[詳細 8] 部屋閉鎖[詳細 9] |
大相撲野球賭博問題によるもの。 |
10代清見潟(前1・大竜川一男) | 譴責 | |||
16 | 2010年7月4日 | 16代大嶽(関脇・貴闘力忠茂) | 解雇 退職金100%減額[詳細 10] | |
大関・琴光喜啓司 | 解雇 | |||
12代阿武松(関脇・益荒雄広生) | 降格(委員→年寄) 2020年7月まで昇格見送り[詳細 11] | |||
16代時津風(前3・時津海正博) | 降格(主任→年寄) 2015年7月まで昇格見送り[詳細 11] | |||
正副理事全員 | 給与手当減額2ヶ月最大30% | |||
17 | 2010年9月8日 | 三段目23・古市貞秀 床山・床池 |
解雇 | |
十両11・松谷裕也 三段目21・若力堂聖也 |
2場所出場停止 | |||
13代佐渡ヶ嶽(関脇・琴ノ若晴將) 9代松ヶ根(大関・若嶋津六夫) |
降格(委員→年寄) | |||
力士39名[詳細 12] | 譴責 | |||
18 | 2010年12月24日 | 11代宮城野(十両2・金親和憲) | 宮城野部屋の師匠交代勧告 降格(主任→年寄) 定年(2034年11月)まで昇格見送り |
週刊誌の記事で八百長を疑わせる発言を行ったため[詳細 13]。 |
19 | 2011年4月1日 | 力士21名 年寄19名 |
引退・退職勧告20名 出場停止・停職2年3名 降格14名 昇格見送り3名 |
大相撲八百長問題によるもの。 |
20 | 2011年4月6日 | 12代谷川(小結・海鵬涼至) | 解雇 | |
21 | 2011年4月14日 | 前15・蒼国来栄吉 十5・星風芳宏 |
解雇[詳細 14] | |
22 | 2011年4月20日 | 17代尾上(小結・濱ノ嶋啓志) | 2021年4月まで昇格見送り[詳細 11] | 酒気帯び運転で警視庁に摘発されたため[詳細 15]。 |
23 | 2015年10月1日 | 16代熊ヶ谷(十2・金親和憲) | 解雇 | マネージャーへの傷害容疑で逮捕・起訴されたため。 |
24 | 2015年11月14日 | 40代式守伊之助 | 3日間の出場停止 | 2015年秋・九州場所で2場所連続合計3回の軍配差し違えに対する処罰[詳細 16]。 |
25 | 2017年12月20日 | 横綱・白鵬翔 | 給与手当100%減額1か月 給与手当50%減額1か月 |
日馬富士公平の貴ノ岩義司への暴力沙汰を止められずその後の言動で角界の信用を失墜させた事に対する処罰[詳細 17]。 |
横綱・鶴竜力三郎 | 給与手当100%減額1か月 | 日馬富士公平の貴ノ岩義司への暴力沙汰を止めらなかったことに対する連帯責任。 | ||
26 | 2018年1月4日 | 一代貴乃花(横綱・貴乃花光司) | 降格(理事→役員待遇委員) | 日馬富士公平の貴ノ岩義司への暴力沙汰について協会の忠実義務違反[詳細 18] |
27 | 2018年1月13日 | 40代式守伊之助 | 3場所出場停止 期間中謹慎および給与手当100%減額 |
若手行司に対するセクシャル・ハラスメント行為[詳細 19]。 |
28 | 2018年3月9日 | 幕下6・大砂嵐金崇郎 | 引退勧告[詳細 20] 養老金30%減額 |
現役力士の運転原則禁止に違反したうえ、追突事故を起こし道路交通法違反(無免許運転)により略式起訴されたため。 |
29 | 2018年3月29日 | 十両14・貴公俊剛 | 1場所出場停止 | 春場所中、支度部屋での付け人(貴西龍一成)への暴力行為。 |
30 | 2018年3月29日 | 一代貴乃花(横綱・貴乃花光司) | 降格(委員[詳細 21]→年寄) | 春場所中における無断欠勤など協会の職務専念義務違反および弟子の貴公俊剛による暴力行為についての監督責任。 |
31 | 2018年3月29日 | 三段目25・光源治晴 | 1場所出場停止 | 元弟弟子に対する常習的な暴力行為。 |
