星野英一
星野 英一 | |
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生誕 |
1926年7月8日 日本 大阪府 |
死没 | 2012年9月27日(86歳没) |
教育 | 法学博士(東京大学) |
'業績' | |
専門分野 | 民法 |
受賞歴 |
1993年 紫綬褒章 2007年 文化功労者 |
星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。
Contents
人物
大阪府生まれ(ただし、戸籍上は神奈川県小田原市)。父は、元銀行員で後に弁護士。母方の祖父以来、カトリック教徒。
東京高師附属小・中学校(現・筑波大附属小、同附属中・高)、旧制一高を経て、東京大学法学部卒業。附属中学校の同期には、星新一、槌田満文、今村昌平、大野公男、児玉進、黒澤洋(元日本興業銀行会長)などがいる。
1946年から3年間、結核のため、小金井の桜町病院とその姉妹サナトリウムである房総の海上寮で療養する。我妻栄の弟子。我妻の『近代法における債権の優越的地位』(有斐閣、1953年)の校正は当時研究生であった星野が行った。弟子としては一番若手でありながら東大民法学を継ぐ。加藤一郎と利益考量論を提唱したが、価値判断は、他人の結論を覚えるものではなく、自ら思索してつかむものと学生を戒めた[1]。
大学進学率が高くない昭和50年代において、非進学者および非専攻者向けに契約法までの分野について、専門的な法的思考および法現象の考察方法を『民法概論』シリーズとして内容に盛り込み順次上梓したが、これはオープンカレッジの先駆け的著作でありその後にはみられない優れたものであった。ちなみに、星野の利益考量論は独自の解釈論的意味合いがあるとされているが、端的には、解釈手法としての利益「衡」量論とは複合的な利益関係を考慮する点で区別されている。
妻は英文学者・元津田塾大学教授の星野美賀子(1931- )。
学説
星野は、日本の民法の歴史について、起草者による民法典の解説・注釈の第1期、ドイツ民法学全盛の第2期、第2期に対する批判と民法学の転回の第3期に分け、我妻理論・体系を第3期の集大成との最大限の評価をしつつも、その超克を説いた[3]。
星野は、実定法学の研究には、哲学的研究、科学的研究、法律技術の研究と三つの異なった次元の方法による作業がなされているとし、従来意識されていなかったこの方法の区別を明確に意識した上で[4]、自らの研究の成果を哲学、科学、法解釈学のすべてに押し及ぼした。
一般に、日本の民法典はドイツ民法を最も主要な母法にしているものと理解されているが[5][6][7][8]、星野は、日本の民法がボアソナードを通じてフランス法の影響も強く受けていると分析した上で、民法解釈学において当時通説とされていた我妻理論・体系が鳩山秀夫の影響によって、ある公理・理論を構築した上で、それから演繹して具体的規範を提示するドグマチックなドイツ法由来の法解釈の弊が引き継がれているとし、かかる法解釈に拘束される必然性がないと主張した。もっとも、起草者らはむしろドイツ民法が最も主要な母法であることを強調し[9][10][11][12][13][14]、日本民法の解釈においても、基本的にドイツ民法学的方法によるべきことを主張しており[15]、星野の学説に対しては、フランス法の影響を過度に強調するものとの批判もなされている[16]。
星野は、ドイツ法由来の解釈から解放された後の、日本の民法の法解釈の手順として主張されたのが利益考量論であるとした。星野は、法哲学的研究の結果、自然法論の立場にたち、価値にはその高低による序列がありやがては価値体系のピラミッドが構成されるとした上で、法解釈の手順には一定の優先順位があるとし、条文または法律全体からみてどうしても認めざるを得ない書かれざる原則から出発し、哲学的・科学的研究を経た上で、最終的には利益考量を経た帰納的方法によって具体的規範を提示するとの方法を主張した[17]。
