弁当
弁当(べんとう)とは、携帯できるようにした食糧のうち、食事に相当するものの日本での呼称である。家庭で作る手作り弁当と、市販される商品としての弁当の2種に大別される。日本国外でも'Bento'として日本式の弁当箱とともに普及し始めた。
まれに「辨当」「便当」などとも書かれることもある[1]。 「弁当」は、「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代の俗語「便當」が語源ともされている。この「便當」が日本に入り、「便道」「辨道」などの漢字も当てられた。「辨(そな)えて用に當(あ)てる」ことから「辨當(弁当)」の字が当てられ、「辨當箱」の意味として使われたと考えられる[2]。
Contents
日本における弁当の歴史
近世以前
旅や仕事、行楽の外出先で食事の確保がしにくい場合、食料を持参することは世界各地で古来行われている。日本でも古くから弁当の習慣が起こり、他の諸国では例を見ないほどの発展を遂げていった。これは、日本で一般的に食べられるジャポニカ米が、インディカ米などと比べ、炊いた後、冷めてしまっても比較的味が落ちにくいという特徴を持つためであるとされる。伝統的な日本の弁当は、飯と梅干しなどの漬物、さらに日本が豊かになるにつれ肉料理、野菜、魚介類といった惣菜が多彩になっていった。おにぎりや稲荷寿司等を詰めた弁当も人気が高い。弁当の具材は持ち運びがしやすい容器に入れられ、その容器は「弁当箱」という名で呼ばれる。英語では、日本語をそのままに「bento」と呼ばれている。
日本の伝統的な弁当は、それぞれの家庭でこしらえていくものであり、これは家事の1つとして重要な位置を占めていた。
弁当の起源は平安時代まで遡ることができる。当時は「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりのほか、「干飯」「糒」(ほしいい)と呼ばれる、調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干飯は腐敗しにくく、小さな入れ物に保管することができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた。アルファ化米も参照。
戦国時代の出征では、武士は「腰兵糧」を持参した。干飯のほか炒めた玄米(炒米)、餅、さらに味噌や味噌で煮しめた芋茎(いもがわ縄)など塩分補給も工夫された[3]。
安土桃山時代には、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代より、弁当は花見や茶会といった場で食べられるようになった。江戸時代初期に編集された、ポルトガル語の『日葡辞書』には「bento」が弁当箱の説明で記載されている[4]。
天下泰平(てんかたいへい)の時代になると、弁当はより広範な文化になると同時に、優雅な文化となった。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とは、おにぎりをいくつかまとめたもので、竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。現代でも人気が高い弁当として、「幕の内弁当」があるが、これも江戸時代に作られ始めた。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べていたため、「幕の内弁当」と呼ばれるようになったという説が有力である。そしてこの時代、弁当のハウトゥー本が多数出版されたという。雛祭りや花見に向けての準備を行う庶民のために、これらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。江戸などの都市では、折詰弁当専門店が現れた。
近現代
明治時代、給食もなく、また現代のように外食施設が発達していなかったこの時代、役所に勤務する下級官吏や安月給のサラリーマンは、江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、彼らは「腰弁」などと呼ばれた。富国強兵政策を推し進める日本政府は、国民の健康を高めるために弁当普及を推進した。明治初期は学校給食がまだ実施されておらず、生徒と教師たちは弁当を持って来なければならなかった。鉄道駅で最初の「駅弁」が発売されたのも明治時代である。最初に駅弁の販売が始まった年に関しては複数の説がありが、一般的には1885年(明治18年)7月16日に宇都宮駅で発売された、おにぎりと沢庵漬けを竹の皮に包んだ弁当が駅弁の発祥とされている[5]。また、折詰に入った駅弁は、1890年(明治23年)に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初との説がある[6]。サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのも1898年(明治31年)からである[7]。
