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一方、[[1946年]](昭和21年)に創立された陸上部も輝かしい戦績を誇る。'''[[全日本実業団対抗駅伝競走大会]]で歴代最多23回の優勝を誇る<ref name="sponichi_20170101">{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/01/01/kiji/20170101s00063000193000c.html|date=2017-01-01|title=ニューイヤー駅伝 旭化成 18年ぶり22度目の優勝|publisher=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2017-01-01}}</ref>'''(2018年現在)。 | 一方、[[1946年]](昭和21年)に創立された陸上部も輝かしい戦績を誇る。'''[[全日本実業団対抗駅伝競走大会]]で歴代最多23回の優勝を誇る<ref name="sponichi_20170101">{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/01/01/kiji/20170101s00063000193000c.html|date=2017-01-01|title=ニューイヤー駅伝 旭化成 18年ぶり22度目の優勝|publisher=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2017-01-01}}</ref>'''(2018年現在)。 | ||
男子マラソン選手では、[[1991年]](平成3年)の[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界陸上東京大会]]で優勝し金メダルを獲得した[[谷口浩美]]、[[1992年]](平成4年)の[[バルセロナオリンピック]]銀メダリストの[[森下広一]]、[[1999年]](平成11年)の[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界陸上セビリア大会]]銅メダリストの[[佐藤信之]]を初め、[[宗茂]]・[[宗猛]]双子兄弟や[[児玉泰介]]、[[川嶋伸次]]など。女子マラソン選手でも[[千葉真子]]、[[宮原美佐子]]、[[安部友恵]]といった、錚々たるアスリートが活躍した。陸上部の拠点は延岡市にある。 | 男子マラソン選手では、[[1991年]](平成3年)の[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界陸上東京大会]]で優勝し金メダルを獲得した[[谷口浩美]]、[[1992年]](平成4年)の[[バルセロナオリンピック]]銀メダリストの[[森下広一]]、[[1999年]](平成11年)の[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界陸上セビリア大会]]銅メダリストの[[佐藤信之]]を初め、[[宗茂]]・[[宗猛]]双子兄弟や[[児玉泰介]]、[[川嶋伸次]]など。女子マラソン選手でも[[千葉真子]]、[[宮原美佐子]]、[[安部友恵]]といった、錚々たるアスリートが活躍した。陸上部の拠点は延岡市にある。 | ||
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旭化成株式会社(あさひかせい)は、化学、繊維、住宅、建材、エレクトロニクス、医薬品、医療等の事業を行う日本の会社である。東京都千代田区神田神保町に本社を置く。戦前は日窒コンツェルンの一部だったが、日本の敗戦に伴う財閥解体により資本関係が絶たれ、1946年4月に日窒化学工業が旭化成工業と改名して、独立企業体として誕生した[1]。
Contents
歴史
創業者の野口遵が、1906年に鹿児島県伊佐市(いわゆる曽木の滝)に発電事業をおこなう「曽木電気」を設立する。同社の水力発電の余剰電力を利用して、1907年に熊本県水俣市に「日本カーバイド商会」を設立。後に合併して、「日本窒素肥料」(現・チッソ(発祥は水俣市))となる。やがて1922年に宮崎県延岡市で、カザレー式アンモニア合成工場と滋賀県に設立した再生繊維レーヨン製造会社である旭絹織株式会社を設立し、合成アンモニアの製造を開始する。その後1923年に日本窒素肥料と旭絹織と合併(「日本窒素肥料・延岡工場」。旭化成としての発祥の地は延岡市)するがその後分離独立する。同社は旧財閥「日窒コンツェルン」の一員であった。
