時津風部屋力士暴行死事件
時津風部屋力士暴行死事件(ときつかぜべやりきしぼうこうしじけん)は、2007年6月に大相撲時津風部屋に新弟子として在籍していた序ノ口力士の少年が、愛知県犬山市の宿舎で暴行(私刑)を受け、死亡した事件である。新弟子リンチ死事件とも呼ばれている。
概要
2007年6月26日、同年春に時津風部屋に新弟子として入門した当時17歳の少年が、稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の犬山中央病院で、約1時間後に死亡が確認された。救急車で少年を搬送した犬山市消防本部は、巡業先を管轄する愛知県警犬山署に「労働災害の可能性あり。不審死の疑い」と連絡していたが、病院の医師は死因を急性心不全と診断、犬山署は虚血性心疾患に変更して発表した。
遺体に残された外傷や「死亡した新弟子はマリファナを使っていた」という証言、新弟子に死因の責任を転嫁する当時の師匠・15代時津風(元小結・双津竜)の発言などから、新弟子の両親が死因を不審に思い、地元の新潟に遺体を搬送し、同月28日、新潟大学医学部で公費承諾解剖を実施したことから暴行の事実が発覚した。
検察側の主張によると、新弟子が稽古や人間関係の厳しさから部屋を脱走したことに15代時津風が憤慨して、6月25日にビール瓶で額を殴り、さらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示したとされる。翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分ほど行い、新弟子が倒れた後も蹴りを入れたり、金属バットで殴打するなど集団暴行した。警察の任意取調べに対して15代時津風や数人の兄弟子が容疑を認めた[1]。
こうした事態を受け、日本相撲協会は2007年10月5日に15代時津風を解雇した。相撲協会が年寄を解雇したのは1997年1月の16代山響(元小結・前乃臻)以来2例目、部屋持ち親方としては史上初のことであった。なおその後、2010年の大相撲野球賭博問題により、部屋持ちであった大嶽親方が解雇されている。
2007年10月9日、解雇された15代時津風こと山本順一の後継として部屋を継承するために、時津海正博が急遽現役を引退し、16代時津風を襲名した。時津海の引退と年寄襲名により、日本相撲協会は2007年11月場所番付に於いて、引退した時津海が位置する予定であった西前頭11枚目を空位にするという措置を取った。これは、時津海が年寄「時津風」として番付に掲載されることにより、番付上の重複を避けるためである。幕内の番付で空位が発生したのは、一部年寄の専横に抗議の声を上げ、1873年(明治6年)11月場所番付で力士名を墨で塗り潰された当時の東京相撲西関脇・小柳、前頭筆頭・高砂以来、134年ぶりの珍事となった。
愛知県警は死因特定の遺体の組織検査の結果、長時間にわたる殴打や圧迫を受けて壊死した筋細胞から、血液に漏出したミオグロビンやカリウムが通常よりも高い値で検出され、これにより挫滅症候群の症状を示したことが死亡の原因になったと判断した。火の点いた煙草を押しつけたと思われる火傷の跡などもあり、暴行と死亡との因果関係が立証されたため、2008年2月7日、山本と少年の兄弟子3人を傷害および傷害致死容疑で逮捕した。また、遺族に無断で遺体を火葬しようとしたことも発覚しており、暴行の事実を隠蔽しようとした疑いがもたれた[2]。また、同年2月29日に、これとは別の兄弟子3人(うち1人はこの時点で引退済)が、愛知県警に書類送検された。
兄弟子の1人は自身の公判において、脱走した新弟子を連れ戻した父親が部屋にとどまることを懇願した2007年6月20日、新弟子は部屋の屋上で喫煙し吸い殻を階段から投げ捨てており、日頃から近隣住民の苦情を受けていた山本の妻がこれに憤慨し暴行を指示したと証言している[3]。
なお、この暴行の際に十両以上の力士は不在であったとされている[4]。
逮捕に際し、日本相撲協会は一定の反応は示したものの、協会として反省・総括を一切示すことなくのちに平常通り活動を行っている。なお、力士への稽古指導が刑事事件へ発展したのは、協会が発足して以来初めてのことである。
マスメディアが日本相撲協会による事情聴取について取材しようと時津風部屋に駆け付けた際に、時津風部屋所属力士が憤慨し、カメラマンに暴行する事態も発生している。
刑事訴追その他
2008年12月8日、暴行に関わった兄弟子3人は、名古屋地方裁判所にて執行猶予付きの有罪判決(うち2人は懲役3年・執行猶予5年、1人は懲役2年6月・執行猶予5年)が確定し、これを理由として相撲協会を解雇されている。
2009年5月29日、名古屋地方裁判所は山本に対し、懲役6年の実刑判決を言い渡した。山本は即日控訴し保釈を申請した。この申請が認められ、同日、名古屋拘置所を出所した。保釈保証金は1,000万円。
2010年4月5日、名古屋高等裁判所にて控訴審の判決が言い渡された。名古屋高裁は一審終了後に、山本が退職金を被害弁済に充当したことなどを情状として酌量し、一審判決を破棄し新たに懲役5年の実刑判決を下した。山本は即日上告したが、2011年8月29日付で最高裁判所は上告を棄却、二審の懲役5年の実刑判決が確定した[5]。
2014年8月、仮釈放中の山本が都内の病院で、肺癌により64歳で死去した[6]。末期がんのため刑の執行が停止された状態であったといわれる。
2015年2月12日に警視庁が発表したところによると、全国の警察が2014年に取り扱った死体総数16万6353体(交通事故・東日本大震災関連を除く)のうち、事件性の有無を判断するために検視官が現場に立ち会った「臨場率」が、前年比9.6ポイント増の72.3%で過去最高であった。これは時津風部屋力士暴行死事件をきっかけに、死因究明上のポイントとされる検視官が増員された結果であるとされる[7]。
脚注
- ↑ “時津風部屋17歳力士へ金属バットで暴行”. 日刊スポーツ. 2007年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2007年9月27日閲覧.
- ↑ “時津風部屋 無断で火葬準備 遺族「隠ぺい」批判”. 中日新聞(ウェブ魚拓). . 2009年7月29日閲覧.
- ↑ おかみも暴行指示「やれ」スポーツニッポン 2008年 10月11日 閲覧
- ↑ “時津風親方ら立件へ 力士急死、暴行の疑い 愛知県警”. 朝日新聞(ウェブ魚拓). . 2009年7月29日閲覧.
- ↑ “元時津風親方の実刑確定へ 暴行主導で懲役5年”. サンケイスポーツ. 2012年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011年8月30日閲覧.
- ↑ “訃報:山本順一さん64歳=前時津風親方”. 毎日新聞. (2014年8月12日). オリジナルの2014年8月13日時点によるアーカイブ。 . 2015閲覧.
- ↑ 警察庁:検視官の現場臨場 過去最高72% 毎日新聞 2015年2月12日 22時40分
関連項目
外部リンク