大正時代、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり、社会問題に発展した。第一次世界大戦後に不況が続くと、農村の生活苦から主に東北地方からの東京など都会への移住者が増えるなどして、貧富の差が弁当に表れた。当時の人々は、この現象が、肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えるのではないかと考えたのである。明治以降、都市部の貧困層や育てた農作物を自由にできない貧農の世帯が、子供の通学時に弁当を持たせられない欠食児童がしばしば問題化した。
昭和時代になり、多くのアルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発された。壺井栄の小説『二十四の瞳』に描写されるように、それは目の覚めるような銀色をしており、またメンテナンスの容易さもあって、当時の人々から羨望の的となった。また、かつて小学校の冬の暖房装置にストーブ類が多用されていた頃は、持参したアルマイト弁当箱ごとストーブの上に置き、保温・加熱するということも行われた。昭和初期には弁当の手引き書が多く出版されるようになり、栄養価を考え、弁当に入れるおかずのバリエーションも多彩になっていた。
第二次世界大戦の後、多くの地域では学校の昼食は給食に切り替えられて、全ての生徒と教師に用意されるようになった。これによって、徐々に学校に弁当を持参して来る習慣は少なくなった。現代では、食物アレルギーなどで食べられない食材がある人が食べられる食材だけを使った弁当を作ったり、一部地域で行政コスト削減のため学校給食が廃止されたりして、家から弁当を持って来る習慣が復活しているという。弁当の調理は家庭の主婦の仕事とされてきたが、女性が外に勤めに出ることも多くなったなどの事情もあり、コンビニエンスストア等で買った弁当・おにぎりや、パンを持参する生徒も多くなった。
1970年代、駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって、鉄道で観光旅行に出かける人が増えると、各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物など、より多様なものとなった。
中小規模の企業で、自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する仕出し業者も一般的となった。
またこの時代、ジャー式の保温弁当容器が開発され、販売された。これが普及したことによって、職場や学校に弁当を持参していく者たちも温かい弁当を食べられるようになった。しかし、この容器はサイズが大きいという欠点があり、とても鞄の中に収まるようなサイズではなかった。したがって、昼に温かい弁当を食べるためには、鞄以外にもこの弁当容器を肩に提げて出掛けなければならなかった。また、落とすと容器の内部が破損してしまうという問題もあった。冷めた弁当を食べる直前、電子レンジで加温することも行われている。
1970年代後半から1980年代にかけて、弁当は新たな市場にて登場した。
1つは、持ち帰り弁当専門店(通称:ホカ弁)の台頭で、1976年(昭和51年)に創業したほっかほっか亭が、フランチャイズシステムで急激に伸びたことが挙げられる。もう1つは、急激に普及したコンビニエンスストアでの販売で、そこで販売される弁当は、店の電子レンジを使用して、いつでも温めて食べられることが売りとなった。同時に、スーパーマーケットの惣菜コーナーにも弁当が並ぶようになった。これらは、「弁当を持ち帰って食べる」という新しい流れを作り出した。
また昼食時間帯に飲食店が混雑するオフィス街では、持ち帰り弁当を飲食店が店頭販売したり、移動販売車が来街したりすることも多くなった。弁当の配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベン(土方が持つような大きな弁当箱)に象徴される金属製の弁当箱は、耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。