7代峰崎(前頭2・三杉磯拓也) | 給与手当10%減額2か月 | 弟子の暴力行為についての監督責任。 |
- ↑ 1985年12月退職。
- ↑ 輪島大士#大相撲時代
- ↑ 前乃臻康夫#来歴
- ↑ 4.0 4.1 4.2 大相撲力士大麻問題
- ↑ 養老金支払いの可能性を摘むため除名も検討されたが結局解雇に落ち着く。
- ↑ 鈴川真一#大麻取締法違反
- ↑ 朝青龍明徳#引退
- ↑ 2014年(平成26年)4月3日付の職務分掌により主任に再昇格。
- ↑ 所属力士は北の湖部屋へ移籍。
- ↑ 理事会の付帯決議で退職金支給が取り消された初の事例となった。
- ↑ 11.0 11.1 11.2 2014年4月3日の理事会で処分が見直されて降格前の地位に復帰した。 野球賭博問題で据え置きの阿武松親方ら昇格 - スポーツ報知 2014年4月4日閲覧。
- ↑ うち17名は7月場所を謹慎休場。
- ↑ 金親和行#八百長発言疑惑
- ↑ 蒼国来は解雇を不服として東京地方裁判所に提訴し、2013年3月25日付で解雇無効の判決が出されて、2013年名古屋場所から現業復帰した。
- ↑ 濱ノ嶋啓志#来歴
- ↑ 式守伊之助 (40代)#3場所連続、4度の軍配差し違え(2015年9月場所 - 2016年1月場所)
- ↑ 日馬富士公平#暴行事件、白鵬翔#2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-
- ↑ 理事の解任であったため、評議会の議決を経て処分された。
- ↑ 辞表を提出するも協会預かりとなり、解除後の5月場所後に受理予定。
- ↑ 発表後即日、勧告を受け入れて引退届を提出した。
- ↑ 前日の理事会において、職務分掌変更により役員待遇委員から委員に降格していた。
協会葬
在職中、または現役中に相撲界の発展に多大に寄与した者に対し、日本相撲協会葬を行う。原則として、在職中に死去した理事経験者か横綱の場合に限る[26]。ただし、協会を退職していた出羽ノ花國市や三役にも理事長にもなっていない柏戸秀剛が協会葬になった例がある。
年月日 | 名前 | 最高位・現役名 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1 | 1922年12月28日 | 出羽ノ海谷右衛門 | 横綱・常陸山 | |
2 | 1938年12月22日 | 玉錦三右衛門 | 横綱・玉錦 | 現役没 |
3 | 1940年5月30日 | 木村庄之助(松翁) | 木村庄之助 | 立行司、20代。現役没 |
4 | 1942年12月28日 | 木村良雄 | 木村良雄 | 十枚目格行司。現役没 |
5 | 1942年12月28日 | 橋詰正次 | 三段目 | 戦争により死亡 |
6 | 1949年1月26日 | 出羽海梶之助 | 小結・両國 | |
7 | 1953年1月28日 | 立浪弥右衛門 | 小結・緑嶌 | |
8 | 1959年10月6日 | 春日野剛史 | 横綱・栃木山 | |
9 | 1960年12月26日 | 出羽海秀光 | 横綱・常ノ花 | 第2代藤島理事長 |
10 | 1968年12月25日 | 時津風定次 | 横綱・双葉山 | 第3代時津風理事長 |
11 | 1969年10月20日 | 立浪政司 | 横綱・羽黒山 | |
12 | 1971年9月2日 | 秀ノ山勝一 | 関脇・笠置山 | |
13 | 1971年9月4日 | 高砂浦五郎 | 横綱・前田山 | |
14 | 1971年12月23日 | 玉の海正洋 | 横綱・玉の海 | 現役時の病没 |
15 | 1975年3月27日 | 二所ノ関勝巳 | 大関・佐賀ノ花 | |
16 | 1977年4月22日 | 伊勢ヶ濵万蔵 | 横綱・照國 | |
17 | 1977年12月23日 | 宮城野潤之輔 | 横綱・吉葉山 | |
18 | 1982年12月28日 | 伊勢ノ海裕丈 | 幕内・柏戸 | |
19 | 1987年6月2日 | 市川國一 | 幕内・出羽ノ花 | 第4代武蔵川理事長 |
