力士会
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力士会(りきしかい)とは、力士生活の向上のため力士の立場から日本相撲協会へ提言することを目的にした会であり、十両以上の力士で構成している親睦組織である。
概要
毎場所ごとに番付発表の翌日に開催され、ここで新十両昇進力士の紹介や引退力士への記念品贈呈、関取衆の身体測定(身長・体重)などが行われる。また、引退相撲に関しては力士会は無償で出場することが慣例となっている。
力士会の会長は、慣例でその年初場所の番付最上位者か、先に昇進した横綱が務めることになっており、現在の会長は2017年12月から横綱・鶴竜が就いている。横綱が不在の場合には番付最上位者の大関が会長を務める場合もあるが、その年の途中で横綱に昇進した力士がいた場合には、慣例として横綱に交代する[1]。大関が就任した事例は過去に2例のみであり、歴代会長の中で最高位が大関なのは小錦八十吉のみである[2]。
力士会主催のイベントとしては、ユニークな仮装行列でおなじみの「力士運動会」がある。これまでに過去9回開催されているが、平成時代以降は1991年6月と1999年2月に行われたのみである[3]。そのため、現役力士の中には「力士運動会」を知らない関取も増えてきている。2015年4月には力士会会長(当時)の横綱・白鵬翔が、久々に力士運動会を復活させようとの声が挙がっている[4]。
2008年9月2日の力士会の際、抜き打ちの尿検査が実施され露鵬・白露山のロシア出身の兄弟力士に大麻吸引の陽性反応が出た。このことにより両力士は解雇され、北の湖理事長(当時、のちに再任)が引責辞任した。
歴史
歴代会長
四股名と番付は就任当時のもの
代数 | 四股名 | 番付 | 在位 | 退任理由 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
初代 | 玉錦三右エ門 | 大関 | 1932年1月~1938年12月 | 死去 | 就任当時横綱空位 1932年10月場所後に横綱昇進 |
2代 | 双葉山定次 | 横綱 | 1938年12月~1945年11月 | 引退 | |
3代 | 羽黒山政司 | 横綱 | 1945年11月~1953年9月 | 引退 | |
4代 | 東富士欽壹 | 横綱 | 1953年9月~1954年9月 | 引退 | |
5代 | 千代の山雅信 | 横綱 | 1954年9月~1959年1月 | 引退 | |
6代 | 栃錦清隆 | 横綱 | 1959年1月~1960年5月 | 引退 | |
7代 | 若乃花幹士 | 横綱 | 1960年5月~1962年4月 | 引退 | |
8代 | 大鵬幸喜 | 横綱 | 1962年4月~1971年5月 | 引退 | |
9代 | 北の富士勝昭 | 横綱 | 1971年6月~1974年7月 | 引退 | |
10代 | 輪島大士 | 横綱 | 1974年7月~1981年3月 | 引退 | |
11代 | 北の湖敏満 | 横綱 | 1981年3月~1985年1月 | 引退 | |
12代 | 千代の富士貢 | 横綱 | 1985年1月~1991年5月 | 引退 | |
13代 | 北勝海信芳 | 横綱 | 1991年5月~1992年5月 | 引退 | |
14代 | 小錦八十吉 | 大関 | 1992年5月~1993年1月 | 新横綱誕生 | 横綱空位期間 |
15代 | 曙太郎 | 横綱 | 1993年1月~2001年1月 | 引退 | |
16代 | 貴乃花光司 | 横綱 | 2001年1月~2003年1月 | 引退 | |
17代 | 武蔵丸光洋 | 横綱 | 2003年1月~2003年11月 | 引退 | |
18代 | 朝青龍明徳 | 横綱 | 2003年11月~2010年1月 | 引退 | |
19代 | 白鵬翔 | 横綱 | 2010年1月~2016年4月 | 2016年5月場所前に退任 | |
20代 | 日馬富士公平 | 横綱 | 2016年4月~2017年11月 | 引退 | |
21代 | 鶴竜力三郎 | 横綱 | 2017年12月~ | 当代 |