野口遵が延岡市で世界初のカザレー式アンモニアの合成化に成功したのを機に始まり[2]、後にアンモニアを使用した再生繊維「ベンベルグ」(一般名「キュプラ」)を発売し、その後数々の合成繊維(「レオナ」、「カシミロン」(アクリル繊維)、「ナイロン」、「レーヨン」)、うま味調味料(グルタミン酸ソーダの「旭味」、「ミタス」)、化学薬品(苛性ソーダ(イオン隔膜法で製造[3]。旭化成独自の製法)、塩素、塩酸、硫酸、硝酸)等の製造をしていたが、第2次世界大戦後に事業を多角化して、家庭用品で1960年に発売した「サランラップ」(当初は当社とアメリカ合衆国・ダウ・ケミカルとの合弁会社「旭ダウ」が発売した。)の爆発的ヒットで、旭化成の名を一躍全国区に、さらに「サランラップ」を押し進めた形で、ダウ・ケミカルが製造販売する冷凍、冷蔵、過熱、解凍が可能な食品保存密封袋「ジップロック」の日本国における販売権をライオンから譲受し、主力商品とした。1982年には旭フーズを設立し。冷凍食品「点心名菜」が発売。
現在は上記のほかに医薬品(一時は旧東洋醸造から引き継がれた一般用医薬品のじんましん薬/鼻炎薬「サットル」、風邪薬「サットル総合感冒薬」も展開していたが、現在は医療用医薬品のみ)や繊維加工技術から発展した弱電部品の製造、そして耐火性・耐候性を前面に打ち出した新建材「ヘーベルパワーボード」や、それを使用した「ヘーベルハウス」ブランドの住宅の販売も行っている。
2001年1月1日に旭化成に社名変更した際に企業CIがそれまでの漢字からアルファベットに変更された。2003年10月、酒類・食品など非中核事業を売却した上で、持株会社に移行し、各事業の運営は子会社へ移った。
- 社名の由来は、「旭」は、滋賀県大津市に建設されたレーヨン繊維工場の近くにあった琵琶湖畔の義仲寺(木曽義仲=旭将軍)から、「化成」は易経にある「よりよい方向 へ生成、変化、発展する」からきている。[4]
- フジテレビにて長年に渡り、「スター千一夜」や「なるほど!ザ・ワールド」、「メトロポリタンジャーニー」など一連の番組の単独スポンサーを、開局した年の1959年から1997年の放送終了まで一貫して、旭化成と旭化成グループ各社として、のべ40年間近く行っていたことでも知られる。
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沿革
日窒コンツェルン時代
- 1906年(明治39年)1月12日 - 曽木電気株式会社設立。
- 1907年(明治40年)3月 - 日本カーバイド商会設立。
- 1908年(明治41年)8月20日 - 曽木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、商号を日本窒素肥料株式会社に変更。
- 1922年(大正11年)5月25日 - 旭絹織株式会社設立。
- 1923年(大正12年) - 日本窒素肥料株式会社延岡工場完成、アンモニアを生産開始。(旭化成発祥の地)
- 1929年(昭和4年)4月15日 - 日本ベンベルグ絹絲株式会社設立。
- 1930年(昭和5年)12月4日 - 日本窒素火薬株式会社設立。
- 1931年(昭和6年)
- 日本ベンベルグ絹絲株式会社でベンベルグ生産開始。
- 5月21日 - 日本窒素肥料株式会社延岡工場と延岡水力発電が独立し、延岡アンモニア絹絲株式会社設立。
- 1932年(昭和7年) - 日本窒素火薬株式会社でダイナマイト製造開始。
- 1933年(昭和8年)7月15日 - 延岡アンモニア絹絲株式会社は、日本ベンベルグ絹絲株式会社および旭絹織株式会社を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲株式会社と改称。
- 1934年(昭和9年) - 日本窒素火薬株式会社延岡で硝化綿製造開始。
- 1943年(昭和18年)4月5日 - 旭ベンベルグ絹絲株式会社は、日本窒素火薬株式会社を合併し、商号を日窒化学工業株式会社に変更。
旭化成時代 (日窒コンツェルン解体後)
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 商号を旭化成工業株式会社に変更。
- 1952年(昭和27年) - 旭ダウ株式会社設立。
- 1960年(昭和35年) - 東洋醸造株式会社[5]と発酵工業・製薬で提携。