利益考量論は、第一次法解釈論争によって戦後の民法解釈の正当理論とされた川島武宜、来栖三郎 (法学者)らの学説の潮流を継ぐものとして有力な支持を得たが、これに対し、同じ東大の 平井宜雄は、反旗を翻し、価値の優劣の判断や価値体系の構成は不可能であり、利益考量論が法学教育に及ぼしている非合理主義を批判した上で、訴訟における法律による紛争解決のための法解釈と、立法における価値判断や政策目的が重視される制度設計のための法解釈を区別し、前者においては、価値判断を重視して帰納的方法によって具体的規範を提示するべきではなく、「反論可能性」(カール・ポパーの「反証可能性」に影響を受けて考えだされた造語である)を満たす「議論」によって正当化される理論に基づき、体系性を重視した具体的規範を提示する方法をとるべきだと主張して第二次法解釈論争を巻き起こした[18]。
星野は、平井の批判は利益考量論の考量の意味について異なった一つの見解を示すものであり、これによれば、その主張とは反対にかえって概念法学になってしまうとしている。利益考量論とは、法社会学、比較法学、歴史、哲学等の重要性を認識するものであり、法律の制定的側面のみ強調し、制定目的について考えの及ばない法技術屋とは異なる、豊かな教養・見識のある法律家の養成をとくものであると反論している[19]。
戦後のこれらの法解釈論争とは、法の認識について、その形式性/実質性(具体性)の相違について、様ざまな価値観念の包括された、視点を変えた議論であることを理解しなければならない。すなわち、法の実存性にどのくらいの形式性を与え、かつ、実質を持たせるかということである。とりもなおさず、これは、法における形式性と具体性との考量である。かつて、放送大学の演習講義において、星野は、学説の時流的要素および相対的要素について言及し、この理解が要されることを説いている。
略歴
- 1939年 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業
- 1944年 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
- 1947年 第一高等学校(旧制)卒業
- 1951年 東京大学法学部卒業
- 1945年6月 日本帝国陸軍に応召。甲府、岡山、伯耆大山と異動。同年、9月復員。
- 1954年 東京大学法学部助教授
- 1962年 法学博士(東京大学、学位論文「フランス不動産登記法の研究 : わが法制と対比しつつ」)[20]
- 1964年 東京大学法学部教授(-1987年)
- 1987年 定年退官、名誉教授、千葉大学法経学部教授
- 1992年 放送大学教養学部教授(-1997年)
- 1993年 紫綬褒章受勲。
- 1996年 日本学士院会員
- 2007年 文化功労者
- 元法制審議会 委員・部会長
- 元日本私法学会 理事長
- 民法典現代語化研究会座長
- 法人制度研究会座長
- 財団法人公益法人協会顧問
- 財団法人国際民商事法センター学術評議員[21]
- 財団法人日仏会館評議員
- 財団法人全国銀行学術研究振興財団理事
著書
体系書・概説書
- 『民法概論 I 序論・総則[改訂版]』(良書普及会、1983年、初版:1970年)
- 『民法概論 Ⅱ 物権・担保物権[合本再訂版]』(良書普及会、1981年)
- 『民法概論 Ⅲ 債権総論[補訂版]』(良書普及会、1981年、初版:1978年)
- 『民法概論 IV 契約[合本新訂版]』(良書普及会、1994年、初版:1975年)
- 『家族法』(放送大学教育振興会、1994年)
- 『借地・借家法』(有斐閣法律学全集、1969年)
- 『民法の焦点PART1総論』(有斐閣リブレ、1987年)
- 『民法のすすめ』(岩波新書、1998年)
- 『民法のもう一つの学び方[改訂版]』(有斐閣、2006年、初版:2002年)
- 『法学入門』(有斐閣、2010年11月27日)
論文集
- 『民法論集1巻』(有斐閣、1970年)
- 『民法論集2巻』(有斐閣、1970年)
- 『民法論集3巻』(有斐閣、1972年)
- 『民法論集4巻』(有斐閣、1978年)
- 『民法論集5巻』(有斐閣、1986年)
- 『民法論集6巻』(有斐閣、1986年)
- 『民法論集7巻』(有斐閣、1989年)
- 『民法論集8巻』(有斐閣、1996年)
- 『民法論集9巻』(有斐閣、1999年)
- 『民法論集10巻』(有斐閣、2015年)
- 『现代民法基本问题』(上海三联書店、2015年)(杨永庄訳)
判例研究
- 『民事判例研究 第2巻1 総則・物権』(有斐閣、1971年)