20 | 1988年12月13日 | 高砂浦五郎 | 横綱・朝潮 | |
21 | 1990年1月31日 | 春日野清隆 | 横綱・栃錦 | 第5代春日野理事長 |
22 | 1996年12月18日 | 鏡山剛 | 横綱・柏戸 | |
23 | 2005年6月13日 | 二子山満 | 大関・貴ノ花 | |
24 | 2015年12月22日[27] | 北の湖敏満 | 横綱・北の湖 | 第9代・12代北の湖理事長 |
※名前は逝去時。退職者は本名。
公式キャラクター
2009年よりマスコットとして「ハッキヨイ!せきトリくん」が登場した。せきトリを目指す「ひよの山」を主人公に「そっぷ山」「赤鷲」などのキャラクターも登場。デザイナーはにしづかかつゆき。 大相撲にマスコットを設置した理由については、相撲離れの進む若い世代にもっと相撲に興味をもらう事が目的の一つであるという。 公式サイトや関連刊行物にも子供達が読みやすいよう、漢字に読み仮名を振る配慮がされている。 2010年よりぬいぐるみや文房具などグッズも作られる。
脚注
- ↑ 中央省庁再編前は文部省
- ↑ ただし、アマチュア相撲は日本相撲連盟が統括している。
- ↑ 内閣官房行政改革推進室「第4回 公益法人制度改革に関する有識者会議」議事録における星野英一発言
- ↑ この検査は、世界アンチ・ドーピング機関及び日本アンチ・ドーピング機構の認定検査機関である三菱化学メディエンスが実施した。
- ↑ 親方らから事情聴取 野球賭博報道で相撲協会 MSN産経ニュース、2010年5月20日
- ↑ 大相撲舞鶴場所、舞鶴市長倒れ、救命女性に「女性は土俵から降りて下さい」とアナウンス
- ↑ 救命女性に「土俵から下りて」 大相撲巡業、市長倒れ
- ↑ 若手行司が女人禁制の指摘に慌て土俵降下アナウンス
- ↑ 市長の応急処置で土俵上がった女性に「下りて」
- ↑ 女性土俵問題、米でも報道 「日本の差別反映」と批判 - 産経ニュース 2018年4月6日
- ↑ 公益財団法人の認定を受けて (PDF) 日本相撲協会 2014年1月28日
- ↑ “評議員に就任→年寄を一度退任 相撲協会、公益法人認定”. スポニチアネックス. (2014年1月29日) . 2017閲覧.
- ↑ “現職7人と新任3人 10人の親方を理事に選任”. 毎日新聞. (2018年3月26日) . 2018閲覧.
- ↑ 当初は武蔵川の謹慎期間の7月25日までとされたが、武蔵川が病気入院した為、8月5日まで続投している。
- ↑ 北の湖理事長が死去、62歳 直腸がん多臓器不全 優勝24回で一時代 スポニチアネックス 2015年11月20日20時28分
- ↑ 相撲協会、理事長代行は八角親方 日刊スポーツ 2015年11月20日閲覧
- ↑ 17.0 17.1 大相撲大麻疑惑:北の湖理事長が辞任…露鵬、白露山は解雇 2008年9月8日付 毎日新聞
- ↑ 北の湖理事長が辞任、2力士の大麻疑惑「クロ」2008年9月8日付 読売オンライン
- ↑ 武蔵川理事長辞任、後任に放駒親方 2010年8月12日付 読売オンライン
- ↑ “相撲協会、被災地支援など目的とした「社会貢献部」を新設”. SANSPO.COM. (2017年1月26日) . 2017閲覧.
- ↑ 日本相撲協会 役員外部招聘 時事通信 2008年9月30日閲覧
- ↑ 「相撲協会の除名とはどんな処分か?」 - 日刊スポーツ2010年6月22日付。
- ↑ 相撲協会、日馬富士の処分先送り 長期化も辞さず - スポーツ報知 2017年11月15日掲載。
- ↑ 日本相撲協会寄附行為施行細則96条 - MMTS相撲ホームページ 2010年7月4日閲覧。
- ↑ 役員の退職金規定について - 日本相撲協会公式ホームページ 2010年7月4日閲覧。
- ↑ 昭和の大横綱・大鵬、急死…最期は優しい顔 SANSPO.COM 2013年1月20日
- ↑ 北の湖さん協会葬、鈴木大地長官ら2500人が参列 日刊スポーツ 2015年12月22日閲覧