- 1976年(昭和51年) - 株式会社旭化成テキスタイル設立。
- 1982年(昭和57年) - 旭化成工業株式会社が旭ダウ株式会社を合併。
- 1994年(平成6年) - 旭化成工業株式会社が株式会社旭化成テキスタイルを合併。
- 1999年(平成11年)
- 食品事業(同事業を扱う子会社含む)を日本たばこ産業株式会社へ譲渡。
- 旭化成ワッカーシリコーン株式会社設立。
- 2000年(平成12年) - チバ・スペシャルティ・ケミカルズとの合弁会社である旭チバ株式会社を完全子会社化。社名を旭化成エポキシ株式会社とする。
- 2001年(平成13年)
- 1月1日 - 商号を旭化成株式会社に変更。英文名称もAsahi Chemical Industry Co., Ltd.からAsahi Kasei Corporationに変更。
- 蝶理株式会社及び蝶理コム株式会社の株式を売却。
- 2002年(平成14年) - 焼酎及び低アルコール飲料事業をアサヒビール株式会社及びニッカウヰスキー株式会社へ譲渡。
- 2003年(平成15年)
- 7月 - 清酒、合成清酒事業、及び富久娘酒造株式会社の株式の総てをオエノンホールディングス株式会社へ譲渡。
- 10月1日 - 吸収分割により主要7子会社に営業を承継させ、持株会社へ移行。
- 11月 - 新日本ソルト株式会社及び赤穂海水株式会社の株式を株式会社ソルトホールディングス(現在の日本海水)へ譲渡。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 旭化成情報システム株式会社(現在のAJS株式会社)の株式51%をTIS株式会社へ譲渡。
- 2007年(平成19年)
- 4月 - チッソ旭肥料株式会社の株式51%をチッソ株式会社へ譲渡。
- 旭化成ライフ&リビングを旭化成ケミカルズへ統合し、6事業会社体制に変更。
- 10月 -旭化成メディカル株式会社・旭化成クラレメディカル株式会社を旭化成ファーマ株式会社から会社分割により承継、8事業会社体制に変更。
- 2008年(平成20年)5月 - 東京本社を千代田区の神保町へ移転。
- 2009年(平成21年)
- 4月 - 旭化成株式会社の一部・旭化成エレクトロニクス株式会社の電子材料事業を分割し、旭化成イーマテリアルズ株式会社を設立し、9事業会社体制に変更。
- 5月 - 大阪本社を中之島へ移転。
- 2012年(平成24年)
- 4月1日 - 旭化成クラレメディカル株式会社を旭化成メディカル株式会社に統合。
- 4月27日 - ゾール・メディカル社を買収し連結子会社化。
- 2014年(平成26年)10月 - 本社機能を東京に一本化、併せて登記上の本店所在地を東京に変更。
- 2016年(平成28年)4月1日 - 旭化成ケミカルズ株式会社・旭化成せんい株式会社・旭化成イーマテリアルズ株式会社を吸収合併し、事業持株会社に移行[6]。[7]
- 2018年(平成30年) - 本社を東京ミッドタウン日比谷に移転予定。
歴代経営者
事業会社
関連会社
ケミカル事業関係
- 旭エスケービー株式会社
- 旭化成エポキシ株式会社
- 旭化成テクノプラス株式会社
- 旭化成パックス株式会社
- 旭化成ファインケム株式会社
- 旭化成ホームプロダクツ株式会社
- 旭化成メタルズ株式会社
- 旭化成ワッカーシリコーン株式会社
- PSジャパン株式会社 - 旭化成株式会社62.07%、出光興産株式会社37.93%
- カヤク・ジャパン株式会社 - 旭化成株式会社50%、日本化薬株式会社50%
- サンデルタ株式会社
- 日本エラストマー株式会社
- 三菱ケミカル旭化成エチレン株式会社
繊維事業関係
その他
- 旭化成アドバンス株式会社
- 旭化成アビリティ株式会社
- 旭化成アミダス株式会社
- 旭化成エンジニアリング株式会社
- 旭化成ネットワークス株式会社
- 株式会社旭リサーチセンター
- 旭有機材株式会社
- 旭化成海外法人各社(アメリカほか多数)
グループ関係会社
旭化成ホームズ関係
- 旭化成住工株式会社
- 旭化成不動産レジデンス株式会社
- 旭化成ホームズフィナンシャル株式会社
- 旭化成リフォーム株式会社
旭化成建材関係
旭化成エレクトロニクス関係
- 旭化成テクノシステム株式会社
- AKMテクノロジ株式会社
旭化成メディカル関係
- 株式会社メテク
ゾール・メディカル関係
- 旭化成ゾールメディカル株式会社
かつての関連会社
- 岡山化成株式会社 - ダイソー(現・大阪ソーダ)50%、旭化成ケミカルズ50%であったが、2012年に合弁解消。現在は大阪ソーダの完全子会社。