- 『民事判例研究 第2巻2 債権』(有斐閣、1972年)
- 『民事判例研究 第2巻3 親族相続・借地借家等』(有斐閣、1973年)
- 『民事判例研究 第3巻1 総則・物権』(有斐閣、1990年)
- 『民事判例研究 第3巻2 債権ほか』(有斐閣、1990年)
編著
- 『隣人訴訟と法の役割』(有斐閣、1984年)ISBN 4641900825
- 『私法学の新たな展開 : 我妻栄先生追悼論文集』(有斐閣、1975年)
- 『現代社会と民法学の動向 : 加藤一郎先生古稀記念』(有斐閣、1992年)(森島昭夫共編)
- 『民法講座1~9』(有斐閣、1984-1990年)(編集代表)
- 『民法典の百年(1)~(4)』(有斐閣、1998年)(広中俊雄共編)
- 『判例に学ぶ民法』(有斐閣、1994年)
随筆
- 『心の小琴に』(有斐閣、2002年)
- 『法学者のこころ』(有斐閣、2002年)
- 『ときの流れを超えて』(有斐閣、2006年)
- 『人間・社会・法(長崎純心レクチャーズ)』(創文社、2009年)
脚注
- ↑ 上掲『民法概論 I 』のはしがき10頁
- ↑ “星野英一・東京大名誉教授が死去”. 朝日新聞. (2012年9月28日) . 2012閲覧.(リンク切れ)
- ↑ 上掲『民法の焦点PART1総論』67~76頁
- ↑ 上掲『民法論集5巻』所収「民法学の方法に関する覚書」
- ↑ 和仁陽「岡松参太郎――法比較と学理との未完の綜合――」『法学教室』183号79頁
- ↑ 我妻栄『近代法における債權の優越的地位』478頁(有斐閣、1953年)
- ↑ 加藤雅信『新民法大系I民法総則』第2版(有斐閣、2005年)27頁
- ↑ 裁判所職員総合研修所『親族法相続法講義案』6訂再訂版4頁(2007年、司法協会)
- ↑ 梅謙次郎「我新民法ト外国ノ民法」『法典質疑録』8号671頁(1896年)、加藤雅信『現代民法学の展開』130頁(有斐閣、1993年)
- ↑ 穂積陳重「獨逸民法論序」『穂積陳重遺文集第二冊』421頁、「獨逸法学の日本に及ぼせる影響」『穂積陳重遺文集第三冊』621頁
- ↑ 富井政章『民法原論第一巻』序5頁
- ↑ 仁井田益太郎・穂積重遠・平野義太郎「仁井田博士に民法典編纂事情を聴く座談会」法律時報10巻7号24頁
- ↑ 仁保亀松『国民教育法制通論』19頁(金港堂書籍、1904年)、仁保亀松講述『民法総則』5頁(京都法政学校、1904年)
- ↑ 松波仁一郎=仁保亀松=仁井田益太郎合著・穂積陳重=富井政章=梅謙次郎校閲『帝國民法正解』1巻8頁(日本法律学校、1896年、復刻版信山社、1997年)
- ↑ 梅謙次郎「法律の解釈」太陽9巻2号56-62頁(博文館、1903年)、瀬川信久「梅・富井の民法解釈方法論と法思想」『北大法学論集』41巻5-6号402、423頁(北海道大学、1991年)、梅謙次郎述『民法総則(自第一章至第三章)』304頁-309頁(法政大学、1907年)
- ↑ 加藤雅信『現代民法学の展開』122頁(有斐閣、1993年)
- ↑ 上掲『民法論集8巻』所収「民法の解釈の方法について」
- ↑ 平井宜雄『法律学基礎論覚書』(有斐閣、1989年)、『続法律学基礎論覚書』(有斐閣、1991年)
- ↑ 「『議論』と法学教育」『ジュリスト940~943号』(有斐閣)
- ↑ 博士論文書誌データベース
- ↑ 財団法人国際民商事法センターから法務省法務総合研究所国際協力部で行われている法整備支援連絡会に出席し、協働作業的アプローチによる法整備支援を積極的に推進すべきとの発言を行なっていた。第8回法整備支援連絡会議事録57頁他。
門下生
- 内田貴 - 森・濱田松本法律事務所客員弁護士、元法務省経済関係民刑基本法整備推進本部参与、東京大学名誉教授
- 大村敦志 - 東京大学教授
- 加藤雅信 - 名古屋学院大学教授、アンダーソン・毛利・友常法律事務所客員弁護士、元上智大学教授、名古屋大学名誉教授
- 中田裕康 - 早稲田大学教授、東京大学名誉教授、一橋大学名誉教授
- 廣瀬久和 - 元青山学院大学教授、東京大学名誉教授
- 森田宏樹 - 東京大学教授
- 吉田邦彦 - 北海道大学教授
- 河上正二 - 青山学院大学教授、元東京大学教授
追悼企画・追悼文等
- 滝沢聿代「追悼・星野英一先生」書斎の窓621号(2013年1=2月号)2-5頁