平成時代へと突入した1990年代、日本のコンビニエンスストアに納入する弁当の製造工場は24時間体制で操業しており、多いものでは日産数万食にも及ぶ規模となっている。これらの弁当ではプラスチック製あるいは紙製の容器が用いられていることが多い。また、コンビニエンスストアが地方でも一般的になり、温かい弁当が一般化すると、駅弁でも化学反応を利用して加熱できるタイプのものが登場した。2003年(平成15年)頃から、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっている。乗客は空港での待ち時間や、飛行機に乗っている間にそれを食べている。これに対抗して日本道路公団は「速弁」を売り出した。2005年(平成17年)から名ナゴヤドームは「球弁(たまべん)」を売り出した。
また、団体旅行や法事など、弁当に大量かつ一定の豪華さが要求されるような状況に向け、これらの製造に当たる仕出し料理店や料亭なども多い。仕出し弁当などの場合には上面に「御弁当」や「御料理」の文字の入った掛け紙が付けられていることも多い。
20世紀末に(主に母から子への)愛情弁当の「キャラ弁」が流行し、外国でも'Kyaraben'として知られるようになった。
2001年、香川県で小学校校長をしていた竹下和男が、子供が自ら弁当を作って、持ってくる取り組みを始めた。これを機に食育の一環として、職場を含めた「弁当の日」活動が農林水産省などにより行われている[8]。
バブル崩壊後のデフレーションで、食も低価格化が進んだ。2007年(平成19年)頃から、低価格の250円弁当が路面店で売り出され、採算の合う大都市中心部で流行している。以前から低価格の弁当は存在していたが、カテゴリとして確立したのはこの頃である。
リーマン・ショックが起きた2008年(平成20年)は、不況の影響もあり、節約のために弁当持参をする人が増えた。弁当男子という、独身男性が自ら弁当を作って持参する言葉が生まれた[9]。さらに、1970年代に開発、発売された保温弁当容器も進化を遂げて、一昔前の大きな弁当箱というイメージは薄れ、男性用ビジネス鞄に入るスリムなタイプが登場した。近年は、女性向けに小型化されて、カラフルでおしゃれなタイプの保温弁当箱も登場している[10]。
日本における主な弁当の種類
- 日の丸弁当 - 白飯の中央に梅干しを1つ載せて、日の丸を模した弁当。最もシンプルな弁当の1つ。
- 幕の内弁当 - 白米といくつかのおかずをセットにした弁当。
- 海苔弁当 - ご飯に海苔を敷き詰めた弁当。
- 松花堂弁当 - 略式懐石料理で、十字に仕切った弁当箱に様々な料理を入れたもの。
- 沖縄県の弁当 - ご飯の上に副菜を無造作に載せるスタイル。食物の傷みやすい気候のため、おかずはほとんどが揚げ物や炒め物で、味付けも濃く、非常にカロリーが高い。
日本の代表的な弁当専門店
折詰弁当店
持ち帰り弁当のチェーン
各国の弁当
テンプレート:Sect-stub 調理が済んだ食べ物を携帯する習慣は、世界中で見られる。例えば、最も簡単な形式では、チベットのツァンパのような物がある。
台湾
台湾では日本統治時代に、駅弁も含めて弁当を利用する習慣が根付いていった。台湾の弁当は日本の弁当と異なり、必ず温かい状態で販売[11]され、現在も台湾では市街地や国道沿いなどに多くの弁当店が店舗を構え、盛況を見せている。なお、台湾では「弁当」ではなく一般的に「便當」と表記されるが、「飯包」という表記もみられる[12]。池上米など、日本に近い品種の米が導入されたことも、台湾での弁当の普及に大きく関係しているものと推測される。
韓国
韓国では「トシラク」と呼ばれて、日本の弁当と似たような形で存在している。しかし日本ほどには発達しておらず、特別な行事や遠足で食べるというイメージが強い。それでもコンビニエンスストアで弁当が売られるなど、主に会社員の間で弁当を食べる文化が広まっている。近年では、各社がコンビニ弁当に力を入れており、種類も多様化している[13]。
ミクロネシア
パラオやミクロネシア連邦では、日本統治時代に「弁当」の単語が日本語からの借用語として現地語に取り入れられている[14][15]。
中国
中国には、そもそも冷めた米を食べる習慣がなかったが、近年は米飯の入った弁当箱に料理を上から載せ、電子レンジなどで温めて食べるような習慣が形成されている。同じ中国内でも、上海等では、日系のコンビニエンスストア等を中心に、「弁当」の語源でもある「便当」として普及を狙い、現在では日本のものと似た弁当も売られるようになり、一般化しつつある[16]。そのほかに長距離列車では、食堂車で調製された弁当(盒饭)の車内販売が行われる[17]。
東南アジア・南アジア
ベトナムでは、駅のホームや長距離列車でバインミーとともに弁当が販売されている。弁当はおかず数品に米飯という構成であり、車内販売用の弁当は食堂車で調製され、温かい状態のままスープとともに販売される[18]。