- 株式会社ケーブルメディアワイワイ - 旭化成が50%出資で筆頭株主
- AJS株式会社(旧:旭化成情報システム株式会社) - ITホールディングス51%、旭化成49%(かつての子会社)
- ハマナカ株式会社 - 旧・旭化成ハマナカ手芸糸
- 株式会社エルオルト - 旭化成グループ専用の旅行会社。日本旅行86%、旭化成14%
- センコーグループホールディングス株式会社 - 旭化成が第2位の大株主
- 株式会社ニッチツ - 旭化成が第2位の大株主
- 日本海水株式会社 - 旭化成が第2位の大株主(かつての子会社)
- ソルトホールディングス株式会社 - 旭化成が第2位の大株主
- 旭ダウ株式会社(旭化成(旧)とダウ・ケミカルの合弁会社)
- 旭チバ株式会社(旭化成(旧)とチバガイギーの合弁会社) ⇒ 旭化成エポキシ株式会社(完全子会社化)へ
- 山陽石油化学株式会社(旭化成ケミカルズに吸収合併の為解散)
- サランラップ販売株式会社(旧旭ダウ販売部門・旭化成(旧)ホームプロダクツ部門の後身、のちに旭化成ライフ&リビングへ吸収合併、現在の旭化成ホームプロダクツとなる)
- 富久娘酒造株式会社(旧東洋醸造の酒造部門と事業統合、現在はオエノンホールディングス傘下)
- スカイネットアジア航空株式会社(SNA) - 旭化成が株式一部保有
- サンバーグ株式会社(冷凍食品を展開していたが、現在はJTに譲渡)
- 旭フーズ株式会社(戦前からグルタミン酸ソーダ「旭味」「ミタス」(ライバルの味の素が独占していたが、他社への開放第一号となった)を展開したが、やはり現在はJTに譲渡)
- 富士チタン工業株式会社(現在は石原産業株式会社の子会社)
- チッソ旭肥料株式会社(元は旧新日本窒素肥料との化学肥料共販会社。2009年に三菱化学系の三菱化学アグリ株式会社と合併してジェイカムアグリ株式会社となる。旭化成ケミカルズが第3位の株主)
- 旭化成サービス株式会社(かつて宮崎県延岡市と都城市にあった百貨店。通称「旭サービス」)
- 旭ジャスコ株式会社(延岡ニューシティーショッピングセンターやマックスバリュ数店舗を運営していた会社、1999年8月に九州ジャスコ株式会社に吸収合併された。)
- 旭化成アイミー株式会社(コンタクトレンズ販売会社だが、2010年12月1日付けで全事業をアイミー株式会社に引き継ぎ、現在はマレーシアのスーパーマックス・グループ傘下[1])
- チッソ株式会社 - 日本窒素肥料株式会社の後身企業。事業会社としてはJNC
- 積水化学工業株式会社 - 旭化成が筆頭株主
- 積水化成品工業株式会社 - 旭化成ケミカルズが第9位の株主
- 旭化成ケミカルズ株式会社 - 元事業会社。2016年4月1日付で旭化成株式会社が吸収合併。
- 旭化成せんい株式会社 - 元事業会社。2016年4月1日付で旭化成株式会社が吸収合併。
- 旭化成イーマテリアルズ株式会社 - 元事業会社。2016年4月1日付で旭化成株式会社が吸収合併。
- 旭化成ジオテック株式会社 - 2016年7月1日付で旭化成アドバンス株式会社が吸収合併。
同根企業
※ いずれも「日本窒素肥料」(日窒コンツエルン)が母体である。
不祥事
所得隠し
2012年7月、大阪国税局が行った税務調査により、2011年3月期までの5年間で総額約10億5,000万円の申告漏れ(うち約1億5,000万円は意図的な所得隠し)を指摘されていたことが明らかとなった[8]。旭化成は全額を納付し「一部に見解の相違があったが指導に従った」とコメントした[9][10]。
虚偽データ問題(マンション傾斜問題)
2015年10月、旭化成100%子会社であり、建築材料の製造販売を行う旭化成建材は、二次下請として施工した神奈川県横浜市都筑区のマンションの基礎工事の際に行った地盤調査のデータを偽装していたと認め、謝罪した[11]。この問題で旭化成が同月14日調査委員会を発足させ[11]、同一の責任者が関わった9都県の41件の書類をチェックし公表すると発表した[12]。
同年11月2日から国土交通省が建設業法違反の疑いで旭化成建材本社に立ち入り検査を行った[13]。旭化成建材は過去10年間に施工した杭打ち工事3040件のデータに改竄があったかどうか調査した[14]。このうち2376件を調査した段階で266件に偽装が見つかったとして、旭化成副社長の平居正仁は偽装を見落としたことについて11月13日に謝罪した[15]。2015年11月6日の2016年3月期第2四半期決算説明会で旭化成はこの問題の影響で建材事業の売上高と営業利益の予想を下方修正した[16][17]。
