歌舞伎
歌舞伎(かぶき)
日本の古典演劇の一つ。せりふ,音楽,舞踊の各要素が混然一体となっている。歌舞伎は「傾(かぶ)き」(異常,放埒の意)のあて字。江戸時代初期の出雲の阿国のかぶき踊が始まりとされ,そのまねをした遊女たちが茶屋や風呂上がり風俗をミュージカル風に演じてみせた。しかし風俗紊乱のかどで女歌舞伎が禁止され,その二十数年後には少年たちによる若衆歌舞伎も禁止された。以後は「物真似狂言尽」として男性俳優のみによる演技中心の舞台が展開し,その結果,女方の演技術が生まれた。元禄期にいたって歌舞伎は完成度を高め,劇作者としては近松門左衛門その他を出し,坂田藤十郎,芳沢あやめ,1世市川団十郎らの名優が輩出して,和事,荒事という特殊な演技術を生んだ(元禄歌舞伎)。また『役者評判記』という劇評書が毎年出版されて演技評が確立した。享保期には瀬川菊之丞や中村富十郎によって女方舞踊が完成され,天明期には立役中心の浄瑠璃所作事が江戸で発達。以後,劇壇の趨勢は上方から江戸に移り,化政期には鶴屋南北によって生世話物が創始され,また舞踊に変化物が生まれて爛熟期を迎えた。7世市川団十郎,5世松本幸四郎,5世岩井半四郎らの名優が続出して演技術が極度に発達したが,同時に伎芸の固定化がみられ,演技,演出の型や家の芸が生まれた。幕末には河竹黙阿弥による白浪物が生まれ,4世市川小団次が活躍。明治以降は一種の革新期を迎え 9世市川団十郎,5世尾上菊五郎を中心に,活歴物や散切物が現れ,大正期には 2世市川左団次を中心に新歌舞伎という新しい様式をみせた。第2次世界大戦後は,擬古典から古典を意識しないものまで種々の新作が上演され,3世市川猿之助によるスーパー歌舞伎という新しいジャンルが出現する一方,国立劇場を中心に上演される復活狂言も一つの傾向を示している。1965年国の重要無形文化財に指定。2008年世界無形遺産に登録された。