タイでは、ガパオライス(米飯の上に肉料理と目玉焼きを載せたもの)やパッタイ、タイカレーなど多種多様な弁当が販売されている[19]。これらの弁当は、発泡スチロール製の容器に米飯を入れ、その上におかずを載せたスタイルが一般的であるが、バナナの葉やビニールに料理を包み、一口サイズにして販売されている弁当もある[19]。
マレーシアやインドネシアでは、箱に入った弁当はナシコタッ(Nasi kotak)、バナナの葉や紙に包まれた弁当はナシブンクス(Nasi bungkus)と呼称される。ナシブンクスは屋台や鉄道駅などでナシレマッ(Nasi lemak)やアヤムゴレン(Ayam goreng)などが販売され、これらの料理はバナナの葉やビニールコーティングされた紙の上に米飯とおかずを盛り、包んだ状態で提供される[20][21]。
インドでは、チャパティとカレーをダッバー(Dabba)と呼ばれる積み重ね式容器に入れて携帯する習慣が見られる。その起源はイギリス領時代の1890年代で、ムンバイのイギリス企業で働くインド人ビジネスマンに対し、自宅で家族が調理した昼食を勤務先へ届けるために考案された[22]。
北アメリカ
アメリカ合衆国やカナダでは、多種類の食品を組み合わせたBENTOが店で売られたり、家庭で作られたりするようになっている。栄養のバランスが良い食事を、短時間でとれることが評価されて普及している[23]。
ヨーロッパ
フランスには、密閉容器にパンを入れる「ガメル」(Gamelle)と呼ばれる習慣はあったが、肉体労働者向けのイメージが強く、ホワイトカラーなどには無縁だった。フランスの労働者の昼食は弁当が一般的になるまではコース料理を時間をかけて食べるのが一般的であり、いわゆる「弁当」は日本のマンガを通して知られるようになった(それゆえに、日本の漫画を扱う漫画喫茶や書店には弁当箱(Bentō)も売っているところも多い)。更に、リーマン・ショック後の不景気と外資系企業の進出で会社員の昼休憩時間が削られる(平均で1時間30分が22分に)事になり[24]、労働者の収入が減った為、特に中間所得層以下の労働者が対策として、安く(フランス人労働者の昼食コース料理が2700円前後、市販の弁当が1400 - 1700円程(2013年年末換算))簡便で早くコース料理が食べられるという事で弁当が普及し、イートインスペースがある弁当販売店や、弁当箱を皿代わりにしているレストランまで現れている[25][26]。
また、2016年3月より、パリのリヨン駅でJR東日本及び日本レストランエンタプライズとフランス国鉄の共同企画として、日本の駅弁5種類が販売された[27][28]。当初は2カ月間限定の企画であったが、好評であったため販売期間が延長された[29]。
イタリアでは一部の鉄道駅で、パンやサンドウィッチに、小瓶のワインを合わせた食事セットが販売される鉄道駅がある[30]。また、2012年4月に運行を開始したイタリアの高速列車イタロ(Italo)では、日本の駅弁を参考にしたイタロ・ボックスが有料で提供されている[31]。
その他
アメリカ合衆国やオーストラリア、ニュージーランドなどでは、簡単なサンドイッチ(ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチなど)や果物、チョコバーなどをランチボックスに入れ、昼食として携行する。
ハワイではプレートランチ(Plate lunch)またはミックスプレート(Mixed plate)という料理のスタイルが一般的である[32]。これは1枚の皿の上に米飯とマカロニサラダを盛り、残ったスペースにハワイ料理、アメリカ料理、プエルトリコ料理、日本料理、沖縄料理、中華料理、韓国料理、フィリピン料理、ポルトガル料理などを起源とする多種多様なおかずを盛りつけた料理のスタイルで、弁当のように発泡スチロール製の容器に入れて販売されることもある[32] 。このプレートランチは19世紀後半、サトウキビプランテーションでの昼食時に、日系人をはじめとした各国からの労働者同士が、弁当のおかずを分け合ったのが起源である[33][32] 。このほかに、ハワイ・クレオール英語には「弁当」の単語が日本語からの借用語として取り入れられている。意味は「1人前の食事を持ち運ぶために詰めたもの」であり、前述のプレートランチとは区別されている[34]。
その他
- 宮城県仙台市宮城野区福室字「弁当」二番という地名がある。「弁当二番」までが地名であり、「二番」は地番ではない。その昔、仙台藩の足軽たちが、この地で弁当を広げたことから、その地名(小字)となった。弁当一番から弁当三番まであったが、弁当一番は住居表示の実施により、消滅している。
- 俗に、禁錮刑・懲役刑の執行猶予期間のことを、「お弁当」と呼ぶ場合がある(例:2年のお弁当つき)。
- ファイルメーカー社のパソコンソフト「Bento」の名称の由来は「弁当」から来ており、そのアイコンは弁当箱をモチーフにしている。