主な出身者
- 曽川泉 - 宮崎県門川町長
- 米沢隆 - 元民社党委員長
- 津村重光 - 元宮崎市長
- 中曽根弘文 - 参議院議員
- 亀井郁夫 - 参議院議員
- 武田邦彦 - 中部大学教授
- 平田健二 - 参議院議長
- 川久保玲 - ファッションデザイナー
スポーツ
1951年(昭和26年)創設の柔道部は、全日本実業団体対抗大会を11回制した名門である。オリンピックでは上村春樹、中村兼三、内柴正人と3人の金メダリストを輩出したのを初め、9人で延べ11回の出場を果たしている。2000年(平成12年)シドニーの100kg超級銀メダルの篠原信一も旭化成の所属であった。また、2004年(平成16年)アテネの銀メダリスト泉浩も明治大学卒業後旭化成入りした。また筑波大学出身で2010年世界柔道選手権大会81kg級銅メダルの高松正裕(現・桐蔭学園高等学校教員)も以前は所属しており、所属時代にアテネオリンピック、2005年世界柔道選手権大会に73kg級で出場している。
一方、1946年(昭和21年)に創立された陸上部も輝かしい戦績を誇る。全日本実業団対抗駅伝競走大会で歴代最多23回の優勝を誇る[18](2018年現在)。 男子マラソン選手では、1991年(平成3年)の世界陸上東京大会で優勝し金メダルを獲得した谷口浩美、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピック銀メダリストの森下広一、1999年(平成11年)の世界陸上セビリア大会銅メダリストの佐藤信之を初め、宗茂・宗猛双子兄弟や児玉泰介、川嶋伸次など。女子マラソン選手でも千葉真子、宮原美佐子、安部友恵といった、錚々たるアスリートが活躍した。陸上部の拠点は延岡市にある。
その他
- 現在、全国ネットのテレビ番組で旭化成のCMを流す時は、主にハイビジョン制作の企業CM『昨日まで世界になかったものを。』シリーズを流し、それ以外の場合はヘーベルハウス・サランラップ・ジップロックなどのCMを流している(最近ではヘーベルハウスが展開されていない地域では、ACジャパンのCMに差し替える局も多いが、その場合も提供クレジットに社名が表記される)。
脚注
- ↑ 企業が起こす化学変化 旭化成株式会社 3407 先駆者たちの大地 IRマガジン vol.77 2007 SPRING
- ↑ No.35 カザレー式アンモニア合成塔
- ↑ レスポンシブル・ケアRC(環境・製品・安全)報告書2001 旭化成 P.2
- ↑ 2014年8月29日電気学会発行 電気技術史第66号 P.4 企業・研究所・大学のロゴの歴史(25)旭化成株式会社のロゴの変遷 旭化成株式会社総務部広報室 渋川和美
- ↑ 1970年(昭和45年)に旭化成傘下入り。1992年(平成4年)1月1日に旭化成工業と対等合併
- ↑ 連結子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ 旭化成ニュースリリース 2015年3月3日
- ↑ 沿革
- ↑ 所得隠し:旭化成 5年で1億5000万円と国税局が指摘 毎日新聞 2012年7月5日
- ↑ 税務調査の結果について 旭化成ニュースリリース 2012年7月5日
- ↑ 旭化成が1.5億円所得隠し 大阪国税局指摘、申告漏れ計10億円 日本経済新聞 2012/7/5 12:26
- ↑ 11.0 11.1 旭化成建材がデータ改ざん 横浜の傾いたマンション旭化成、調査委員会を発足 2015/10/15 0:07 (2015/10/15 1:02更新) 日本経済新聞 電子版
- ↑ 旭化成、調査の進捗状況公表中止…杭データ流用 読売新聞 2015年10月31日 01時24分
- ↑ 国交省、旭化成建材に立ち入り データ流用問題 日本経済新聞 2015/11/2 17:06
- ↑ データ改ざん常態化か 旭化成建材、10人以上関与の疑い 日本経済新聞 2015/11/3 2:01
- ↑ 全国で杭データ偽装266件 旭化成建材、関与50人超 朝日新聞 2015年11月13日20時43分
- ↑ 種市房子、山口知 旭化成:業績下方修正 くい打ち不正、建材部門で受注減 - 毎日新聞 2015年11月06日 21時53分(最終更新 11月06日 23時49分)
- ↑ 2016年3月期第2四半期決算説明会(電話会議)要旨
- ↑ “ニューイヤー駅伝 旭化成 18年ぶり22度目の優勝”. スポーツニッポン新聞社 (2017年1月1日). . 2017閲覧.
関連項目