- Windows用メディアプレーヤーであるWinampのバージョン5.5(2007年10月リリース)以降で利用可能なユーザインターフェイス「Bento」の名称の由来も「弁当」から来ている。当該UIは、メディアライブラリの内部を松花堂弁当のように更に仕切ることにより各種情報を一覧できる点が特徴である。
- あるイベントに協力するに際して報酬をもらわず、経費を自己負担して参加することを「手弁当」と表現する。
- 昼食時間以前に弁当を食べることを「早弁」(はやべん)と言う[35]。
- 賞味期限は、三十時間くらいである[36]。
弁当をテーマとした作品
脚注
- ↑ 日本国語大辞典第2版、小学館。
- ↑ 弁当(べんとう) 語源由来辞典
- ↑ 小和田哲男『戦国の合戦』(学研新書)
- ↑ 弁当ライブラリー|Plenus 米食文化研究所(2018年6月15日閲覧)
- ↑ おかげさまで駅弁130周年駅弁のホームページ 社)日本鉄道構内営業中央会
- ↑ まねき食品株式会社|元祖幕の内
- ↑ 押寿しとサンドウ井ッチ 大船軒
- ↑ みんなで囲むともっとおいしい!「弁当の日」農林水産省(2018年7月10日閲覧)
- ↑ 景気の影響!? オフィスに“弁当男子”が急増中 東京ウォーカー 2008年(平成20年)12月9日
- ↑ 保温弁当箱にホットな視線 産経新聞ENAK
- ↑ 台湾の懐かしの味! 台北駅のできたて駅弁の魅力とは?|エクスペディア
- ↑ 故事館介紹_池上飯包文化故事館 WOO 悟饕池上飯包(正体字中国語)
- ↑ “弁当にデザート、鰻丼まで…韓国のコンビニが進化中”. ハンギョレ. (2016年7月20日)
- ↑ ミクロネシア連邦 - 愛知県国際交流協会
- ↑ Japanese and Other Loanwords in Palauan(ラナイ本願寺のホームページ 英語)
- ↑ NHKスペシャル『13億人の欲望をつかめ』 2005年(平成17年)3月5日
- ↑ 阿部、岡田 p176
- ↑ 下川 pp130-136
- ↑ 19.0 19.1 下川 pp58-63
- ↑ 下川 pp89-91
- ↑ 西川 pp257-260
- ↑ “Bombay Dabbawalas go high-tech(英語)”. Physorg.com. . 2016閲覧.
- ↑ 【モノごころ ヒト語り】弁当箱/日本的発想 ぎゅっと詰め『日本経済新聞』夕刊2018年6月9日(社会・スポーツ面)2018年6月15日閲覧。
- ↑ [1] フィガロ 2011年9月27日
- ↑ テレビ東京『世界を変える100人の日本人』 2009年(平成21年)9月11日
- ↑ 未来世紀ジパング 2014年1月6日放送分
- ↑ フランス国鉄 初の日本の駅弁売店の開業時期について
- ↑ “初の駅弁売店オープン パリ・リヨン駅”. 毎日新聞. (2015年3月2日) . 2016閲覧.
- ↑ “JR東日本・NRE、パリの駅弁売店「EKIBEN」好評につき出店期間を26日間延長”. 乗りものニュース. (2015年4月23日) . 2016閲覧.
- ↑ 京王百貨店駅弁チーム p131
- ↑ イタリア発 人気を集めるデリバリー&ケータリング 後編 - 海外トレンドリポート - 1
- ↑ 32.0 32.1 32.2 “Origins of Plate Lunch(英語)”. ハワイ州ホノルル: KHNL (2002年11月27日). . 2016閲覧.
- ↑ 弁当からミックスプレートへ 全米日系人博物館
- ↑ ハワイはさまざまな文化、アクティビティ - Hawaii Tourism Authority p11
- ↑ 日本国語大辞典第2版(小学館)。デジタル大辞泉、大辞林第3版.
- ↑ 『コンビニのひみつ』63頁。
参考文献
- 京王百貨店駅弁チーム(2001年). 『駅弁大会』, 光文社新書, 光文社. ISBN 4334031048
- 西川治(2007年). 『世界ぐるっと朝食紀行』, 新潮文庫, 新潮社. ISBN 9784101333519
- 下川裕治(2011年). 『鈍行列車のアジア旅』, 双葉文庫, 双葉社. ISBN 9784575713718
- 阿部真之、岡田健太郎(2011年). 『中国鉄道大全 中国鉄道10万km徹底ガイド』, 旅行人. ISBN 9784947702692
関連項目
- 弁当箱
- 駅弁
- 空弁
- 塾弁
- 飯盒
- 弁当男子
- キャラ弁
- オリジン東秀
- プレートランチ
- 弁当の呪い
- 宰相殿の空弁当
- タレ瓶
- バラン
- エディブル・フラワー
- つま
- 折箱
- 曲げわっぱ
- 経木
- 掛け紙
- 仕出し、出前
- 柿の葉ずし